下心バキバキトレーナーがトウカイテイオーに改心させられる話 作:散髪どっこいしょ野郎
ああっ……赦してくれ……赦して……くれ……
辺り一面真っ暗闇に包まれた夜の中俺は立っていた。右に顔を向けると家とは到底呼べないくらいにみすぼらしく小さな小屋がある。
「…………」
周りには誰もいない。ただ足元に炊かれた燎火が僅かばかりの光を放っているのみ。
俺は何もせずにそこに立っていた。暫くの間、何もせずにずっと。
どこかから小さな声が聞こえる。楽しそうな、嬉しそうな、聞いていると思わず口元が綻んでしまいそうな声が。
じっと目を凝らしてみると遠くに何かの影が見える。何分も何十分も見続けるとようやく輪郭や色彩が顕になってきた。
「……はは」
そこにいたのは、心から幸福そうな一組の夫婦。俺はそれを見て安心して────小屋に火をつけた。
「…………」
パチパチと音を立てて燃え盛る木造の小屋。何の感慨も湧かず、ただただそれが正しいと思って炎に包み込まれた空間の中に踏み込もうとして、
「あれ────?」
視界の端に何かが煌めいたような気がして。振り返ろうとすると腕を強く引かれた。
▫▫▫▫▫
「────あっ」
夢から醒めても体は落ち着かなかった。心臓が忙しなく喚き立て、喉の奥に何かがつっかえているようだ。
傍にあった目覚まし時計を見ると時刻は午前の三時辺り。少し笑ってしまいそうになる。やっぱり一人だと中々眠れないみたいだ。
ぼんやりと天井を眺めていた。
……そういえば、アドマイヤベガからオススメされて買ったっきり開けてない毛布があったな。
「…………」
包装などを取り外して早速触れてみる。確かにこれはいい。もふもふで、しかもふわふわだ。
胸は苦しいまま変わらない。動いてもいないのに動悸が酷く息をするだけで辛くなる。
「……トレーナー室に持ってくか」
それはそれとして気持ちがよかったので明日にでも持っていこうそうしよう。
とりあえず口に出して確認することで少しでも気が紛れてくれるようにと祈る。
▫▫▫▫▫
「クー……クー……」
「…………」
私の前には小さな寝息を立てている彼の姿。上下する胸の動きは規則正しく、その表情は何かから解放されたかのように穏やかなもの。
『う、あ、ああ、ああぁぁあっ!!』
『かあ、さん────?あ、あ────』
『──あ、れ──?あドまいヤベが……?』
「…………」
今でも時々こうして彼を見ているとあの時の泣き声が追いかけてくる。
今では安定しているものの一時期は取り乱し様が酷く、悪夢にうなされて飛び起きることも珍しくなかった。
迷子の子供みたいに両腕を泳がせてそこにいるのが私と気づいたら泣きそうな顔でしがみついてきて……私はこのヒトのお母さんじゃないのに……。
『おれ……うまれてこなかったほうがよかった?』
「…………」
生まれてこなかった方がよかったなんて、そんなことあるわけがない。
あの子だって────
だからあなたにも……あなたには……。
…………。
そんなことないって言いたかった。
でも私はあなたのお母さんにはなれないから、あなたはきっといつまでも自分を責め続ける。それを咎める権利は私には無い。あなたの罪滅ぼしを止める権利は。
でもあなたが
そもそもこのヒトは自分勝手が過ぎる。私の前に現れて勝手に歩み寄ってお節介を焼いておいて、私のことを知り尽くしておいて私の
──目を離したらどこかに行ってしまいそうで。
彼までもが消えてしまったら私は
──────。
……だから、私には彼がどこにも行かないようにこうして傍で見ていることしかできない。
▫▫▫▫▫
「トレーナーさん、ネクタイ」
「?」
「ネクタイ。ズレてる」
少し経って昼休み終了10分前にセットされたアラームが鳴り、彼はいそいそと午後からの準備を始めた。
今日はトレーナーさんたちの集まりだとかミーティングだとかで珍しくネクタイを付けていた。いつもの彼を知っている私からすると壊滅的に似合っていない。現に今も付けなれていないのか単に不器用なのか知らないけれど格好が崩れていた。
「ああ、悪い」
「私がやるから。動かないで」
「え……」
……このヒトに任せてたらどうせまた何か不手際が起きる。それだけ。
彼の胸元に手をかけると途端に話さなくなった……こういう時に限って静かになるんだから……まったく……
「次の休み、父さんに会いに行こうと思うんだ」
「……どうしてそれを私に」
「…………どうしてだろうな」
ネクタイを締め直しているとそんなことを言われた。唐突なのはいつものことだと分かっていても身構えずにはいられなかった。
彼のお父さんについて話は少し聞いている。真面目で情に厚く、笑えなくなってしまったヒト。
……今の彼がお父さんに会って、本当に平気でいられる?
