下心バキバキトレーナーがトウカイテイオーに改心させられる話   作:散髪どっこいしょ野郎

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弱酸性トレーナーとドリームジャーニーの話

「あれ!?ジャーニー!?ジャーニーじゃんか!おーい!」

 

 

 喜色満面の笑みを湛え、此方に手を振る彼。彼の善性はよく知っている。ええ。よく知っているとも。

 

 

「お久しぶりですね。今は──トレーナーさんとお呼びするべきでしょうか」

 

「ああ。じゃあ、それで頼む」

 

 

 彼とは旧知の仲だった。

 

 

「やっぱりお前もトレセン学園に来てたかー。オルフェは元気か?」

 

「はい。オルも依然、変わりなく」

 

「そーかー……。あ、そういえば俺用事があったんだ。またな!」

 

 

 そう言いながら駆けだしていく。小さく手を振りながら、私は思考を巡らせていた。

 

 ……彼はトレーナーになったのか。であれば、早急に手を打たなくては。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

「俺がお前のトレーナーに?」

 

「ええ。是非」

 

「うーん……一回走りを見てからでいいか?」

 

 

 この(かた)ならそう仰るだろうと思っていた。全てが想定の範囲内。

 

 今日のために調整は済ませてきた。後は己が信念をぶつけるのみ。

 

 

「いやあ~お前の走りを見るのも久しぶりだな。正直楽しみだ」

 

「ふふッ。それはそれは。光栄なことです」

 

 

 談笑を交えながら歩き、トレーニング場に到着。タイミングがよかったのか、辺りには誰もいない。

 

 気負わずに、しかし真剣に目の前のレースに集中する。仮想敵はいらない。これは私だけの走りだ。

 

 

「はあッ────!」

 

「……すっげぇ」

 

 

 些末な不安があったものの、彼の反応の前ではその考えも消え失せた。

 

 100%の実力は示せた。後は返答を待つのみ。

 

 

「よし、それじゃこれからよろしくな!ジャーニー!」

 

「ええ。……末永く」

 

 

 ……ああ。やはり。彼は無垢なまま変わっていない。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 俺の初めての担当ウマ娘になったのは昔付き合いがあったドリームジャーニーだった。

 

 改めて彼女の走りを見ると、やはり素晴らしい素質が備わっていた。俺はまだまだ新米の未熟者だが、彼女の夢を叶えるために頑張ろうと思う。

 

 ……旅の果て、か。

 

 

「姉上に担当がついたと聞いて来てみれば……なんだ、貴様か」

 

「あれ、オルフェ?」

 

 

 トレーナー室で仕事に追われていると、オルフェーヴルがやってきた。ジャーニーと同様に付き合いはそこそこにある。

 

 

「……やっぱり、俺じゃ頼りないかな?」

 

「よい。貴様がトレーナーなら、姉上も本望であろう。精々励め」

 

 

 いつになく優しい言葉をかけられる。……やっぱりこの姉妹は纏うオーラが凄いな。

 

 それだけ言ってオルフェは出て行った。さて、俺も仕事に集中しないと。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

「いやあ~よかったぞー今日のレース!次もこの調子で行こうな!」

 

「お褒めに預かり光栄です」

 

 

 メイクデビューは無事ぶっちぎって勝った。長い旅路の始まりを切るには最高の走りだった。

 

 トレーニングの成果は出ている。彼女の走り方に合わせた指導によって、留意事項だったスタミナ問題も解決。まあ今回のレースはマイルなのだが。

 

 目指すは三冠路線。その足がかりとして次に出走するレースは決めてある。今のところはそれに向かって尽力すればいい。

 

 

「にしてもあれだな~。こうやって二人で帰るのも懐かしいな。もう今はあの時みたいに無邪気じゃないけど」

 

「そうでしょうか。確かに季節が巡るにつれヒトは変わるものです。しかし貴方は変わらず純粋だ。……ふふ、おかわいらしい」

 

「……なんかそう言われるとムズムズするな」

 

 

 そんなに俺成長してないのか?これでも大人になったつもりなんだが……。

 

 

「ご安心を。貴方は素晴らしいトレーナーです」

 

「……なんで言ってないのに分かったんだ?」

 

 

 ドリームジャーニーの家庭と俺はそれなりに深い仲だ。家が近所だったこともあり、昔はよく遊びに行った。

 

 だから考えてることがバレてしまうのも、まあそういうことなんだろう。

 

 

「夕飯どうする?奢るぞ?」

 

「では、お言葉に甘えて──」

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

「ふぅ~……。ちょっと休憩するか」

 

 

 黙々と仕事に打ち込んでいるといつの間にか夜になっていた。

 

 次に出るのは朝日杯フューチュリティステークス。いきなりのGⅠだ。そのためにやれることは全部やっておきたい。

 

 伸びをすると体のそこかしこから音がする。そういや最近運動してないな。……せっかくだし夜風に当たるついでにランニングでもするか?

