東方双夢譚   作:クジュラ・レイ

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前半・エピソード早苗FINAL。


14 決別

 早苗が神獣と会うようになって数年経ち、早苗が中学三年生になったある日だった。

 その日は休日で、早苗は家に一人きりだった。平日仕事に出ている両親は、車に乗って隣町のショッピングモールに買い物に出ていた。両親は出かける際に早苗に一緒に行こうよと声をかけたが、早苗は勉強をするためと言ってついて行かず、家に残ったのだ。

 家に一人だけ残された早苗はいつもどおり勉強をしていた。しかしその日は、外が気になって、あまり集中して勉強する事ができなかった。なぜかというと、毎週の休日は神獣が自分へ会いにやってくるかもしれない日だからだ。

 前に会った時に、早苗は休日に会いに来てくれるよう神獣に頼んだ。

 神獣はこれを聞き入れてくれたらしく、平日には現れず、休日になってみると、大きな鳴き声を出して早苗に会いにやってきた事を告げ、大きな自然公園に現れてくれるようになった。その日から、早苗は休日がととても楽しみになった。休日になれば神獣が会いに来てくれて、話を聞いたり、柔らかい毛に触らせてくれる。その時が、両親と買い物に行くよりも、友達と遊んだり出かけたりするよりも楽しみなのだ。まぁ、神獣はもう友達のようなものなので、友達と遊ぶ事に変わりはないのだが。

 早苗は窓から空を見た。空は雲一つない快晴だった。

 しかも空気が澄んでいるのか、遠くに飛んでいる飛行機のシルエットもはっきり見えるくらいだ。今神獣が飛んできたら、さぞかしその姿をはっきりとみる事が出来ることだろう。

 

「早く来ないかな」

 

 早苗はそう独り言を呟いて、再び机に向かった。その時、別な部屋にある電話が鳴った。何だろうと思って机を離れて部屋で出て、電話のある部屋まで行って、うるさくアラーム音を鳴らしている電話のモニターに浮かんでいる名前と電話番号を見て思わず驚いた。……電話の相手はこの町の病院だった。

 早苗は嫌な予感を感じながら受話器を取って、電話に出た。

 相手は真っ先にこの町の病院であると名乗り、直後に貴方は東風谷早苗さんですかと聞いてきた。早苗ははいと答えたが、そのすぐ後の病院側の話を聞いて、言葉を失った。

 ……両親が交通事故で巻き込まれ、病院に運ばれた。聞いた話によれば、両親の乗る車に暴走車が正面衝突したそうで、両ドライバー及び搭乗員は瀕死の状態に陥っているという。

 それを聞いた途端、早苗はまるで石のように硬直して、その場を動かず、ただ相手の話を聞いた。頭の中が完全に麻痺してしまって、喋る事も動く事も、考えることそのものが出来なくなってしまい話が一通り進むと、電話の相手は自分に早く町の病院へ来てくれと頼んできた。そう声をかけられて早苗はようやく動く気になり、家の鍵をポケットの中に入れると、家から出て鍵を閉め、病院の方へ一目散に駆けた。

 病院に着くと、早苗は病院の従業員に何故か霊安室に案内され、その中に入った。そこでは、泣いている老婆が一人いて、遺体と思われる人の身体が二つ、顔に布をかぶされた状態で置かれていた。……男女の遺体のようだ。

 早苗は老婆を見て驚いた。白髪の目立つ、見た感じ八十歳くらいの老婆は、早苗の祖母である栄恵(さかえ)だった。祖母は早苗がやってきた事に気付くなり駆け寄り、早苗の身体を抱き締めて、そこで泣き始めた。

 祖母の胸の中で、早苗はこの遺体は何なのかと尋ねた。祖母は泣きながら全て教えてくれた。

 この二つの遺体は自分の両親だという。両親は暴走する車と正面衝突し、病院に運び込まれたが、その時に即死したらしく、病院に運び込まれた時にはもう既に遺体だったそうだ。だからこうして霊安室におかれているらしい。

 それを聞いた途端、早苗は頭の中が痺れたように思考を止めた。自分自身が何を考えているのか、どういった感情を抱いているのかわからなくなった。両親の死というショックのせいなのか、そうではないのかすらも、わからなかった。やがて、頭の中が真っ白になって、自分の身に何が起こったのかもわからなくなった。

 

        *

 

 次に意識がはっきりした時には、早苗は祖母の家にいた。

 ぼんやりとした意識で家の中を歩き回って祖母を見つけると、どうして自分は祖母の家にいるのかと尋ねた。祖母曰く、孫を一人で家に暮らさせるわけにはいかないと思って、自分を祖母の家へ引っ越させたという。