……大体なんで私がこのヒトの心配なんかしているの。トレーナーが一日だけ帰省する。たったそれだけのことなのに。
「気をつけて。それと、ちゃんと帰ってきて」
「…………ああ」
▫▫▫▫▫
折角だから電車やバスで行こうかとも思ったが色々買っておきたい物もあったので車を使うことにした。
父さんには前もって連絡しておいたがあの調子だとろくなものを食べてないだろう。それにあのヒトは料理が苦手だ。
スーパーに寄って食材や保存の利く缶詰などを買い込むと後部座席が一杯になってしまった。こんな量冷蔵庫に入り切るだろうかと買ってから後悔してしまったがその時はその時だ。
久しぶりに帰った実家は俺が出ていった頃と変わらない、それどころか前よりも綺麗に感じる程に整えられていた。
「…………」
扉を前にして、自分はここに帰ってきていいのだろうかという強烈な不安に襲われた。このまま立ち去ってしまえば何の問題も起こらずただの買い物として一日を終えられるのではないかなどと考えもした。それでも、
「──、──」
息を吸って吐いて、決心もつかないままインターホンを押した。俺の両腕は買い物袋で塞がっているから必然的に父さんと
長い十数秒間だった。
「おお、来たか」
「……父さん」
▫▫▫▫▫
家の中は思わずビックリしてしまうぐらいに綺麗だった。隅から隅まで掃除されており、目を離しがちな所にも埃の一欠片すら無かった。ここまで来ると少し不自然なくらいだ。
とりあえずお互いに近況報告をした……つもりだったのだが、何年かぶりに帰ってきたということもあり浮き立っていたのかもしれない。最終的に俺だけがずっと話していた。
父さんは既に退職している。定年も近づき始め特に打ち込むような趣味も無かったのでそもそもする話が無かったというのもあるだろう。
実際家の中は綺麗ではあったもののかなり
ウマ娘の話になると少しだけ会話が弾んだ。どうやら俺がトレーナーになってからは毎日レースをチェックしていたらしく、昔と比べて随分と暗くなった目をしながら俺の担当について聞いてきた。
「アドマイヤ、ベガ────────あの子か。はは……まさかお前があの子のトレーナーだなんてな」
「うん、そうなんだよお父さん。それでね、」
そんな、普通の会話をした。
▫▫▫▫▫
「アヤベさん、最近トレーナーさんとはどうですか?」
「……いきなり何なの」
就寝時刻前、今日も同室のカレンさんは話しかけてきた。私はいつもぶっきらぼうな返ししかできないのに……この子は私を放っておいてくれない。
……彼といいこの子といい……どうしてそんな私を……
「んー……最近のアヤベさん、初めの頃よりよく笑うようになったなって思ったので♪」
「────」
どうなん、だろう。自分では気づけなかった。
私──そんなに笑ってた?
