Beyond the Loop   作:たかお

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戦端

 

 

 ダム戦争の記憶は遠い。

 最初のそれは百年前、私がまだ純真無垢だったころのことだった。

 まだそのころは、母との折り合いはそこまで悪いものではなかったはずだし、父親に対しても、子供らしい無邪気な信頼を寄せていたように思う。

 日和見主義者として蔑まれていた父の劣勢を、幼い私は敏感に感じ取っていた。彼はいつも疲れはてた表情を浮かべながらも、私にだけは優しくしてくれたことを覚えている。祭具殿に忍び込んだとしてあれほど私をきつく叱責したのも、一人娘への情愛の裏返しだったのだと、今になればわかる。

 けれど、当時の私は覚えのない罪を裁かれる不満を並べ立てて、ひそかに反感をいだくようになった。結局あとになってからあれが沙都子の仕業だったと判明したのだけれど。とにかく、あのころの私は子供だった。

 

 子供心に、ダム戦争は楽しかった。

 それはあの当時に雛見沢を過ごした子供にしかわからない感覚だったが、毎日がお祭り騒ぎで、日常が忘却されて、雛見沢の住人であるというただその一点のみで、普段はあまり親しくしていない人たちとも、容易く連帯することができた。無条件の信頼があった。最初は疑心暗鬼なんてなかったのだ。

 

 その当時、羽入は寂しそうだった。無邪気だった私は愚かにも、なぜこんなに楽しいのに、羽入は浮かない顔をしているんだろうかと訝っていたけれど、大人たちが怒りを加速させていくにつれて、彼女の寂しさが悲しみに変わっていくのが私にもわかるようになった。オヤシロさまを免罪符に、人々が負の感情を正当化させることへの、そしてそれをただ見ていることしかできないでいる自分自身への、どうしようもなく深い悲嘆。

 人々は羽入の涙をよそに、プラカードをかかげ、建設現場に乗り込み、重機を打ち壊し、国を、電力会社を、建設作業員たちを口汚く罵った。

 

 憎悪が渦巻いていた。その憎悪は、ある時期までは羽入の涙が堰き止めていたので、決壊を免れることができていた。しかしそのせいで、調子に乗った人々はますます村に憎しみの種を植え付けるようになった。羽入は神のような存在だけれども、全知全能ではないから、最初はそれを見落としてしまった。気づいたときには彼女の力をもってしてもどうしようもないほどに、あちらこちらから芽が噴き出て、既存の憎悪とほつれてからまり、手当たり次第、のたうちまわっていた。それで羽入にももう手がつけられなくなった。

 羽入は言った、というよりも叫んでいた、同じ言葉を何度も何度も。違うのです、違うのです、それは幼児が駄々をこねるのと同じ声の響きがしていた。何がどうして違うのか説明する能力のない幼児が、聞いてもらえない、理解してもらえない、存在を認めてもらえない悲しみを表明するための悲痛な叫び。だが羽入には、何が、どうして違うのかはっきりとわかっていた。  

 

 一方の私は、物心ついてから最初に見た他人の表情、つまり羽入の笑顔が好きだったから、彼女に笑顔を取り戻してもらえるように、彼女の好きなものを好きになる努力をした。味覚を共有している彼女が、辛いものや刺激物よりも甘いものややわらかいものが好きだと気付いてからは、彼女のために、家族にシュークリームをねだったりした。私はこれまで以上に羽入の模倣に努めた。というのも、幼い私はまねをすることでしか誰かへの好意を示せなかったからだ。羽入の口癖、敬語、一人称が私に移った。そして、自分だけではなく、羽入もまた私の模倣をするということに気付いてから、できるだけ笑っていようと思った。意味がなくても、とってつけたようであっても、満面の笑みを浮かべよう、と。そうしたらある日、私につられて、羽入が笑顔を取り戻してくれたのだ。

 

 こうして私たちは二人の世界を作りあげた。血の繋がった母親ですら割って入ってこれないようにと、重たい錠を下ろしてあらゆるものを締めだした。例外は沙都子で、彼女にだけは世界の一部を開いてあげた。いずれにせよ、羽入が流した最後の涙が乾き、人々をおしとどめる効力がもはや消えてなくなってしまったことにも、私たちはほとんど無関心になった。

 一年目の祟り、つまり現場監督がバラバラにされて殺害されたころもそういう状況だった。そして、死ぬこととはどういうことなのかを、私は幼すぎて、羽入は長く生きすぎて実感がわかなかったので、私たちはあまり気にとめなかった。沙都子の義理の両親のときも、私の実の両親のときですらもそうだった。周囲は祟りだと気を張っていたけれど、私は羽入がそんな大それたことができないことを知っていた。二年後の六月に唐突に記憶が途切れるまでは、そうやって時間をやり過ごしていたのだ。

