下心バキバキトレーナーがトウカイテイオーに改心させられる話 作:散髪どっこいしょ野郎
あなたが好きです。その言葉の意味を俺は考えていた。
親愛や友愛ならいい。だが、あのシチュエーションであの表情で伝えられたその言葉は、きっと俺が思っている以上の感情が乗せられているのだろう。
「とれーなーさん?」
「……っ!なにかな」
子供たちの声で現実に意識が戻る。今はケイエスミラクルの付き添いで病院に来ていた。ミラクルは子供たちからとても慕われているため、俺の方には来ないだろうと考えていたのだが。
「とれーなーさんは楽しくないの?」
「……どうして、そう思ったんだい?」
ミラクルがピアノを弾き、それに応じて子供たちが歌う。実に飽満な空間だ。……本来、俺のような人間がここにいてはいけない。
「だってとれーなーさん、ここに来てから一度も笑ってないんだもん。ケイちゃん言ってたよ?笑うとすごくかわいいって」
「……すみません、トレーナーさん」
「いや、気にしなくていい」
はにかむように笑いながら俺に応じるミラクル。頼むからそんな笑顔を俺に向けないでほしい。
──気を抜いたら、また壊したくなってしまうから。
▫▫▫▫▫
「寒くなってきましたね……」
「そうだな。そろそろカイロ買っとかないと」
季節はすっかり秋模様。柿が美味くなる頃合いだ。
今はちょっとした休息期間に入っている。また新たな舞台で走ることになるケイエスミラクルの羽休め時間、とでも言えばいいのか。
取材の手もここ最近は大人しい。一通り話し終えたのも要因の一つだろう。
「肉まんでも食うか?奢るぞ」
「すみません、そろそろ夕ご飯が近いので……」
「そうか」
ケイエスミラクルの体は脆い。食事量も同年代の子たちと比べて明らかに下回っている。
トゥインクル・シリーズを走り切れたのはやはり奇跡だと改めて思う。その裏にある彼女の努力を、レースが好きなヒトには是非知ってほしい。そんな思いを込めてインタビューに答えた。
「────っ」
「トレーナーさん?」
ノイズが走る。隣にいる彼女を、その夢を奪おうと、雑音だらけの声が囁きかけてくる。
「トレーナーさん!」
「……ああ、大丈夫だ」
どちらかと言えば大丈夫じゃないがせめてもの虚勢を張る。
呼吸が乱れる。鼓動は早まり、耳鳴りがする。
俺は心を病んでいるのだろうか。だとしたらサナトリウム行きは免れないだろう。こんな、ヒトとも思えない本性を持っているのだから。
▫▫▫▫▫
笑ったら、きっとかわいいだろうなと思う。一回だけしか見たことないけど実際かわいかった。
トレーナーさんの笑顔。これからもっと、おれがさせてあげたい表情。
その為にもまずは健康でいよう。もうあんな心配はさせないように。
おれが健やかに走り続けることがトレーナーさんへの恩返しになるのなら、それに全力で取り組みたい。
……二度目のスプリンターズステークスの奇跡みたいに、トレーナーさんから貰ったものは返しきれないくらいに膨れ上がっている。
トレーナーさんは大人だ。おれの気持ちに応えることはできない。いつかきっと、この手を離す時が来る。
分かっている。だからこそ──あのヒトを繋ぎ止めるのは、おれの役割でありたい。
▫▫▫▫▫
空を眺める。
近頃昼食は屋上で摂ることにしていた。誰に強制されたわけでもなく、何か特別な理由があるわけでもなく、なんとなくそうしていた。
「…………」
ほう、と溜息を一つ。
「…………っ」
油断しているとまたあの時のことを考えてしまう。
ベッドに横たわり、目を覚まさないケイエスミラクルの姿。左足に巻かれた包帯は見ているだけで心が
「……ちくしょう」
確証が持てない。俺があの時引き止めきれなかった理由は、俺がどこかであの結末を望んでいたからではないのか。
否定……しきれない。
それでも俺は彼女に信じられている。ならばこれ以上グズグズしているのはよくないと、分かっている。分かってはいるのだが──
「…………」
空を仰ぐ。雲一つ無い見事な青空だ。
綺麗だ、と思う。そうして俺の中にある人間らしい部分を一つずつ探すことに、しばらくの間耽っていた。
▫▫▫▫▫
今日も彼女の走りを見る。相変わらず凄まじい速度だ。
休息期間といっても走るのを止めるわけではない。勝負の勘や知識など、培わなければならないことはたくさんある。
今のケイエスミラクルはこれ以上ないくらいに仕上がっている。次のレースも勝てる。そう断言できるくらいに彼女は強い。
俺のやることに変わりは無い。彼女、いや、彼女たちの為に、己の全てを使い果たす。
──なら、彼女の言葉にはどうやって応えればいい?
