下心バキバキトレーナーがトウカイテイオーに改心させられる話 作:散髪どっこいしょ野郎
「ふふ……」
歩きながら、思わず笑みがこぼれる。
今日は何をしよう、お夕飯は何にしようかしら、彼はどんな反応を見せてくれるかしら──
「ふふふ……」
微笑みは収まらない。歩様が期待に染まる。私は笑いながら歩いていた。
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私を包む彼の両腕をゆっくりと解きながら起き上がる。本当はもっと抱かれていたいけど、この方の伴侶としてすべきことはしなければ。一日の始まりは、そんな誘惑をはねのける所から始まる。
寝間着から着替えてエプロンをつける。冷蔵庫から卵を取り出し──
「……おはよう、スティル」
「おはようございます。お目覚めになりましたか」
朝食の準備を進めていると彼が起き上がる。いつも決まってこの時間に起きていた。
「もうすぐ
「ん~……」
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「はい、お口を開けてください」
「……やっぱ恥ずかしいな、これ」
私が食べさせないと戻してしまう。逆に言えば私だけが彼の朝食をコントロールできるということ。
……ああ、いけないわ、私。また、はしたない……
「……あーん」
……可愛い。
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「それじゃ、行ってくる」
「はい。いってらっしゃいませ」
私が作ったお弁当を片手に彼は職場へ向かった。これから夜まで、私は独り。
「……」
分かっている。私自身がこの現実を願ったということなど、百も承知。
しかし──それはそれとして、彼の新しい担当を羨んでしまう。彼の声や視線を一身に受ける、私の知らないウマ娘。
「……っ」
大丈夫。あの方は必ず、ここに帰ってきてくれる。
「……お掃除しないと」
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『今日は割と早く帰ってこられると思う』
LANEの通知音と共にそんなメッセージが表示されて、思わず胸が躍った。早く、早くトレーナーさんに会いたい。
なんとか平静を装って了承の印を返す。掃除や洗濯、諸々の家事は済ませた。後は
お買い物は数日に一度まとめ買いをするので、冷蔵庫の中身を吟味して献立を考える。そんな時間も、また幸福だった。
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「ただいまー」
「ッ!」
彼が帰宅したと同時にその胸に飛びつく。数時間焦がされ続けていた分抑えようがなかった。
「スゥー……おかえりなさい、ませ、トレーナー、さん……スゥー……」
「……毎度思うが、臭くないのか?」
この一幕も今となってはお決まりの時間。彼の香りはとても、ええ、とても、心を酩酊させる。
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「「いただきます」」
食事時はテレビを点けたり点けなかったりまちまち。
それでも基本は静かな食卓だった。
「……」
正面に座るトレーナーさん。眺めているだけでもう、鼓動が……。
「ん?どうした?」
「い、いえ、なんでもありません」
慣れない。つまり、飽きが来ない。
ふふ、うふふ……。ああ、この瑞々しい感情が、それを向ける彼が愛おしい。
「はぁ、む」
目の前の食事を一匙、口に含む。
▫▫▫▫▫
「今日の豆はちょっと粗めに挽いたんだ。どうだ?」
「とても……美味しいです。お口直しにちょうど良く」
「そうか、よかった」
食後にコーヒーは鉄板だった。おやつ類は連日食していては脂肪が増えてしまうため、あくまで時々にしている。
静寂が心地よい。一日の中で最も安定したひととき。
読書もまたいい。心を空想に遊ばせる時間は、唯一無二のもの。彼と一緒なら、より良い。
……ああ、もうこんな時間。
「そろそろ寝るか」
「……はい」
焦る必要はない。これから何度だって、この静寂を味わえる。
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お互いに寝間着に着替えて同じベッドに潜り込む。
彼は私を優しく抱きしめながら、言う。
「それじゃ、おやすみ」
「……おやすみなさい……愛してる」
魔法の言葉を呟くと、彼は安心したように目を閉じる。
──これが、私の一日だった。
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……おかしいな。最近、というか前からだがスティルを見ていると鼓動が加速する。頬も上気している。
「……スティル」
「はい」
「どうやら俺はお前に惚れている……らしい」
「?はい。存じ上げておりますが……」
とっくの昔に告ったくせして今更何言ってんだという話だが、自分でもここまで誰かに傾倒したことはなかった。
未経験、未踏、未知。
『俺』が持っていった分、人間味が増していった気がする。体に染みついた習慣は直しようがなかったが、それもスティルといる間なら無視できる。