 

 世界中の時計がいっせいに針の動きを停止した。そしていっせいに、反時計回りに時間を刻みはじめた。恐怖に震えながらその人知をこえた光景を凝視していると、羽入は、僕が唯一、世界に干渉できるこのチカラで、必ず梨花を助けるのです、と私に言って、無数の時計のうちの一つを差し出してきた。その針はめまぐるしく回転を続けていたが、羽入から渡されたものならば、恐れるものは何もなかった。そして、針が二本とも真上を指したその瞬間、眩い光があたりをつつんだ。光が晴れていくと、目の前におろおろと取り乱した彼女の顔があった。あうあう、あうあう、と彼女は言ったので、私は笑った。それが最初だった。

 

 

 

 

 呆然としている私たちを見かねた魅音が、事のあらましを説明してくれたところによると、つまりこういうことだった。

 県庁の土木課の職員数名が中央に派遣されて、凍結されたまま置き去りにされていたり、地元の住民の反発によって遅々として進まなかったりする全国の電源開発関連の公共事業方針を抜本的に見直す審議会に、オブザーバーとして参加した。その中で、当然雛見沢ダムの「雛見沢電源開発基本計画」についても修正案の協議が行われたのだという。

 雛見沢は全国でも反対運動が特に有名な地域で、水源地域対策特別措置法などの関連法の成立や一部改正の一助にもなった。そして、時代が加速していくなかで、国は住民の意思決定を重視する姿勢を見せるようにはなった。しかし、雛見沢の場合は他の地域とは少し事情が異なっていたのが、問題の発端である。

 

 平成の世になって、国は民衆を軽視できなくなっていたのに、この村においては、つい数年前まで平然と人権を無視した非道な研究やら工作行為やらが行われていて、しかも悪いことにその予算は「東京」から出ていた。小泉派の失脚以後、新たに「東京」の権力の中枢に座った男たちは、鷹野の造反の一件があった当初、入江機関の穏便な解体を進めていて、国も彼らのもくろみを追認していた。この時点では鷹野という蜥蜴の尻尾を切るのに失敗した「東京」の復権の可能性は低いと考えられていた。混乱をきわめた派閥の瓦解をふせぐのに手一杯だった「東京」は、それほどに追い詰められているように思われた。

 

 しかし、入江の研究が成果となってあらわれてくると、国立感染症研究所をはじめとした一部の公的機関が、彼と、その後ろ盾になっている東京の方針を支持するようになった。防衛庁は、「東京」に送り込んでいた富竹からの定期報告と、多少後ろ暗い思惑から、番犬部隊を派遣したころの敵対関係を水に流して、「東京」の新たな指導者たちにたいして融和の姿勢をみせていた。戦前から影の政府として機能していた「東京」は、あらゆる状況を派閥の利益につながるように暗躍することに余念がなかった。それは、国家よりもはるかに実体の知れない、不確かで、ゆらめく影のように、光の角度によってその濃淡や輪郭を変えながら、じっとその存在を保ち続けていた。ちょうどそれは、雛見沢における園崎家の役割とよく似ていた。

 そういうわけで、国がそれを坐視することはできないと考えるほどに、「東京」は徐々に勢力を回復しはじめていた。

 内閣府は再びこの団体の弱体化をねらって、いくつかの施策の検討にはいった。それ自体は極秘裏におこなわれたわけではなく、いくつかの法案はすでに参議院の審議を通っていた。そして、その中の一つに河川法の見直しがあった。

 

 ダムなどの工事実施基本計画について定めた河川法の第十六条によると、「建設大臣は、工事実施基本計画を定めようとするときは、あらかじめ、河川審議会の意見をきかなければならない」とされているが、この審議は住民の公聴を要しない。地元住民への説明会や懇談会がかえって反発をまねくのも、住民たちの与り知らない場所で決定されたことへの不信が根底にある。そのため、一部の議員から住民の理解を得られるよう、十分な説明を果たす必要がある、という意見がでた。これ自体は正しい提言だったが、「東京」の敵対勢力は、河川法の見直しを「東京」の勢いを削ぐ機会として利用することを考えた。

 彼らは、かつて電源開発事業が住民の猛反対をうけたのは、地域住民に寄り添った姿勢をみせなかったためなので、法律を見直し、現行法下の計画に関しては一時凍結されたものも含めて再度の議論を深め、国が説明責任を果たす場を設ける必要があると主張した。こうして、雛見沢村についても例外ではなく、国が住民のコンセンサスを得るという名目のもと、凍結されたはずの計画が、いつのまにか一番はじめの段階にまで引き戻されたのだ。