あなたが好きです。それは間違いなく好意の、それも衷情のこもった言葉だ。
彼女からはあれ以降何も言われていない。迷っている俺の意志を汲んでくれたのだろう。
俺は──ケイエスミラクルを、彼女をどう思っている?
彼女を守りたい。彼女を壊したい。
一体どちらが本当の俺なんだろう。もしくはどちらも本当の俺なのか?
「はぁ、はぁ……終わりました」
「ああ……」
走り終わった彼女に次の指示を出そうとしたのだが呂律が回らない。遠くからゴンゴンと耳鳴りに似た頭痛が押し寄せてきて、立ってるので精一杯だ。
「トレーナーさん?どうかしましたか?」
「……」
「トレーナーさん!」
──────。
意識、が、とおく、
▫▫▫▫▫
過労が祟って倒れたらしい。彼女には迷惑をかけてしまった。
いよいよもって俺の存在意義が分からなくなってきた。彼女に尽くすことこそが俺を俺たらしめていたというのに、結果がこれ。支えるどころか足を引っ張っている。
「…………もう、ダメか」
繋がれた点滴を眺めながら呟く。
「トレーナーさん?入っていいですか?」
「ん……ああ、いいぞ」
ノックされた後、ミラクルが部屋に入ってきた。
「すみません。おれがもっと早くから気づけていれば……」
「……本当に優しいな、お前は」
勝手に倒れたのは俺で、責任も俺にある。お前が気に負う必要は無いというのに。
わざわざ病院まで来てくれたことへのお礼も兼ねて、言葉を絞り出す。
「悪い。俺、勝手に無理をしていた」
「そんな、謝らないでください」
胸を衝くのは罪悪感と後悔。どれだけ悔やんでも状況は変わらない。だが、どれだけ思惟しても思考は堂々巡りを繰り返すだけでどん詰まりだ。
約束は守る。これは俺の絶対だ。何があろうとも最後まで彼女を見守り続ける。
その為にも……こんなところで立ち止まっているわけにはいかない。
「謝るついでになんだが、仕事道具を持ってきてもらえないか」
医者からは二週間程度入院しろとのこと。仕事も当然禁止されているのだが、そうも言ってられない。
「……トレーナーさん」
「なんだ?」
「…………こらっ」
怒られている、と認識するにはかなりの時間がかかった。
あまりにも優しい声色。ゆっくりと説き伏せるような、そんな一言だった。
「今はあなたの体が最優先です。休みましょう。……ね?」
▫▫▫▫▫
それからはミラクルが毎日見舞いに来てくれるようになった。その間にもトレーニングは欠かしてないようだから、負担をかけさせてしまっているのではないかと危惧したがそこは大丈夫らしい。
「なにか、してほしいことはありませんか?おれにできることならなんでもしますよ」
「…………ほん」
「え?」
「………………絵本、読んでくれないか」
前々から聞かされていたことで絵本の世界に興味を持っていた。せっかく何かしてくれると言うのだ。甘んじて享受させてもらおう。
▫▫▫▫▫
「──こうして、二人はいつまでも幸せに暮らしました」
「…………」
「トレーナーさん……?寝てる……」
トレーナーさんたっての要望ということで絵本の読み聞かせをしていたら、トレーナーさんは途中から眠っていた。
「…………」
……たくさん、心配させちゃったな。過労になるまで無理もさせてしまった。……おれの所為で。
このヒトは気にする必要は無いって言ってくれたけど、おれにも責任の一端はある筈だ。
「……今は、ゆっくり休んでください」
眠っているトレーナーさんに呟く。おれが背負わせてしまった重荷を、この休みで少しずつ取り除けるように。
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じっとしているのは苦痛だ。何か体を動かしていないとという強迫観念に駆られる上に、あの時のことを考えてしまうから。
