下心バキバキトレーナーがトウカイテイオーに改心させられる話   作:散髪どっこいしょ野郎

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ケイエスミラクルとイカロストレーナーの話

「あのっ……どうか、お願いします!おれの担当トレーナーに、なってもらえませんか……!?」

 

「……俺、が?」

 

 

その出逢いは偶然だった。

 

速すぎる彼女と欠けている俺。そのどちらも、致命的な欠陥だった。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

「恩返しが、したいんです」

 

 

話を聞いてみたところ、彼女は生まれつき体が弱く、ここに来るまで多くのヒトたちに支えられてきたとのこと。その恩をレースでの勝利という形で返していきたいらしい。

 

素質はあり、気概もいい。となれば契約しない手はなかった。

 

同僚とたづなさんからは警告──というほど厳しいものではなかったが──を受けた。

 

確かに危険因子は大きい。だが、それを覆してこそのトレーナーだ。

 

『止まれない』のではなく『止まらない』。

 

その危険性を、俺はまだ知らなかった。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

「……よし、自己ベスト更新だ」

 

「はぁっ、はぁっ……!本当ですか!」

 

 

契約してから数週間。特に大きな問題もなく順調に事は運ばれていった。

 

彼女の体のことを考えて決して無理はさせないようにしている。担当医とも連携を取り、彼女の両親にも話は付けてある。

 

ハッキリ言ってケイエスミラクルは危うい。同僚とたづなさんから言われた通り、こちらが見ていないとすぐに無理をしてしまう。

 

俺が上手いことブレーキを踏ませてあげなければきっといつまでも走り続けてしまうだろう。

 

だが。再三再四言うようだがそれをなんとかしてこそのトレーナーだ。

 

俺は俺の任務を遂行する。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

おれのトレーナーさんは静かなヒトだ。いつも凜とした姿で支えになってくれている。

 

……責任も、本来だったらおれが取ることなのに、トレーナーさんが引き受けてくれている。

 

母さんも父さんも先生も、トレーナーさんも。みんなおれにはもったいないくらい優しい。

 

だからこの恩はレースで、必ず。

 

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

メイクデビューは良好な結果に終わった。

 

一着を獲った彼女の笑顔。俺はその為にトレーナーになったといってもいい。

 

しかし一つ疑問が残る。

 

俺は何故彼女と関係のない、最後尾に終わった子も見ていたのだろう。

 

その子を見ているとふと湧いた感情。これはまるで──

 

 

「トレーナーさん」

 

「……ああ、お疲れ。よかったぞ」

 

 

今はそんなことを考える必要はない。彼女は勝った。なら、めいっぱいの祝福で迎えなければ。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

「──ごちそうさまでした」

 

「お粗末さまでした」

 

 

小食な彼女の為にと考えるようになった補食メニュー。

 

栄養を効率よく補給できるようになり、体調面もよくなっているようだ。

 

 

「味……変じゃなかったか」

 

「?美味しかったですよ」

 

「そうか。ならよかった」

 

 

誰かの為に食事を作るのは初めてだったが、問題なくやれているようだった。

 

体づくりも順調。控えてある葵ステークスへの準備は万端だった。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 

おれのトレーナーさんは……少し危ういヒトだ。

 

おれのためならなんだってしてしまう。どんな欲求だろうと、きっと叶えてしまう。

 

今日も、昨日もそうだ。

 

夜遅くまでおれのために仕事に打ち込んでいる。ちゃんと休めていないのか、目の隈も深かった。

 

そんなトレーナーさんにおれはなにができるだろう。レースで勝つのは当然として、それ以外にも何かできることはないだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「マッサージ?」

 

「はい。トレーナーさんがよければ、ですけど」

 

「……じゃあ、頼む」

 

 

突然声をかけられたかと思えばマッサージをさせてくれないかとの申し出を受けた。

 

デスクワークが多い俺の為に色々と考えてくれたらしい。掌の軽いマッサージだったが、存外によく効いた。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

重賞である葵ステークスを一着に抑え、彼女は勢いづいているようだった。

 

……良い。

 

このまま順当に成果を重ねていけば、きっと彼女の本懐を遂げるだろう。

 

次に設定したのはサマースプリント、函館スプリントステークスだ。

 

できることなら出走間隔をもう少し伸ばしておきたいところだが……彼女たっての頼みとしては断れなかった。

 

……それはそうとして、

 

今日も俺は最後尾に終わった子を見ていた。何故?

