下心バキバキトレーナーがトウカイテイオーに改心させられる話 作:散髪どっこいしょ野郎
久々にクライマックスシナリオをプレイした際に根性アヤベさんから「束縛」のスキルを貰ったことで思いついてしまった話です
「あ、アヤベさん。よかったらお昼一緒に食べませんか?」
「……ええ。そうさせてもらう」
食堂に行ったらトップロードさんと遭遇した。以前の私にもよく話しかけてくれた子で、彼女とはそれなりに長い付き合いだった。
「…………」
「どうかした?」
「あ、いや……やっぱり、アヤベさん明るくなったなぁって思って……」
「……そうかな」
何をそんなに言い淀む必要があるのか分からないけれど、確かに気風が明るくなってきたと自分でもどこか自覚していた。
あの時見た夢は勿論、彼に気持ちを伝えたのも要因の一つかもしれない。あれからレースでも私生活でも少しずつ「私」を主張できるようになって──自分の心に嘘をつかなくなったから。
「そうですよ!──ってあれ、そのお弁当……」
「これ?彼……トレーナーさんに作ってもらったものだけど」
トップロードさんがテーブルに席を着いたのと同時に私は風呂敷を広げる。そういえばこれを誰かに見せるのは初めてだった。
「────」
「……なに?」
食べ進めていると何故か彼女に見つめられていた。それもやけにニコニコとした笑顔で。
「仲、いいんですね」
「……………………ん」
思えばトゥインクルシリーズ中、彼にはぞんざいな態度で接していた。人がいい彼女のことだ。仲違いを起こしていないかと気にかけてくれていたのだろう。
彼女だけじゃない。カレンさんもウララさんもドトウも…………………………オペラオーも。
……私を。ずっと……。
「そういえば、トレーナーさんってどうしてアヤベさんのことフルネームで呼ぶんですか?」
「ああ、それは──」
どうして彼にアドマイヤベガと呼んでほしかったのか。教えようと思えば簡単なこと。特別知られたくないことでもなかったので、普通に答えようと口を開いた。けど。
「────秘密」
「……!?」
やっぱりやめよう。
この答えは、もう少し私だけが持っていたい。
「…………」
「あっ!おかえりなさーい、アヤベさん」
「……カレンさん、まだ起きてたの。早く寝ないと明日に響くわよ」
「ふふ、ありがとうございます♪──実は、少しお話したいことがあって──」
「トレーナーさんのこと?」
「!」
「私が彼に変なことをさせられてるって噂について。……そうでしょう」
「…………」
「別にいかがわしいことをさせられてるわけじゃない。まあ……確かに彼は変なヒトだけど。あなたが懸念しているようなことは無いから」
「……ごめんなさい。カレン、アヤベさんのトレーナーさんのこと疑っちゃって……」
「あなたが謝る必要なんてない。あと」
「?」
「その……ありがとう。心配してくれて」
「!えへへ……」
「それに、あのヒトが頼んでくるのはもっと子供っぽいことだから」
「え?」
「あっ」
▫▫▫▫
俺は夏が嫌いだ。
暑くて湿度が高いのもそうだが、夏が来ると耳の奥が落ち着かなくなる。
現に今も蒸し暑い日々が続き、寝つくのがいつも以上に遅くなっている。と言っても仮に眠れたところで──
「────ッ!……っは、はあ、は……っ」
こうして悪夢にうなされ飛び起きることに変わりは無い。今となっては日課みたいなもので1000を過ぎた辺りからは数えていなかった。ほぼ毎晩こうなるからだ。
加えてこの時期になると吐き戻す回数が増える。症状は
『──!────!』
「…………」
仕方が無いのでレース映像を見て勉強することに決め込んだ。深夜ともなれば雑音も少なく、暗い部屋に実況音声がよく響く。
「…………はぁ」
しかしというかやはりというか、どんな名ウマ娘、名レースを見ても心を動かされる程の衝撃は感じなかった。それこそアドマイヤベガの走り以外には。
「…………………………!!」
そうして黄昏れていたら急に彼女から言われた言葉を思い出し。
『……大好き』
「~~ッ!~~~~ッッ!!」
思わず枕に顔をうずめ、部屋の中を転がり回った。いくらなんでもあれはズルいだろ。今思い返すだけでも心臓が
正直ものすごく嬉しい。きっと人生を何十回とやり直したところであの一言に勝る幸は無いだろう。
改めて確認しても嬉しい。勿論嬉しい。なのにどうして、
この得も言われぬ恐怖感は消えないのだろうか。
▫▫▫▫▫
『────♪────♪』
今日の業務も終わったので、俺はトレーナー室でパソコンを開いていた。無論仕事の為などではない。
