Beyond the Loop   作:たかお

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夏雪

 

 答えがでない難題に突き当たったとき、助けを求めるように、私はいつもこの場所へやってくる。

 古手神社の祭具殿だ。

 慣れた手つきで解錠して、黴臭くて埃の舞う、薄暗い空間に身をしずめる。扉とともに、外の光が締め出されていく。そして私は呼びかける。

「……羽入?」

 呼びかけは、ここにきたら会えるかもしれないという、往生際の悪い私の、叶えられることのないおまじない。

 けれど、以前はこんなに恐る恐るではなかった。もっと大声で、羽入、いるんでしょう? 返事をしなさい、さっさと帰ってきなさい! と、怒鳴りつけるように声を響かせていた。けれど、声が枯れるほど叫んでも返ってくるのは谺だけで、私の聞きたい声が反射されることは決してないのだという、たったひとつの虚しい事実を消極的に受け入れるようになってからというもの、呼びかける声はしだいに小さく、尻窄みになってしまった。今のかすれ声では空気を振るわせることすらできない。けれどそれ以上声を張る気力もなくて、精神的にへとへとに疲れきっていた私は、その場にぺたんと崩れ落ちるようにして座りこんだ。

 思考はあてどなく流離う……。

 

 

 

 いつだったかの世界の圭一が、唐突に、自分の後ろ暗い過去の出来事を、聞いてもいないのに告白してきたことがある。好きでもない勉強をすすめてくる親や教師の期待、偏差値に一喜一憂する進学校の澱んだ雰囲気。日常の鬱屈を発散するために、BB弾を自分より弱い対象に向けて乱射するという悪質な悪戯を繰り返す日々。

 そんなある日、いつものように物陰にかくれて獲物を窺っていた圭一の視界に、一人の少女が通り過ぎていくのが映り込んだ。習慣と化した動作は、反射的に、すばやく実行されて、ほんの一瞬だけの快楽と、後々まで続くことになる重苦しい罪科を彼に与えた。彼は逃げるようにしてその場を後にしたのだが、少女の目の怪我の具合が彼の思ったよりもひどいもので(私たちはいつでも自分の行為の重大さについて過小に評価する)、全校集会が開かれたりして事態が大事になっていくにつれて、次第に罪の意識に耐えられなくなった彼は、恐怖の涙をまじえながら両親にすべての事情を打ち明けて、あくる日の陽射しの強い朝一番に警察署に赴いた。念入りに調書をとられた圭一は、この先どうなるのかの展望もなくただただうなだれているばかりだったけれど、両親のとりなしもあって、警察官から激しい叱責を受けるだけですぐに解放された。それから圭一は両親と一緒に、被害者の少女のもとへ謝りに行ったのだが、少女の母親は決して前原一家に敷居をまたがせようとはしなかった。

 その時、圭一は自分の引き起こした悲惨な光景を目撃せずに済んだために安堵のため息を漏らしたが、そんな息子の甘えを両親は厳しく戒めた。そして、この結果は起こるべくして起こったことであり、自分たちの不始末なのだと捉えていた両親は、一刻も早く息子を別の環境へと移さなければならないと考えた。圭一が少女の目にプラスチックの弾を当てたのが、彼の灰色に濁った目に関係していたことは明らかだったからだ。彼があと少しだけでも澄んだ目をしていれば、BB弾は数センチか、あるいは数ミリか横に逸れていたに違いない。こうして圭一は雛見沢に、半ば逃げるようにやってきたのだという。

 

 彼は自分の負の歴史を語り終えると、軽蔑されることを覚悟しているように、怯えまじりに、しかし逃げることなく私たち一人一人の目を見まわした。私は素直にすごいと思った。悪いことをした過去を受け入れて、それを告白できる人間なんて、この世の中にほとんど存在しないのだから。

 けれども圭一は、仲間に隠し事をしてはいけないから、と私たちに秘密を打ち明けた理由を語った。それを聞いて、魅音も沙都子も、そして当時の私も、あきれたように彼を慰めた。圭ちゃんさ、仲間に隠し事をしちゃいけないわけ? と魅音が皆の意見を代弁していたけれど、私も同じことを言いたかった。だって、私たちはみな、胸のうちにさまざまな秘密、時には怒りや悲しみ、憎しみをもしまいこみながら、それでも笑いあうことができるからこそ仲間なのだ。

