東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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14 焼け果てた街で

 霊夢、懐夢、霊華の三人はいつもどおり、朝食を摂っていた。卵焼き、鮭の切り身の塩焼き、椎茸と和布と豆腐の味噌汁、白米といった、いたって標準的で飾り気のない品ぞろえであったが、霊華が作ればそんなものでさえご馳走のように美味しく感じられた。しかし、そんなおいしい料理を食べているはずなのに、懐夢はずっとうかない様子で朝食を食べていた。普段は結構早い箸も、かなり遅く見える。

 懐夢が気になって、霊夢はご飯茶碗を片手に声をかける。

 

「懐夢どうしたの。そんな顔して食べて」

 

 懐夢は首を横に振った。

 

「なんでもない」

 

 霊華が心配そうな表情を顔に浮かべる。

 

「もしかして、美味しくない?」

 

「そんな事ありません。美味しいです」

 

 もし懐夢が霊華の料理を食べたくなくてこの顔ならば、食べる速度もかなり遅くなっているはずだ。しかし、懐夢はいつもと同じ速さでご飯を食べ進めている。だから、それは違うだろう。では何だろうと考えようとしたその時に、霊夢の頭の中に一筋の閃光が走った。

 もしかしたら、深夜懐夢が飛び起きた時の悪夢が原因かもしれない。一体どんな内容だったのかはわからないが、悪夢を見た翌朝の朝食は、なかなか捗らないもの。しかも懐夢は悪夢とかそういうものを引きずる性質らしく、悪夢を見た翌日はとことん元気がなくなる。悪夢を見た翌日の懐夢を元気付けるには悪夢の内容を離させて、慰めてやる事が一番効果的だが、今は霊華がいるため、それをするべきではないだろう。今は放っておいて、霊華が目を離したすきにでもやってあげよう。

 

「食べたくないなら、無理しなくたっていいのよ?」

 

 懐夢は首を横に振った。

 

「そんな事ないよ。全部、食べられるから」

 

 そう言って、懐夢は食べる速さを少しだけ上げた。二人はどうも腑に落ちない様子で懐夢の事を見ながら、自分の分の朝食を食べ進めたが、あまり美味しいとは思わなかった。

 そんな調子で三人は朝食を食べ終えて、後片付けを終えたところで居間へ戻ったが、霊夢と懐夢はすぐに外へ出る支度を始めた。いきなり何も言わずに準備を始めた二人に、霊華はきょとんとする。

 

「出かけるの?」

 

「忘れたの? 街に行くのよ。どれくらいの被害が出たのか、確認しなきゃいけないからね」

 

 霊華が不安そうな表情を浮かべる。

 

「そうだったわね……きっと酷い事になってると思うわ」

 

「そうでしょうね。でも行かなきゃいけないわ。留守番よろしくね、霊華。いつもどおり札を使っていくから、何かが入り込む事はないと思うけれど」

 

「任せておいて」

 

 霊夢は頷き、支度を終わらせると、懐夢を連れて博麗神社を出て、崩壊してしまった街の方へと重い足を進めた。階段を下り、獣道に入っても、焦げたような臭いや、煤のような嫌なにおいを感じる事はなかった。あれだけ大きな火災が起きるとここまで臭いがしてきそうなものだが、どうやら短時間で燃えて、同じく短時間で火が消えたから、そこまで臭いが広がる事もなかったようだ。しかし、それでも甚大な被害が出た事に変わりはない。

 

「どんななってるでしょうね……あまり想像したくない気分だわ」

 

 呟いたその時、霊夢は急に手に重さと温かさを感じて、振り向いた。いつの間にか、懐夢が隣に来ていて、自らの手と自分の手を頑なに繋いでいた。懐夢が隣で歩くというのは珍しくないが、こうやって自分から手を繋ごうとするのは珍しい。

 

「懐夢?」

 

 ぼそり、と懐夢が呟くように言った。

 