俺の担当、アドマイヤベガのウイニングライブを見ていたのだ。そう、俺はとうとうレースでは飽き足らず、ライブ映像にまで手を伸ばしていた。
三年以上もの時を経て磨き上げられたパフォーマンスと歌声。ダンスのキレもさることながら表情の自然な変換、そして緩急の付け方には感銘すら覚える。
「そんなによかった?」
「────ッッッッ!?!!????!!!!」
人間本当に驚くと声も出ない、ということを俺は身を以て体感した。
まさかライブを見ていたら本人が現れたなんて予想できる筈もない。というかどうやって入ってきたんだ。全く気がつかなかった。
「え、あれ、帰ったんじゃ……」
「
「あ、ああ、そうか、そうだな、悪い……」
「……見られたらいけない理由でもあるの」
「…………いや、俺は……」
やましい気持ちが全く無い、と言えば嘘になる……かもしれない。
「アドマイヤベガがあんまりカワイイもんだから」なんて理由が正当な動機になるかと聞かれたら微妙なところだ。レースならまだしもライブ映像を私的に……いやでも公的に開催されているならいいのでは……いやそもそも担当に無許可で見てる時点でどうかってんだよダボがよ。
「……咎めはしない。見たいなら好きにすれば」
「ほっ、ホントか!よかった~……ありがとう!」
ありがたいことに許可を貰えた。これで晴れて後ろめたく思わずに彼女の歌声を聞ける。
そうして気を取り直し、再び映像を見ていたのだが……。
「……アドマイヤベガ?」
用事は済んだ筈なのに彼女は帰ろうとしなかった。
やっぱり嫌だっただろうか。気を遣って許してはくれたものの内心不快感で一杯なのでは──
そう考え始めると途端に鑑賞どころじゃなくなった。焦りと不安と後悔と恐怖と罪悪感とが一気に押し寄せて──
「今日は……寝ないの」
「え?ああ……一応まだ大丈夫だから──」
「大丈夫って言うあなたが大丈夫だったこと無いでしょ。ほら、早く」
「だけど──」
「寝て」
「ちょ──」
……結局強制的に寝かされてしまった。確かに俺はアドマイヤベガが傍にいてくれないと熟睡できない。
この体質(?)から勉強や仕事には事欠かなかったが、やはり疲労や眠気は蓄積され続ける。睡眠薬を服用する手もあったが翌日に影響が出るため飲まなくなった。
とはいってもいつまでもこうして手間かけさせるわけにはいかないし彼女に迷惑もかけたくない。
だから最近は眠れなくとも無理やり目をつぶってやり過ごしていたのだが、やはり彼女には見破られてしまうらしい。
というかアドマイヤベガ……ちょっと怒ってる?耳と尻尾もどこか落ち着かない様子だし。
なんかマズいことでもしてしまっただろうか。やばい、心当たりがめちゃくちゃある。
「……どうしたんだ?」
「何が?」
「…………俺なんかやらかしちまったかなって」
「別に……ただ」
「?」
「ちょっと羨ましかっただけ」
「えっと……あー、誰が?」
「画面の中の私が」
「────??????」
「私がここにいるのに、あなたはライブ中の私だけしか見てなかったから。……妬ましかった」
「…………」
彼女がいながら眠れなかったのは、多分これが初めてだ。
▫▫▫▫▫
私は夢を見ている。そう気がつくと喜びで胸が一杯になった。これは夢だと分かった日は、必ずあの子に会えるから。
『────、─────』
「うん。お姉ちゃん、今日もたくさん走ってきたよ。その、お話……聞いてくれる?」
『────!──!──!』
「……そう、よかった。じゃあまずは──」
目覚めれば内容は忘れてしまう。それでもあの子は覚えていてくれると分かれば悲しくはなかった。それに、この胸の温かみは忘れても消えないから。
私が生まれてから今に至るまで、あの子はずっと私の傍にいてくれたことは彼女自身から聞いて知った。
だから私が普段何をしてどう感じているか、私の片割れである彼女が知らないわけではない。
だとしても、今、こうして二人で話して、”日常”を一欠片でも分かち合えていること、そして彼女がそれを望んでくれること、それこそが何よりも嬉しくて大切なことだった。
「──それでね、オペラオーったらポーズを決めようとして微妙に足を滑らしてて……ふふ、格好がつかなかったからかな。珍しく焦ってて……」
『────!────。──────?』
「彼?……そうね、あのヒト、なんだか思い悩んでいるみたいで……」
夏が来ると、あのヒトは時折酷く辛そうにしている。
出会った当初と比べて彼は嘘が下手になった。どれだけ隠そうとしてもすぐにバレてしまうくらいに。
『────────……』
……私が彼について詳しくなっただけ?