 

 そうと決まれば話は早い。部屋を出て学園のホームに出ると──偶然にもジャーニーに遭遇した。

 

 

「おや、トレーナーさん。いかがなさいましたか?」

 

「ちょっとばかし外走ろうと思ってな」

 

「そうですか……この後に何かご予定は?」

 

「?特にないけど」

 

「でしたら、カモミールティーを淹れてお待ちしております」

 

「いいのか?」

 

「はい。ちょうどそのために貴方を探していましたから」

 

「よし、じゃ、行ってくる!」

 

 

 外の空気はカラッとしていながら冷たくて気持ちがいい。

 

 彼女が淹れるカモミールティーは美味い。それを楽しみにしながら、俺は走りだした。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

「…………ッッ!」

 

 

 大歓声が響き渡る。当然だ。GⅠレースの一着ともなれば浴びる注目も大きい。

 

 この勝利でジャーニーは新世代の顔となった。

 

 思わず武者震いがする。これから三冠に向けてどのように育てていこうか。

 

 

「お疲れ、ジャーニー」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 

 短く言葉を交わし、ウイニングライブの準備に入る。ダンスレッスンとボイトレは仕上げてあるから問題は無い。彼女の消耗具合によっては時間を置くことも考えられたが、その心配も必要なさそうだ。

 

 ……ジャーニーの傍は居心地がいい。あのヒトたちみたいに声を荒げたりはしないから。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 それはとある昼時の出来事だった。

 

 指示に従いコースを何周か走り、彼の元へ戻ると彼は苦しげに胸を押さえ俯いていた。

 

 

「トレーナーさん?」

 

「……っ、ああ、ごめん。大丈夫だから」

 

 

 そうは言うものの顔色が悪い。持病だろうか。いずれにせよ心配の念は尽きない。

 

 

「ご体調が優れないのであれば保健室までお連れしましょうか」

 

「いや……大丈夫。これはそういうんじゃないんだ」

 

 

 何が原因なのか。辺りには他の方々もいる。──すると、その声は耳をすませるまでもなく聞こえてきた。

 

 聞こえてきた方向へ目をやると一人のウマ娘がトレーナーに叱られていた。それなりに大声だったため、注目も浴びている。

 

 

「悪い……ちょっと、動悸が……」

 

「…………」

 

 

 背中をさする。こうすることで少しでも楽になってくれればいい。

 

 恐らくトリガーとなったのは怒鳴り声。あの頃のトラウマを再び呼び起こされているのだろう。

 

 彼の家は家庭不和が多く、喧嘩の声が聞こえてくることが頻繁にあった。その度に彼を我が家に預けさせられることも。

 

 以上の理由から、彼は怒声を嫌うようになった。

 

 

「……ありがとう。ちょっと落ち着いてきた」

 

 

 良くも悪くも付き合いの多かった我が家と彼の家は、離婚という形で離れることになった。

 

 この方は母方に引き取られ引っ越した。私と会うことは二度とない──筈だった。

 

 もう会えないと思っていた彼が、今、トレーナーとして目の前にいる。なんという僥倖、なんという奇跡。

 

 しかし私が思っている以上にこの方の傷は深い。幼少期に負った苦痛は大人になっても忘れ難いということか。

 

 この学園で昔の彼を理解しているのはオルと私の二人のみ。とはいえ引っ越してからのことは私でさえも知るところではない。

 

 ──この方は、無事に育ったのだろうか。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 歓声に包まれながら、自らの裡に熱を持ったのを感じる。

 

 皐月賞。私は一着でゴールした。

 

 ″アネゴ″が体感した″一筋の黄金″を確かめるには″嵐″との対峙が必要不可欠。今のところそれらしき影は見えないが────確実に私の道を塞ぐ嵐は存在している。

 