 祖母は説明を終えると、穏やかに笑って言った。

 

「これからは、お婆ちゃんの家で、暮しなさいな。きっとこの家に住む八坂様も洩矢様もお喜びになられる。お婆ちゃんと早苗と八坂様と洩矢様の四人暮らしだ」

 

 言われて、早苗は少しほっとした。祖母の家は気高い丘にある守矢神社という二体の神の居る神社で、祖母はそこの巫女だ。この二体の神は早苗とも祖母とも意思疎通のできる神で、早苗はその神と友達のような関係を作ってよく遊んだり話したりしていた。そんな神達と暮らせる家に来たと考えたら、少しだけ気持ちが楽になった。

 だけど、気持ちが楽になっただけで、頭の中は相変わらず麻痺したままで、対して物事を考えたりする事は出来なかった。

 

 翌日、市のセレモニーホールで父と母の葬儀が行われた。

 多くの父母の親戚と従弟が訪れ、両親の死に涙していたが、早苗は泣かなかった。

 親戚や従兄弟達が、どんなに泣いていようとも、どんなに声をかけられても、泣かなかった。

 泣こうと思っても全然涙が出てこないのだ。父と母が死んだショックのせいか、頭の中だけじゃなく、その辺りの機能も一緒に止まってしまっているらしい。

 従弟や親戚はそれを見て「強い子」と言ったが、早苗は大して気にもしなかった。いや、気に出来なかった。頭の中が空っぽになって、心にぽっかりと大きな穴が開いて、冷たい風が容赦なく吹き込んでくるような感じを早苗はずっと感じた。

 葬儀は二日に渡って行われた。

 父と母の遺体が火葬され、遺骨が墓に納められると葬儀は終わった。全ての親族達が帰って行き、早苗も祖母と神社へ帰ろうとした直後だった。

 空から、耳にある音が飛び込んできた。それは、甲高い指笛のような大きな音で、早苗は一瞬で何の音が気付いた。今のは、神獣の鳴き声だ。随分前に神獣に会った時に言ったのだ。自分に会いに来た時は嵐ではなく鳴き声で知らせてほしいと。

 その鳴き声を聞いた途端、早苗は身体を繋ぐ縄を斬ったかのように祖母の手を振り払って走った。

 そして、神獣といつも会う場所である市の自然公園へ辿り着くと、そこには案の定、地面に伏せて、陽を白銀の毛並みを当てて輝かせている神獣の姿があった。

 神獣は早苗が来たのを確認して早苗を見た。早苗もまた、神獣を見た。

 その途端、どっと全ての感覚が戻ってきた。頭の中のしびれが、ようやく解けた。同時に悲しみが押し寄せてきて、いても経ってもいられなくなり、早苗は神獣に飛び付くように抱き付き、声を張り上げて泣いた。

 神獣は小さな鳴き声を出して、腕を動かして、背中をゆっくり優しくさすって、慰めようとしてくれたが、それでも涙は止まらず、早苗は泣き続けた。

 しばらく泣いていると、神獣が「どうして泣いているの?」と聞くかのように「くるる」と小さくて高い声を出した。

 早苗は神獣の思いを察し、両親が死に、先ほど葬儀を終えて来たばかりであると教えた。神獣は早苗の声を聴くと、それを察したかのように、もう一度背中をゆっくり優しく摩った。早苗は両親の遺体を見た時からずっと心の中に封じ込めていた悲しみを吐き出すように、思い切り泣いた。

 しかし、その数分後に神獣は立ち上がろうと動いた。きっとまた空へ戻ろうとしているのだろう。早苗はそれを察知するや否、神獣の身体にしがみ付いた。

 

「いやだ。いかないで」

 

 神獣は戸惑ったように小さな声を出した。それにこたえるように、早苗は大きな声を出して、叫ぶように言った。

 

「いかないで! ずっと……ずっと一緒にいて! ずっと、一緒にいてよぉ!!」

 

 神獣はもう一度戸惑ったような声を出し、ゆっくり立ち上がろうとした。

 その時、神獣の身体にしがみ付いていた早苗は突然地面へ落ち、倒れた。早苗は突然の事に呆然として、手元を見た。そこには、束になった神獣の毛が握られていて、早苗はそれを見るなり驚いた。今まで何年も、触っても引っ張っても、抜ける事がなかった神獣の毛が、抜けた。抜けるはずのない毛が、抜け落ちた。

 早苗は戸惑って、神獣の顔を見た。神獣は今まで浮かべたことがないような悲しげな表情を顔に浮かべて、じっと涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった早苗の顔を見ていた。