……そうなのかな。
▫▫▫▫▫
『──、──────』
「……もう、そんな時間か。ありがとう。お姉ちゃん行ってくるね」
『──!──────、─────!』
最近は時間の流れがとても早く感じる。それがいいことなのかは分からないけど、だからこそ一日一日を蔑ろにしないよう送っていきたい。
それと──夏には大切な日がある。
私の一番好きな星が見られる日もそうだけど、今はそれに加えてもう一つ増えた。たった一度しかない、貴重な時間。
……たとえ彼が嫌っていたとしても、私はその日を大切に思いたい。
▫▫▫▫▫
大丈夫だ。いつものように、普通に言えばいい。他人からすればそこまで不自然なことでもない筈だ。
いつものようになんでもない会話として終えればいい。さして難しい話じゃない。さあ、ほら。
「なあ、俺明日ちょっと空けるんだけど、アドマイヤベガは一人でも大丈夫か?」
「…………問題ないわ。何かの用事?」
「んーそんな大したことでもないんだが……まあそうだな。ちょっと用事があって」
「……ちゃんと帰ってきてくれる?」
「ああ」
「………………分かった」
よし。終わった。これでこの会話は完全に終了した。ならとっとと帰って準備だ。路線と時間帯をもう一回確認しな
「明日」
「────」
?
何やってんだ俺。
もう重要事項は伝え終わった。これ以上話す内容なんてないだろうに。
「明日、母さんの墓参りに行ってくる」
「それ、は」
…………。
バカだなぁ俺は。まあ仕方ない。
明日は母さんの命日だ。毎年この日が近づいてくる度に体調を崩していた──一応他人にバレることはなかったもののアドマイヤベガのように近しい関係の子には分かってしまうらしい──が、これから先もトレーナーを続けていくのであればいつまでも引きずっているわけにはいかない。
あのヒトの墓参りには一度も行けたことがない。要するにこれは俺が俺に背負わせた罪を清算する、その為のものだ。
だというのにいきなり打ち明けてしまって。全くこれでは先が思いやられる。
「それは大丈夫なの」
「……でも行かないといけないから」
返答になっていない。
「だったら私も一緒に行く」
「は?」
自分から暴露しておきながら彼女が来ると言えば困惑する。俺は一体何がしたい。あんなに気苦労をかけさせておきながらまだ成長していないのか。
「付き添うのは途中までにする。あなたの邪魔はしないようにするから。だから」
「そんっ、そんなの、そんなの……いい。いい。俺は一人で行く。お前がいなくたって……平気だ。それにこれはお前が関わる問題じゃない」
「だったら私が勝手について行く。それならいい?」
「……勝手にしてくれ」
▫▫▫▫▫
バスと電車を乗り継ぎ少し歩いた先が「そこ」だった。
季節は夏真っ盛りということもあり陽は容赦なく照りつける。忙しなく聞こえる蝉の鳴き声の中、道路脇に打ち捨てられている獣の死体は腐りかけていたのか。屍肉には蠅が集っていた。
「私はここで待ってるから」
「……ああ」
額に滲む汗が二、三滴流れ落ち始めた辺りで目当ての霊園に到着した。父さんの言っていた通り綺麗で静かな場所だ。
彼女は入り口から僅かに離れた場所で待機。ここから先は俺一人が歩いていくことになる。
仏花は持っていかないことにした。俺が捧げる供え物などあのヒトが望む筈がない。
「…………大丈夫?」
「…………。…………」
熱射病にでもなったのか彼女の声すら遠くに聞こえる。ただ自分の呼吸音が早く短いものであることだけを浮ついた脳が知覚していた。
ここまで来たのであれば早く行かないと。とにかく足を踏み出して、墓前までには行かなければ。彼女まで巻き込んでしまったんだからそうでもしないと意味が無い。
「──、──────?─────────」
「────」
▫▫▫▫▫
カーネーションの甘い香りがする。
▫▫▫▫▫
「……おぅ、っ、……うぉぇぇえっ……」
「…………」
結局、墓前にすら立てなかった。
目標の場所まで近づくにつれ吐き気は収まるどころかどんどん膨れ上がり、理性で留めておける閾値を超えかけた。