「アヤベさん?」
確かに彼といると気持ち悪いぐらいに落ち着いてしまう。こちらから何か言わなくても私の意思を勝手に汲んでくるから。いくら拒もうとしても離れてくれなくて、結局強制的に安心させられてしまう。
走る事は嫌いじゃない。それでも、私はどこかで笑ってはいけないと思っていた。あの子はウマ娘にとって当たり前の走る事すらできなかったんだから私だけがそれを楽しいなんて思うなんて、って。
「アヤベさーん……」
なのに、なのにあのヒトは私が手放したかった感情を幾つも与えてきて……それがとても怖かった。決して緩まないように張り詰めていた何かを解かされていく感覚が。
彼は不安定で、私がいないと独りでに崩れてしまいそうで、
それなのに何故か頼ってしまう。トレーナーさんの前だと私は……独りでいられなくなってしまう。
まあ、でも。
仮に知らず知らず笑っていたとして、それも全部彼の所為に決まってる。どうせこれからも彼は私を離してくれない。
だからその理由を挙げるとするなら……私が彼について確信してることを挙げるとするなら……あのヒトが私以外の走りを────
「……あのヒトが私以外を見るわけないから……」
「……………………おっと〜?」
▫▫▫▫▫
「……悪いな……」
「いいよ別に」
久々に親子で食事をするんだからということで父さんは張り切って鍋を拵えようとしていた。俺が手伝おうとしても自信満々に一人でもやれると言って断っていたから料理できるようになったんだなと思っていたら、
いつの間にか二人でカップラーメンを啜ることになっていた。
俺が心配して再度台所に行くと父さんはそれはもう盛大に失敗していて、食材には悪いが使った具材を全て捨てる羽目になってしまった。
結局作り直す時間もないということで急遽家に買いだめされてあったカップラーメンで夕飯を済ませることに。
父さんはことさらに申し訳なさそうにしていたが俺は別になんでもよかった。こうやって二人で食事をすること自体が久々だったから正直嬉しく思っている。
「実はな、俺、死のうと思ってたんだ」
「──────は」
いきなり飛び込んできた爆弾発言。いつの間にか父さんの容器にはスープと申し訳程度の刻みネギしか残っていなかった。
「毎日思ったんだよ。今日は部屋を掃除して、色んな整理もまとめて済ませて、綺麗な状態にしておこう。そうすれば何の心配も無く終われるんだから……って」
家の中が異様に整頓されていたのはそれが理由だったようだ。これが終われば死ねると思えばどんどんやる気が出てきて、遺品整理や遺産相続問題、入る墓に至るまでとっくに準備を済ませていたらしい。
「でもな、そのたんびにお前の顔が浮かんできたんだよ。俺が死んだらあいつは、俺
父さんは愛情深いヒトだ。俺に家族を喪う悲しみをこれ以上背負わせたくない一心で今日この日までずっと孤独に耐えてきたんだ。
そう思うとまた目頭が熱くなりかける。
でも、泣けない。
母さんのことを思うとどうしても泣けなかった。
言うだけ言ってあのヒトはせっせと寝る支度をしてしまった。予想通り冷蔵庫は空っぽで、主食はカップラーメンばかりの生活を送っているようだがちゃんと睡眠は取れているようだ。
俺は寝るフリをしてこっそり起き上がり──調理を始めた。
漬物に和え物、から揚げの元、大量の煮物……
比較的日持ちの効くものを深夜の時間をまるごと使って作り置きし、ちゃんと食べるようにメモもしておいた。作り方も忘れずに。
一応味見をしてみたが普通に美味くできていた。昔友人にも振舞ったことがあったが俺の料理は結構評判がいい。それもそうだ、なんたって母さんから直接教わったレシピなのだから。
父さんにはこれからも生きてもらう。あのヒトが自ら命を絶つなんて、きっと母さんが許さないだろう。
そんな思いを込めて包丁を振るった。
▫▫▫▫▫
「それじゃ、米は炊いといてあるから」