 いったい今何が起きたの。と思っていると、背後から聞き覚えのある声と、足音が聞こえてきた。誰だと思って振り返ってみたところ、そこには慌てて走ってきたのか、顔に汗を浮かべている祖母の姿があった。祖母は早苗と目を合わせるなり、怒ったような表情を顔に浮かべたが、早苗の後ろにいる神獣の姿を見るなりすぐに表情を驚愕したようなものに変えて、小さく言った。

 

「神獣様……なのですか……?」

 

 早苗は祖母の言葉にきょとんとした。そのすぐ後に神獣を見ると、神獣は悲しそうな表情を浮かべるのをやめて、微笑みを顔に浮かべていた。それを見て、早苗は神獣へ尋ねた。

 

「神獣様……お祖母ちゃんと知り合いなの……?」

 

 直後に祖母はこちらに歩み寄ってきて、神獣を見ながら悲しそうな表情を浮かべた。

 

「神獣様……どうしてここへ……それにそんな姿になられて……」

 

 早苗は状況が理解できず、神獣の姿を見た。そこで、驚いた。

 今まで泣いていて気付かなかったが、神獣は毛並みがぼさぼさとしていて、あちこち抜け落ちており、羽毛もぼろぼろになっていて、見るも無残な姿になっていた。まるで、病に侵されて弱り切っている獣のようだ。

 今までからは想像もつかないような姿になってしまった神獣に、早苗は声をかけた。

 

「神獣様……どうしてそんなにボロボロなの……」

 

 直後、神獣が祖母の方を見た。早苗は神獣と同じように祖母を見たが、そこで祖母は口を手で覆っていた。

 

「そんな……もう限界だというのですか」

 

 早苗は神獣を見た。神獣は頷き、空の方を見ていた。

 直後に祖母は呟いた。

 

「そうですか……とうとう幻想郷へ移り住むのですね」

 

 神獣は悲しそうな表情を顔に浮かべて早苗を見た。

 直後に祖母の声が聞こえてきた。

 

「そうなのですか……うちの早苗と……」

 

 早苗は祖母と神獣を交互に見て、戸惑った。

 

「え、え、何の話をしてるの、神獣様、お祖母ちゃん?」

 

 戸惑う早苗に、祖母は歩み寄ってきた。

 

「早苗、あんた神獣様とすっごく仲良くしてたようだね。それも、すごく長い間……」

 

 祖母は早苗のもとに来ると、早苗の身体を抱き締めた。

 

「……だけど、それはもう終わりだ。神獣様と……お別れだよ……」

 

 早苗は「え?」と言った。祖母は今の神獣の状態を早苗に伝えた。

 神獣は今、人間に信仰されなくなったことにより、その存在を危うくしており、幻想郷と呼ばれるこの世界とは違う世界へ逃げなければ死んでしまう状態にあるという。だからこれからその幻想郷という世界へ移り住むから、こうして、今までずっと仲良くしてくれていた早苗の元に現れ、別れを告げに来たという。

 しかし、早苗はこの話の内容をほとんど理解できなかった。そもそも、神獣は神だ。普通の生き物とかとは全然違うから、死ぬ事などありえないはずだ。それに、生き延びるために違う世界へ行かなければならないというのも全く訳が分からない。

 

「どういう事なの……ねぇお祖母ちゃん、神獣様が死んじゃうなんて嘘でしょ?」

 

 祖母は首を横に振った。

 

「残念だけど……神様は信仰されなくなったら死んじゃうんだよ……神獣様も、今までこの世界で生きていたけれど、もう限界なんだ……この世界にはもう、いられないんだ」

 

 祖母はきつく早苗の身体を抱き締めた。

 

「もう神獣様は……お前とは一緒にいられないんだよ……」

 

 早苗は小さく呟いた。

 

「嘘だ」

 

 早苗は祖母の手を振り払うと、振り向いて神獣と目を合わせた。

 

「お祖母ちゃんの言ってること……嘘だよね? 神獣様」

 

 神獣は悲しそうな表情を浮かべながら、首を横に振った。

 早苗はもう一度神獣へ問いかけた。

 

「だって神獣様は神様だもん……死んだりしないよね? だから私の近くにいても、大丈夫なんだよね?」

 

 神獣はもう一度首を横に振り、やがて空を見た。

 神獣の変わらない答えを見て、早苗は祖母の言っている事は真実である事を理解した。

 そして、本当にもう一緒にいられなくなる、これが最後の別れになるとわかると、大粒の涙が瞳からあふれ出てきて、思わず言った。

 

「嘘だって言ってよ!! こんなのってないよ!! お父さんとお母さんがいなくなったのに、神獣様までいなくなったら、私はどうすればいいの!?」

 