多くの方が眠っているこの霊園を俺の吐瀉物で汚すわけにもいかないということで急いで駆け戻り、入り口から数百メートル離れた草むらまで走って、さすられながら吐いた。
「はぁ、はあ……っうぉぇぇえぇっ、は……」
「…………」
何も変われなかった。ただいたずらに心配をかけさせてしまっただけで、俺は何も得られず、何も振り払えなかった。
胃を空にした後は近くの公園で口元を洗った。公園には砂場があった。吐き出すものは残ってないのに喉が軽く痙攣を起こした。
帰ることにした。
▫▫▫▫▫
「…………」
「…………」
バス通りの少ない場所はヒトの通りも少ない。合間合間が長いにも関わらず、おあつらえ向きに備えられた待合所には俺たち以外誰もいなかった。
自販機で買ったミネラルウォーターは七割程残っている。それなりに長い待ち時間でも困ることはないだろう。
「…………」
「…………」
お互いの間に言葉は無かった。当然だ。
また余計な負担をかけさせてしまった。これで何度目になる?
「…………ごめ──」
言葉は最後まで続かなかった。
彼女の手が俺の口を塞いでいたからだ。
「無理して言わなくていい」
そして次は目。
「何も見ないで。今は私の声だけを聞いて」
「…………」
そうしてバスが来るまでの間、アドマイヤベガの声だけに耳を預けていた。
▫▫▫▫▫
誰にも言ったことは無かったが誰かに触れることと触れられることが苦手だった。
誰かに触れているといつも砂の感触がする。豹変した母さんが浴びていた、手に取ったこともない砂の感触。
その点トレセン学園という場所は都合が良かった。トレーナーとはいえ異性と関わる仕事上、体が接触する機会もそこまで無い。
なのに何故か
帰りの電車内。俺はいつの間にかアドマイヤベガに寄りかかり眠ってしまっていた。
「……そろそろ起きて」
「──っ、え?……まさか……、……!ご、ごめんアドマイヤベガ。俺──お前に寄りかかって──」
「気にしなくていい。ほら、もう着くわよ」
「……ああ……」
どんな結果に終わろうと峠を過ぎたことに変わりはない。一年の内最も苦しく重い日は夜の帳に包まれる形で閉じめを迎え始めていた。
▫▫▫▫▫
「それじゃ。……今日は、ありがとう」
「……ええ。また明日」
会話は最小限に、彼女を寮まで送ってから俺たちは解散した。
これだけ歩み寄ってもらいながら得られた収穫は少ない。あのヒトの墓前に立てるまで後どれくらいかかるか、見当もつかなかった。
後悔と自戒と自責が足取りを重くする。星に頭を垂れながら気を紛らわすように明日の予定を考えた。
▫▫▫▫▫
そろそろあの日がやってくる。
私の一番好きな星──こと座のベガが見える日。
──そして、彼の生まれた日。
彼が自分のことについて語る前、契約を結びまだそこまで時間も経っていなかった頃。何の気なしに「誕生日おめでとう」と言ったことがある。
私がそう言った瞬間、彼の顔からあらゆる表情が抜け落ちた。すぐいつもの調子に戻ったもののあの時の事は忘れられなかった。
それからは彼が誕生日を迎えても何も言わないことにした。彼も何も言わなかった。
……でも、たとえこれが私の独りよがりな自己満足だったとしても。
あのヒトには自分が生まれてきたことを否定してほしくなかった。ほんの少しでも構わないから、彼は望まれている命だということを分かってほしかった。
私はあのヒト以外のあのヒトを知らない。どんな思いでどんな境遇で生きてきたか私が推し量ることのできる問題ではない。
だけどそれは彼も同じこと。独りでよかった私をこんなに脆くしてしまったのだから。
というわけで私は密かに準備を進めていた。といってもそこまで大々的なものではないけれど。
──ふと、部屋の中を見回す。
走り終わって正午過ぎ、休日のトレーナー室には私を除いて誰もいない。
いずれ彼がやってくることが分かっていながらも私の中に胸を刺すような──不安に近い感覚を覚えていた。
今までこんな感覚に陥ったことは無かったのに。これは一体、と思慮を巡らせていると聞き覚えのある足音が近づいてきた。
「よいしょ、っと。お、いたのか」
部屋に入ってきたのは案の定彼だった。
何かしらの資料を脇に抱えいつもと変わらないすが、た、で────────?