ケイエスミラクルはそれでもいいと言ってくれた。それでも俺の心に嘘偽りは無いと。
「…………」
入院して一週間が経過。病院内であれば自由に散策できるようになったため、点滴のスタンドと一緒に歩く。
病院だから当然だが、ここには多くの命が流れ着く。他のヒトと同じように生きられないヒト、今、正にその灯火が消えかけているヒト。
俺は恵まれている。当たり前のように健康な肉体で生まれ、当たり前のようにそれを受け取っていた。それを身勝手な過労で潰しかけてしまったことに改めて恥じ入るばかりだ。
「トレーナーさん?もう歩いて平気なんですか?」
「少しくらいならな」
ロビーで一休憩しているとミラクルがちょうど居合わせた。個人的に今一番会いたくなかった。
というのも、気持ち悪い話だが自由にしているとミラクルからの言葉について考えてしまうからだ。
「今日も絵本持ってきたんですけど……読みますか?」
「…………じゃあ、お言葉に甘えて」
彼女に支えてもらいながら病室まで歩き出す。
……彼女は、何故こうまで俺に尽くしてくれるのか。
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考えれども答えが分からない。俺はミラクルをどう思っているのか。
自分の心に向き合うということ。単純で、なにより難しいことだ。
彼女は俺のどこが”好き”なのか、それすらも分かっていない。本人に聞くのが一番だが、そんな質問をわざわざできるわけもない。
それに、彼女は俺があくまで『トレーナー』であることを理解した上で返事は聞かずにいてくれている。
俺はそんなミラクルの傷ついた姿が”好き”だ。どうしようもなく。
だがそれと相対するように彼女を守りたい俺もいる。それは変わらない。
ケイエスミラクルは一走一走ごとに全てをかけて戦っている。
俺が支えないと危なっかしくて見ていられない。だから俺は彼女の担当になったのかもしれない。
それでも。たとえ俺が破滅を望んでトレーナーになっていたとしても。
逃げるな。自分に、そして彼女に向き合え。
俺の罪も、享楽も、全部ひっくるめて俺はトレーナーをやっているのだから。
▫▫▫▫▫
「ミラクル」
「はい、なんですか?」
「俺、トレーナー続けるよ」
「……!……そうですか。よかった」
この仕事を続ける旨は前もって伝えてあるが、それでも改めて言うことにした。
ケイエスミラクルが笑う。儚げで、俺の求めていた笑顔。
入院して二週間が経過しようとしている。退院はすぐそこだった。
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特別明るくなったわけではない。だけど、トレーナーさんの中で何か大きな変化があったのは間違いなかった。
「……今日で絵本を読んでもらうのも終わりか」
「?言ってくれればいつでも読みますよ?」
「………………じゃあ、俺が退院した後も頼んでいいか?」
「はい。もちろんです」
おれから何かさせてもらえることが増えたのは嬉しい。いつもおれの為に頑張ってくれているトレーナーさん。読み聞かせが心の癒しになってくれたなら、言うことは無い。
……ああ、やっぱり、
おれは、トレーナーさんが好きだ。
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世話になった先生や看護師さんに礼を言い、俺は無事退院した。
同じ轍は踏むものか。これからは自己管理も徹底する。
「……やっと戻ってこられたか」
「……おれが言えたことじゃないですけど、もう無理はしないでくださいね」
そうだ。俺は無意識下に自罰的な感情で己を追い詰めていた。ミラクルにその牙が向くことを恐れて。
それももう終わりだ。自分の心には全身全霊を以て向き合う。
「改めてだけど、ありがとうな。……本当に、お前には感謝してもしきれない」