 神獣は表情を変えないまま、ただじっとして、泣く早苗を見ていた。

 しかしそのすぐ後に、ボロボロになった巨大な翼を広げ、足に力を込めて、空を見上げた。

 その姿を見たところ、神獣の気持ちがわかり、早苗は泣くのをやめて、一歩前に出た。

 

 神獣は今、自分と別れようとしている。その幻想郷とかいう世界に、飛び立とうとしている。

 

 そんなの、いやだ。

 

「いやだ……いかないで……いかないで神獣様……」

 

 神獣は早苗ともう一度目を合わせると、瞬きを一回してからもう一度空を見て、地を思い切り蹴り、翼をはばたかせて、天高く舞い上がった。その時の風圧で早苗は手で目を覆い、すぐに戻したが、その時にはもうどこにも神獣の姿はなかった。

 本当に神獣はいなくなった、自分の前から姿を消したとわかると、早苗はがくりと膝を落として、呆然として、しばらくその場から動く事が出来なかった。

 

 それから、その世界で早苗が神獣に出会う事はなかった。

 

 

 

「それから……祖母は二年後に死に、私は守矢の巫女となり、外の世界を捨ててこの幻想郷へ来ました。神奈子様と諏訪子様を神の暮らせる場所へ移すために」

 

 早苗はようやく話を終えたが、そこで霊夢は一つ溜息を吐いた後腕組みをした。

 

「それだけじゃないでしょ。あんたが幻想郷に来た理由」

 

 早苗は頷いた。

 

「そうです。神奈子様と諏訪子様の事もそうですが……神獣様にもう一度会えると思って、幻想郷(このせかい)に来たんです。ここは、神獣様が来た場所だとお祖母様が言っていましたから……」

 

 霊夢はふぅんと言った。

 

「それで、昨日本当に神獣に会う事が出来た……というわけね」

 

 早苗は「はい」と答えた。

 と、その時霊夢はふと早苗の話と、昨日現れた神獣について疑問に思っていたことを思い出した。

 昨日現れた神獣は六枚の翼を生やし、首元から何本もの羽衣のようなものを生やし、更に人間の髪のような蒼みがかった白い鬣を生やしていたのに対し、早苗の言っていた神獣は翼が二枚だけで、首から生える羽衣のようなものは二枚ほどで、髪の毛のような鬣は生えていなかったという。早苗の言う神獣と、昨日見た神獣には差がありすぎているのだ。

 霊夢は気になって、早苗に尋ねた。

 

「ねぇ早苗、昨日の神獣とあんたの言ってた神獣、姿が違うんだけど、何故だかわかる?」

 

 早苗は霊夢の方へ視線を向けて、答えた。

 何でも、早苗自身もあの神獣に名前を呼ばれるまで、あれが神獣であることに気付かなかったらしい。だから、どうして神獣の姿が外の世界にいた時と変わっているのか、わからないという。

 それを聞いた霊夢は一つ溜息を吐いた。

 

「わからないか……正直かなり気になってるんだけど……」

 

 早苗は苦笑いした。

 

「今度神奈子様と諏訪子様に聞いてみます。お二人とも、神獣様を知っているそうなので……」

 

 霊夢は「そう」と一言呟いた。

 そのすぐ後に、それまで口を閉じていた懐夢がようやく口を開いた。

 

「でも、よかったじゃないですか、早苗さん、大事な人に、会えて」

 

 その時霊夢は違和感を感じた。今喋った懐夢だが、声がいつも通りではなく、震えていた。しかも喋り方もどこかぎこちなく、普通に喋れていない。どう聞いても違和感のある喋り方で喋った懐夢の様子が気になり、霊夢は懐夢の方を見た。懐夢は早苗に声をかけているというのに、下を向いたままで、身体を小刻みに震わせていた。更に下の方を見てみれば袴の裾を両手で思い切り握りしめている。

 この懐夢を早苗も不審に思ったらしく、自分よりも先に懐夢へ声をかけた。

 

「あの、懐夢くん、どうしたんですか?」

 

 懐夢は答えようとしなかった。そればかりか、裾を掴む力が上がったようにも見えた。

 霊夢は懐夢をさらに不審に思い、早苗に続く形で声をかけた。

 

「ねぇ懐夢、本当にどうしたの?」

 

 直後、懐夢は突然立ち上がり、走って居間を出て行った。突然の事に二人は驚き、そのうち早苗が走り去る懐夢へ声をかけた。

 

「ちょ、懐夢くん!?」

 

「懐夢!? 待ちなさい!!」

 