「手、繋いだら駄目?」

 

 懐夢の顔に浮かぶ、心の中の不安を映し出したような表情に霊夢は少し驚いたが、やがて微笑み、首を横に振った。

 

「駄目じゃないわ。手を繋いでいきましょう」

 

 懐夢は小さく「ありがと」と言って、霊夢から目の前へと視線を向けた。しかしその時に、霊夢は自分の置かれている状況にハッと気付いて、同時に思い付いた。そうだ、今自分は懐夢と二人きりだ。今ならば、懐夢も悪夢の事を話してくれるはず。同時に、懐夢を慰める事も出来るはずだ。

 視線を懐夢に向けぬまま、霊夢は声をかけた。

 

「ねぇ、懐夢」

 

「なぁに」

 

「今日に入っていたかしら。その時に見た悪い夢の内容、話してもらえる」

 

 懐夢は何も言わずに俯いた。どうやら、あまり話したくない内容らしい。

 霊夢はちらと懐夢に目を向けてから、もう一度声をかける。

 

「無理に話さなくたっていいわ。でも話した方が、心が少し軽くなるはずよ」

 

 懐夢は俯き続け、沈黙を貫いた。霊夢は懐夢に気付かれないよう、静かに溜息を吐いて、首を横に振った。

 

「ごめんなさい。貴方が話したくなった時に話してくれれば、いいわ」

 

 そう言って目の前に視線を戻した直後、懐夢は歩みを止めて、閉じていた口を再び開いた。

 

「……霊夢が殺される夢だった」

 

 霊夢は驚いて、懐夢に目を向けた。

 

「なんですって」

 

「霊夢が殺される夢だった。皆が寄って(たか)って霊夢を切り刻んで、殺す夢だったんだ。ぼくは刀も持ってなくて、スペルカードも発動出来なくて、ただそれを見て叫ぶ事しか出来なかった……おかあさんとお父さんが殺される時と、同じだった」

 

 霊夢は顔を少し青くした。懐夢は前に両親を殺される悪夢に苛まれた事があり、それが心の中にいつまでも残って、トラウマになってしまっている。懐夢が見た夢は、そんな懐夢の治癒したはずの心の傷を開いて、その上から更に傷をつけるような、内容だ。

 しかも、今は懐夢の見た夢が正夢になりかねない状況だ。誰が<黒獣(マモノ)>になるかわからないし、現れた黒獣(マモノ)>との戦いはいつも死と隣り合わせの危険なものだ。今の幻想郷で起きている異変、黒獣(マモノ)事変は全ての民が死の危険に晒されている状態と言っても過言ではない。現に今だって、早苗が<黒獣(マモノ)>と化して街に火を放ったために沢山の死傷者が出て、幻想郷で最も華やかな街が壊滅した。

 

 この、街の民に訪れた死が、自分に迫り来たっておかしい話ではないし、不思議でもない。

 霊夢は髪の毛を掴んで、歯を食い縛った。

 懐夢の声が弱弱しくなった。

 

「ぼく……怖い」

 

 霊夢は髪の毛を離し、懐夢に目を向けた。その藍色の瞳からは、涙が零れていた。

 

「おかあさんとおとうさんが殺される時に何も出来ないで逃げたみたいに、霊夢の事も守れないで終わるんじゃないかって、怖いんだ。おかあさんとおとうさんみたいに、霊夢もなくしちゃうんじゃないかって、殺されちゃうんじゃないかって、すごく、怖いんだ」

 

 霊夢は懐夢に聞こえないような小さな声で、「あぁ……」と言った。

 実のところ、自分も不安だ。懐夢は自分を守りたいという願いを叶えるべくして、紫と霊紗の元に出修行を積み重ね、博麗の巫女が持つ力を取得し、第二の博麗の巫女と呼べる存在、<博麗の守り人>となった。しかしそれは同時に、博麗の巫女を守るためならば自らの命を投げ出すような存在になり、異変の時は常に死の危険に晒されるようになった事を意味する。