 

俺たちとは全く関係のない筈だ。俺はその子のどこに視線を奪われたんだ?

 

俺がトレーナーになった理由は彼女たちを──ケイエスミラクルを笑顔にしたいと思ったからだ。

 

だから、いや、だったらこの感情は──

 

今はそんなことを考える必要はない。

 

今はそんなことを考える必要はない。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

「悪い、遅れ──」

 

 

言い出してから、すぐに止まる。

 

函館スプリントステークスを一着に終えた後のこと。ケイエスミラクルは控え室の机に突っ伏して眠っていた。

 

 

「…………」

 

 

眠っている彼女を見つめる。定刻までまだ時間はある。少しでも休ませられたらと思い、声をかけるのはやめた。

 

異常に気づいたのはそのすぐ後だった。

 

 

「……ミラクル?」

 

「…………」

 

 

あまりにも静かすぎる。寝言どころか寝息すらも聞こえてこない。

 

 

「ミラクル!」

 

「…………ぁ、すみません。おれ、寝ちゃってました?」

 

 

冷や汗が頬を伝う。幸いにも最悪の事態は避けられているようだ。

 

だが言いようのない不安に包まれる。このまま彼女を走らせていいのだろうか。或いは、俺が引き止める必要があるのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

夏合宿の季節になった。

 

スプリンターズステークス……の前のキーンランドカップに向けて一気に追い込みをかけたいところ。

 

……おれの、奇跡は。そう長くは保たない。スプリンターズステークスの時に……きっと、「最後」が来る。

 

だから速く。もっともっと、誰よりも速く磨き上げないと。

 

そうしないと、おれは────

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「次はセントウルステークスで、お願いします」

 

「……ちょっと待て」

 

 

キーンランドカップを終えて早々に何を言うのかと思えば、残り一ヶ月もない、あまりにも早すぎるレースを打診された。

 

 

「おれの体なら大丈夫ですから。だから──」

 

「ちょっと待てと言っているんだ。……理由、理由はなんだ」

 

 

ここで選択を見誤れば、彼女はどこか遠くへ行ってしまう。そんな気がしたから問う。問わずにはいられなかった。

 

 

「経験が──足りてないんです」

 

 

彼女曰く、トレーニングとは違う、レースで磨かれる速さが自分には足りていないとのこと。

 

だとしてもこんな早い出走ペースは認められない。だから頑として止めさせようとしたのだが──

 

 

「お願いします。おれ、どうしても速くならなきゃいけないんです。極限まで、速く」

 

 

彼女もまた頑なだった。彼女とて、このまま無理をし続ければ望まれない結果に行き着く可能性があることなど百も承知だろう。その上で出走を懇願するとは、するということは──

 

まさ、か。

 

 

「……分かっているのか?その、意味を」

 

「…………お願いします」

 

 

彼女は綴る。最高峰のレースで、最高の結果を出すこと──恩返しをすること。それこそが自分の生きている意味だと。それだけが自分の生きている意味だと。

 

──言葉が出なかった。そしてそれ以上に。

 

そんな彼女を肯定していたのは、他でもない俺自身だと、気づかされた。

 

壊れた機械のようにぎこちなく頷く。すると彼女は、俺の求めていた笑顔を浮かべていた。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

……心配、させちゃってるなぁ。

 

トレーナーさんもみんなも、優しすぎる。おれのために傷ついたりなんて、しなくていいのに。

 

──だからせめて。勝たなきゃ。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

迎えたセントウルステークスの日。一着を手土産に彼女は帰ってきた。

 

痩せこけた彼女の体は見ているだけで胸が潰れてしまいそうで。俺は一つ決意を固めた。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

「頼む」

 

 

頭を下げる。俺にはこれぐらいしかできない。だけど、これ以上彼女に無理はさせられなかった。

 

 

「なんでもする。俺にできることならなんでもするから、だから、行かないでくれ」

 

 

それはまさしく嘆願だった。

 

 

「……すみません、トレーナーさん。おれ、行かなきゃいけないんです」

 

 

諭すように優しく、けれどもきっぱりと言い放った。それは隔絶された断境の意志だった。

 

 

「出走申し込みの書類、コレですよね。おれ、出してきます」

 

 

去り行く背中。俺は引き止めることができず、ただ見ていた。

 

 

「おれの責任にしてください。全部、おれの所為だから」

 

 

