下心バキバキトレーナーがトウカイテイオーに改心させられる話 作:散髪どっこいしょ野郎
紅い。そこに理不尽は無い。俺の選択。その結果がこれなのだから。
これこそが、俺の求めていた宿痾。唯一にして最大の情識。
ハッピーエンドが好きだった。俺の世界にただ一つだけ許された救済だったから。
バッドエンドが好きだった。逃れようのない空想は、現実と似ていたから。
心残りは無い。
無い。
無い……いや、そういえば、
俺は、
ありがとうって、言えてたっけ……。
▫▫▫▫▫
「失礼します、トレーナーさん。今日は空が綺麗ですね」
花瓶の花は萎れていた。新しいものと取り替えて、清浄な水を注ぐ。
今、私が訪れているのはとある病院の一室。そこで眠っているのが、私のトレーナーさんだった。
彼は今日も穏やかな表情で目を閉じている。それを眺められるだけで、幸せだった。
幸せだった。彼を思い返せる、それだけで。彼を想える、それだけで。
「愛してる」
彼は眠り続けている。
「愛しています、トレーナーさん」
彼は眠り続けている。穏やかな表情で。
▫▫▫▫▫
「今日は何をしようかしら……」
頭の中では理解している。私は、彼と一緒でないと何かをしようとする気にすらなれない。それでもこんなひとりごとを呟いてしまうのは仕方のないことだった。
「……トレーナーさん」
結局、あれこれ思案して決まったのがいつも通り、彼へのお見舞い。
医師の方から聞いたことだが、彼の体はいたって健康。本来であればすぐにでも目覚められる筈、というお達しだった。
しかし現在の彼は原因不明の昏睡状態。私からしてあげられることなど、何一つ無かった。
それどころか──分かっている。分かっているの。
私の存在が、彼を追い詰めているということなんて。ずっと前から分かっていた。
それでもトレーナーさんは私を選んでくれた。私とでないと幸せになれないと言ってくれた。
相反する思考に身を引き裂かれてしまいそう。私がいなければ、私さえいなければ──!
『勘違いしているようだから言っておくが、俺はお前とでないと幸せになんてなれねぇ。もう俺の全部が、お前なんだよ。スティルインラブ』
「……っ」
……行かなくちゃ。
「行かなくちゃ」
▫▫▫▫▫
「……痩せましたね、トレーナーさん」
彼は今、どんな夢を見ているかしら。せめて、それが優しいものであってほしいと切に願う。
私が何を語りかけても、起きようとはしない。
「…………」
もしこれが、物語なら。口づけがこのヒトを覚醒させるスイッチになる。
「……ダメ」
私は何を考えているの?そんな甘い現実はやってこない。目の前のこれが、全てなのだから。
……でも、そんなはしたない私でも、トレーナーさんは受け入れてくださるだろう。
「愛してる」
魔法の言葉はもう届かない。それでもせめて、その夢が安らかなものでありますように。
トレーナーさんは誓ってくれた。契りをくれた。だから、もしこのヒトが果てることになったら。その時は私も──
▫▫▫▫▫
「…………」
一人で歩いて帰る。近頃はこの時間が最も辛く苦しかった。もうあの頃のように二人で歩ける状態ではないという現実を、強く叩きつけられる。
住居に帰る。するとそこには、予想だにしない方がいた。
「やっと戻ってきた」
「アルヴさん……?どうしてここが……」
アドマイヤグルーヴさん。かつて私としのぎを削りあったウマ娘。
「……走るわよ」
「え……?」
「私と貴方の間に、言葉は要らない筈よ」
▫▫▫▫▫
「距離はここから向こうの橋まで。一分後にスタートするから。ストレッチするならしておいて」
「あの……」
「何?」
「……なんでも、ありません」
思うことは山ほどあった。けれど、それ以上にどうして私と走ろうとしてくれるの?私は今、一線を退いてしまったのに。
「残り五秒」
意識が浮上する。長らく感じなかった闘争心が、息を吹き返すのを感じた。
「──スタート」
「……っ!」
私たちは駆け出した。
▫▫▫▫▫
「……私の勝ちね」
「……そうですね」
結果は私の負け。なのに、心が──熱い。これはまるで、トレーナーさんといる時のような──
「──私は、理解できなかった。貴方たちの″愛″が、どんなに深く強いものなのか知らなかった」
愛。私を爛れさせた、たった一つの感情。
「……貴方たちはもっと、幸せになるべきよ。だから……ああもうっ、言葉にしづらいわね」
振り返るアルヴさん。今日初めて視線が合った。
「貴方たちの居場所は、トレセン学園にある。それでも帰りたくないのなら、何も言わない」
「……いいの、ですか?」
「何が?」
「だって、私……こんな……もう、誰に勝てるかも分からないのに。あの子を飼いならすことが、できないのに」
「トレセン学園は強個性の集合体よ。貴方のことぐらい、簡単に受け入れるわ」
「…………」
私には彼しかいない。同じ痛みを分け合った彼しか。そう、思っていたけれど。