 二人の声は居間中に響いたが、それだけで、懐夢に届いたかどうかは怪しかった。

 あまりに突然な事に重い沈黙が部屋を覆ったが、すぐ後に早苗が口を開いた。

 

「懐夢くん……どうしたんでしょうか」

 

 霊夢は首を横に振った。

 

「わからないわ……でも、ただ事じゃないみたい」

 

 早苗は不安げな表情を浮かべて、霊夢の顔を見た。

 

「私……もしかして何か拙い事をしました?」

 

「多分それはないと思うけれど……とにかく……探さないと」

 

 霊夢が腰を上げると、早苗も同じように立ち上がった。

 

「あの……私、帰った方がいいでしょうか? もしかしたら私のせいでこうなってしまったのかもしれませんし……」

 

「それはないとは思いたいけれど……もしそうだったなら、この場にいるのはちょっと拙いと思うわ。

 とりあえず、あんたは一旦帰って頂戴。後々あの子が落ち着いたら、話を聞いて、もし原因があんたならもう一度話させるから」

 

 早苗は頷き、軽く一礼すると玄関の方へ向かっていき、やがて神社を出て行った。

 部屋に残った霊夢はひとまず懐夢の行先について思考を巡らせた。突然飛び出したものだから、どこへ行ってしまったのかわからないが、玄関や廊下から外へ出ていくような音は聞こえてこなかった。恐らく、まだ神社の中にいるはずだ。

 霊夢は思い付くと、とりあえず寝室まで歩いて、そこで、驚いた。

 部屋の隅に、三角座りをして足の間に顔を入れている懐夢がいた。……探し始めていきなり、見つけた。

 懐夢が思いの他早く見つかった事に少し驚きながら、霊夢は動かない懐夢へ声をかけた。

 

「懐夢……?」

 

 懐夢は答えなかった。霊夢はゆっくり音を立てずに懐夢へ歩み寄り、その目の前まで来て腰を落とした。

 

「どうしたの? 急に部屋を飛び出して……」

 

 懐夢は同じように答えなかった。

 霊夢はもう一度声をかけた。

 

「ねぇ、懐夢ってば」

 

 その時、懐夢は顔を上げた。懐夢の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていて、霊夢は思わず驚いた。

 

「懐夢、どうしたのよ」

 

 直後、懐夢は唇と瞳を震わせて、霊夢の胸元に飛び込むように抱きつくと、そのまま声を張り上げて泣き始めた。 

 霊夢は突然の事の連続に驚いたが、すぐに懐夢の身体に腕を回し、抱き締めた。

 髪の毛をゆっくり優しく撫で、懐夢が落ち着くまで、抱き締め続けた。

 

 やがて懐夢の泣き声が小さくなってくると、霊夢はそっと声をかけた。

 

「懐夢……話せる?」

 

 懐夢は胸の中でゆっくり頷き、しゃっくりを混ぜながら、話し始めた。

 

「おかあさんに、あいたい」

 

 最初の一言を聞いて、霊夢はハッとした。

 懐夢は続けた。

 

「早苗さん、大事な、神獣に、家族に、また逢えた。

 でも、僕は、そうじゃない。もう誰にも、会えない、おかあさんにも、おとうさんにも、みんなにも」

 

 懐夢の言葉を聞いて、霊夢は懐夢の気持ちを理解できたような気を感じた。

 昨日早苗は神獣に、愛する家族にもう一度逢う事が出来た。懐夢はきっと、これを見て、自分も同じように愛する母に、父に、里の共や隣人達に逢いたいと思ったのだろう。

 しかし懐夢の場合は、決して叶う事のない願いだ。懐夢のいう両親、里の友や隣人達は、懐夢一人だけを残して大蛇里という村と共に滅び去った。一人残らず、死に絶えた。

 もう懐夢が両親や村の隣人や友達に会う方法はない。

 願いを叶える方法は、ない……。

 霊夢は何も言わず、懐夢の頭をなで続けたが、やがて懐夢は再び大きな声を出して泣き出した。

 

「逢いたい……逢いたいよ……みんなに、おとうさんに、おかあさんに逢いたいッ……!!」

 

 声を張り上げて泣く懐夢を、霊夢はただ抱き締めた。かける言葉が、見つからないのだ。

 いつもならば、また『だいじょうぶ、だいじょうぶ』とおまじないをかけてやるところだが、全然大丈夫じゃない。何故なら、懐夢は今絶対に叶う事のない願いを言って、泣いているのだから。今ここで『だいじょうぶ、だいじょうぶ』というおまじないをするのは酷だ。