 

「お疲れ、よくやったなジャーニー!」

 

 

 そう言うと、彼は開いた手を掲げた。……一体何故?その真意を測りかねる。

 

 

「……?」

 

「……ハイタッチのつもりだったんだけど。子供っぽかったか?」

 

「────。……ふふッ。いいえ」

 

 

 背を伸ばし、掌を打ちつける。予想以上の快音に、彼の頬は緩んだ。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 とりあえずは順調だ。来たる日本ダービーに向けて追い込みをかけている。

 

 彼女の言う″黄金″は……今は分からないけど、走り続ける限り理解を止めたくない。

 

 ここで間違いなく壁となってくるのはウオッカの存在だ。あの子は、強い。対策も練っておかなければ。

 

 大丈夫、大丈夫だ。俺とジャーニーならきっと──

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 ウオッカに、負けた。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 結果は、敗戦。だが得たものは大きい。

 

 ″嵐″たるウマ娘との対峙にて、確信した。このままでは私は埋没していくと。シニア期にまでこの脚は通用しないと。

 

 これから先の旅路はより厳しいものになる。彼はついてきてくれるだろうか──愚問だ。

 

 ひとまずは、状況確認。

 

 トレーナーさんと現状の問題を把握するため、控え室に戻ると、

 

 

「失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した────」

 

「────」

 

 

 悪寒が全身を包み込むのを感じる。この方のそんな様子は今まで見たことがなかった。

 

 うわごとのように失敗したと連呼し、俯くトレーナーさん。

 

 そう、私は──彼のことを本当の意味で″理解″していなかった。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した────」

 

 

 失敗した。

 

 彼女は慢心するような性格ではない。特に不調だったわけでもない。

 

 ならばこの決着は、俺の力不足。

 

 新人だから、なんて言いわけにもならない。彼女を支えると誓ったあの日から俺はプロだ。

 

 であれば、求められることはただ一つ。どんな結果になろうとジャーニーを支え続ける。それだけだ。

 

 だが──敗北というものは存外に苦しいものだった。絶対の信頼を置いていた脚が敵わなかったのだから。

 

 

「失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した────」

 

 

 このままじゃ、俺はまた────

 

 

「トレーナーさん」

 

 

 吹き付ける音が聞こえる。この香りは──

 

 

「ジャーニー?どうしたんだ?」

 

「……貴方が、悩んでいらしたようなので、気付けにと」

 

 

 ジャーニーの纏う香りに包まれる。彼女がいつも持ち歩いている香水を軽く吹きかけられていた。

 

 ……やれやれ。俺は自分を責めるのに必死で彼女のことを何も慮っていなかった。

 

 

「……ありがとう。それで、話があるんだが──」

 

「はい。私からも、一つ」

 

 

 話の内容は一緒だった。次の目的地に向かうために決意を固めた一幕だった。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 時代の精鋭たちを前に埋もれてしまわないためどうしようかとトレーナー室で二人頭を悩ませていると突然の来訪者が現れた。

 

 メジロマックイーン。超一流の相手を前に身構えていると、来訪者は一通の手紙を差し出した。

 

 そこに書いてあったのは、アネゴ──ステイゴールドからの提言。

 

 

『メジロ家を頼ってみろ』

 

 

 要約するとそんなところらしい。メジロ家の方も歓迎してくれるムードだったため、渡りに船という形で助力を願ってみることになった。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 隠密(ステルス)マックイーン訓練(トレーニング)という名称にはなんともいえないものを感じるが効果は絶大だった。

 

 衰退しつつあるとは(いえど)も流石はレースの名門家。彼女を取り巻く(えにし)には感嘆させられるばかりだ。

 

 今なら確かに言える。ジャーニーは壁を越えた。

 

 次のレース──菊花賞も、今の彼女なら上手くいくと思う。

 

 いや……″思う″なんて曖昧な言い方は違うな。

 

 ドリームジャーニーは勝つ。間違いなく。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

「────ハッ!」

 

 

 いつの間にか眠っていた。部屋には仕事関連の物──資料だったりデータだったり──が散らばっている。

 

 おもむろに窓の外を眺めるとすっかり夜の帳が降りていた。

 

 しばらく、思惟に入った。

 

 俺はジャーニーの役に立てているだろうか。過不足は無いだろうか。

 