「っ!?ど、どうした?」
「あなた、これ……怪我……?」
彼の手背に赤い線が奔っている。まだ真新しい傷痕には血が滲んでいて──
「ああ、さっきちょっと切っちゃってな。でもそんな大した怪我でもないし──」
彼が──私の知らないところで血を流している。彼が──また──血──事故を──いない──私のいない──死──消え──血──あなた──
「……アドマイヤベガ?どうした、大丈夫か?」
「──嫌、いや────!」
彼が消えてしまう。私の前から、また、いなくなって
「大丈夫、絶対大丈夫だから。……ちょっと座ろう。な?」
「────」
嘘。だってあなた私がいないと──手を握っていないと──どこかに──
────────────────。
──ああ、私。
怖かったんだ。彼が再び消えてしまわないかって、あの日からずっとずっと怖かったんだ。
だから、
だから離したくなくて、力加減も忘れてその体を思いきり握りこんでしまって。
▫▫▫▫▫
「つ……っ」
「──あっ」
骨が砕けるんじゃないかと錯覚する程の痛みが腕と肩に集中する。それは別にどうでもよかったが、突然のことに思わず苦悶の声をこぼしてしまった。
「あ、あ……っ!ごめんなさい、私が、あなたを」
「大丈夫大丈夫、本当に全然平気だから」
一番の問題は彼女が激しく動揺している点だろう。呼吸と発音はたどたどしく、声と瞳には恐怖心が滲んでいる。明らかに何かしらのトラウマを刺激された様子だ。
「よし、とりあえず一旦座ろう。立ちっぱなしってのも疲れるからな」
「────」
とりあえずソファに座らせることには成功した……とはいえ、その間も彼女は俺の袖や襟を掴んで離さなかった。
起爆剤となったのは俺の手にできた切り傷。出血は少なく傷自体も浅いものだがアドマイヤベガの潜在的恐怖を煽るには十分だったらしい。
言動から察するに彼女をここまで追い込んだ理由、心的外傷を作らせた主犯は俺だ。
────────。
どうして予測できなかった。いくら現場に居合わせなかったとはいえ、三年以上もの時を一緒に歩んできたパートナーが死にかけたともなればこうなるのも当たり前だ。
彼女はまだ学生だ。この多感な時期にあんな出来事を経験させてしまって、あまつさえ一人で完結させた気になって。
少しでも考えれば分かる筈だ。対策も立てられたかもしれないのに。俺は
結局自分のことしか考えていないじゃないか。
「……お願い。もうどこにも行かないで……いなくならないで……」
「分かった。今日はずっと一緒にいよう」
結局その日は様子が落ち着くまで隣にいた。
今までの彼女ならこんなことにはならなかった。
▫▫▫▫▫
俺が退院して少し後、アドマイヤベガの態度が軟化したと学園内でちょっとした話題になった。
今までより話しかけてくれるようになっただとか併走に誘ってくれるようになっただとか、様々な噂を聞きつけて「ああよかった、アドマイヤベガ明るくなってくれたんだな」などと能天気に考えていたがとんだ思い違いだった。
確かにそれ自体はいいことだ。他者との交流をあまり望んでいなかった彼女がそこまで積極的になってくれたのはとても喜ばしい。
ただその代償として、
俺の損失が彼女の不幸に繋がってしまった。
それは俺が傷つくこと、苦しむこと、命を絶たれることが彼女にとっての悲しみに変換されてしまうということ。
同じことの繰り返しだ。
俺なんてどうだってよかったのに。
また俺の所為で誰かを悲しませている。
──そして、
そして
▫▫▫▫▫
「ねえ、今日の夜は空いてる?」
「……ああ。問題ないぞ」
