下心バキバキトレーナーがトウカイテイオーに改心させられる話 作:散髪どっこいしょ野郎
初期案ではある程度こういう感じの主人公にするつもりでした
長かった。
今日までどれだけ幾星霜を費やしたことだろうか。いやもうそんなことはどうだっていい。
俺は成った。とうとう、中央のトレーナーになったのだ。しかも一発合格。
もうこれ以上は耐えられない。一刻も早く契約を結び──
──ウマ娘にセクハラかましてやらなければ。
今日までその為だけに生きてきた。レースだの夢だの功績だのにはまっっっっったく興味がない。虫唾が走ると言ってもいい。
「……はあ」
正門前に立ち止まってから息をつく。少し浮き足立っているのかもしれない。
最低限の礼節は備えてあるつもりだ。この獣心を表に出しさえしなければ思春期の中高生なんて簡単にひっかけられるだろう。
時期もちょうど選抜レースと重なっている。この期を逃す手は無い。
手掌を顔にかざす。今から俺は、優しく紳士的でどんな時もウマ娘のことを第一に考える、そんなトレーナーだ。
「…………よし」
準備万端。金甌無欠。
盤石の姿勢で俺は踏み出して
「……あら?貴方は……もしや、先生?」
「ん?キミは──お前──アルダン?お前、メジロアルダンか!」
「ああ、本当に、先生なのですね……ああ、突然の無礼、申し訳ございません。はい。メジロアルダンです」
……被った仮面が一瞬で剥がれやがったが、それよりも古い仲と再会したことの方が俺にとっては重要だった。にしてもコイツが野外にいるなんて珍しい。
「お前また背ェ伸びたなぁ。体は平気なのか?」
「はい。まだ激しい運動はできかねますが、こうして逍遥する程度なら、細事支障なく。……ふふ、先生も御壮健で何よりです」
「……だから先生はやめろっての」
そうだ。そういえばコイツは俺のことをよく先生と呼んでいたんだった。
「あら、そうですね。ここに来られたということは……ご就任おめでとうございます、トレーナーさん」
「ん」
アルダンとはしばらく会っていなかったが、病院にかかりきりだったあの頃よりも多少健康そうな顔つきになっていた。
安堵すると同時に一抹の不安がよぎる。確かに歩く分には問題なさそうだが、コイツの体でレースなど──果たしてできるだろうか。
「ん、じゃあな。なんかあったらすぐに言えよ。あ、あとあんま無理すんなよ」
「お気遣い、痛み入ります。それでは、トレーナーさんもご健勝で」
かくして、俺たちは別々の方向へ歩き出した。
さて。そろそろスカウトに取りかからなければ。
▫▫▫▫▫
「で、どうなんだよそっちは」
「上々ってところだな。一人スカウト成功した」
何事も目的を達成するためには協力者が必要だ。コネ作りも平行して行えるし思わぬ収穫もある。
俺がトレーナーになろうとして真っ先に始めたのが
”同志”は意外といたのだが、その大半がトレーナー試験という高すぎる壁の前に倒れていった。
残ったのは俺と、目の前にいるこの男のみ。コイツは俺と同じくクズの部類に属する人種だ。
万が一盗聴され目的を吹聴されようものなら折角の機会が無駄になってしまう、ということで、俺たちは現在学園の極隅で超小規模の会合を開いていた。勿論限りなく小声で。
「な……っ、はや、すぎるだろお前ぇ……」
「逆におまえまだ引っかけられてないの?奥手なのか?おん?」
「蹴るぞ」
「落ち着け落ち着け。ほれ、こいつがオレんとこのウマ娘だ」
この男は既にスカウトに成功したらしい。自信満々なその鼻っ面をへし折りたくもなるが、それよりも目を引いたのは奴が撮ったであろうスマホ写真。
中々に優れたプロポーションと整った顔立ち。悪くない。チクショウ、コイツよりも早く声をかけられてたら……
「ほーん……」
「さらにこれがブルマバージョン」