 考えれば考えるほどドツボに嵌まる。

 

 言いようのない不安。あの頃のような──父さんと母さんが喧嘩をして、ジャーニーの家に預けられていた頃のような無力感。

 

 どれだけ優秀な成績を収めても、あの頃の景色がいつまでもついて回る。

 

 そして俺はとうとう、日本ダービーにて失敗した。

 

 怖い。これじゃ俺はまた、す────

 

 

「夜更かしは体に障りますよ」

 

「……っ、ジャーニー?」

 

 

 いつの間にか部屋の中にジャーニーが来ていた。

 

 

「帰ったんじゃなかったのか?」

 

「その前に一度顔を出しておこうかと。……そしてやはり、貴方は無理をしている」

 

 

 無理をしていると言われてもこれぐらいの仕事は他のヒトだってやっていることだ。それに俺は途中から居眠りしていた。これじゃとても頑張っているとは言えない。

 

 

「……そろそろ門限だ。早く帰った方がいい」

 

「貴方が帰るのであれば、私もそうします」

 

 

 ……?なんだろう、今日のジャーニーはやけに押しが強いな。まあ帰ってからも仕事はできるか。

 

 

「約束をしましょう」

 

「約束?」

 

「はい。今日は私も貴方も、ゆっくり眠る。そう決めませんか?」

 

 

 ……やっぱりジャーニーには敵わないな。それを痛感させられた日だった。

 

 

「……分かった」

 

 

 そう言って小指を差し出すと、何故か彼女はキョトンとした様子で此方を見る。あ──、

 

 

「……子供っぽいか?」

 

「……ふふッ。いいえ」

 

 

 お互いの小指を絡ませる。指切りげんまん、というヤツだ。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 菊花賞の日。俺は控え室で緊張を隠せないでいた。

 

 今日まで全力でバックアップをしてきた自負はあるが、それに誤りはなかったか。そんな思考がいつまでも首をもたげる。

 

 緊張していながらこんなことを言うのはおかしいかもしれないが、恐らく……というか確実にジャーニーが勝つ筈だ。これで負けるのであれば俺の落ち度が100%だ。

 

 息を吸って、吐く。そのやり方さえ曖昧になり、何度も呼吸を繰り返しながら喉の奥が詰まるような圧迫感に襲われる。

 

 

「緊張、していますか?」

 

「……悪い」

 

 

 走るのは彼女なのに見守る側がビビっていてどうする。全くみっともない。

 

 

「私もしますよ、緊張」

 

「そうなのか?」

 

 

 なんだか意外だった。いつも極めて冷静に事を運ぶ彼女が、そうなるとは思わなかった。

 

 

「ジャーニーはそういう時どうしてるんだ?」

 

「そうですね……様々な手法がありますが一番は香水をつけることでしょうか」

 

「そうか……」

 

 

 香水か。俺もフレグランスショップに行ってみるかなぁ……。

 

 そんなことを考えていると、スモーキーな香りが近づいてきていた。

 

 

「……ジャーニー?」

 

 

 彼女はそっと微笑むと、

 

 

「私を、見ていてください。今日の勝利は貴方にお捧げします」

 

 

 俺の目を見て、そう言った。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 よかった。よかったよかったよかった。ああ、本当によかった。

 

 ジャーニーは無事菊花賞を勝利に収めた。

 

 結果は出ている。ならとりあえず今は大丈夫だ。

 

 次に目指すは春シニア三冠。俺ももっと努力しなければ。

 

 大丈夫、大丈夫だ。まだ俺は彼女に必要とされている。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

「うー、さむさむ……帰ったらなんか(ぬく)いもの飲もう」

 

「であればコーヒーはいかがでしょう。ちょうどカフェテリアのものを入手しましたから」

 

「お、いいな。じゃあそうしよう」

 

 

 二人並んで言葉を交わしながら商店街を歩く。

 

 新春ということもあり外は中々寒く、指先は既にかじかんでいた。

 

 ……良し。まだ俺たちは道を違えてな──

 

 

「おい」

 

 

 心臓が跳ねる。

 

 背後から聞こえてきたその声は、間違いなく俺を呼ぶものだ。その正体を俺は知っている。もう何年も会っていないが、この声は、

 

 

「──父、さん?」

 

 

 当たり前のことだが、記憶より老いていた。だが威圧的な声帯は今になっても変わらないようで。

 