 

 懐夢が強くなったと聞かされて、その力を見た時には頼もしさを感じたが、<黒獣(マモノ)>との戦いを繰り返す毎に、霊夢の心の中には、懐夢がこの異変によってその命を落としてしまうのではないかという大きな不安が付き纏うようになった。この異変によって、母に続いて懐夢も失ってしまうかもしれない。霊夢はそれが何よりも恐ろしかった。

 懐夢がぼろぼろと泣き出す。

 

「ぼく、怖い。霊夢が死んじゃうのが、怖い」

 

 怯え、不安で泣き出す義弟(おとうと)の身体を、霊夢は再び抱き締めようとしたが、少し抵抗して、その両肩に手を置いた。義弟はきょとんとして泣くのをやめ、その顔を見ながら微笑んだ。

 

「前に言わなかったかしら。私は死なないわ。だって一番信頼してる懐夢が、私を守ってくれてるんですもの」

 

 懐夢は首を横に振った。

 

「でもぼく……本当に霊夢の事を守れるのかな」

 

「えぇ。だって貴方はそのために強くなったのだもの。私のために強くなってくれた子が、私を守ってくれないわけがない。そうでしょう」

 

 霊夢は懐夢の涙でぬれた頬に手を当てる。

 

「それにね懐夢。実は私もね、怖いんだ」

 

「なにが?」

 

「貴方が死んじゃう事よ。貴方はこうして私と並んで異変に立ち向かっているけれど、今の異変はすごく危ない。<黒獣(マモノ)>との戦いになる度に、貴方が<黒獣(マモノ)>に殺されちゃうんじゃないかって、すごく怖くて、不安になるのよ」

 

 霊夢は下を向いた。

 

「街の人とか、色んな人が死んでいく様を見る度に、今度は懐夢の番じゃないかって、いつも思っちゃうのよ。それで、不安になって、怖くてたまらなくなるの」

 

 霊夢は顔を上げた。

 

「だからね、私はずっと思ってるのよ。この異変の間、ううん、これからずっと、懐夢に守られながら懐夢を守っていくってね」

 

 懐夢が首を傾げる。

 

「ぼくを守りながら、ぼくに守られる?」

 

「そうよ。そうすれば、二人とも死なないわ。私は懐夢が守ってくれるから死なないし、懐夢は私が守るから死なない。死ぬ時はきっと二人一緒よ。でもそれは最悪の結果……どっちも生きてなきゃ、駄目よ」

 

 霊夢は首を少しだけ傾げた。

 

「だからね懐夢。私が不安になったら、私の事を守って頂戴。それで貴方が不安になったら、私が貴方を守る。二人で守り合って戦えば、不安も恐怖もない。そうでしょう」

 

 懐夢がぼそりと呟く。

 

「二人で守り合って、戦う……」

 

「うん。そうすればきっと、この異変は二人とも生きて乗り切れるわ」

 

 懐夢は俯いて、黙った。

 いきなり黙り込んだ懐夢に霊夢が首を傾げた直後、懐夢は顔を上げた。

 

「……ぼく、霊夢を死なせないし、死なない。霊夢と一緒にいたいから」

 

 霊夢は微笑んだ。

 

「そういう事よ。私はこれからも貴方と一緒にいたいから、貴方を守るし、貴方に守られる。だから懐夢、そんなに心配しなくたって大丈夫よ。貴方は強いし、私だって強いんだから」

 

 懐夢は一瞬俯いた後に顔を上げて、うんと頷いた。その顔には、不安を抱えた表情はなかった。

 

「ぼく、頑張る」

 

「えぇ。私も頑張るわ」

 

 霊夢はそう言った後に、懐夢の頭に手を乗せて、ゆっくり優しく撫でながら、おまじないをかけた。

 