「うわエッロ。てかお前ほんっとブルマ好きだな」
「あのなぁ。短パンのどこがいいんだよあんなん見て興奮するとか小学生か?」
「お?やるか?」
この男ですら担当を持っているというのに、俺はまだスタートラインにすら立てていない。観察するには困らないが焦りは募っていくばかりだ。
複数人に声はかけたが未だに色よい返事が貰えない。学生ってこんなに気難しいものなのか?それともアプローチが間違っているのか……。
「あ~~~~~……クソ、なんで俺んとこには一人も担当いないんだよ」
「そう焦んなって。オレからも色々見繕ってやっからさ」
「お前のチョイスってなんか合わねえんだよなぁ……良さそうなのはもうお前に取られてるし」
「これからもっと取ってくぜ。一人だけに囚われないのがオレという男よ」
「は?お前チーム作る気なのか?マジ?」
「大マジ。いやー育成のコツ分かっちゃった、的な?」
「……いつか痛い目見るぞ」
「まあそん時はそん時。死にそうになったらトンズラすりゃいいだけだしな」
「ふっ、クズめ」
「ハハハ、おまえもな。……あ、そうだそうだ。この前めっちゃタイプの子いたんだよ。ブルマじゃなかったのが惜しかったなぁ……でもスカウト……そういや、あの子選抜レース出てなかったな。体調不良?とかなんかで」
「……お前、それ、なんて奴だ」
「気になるのか?しゃーねーな教えてやんよ。聞けばあのメジロラモーヌの妹だとかで。ええっとたしか名前は……メジロ……メジロ……あ……ある……?」
「お前アルダンに手ェ出したら殺すぞ」
「ああそうそう!メジロアルダン!どうしたずいぶんご執心のようで。あ、先に粉かけてたとか?」
アイツとはそんなんじゃない。ただの腐れ縁だ。
俺にとってウマ娘は道具でしかない。俺の欲を満たす為だけの都合のいい金蔓。メジロアルダン、只一人を除いて。
▫▫▫▫▫
「よう」
「まあ、先っ……トレーナーさん。申し訳ありません。碌なお出迎えもできずに」
「別にいいって休んどけお前は。今度はどこが悪いんだ」
「……今回は、これまでと同様に熱と──」
コイツが昔から入退院を繰り返していることは知っている。その度に哀咽と焦燥を押し殺していることも。
以前、(病名は忘れてしまったが)医者にかかった際に病院内でアルダンを見かけたことがきっかけだった。
どこか憂鬱げに外を眺めぼんやりと佇む、見るからに薄幸そうな少女。
何の気の迷いか知らんが当時の俺はソイツに意気揚々と話しかけていった。それからは早いもので、アルダンと話をするための病院通いが日課となっていた。
滅多に外出したことが無いと言うアルダンに俺は色々なモノやコトを聞かせた。各公園の水の味といったくだらない情報から巷で流行りの曲や遊びといった俗話まで。
奴は知識欲が高く、俺のどんな話も目を輝かせて聞いていた。先生と呼ばれ始めたのはその辺りからだ。
「──そうか。退院まではもう少しかかる感じか」
「はい。…………ふふ」
何がおかしいのか、体を気遣うように胸を抑えながらも笑っている。何度も見てきたコイツの姿そのものだった。
「……んだよ」
「うふふふ……いえ、こんな時だというのに、こうして先生と話したのは暫くぶりだな……と思いまして」
「ああ、明日からも来るから。まあお前の容態が良ければの話だが」
「え──?」
コイツの
「え、ええと、それは一体」
「嫌か?ならやめるが」
「その、そういうわけではありませんが……理由をお聞かせくださいますか」
「昔俺が言った四字熟語を覚えてるか」
「不増不減……ですか?」
「そうそれ。お前が今まで苦労してきた分、」
「「平らになるよう吉事が必ず舞い込んでくる」」
「お、よく覚えてたな」
「はい。このお言葉に何度も励ましていただきましたから」