 

「金」

 

「……は?」

 

「金。あんだろ。育ててやっただろ」

 

 

 一瞬、何を言っているのか分からなかった。かね、カネ、とは、お金のことだろう。

 

 担当ウマ娘の前でこんなこと言わないでくれ、とか、あんたが俺をどう育ててくれたのか、とか、思うことは山のようにあったが、それ以上に。

 

 久しぶりに再会した親子の話がこれか。

 

 呼吸が浅く早くなっていくのを感じる。

 

 とりあえずこの状況をどうにかしなければ。せめてジャーニーだけでも学園に──

 

 

「少々お付き合い願えますか?そう時間は取らせませんから」

 

「んあ?あんたが金くれんのか?」

 

 

 沈黙を破ったのはジャーニーだった。

 

 ダメだ。彼女に余計な重荷を背負わせるわけには……

 

 

「だ、ダメだ……ジャーニー……危ない……」

 

「大丈夫です。──すぐに終わらせてきますから」

 

 

 二人は路地裏へ消えていく。意識はうるさくせき立てるのに、体がいうことを聞かない。

 

 数分経過して、ようやくまともに呼吸ができるようになった。二人の後を追わなければ──

 

 ──と、動き出した俺が見たのはどこか狼狽した様子で走り去っていく父さんの姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 悪意にはニオイがある。……ああ本当に、困ったものだ。コバエはすぐに群がるのだから。

 

 しかしどんな人物であろうと彼にとってはたった一人の父親。私にとってはコバエでも、あの方にとっては大切な存在かもしれない。いささか浅慮が過ぎるが、それ以上に許せなかった。

 

 耐えられなかった。純朴な彼が踏み躙られることを。

 

 

「申し訳ありません。出過ぎた真似を」

 

「いや……ありがとう」

 

 

 少し″話″をした。釘を刺しておいたため、もう彼の父親が現れることはない。

 

 ひとまずこれで問題は解決したと、私は浅くも思い込んでいた。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 あの日から、彼は輪をかけて仕事に打ち込むようになった。トレーナー室で寝泊まりすることも頻繁に。

 

 発覚しないように表面上は取り繕っていたものの私には分かる。それほどまでにあの方は消耗していた。

 

 噛んで含めるように休息の必要性について説いてみても効果無し。休みやすいように根回しをしてみても頑なに働き続ける。他の方の手も借りるべきかと悩み始めた時、事件は起こった。

 

 

「手伝います」

 

「いいっていいって。いつも頑張ってくれてるんだからこれぐらいはさせてくれよ」

 

 

 私たちはトレーニングに使用した道具を片付けようとしていた。空は赤く、冷たい風が吹き荒れている。

 

 

「……トレーナーさん?」

 

 

 彼の様子がおかしい。目の焦点が合っていない……ように見えるのは気のせいか?

 

 

「…………」

 

「トレーナーさん!」

 

 

 直立不動になったかと思えば、支えを失ったように彼は倒れた。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 咄嗟に倒れ伏す彼の体を抱き止めたことで怪我は無かった。

 

 医者の話によると過労がたたって倒れたとのこと。

 

 ……この責任は私にもある。無理をする彼を知っていながら手をこまねき、結果この事態に至らせてしまった。

 

 下された措置は二週間程度の入院。病室へ赴くと、彼は妙に狼狽えていた。

 

 

「本当にごめん、ジャーニー。もうこんなことは起こさせないようにするから、だから」

 

 

 訴えるように謝罪を述べるトレーナーさん。やはり様子がおかしい。

 

 

「……謝るのは此方の方です。申し訳ありません。私が傍におりながら──」

 

「違う!」

 

 

 瞠目する。何故ここまでこの方は取り乱しているのか。

 

 

「俺が……俺の所為なんだ。勝手に無理して、ジャーニーを巻き込んで……。で、でももう直すから、ちゃんとするから、だから……。……」

 

 

 まくし立てていたかと思えば尻すぼみになっていく言葉。

 

 ……ふむ。この方は──

 

 

「トレーナーさん」

 

「……なんだ?」

 

「貴方は──恐れているのですか?」

 

「……っ!」

 

 

 勘は当たったようだ。彼は怖ず怖ずと口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 両親が離婚して、俺は母さんと一緒に引っ越すことになった。

 