最後に薄く微笑みそれだけ言って、彼女はトレーナー室を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「ミラクル」

 

「……はい?」

 

 

出走直前の地下バ道。いつもなら黙って見送ってくれる筈のトレーナーさんから声をかけられた。

 

 

「どんな結果になってもいい。必ず帰ってこい」

 

「…………」

 

 

……ビックリした。いつものトレーナーさんからは考えられない言葉だ。

 

分かってる。このヒトをここまで追い詰めてしまったのは、他ならないおれだって。

 

でも、だからこそ、勝って、一番のありがとうを届けないと。

 

 

「……行ってきます」

 

 

ただ生きていてくれる。それだけでいい。

 

……父さんや母さんと同じことを言うんだな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

─────────────あ。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

身支度を済ませ、寮を出る。

 

バスを乗り継ぎ病院まで向かう。

 

病室のドアを開ける。そこには、俺の担当ウマ娘であるケイエスミラクルが眠っていた。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

「……ミラクル」

 

 

病床の傍に寄り声をかける。今日も彼女は目覚めない。

 

あの日、ケイエスミラクルはスプリンターズステークスを最後まで走りきることができなかった。

 

スパートに入らず速度を落としていく彼女を見て動悸が止まらなかった。吐き気がした。

 

完全に俺の判断ミスだ。あの時縋り付いてでも止めるべきだったんだ。

 

ミラクルの両親は俺を責めなかった。どれだけ(なじ)ってくれても殴ってくれても構わなかったのに。

 

 

多くの子が見舞いに来てくれた。バンブーメモリーにダイタクヘリオス、ヤマニンゼファーにダイイチルビー等々……。

 

それでも彼女は目覚めない。

 

ただ問題は仮に目覚めても終わらない。

 

左足の骨折。もはや復帰できるかも怪しい程に、深く強い負の因子。

 

左足に巻かれた包帯は痛々しくて涙が溢れてくる(笑いが込み上げてくる)程だった。

 

なん、だ、なんでだ?

 

 

「………………は?」

 

 

俺は()()()いるのか?

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

俺はウマ娘を笑顔にする為にトレーナーになった。

 

ならなぜ最後尾に終わった子も見ていた?

 

俺は彼女を幸せにする為にトレーナーになった。

 

ならなぜ口元は歪んでいる?

 

俺は

 

俺は。

 

──こんなものが。

 

こんな結末が、俺の望んでいたモノだとでもいうのか?

 

そんなの、そんなの間違っているじゃないか。

 

間違っているのに。俺はどうして笑っている?

 

俺は他人の不幸を望むような人間だったと、そういうことなのか?

 

 

「──ミラクル」

 

 

過ちを数えるなら、きっと生まれた瞬間から間違っている。

 

何度謝っても足りない。だってこの事態は俺が引き起こしたことだからだ。

 

ごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい──

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「ケイちゃん、ごめんねぇ……っ!」

 

 

なんで

 

 

「ごめんなぁっ、ケイ……!」

 

 

なんで

 

 

「……ごめん、ミラクル」

 

 

どうしてみんな謝るの。みんなはなにも悪くないのに。

 

伝えなくちゃ。支えてくれてありがとうって。奇跡をくれてありがとうって。

 

あ──────脚、が、もう動かない。

 

ターフの上に取り残される。キミは──ルビーは、振り返ることなく走り続けて──

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

今日も変わらず病室へ向かう。

 

 

「ミラクル」

 

 

返事は無い。

 

 

「ごめんな、ミラクル」

 

 

返事は無い。貰う資格が俺には無い。

 

 

「ミラクル」

 

 

それでも呼びかけ続ける。何度も、何度も。

 

何をしたって罪滅ぼしにはならない。この罪過は、俺が一生背負っていく問題だ。

 

 

「ぅ…………ぁ、トレーナー、さん……?」

 

「ッ!?ミラクル!?すみません、誰か──」

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

長いリハビリテーションが始まった。

 

再び走れるようになるまでどれだけかかるか分からない、長く暗い道のりを彼女は行こうとしている。

 

走るどころか歩くことさえ困難な身でありながら弱音の一つも吐かない。彼女の両親から聞いた通り辛抱強い子だ。

 

今日のリハビリが終わってから、俺たちは少し話をした。

 

 

「ごめんなさい、おれの所為で──」

 

「違う……違うんだ。これは全部、俺が招いたことなんだ」

 

 