「だから焦るな……って言われて簡単に切り替えられるわけないもんな。だからまあ、あれだ。俺が今日来たのはそういう理由だ」
アルダンがその淑やかな振る舞いの裏にどれだけの傷を隠しているかは婆さん程じゃないにしろよく分かってるつもりだ。
選抜レースの機会を逃し続け満足に走ることも敵わない体で、それでもコイツは立ち上がり続けている。なら多少他の支えがあったって不条理はないだろう。
積もる話も盛りだくさんだ。またコイツを一人きりにするよりかはそっちの方が断然いい。良くなくても行くつもりだが。
流石にあの男もここまで嗅ぎつけて来るようなことはない筈。警告はしたし──いや、待てよ。
「……ありがとうございます。しかし、それでは先生の業務に支障をきたすと存じます。ご多忙の身で私に御構いになるのは──」
「うーるーせーーーーー。俺がやりたいからやんだよ。お前の気持ち(はともかく考え)なんかどうだっていい」
「……ふふ、ふふふ……承知いたしました」
懐かしい。このやりとりも何百回と繰り返してきた気がする。何故コイツは自分が一番辛い状況で他人に気を回すのか。俺だったら死んでもゴメンだ。
「そうだ、お前、俺の担当にならないか」
「──ありがとうございます。大変光栄なお話です。……ですが、お断りさせていただきます」
「そうか分かった。じゃあ選抜レースん時な」
「……はい。その時は改めて、お見定めのほど、よろしくお願いいたします」
ふと思い至りスカウトを試みたがあえなく玉砕。ちゃんと実力を見てから誘ってほしいということか。まあ断られることは分かっていたので無理強いはしないが、コイツも律儀というか生真面目というか。
▫▫▫▫▫
こうして、俺は再び病室通いをするようになった。アルダンの人徳故か、メジロ家以外のウマ娘も時折訪問しているらしい。この前も誰かと入れ違いになる形で来た。
あれからも入退院を重ね少し走っては休養、少し鍛えては休養と、本格化を迎えていながら満足に練習すらできていなかった。
俺はまだ担当トレーナーじゃない。ので、思うことがあっても口出しはしていない。
一応スカウトにも積極的に取り組んでいるのだが今一つ手応えを掴めずにいる。というか大体が他のトレーナーに取られていくので俺の性癖と実力が噛み合ったウマ娘が残っていないのだ。
あの男は三人くらいのチームを組んでいた。あと一人追加させるらしい。
そこで閃いた。アルダンが選抜レースに挑めるようになるまで待てばいい。アルダンと共に実績を積めばスカウト成功率も上昇するだろうし俺が担当になれば奴と接触させなくて済む。
そして待ち続け、気づけば容態が落ち着き始めた現在まで数ヶ月の時を費やしていた。
▫▫▫▫▫
「よ、元気か」
「…………トレーナーさん?」
ゲート入り時刻までまだかなりの余裕が残されているというのに、奴は恐ろしい程に集中しきっていた。それもまあ納得がいく。
コイツにとっては、これが最後になるかもしれないのだから。他の奴らには約束された明日があるというのに。
「悪い、頭乱しちまったか?」
「いえ、そんなことは」
語気こそは穏やかなものだがいつもと比べ纏う空気が張り詰めている。俺を待たせてしまったという余計な『荷物』も、或いはあるのだろう。
「問題ありません。
「……別にそんなのはいいんだが、一つ言っときたいことがあってな」
……やっぱり変なモン抱えていやがった。コイツはそんな感情で実力を発揮できない程ヤワじゃないが、なんだか居心地の悪さを感じる。
アドバイスはしない。そんなのは不公平だ。ただ俺は、俺の都合を通すためだけにここに来ている。
「死ぬなよ。……それじゃ」
「……………………………………」
結局返事は返ってこなかった。