 母さんは気は強かったけど優しかった。シングルマザーとして俺のために昼夜問わず働き、めいっぱいの愛情を注いでくれていた。

 

 ある日。母さんは『パンを買いに行ってくる』と告げ出て行った。

 

 それから何時間経っても、何日経っても、母さんは戻ってこなかった。

 

 俺は捨てられたのだ。

 

 両親が喧嘩をする度に、俺が出来損ないだからなのかと考えていた。出来損ないだから、俺は捨てられたのかとも。

 

 だから国内最難関(トレーナー)を目指した。

 

 

「だから──怖い。頑張らないとまた捨てられるんじゃないかって、どうしても思ってしまうんだ」

 

「私は貴方を見捨てたりなどはしません」

 

 

 ジャーニーは真剣な目つきでそう言う。……信じて、いいのか?

 

 トレーナーとして名を上げれば母さんも帰ってくるのでは、なんてささやかな期待を込めたこともある。

 

 そんな甘っちょろい考えを、大人になった今でも捨てきれずにいた。

 

 そんな俺を、彼女は見捨てないと言うのか?

 

 

「……本当に、俺を捨てない?」

 

「はい。決して」

 

「俺のこと、見限ったり、しない?」

 

「はい。貴方は私にとって唯一無二のトレーナーです」

 

 

 話し込んだら眠くなってしまった。少し眠ろう。起きたらまた、仕事をしよう……。

 

 ……母さん。なあ母さん。捨てるならどうして俺を愛してくれたんだ。あなたの所為で、俺は今も渇き続けている。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 二週間指導を受けられないのは痛手だったが、調整もまずまずに大阪杯の日を迎えた。

 

 彼への認識を一つ改めよう。

 

 彼は変わらなかったのではない。変わることができなかったのだ。

 

 いがみ合う両親に、失踪した母。

 

 彼の穴は埋められない程に深く、広い。

 

 そして彼は少なからず私に依存している。

 

 

「──それでは、往こうか」

 

 

 今、私が伝えたいこと。それはあの方は『出来損ない』などではないということだ。

 

 感謝も敬意も、この脚で示す。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 いい加減切り替えろ。俺たちの旅路に俺の家事情を持ち込む必要は無い。

 

 ……さて。今回のレースは無事一着だった。

 

 俺が入院していた二週間分のトレーニングを自分でやってくれていたことについては本当に感謝してもしきれない。

 

 次は──天皇賞・春。猶予は短いができる限りの手は尽くそう。

 

 

「トレーナーさん」

 

「なんだ?」

 

「目に焼き付けていただけましたか?」

 

 

 彼女の視線に介在するオーラ。もはや威圧的なまでのそれに対し、俺はどう答えるか。

 

 

「今回の勝利は、私一人の力によるものではありません。貴方がいたからこそ、成し得たものです」

 

 

 ……ああ、本当に。彼女には敵わないな。

 

 

「……ああ。よく焼き付いたよ」

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 『もう体を壊す程の無理はしない』と約束したため以前のような仕事人間にはなれないが、それでもギリギリのラインを突いて働いていた。

 

 外は暗い。同じ轍を踏まないためにもそろそろ帰るか──と思い始めた時、その子は現れた。

 

 

「おい、貴様」

 

「……オルフェ?」

 

 

 ジャーニーならもう自室に帰っている。入れ違いになったのか?──と、とぼけた思考をしているとオルフェーヴルは一気に切り込んだ。

 

 

「何があったかは知らんが──分かっているだろうな。姉上は貴様の人形などではない」

 

 

 ──姉妹揃って恐ろしい勘だ。俺が過度にジャーニーに対して入れ込んでいることを看破されたらしい。

 

 

「ああ。そうだな」

 

「……ゆめ忘れるな。貴様は姉上の杖であり、毒ではない」

 

 

 そう言い残すと足早にオルフェは去って行った。

 

 

「……分かってる」

 

 

 分かってる──つもりだ。

 

 俺の親はクズだと、多分世の中の大半が思うだろう。それでも考えてしまう。俺は親不孝者なのだろうかと。

 

 彼女は代替品なんかじゃない。だけど、その度、求めてしまう。

 

 こうもままならないとなると……困ったな。

 

 母さんが戻って来られるようにするため?違うだろ。誰か傍にいてほしい、誰かに必要とされたい。所詮俺の根っこはその程度だ。

 