一切包み隠さず話すことにした。今更何をしたって償いにはならないというのに。

 

 

「……それでも、トレーナーさんが気にする必要はありません。ただ夢みたいな奇跡が終わっただけなんですから」

 

 

奇跡。周りのみんなから貰った奇跡のおかげで走れていた、と彼女は言う。ならば──

 

 

「……今度は」

 

「?」

 

「今度は、俺がお前に奇跡を渡す」

 

 

スプリンターズステークスは来年もある。なら、そこに向けて彼女を治していく。

 

諦めさせてたまるか。

 

そうだ。今は自分のことなんかにかまけている暇はない。

 

今度は俺が、俺の全てを彼女の為に使い果たす。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

トレーナーさんは優しすぎる。

 

ピークなんてとっくに過ぎてるのに、おれのために昼夜問わず付き合ってくれている。

 

勝手に無理をして勝手に怪我をしてしまったのはおれだ。それなのに、どうして?

 

トレーナーさんの「本性」には正直ピンと来ていない。トレーナーさんがどんなヒトであったとしてもあの日々が嘘だったとは思えないから。

 

 

いつかの日をなぞっているようだった。

 

少しでも早く治るように歩行トレーニングを試みていく毎日。

 

また前のように走れるようになるかは、分からないけれど。それでもコツコツと続けている。

 

……懐かしいなあ。あの時みたいに、また思いっきり走れるかな……。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

使えそうな手札は片っ端から使った。金も手間も惜しまずに俺の全てを注ぎ込んだ。

 

それでも復帰の目処はたたない。

 

それでも、諦められない。諦めてたまるか。

 

この結末が俺の引き起こした罪ならば、覆す義務がある筈だ。

 

奇跡よ起これ。奇跡よ起これ。

 

 

「トレーナーさん……その……大丈夫ですか?」

 

「……なにがだ?」

 

 

焦燥を押し殺していたつもりだったがバレていたらしい。とぼけてみたものの彼女はお見通しだろう。

 

それがなんだというんだ。彼女の負った傷に比べれば、こんなもの。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

祈るような日々が続いた。毎日毎日彼女のリハビリに付き合って。それが終わったら入念にマッサージをして。

 

 

「……少し休みましょう。トレーナーさん、あなたも」

 

「…………はい」

 

 

担当医に促され、病室を出る。辺りはすっかり暗くなっていた。

 

自室に帰る気もせずその辺をうろつく。

 

 

「…………ちくしょう」

 

 

こんな状況なのに、俺は、まだ。

 

 

「クソ、クソ……!」

 

 

()()()しまっている。

 

 

「あ、ああぁぁああぁあああ……っ!」

 

 

地面に額を打ちつける。それでも暗い喜びは消えず。

 

俺は、

 

 

「────────」

 

 

俺は。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

「おれのことは大丈夫ですから、トレーナーさんも休んでください」

 

「……なんでだよ」

 

「え?」

 

 

なんでそんなに優しいんだよ、お前は。

 

 

「お前をこんな状態にしたのは俺なのに」

 

 

そう、俺なのに。

 

 

「……そんなこと、ないですよ」

 

 

無言。

 

 

「トレーナーさんはいつもおれのことを考えて、おれのために色々なことをしてくれました」

 

 

無言。

 

 

「トレーニングもおいしいものも……本当に、たくさん、たくさん、トレーナーさんから貰ったもので溢れてるんです」

 

 

無言。

 

 

「できればその恩も、あの時に返したかったですけど……すみません。おれ、弱くて」

 

 

無言。

 

無言。

 

無言。

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとずつ運動ができるようになってきた。

 

今はまだ入院中だけど病院内なら自由に歩けるようになってきて。トレーナーさんもほんの少し安心していた。

 

……やっぱり、トレーナーさんが酷いヒトなんてのはありえないと思う。

 

ここまで真摯に尽くしてくれるヒトが──仮に「あれ」が本音だったとしても──悪いヒトだとはどうしても思えない。

 

トレーナーさんに対しておれができること。それをもう少し探っていきたい。

 

恩返しのためだけじゃなく、日頃の感謝も込めて。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

苦労の甲斐あってか公園で試走をするにまでこぎつけた。

 

少しずつ、本当に少しずつでありながらも事態は確実に好転していっている。

 

 

「位置について──よーい、ドン!」

 

「ふっ……!」

 

 

──速い。ブランクは勿論あるが、それでも尚彼女の脚は速かった。

 