「……何から何まで悪いな……」
一,二時間程度しか寝られなかったがいつもの事だ。運転に支障は無い。事実どんなに疲れた日でも居眠り運転をしたことはこれまで一度も無い。
トレセン学園には早めに戻らないと行けないので早朝にこっそり家を出ようと思っていたが父さんは態々起き上がって見送りに来てくれた。
────俺は最後まで、母さんから愛されなかったことは言わなかった。
「なあ」
「ん?」
そして家を出る直前、俺はいきなり呼び止められた。
「俺はいつも仕事ばかりで家のことは母さんに頼りっきりだったけど……母さんを労わってくれてありがとな。……悪いな。ずっと言えなかった。俺はトレーナーのことはよく分からないけど、その子のことは……大事にしろよ」
「…………」
家族だからってそのヒトの全てを知ってやれるわけじゃないのかもしれない。父さんと母さんは固い絆で結ばれていた。それでも父さんは母さんの苦しみを理解してやれていなかった。
それでもそこに確かな想いがあるのなら、ヒトはどうやっても幸せになってしまうんだろう。
母さんがどれだけ俺を嫌っていたとしても
……あのヒトが不幸かどうかなんて俺が決めることじゃなかったんだな。
母さんには父さんがいる。だったら俺が目を向けるべき相手は
「……
▫▫▫▫▫
トレセン学園が近づく程に妙な緊張感が出てき始めた。用意した言葉を頭の中で転がしている内にだんだん原型を留めなくなっていくあの感覚。
帰ったらどうしてもアドマイヤベガに伝えたい言葉があった。それ自体はなんともない軽いものなのだがその事実が逆に緊張を煽り立てる。
トレセンに着いた頃にはすっかり日も暮れ、俺は彼女を探してだだっ広い学園内を駆けずり回った。
教室、トレーニング場、トレーナー室……
どこに行っても見つからないから次第に不安になってきた。ひょっとして彼女は消えてしまったのではなんてバカバカしいことも考え出して、情けなくそこらを右往左往して。
最終的に俺が彼女に会えたのは日が落ちきった後の屋上でだった。
▫▫▫▫▫
「ふっ、ふ……っ」
今の時代、自由解放されている屋上なんて珍しい。俺の中に屋上へ行く選択肢が今の今まで浮かんでこなかったのもそれが理由だったりする。
ここは学園の穴場スポットのような場所だ。アドマイヤベガ以外にもここに来る生徒はそれなりにいる。
今度こそ彼女を見つけられたらなんて半ば祈るような気持ちで扉を開けた。
「────」
「…………」
そこには確かに彼女がいた。俺には気づかない様子で星を眺めている。いつもとまったく変わらない姿にすっかり安心して、なんだか泣きそうになってしまった。
「アドマイヤベガ……」
「……帰ってきてたの。連絡の一言でもくれたらよかったのに」
「あ」
「…………」
失念していた。そういえばそうだ。俺たちには携帯端末があるんだからさっさとメッセージを送るなりなんなりするべきだった。
そんな俺のドジを見透かしたのか彼女の目付きが呆れたようなものに変わる。
「……アドマイヤベガ」
「……急に何なの。そんな改まって」
いや、それよりも。帰ってきたら必ず言っておきたいことがあったんだ。俺にとっては今日一番大切なことだ。
何度も躊躇いながらも口を開き、今度こそ伝える。
「ただいま」
「────。…………。
…………おかえりなさい」
▫▫▫▫▫
「スー……スー……」
「…………」
あの日から彼の中で何かが吹っ切れたのか、年中色が濃く大きかった目のクマが少しだけ薄くなったような気がする。
なのにこのヒトは今も、私の前で眠っている。夜更かしがすっかり習慣づいてしまったようで私が促すと彼はさも当たり前のように横たわった。
「スー……スー……」
「……ハァ」
このヒトが悪夢にうなされることも眠れなくなることも無くなった。私の中で泣き叫ぶ彼の言葉がフラッシュバックすることも無くなった。
なのに……なんで私が……こんなこと……