結果の分かっている問答。彼が私の誘いを断ったことはほとんど無い。
今日は、今日だけはどうしても一緒に星を見たかった。
夏の大三角が最も見える時期に迎えた誕生日、尚且つ快晴という絶好の日和。
これで彼が完全に元気になれるとは思わない。そこまで思い上がるには、私はこのヒトを知りすぎた。
でも彼が不調だからこそ私が傍にいないといけないということはこの数年で分かった。ここまで踏み込んで、踏み込まれておいて引く気はない。
虫除けはある。天気予報は確認した。念の為防寒防暑グッズと……コーヒーも少し持っていこう。
▫▫▫▫▫
「…………」
「…………」
星を見ている間は基本話さない。無理して話題を作らなくても私たちはこれでよかった。
ただいつもと違って彼はどこか上の空。ここに来る間もどこか暗い様子だった。
理由は分かる。だから言及はしなかった。
「……悪い、ちょっと空けるけど……一人でも大丈夫か?」
私が頷くと一瞬苦しげに微笑み、何処かへ歩いていった。今日見せた初めての笑顔だった。
「…………ねえ、私、行ってもいいかな」
彼の消えた空白に問いを投げかけても返してくれる誰かはいない。あの子に決めてもらうこともできない。これは私の選択。
追いかけない方がいいのかもしれない。
彼にだって一人になりたい時はあるだろう。
「……行ってくるね」
それでも私は立ち上がった。あのヒトは私がいないと、きっと泣くこともできないから。
▫▫▫▫▫
「……!ーーーー!!」
今は自分がどこにいるのかも分からない。
声にならない声を上げ、額を地面に打ち付け、乾いた土に爪を立てた。
一生かかっても責任を取るとか言っておいてどこにも行かないと言っておいて何事か振り切ったような態度をしておきながらこのザマか。
あれだけ、あれだけ時間を取らせ身の上話を聞かせ哀れみを誘い悟ったような気になって結論付けてくたばり損ないながら、まだ、俺は、自分の存在を否定したがるのか。
俺が生まれてさえこなければ。何度そう思ったことだろう。
もう自分の全てが嫌だ。嫌だ。迎えた誕生日と先日の出来事で自分への嫌悪感が頂点に達していた。
「……」
「っ、なんで……」
「……様子がおかしかったから」
アドマイヤベガ。いつの間に来ていた。
「……なんで、なんでお前は、俺を」
どうして俺みたいな奴が彼女にとって重要な存在になってしまったんだ。俺はなんにもできないで迷惑をかけてばかりなのに。
「なんで俺を……独りにしてくれないんだよぉ……っ!」
こっちから踏み込んでおきながらこんなことを言っている。こんな矛盾だらけでちぐはぐなのに。
「あなた──」
「来るなよ!もう、来ないでくれ……!」
どうして俺に歩み寄ってくれるんだ。優しすぎるんだよ、お前。
だから
「もう嫌だ、もう──怖いんだよ!お前が俺の所為で傷つくのが怖い……!怖くて、だから……!」
怖かった。アドマイヤベガは優しくて綺麗で可愛くて強くて儚くて速くて俺にとって大切な存在だったから、
母さんと同じような誰かを作りたくなかった。
最低だ。俺の根幹は所詮そんな自尊心だ。
「今日だって、あんなことがあったのにお前を置いて……。……………」
彼女との決して触れない、離れない関係が心地よかった。
何故かは分からないが胸の中が温かくて仕方なかった。それからも目を背けて、背けながら浸かって。
その感情すら怖かった。自分が持ち得てはいけないような気がしておきながらも手放せず。
「……それでも、いい」
「…………は?」
意味が分から──
「それでもいいの。歪んだままのあなたでも」