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 

 いつもと同じおまじないをかけて、懐夢の頭から手を離したその時に、懐夢は霊夢に声をかけた。

 

「ねぇ霊夢、少し頭を下げてみてくれる?」

 

「え? 頭を下げるの?」

 

「うん」

 

 懐夢にこんな事を頼まれた事はない。一体何をするつもりなのだろうと思いながら、霊夢は頭を軽く下げた。

 

「こうかしら」

 

 霊夢が言った直後、懐夢はそっと霊夢の頭に手を伸ばし、その髪の毛に手を乗せた。そしてそのまま、ゆっくり、優しく撫でながら呟くように言った。

 

「だいじょうぶ、だいじょうぶ」

 

 霊夢はきょとんとした。これは、おまじないだ。いつも懐夢を慰めたり可愛がったりする時にしてあげるおまじない。……そのおまじないを、自分が懐夢にかけられている。今までとは完全に逆の構図だ。

 懐夢は数回頭を撫でた後に、そっと手を離した。あまりに唐突に、意外な事をされてきょとんとしてしまっている霊夢に、懐夢はにこやかに笑いかけた。

 

「これで、大丈夫だよ霊夢」

 

 そう言われて霊夢は我に返り、意外な事が自分の中で起きている事を察した。

 いつの間にか、心が非常に落ち着いている。まるで、幼い日に母が撫でてくれた時のようだ。もしかしたら、これが自分におまじないをされた時の懐夢の気持ちなのかもしれない。

 

「懐夢」

 

「なぁに?」

 

「これの効果、すごいわね」

 

「でしょう。ほら、もう大丈夫だから、行こうよ」

 

 二人は笑い合うと、再び手を繋いで、街へと急いだ。

 しかし、街に辿り着いたところで、二人は思わず手を離し、呆然と立ち尽くした。今は午前九時半……街の人々や妖怪達、店屋が騒ぎ始める時間帯なのだが、街は至る建物が廃墟や火災跡になっており、黒く染まっていた。いつも聞こえてくる街の人々の声も聞こえて来ず、ところどころから悲鳴や泣き声にも似た小さな声が聞こえてくる程度だった。勿論、街の人々の姿もほとんど見られない。変わり果てた街の姿は、一目で昨日の<黒獣(マモノ)>の被害がどれほどのものだったのかを二人に教え込んだ。そして霊夢は街の姿が、空しく廃墟になっている大蛇里の姿と重なって見えて仕方がなかった。

 ほぼ廃墟と化した街の周囲を見回し、霊夢は呆然と口を開いた。

 

「ここが……あの街だっていうの……」

 

「そんな……こんな事って……」

 

 至るところで、人々や妖怪達が悲鳴を上げている。そこに目線を向けてみれば、ほとんどが小さな子供を抱いた女性や男性、同じく女性を抱いた男性や、身体が著しく欠損した男性の傍で泣く女性などといった、マモノの襲撃に巻き込まれたであろう街の民達だった。そんな人々に抱き抱えられている子供や大人は、どれも力なく抱かれているだけで、生きているような様子を見せなかった。どれも、遺体だった。

 

「あそこに人達って……」

 

「<黒獣(マモノ)>の襲撃に巻き込まれて亡くなった人と、その遺族ってところでしょうね。可哀想に」

 

 二人で呟きあったその時、背後から声が聞こえてきて、二人は振り向いた。そこには街の外れにある命蓮寺の住職である白蓮と、慧音の姿があった。二人は驚いて、白蓮と慧音に近付いた。

 

「白蓮、それに慧音」

 

 白蓮が心配そうな表情を浮かべた。

 

「お二方、大丈夫でしたか」

 

 懐夢が頷く。

 

「ぼく達は無事です。でも、街が……」

 

 慧音が俯く。

 

「蛇神事変の時とは比べ物にならない被害だ。街は、ほぼ壊滅状態だよ」

 

