──10年前
「───っ!」
彼女は、酷い頭痛で眠りから叩き起こされた。起き抜けで微睡んでいる世界の中で真っ先に感じたのは、自身の身体の重さ。
頭も、身体も全てが重たい。まるで、全身に拘束具でも付けられているかのように感じる。
明瞭としない意識の中で辺りを見回すと、そこはまるで無菌室のように真っ白な部屋だった。
壁紙も、天井も、シミひとつない。シーツも、毛布も、着ている服も全部純白で、まるで漂白された世界に来たような気分だ。
他に視界に入るものは、白い壁と黒い自動ドア。
室内に余計なものは何一つ存在せず、ヘレナが寝ていたベッド以外は何も置いていない。
機能的と言うにはあまりに味気ない上、見覚えもない部屋に彼女は首を傾げる。
状況も、状態も、理解が追い付かない。前後の記憶が朧げで、思い出そうとすると、
「ッァ…!?」
ガンガンと、頭を内側から鈍器で殴られているかのような痛みに襲われる。
耐えきれずに、ヘレナはベッドの上でのたうち回るが、この感覚に根元にはまるで心当たりがない。激しい痛みに襲われながらも、必死に手元に残っている記憶を辿る。
ハッキリと覚えているのは、両親とボートでリゾートを目指していたということだけ。
そこから一体何があって自分がここにいるのか。
どうして、道中で着ていた夏服のワンピースではなく、患者服のような服を着ているのだろうか。
どうして、一緒にいたはずの両親がいないのか。
そして、ここは何処なのか。状況が全く飲み込めない中、自動ドアが開いた。
「意識が戻ったか。」
「良かった…!大丈夫かい?どこか痛いだとか、気分が悪いとかはないかい?」
扉からは、見知らぬ男性二人が入ってきた。
一人は、白衣を身に纏った目付きの鋭い、白髪の男性。
もう一人は、灰色を基調とした服に身を包む、柔和な笑みを浮かべた、癖のある赤髪の男性。
二人の容姿は本当に対照的だった。
「あなた……達は…?それに……ここは…?」
頭痛に耐えながら、ヘレナは絞り出すように言葉を紡ぎ、二人に問いかける。その言葉に、赤髪の男はその笑みを崩さずに答えた。
「僕はエドワード。気楽にエドとでも呼んでくれ。さっき君を助けた男だ。
こっちはイズモ。見た目は怖いが悪い奴じゃない。
そして今僕たちがいるのはCCSRの支部の一つ。その空き部屋だよ。」
彼らの素性とこの状況は分からないが、彼らの名前と自分の現在地は分かった。
CCSR、という名前だけは聞いたことがあった。確か、危険な野良恐竜の対処をしているとか。
ヘレナの住んでいた街にも支部があった気がする。
でも、何故自分がそこにいるのか。それに、彼の説明の中で最も引っかかったのは、
「助け……?何、から………?お父さんは………お母さんは…?」
『助けた』とはどういうことだろうか?一体、何から助けたのか?
何故、両親ではなく顔も知らない彼が──?
「……あ〜……えーと、ね。」
ヘレナの問いに、エドは意外そうな顔をすると、困ったように笑う。
まるで、何かを気付き、真実を誤魔化したいかのように。
エドの明らかに狼狽えている様子に、ヘレナは疑念を抱く。
何を隠しているのか、思考を巡らせるが頭痛がジャミングのように考えを遮る。そんな重い空気感の中、
「───君の両親は、死んだ。」
「なッ!?イズモ…お前何を!?」
何も誤魔化すことなく、イズモは言い放った。単刀直入に、事実だけを声に乗せて。
エドはイズモを抗議の目を向けるが、そんなことをしても、言ってしまったものは変えられない。ヘレナの身に起きた惨劇と同じで、もう変えられない事実だ。
「──────────は?」
掠れ声と共に、部屋に沈黙が訪れる。
─────死んだ?
それはつまり、もう二人はこの世のどこにもいないということだろうか?
もう母の優しい声を聞くことも、大好きなパイを食べることも出来ない?
もう父の大きくて温かい手のひらに頭を撫でて褒めてもらうことも出来ない?
もう家族団欒の時間を過ごすことも、みんなで出かけることも?
もう、家族であの家に戻ることも出来ない?
もう、何も、出来ないの?
なんで、なんで、なんでなんでなんで。
どうして、そんなことに?