 昔のことだったけど、その日は百年の錠前のひとつをこじ開けた記念すべき日だったので、会話の細部についてもかなり鮮明に記憶している。そして、その時に沙都子がこぼした言葉について言うならば、私はこれから先も決して忘れることがないだろうし、決して忘れたくないと思っている。

 「過去が何だろうと、今が素晴らしい人間であるならば、どうして恥じることがございますの? もし過去の過ちを一生取り戻せなかったら、私たちは何のために生き続けますの?」

 この沙都子の言葉は、私にとっても重大な意味を孕んでいる。私というのは、罪を償うために私に対峙しようとした鷹野のもとから逃げ出してしまった、弱い上に卑怯な古手梨花のことだ。なぜ鷹野を許せないのか? 彼女はみんなを殺してもいないのに。なぜ? 別の世界の圭一だって、レナだって、詩音だって、どんな理由があるにせよ人を殺めてきたが、彼らは世界を繰り返しながら精神的な成長を遂げていき、今は誰に恥じるでもない、素晴らしい人間になった。鷹野がそうならない保証はいったいどこにあるのか? そしてそうなろうとする鷹野の意志を否定する権利が、百年の魔女を気取ってふてくさり、宝石よりも貴重で、本来ならば二度と取り返しのきかないはずの時間を、無造作に擲ってきたこの私に、はたしてあるのだろうか? ……。

 

 

 長い暗闇の時間を何するでもなく、茫洋としゃがみこんでいた私は、かすかな物音が聞こえた気がして、ゆっくりと身をおこした。ぼんやりとした頭を振りかぶり、耳をすましてみる。ぺたりと足音が聞こえた、気がした。袋小路を一緒に歩いてきて、すっかり耳に馴染んだ懐かしいあの足音。声は聞こえないけど、姿は見えないけれど、そこにいるの?

 私が再度の呼びかけをするために深く息を吸い込んだとき、ぎい、と木の扉の軋む音とともに、青い光がじわりと忍びこんできた。暗順応しきっていた私の目は、ふいうちのこんな青い光にも負けてしまった。目が光に馴染むまで待ってから後ろを振り向いた。魅音の姿がそこにあった。鍵はかけていたはずだが、器用な彼女のことだから、得意の軽業によって苦もなく開いてみせたのだろう。

「……魅音、建造物侵入よ」

 くすり、と私が笑いながら言いとがめると、一瞬呆気にとられた魅音は、すぐに同じ笑みを返してきた。この応酬自体には特段の意味はないけれど、昼の逃走を恥じていた私は、それを責められないように先手をとってみたのだ。彼女は、鍵なしで鍵穴をこじ開けるときと同じ手練で私たちの心に入りこもうとする。しかもその仕草がいかにも堂々としているために、無作法を非難する余地もなく、まるで心の部屋に鍵をかけていた側に非があるようにすら感じさせるのだ。

 

「梨花ちゃん……探したよ」

 その言葉に偽りはないのだろう。おそらく魅音は、私が逃げ出してから難しい決断を迫られたに違いない。わざわざ圭一やレナを東京から呼び寄せたのだから、二人のために時間を割く選択のほうが自然のはずだった。

 なのに彼女は逃げた私を探した。結束を誓いあったその直後にもう逃げ出した私を。鷹野と目を合わせ続けることができないという個人的事情だけで、雛見沢の一大事にどう対処するかという実際的な議論の場を台無しにした私を。

「圭ちゃんとレナを駅に送ってから、沙都子が、梨花ちゃんが家にいないって言うから心配になって探してたんだよ」

 もちろん、魅音のさしだす手を取って扉の向こうへと歩き出さなければならないのはわかっている。差し出されたならば、繋がなければならない。でも私の身体は疲れきっていて、もう一度手を重ねて、心そのものを着火させようにも肝心の燃料が不足していたので、その手を見つめていることしかできなかった。魅音の手は虚空を握るだけで、彼女はやむなくそれを引っ込めた。

 

 静けさ。聞こえるのはかすかな息遣い。

 しばらくしてから魅音は、少し話そっか、と涼やかに、そして寂しげに微笑んで言った。私は、ええ、と短い相槌を打つだけにとどめて、彼女の寂寞の響きのほうは受け流した。魅音は私のそばに腰をおろし、私と同じ姿勢をとった。

 雨の降り出す音がする。足音はもう聞こえてこない。

 

 

 

 

 