 雛見沢はいまや「東京」の有力な根源地になっていたので、もちろん「東京」はこの動きに反発を強めたが、彼らはかつてのような強引な権力の濫用は嫌ったし、また、仮にその意志があったとしても、そんな強大な力を取り戻せてはいなかった。そして、何者かによって、雛見沢村のダム計画が再始動するかもしれないことが県庁にリークされた。長年雛見沢の問題に悩まされていた県は、自分たちの宥和の努力を台無しにしかねないこの事態について、中央の動向を伺うため、数名の職員を派遣したのだが、その動きが園崎系の議員に伝わったのだという。

 

 

 

 

「ようするにまた派閥争いですのね」

 

 話を聞き終わると沙都子が苦々しい表情で、辟易しながら言ったが、これは皆の意見を代弁していた。

 ため息がでた。みんなの結束が、路上の塵のように足蹴にされている現実。百年の奇跡の無為。鷹野を倒しても、山狗を倒しても、東京を倒しても終わらない。なぜこうも、このちっぽけな村と、そこに住まう人々ばかりが苦難を強いられるのか。

 そこで私は、先日の入江とのやりとりを思い出した。寄生虫の数が急激に減少しつつあることを、なぜか深刻な顔つきで私に呟いていた彼。

 

「我々の治療薬の著しい進歩によって、もしかしたら雛見沢の住人たちの身体が、寄生虫にとってもはや住み心地のいい環境ではなくなりつつあるのかもしれません」 

 

 そして先日の検査ではこの私、古手梨花の身体からも、ついにその微候があらわれた。寄生虫たちは女王感染者をも見放しつつあるという……。

 そう、そのときの入江の表情、あれは……。

 入江はおそらくそのことを富竹に報告しているだろう、彼にはその義務がある。そして富竹はそれを「東京」に報告しているだろう。そしてそれが「東京」の外部に漏れた……。

 彼らにしたらこれほど歓迎する事態もないだろう、雛見沢村にこだわるのもこの寄生虫が居座っているからなのだ。そして、危機感も抱いただろう、雛見沢を見放した寄生虫たちは、やがて……。

 そこで、ある考えに至ろうとすると、私は身震いが止まらなくなった。ならば、羽入は? 羽入が消えたのは?

 

「どうしたの? 梨花ちゃん」

「……なんでもないわ」

「そっか……」

 

 レナだけが私の不安に気づいて私に声をかけてきた。彼女は鋭いうえに空気が読めるから、下手なことは言わない方が賢明だろう。

 それから私たちはしばらく俯き加減に、言葉を発しなかった。そこで、その静寂を一掃するように、圭一が立ち上がって鼓舞するように言った。

 

「つまりなんだよ、これはダム戦争の再来ってやつじゃないのか、魅音!」

「え!? う、うん。もちろん、そうなるけど……」

「なんだなんだ、弱気だな。部長が辛気臭い顔なんかしてたら、勝てるものも勝てやしないぞ!」

 

 ダム戦争! あれは子供の遊びか、あるいはお祭りだった。非日常の象徴、破滅を前提にした、やぶれかぶれの祭典。誰もかれも、国からの補償金を皮算用にいれながら、周囲の同調圧力をすすんで受け入れて反対運動に没頭した。けれど今となっては、私たちはそれが茶番だったことを知っている。実際は、村と関係のない人たちの密約によってすべてが取り決められた、村と関係のないところで、最初から最後まで! 

 昭和五十八年、空梅雨で、やたらと蝉の鳴き声がうるさかった六月のあの終わりですらも茶番だった。奇跡という言葉は茶番劇を言い換えたものでしかなくなった。そして、もう私たちは子供じゃない、分別を身につけようとしているはずなのに。

 

 けれど、圭一の言葉はみんなの心に火をくべた、それで彼女たちは立ち上がった。やろう! やろうよ! もう一度、みんなの手で! 力をあわせて! 

 彼らは座ったままでいる私に手を差し出す。どこかで同じような光景を見た気がするけれど、私にはわからない。ともかく、差し出されたならば、繋がなければならない。私も立ち上がった。視界がひどく不鮮明になって、胸を熱く焦がす何かを感じた。

 

 仲間たちみんなで重ね合わせた手のひらに、もうひとつの、小さくて、今にも消えてしまいそうな重みが加わったのを、私は幻覚だとは思いたくなかった。

 

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