 白蓮が悲しそうな顔になる。

 

「数えきれない人と、妖怪達が犠牲になっていました。もう、目も当てられないような有り様です」

 

 霊夢は辺りを見回した。やはりどこもかしこも潰れ、焼け爛れ、崩れた建物で埋め尽くされている。当然というべきなのか、人の気配も、妖怪の気配すらも感じない。

 

「いつも寄ってた店とか、全滅してそうね」

 

 懐夢が慧音に声をかける。

 

「先生、寺子屋は。寺子屋はどうなったんですか」

 

 慧音の顔に重い影が現れた。

 

「寺子屋も私の家も奇跡的に無事だったよ。だが、多くの学童達が死んでいたよ。圧死、爆死、壊死、焼死……色んな死因でな」

 

 懐夢は思わず口を覆った。

 

 今の自分が通う寺子屋は午後の部のみで、同級生はいつも遊んでいるチルノ達だけだが、それでも午前の部の同級生がそんなに亡くなったのが信じられなかったし、とても悲しくなった。

 

「どのくらい、亡くなったんですか」

 

 慧音は懐夢に一枚の紙を差し出した。

 

「それを見てみるといい。午前の学童達の出席簿だが、脇に赤いバツ印が書いてあるのが犠牲になった者だ」

 

 懐夢は慧音から出席簿を受け取り、閲覧した。そこには午前の授業を受けていた時の同級生達の名前があったが、その名前の一覧を見たところで懐夢は紙を手放しそうになった。……午前の部の学童は自分も入れて四十人いたのだが、そのうちの三十人に赤いバツ印が付けられている。これだけの数が、あの一夜のうちに死に絶えたらしい。

 

「こ、こんなに……」

 

「あぁ。私も最初は絶句したよ。こんな数が死んでいたのだからな。午前の者達は、全滅だよもう」

 

 懐夢は頭の中が痺れたようになって、ゆっくりと慧音に紙を返した。その紙を横から見ていた霊夢は、思わず戦慄して、口を覆った。子供達だけでもこれだけ犠牲になったというのならば、大人達を入れればどれだけの数になるのだろうか。想像しようとすると吐き気がしたので、霊夢はすぐさま考えるのをやめた。

 直後、慧音が懐夢にか細く言った。

 

「だがよかったではないか、懐夢」

 

「な、何がですか」

 

「この犠牲者は、ほとんどがお前を化け物呼ばわりして嫌っていた者達だ。これでお前も午前の授業を受ける事が出来るぞ」

 

 霊夢、懐夢は思わず言葉を失った。慧音が、学童を何よりも大事にするはずの慧音が、学童達がいなくなってよかったなどと言っている。

 寺子屋の教師としてはあるまじき発言に懐夢は怒り、慧音を怒鳴りつけた。

 

「そんな言い方ないじゃないですか!!」

 

 霊夢が腕組みをする。

 

「あんた、その言い方はないわ。教師としては、狂ってる」

 

 その時、慧音の顔が見えて、霊夢はもう一度驚いた。慧音の顔にはいつもの健康そうな色はなく、完全に色が抜けたように青白く、目の下には濃い隈が現れていて、目の色は泥でも流し込まれたかのように濁っていた。本当に慧音のなのかと思わせるようなその顔色は、この出来事が慧音の心にどれだけの衝撃と傷を負わせたのかを、霊夢に悟らせた。

 慧音の濁った顔に、うっすらと微笑みが浮かぶ。

 

「……あぁ。狂ってるのかもな。もう、自分が何をしてるのか、何を考えているのかすら、わからないよ」

 

 慧音は街の奥の方へと目を向けた。

 

「さてと……まだ犠牲者がいるだろうから、探しに行かないとな」

 

 そう言ってから、慧音は突然歩き始めた。霊夢と懐夢は慧音を止めようと声をかけたが、慧音はそれを無視して、犠牲者がいるであろう街の奥の方へと進んで行ってしまった。そんな慧音の後ろ姿を見て、霊夢は髪の毛をぐしゃっと掻いた。