アイツがこの手の約束をしたことは無い。それを守れるか分からない身であるからとのことで。
それがどうした。俺が生きろっつってんだから生きろ。一回のレースに命を賭すなんて許してたまるか、絶対に。
▫▫▫▫▫
唯一の出走枠、ダート1200m。明らかに適性外のレースでありながらも奴は一着を取った。忘れていたがこれは選抜レースだった。
他の奴らにはハナから興味が無い。仮にここでアルダンを降した
幸い、今日のアイツは調子がいい。走破後も立っていられる余裕があった。
群がるトレーナー共の誰よりも先にアイツの元へ駆けつける。こちとら何ヶ月も前から見続けてきたんだ。てめえらなんぞに御しきれる器じゃねえよアルダンは。
「……
「……ふふっ、……はい。お受けいたします」
コイツの前でも猫を被んないといけないのはシャクだったが仕方ない。ともかく契約は完了した。
▫▫▫▫▫
「それではご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。トレーナーさん。……トレーナーさん?」
「……ああ、よろしく」
病室以外でコイツと話すのはなんだか新鮮な感じがする。今までベッド脇からでしか会話できなかったアルダンが、こうしてトレーニングに挑めるまで回復するとは。
……”今”が唯一にして絶好の好機。このチャンスをふいにしたらもう後が無い。だから無理を押して適性外のレースに出たのだ。
コイツの光跡が世に刻まれるまで一旦スカウトは中止だ。コイツは絶対に壊させない。
「トレーナーさん……もし…………先生?」
「聞こえてるぞ。ちょっと考え事をしてただけだ。ほれ、じゃ早速走り行くぞ」
「……はい」
走りを見るのは話すこと以上に久しぶりだ。アイシングやストレッチ、クールダウンなど普通以上に念を入れなければならないのが面倒だが……その点自己管理においてコイツ程徹底している奴はそういない。
これは裏を返せば武器にもなる。タブレットに細かく記載された負荷限界量には全て目を通した。後はコイツの今の調子とその閾値を見極めていくだけ。
────行ける。
何がガラスの足、だ。ふざけやがって。
▫▫▫▫▫
「アルダン」
「────ああ、先生」
歓声が耳に障る。あんまり喚くんじゃねえよアルダンに響くだろうが。
「──そうですね。今はまだ姉様の威光に届きませんが──」
「アルダン」
そうですね、じゃねえよ。こっちはまだアルダンとしか言ってないんだが。
「ここから、私、の」
「アルダン」
「っ、あ、せん、せい……そこに、いたのですね」
「……」
「……はい。申し訳、ありません」
見るからに疲労が蓄積しているのに周りの奴らは何してんだ。……ここで怒りをぶちまけても仕方ない。
舌打ちを噛み殺しながらアルダンの体を支え、ひとまず病院へ連れて行くこととなった。こんなんなら用務員ぶん殴ってでもウイニングライブを中止させるべきだった、と後になって後悔する。
▫▫▫▫▫
「アルダンお嬢様のお体についてですが──」
メジロ家の主治医。
「どうか、お嬢様にとって最良の選択を──」
アルダンのばあやさん。
うんざりする話をうんざりするほど聞かされた。知るかそんなん。アルダンがやりたいと言ってるならやらせればいい。俺がいる限り問題は──あった。
現に今、アルダンが保養所送りになった要因は俺にもある。
「チッ──」
クソだ。クソみたいな現実と、クソみたいな脆弱性。クソすぎるハンデに振り回されているアイツ。
「クソ──」
認めてたまるか。ふざけている。こんなにも揃った環境がありながらアイツの脚一つ支えきれないだと?こんなバカな話があるか。
「…………」
──だが以前と比べ確実に成長しているのは間違いない。まだアイツは走る。問題点は分かった。後は修正すればいいだけだ。