 鷹野さんはね、私なんだよ。仲間のいない私。それがあの人なんだよ、と魅音は言った。薄暗がり、強まる雨音。彼女の表情はいまいち窺い知れない。

 山狗との闘いの最後。富竹が奪還されたことで、もはや趨勢は決したと悟った小此木。彼は逃げることを良しとせずに、部下たちのために、あえて私たちの前に姿を現した。なおも私たちを殺せと言い募る鷹野の怒声を無視して、彼は魅音にだけ語りかけていた。二人は視線を交わし合い、敗者は勝者を称賛しながら、一騎打ちを要求した。彼女はそれを受け入れた。私たちも、その場にいた山狗の男たちも、二人の最後の闘いを、固唾を呑んで見守っていた。一人蚊帳の外にいたのが、山狗を率いていたはずの鷹野だった。

 そして、本当に最後の最後。黒ずんだ雲、雨のはじける音にまぎれて集くひぐらしの声、風のそよめき。

 鷹野の絶望、恐怖、悔恨の入り混じった悲嘆が、雨にうち流されていく。彼女の手元にあるのは、雨と泥に塗れたスクラップ帳と、生々しく黒光りする一丁の拳銃。鷹野のうつろなまなざしが、彼女の人生を否定した私たちを視界にとらえる。私たちはそんな彼女のみすぼらしい姿にとまどい、声をかけることもできずにいたが、一人だけ、鷹野を直視し続けていたのが魅音だった。やがて鷹野は拳銃を手に取って、銃口を魅音にさしむける……。

 

「鷹野さんのあの時の気持ち、私はよくわかったんだ、共感と言ってもいいのかな」

 鷹野には仲間がいなかった。隠し事をしたとしても、それを受け入れてくれる仲間が。彼女が仲間だと思っていたものは、彼女を利用するだけの同盟者でしかなかった。

 いや、いるにはいた。富竹は鷹野が何か後ろ暗い過去を秘めていることを知っていて、それでも彼女を包み込もうと努め、趣味の写真を通して同じ景色をゆっくりと、鷹野とともに歩いていた。だけど、利用するか利用されるか、もしくは庇護されることしか経験してこなかった彼女は、共に並び立ち、同じ道を歩くということの意味を知らなかった。

 もし自分に仲間がいなければ、ああなっていたのは自分だったのかもしれない、という魅音。仲間がいなければ? たしかにかつての魅音は私や沙都子、悟史、転校してきたレナたちと仲はよかったけれど、それは仲間というには頼りない、もっとあやふやな関係性だったのかもしれない。じゃあ仲間の必要条件って? 仲のいい気の合う友人と仲間との差はどこにあるのか? 実をいえば、その答えのひとつも魅音は口にしていたのだ。世界のどこだろうと、一緒にいれば退屈しない仲間たち……と。

 毎年起こる祟りを止められずに指をくわえて見ていることしかできない、村を支配する怒りを押しとどめることのできない無力。ほんとうは詩音として生を受けたのに、魅音として人々を導く立場にあること。こうした苦悩のすべてを、魅音は部活の場で忘れ去ることができたし、時にはずっと背負ってきた重荷が軽くなったりもした。圭一が転校してきてからはその傾向はますます強くなった。弱気だった魅音にも仲間がいると思えば、本来の力以上のものが出せた。そういう仲間が、鷹野には欠けていた。

 もちろん、鷹野さんのこと許してあげてなんてこと、私には言えないけれど。魅音は言った。もし過去の過ちを一生取り戻せなかったら、私たちは何のために生きるの、と。

「……いつか魅音は言ったわね。私たちはババ抜きなんてやらない、ジジ抜きしかやらないって。今の今まで忘れていたことだけど」

 罪を赦すこと。敗者を出さないこと。羽入の千年と、私の百年が刻んだ想い。その重みを、たったの六年ぽっちでどうして忘れてしまえるのだろうか?

 

「そういえばあの時さ、梨花ちゃんはどうして私を庇ったの?」

「え?」

「鷹野さんが私を撃とうとしていたけど、梨花ちゃんが割って入った……よね? あれ?合ってるよね? おじさん物忘れが激しくなっちゃったかなぁ」

「……」

 

 私が魅音を、庇った?

 そういわれれば、そうだった気もする。けれど何かしっくりこない。

 そうだ、あのとき魅音を庇ったのは──。

 

 

 

 梨花。

 懐かしい声が聞こえた。

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