ユニヴァースさん、タルマエさん、アルヴさん……。
ああ、私の中には、彼女たちも、いたのね。
▫▫▫▫▫
「トレーナーさん」
眠り続ける彼に語りかける。たとえ届かなくても、伝わらなくとも、私は貴方を諦めない。
「帰りましょう。貴方となら、どこまでも走っていけます。貴方がそれを望まないのなら、どこまでも一緒に逃げてみせます。だから……お願い。帰ってきて」
痩せ細った手を握る。
▫▫▫▫▫
紅い。今となればもう慣れ親しんだ色だ。
……満たされていた。今日まで、彼女と過ごせた時間が、何よりの宝物だった。
悔いは無い。それでも、彼女を悲しませたくないとは思う。
だけどもう俺は俺を使い切ってしまった。足掻くことにも、正直疲れてしまった。
「おい」
走マ灯のようにあの頃の光景が去来しては過ぎ去っていく。紅に包まれた、花火のように。
彼女に会いたい。伝えたいことがある。でも体はもう満身創痍だ。
「おい」
綺麗だった。美しかったなぁ……スティルのレース。
「おい!」
胸ぐらを掴まれるのを感じた。視界が取り戻される。
「……誰だ?お前は」
紅が消えた。目の前にいるのは彼女ではない、一人の男。コイツは……
「お前なら、薄々勘づいているだろ?」
「まさか……『俺』?」
勘づくもなにも、姿形が俺なのだから分からないわけがなかった。
思わず身構えると、『俺』は可笑しそうに笑う。
「なんでお前がいる。もう消えた筈だろ」
「最後に一仕事してやろうと思ってな。それに、今のお前ダセえぞ。惚れた女のためなら意地でも生きろ」
内なる破壊衝動にこんなことを言われるとは、俺は何かの喜劇でも見ているのか?……でも、そうだな。俺はまだ生きたかった。スティルとどこまでも生きたかった。
だけどもう力が残っていない。選択した紅い理不尽を払いのける余力が無い。
──というのは、俺の人格。或いは、もう一つ『予備』があるとするならば、それは紛れもなく目の前の──
「これは、俺が持ってってやるよ。精々幸せにな」
「……やっぱり、そういうことか」
分かった。よく分かった。
俺は彼女と生きる。誰よりも強く、誰よりも眩しく、誰よりも幸福に。
「フッ、ようやくマシな顔つきになったな。伝える言葉は選んであるだろ?」
「ああ。それじゃあな、『俺』」
▫▫▫▫▫
……白い。視点が動かせる。傍らにいるのは、
「……ぁ」
「っ!?トレーナーさん!?」
「……会いた、かった」
「トレーナーさん……!す、すぐに先生を呼びますから──」
「スティル」
「──、は、はい……」
「ありがとうスティル。ありがとう。……ずっと、伝えたかった」
「…………はい」
よかった。やっと、心の底から笑わせられた気がした。
▫▫▫▫▫
あの時のことはよく覚えている。俺は『俺』と初めて話して、紅を連れ去ってもらった。
体の不調は嘘のように無くなった。どれだけスティルの傍にいても、滞りなく生活できるようになった。
「スティル、ちょっと散歩しないか」
「はい」
そして、俺たちは恥ずかしながらトレセン学園に帰ってきた。俺たちが立ち去る前学園の生徒たちはスティルのことを忘れていたが、いざ戻ると涙を流しながら喜んでくれた。もっとも、一部の生徒は前々から彼女を覚えてくれていたようだが。
お互いに過去一の説教を食らった。色んなヒトたちに心配させてしまっていた。
それも収まって、生活は安定した基盤を取り戻した。そして、今。
「秋風が気持ちいいな」
「はい。……クッキーを焼いたのですが、召しあがりますか?」
「いいな。じゃ、そこのベンチに座るか。一緒に食べよう」
▫▫▫▫▫
「モグモグ……やっぱりお前の作る菓子は美味いな」
「ふふ……ありがとうございます」
スティルインラブの心には一片の曇りもなかった。
愛を知った少女は、確かな答えと共に彼と契りを交わした。そこに後ろめたい感情は一切ない。
男は全てを捨て去り、全てを取り戻した。両親からの虐待、芽生えた破壊衝動、浸食する紅……。全てを愛の元に消し去った。
「……何度も言うが、ありがとうな、スティル。本当に……ありがとう」
「……を、ください」
「なんだって?」
「その……証を、ください」
「……そういうこと言われると本当に抑えきれなくなるぞ」
「貴方がしてくれるなら、きっと何事も幸せだと思えますから。だから、いいんです」
「……ああもう、本当に……愛してる」
「はい。──愛してます」
吹き抜ける秋空の中、二つの影が重なる。
彩雲が彼らを見守っている。いつまでも、いつまでも。
今回の話いかがでしたか
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よかったわよシンジくん
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死になさいシンジくん!