「………………」
クソみてえなコトばっか考えてんじゃねえ。そうして空費した時間で何ができるか思考を回せ。
▫▫▫▫▫
「私の体が如何様に脆弱で、不安定なものであるか。トレーナーさんもよくご存じかと思います」
「はあ」
「昔から、トレーナーさんには何度も気にかけていただきました。トレーナーさんが伝えてくださった様々なお言葉、お話……どれも私にとって大切な宝物です」
「(んな大げさな)はあ」
「──ですが、このまま共に歩むのであれば。その全てが、寂滅と共に掻き消える。そのような可能性が常に随伴することとなります」
「……」
「──それは嫌、です。ですので──どうか。……勝手な申しつけであることは重々承知しております。しかし、それでもどうか、私と同じ道を──」
ここまで言ってから、私は何を口走っているのだろうと我に返った。
ここが分水嶺となることは先生もご理解くださっていることだろう。このまま道を共にすれば望まれない結果に行き着く恐れがあることも。
それでも退く気はない。
だから、今日は大変な無礼を働くことになるとしてもその覚悟を問うという心積もりで、心積もりだったのに。
あろうことか先生に──嘆願するような真似を──
「お前の脚を壊す気は無い。またあんなことを起こさせる気も無え」
「────」
「だがまあ……そうだな。ここで辞めて他の奴らにお前を渡すくらいなら、俺がぶっ壊したい。だから担当は辞めない」
「────!?」
「あと単純に他のトレーナーよりも俺の方がずっとお前のこと知ってるからな。そういう面でも俺と組んでいる方が都合いいし」
──誤っていた。覚悟を問われるべきは先生ではなく私だった。
試す必要など元から無かった。ずっと待ち続けてくださった先生を私は疑っていたのだ。期待に背くことを恐れて。
恥じ入り、猛省すると共に私も腹を決めなければならない。謝辞など不要。言葉は一つのみ。
「では──これからも、どうか。よろしくお願いいたします。トレーナーさん」
「ん」
思えばこれは、私が先生に『お願い』したかった一つ目の我が儘だったのだろう。
▫▫▫▫▫
それからは不調も無く、トントン拍子で進んでいった。
同じ過ちは二度と犯さない。これは俺のポリシーでもある。自分自身に誓った在り方を過つ筈もないだろう。
「よーう、結構いい走りすんじゃんおまえんとこの子」
「……お前アルダンがいる時は近づくなっつったよな?」
「そう邪険にすんなよー。アルダンちゃん今向こう正面走ってるしさぁ」
現れやがったこの男。何故よりによってアルダンを見ている時に来るのか。
聞いた話ではコイツんとこのウマ娘が全員なんかの重賞を勝ち取ったらしい。知らんし興味もないが、コイツだけ出世街道をつっ走ってるのはイラつく。
「……おまえ、最近どうしたよ。夢とかレースとかどうでもいいー!って言ってたのおまえじゃんか」
「……今はそれどころじゃない。ほら、分かったらさっさと帰れ帰れ」
「チェッ、冷たいヤツ。せっかく秘蔵の写真送ろうと思ったのによお」
「申し訳ありませんでしたお願いします何卒お恵みを」
「…………切り替えの速さにもビビるけどすげぇ面の皮の厚さだなぁ。オレちょっと怖いよ」
帰ってからLANEに送られてきた写真を見た(漏洩防止のため二分間のみ表示)。爆速で保存した。
▫▫▫▫▫
俺はダービートレーナーになった。まあ当然だ。G1にも届きうる素質を持ち己が刃を研ぎ続けてきたアルダンと、アイツを一番理解している俺が組めば敵はいない。
長きに渡る苦節を経、忍辱の意思を貫きぬいたアイツが報われない筈がない。この”光跡”は全て必然。当たり前のことだ。
走り終えたアルダンから限界を超えたとの報告を受けた。ライバルとの戦いが奴をより新たな領域へと辿り着かせたらしい。
