───夢を、見た。
水中で揺蕩っているかのような浮遊感。
自分の身体が上手く知覚出来なくて、残った嗅覚と視覚、そして聴覚を最大に活用して周囲の様子を確認する。
視界に広がるのは何処までも何処までも広がる大海原。
蒼海のキャンバスに点在するのは、緑生い茂る小さな島々。
鼻をつく嫌になる程濃い潮の香り。
耳障りなほどに五月蝿く、規則的に鳴り続ける波のさざめき。
自分はそれらを全て、上から見ている。そこまで確認してようやく気が付く。
(ああ、またこの夢か──)
あの日から、この悪夢を何度も何度も繰り返している。忘れる日なんて、片時もない。
これは最早見飽きた自身の始まりの記憶。心の奥底に沸々と溜まる、憎しみの原点だ。
(……来た。)
いつものように視界の後方からボート特有のエンジン音が聞こえてくる。
そこには、灰色の髪をした若い夫婦とその娘が乗っていた。
仲睦まじそうに会話をしている彼らを乗せたボートは、とある海域へと足を踏み入れた。踏み入れてしまった。
そこの近辺を通った船が、何故か消息を絶つという地元では『呪いの海域』とまで呼ばれる場所に。そんな噂を、露知らずに。
「──────。」
波が一際大きく盛り上がったかと思うと、次の瞬間には地響きのような唸り声が何処からともなく聞こえて来る。魂すら恐怖で震えさせるような低音に、船上の3人は訳もわからず辺りを見渡す。
そして、海が裂けたかと思うと、超巨大な黒い何かがボート目掛けて飛び出してきた。
突然のことに船は避ける手立てもなく、その巨大な怪物の牙に全てを粉砕された。…無論、乗り合わせていた人間ごと。
先程までボートがあった海面は真っ赤に染まり、つい寸刻前までボートだった残骸が散乱している。
その時、生命など存在しないはずのこの水域にブクブクと気泡が浮かび上がった。数秒後、水面から灰色の影が浮かび上がる。
何の因果か、運命の悪戯か。何故か娘だけがこの場を生き延びていた。
咄嗟に親が彼女を突き飛ばしたのか、それともただの偶然か、それは最早誰にも分からない。
少女は泣き叫び、血溜まりの中で必死に両親を探している。2人の亡骸さえ、もうそこには残っていないのに。掬い上げても掬い上げても、そこにあるのは赤黒い水だけだ。
(……………あそこで一緒に死ねてたら、どんなに楽だったかな…。)
成長した娘は──ヘレナは光景を見るたびの、どつしてもそう思ってしまうのだ。
『もしこうだったら』、『もしもこうしなかったら』。
そんな思考に意味はないと知っていながらも。
すると、ぐにゃりと視界が歪み、意識が朦朧としてくる。
そこで理解した。見るに耐えない夢が終わり、現実が始まるのだと。
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ジリリリリリリリリリリ
耳元で響くベルの音に眉を顰めながら、ヘレナは身体を起こして覆っていた毛布を剥ぎ取る。そして音の発生源である目覚まし時計を叩き付けるような手つきで乱雑に停止させると、そのまま膝に顔を埋める。
「…………最っっ悪の気分ね。」
身体も心も重くて仕方がない。気分なんてものが肉体にどれだけ作用するかは知らないが、きっとこの重さは寝起きだからでも、気のせいでもないのだろう。
枕元に置いてある水を一気に飲み干すが、気分は一向に晴れない。
それも当然だ。水程度で、洗い流せやしない。
この胸に巣食う、
「………準備、しないと…。」
目覚まし時計の設定は7時半。現在時刻は7時35分。
ステーションに顔を出さなければならないのは8時半だ。特段急ぐ必要はないが、これ以上怠けていると面倒くさいことになる。
沈む気持ちに蓋をして、ヘレナはベッドを抜け出した。
着古したパジャマを脱ぎ、クローゼットからカルコッツ諸島スタッフの制服を取り出し、袖を通す。
青を基調とした制服は爽やかで今の気分には丁度いい。だが、個人的には以前の銀を基調としていたCCSRの制服の方が好みだった。一応今は島に雇われたスタッフの一員であるため、島内の和を乱さないために必要だということくらいは弁えているが。
「……さて。」
制服を着終えると、真っ先に向かうのはキッチンだ。
冷蔵庫から牛乳と、昨晩作り置きしておいたサンドウィッチを取り出し、立ちながら口に運ぶ。
具材は卵とレタスだけのシンプルなものだが、なかなか悪くない味だ。
ものの数分で完食すると、今度はリビングのテーブルへ向かう。
机の上にには、書きかけの報告書がペンと共に物寂しそうに残っていた。
この紙切れは、昨晩の任務の調査報告書だ。凶暴化したノライバーを撃破・回収するだけの簡単な内容だったのだが規則上レポートとして報告しなければ面倒この上ない。
「はぁ………意味ないでしょ、こんなの。」
こんな十把一絡げの案件を報告するよりも、今は対処すべき課題が山積みになっているだろうに。特に最近はカルコッツ諸島周辺での危険ノライバーの報告が数多く上がっている。
──ノライバーの中でもトップクラスに強力な膂力と知性を併せ持つカルノ『アステリオス』。
──異常な攻撃力と耐久力を誇る異形のマメンチ『ウルカヌス』。
──三位一体の連携が厄介な鳥脚リバイバーの群れ『ピパクーロ聖歌隊』。
各地での危険ノライバーの活動が活発になってきている。
もしかすると、あの黒い怪物も……
「………ッッッッ…。」
あの姿を想起した瞬間、ペンが止まる。家族を奪い去った黒い悪夢。
自身の復讐相手が手に届く場所にいるかもしれない。そんな風に考えると、休んでもいられるワケがない。
逸る気持ちでペンを走らせ、報告書を仕上げると、次に向かうのは洗面所だ。
部屋から持ってきたパジャマを洗濯槽に入れ、歯を磨き、顔を洗い髪型を整える。つい最近に負った顔の傷がすっかり塞がったことにヘレナは一人胸を撫で下ろす。
女性としての美醜などには興味はない。だが、こういう細かいことに口うるさいのが周りに約3名ほどいる。彼ら彼女らに余計な心配を掛けずに済んだことの方が今のヘレナにとっては重要だ。
身支度を整えると玄関に向かい、買い替えたばかりのスニーカーに足を通し、家の鍵を手に取る。
そして、
「行ってきます。お父さん、お母さん。」
小さな額縁に入った写真に、声をかける。
写真には、子供のころに両親と菜の花畑で撮った光景が焼き付いている。
それは最後に撮った、家族写真。
ヘレナは毎朝、出かける前にこの写真に声を掛ける。
自分に家族がいたことを、いつまでも忘れないように。
自分にも温かな時間があったことを、思い出せるように。
「…………ふ。」
自分の女々しさに、今更ながら笑ってしまう。
──だって、今はない温もりに縋り付いているだけなのだから。
内心で自嘲しながら、ヘレナはステーションへと足を踏み出した。
学校もあるので不定期更新ですが、完結まで持ってけるように頑張ります!