 

「……慧音、かなりまいってるわね」

 

 白蓮が頷く。

 

「まいっているで済みませんよ。この後、彼女にはもっと恐ろしい事が待っているのですから」

 

 懐夢が白蓮の方に顔を向ける。

 

「それって」

 

 霊夢は慧音が去って行った方角に顔を向けた。

 

「歴史の改変よ。慧音には歴史を食べる力がある。だから、街のこの惨状を「無かった事」にしなきゃいけない。無かった事にして、街に平穏を取り戻さなきゃいけないわ」

 

「「無かった事」にする……?」

 

 霊夢は懐夢に説明を施した。

 慧音の持つ、歴史を食べる能力。それは主に異変などが起きた時に使用される、幻想郷の民達の記憶を消したり操作したりして、異変や惨劇を忘れさせる能力だ。人々の記憶から異変や惨劇が抹消される事により、街を襲った異変や惨劇は文字通り「無かった事」になり、幻想郷の民達はいつも通りの日常を過ごす事が出来るようになる。

 これまで、街の人達が結構な数亡くなっているのだが、誰一人それを悲しんだりしていない。それは、慧音が人々の記憶を消したり、動かしたりして、亡くなった人達を「無かった事」にしてたからだ。

 

「そう、だったんだ……慧音先生は、そうやって……」

 

 白蓮が首を横に振る。

 

「ですが、その力と行為には問題点が存在します」

 

 懐夢は白蓮に顔を向けた。

 

「問題点?」

 

 霊夢がそれに答える。

 

「街の人々の記憶を消したとしても、私達とか慧音自身の記憶には残るのよ。だから慧音は寺子屋の学童とか、親しくしてくれた人の死を、真正面に受け止めなきゃいけない」

 

「それだけではありません。彼女が人々の記憶を消すには、記憶の入り込んで、記憶がどういったものなのかを知らなければいけません」

 

 懐夢は顔を蒼くする。

 

「それって、それってもしかして!」

 

 霊夢は頷き、俯いた。

 

「街の人々の死の瞬間だとか、大事な人を失った人の気持ちだとかが、慧音の心に流れ込むのよ。慧音自身の感情に上乗せする形でね。あの人は心の強い人だから、どんな事があっても折れたり、まいったりしなかったんだけど……」

 

 白蓮が顔を片手で覆った。

 

「今回はあまりにひどすぎました。愛する学童達が沢山亡くなって、街が滅茶苦茶になったものですから……あの人の心にも大きくて深い傷が出来てしまったと考えられます」

 

 懐夢は目を閉じた。まぶたの裏にやつれた慧音の顔が、耳の中に学童の命を軽んじたあの言葉が浮かび上がった。

 

「だから慧音先生はあんなふうに……」

 

 霊夢は空を見上げて、昨日の夜を思い出した。<黒獣(マモノ)>が街を破壊した夜、空には満月になりかけた月が浮かんでいた。恐らく、あの月は今夜完全な満月と化すであろう。……丁度悪い。

 

「しかも今夜は満月。慧音が幻想郷の歴史改変を行う日だわ」

 

 慧音は満月の夜にハクタクとなり、幻想郷全体の歴史を覗ける状態となって幻想郷の民達の記憶から異変を抹消してなかった事にし、更に無かった事にした歴史を歴史書に書き上げる。それ自体は前から行われていたことなのでどうという事はないのだが、今回の異変はあまりに凄惨で、慧音の心にこれ以上ない負担をかけるものだ。

 街の人々の記憶を覗いて惨状を真正面から受け止めなければならないうえに、それを街の人々の記憶から抹消して、歴史書に書かなければならないのだから、いくら強靭な精神力を持つ慧音でもこれ以上ないくらいに苦しむ事になる。しかも、死亡者の中に数多くの教え子達が入っているのだから尚更だ。