 

「──トレーナーさん、先生、おれ……」

 

「そうですね。そろそろ退院を視野に入れ始めてもよいのではないでしょうか」

 

「……いい走りだったぞ、ミラクル」

 

 

…………本当によかった。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

同じ轍は踏まない。もう二度と、同じ間違いは起こさない。

 

体調管理も今まで以上に徹底する。彼女がまた無理をするようであれば縋り付いてでも止める。

 

そうでもしないと、俺は俺を認められない。

 

目標はスプリンターズステークスただ一点。あの時の憂いを、今度こそ晴らしてみせる。

 

 

「すみません、トレーナーさん」

 

 

そうトレーナー室で意気込んでいるとミラクルがやってきた。ローテーションに不満でもあるのだろうか。しかし無理は絶対にさせられない。

 

 

「高松宮記念に出走したいんです」

 

 

復帰戦にしては高いハードルだ。しかし態々頼みに来たということは、それなりの理由がある筈だ。

 

聞けばダイイチルビーから宣戦布告に近い形で出走を求められたとのこと。

 

……期限まで鍛えられる時間は少ないが、それでも彼女が走りたいと思うのであれば。

 

 

「……分かった」

 

「……!ありがとうございます!」

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

ずっと思っていた。

 

あのヒトを笑わせられたら、笑顔にできたら。

 

おれの走りで、あのヒトに笑顔を届けられたら。

 

だから────ああ。

 

これが、答えだ。

 

 

『ケイエスミラクル!一着はケイエスミラクル!』

 

 

……みんな笑顔だ。あのヒトを除いて。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

トレーナーである俺が言ってはいけないことだが、まさか一着を獲るとは思わなかった。

 

長いブランクを抱えながら本当によくやったと思う。

 

彼女が培ってきた速さ。他を寄せ付けぬ圧倒的な速度。

 

──もう、俺がいなくても平気だろう。

 

勿論今すぐに辞めるわけではない。ただ、俺のような人間が彼女たちと関わっていいわけがない。

 

俺はトレーナーになるべきじゃなかった。これからどんな功績を積んでも、それは変わらない。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

全部本当だ。

 

恩返しをしたいおれも、みんなを幸せにしたいおれも、レースを楽しんでいるおれも、あのヒトを笑顔にしたいおれも、全部おれの率直な気持ちだ。

 

そのためにも安心してもらえるように努力しないと。おれはもう平気だって、胸を張って言えるように。

 

 

「──ごめんなさい、トレーナーさん。たくさん迷惑をかけてしまって」

 

 

まずは謝る。おれの所為で、トレーナーさんにたくさん気苦労をかけさせてしまったのだから。

 

 

「……迷惑なんてことはない」

 

 

……ああ。やっぱり。

 

トレーナーさんは優しい。

 

 

「……まだ、走れそうか?」

 

「はい。今度こそ大丈夫です」

 

 

それだけ聞いて、トレーナーさんは安心したように目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

夏合宿を迎え、スプリンターズステークスに向けてのトレーニングは順調だった。

 

彼女の中に以前のような危うさは無く、着実に確実に強くなっている。

 

安田記念での勝利もあってか、”時代最速”の称号を掴むのに相応しい存在となりつつある。

 

……もうあの頃のような危うさは無い。

 

俺はそれに何を思った?

 

期待外れだと考えているんじゃないのか?あれだけ彼女の悲痛な姿を見て、満たされていたのだから。

 

そんな思考が頭を過る度罪悪感で死にたくなってしまいそうになる。

 

こんな人間が。こんなヤツが、彼女の支えになるだと?思い上がりも大概にしろ。

 

俺はもう自分を信じられない。彼女を無意識下に裏切って、自己満足の献身に身を窶して。

 

 

「トレーナーさん」

 

「ミラクル?どうした」

 

 

夜の浜辺で一人雑考にふけっているとミラクルがやってきた。何か不手際でもあっただろうか。

 

 

「いえ、少し……隣、いいですか」

 

「あ、ああ……当然」

 

 

しばし無言の時間が流れる。口火を切ったのは、ミラクルからだった。

 

 

「トレーナーさん」

 

「なんだ?」

 

「前におれに話してくれたこと……ありますよね。あの、トレーナーさんの欲求について」

 

「……ああ」

 

「おれ、それでもいいって思ってるんです。トレーナーさんがおれの不幸を望んでいたとしても」

 