大体担当に寝かしつけられるトレーナーってどうなの。私より年上なんだから自分の体調ぐらい自分で管理してほしい。それぐらい私にだってできる。
多少は健康になったようだけど、どうせこのヒトはまた無理をしているに違いないから。だからこちらから眠ったらどうなのと提案しても一向に断ろうとしない。そうに決まっている。
見守られているからって安心しきって眠るなんていくらなんでも不用心だと思う。私だからまだいいけど他の誰かをこんな信用してしまったら…………困ったヒト。本当に。
……そんなことを考えながら、私は今も彼の寝顔を見つめている。
「…………」
彼はいつも頼りなくてどこか昼行灯で、目を離したらすぐに消えてしまいそうなぐらいに脆い。正直トレーナーとしては──こんな姿を見せる時点で──そこまで優れていないのかもしれない。
────でも。
私の長所も欠点もレースにかける気概も全て飲み込んで支えようとしていたのは間違いなくトレーナーさん。私もこのヒトも欠陥だらけだったけど、互いに補い合うことでここまでやってきてこられた。
そんな彼だからこそ、一緒に並んで歩こうと思えたのかもしれない。
「スー……スー……」
そんなこちらの気も知らないで穏やかに眠っている彼を見ているとなんだか少しだけイラッとした。
……あなたが悪いんだから。
「んん……」
彼の痩けた頬をつついてみると微かにくすぐったそうな声が返ってくる。
それがなんだか子供みたいで。
「…………ふふ」
▫▫▫▫▫
次のステージに進むことについてアドマイヤベガの母親と少し話をした。
そこで分かったことだが、彼女はちゃんと母親に愛されている。もしかしたら当たり前のことなのかもしれないが俺は安心せずにはいられなかった。
ふと思った。というか今まで考えてこなかった時点でおかしいぐらいだ。
彼女の母からすればアドマイヤベガは大切な娘。寮生活ということで色々と不安点もあっただろうがそれでも娘を信じて
だというのに俺はトレーナーでありながら彼女に縋り、あまつさえ自分の苦しみを吐き出す始末。
何故今まで考えてこなかった?自分の娘がこんなトレーナーに頼られてしまっていることを彼女の母がどう思うか少しでも考えたことはなかったのか?
そもそも、俺がアドマイヤベガにしてやれたことなんて数える程しかない。そんな無能の俺が一端に彼女のトレーナーを騙るのか。
「って思ったんだけど」
「……変なところで思い切りがいいわね、あなた」
というわけで早速彼女に聞くことにした。今更こんなこと言ったってどうしようもないのは分かっているが下手に抱え続けて悩みだけ膨れ上がっていくぐらいなら大人しく相談した方がよっぽどマシだ。
「もう貰ってる」
「え?で、でも俺がやったことなんて」
俺がやったのは精々トレーナーとして最低限のことぐらいだ。というか貰ってるってどういうことなんだろうか。俺から何かあげた記憶なんてないし逆に俺は貰ってばかりだ。
「いいの。……たくさん、貰ったから」
呟いて、僅かに微笑むアドマイヤベガ。
「────っ?」
何故か彼女を見ていると──心臓が張り裂けそうなぐらいに高鳴っていた。
▫▫▫▫▫
今日のアドマイヤベガはどことなく疲れ気味のように見える。ここ最近はハードなトレーニング続きだったから無理も無い。
彼女の性格上多少疲れていても無理をしようとするのは目に見えているから、練習を早めに切り上げトレーナー室にいる時にそれとなく休みを促すことにした。
「……あなたが言えたセリフ?」
「うぐ……」
失敗した。
テンパるあまり返し方も分からず口をモゴモゴさせることしかできない。……困った。
と思ったら彼女はおもむろにソファに横たわった。さりげなく俺が買った毛布を使っている。いや元々彼女に勧めてもらったものなんだし俺だけの物でもないんだから使う権利は十分あるんだが。匂いとか大丈夫だろうか?