 今まで、何度も懐夢の事を慰めてきたが、こんな事で泣き出したのは初めてだ。当然、どう慰めていいかもわからない。

 

(どうすればいい)

 

 どうすれば、懐夢を慰める事が出来るというのだろう。

 と思ったその時、ふと頭の中に、アリスと自分が歌った百詠一族に伝わる歌のメロディが木霊し、それと同時に日中読んだ愈惟の日記に書かれていた事が浮かび上がった。

 

―――前に、懐夢が泣き出して、いつもの『だいじょうぶ、だいじょうぶ』のおまじないが効かなかった時があって、その時ふと歌った時がある。先祖代々伝わる歌を。それを聞くや否、懐夢は泣き止んで、笑ってくれた。どうやらこの歌にも、懐夢の心を落ち着かせる効果があるらしい。

 

 霊夢は頭の中に鋭い光が走ったような気を感じた。この歌は『だいじょうぶ、だいじょうぶ』のおまじないが効かなかった時に効果のあるものだと書いてあった。もう、これしかない。

 

(今ここで……)

 

 愈惟の歌を歌おう。多分、これを聞いた懐夢は後々何故その歌を知っていると尋ねてくるだろうが、その時はまたいつもと同じように「自分も小さい頃に聞いていた、この歌は百詠一族にだけ伝わっているものではなかった」と言ってやればいい。

 霊夢は決めると、そっと懐夢の耳元に口を近づけ、アリスに読んでもらい、覚えたメロディを歌った。

 

「ふー……ふふふー……ふーふー……」

 

 直後、懐夢の泣き声がぴたりと止んだ。

 霊夢は歌い続けた。

 

「ふー……ふふふー……ふーふーふー……ふーふふふー……ふーふふふー……ふーふーふーふー……ふーーふー……ふふふー」

 

 やがてすべて歌い切ると、霊夢は溜息を吐いた。

 もう落ち着いたかと思って、懐夢の身体を離して、霊夢はひどく驚いた。

 懐夢は泣き止んでいた。泣き止んでいたのだが、予想以上に、吃驚したような……いや、もはや驚愕したような表情を浮かべて、硬直したようにその場を動かない。

 そんなに、驚くべきことだったのだろうかと思って、霊夢は声をかけた。

 

「懐夢? どうしたの?」

 

 懐夢は表情を変えぬまま口だけ動かした。

 

「霊夢……何でその歌知ってるの」

 

 霊夢は「思った通りだ」と心の中で呟いた。

 やはり、懐夢は聞いてきた。どうして自分がこの歌を知っているのかと。

 霊夢は少し下を見て、答えた。

 

「あれ? この歌懐夢も知ってるの?

 この歌は私が貴方よりもうんと小さい頃、泣いてた時に母さんが突然歌いだした歌でね。これを聞くと落ち着い」

 

 その時、懐夢が割り込むように言った。

 

「嘘だ」

 

「え?」

 

 霊夢は懐夢の言葉にきょとんとしてしまった。

 懐夢は表情を険しくした。

 

「嘘だ。だってこの歌は、おかあさんの一族にしか伝わっていない歌だって、おかあさん言ってたもん」

 

 霊夢は懐夢の意外な言葉に少し戸惑ったが、すぐに答えた。

 

「それは貴方の母さんが閉鎖的なところにいたからよ。本当はね、この歌は幻想郷のいたるところに」

 

「嘘だ」

 

 霊夢はまた言葉を区切った。

 懐夢は同じように続けた。

 

「おかあさん……十歳から十三歳の間に、おばあちゃんとおじいちゃん、おとうさんと一緒に幻想郷を自分の脚で全部周ったって言ってたもん。その時に、この歌を至る所で色んな人に聞かせたけど、誰も知らなったって言ってたもん。それに、僕その日記読んだ事もあるもん。……ちゃんと、幻想郷の色んなところに立ち寄ったって書かれてた。絵もついてた」

 

 霊夢は戸惑った。

 そのような事は拾った日記に書かれていなかった。

 懐夢の言う、愈惟が懐夢の祖母と祖父、矢久斗と共に幻想郷中を旅し、全土を周ったなどという記録や供述はどこにも書かれていなかった。書かれていた事と言えば、矢久斗と結婚し、懐夢を生んで育てていく過程などで、同時に一族に伝わる歌とその詳細も書いてはあったが、そのような事は書かれてなかった。それに、絵だって……。

 

(……まさか!!?)