そう、幸せだ。
幸せなんだ。こんなこと、今まで体験したことがなかった。
「スティル、ちょっとベール取っていいか?嫌なら拒否してくれ」
「……え?は、はい……。ど、どうぞ」
こちらに頭を向けるスティル。近づくほど、触れるほどに心臓が跳ね上がる。
「……」
ベールをゆっくりと脱がす。彼女の耳と頭が顕わになる。
「…………」
「と、トレーナーさん……?」
彼女の後頭部に手を回し、互いの額を突きあわせる。
「……いつも、ありがとう、スティル」
「…………はい」
ふっ、と降りてきたのは感謝。そして誓い。
彼女の未来を、心を、存在を、俺の全てを賭して守る。これはそんな決意の一幕。
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「……トレーナーさん?何をご覧になっているのですか?」
「担当のレース。次の機会に向けて伸ばせるところは伸ばしておきたくてな」
「……そう、ですか」
これは元より、私が願ったこと。それを承知でこんなことを考えてしまうのは、醜い。
……私を、見てほしい。
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──と、スティルは思っているのだろう。
「……トレーナーさん?」
「……」
彼女を″視る″。
「あ、あの……?」
「……可愛いな、お前」
「……!え、えぇ……?」
困惑と羞恥に頬を染め、視線を右往左往させるスティル。……本当に可愛いな。
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「ハッ、ハッ、ハッ──」
帰路を急ぐ。それは彼女のためでもあり、俺のためでもあった。
昨日は担当ウマ娘の出走レース関係で他地方のホテルに宿泊していた。故にスティルとの時間が不足していた。
担当を受け持つ以上、こうなる事態は増えていく。それでも、俺は一秒でも長く彼女と過ごしたかった。
というわけでトレセン学園に一旦帰ってからすぐにスティルの元へ急いでいた。担当ウマ娘は『アツアツなんですね~』と呆れたように笑っていた。
「ただいま……」
電気が点いていない。出払っているのか?しかし誰かの気配はする。
歩を進める。俺がいない時間、彼女はどう過ごしていただろう。苦しめていないか?
「スティルー?いないのか……?……あ」
いつも明るい部屋が真っ暗だ。隅で座っていたスティルがこちらに振り向く。
──紅い。紅い、瞳だった。
「フ……フフフ……やぁっと出てこられた」
「お前は……
「ええ。ワタシよ。せっかく来たんだもの。楽しませてくれる?」
「……お前には悪いが、俺にできるのはこれぐらいだ」
「……え?」
両肩に手を乗せる。そして、引き寄せた。
「…………へ?」
「俺はお前のそういう部分も含めて、愛している」
「……あ、え?ワタシ、ワタシ、も……?」
肯定の意を込めてもう一発かます。
「あわ、あわわわ……」
スティル(本能)はへたりこんで動きを止める。その姿があまりにも……こう……クルものだったから、つい写真に収めてしまった。気持ち悪いな俺。
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そんなわけだから、長期間家を空ける時期は更にアレだった。
一応その期間は毎日電話をしているが、日に日に彼女が渇いていくのを思い知らされる。
「はぁ……覚悟しておかないとな」
ドアの前で暫時逡巡する。……よし、行くか。
「ただい──」
「トレーナーさん」
夏合宿から帰るといつもこうなる。
「トレーナーさんトレーナーさんトレーナーさん──」
僅かに痛む程に俺を強く抱きしめるスティル。俺も両腕を背に回しながら、しばらくしたいようにさせた。
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「……んぅ、トレーナー、さん……?」
「戻ってきたか」
濃い、濃い時間だった。彼女が正気を取り戻すまで何度も呼びかけた。
「あ……いけない……お夕飯の準備しないと……」
「いや、今日は出前を取ろう。たまには休んでくれ」
求め合うのは嫌いじゃない。体中に残った痕が、その深さを知らしめるようで。
「トレーナー、さん……」
「ああ。俺はここにいる」
「……トレーナー、さん……!?」
「お、(理性も)戻ってきたか」
したことの重大さに気づいたのか、はたまた漸く目が覚めたのか、驚愕の色に染まるスティル。そんなところも愛らしいなと思う。
「あ、いや、その……私……。……か」
「?」
「……おかえり、なさいませ」
「ただいま。今日明日はお前がしたいことをしよう。久々の休日だしな」
頬を赤らめる彼女。俺は少し笑って、その線をなぞった。
X+一年後……
「今日はどこへ行きましょうか」
「花が綺麗な所にでも行くか」
「はい。……ふふ、トレーナーさん、私、今とっても幸せです」
「そうか。……そうか」
ずっと苦しめていないか不安だった。世界で初めて守りたいと思えた相手だったから。
それでも、春風はこんなにも温かい。なら、もう大丈夫。
「……綺麗」
手と手を絡み合わせる。二度と離れてしまわないように、強く、強く。