「ハアッ……ハッ…!」
ヘレナが走り去った先は、アバラータウンのヘリポート前の広場。
長い距離を全力で走ったのは久しぶりで、息を切らしながら力なく噴水の縁に腰掛ける。動きを止めた途端汗が滲んできて、ポケットのハンカチでそれを拭い取る。
「っふぅ……。」
一陣の風が吹き抜け、噴水の近くということもあって、汗ばんだ肌が冷えるのを感じながら、ヘレナは一息つく。
深く深く呼吸をして、熱が籠る身体と血が上った思考を落ち着かせる。
落ち着くや否や、つい先程のことが頭に蘇る。
怒りと羞恥がミックスされた感情が心底から込み上げてきて、思わず紅潮した顔を覆う。ついカッとなってしまったことも、あの場から逃げ出したことも、全てが恥ずかしい。
組織内では一応クールな感じで通ってたのに、あんな大声を出してしまた上に、情けなく逃げ出してしまったことが悔やまれる。
まあ、食堂の時点でヘレナはそれなりに感情豊かなのは、一部の人にはバレていたかもしれないが。
そして羞恥よりも強く、自分に恥をかかせたイズモへの怒りが沸々と込み上げてくる。
イズモはいつだってあんな調子だ。昔からずっと変わらない。
全て見通したような目で、分かったような口ぶりで好き勝手に言葉を並べる。
それも、ヘレナの心を抉る言葉を。本当に、あの男のことは大嫌いだ。
(何でエドワードさんはあんなヤツと友達でいられるのかしらね……。)
あんな口も性格も悪く、性根も腐っている男とエドはどうして今でも親交があるのか理解に苦しむ。
ヘレナだったら会ってその日に縁を切ってる。
男同士の友情というヤツなのだろうか。
それとも2人の過去に何かあったと言うのだろうか。
何にせよ、ヘレナには理解の及ばない領域らしい。
そんなことを考えながら座っていると、軽い頭痛と倦怠感が突然襲ってきた。それに、少しだけだが眩暈もする。
そういえば、今日は朝からあまり体調が優れなかったことを思い出す。
「……帰ろ。」
施設には顔を出したくないし、レイシアに遭遇するのも避けたい。
それに、どうせ今日はもう夜の任務までやることが何もない。
家に帰ってシャワーでも浴びて、少し寝よう。
そうすれば、多少気分は良くなるだろう。
これからのプランを決めると、顔を上げる。
嫌になるくらい眩しい太陽に燦々と照らされながら、視界にはたくさんの人々の姿が写ってくる。
ヘレナの心は今、怒りの業火に晒されているというのに、周りは皆平和なものだった。
チューインガムを膨らませながら、ケータイをいじっている少女。
犬に何やら敬語で話しかけている金髪の女性。
マントを羽織った赤髪の少年にカセキバトルを申し込む金髪の少年。
少年少女をなんだか怪しい目で見ているエプロン姿の女性。
スタッフにカタコトの言葉で何かを尋ねている和服を纏った金髪の女性。
左目に傷のある大男に何かを相談している赤髪の少女。
彼らを見ていると、自分にもあんな明るい未来があったのかもしれないと、イヤでも思わされてしまう。
あの惨劇からの10年間は、自分でも空っぽのものだったと思う。
遊びも、恋愛も、何もない。
世俗から離れ、復讐のためだけに生きてきた。
でも、その結果は未だに付いてこない。
本当に、何の意味も価値もないガラクタだ。
ヘレナ自身がそう望んだわけじゃない。
彼女はがむしゃらに、必死に、全力で生きてきた。
その結果がこれなのだと考えると、虚しくなってくる。
人生は上手くいかないもの、とはよく言ったものだ。
こんな境遇にあると、自分は選ぶ選択肢を間違えたのではないかと思ってしまう。
それを考えてしまうと、これからやっていけなくなることを分かっていながら。
今の自分を何とか奮い立たせているのは、義務感と使命感、そして『無駄にしたくない』という恐怖心だ。
両親の死を、自分の努力を、否定してしまうのが怖い。
焼き付いて離れないあの記憶が、ヘレナに立ち止まることを許していない。だが、この支えがが無くなれば、彼女はもう折れてしまう。
それ程までに、この10年と言う時間はヘレナにとって重たかった。
「………何考えてるんだろ、私。」
暗い方向に沈む思考に蓋をして、ヘレナは立ち上がる。
今、意識を向けるべきはそこじゃない。
今はこれからの戦いのことを考えるべきだ。
合理的に、合理的に、思考を塗り替える。
「──なあ、そこの姉ちゃん。」
立ち上がるや否や、突然後ろから声が呼び声が聞こえた。それが自分に向けられたものであると理解するのに少し時間が掛かったが、聞き慣れない声に振り返ると、
「すんげーマブいなあ。俺ゲンマっつーんだけどよ、良かったら一緒にお茶しない?」
そこにはアロハシャツにサングラスをした如何にもな格好をした赤髪の男が立っていた。年齢は、少し上か同年代くらいだろうか。
「……………………………………………はい?」
人受けの良さそうな笑顔と共にゲンマはそう言い放たれた言葉に、ヘレナは長い長い沈黙の果てに首を傾げた。
これは恐らく、『ナンパ』というやつだ。