 

 もしかして、自分が拾った日記とは違う日記が存在していたのではないだろうか。そしてそこに、愈惟が祖父母、後に夫となる矢久斗と共に幻想郷全土を旅した事と、この歌のさらなる詳細と、この歌が幻想郷のどこにも伝わっておらず、百詠一族だけに伝わっているとものだという供述が記されていたのではないだろうか。だとすれば、懐夢の話と辻褄が合う。

 それに、懐夢は嘘は吐かない子だし、目は真剣そのもので、今朝みたいに嘘を吐いているようにも見えない。

 懐夢の言っている事は、真実なのだろう。

 

(そう……だったの……)

 

 懐夢の言っている事が書かれていたとされる愈惟の日記は、懐夢が生まれる前に書かれていた一冊目(・・・)で、自分が今まで散々読んでいたのは、矢久斗と結婚し、懐夢を身籠った辺りから書き始めた二冊目(・・・)だったのだ。

 愈惟は、この二冊の日記を、それぞれ別な場所に保管していたに違いない。だから、一冊しか見つけられなかった。そして自分はそれを、一冊目の日記であると勘違いしていた……二冊存在しているなどと、夢にも思わず……。

 

「それにね、おかあさん、その時に博麗の巫女に会って、この歌の事を聞いたんだって。

 巫女さん、知らないって、初めて聞いた歌だって答えたって……だから……」

 

 懐夢は霊夢をキッと睨んだ。

 

「霊夢の言ってる事……嘘だよね。

 嘘吐くって事は、何か隠してるって事だよね」

 

 霊夢は言葉を失った。

 完全に、ばれた。もう誤魔化しようがないところまで、迫られてしまった。

 アリスに、いつか隠している事を全て懐夢に話さなければならない日が来ると言われていたが、まさかこんなに早くやってくるとは……。

 思うと、霊夢は小さな声で答えた。

 

「えぇ……隠してた。ずっと……」

 

 懐夢はきょとんとしたような表情を顔に浮かべ、「え?」と言った。

 霊夢は立ち上がって箪笥に近付き、五段目を開くと、畳まれた衣服を退けて、隠していた愈惟の日記を取り出し、懐夢に手渡した。

 懐夢は日記を受け取るなり、表紙を見て唖然としたような表情を浮かべた。

 

「……なにこれ……おかあさんの名前……?」

 

 霊夢は頷いた。

 

「そうよ。貴方の母さんの日記」

 

 霊夢の言葉を聞くなり、懐夢は慌てて日記を開き、諳んじて目を見開いた。

 

「これ……おかあさんの字……」

 

 懐夢は顔を上げて霊夢と目を合わせた。

 

「ねぇ霊夢……どうしてこれを持ってるの? おかあさんの日記を……どうして持ってるの?」

 

 霊夢は何も言わずに懐夢から視線を逸らした。

 懐夢は噛み付くように怒鳴った。

 

「ねぇ教えてよ霊夢! なんで、おかあさんの日記持ってるの!?」

 

 霊夢はゆっくりと口を開き、深呼吸をすると、もう後には引けないと思い、今まで隠していた事を全て懐夢に話した。

 

 大蛇里跡に行って愈惟の日記を拾った事も、それを読んでこれまで懐夢に接してきた事も、おまじないも、好きな食べ物も、愈惟の料理も、百詠の一族にしか伝わっていない歌の事も、全て日記を読んで知った事であり自分が小さい頃に母にされていた事ではなく、自分と懐夢は言うほど共通点のある過去を持つ人間同士ではない事も、何もかも、話した。

 懐夢はずっと黙って聞いててくれたが、話が終わった頃には唖然としていた。

 霊夢は構わず、もう一度言った。

 

「全部……嘘だったのよ。ずっと今まで、その日記を読んで貴方と接してきた。おまじないとか、歌とか、全部その日記を見て知った。……小さい頃に、母さんにされてたとか……全部嘘」

 

 懐夢は唖然としたまま、霊夢に尋ねた。

 

「じゃあ……今まで嘘を吐いてたの? 僕にずっと嘘を吐いたまま、今まで……?」

 

 霊夢は俯き、やがて頷いた。

 懐夢は日記を閉じると、表紙に額を付けて、そのまま黙り込んだ。よく見れば、身体を小刻みに震わせている。

 霊夢は顔を上げると、懐夢の方へ歩き、震えるその身体をいつものように抱き締めようと手を伸ばした。

 その時だった。ぱちん、という音が寝室中に木霊した。

 霊夢は思わず手を止めて、唖然とした。……懐夢が手を振るって、霊夢の手を弾いたのだ。

 即ちこれは、抱き締められるのを、拒否したという事だ。

 霊夢は唖然としたまま、懐夢にもう一度声をかけた。

 

「懐……夢……?」

 

 懐夢は小さな声を出した。

 

「……やめてよ……」

 