 

「ジャーニー」

 

 

 相棒の名前を呼ぶ。ドリームジャーニー。俺の初の担当ウマ娘。

 

 

「……帰るか」

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 いつの間にか春のファン感謝祭の時期になっていた。

 

 彼女はバラエティレースなどで大活躍し、ファンサも十分に日を終えた。

 

 

「お疲れ、ジャーニー」

 

「はい」

 

 

 どうやら今日の出来事はジャーニーにとって実りのあるものだったらしい。纏う雰囲気からそれを確認できる。

 

 

「ファンのヒトたちと関わってみてどうだった?」

 

「そうですね……。……とても、多くのことに気づかされました」

 

「……よかったな」

 

「ええ。本当に……よかった」

 

 

 ジャーニーは変わった。ファンの方々との交流で、アネゴのフォロワーとしてではなくただ一人のウマ娘、ドリームジャーニーとして走るようになっていった。

 

 俺もいい加減変わらないと。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 天皇賞・春。メジロマックイーンとメジロブライトからの激励を受け、彼女は進んでいく。

 

 

「ただいま帰りました。……トレーナーさん?」

 

 

 ウイナーズ・サークルで佇むジャーニーの元へ向かうと、何故か彼女は不思議そうな目でこちらを見ている。

 

 

「どうかしたか?」

 

「……お気づきでないのですか?」

 

「え?────あ」

 

 

 俺の双眸は壊れたように涙を流し続けていた。潤む視界に、何故今まで気づかなかった?

 

 

「一度控え室に戻りましょうか」

 

「あ……いや、俺のことは気にしなくても」

 

「戻りましょう」

 

 

 有無を言わさず右腕を掴まれ、随伴するような形で俺はその場を去った。

 

 

「ごめん、ジャーニー。せっかくの晴れ舞台なのに」

 

 

 控え室の椅子に座りながらそう言い終わるより早く、彼女の重厚な香りに包まれる。

 

 

「じゃ、ジャーニー!?」

 

「貴方は思い違いをしているようだ。私は貴方の存在を重石に思ったことなど一度もありません。今日、この日に於いても」

 

 

 止まったと思った雫が再び溢れ出す。静かな涙が、頬を流れていった。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 これまでは″嵐″と相対することに楽しみを覚えていた。

 

 だが今はそれと同等に、ファンの方々の期待に応え──自らが″嵐″の一端になっていくことにも喜びを感じていた。

 

 そしてそのためには、彼の存在が必要不可欠。

 

 走る事、語る事、どちらもあの方に私の意向を伝えるための重要事項だ。

 

 私たちの″旅″はまだ途中。彼が欠けるようなことはあってはならない。

 

 いつか彼を極上の旅へ連れて行く──。……ああ懐かしい。昔の私はそんなことを考えていたのだったか。

 

 さあ、迎えるは宝塚記念。そこで多くのファンに応えると共に、彼に、示す。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 確信する。私は″嵐″たるウマ娘へと相成った。

 

 これほどまでに観客席が輝いて見えるとは、これほどまでに衝動が荒ぶるとは、かつての私では思いもしなかっただろう。

 

 ──決めた。

 

 私は年末の激戦、有記念にて勝利し、グランプリ連覇を成し遂げる。これは不変の意志だ。

 

 夢を見せよう。そしてこの旅を更に──

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 トレーナーさんと相談した結果、有記念を大目標にしつつ夏明けのレース、オールカマーに出走することになった。

 

 そして私は今、合宿所にいる。

 

 ……楽しみだ。この二ヶ月で、どれほど成長できるのか。

 

 私は、変わったのだな。

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 波打ち際から少し離れた砂浜に座る。漣の音は清涼で、聞いているだけであの頃の痛みを和らげてくれる。

 

 空には満天の星々が輝く。夢路のよすがにはおあつらえ向きだ。

 

 ジャーニーは(俺だけが)変わった(変わっていない)

 

 大人になったフリをしているだけだ。俺の『根』は、無力だったあの頃から何も変わっていない。

 

 

「なあそうだろ、ジャーニー」

 

「…………」

 

 

 音も無くやってきた彼女に問いかける。この世界でただ一人、俺を必要としてくれるウマ娘に。

 

 

「変わらないということは、そんなに悪いことでしょうか」

 

「なんだって?」

 

 