 

「慧音、大丈夫かしら。こんな時にこそなんとかしなきゃいけないのが博麗の巫女なのに、何をしたらいいのかまるでわからないわ」

 

 白蓮が首を横に振った。

 

「残念ですが霊夢に懐夢。貴方達は博麗神社へお帰りください。ここは私達に任せておいて大丈夫ですから」

 

「何も、出来そうな事がないんですか」

 

 懐夢の問いかけに白蓮は頷く。

 

「慧音さんから聞きました。貴方達は、この幻想郷を襲う異変に立ち向かっていると。ですから、貴方達は街の惨状をこの幻想郷で再度起こさないように、異変と戦う事を優先してください。それが私が思い付く、貴方達に出来る事です」

 

 確かに、今のところ<黒獣(マモノ)>の事を知り、立ち向かっているのは自分達だけだ。ここでやることを探すよりも、<黒獣(マモノ)>がいつ現れていいように準備しておく方が有意義かもしれない。そう思うと、霊夢は懐夢に声をかけた。

 

「残念だけど懐夢。私達はここで帰りましょう。ここでやれる事を探してさまようよりも、博麗神社で<黒獣(マモノ)>と戦う準備をした方がいいわ」

 

 懐夢は霊夢に振り向く。

 

「でも霊夢」

 

 白蓮が懐夢に言った。

 

「ここは私達に任せておいて大丈夫ですよ懐夢。貴方達博麗神社の者達は異変から幻想郷を守る希望なのです。だから、貴方達は幻想郷を襲う異変を終わらせる事を最優先してください」

 

 懐夢は白蓮の微笑みの浮かぶ顔を見つめる。

 

「本当に、大丈夫ですか。白蓮さんだって辛いはずじゃ」

 

 白蓮は首を横に振る。

 

「辛いのは皆一緒です。だけど、立ち止まる事は許されません。懐夢は優しい子だから辛いと思いますが、ここは私達に任せてください。貴方は、貴方にしか出来ない事をするべきです」

 

 懐夢は俯いたが、すぐに顔を上げて、白蓮に頷いた。

 

「わかりました。ぼくは霊夢を守るために、異変に立ち向かいます」

 

 白蓮は頷き、微笑んだ。

 

「そのいきです」

 

 霊夢は白蓮に軽く頭を下げた。

 

「何も出来なくて申し訳ないけれど、私達は帰るわね、白蓮」

 

「はい。どうかよろしくお願いいたします」

 

 霊夢は白蓮に別れを告げて、再度街を見回した後に懐夢を連れて、博麗神社へ戻った。境内を歩き、玄関に入り込むと、霊華が心配そうな様子でやって来た。

 

「おかえりなさい二人とも。どうだった」

 

「居間に行ってから話す」

 

 そう言って霊夢は神社の中へ上がり、懐夢と霊華を連れて居間へ向かった。そして辿り着くと、霊夢はいきなり畳の上に腰を下ろし、座り込んだ。懐夢は隣に、霊華は前の方に座り、更に霊夢へ話しかけた。

 

「それで、どうだったの」

 

 霊夢は街の惨状を、隠さず霊華に話した。霊夢の話が終わるや否、霊華は両手で口を覆い、驚愕してしまったような表情を浮かべた。

 

「そんな、そんな……」

 

「沢山の人々が犠牲になったそうよ。しかも、寺子屋の方は午前の部の子供達の大半が死んで、続行不能に近い状態になったみたい。復興の目処だって、全然わかってない」

 

 霊華が懐夢の方へ向く。懐夢は俯いたまま、何も言わなくなっていた。

 

「寺子屋の子達が、そんなに……」

 

「はい。みんな、死んじゃったそうです」

 

 霊夢が片手で頭を抱える。

 