 霊夢は「え?」と言った。

 懐夢は続けた。

 

「……霊夢が僕に嘘を吐いてた理由って……日記を読んで……僕が……嘘を吐いて騙し続けなきゃ駄目な子だって思ったからなんでしょ……?」

 

 霊夢は目を見開いた。

 

「いや……違う」

 

 懐夢はがばっと顔を上げて怒鳴った。

 

「違わないよ!!」

 

 懐夢の声を激しさに、霊夢は思わず背筋をびくっと言わせた。

 懐夢は俯いたまま、霊夢に言った。

 

「僕……僕……霊夢と出会って、博麗神社に住み出した時、霊夢を冷たくて怖い人だって思った。こんな人と暮らしていくのかって思って、不安だった」

 

 霊夢はきょとんとした。

 懐夢は続けた。

 

「でも、暮らしていくうちにどんどん仲良くしてくれて、美味しい料理を食べさせてくれて、色んな事を教えてくれて、怖い人じゃないってわかって、嬉しかった。

 霊夢が僕と同じような事を自分のおかあさんにしてもらってたって聞いて、僕と霊夢はこんなに同じように育ってきたってわかって……すごく嬉しかった……あったかい場所を見つけられたって……そう思った……」

 

 懐夢は顔を上げた。瞳からはぼろぼろと涙がこぼれている。

 

「でも……こんな事なら、冷たくされたままの方がよかった……嘘吐いてまでそんな事をされるくらいなら……されない方がよかった……仲だって……出会った時のままの方がよかった……」

 

 懐夢は日記を抱き締めるように持つと、また俯き、泣き始めた。

 霊夢はその場を動けず、じっと泣く懐夢を見ていたが、やがて口を開いた。

 

「で、でも私、本当に貴方の事……心の底から貴方の事をだいす」

 

「やめてよ!」

 

 霊夢は言葉を区切った。

 直後、懐夢は後方へ下がり、廊下を背にした。

 

「……あったかい場所なんてなかった……一番の拠り所なんてなかった……心から大好きになれる人なんて……いなかった……」

 

 懐夢は顔を上げた。

 

「……僕……もう……博麗神社に……いられない……霊夢の傍に……いられない……」

 

 懐夢はそう言うと廊下の戸を素早く開き、外に飛び出すとそのまま地面を蹴り上げて上空へ舞い上がり、どこかへ飛び立っていった。

 

 霊夢は飛び立った懐夢を追おうとしたが、その場を動く事が出来ず、ただ茫然と立ち尽くしたが、そのうち、がくりと膝を付いた。

 

「……なんで……」

 

 いつもどおり、進むと思ったのに。

 

 ちょっといざこざして、すぐに終わると思ったのに。

 

 こんなことで、あんなに傷付いてしまうなんて。

 

 あんなに、傷付けてしまうなんて。

 

「私……あの子の事を何もわかってなかった……の……?」

 

 ふと自問したその時だった。

 突然、背中から胸へとてつもなく強い痛みが走った。

 そう、時折襲い掛かってくる胸痛だ。近頃全く来なかったが、今更になってきた。

 しかも今回はいつもよりもひどい。いや、今までで最悪かもしれない。

 

「ぐ……ぅ……うぁ……」

 

 心臓を掴まれて、今にも潰さんとするような強さで握られ、胸に鋭い牙を生やした得体のしれない何かに思い切り噛み付かれ、食い裂かれようとしているような、言葉にするのが難しい激痛に霊夢はその場に倒れ込み、脂汗を全身から噴出させて、叫んだ。

 

「ぐ……うぅ……あぁぁぁぁッ!! 痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛いッ!!」

 

 激痛のせいなのか呼吸が出来ず、胸の中で息が詰まり、すぐに声を出す事が困難になった。

 頭の中で何十万匹もの蝉が一斉に鳴いているような強い耳鳴りに頭を揺さぶられ、目の前がぐらぐら、ゆらゆらと激しく揺れているのを見た途端、もう目の前に映るものすらなんなのかわからなくなるくらいに目が回り、腹と胸の奥底から強い吐き気が突き上げてきて、我慢する事も出来ず、霊夢はその場で吐いた。

 その直後に激痛と耳鳴りと吐き気と息苦しさは一気にその強さを増し、霊夢はそれに意識を押し潰されたかのように、闇の中へと転がり落ちた。

 




今回にて第伍章終了です。
次章からはいよいよ終章へ突入。物語はついにクライマックスへ歩み始めます。
ここまでの感想、ご指摘、お待ちしております。
そして、ここまで読んできてくれた読者の皆様、本当にありがとうございました。
もう少しだけ、お付き合い願います。
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