「でっ、でも俺、俺がまた、お前を」
「それでもいい」
「あなたになら、傷つけられても置いていかれてもいい。私が走って追いつくから」
──────────アドマイヤベガはあの事故よりずっと前から知っていた筈だ。情けない俺、バカな俺、頼りない俺………
……まさか、
彼女は、
「なんで、そこまで」
「もう言ったでしょ、バカ」
俺の脆さも、歪さも、醜さも、全部、全部含めて──大好きと言ってくれたのか。
「あ、ああ──」
ダメだ。それは
「──好き、だ、……っ?アドマイヤベガ、アドマイヤ、ベガ。…………俺は、アドマイヤベガが好きだ……、大好きだ…………!!アドマイヤベガ……!俺、アドマイヤベガが……!アドマイヤベガが大好きだ!ああ!好きだ!大好きだ!!俺は、俺は!!アドマイヤベガが好きだっ!!!!」
「……知ってる」
「────!」
胸の中で衝動と感情が何度も爆ぜては湧き上がる。動熱する
「ッ……、ぁ、うわ、ぁあ……っ」
「……もう、そんなに泣かないで」
俺は泣いてしまった。その場にへたり込んで子供みたいにボロボロ泣いて。
呆れたような台詞とは裏腹に彼女の声はどこまでも優しくて、行き場をなくした心を深く、致命的なまでに侵していく。
「あ゛、あどま゛い゛やべ゛が゛ぁ゛……お゛れぇっ、アどま゛いヤべ゛ガ゛がすき゛で゛、ぁ……っ」
「大丈夫。ちゃんと伝わってるから」
拭っても拭っても止まない涙。俺は情けなく泣き綴りながら、彼女の名前を呼び続けていた。
▫▫▫▫▫
そう簡単に変われるわけがない。
相変わらず一人だと眠れないし、悪夢は恐ろしいし、罪の意識は消えない。
きっと死ぬまで終わらない。『俺は生まれてきてよかったのか』。その答えはいつまで経っても不明のままだ。
だけど、それでも、
──生きたい。たとえこの夜が明けなくとも、俺は──初めて生きていたいと思った。
「……ほんっ、とうにっ、おれ、でっ、いいの、か」
「あなただからいいの」
俺たちはお互い子供になることができなかった。だから無意識に傷痕を擦り合わせて、広がってからようやく痛いと気がついて。
挙げ句、彼女を俺の夜に引きずり込んでしまった。
だけどそのどうしようもない欠陥をアドマイヤベガは受け入れてくれた。受け入れて尚大好きと言ってくれた。そして俺は彼女が大好きだった。
この期に及ぶまで気づけなかった。
俺たちは共に依りあい存在している。
この答えに辿り着くまで何度も転んで、何度も回り道をして、情けなく泣いて呻いてきたけど。でもそれが俺で、そんな俺だから彼女のトレーナーで。
「落ち着いた?」
「……っ、…………、ああ。」
「立てる?」
「ああ。……アドマイヤベガ」
「なに?」
「好き……じゃなくて、まだ言いたりないのか俺……。
……ありがとう」
「うん」
雨はまだ止まない。泥に塗れ黒く濁った──それでも俺が歩いていく無明の夜を、繋がれた一等星が照らしている。
「言いそびれてたけど。誕生日、おめでとう」
「…………」
「どうしたの?」
「……なんか……生まれてきたことを祝ってもらえるのって、慣れなかったんだけど…………それ以上にすげぇ……嬉しくって」
「……そう」
「なんかもう……もうヤバい……なんだ、これっ……うぁー!ほ、星見よう星!」
「…………ふふっ」
「…………」
「なあ」「ねえ」
「……!」「……」
「アドマイヤっ」「あなたから先に言って」
「……」「……」
「……そろそろ帰らないと、寮の門限過ぎちまうんだけどさ」
「…………」
「もう少し一緒にいたいって言ったら、ダメか?」
「うん。分かった」