あまりにも古典的かつテンプレートな誘いの言葉に、ヘレナは苦笑してしまう。女性をお茶に誘いたいと本気で思うなら、もっと他に誘い方があるだろうに。
さてはナンパ初心者だなオメー。
などと思ったが、ナンパなどされたのは人生で初めてで、どう対応していいのか分からなかったのも事実だった。
「……見てわからない?私、一応ここのスタッフなんだけど。」
この島のスタッフは基本的に一般人とはある程度の距離を取るのが普通だ。スタッフリーダーなどの、ある程度の例外はあるが。
「おう!見りゃあ分かるがそれはそれだ!可愛い女の子には声を掛けるのがマナーだからな!」
ゲンマは破顔するとサングラスを外し、その開いているかどうか定かではない糸目でこちらを見据える。
顔立ちはそれなりに端正で、よく見れば瞳の色は綺麗な翡翠色だ。
容姿がタイプでないわけではなかったが、些か彼はタイミングが悪かった。
「はぁ………後にして。今は誰かと喋りたいような気分じゃないの。」
身体が重くて、頭も痛い。
この体調だと、レイシアやリーラと話すことすら億劫になるほどだ。
親しくもない初対面の彼であれば、尚更だ。
「まーまーそんな寂しいこと言うなって。ほらほら気分転換に、よ。」
ハッキリと断ったのに、意外と彼は強引だった。
ゲンマはヘレナの手を取ると、勝手にエスコートを始めようとしている。
「ちょっと……離して…。」
重い身体を無理に引かれると、ただでさえ辛い倦怠感が更に強くなる。
不快感を感じて彼の手を振り払おうとするが、思いの外手を握る力が強く振り解けない。
「おいおい、そんなしみったれた仏頂面すんなって。
「ッッッ!!!!」
──人生………損する………だって?
その言葉に、プツンとヘレナの中の何かが限界を迎えた音がした。
今日は朝からずっと、あの日の悪夢を思い返していた。悪夢にうなされ、憎しみを再認識し、原点を思い返し、怒りを焚き付けられた。
加えて、体調の悪化による判断力の低下。
そんな状態で、あのような言葉をかけるのは、爆薬に火のついたマッチを投げ入れるような行為だ。
パン、と乾いた音がヘリポート前に響く。
直後に、カランカランとサングラスが地面に音を立てて落下した。
ゲンマは状況が理解できず頬に手を当てると、ジンジンと鈍く痛みが伝わってくる。平手打ちを喰らったのだと気付くのに、数秒かかった。
間髪入れず、ヘレナはゲンマの胸倉に掴みかかる。
「ッ!?」
「貴方に…………貴方、なんかに…そんなこと決められたくない………。何も知らないクセに…!!!」
後先など考えず、湧き上がる激情に身を任せる。
「私がッ……これまでどんな気持ちで今まで…!!私だってっ…私、だって…!!!」
自分は、一体何を言っているのだろうか。こんな見ず知らずの人物を相手に。恥ずかしげもなく、大声で。
でも、どうしようもなく目頭が熱い。
自分が感じているのが悔しさなのか、怒りなのか、嘆きなのか、よく分からない。それでも、この感情に蓋をしたままなんて、ヘレナには出来るはずもなかった。
「…………おい…大丈夫、か?」
「っ!!」
ゲンマのその言葉と、頬に感じる温かい感覚にハッと我に帰る。
「…………あ…わた、し……。」
自分のやったことに、頭が真っ白になる。
赤の他人に、思い切り平手打ちをしてしまった上、掴みかかり涙まで流すなんて。
羞恥で身体が一気に熱を帯びる。
これでは、イズモに言われた通り半人前だ。
いや、きっとそれ以下だ。
「………その………ごめん、なさい……。」
ゲンマは困ったように笑うと、地面に落ちたサングラスを拾い上げた。
ひび割れてしまったレンズを見て少しだけ残念そうな顔をすると、彼はそれをポケットに仕舞う。
「悪かったな。言っちゃぁいけないことを言っちまったみたいだ。
………忘れてくれ。それじゃあな。」
「───。」
去っていくゲンマの後姿を見ながら、ヘレナは深く深く溜息をつく。
疲れが溜まっているのか、大分キテいる。
眉間を摘み、痛みで意識を正常に保つ。
腰に下げたメダルケースから、一つメダルを取り出して、爪の先に乗せる。メダルを軽く弾くと、それは白く発光し辺りを光が包みこむ。
眩しさで閉じていた目を開けると、すぐそこに1匹の小型の恐竜が姿を現す。
そこにいたのは、橙色の毛並みをした小型恐竜シノサーロ、名前はレグルス。
メダルから出られた喜びからか、主人の顔を見れた嬉しさからか、レグルスはヘレナの膝に飛び乗り上目遣いにこちらを見つめている。
『撫でて欲しい。』というアピールだ。頭を軽く撫でてやり、彼女を思い切り抱きしめる。
「ねえ、レグルス?」
耳元で心地良さそうに喉を鳴らす彼女に呼び掛ける。
「───私、どうすれば良かったのかな?どうやって、生きれば良かったのかな……?」
返ってくるはずのない問いを、レグルスに投げかける。
当然、彼女は何の答えもくれなかった。
ただ幸せそうにヘレナの頬に顔を擦り寄せていた。
次回、ヘレナさんVSメテオール ファイ!!!!