「……は?」

 

「おれ、幸せだったんです。ルビーがいて、ゼファーがいて、トレーナーさんがいて、みんながいて。ずっとずっと、おれは幸せだったんです」

 

「……だから、俺がトレーナーでもいいと?」

 

「勿論、それだけじゃありません。トレーナーさんがおれのためにしてくれたこと、どれも”本物”だったって。確信……そうですね、確信できるんです」

 

「それは、何故」

 

「あはは……これといった理由はありませんけど、それでも。それでもトレーナーさんは酷いヒトなんかじゃありません。おれが保証します。……おれなんかの保証じゃ頼りないかもしれないけど」

 

「いや、十分だ」

 

 

十分すぎた。

 

 

「ミラクル」

 

「はい」

 

「ありがとう」

 

「はい」

 

 

信じてくれる存在がいる。ならばこれ以上燻ってはいられない。

 

あの日誓ったように、俺は俺の全てを彼女の為に使い果たす。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

とうとうスプリンターズステークスの日を迎えた。

 

緊張……は確かにあるけど、そんなものは障害にならない。

 

おれをライバルと言ってくれる子たち。おれを待ってくれるヒトたちのためにも、必ず勝ってみせる。

 

みんなから、そして今度はトレーナーさんから貰った奇跡が、驀進王(キミたち)を追い越す。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

『奇跡を起こしました、ケイエスミラクル!今堂々とスプリンターズステークスを制し、”時代最速”を証明しました!』

 

 

……本当に、本当に凄い子だ。

 

一時は引退寸前にまで追い詰められながらここまで走ってこられたなんて。……本当に凄い子だ。

 

 

「「「「”奇跡”をくれて、ありがとう!」」」」

 

「……!──うんっ」

 

 

彼女の恩人たち──両親と担当医の先生と一緒にその言葉を伝えた時、ようやく心の底から笑えたような気がした。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

「はっ、はっ──ふう……」

 

「よし、ここらでいったん休憩にしよう」

 

 

トゥインクル・シリーズも終わり、俺たちは野外での練習に励んでいた。

 

高台のベンチで共に座り、少し話をすることにした。

 

 

「……ミラクル」

 

「はい?」

 

「俺、トレーナーを辞めようと思うんだ」

 

「────それ、は」

 

 

もういいかもしれない。彼女は奇跡を起こした。これ以上のハッピーエンドはない筈だ。

 

 

「……それは、おれに関係してますか?」

 

 

彼女は優しい。辞める理由が自分にあると知ったら、きっと重荷になってしまうだろう。それでも、

 

 

「……俺の最初も、俺の最後も。お前がいいと思った。それだけだ」

 

「…………」

 

 

しばし静寂が流れる。ミラクルの方を見ると彼女は思い悩んでいる様子だった。

 

 

「……一つ、わがままを言っていいですか」

 

「ああ。なんでも言ってくれ」

 

 

断る理由は無い。彼女の望みならなんだって叶えてやりたいと思う。

 

 

()()はもっと先にしてくれませんか?」

 

「…………何故」

 

「おれがいつかターフを去ることになっても、トレーナーさんにはトレーナーさんでいてほしいんです。あなたとでしか輝けない子もきっといるはずですから。それと、たくさん語り継ぎたいんです。あなたのこと。……って、すみません。こんなこと言って。トレーナーさんが辞めるのは自由なのに」

 

「…………」

 

 

……まったく、どこまでも優しい子だ。

 

 

「分かった。俺の負けだ」

 

「……本当ですか!?」

 

 

この本性をどこまで隠せるかは分からない。だけど、それが彼女の望みならなるべく叶えてやりたい。

 

俺のような人間でも誰かの役に立てるのなら、それはきっと、いいことだ。

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

──いつか。

 

きっといつか、この手を離す日が来るのだろう。

 

だから、今のうちに伝えておかないと。でもどうしよう。困らせちゃうかな。

 

 

「トレーナーさん」

 

「なんだ?」

 

 

でも。

 

おれがいなくなった後、トレーナーさんは独りで苦しみ続けてしまうだろう。

 

このヒトのことをどれだけ知れているかは分からない。だけど、それでも。

 

この感情が、あなたを繋ぐ線でありますように。

 

 

「あなたが好きです、トレーナーさん」

 


















































このトレーナーについてもっと深く知りたいよって方は20話(ビヨンド・ザ・ホライズン
)をご一読ください。
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