アルダンが何を思い何を手にしたかには興味ない。ただ、それが奴にとって”いいもの”であるならそれでいい。
……ライバルか。俺にとってソイツらは脅威であっても分析相手以外の存在たり得ることはない。
性の方向で処理しようにもアイツの友人となれば話は別だ。まったく心底つまらない、友情などというものをさも尊しげに見守る演技を強制される。こんな退屈なことがあるだろうか。
高め合い、競い合い、友情、絆、声援……
ああまったく、反吐が出そうだ。
▫▫▫▫▫
「申し訳ありません。こういった茶会は……お嫌いでしたか?」
「別にそういうんじゃねえよ。俺がいたらお前ら羽伸ばせなさそうだったからな」
「そのようなことは……」
メジロ家の茶会だかに誘われたがこれがまあ苦痛だった。なんだって野郎一人が女に囲まれお茶など嗜まなければならないのか。
何よりアルダンがいながらも仮面を被らざるを得なかった状況が本当に落ち着かず、トイレ休憩を装い抜け出してしまった。
アルダンは如何にもすまなそうって顔で、尚も帰ろうとしない。ああクソ、最終的に参加決めたのは俺なんだからそんな気を揉むんじゃねぇよ。
「……お前の話、もう少し聞きてえ」
「え……?」
「戻るって言ってんだ。ほら、行くぞ」
どの道頃合いを見て戻るつもりだったが、コイツの話を聞きたいのも本音だ。願わくば素のテンションで聞きたかったところだが。
▫▫▫▫▫
「はあ、あっ、は、はあっ、は……」
先生に示していただいた道、天皇賞(秋)。私はまた一つ己の限界を超えた。
「はあっ……!はあっ……!」
呼吸が落ち着かない。勝利の喜悦、達成感、観客席から立ち上る興奮──に当てられて、命自身が加速しているようにも感じられた。
日本ダービーに加え、天皇賞(秋)。姉様の妹としてではなくメジロアルダンとしての光跡を、”今”刻み込んだのだと確信を持てる。
収穫はそれだけに収まらない。
オグリキャップさん、タマモクロスさん、チヨノオーさん、ヤエノさん……
共に駆け、競い、勝負をしてくださる方々。そのライバルという存在が、私の身を幾度となく輝かせ限界を超えさせてくれた。
──それはとても光栄で、幸せなこと。
そしてこれは先生がいなければ到達しえなかった境地。なればこそ、より一層邁進し輝きを増していくことが私の宿願であり使命。
「トレーナーさん──」
「ん、お疲れ」
先生は私の気づきをただ黙してご静聴なさっていた。
私が何事かを語る時、先生はいつも私の目をじっ、と見て、真剣に耳を傾けてくださる。今、この瞬間も。
言葉遣いこそ少々粗野であっても、また私のトレーナーとなっても。先生は先生だった。
「そうか」
「はい」
話は終わり。返答がたった一言だけでも私には十分に過ぎた。その一言に──
「……アルダン」
「──?はい」
「…………よく、頑張ったな」
幻などではなく。
間違いなく、
先生は微笑みながら、そう仰っていた。
▫▫▫▫▫
光陰矢の如しとはよく言ったものだが、にしてもあっという間にシニア級へ突入した。
立て続けにG1レースを勝ち進めたアルダンの人気はかの”怪物”に迫る勢いとなっている。このまま行けば奴はトゥインクルシリーズの歴史に名を轟かすことだろう。
だが、禍福は糾える縄のごとし。油断は禁物。どんなに奴が好調でもどんなに強く輝こうとも、俺だけはその線に目をこらし続けなければならない。
仕事に支障はない。トレーナーを目指すにあたり年月をかけ睡眠時間を短縮していったおかげで一応の余裕は確保できる。……マジであの男はどうやって掛け持ちしてんだ。
それはそれとして疲れた。肉体的なアレより精神的な疲労が溜まっている。これなら趣味の一つでも持っとくべきだったか。というか俺の嗜好ってなんだ?