「いえ、そんな。……おかえりなさい、トレーナーさん」
「ああ。ただいま」
今日からまた、俺たちの旅路が始まる。
▫▫▫▫▫
『一着はケイエスミラクル!なんという速度だ!』
実況の驚愕した声が聞こえる。自分が育てたウマ娘にそう言ってもらえるのは喜ばしいことだ。
「よくやったな、ミラクル。ん」
「……はいっ!」
ウイナーズ・サークルから戻ってきた彼女の拳とこちらの拳を突き合わせる。
ミラクルは強くなった。心身共に。
刹那的な生き方しかできなかった彼女と、その破滅を望んでいた俺。ある意味最高で、最悪な巡り合わせだった。
それでも一歩ずつ、少しずつ彼女は変わっていく。それに取り残されることは──寂しくもあるが喜ばしくもある。
俺は今も変われていない。彼女の笑顔、彼女の絶望。どうしても両極端の現実を切望してしまう。
だとしても向き合うことは止めない。俺の罪は、俺だけのものだ。
「──────!」
ウイニングライブが始まり、観客は目を見開いて今日の主役を称える。
彼女は無事に歌って踊っている。万が一のことに備えて色々と準備はしていたがその必要は無さそうだ。
ライブは大成功に終わり、それぞれがそれぞれの帰路についた。
▫▫▫▫▫
「今日のレース、どうでしたか?」
「ん……ああ、練習通りできて百点満点のレースだったぞ」
帰り道を歩きながら今日のレースを振り返る。いつもならどこか修正点を見つけていたが、今日は万事欠落無しの良いレースだった。
「体、冷えてないか」
「はい。大丈夫です」
彼女と話す。彼女と語らう。それだけで心は綺麗に澄み渡っていて────ああ、そうか。こんな、こんな単純なことで、よかったんだな。
俺は、彼女が傍にいてくれているだけで幸せだったんだ。
「嫌だな」
「え?」
こんな感情を得てしまった以上、もうどうしようもなかった。俺はどうしようもなく彼女に惹かれていて──
「お前のいないトレセン学園は嫌だ」
「…………」
ミラクルは顎に手をかけ思案している様子。
彼女がいなくなるのが嫌だ。いつか来る別れが、忌々しく感じて仕方がない。
「…………また」
「?」
彼女がこちらに向き直る。ほんのり赤らんだ頬が、青い髪によく映える。
「また、会いませんか?おれが大人になったら、また」
「ああ……。…………ああ!」
──よかった。今の俺たちには、その約束だけで十分すぎた。
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ノートを捲る。思えば、この数年間色々なことがあった。
無理をする彼女を引き止められなかった罪、倒れた彼女に喜びを感じてしまった罪……数えだしたらきりが無い。
彼女は走る。ウマ娘だから。恩返しをしたいから。だけどこれからは違う。
夢を乗せて、希望を乗せて、青い鳥は羽ばたき続ける。何度でも、彼女がウマ娘である限り、ずっと。
「トレーナーさん?」
「ああ悪い、すぐ行く」
ノートを閉じて、俺は立ち上がった。
▫▫▫▫▫
「すみません、待たせちゃいましたか?」
「いや、俺も今来たばかりだ」
「そうですか、よかった」
顔を見合わせて、少し笑う。
「あはは、なんだか久しぶりでちょっと緊張してたみたいです」
「いや……そうだな、俺も」
「……やっぱりかわいいなぁ。トレーナーさんの笑顔」
「え?」
「いや、なんでもないです」
伝える言葉は決まっている。俺は──
「──あなたが好きです、トレーナーさん」
「ああ。俺は────」
俺は────
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お前が好きだ。
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お前の思いには応えてやれない。