 思わず目を見開く。

 

 

「貴方は純粋だ。ヒトの諍いに傷つき、(他人)の栄光に泣ける」

 

 

 言葉を挟む気になれず、呼吸だけに神経が集中する。

 

 

「生きとし生けるものは皆変わっていくものです。良くも悪くも。しかしその中でも清くいられる貴方は──尊い」

 

「俺が、清い?」

 

「ええ」

 

 

 でも俺は、自己満足のためにジャーニーの手助けを無視して、暴走して、挙げ句の果てには倒れてしまった。

 

 

「貴方の行動理念は真っ直ぐだ。誰か──いえ、私に必要とされたいから、努力する。実に実直だ」

 

「……あまり褒められる理由じゃないけどな」

 

「いいえ。断じて。断じてそのようなことはありません」

 

 

 彼女が俺を肯定する度に、火花のような幸福が弾けるのを感じる。

 

 父さんにも母さんにも″見て″もらえなかった″俺″自身を、ようやく分かってもらえた気がして。

 

 

「私のために倒れるまで努力していただける方がいる。それが何よりも、私は嬉しい」

 

 

 面と向かって褒められるのは小っ恥ずかしいが、それ以上に認めてもらえることがこんなにも嬉しいとは思わなかった。

 

 

「貴方は私を構成する因子に組み込まれている。かつての私と、かつての貴方との思い出が私を作り上げているのです」

 

 

 ……確かに、昔、ジャーニーとオルフェと一緒にいた時は楽しかった。両親がいがみ合うのは辛かったが、それでも彼女たちがいてくれたおかげで寂しくはなかった。

 

 

「私たちの旅は佳境を迎えています。ですがこれからも旅は続く。……貴方も、ついてきていただけますか?」

 

 

 差し伸べられた手。なんともなしに、俺はその手を取った。

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 オールカマーを一着に抑え、とうとう有記念の日がやってきた。

 

 今日まで長い旅だった。しかしこれで終わりではない。

 

 強力なライバル──″嵐″となるのは、ブエナビスタの存在。

 

 だが心配は必要ない。なぜなら俺は彼女を信じているからだ。

 

 

「ジャーニー」

 

「はい、なんでしょう」

 

「信じてるからな」

 

「ありがとうございます。……もう一度お聞きしましょう。トレーナーさん、貴方はこれからも私についてきていただけますか?」

 

「当然」

 

「ならば──これは契約です。血と魂の……何者にも侵せない、破棄できない盟約」

 

 

 覚悟はとうに決めてある。この契約は、未来永劫続く絶対的なものだ。

 

 

「──貴方自身が、そう望んだのですよ。トレーナーさん」

 

「ああ。行ってこい」

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 ブエナさんとの一騎打ち。燃えるような、夢のような時間。

 

 ──ああ、私は、幸せだったのか。

 

 ……この旅で、いくつもの変化を見てきた。しかしあの方だけは変わらなかった。

 

 だとしても、これが私の″黄金″なのだと、今なら胸を張って言える。だからこそ、問おう。

 

 

「トレーナーさん」

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 グランプリ連覇を達成し、次なる旅に向けて俺たちは準備を進めていた。

 

 ……夢のようなレースだった。あの輝きは、一生忘れない。

 

 

「トレーナーさん」

 

「ん?」

 

「貴方にとっての″黄金″は……見つかりましたか?」

 

 

 これは俺だけの秘密だ。だがしかし、確かなものを掴んでいる。

 

 誰か大切な存在がいて、その子を支えたいと思えること、その子のために頑張りたいと思えたこと、それが俺にとってなによりの″黄金″だった。

 

 

「ああ。見つかったよ」

 

「そうですか……よかった」

 

 

 ジャーニーはそう言うと、柔らかく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

▫▫▫▫▫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、ジャーニー」

 

「はい、なんでしょう」

 

「結婚しないか?」

 

「式はいかがいたしましょうか」

 

「そうだな。じゃ──」

 

 

 

 

誰の話が一番よかったっスか……?

  • ゴールドシップの話
  • ヤエノムテキの話
  • ナイスネイチャの話
  • マンハッタンカフェの話
  • アドマイヤベガの話
  • メジロアルダンの話
  • マチカネフクキタルの話
  • ケイエスミラクルの話
  • シンボリルドルフの話
  • ドリームジャーニーの話
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