一体、何が、起こって────
「っあぐ………!?」
「思い出せ。何があったのかを。」
頭が、割れる。そう錯覚してしまうほどの激痛。
先程までとは比較にならないほどの痛み。視界が赤く染まり、思考が塗りつぶされる。
耐えきれずにベッドの上で蹲るヘレナを、イズモは冷ややかな目で見下ろしている。
痛みと共に脳裏に知らない光景が流れてくる。
否、正しくは、忘れようとしていた記憶。
──黒い牙。
──血の匂いしかしない海。
──赤黒い血がこびり付いた船の残骸。
封じ込めていた記憶がなだれ込んできて、嘔吐感が一気に込み上げてくる。
「っうぐ………!ォェ…ッッ…!!」
咄嗟に手で口を覆うが、耐えきれずに胃の内容物を全て吐き出す。
純白のシーツが吐瀉物の色に染まっていく。
だが、そんなことがどうでも良くなるほど、胸の奥が痛い。
痛い、痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!!!
心が、割れる。自我が、壊れる。
胸の中央に底なしの虚淵が空いたのが、感覚で知覚できてしまった。
錯覚のはずなのに、肺が悲鳴を上げ、ヘレナは必死に酸素を取り込む。
自分を支える足場のようなものが崩れていく。
奈落に落ちるというのは、こんな感覚なんだと嫌でも教え込まれている気分だ。
「なん………………で?」
何で、こんなことに。
何で、自分がこんな目に遭うのか。
何で、もう居場所がないのか。
心が救われる答えが欲しくて、一縷の望みをイズモに託す。
涙と胃液で汚れた顔を上げ、イズモに目を向けるが、彼は相変わらずの鉄仮面で、相変わらず冷たい目で見下ろしている。
「理由などない。ただ運が悪かっただけだ。ただ運悪く、喰い殺されただけだ。そして運が良いことに、君だけは生き残った。」
「イズモ!いい加減にしろ!!!」
エドは声を荒げ、イズモの胸倉に掴みかかる。
「ここまで彼女を追い詰める必要がどこにある!?」
「彼女はこれから人生の岐路に立つ。情報をロクに開示せずに選択を迫るのは卑怯ではないか?」
「それはそうだが……!!だからといって今言う必要はないだろう!? もっと心の傷が癒えてからでも…!」
「自身の道を選択した後に両親の死を知れと?右も左も分からない子供ならばそれでも構わないだろう。だが彼女は見たところ13か14歳だ。
この先の判断くらい、自分で出来るはずだ。であれば、知らせてやるのがフェアというものだ。」
「……………もう…いい…。」
言い争う二人を他所に、ヘレナの喉から掠れ声が漏れる。
今にも消えてしまいそうな弱々しい声で、ヘレナは続ける。
「………もう、どうでもいい…………………辛いの、耐えられないの…。帰りたい………………戻りたい…………………死に、たい…………。」
大好きな人たちがいない世界に、存在している理由なんてない。
もう、このまま消えてしまいたい。これからのことなんて、心底どうだっていい。だって、それを一緒に考えたかった人たちはもう、いないのだから。
耐えきれないほどの孤独を抱えて生きていくくらいなら、今ここで終わらせてほしい。大粒の涙を流しながら、ヘレナは力なくベッドに横たわる。
「ヘレナちゃん……。」
エドはヘレナの肩にポンと手を置くが、そんなものは何の足しにもならない。
ヘレナの啜り泣く音だけが部屋に響く。
「…………君には選択肢がある。」
イズモは膝を折り、ヘレナと同じ目線の高さに合わせると人差し指を伸ばす。
「一つは忘却。今日あったことを何もかもを忘れて、空っぽの我が家に戻ること。」
戻る?誰もいなくなった我が家に?
この心の傷を無かったことにして?
そんなの───。
ヘレナの考えが纏まる前にイズモは続けて2本目の指を立てる。
「二つ目は闘争。自身の復讐を果たし、君の家族のような被害を減らすために茨の道を歩むかだ。」
復讐。
その言葉は、ヘレナの胸にストンと嵌る。まるで足りなかったパズルのピースのように。
誰かのためだなんてお為ごかしは、要らない。
ただ、この胸の空白を埋めるために。
「さあ、君はどうしたい。どれを選んでも、私たちは君を保護し、尊重しよう。」
イズモは真っ直ぐヘレナの眼を見て問いかける。嘘も誤魔化しも通じないだろう瞳に、ヘレナはゆっくりと身体を起こした。
「私、は………。」
この頃のヘレナに出来た心の穴を埋める方法は、一つしかなかった。
それは心の空洞に、憎しみを詰め込むこと。
そうすることでしか、やっていけなかった。
───この選択に後悔が、ないわけではない。
もっと別の進路があったのかも知れないと今でも考える。
でも、これしか、なかったんだ。
エドワードさんの妄想CVは鈴村健一さんで、イズモさんはCVジョージィです。 まあ後者はモデルにしたキャラ一発で分かりますよね(苦笑) あと少しでお話動きます!