「寝る、から」
それだけ言って目を閉じてしまった。
「電気消しとくぞー」
俺がいたら悪いかなと思いその場を立ち去ることにした。すると、
「行かないで……」
「────え」
俺は確かに聞いた。幻聴でも妄想でもない、アドマイヤベガが俺を呼び止める声だ。
「……ここにいて……」
彼女が指したのはソファのすぐ傍に置かれた椅子。いつも自分がやっていることと同じようにしてほしい、ということなんだろう。
「どこにも行かないって、言って……」
「どこにも行かないよ」
キュッ、と裾を掴まれる。いつもの彼女からは考えられないぐらいに幼げな力で。
「……、……」
「…………」
普段は凛として頑なに隙を見せない彼女が、俺の前でこんな姿を見せてくれたのが……嬉しかった。それとは別に後日ちゃんと休んでもらったが。
俺は何も特別じゃない。それどころか他人より劣っている部分はたくさんある。彼女のように強くもなければ託されたモノもない。
でもそれでよかったんだ。
彼女に降りかかる多くの苦難をできる限り一緒に背負えるように、隣で寄り添い続ける。たったそれだけのことでよかったんだ。
いいんだ。
俺は、トレーナーでいてもいいんだな。
「……アドマイヤベガ」
今までずっと自分の本心を見ないようにしてきた。幸せになったらいけないんだって思いたくて。
でも────ああ俺、そうだったんだな。
彼女には
「────ハッ」
なんだか彼女といる間にちょっとだけワガママになってしまったみたいだ。
──それはそうと……なんかおかしいな。
最近アドマイヤベガがどうも──可愛く見えて仕方ないというか……。
▫▫▫▫▫
「あー……アドマイヤベガ……」
「何?」
なんでもない普通の平日。彼はあまりにも突然に”それ”を打ち明けた。
「その……アレだ……ちょっと歌ってほしい曲があるんだけど」
「………………は?」
思えば彼が変になったのはこの時から──いや、それよりももっと前からそうだったのかもしれない。
▫▫▫▫▫
「ここの振り付け……やってくれないか……」
「なんで私が……」
あれから彼は偶に”頼み事”をしてくるようになった。決まって私と二人きりの時に主にウイニングライブの時などで使う汎用勝負服を着てほしいだとかカラオケに行った時にとある曲を歌ってほしいだとかそんなことばかり。
今日はとある曲の振り付けの一部をしてほしいと言われた。……両手でハートを作りながら踊る箇所を。
「頼む」
「嫌」
「……分かった」
このヒトは基本的に私が断るようなことはさせない。心から嫌がることは頼んでこない。それに私がそんなことする義務はないし……分かってる。分かってはいるけど……いくらなんでもズルい。
そんな、しょぼくれた目になるなんて。本当にズルい。
「…………一回だけ、だから」
「!!」
もしかしたら、これが彼の今まで抑圧してきた素の部分なのかもしれない。そう思うとどうしても断れなかった。
「■■■■、■■■■……。
ほら、これでいいでしょ……」
「〜〜〜〜〜ッッ、ああ……ありがとう……」
……やっぱりこのヒトは変態。こんなので目を輝かせて喜ぶなんて……。
…………。
▫▫▫▫▫
長くに渡って使ってきた蹄鉄がとうとうヘナヘナになってしまったということで、俺たちは買い物に来ていた。
それ以外にもアドマイヤベガのモフモフグッズ物色に付き合ったり俺個人の買い物をしたりしているとあっという間に時間は流れ、帰る頃には黒ばんだ空にうっすら星が見え出していた。
「…………」
「…………」
トレーナーとしてあるまじき考えなのは分かっているが敢えて言ってしまおう。
どうやら俺はアドマイヤベガにゾッコンらしい。
学園にいた
彼女の走りも普段の態度もとにかく全部が……なんというか、アレなんだ。とにかくめちゃくちゃアレなんだ。
いやもうそんなことはどうでもいい。
重要なのは今俺がどうしても彼女に頼みたいことがあるってことで、やけに歩調がゆっくりな彼女に合わせて歩くこの時間がものすごく幸せだってことだ。
「スゥー……フゥー……。な、なあ、アドマイヤベ──」
「また何かさせる気?」
「う……はい、そうです……」
「今度はなんなの」
「似合いそうな……メンコがあって……」
「帰ってから好きなだけ見ればいいでしょ。そういうのは二人だけの時にして」
「!!ああ!ありがとうアドマイヤベガ!」
「…………ヘンタイ」
異
常
星
愛
者