……よし決めた。今日は休もう。
「おい。今日は休むぞ」
「お休み、ですか?私はまだ大丈夫だと思いますが……」
「いや、俺が疲れたから休む。……少し話さないか」
「ふふ、では紅茶でもお淹れいたしましょうか」
▫▫▫▫▫
──素晴らしい、素晴らしい走りだった。
大阪杯を抑え迎えた宝塚記念。ヤエノさん、イナリさん、そして見事復帰を果たしたチヨノオーさん。
各々が持ちうる力の全てを発揮し、乗り越えそして、この熱気を、レースを築き上げた。
疼いている。
この脚の猛るまま、彼女に──オグリキャップさんに挑戦したく──
「────思います」
「そうか。じゃあその方針で行くぞ。ってなると天皇賞(秋)が最終目標で……前哨戦も決めとくか」
「……」
昔からずっと考えていた。
「……不躾ですが、トレーナーさん自身の考えを…………お聞かせくださいますか?」
何故このヒトは私の前に現れたのだろう。憐れんだのか、ただの気紛れなのか。
このヒトはいつも私がやりたいと言ったことは決して否定せず、心身を尽くした手助けをしてくれた。
何故?
斯様に手のかかる、けして丈夫とは言えないウマ娘に。先生は何故何度も何年も走れなかった私の元へ駆け寄ってくれたの?
「オグリキャップに勝って歴史の転換点になるのが今のお前のやりたいことなんだろ?なら俺はそれでいいし、それ以外望みは無い」
それ以上の質問は憚られた。私が聞きたかったのは、さらに先だというのに。
答えを知ったのは、それからずっとずっと、後のこと。
▫▫▫▫▫
夏合宿を終え前哨戦の毎日王冠を制覇しても相変わらずレースを楽しむことはできなかった。多分俺はそういう人間なんだろう。
アルダンが出走する度感じたものは恐怖と不安、それだけだった。……トレーニングん時もそうか。
正直走らせたくなかった。アイツの体は脆いから。
ただそれを理由にしてやりたいことをやらせないなんてバカげている。それだけは絶対に認めたくなかった。だからわざわざスカウトを中止してまで見てきたのだ。
「アルダン」
三年間の集大成であり連覇をかけた天皇賞(秋)。
突拍子もないことだが、俺は今一つの予感を覚えていた。”今”のコイツならきっと大丈夫だろう。
「……ちゃんと帰ってこいよ。勝って、帰ってきてくれ」
「──はい。約束いたします。私は必ず、無事に帰ってくると」
────よかった。その言葉を聞けただけでも、俺の三年間は無駄じゃなかった。
……って、何しんみりしてんだ俺。ガラじゃねえのによこういうのは。
「行ってこい」
▫▫▫▫▫
天皇賞(秋)を連覇し、考え得る最高の成績でメジロアルダンのトゥインクルシリーズは終わった。文句の付け所のない有終の美を飾ったと言えよう。
ようやく息をつける、と思ったが奴にはまだ先があった。無事引退するその時まで肩の力は抜けなさそうだ。
そういやあの男は海外に行くらしい。……アイツ俺と同期だよな?