「あんたを連れて行かなくて正解だったわ霊華。街の惨状は散々だったからね」

 

「慧音さんとかは、どうしてた? 怪我とかしてなかった」

 

 霊夢は苦虫を噛み潰したような顔になった。慧音という名前を聞いただけで、まいってやつれた慧音の顔と言動が頭の中に蘇ってきたからだ。

 

「慧音はまいってたわ。街の人があんなに沢山死んだのが、ひどくショックだったみたい。しかも死亡者の中に沢山の子供達が入ってるもんだから……」

 

 霊華は俯いた。

 

「どうして……こんな事に……」

 

「全てはこの異変と、異変を起こした奴のせいよ。<黒服>のせい」

 

 霊華が首を傾げる。

 

「クロ?」

 

 懐夢が顔を上げて、霊華に説明を施す。

 

「黒い服を着た、霊夢に似た人です。霊夢によると、その人がこの異変の首謀者なんだとか」

 

「そうよ。あいつが現れるのと同時に、<黒獣(マモノ)>が姿を現した。ううん、人や妖怪が<黒獣(マモノ)>になるようになったんだわ。だから今回も、もとはと言えばあいつのせい。あいつが、街を破壊して、街の人々を殺し尽くしたんだわ。まぁ、それが目的だからねあいつは」

 

「それが目的って……」

 

 霊夢は顔に険しい表情を浮かべる。

 

「<黒服>の目的は幻想郷の破壊。幻想郷の全てを破壊し尽くして、自分達が住むための場所に作り替えるのが最終目標なのよ。<黒獣(マモノ)>の出現とかはその一環で、今回の破壊も、あいつの計画の一つだと思う。だから、あの被害は全部<黒服>が出したものなのよ。そして、<黒服>こそが討伐しなければならない、最後の目標」

 

「<黒服>は今どこにいるの」

 

 霊夢は首を横に振る。

 

「わからない。あいつは突然現れて突然消えるから、普段どこにいるのか突き止められないのよ。ただ、あいつは襲い来る<黒獣(マモノ)>を倒していればそのうち真実に辿り着くとかほざいていて……」

 

 霊華が物事を理解できていないような顔をする。

 

「んーと……それで何かわかった事はあったの? これまで結構な数の<黒獣(マモノ)>と戦ってきたでしょう霊夢」

 

 霊夢が頷く。

 

「えぇ。でも何もわかってないわ。わかった事と言えば<黒獣(マモノ)>がだんだん強くなって行ってるような気がする事と、<黒獣(マモノ)>にも色んな種類がいる事くらいかしらね。だからあいつの言う真実っていうのが何なのかは、わからず仕舞いよ。

 今の私に何が出来るかっていうと、ただ我武者羅に戦っていくしかないんだろうけれど……これ以上<黒獣(マモノ)>が出るようなら、幻想郷だってただじゃすまないわ」

 

 霊夢はその場に横になった。

 

「だから早くあいつを捕まえて、倒さないと……」

 

 その時、霊夢は何かを思い出したような顔になって、起き上がった。

 

「あぁそうだ。懐夢に霊華。これからは街が復興するまで西の町に買い出しに出かけるわ。空を飛ぶ事になるけれど、大丈夫よね」

 

 懐夢は頷く。

 

「ぼくはどこまでも行けるよ」

 

 霊華も懐夢をちらと見た後に、頷いた。

 

「私も同じく。飛ぶ事にはもう慣れたから」

 

 霊夢は二人を交互に見た後に、安心したような表情になった。

 

「ならいいんだ。貴方達は西の町に行くのは嫌だって言うかもしれないと思ったからさ」

 

 そう言って、霊夢は目を閉じた。

 直後、玄関の方から声が聞こえてきて、霊夢はかっと目を開いた。

 

「すみません。博麗霊夢さんはいらっしゃいますか」

 

 




次回までに黒花編第捌章の「2街へ」を読んでおくことを推奨します。
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