「おい、アルダン。ジャージ……まあなんでもいい。スカートの無い格好に着替えてこい」
「?……はい」
今日は久々に丸一日の休暇を取れた。近頃は取材が立て続けに来やがってたから今日くらいは自由にしても文句は言われないだろう。
「着替えてきましたが────っ?あの、これは……」
「お姫様抱っこってヤツだ。不服か?」
「いえ」
「よし。少し歩くぞ」
何故だろうか。コイツと出遭った日から、何かがずっと気に入らなかった。
▫▫▫▫▫
「今日は彼岸入りですね」
「ん?ああ……そうなのか」
「私をここまで引き上げてくれた皆さんにもそうですが、メジロ家を存続させてくださったご先祖様にも感謝を忘れぬようにしたいですね」
他人より脆い体でありながら他人に感謝ができる。俺は誰も尊敬しないがコイツのそんな在り方は尊いものだと密かに思っていた。
「……お前熱ないか?」
「ああいえ、ただ少し……照れてしまって」
「…………やめろよ俺まで恥ずかしくなる」
なあアルダン。俺は他人の夢とか憧れとか聞かされると無性に腹立ってくるんだよ。お前が必死に足掻いてようやく踏み出した道のりをソイツらは当たり前のように歩いてやがるから。
気に入らなかったんだ。ずっと。
▫▫▫▫▫
「ここは……」
「お前と二人になりたかったんでな」
吹きすさぶ春風に従い木の葉と花弁が舞い上がっている。
歩いた先は学園近くの高台。平日ということで周囲には俺たち以外誰一人いない。日差しと風のおかげで中々に快適な場所となっていた。
横抱きの姿勢にしたまま芝生へゆっくりと腰を下ろし、左腕をもも裏から肩へと運んでいく。
アルダンは
特に話したいことは無い。今日はこうしたい気分だった、それだけの話だ。
「先生」
「……先生はやめろ」
「ふふ。では、トレーナーさん」
「……」
「──どうか。どうかもう暫く、このままでいさせてくださいますか」
「んな心配しなくたって俺は逃げねぇよ。……苦しくないか」
「はい。……ああ、ただ少し、鼓動が早く──そうですね。かすかに胸が熱いのかもしれません」
「それを言うなら俺も似たようなもんだ」
「……まあ、本当。ふふ……」
こちらの心臓に当てられた手。何がおかしいのか、コイツは楽しげに笑っている。
「…………アルダン」
「はい」
「お前はもっと永く生きろ」
気に入らなかった。
「俺より先に死ぬな……いや、俺が死んでも死ぬな」
俺は許せなかった。あの病室の匂いも、柔らかいベッドも、不平等で不公平で不条理な現実も。
「お前はもっと幸せになれ。そうでもしてくれないと割に合わない」
それだ。その儚さが気に入らなかった。
こんなに速く走れてこんなに面のいい──、
────美しい、美しく在るものが、いとも簡単に崩れていくこの世界が。
俺は、そんな理不尽な世界が、ずっと気に入らなかったんだ。
「……よろしいのですか」
「何が」
「その御意に添うのであれば、貴方の未来に私が刻み込まれることになります。私の道が潰える、その日まで」
「──」
「よろしいのですか」
「今更俺がお前以外に灼かれると思うか?」
「────いいえ」
「……言っとくけどな、俺に甲斐性なんてものは無ェぞ。てめえで勝手についてこい」
「ふふ、存じ上げております。ですがそんなことはありませんよ。それに、私は先生を信じていますから」
「ハッ──、意外と強かだな。お前」
何故か、コイツをこの腕の中から逃がしたくないと思っている。できることならこのまま、何処にも行かないよう閉じ込めておきたいと願うまでに、強く。
だがそうはいかない。いかなくていい。
鳥は飛び立ってこそ鳥だ。阻む理由など元よりありはしない。
「先生」
「どうした……。っ?なんだ、これ」
生暖かい雫が一筋、頬を伝う。顎に渡り滴り落ちる前に、アルダンの手へと攫われた。
「ご無理をなさっていませんか」
「なわけねぇだろ。俺が自分最優先なのはお前が一番分かってることだろうが」
「?」
「あーもう、いい。やっぱお前は死んでも離してやんねぇ」
「はい。お願いいたします」
…………………ああ。
風が、綺麗だ。
”度し難いゲス野郎がたった一人の女の子に対してだけ優しくなる”
私の好きな概念です