「えー、咲良。お母さんの件ついては残念という他ない。俺や他のコーチの方もお前の頑張りを知っていたし、これから回復も見えてきたってところなのに、というのが思うところだ」
体育館。他の部員がウォーミングアップにパス練習をしている。ボールが何度も放物線を描いているところが目に入る。
キュッキュとシューズの鳴らす音やボールの跳ね返る音。部員の掛け声。そんな音を他所に、咲良は監督と話していた。
「お前がスタメンから外れて、やはり今年の春高予選は決勝で敗退。三河学園高校に取られてしまったよ。お前の力抜きではこのチームは全国へ行けない」
強豪美濃谷が久しぶりに春高出場権を失った年であった。世間には咲良の怪我が知れ渡っていて、サクラショックと地元紙では呼ばれている。
それほどまでに絶対的な存在であったのだ。
「はい。俺も、ここでもう少し続けたいです。というか、色々と考えたいです。これからのこととか」
「そうか……。まぁ、お前がそう言ってくれて嬉しい。正直これを機にやめるかも思っていたからな。」
咲良の言葉に、少し微笑んでそう答えた。
「まぁでも、そのつもりなら我々もお前を治り次第登用したいし、ここで卒業させる気もある。ただ、その、あれだ。………お前、大丈夫なのか」
先ほどの嬉し顔とは裏腹に、監督は言いにくい、と言った様子であった。それもそうだ。母親の死に加えて祖父母が長崎にいるために好きだったバレーボールを美濃谷で続け辛い状況にある。精神状態を案ずれば当然だった。
「それは、なんとか。一週間前に葬儀も終わりましたし、親権関係も祖父母がなんとかしていくれています。後は衣食住だけの問題です」
「そうか。煽るようなことを聞いてすまない。お前が大丈夫というならいいんだがな。といってもうちに寮はないし、一人暮らしを続けるにも学校生活とバイトと部活の両立なんて厳しいだろう。現実的ではないしな」
監督は腕を組み替えてそう唸った。監督しても、学校としても、全日本に選ばれたというような才能の持ち主を簡単に手放したくない、というのが本音であろう。しかしながら学校から個人への支援が批判の的になると言うのも事実。
学校の体裁を保ちながら功績をあげるのは、何かと無理があった。
「夏のインハイ、そして次回の春高がお前にとっても最後の舞台だ。スポーツで大学へ進むつもりなら尚更体に気をつけなきゃいけない。今のお前ははっきり言うと爆弾持ちだ。そんなやつにバイトもしろなんて鞭打つマネはできない」
「はい…。まぁ、そりゃそうですよね。膝もそうですけど、たかが学生、稼げたとしてもその金はしれてる。ってのが現状だと思います。仕送りも祖父母だけでは限度があるでしょうし」
「あぁ。まぁでも、幸いこの町の病院は故障した選手の治療でも有名だ。膝を治すことにおいては不安はないだろう。お前の主治医の中野先生に故障選手用の支援みたいなのがないか聞いてみる。後は俺としてもこの学校でもなにかできないか上に掛け合う」
「ありがとうございます。なんか色々と」
咲良は頭を深々と下げた。選手として完全復活できるかわからない今。正直、何のためにバレーを続けるのか、再考のきっかけにもなるだろう。そんな中で監督は咲良のためにとあれやこれやと考えてくれている。彼からすれば嬉しいことだ。
「いいや、それはこちらこそだ。母親が亡くなってさぞ辛いだろうが、よく来てくれた。今日はもう帰るといい…。あ、いや、お前今日病院の診察か?」
途中で思い出したかのように監督がそう尋ねた。
「あぁ、そういえば。中野先生には俺から聞いておきましょうか?色々と話したいこともありますし」
「それは、そうだな。また何か有れば聞かせてくれ。じゃあまた」
「はい。ありがとうございました」
かつての部活のように軽く監督は頭を下げてからその場を後にした。ちょうどコーチの吹く笛が鳴って、スパイク練習は変わったようだった。
何歳歳を重ねても慣れないのが病室というものだろう。独特の匂いがするし、そもそも病院というものがあまりいいイメージを持たないこともある。
「小町くん。お久しぶり。経過はどうだい。膝の痛みが悪化したり、他の足の部分に痛みがあったりは」
「いえ、特には」
「そうか。それならば良かった。それと、君には改めて謝らなばならないことがある」
母親のことだろう、と咲良は目処をつけた。親子揃って中野先生に診てもらった経緯がある。ただ、謝る、とは言われても、むしろこちら側から感謝するのが筋だろう
「いえ。仕方のないことです。母が末期癌だということを隠したがったのは分かりますし、その意思を先生は尊重しただけです」
「あぁ…。そう言ってもらえると助かるよ…。不甲斐ないがこれ以上自責するのは無粋というものだろう」
「はい。今は前を見て、進まないと何も始まらないので」
咲良の態度では毅然としていて、中野先生としても強かだなというのが素直に思ったところだ。何か精神的に前に向けるきっかけでもあったのだろうかと思いを馳せる。
母親を失って悲しみを負う一人の青年に、自分の娘達を重ねたのかもしれない。彼は一人の青年の成長を微笑ましく眺める。
「それで、ですね」
「何かあるのかい。僕にできるならば何でも聞こう」
「あ、その、どこか下宿先とかないですかね…」
「ほう。下宿というと、今の部屋はやはり仕送りだけではやっていけないのかい」
「…はい。母が直前までいろんなバイトを掛け持ちしてくれてたおかげでギリギリ生活できてたんですけど…。それに、一人で暮らすとなると家事面でも忙しいですし、これから徐々に復帰していくにあたって少し厳しいです」
ふむ、と中野マルオは口に手を当てた。真っ黒なその目から感情は読み取れないが、色々と思案してくれていることだけはわかる。
「…私の家が空いている。まぁ私の家と言ってもほとんど帰らないのだが。娘が二人住んでいてね。それでも構わないなら…」
「せ、先生の家ですか?それは流石に…」
「とはいえ、美濃谷でプレーを続けたいのだろう?ならここに居続ける必要がある。とはいえ私は生憎友人が本当に少なくてね。その数少ない知り合いも、スポーツマンを十分に養えるほどの財力を持ち合わせていないのだよ」
「結婚している娘もいるがまだ新婚だ。そんなところにお邪魔するのも嫌だろう?」
となると消去法的にマルオの家しか無くなる。監督を頼るならともかく、主治医にそれを頼み込んでもいいのかというのが咲良の率直な悩みであった。
けれども監督の家は絶賛育ち盛りの息子が二人。流石にそこへお邪魔するのも申し訳ない。本当に、この地では後ろ盾がないのだなと再確認する。
「直接的かつ個人的な経済的支援は世間体からしてもまずい。しかし下宿という形でなら誰が何と言おうと認めざるを得ないだろう?私としてはこれが一番しっくりくる形なんだ」
口説かれる、といえば聞こえは悪いがまんまと論を包まれていくのが分かる。何もないところに垂らされた一本の蜘蛛の糸。これに頼らざればほかに道はなかった。
申し訳なさが勝つが、それでも『好き』を続けたい。ようやく決心が固まったようだ。
「よろしく、お願いしてもいいですか?」
「あぁ。構わないよ。とはいえ君はまだ17歳。未成年だ。祖父母の方ともよくお話をして決めるといい。客観的に見れば甘い飴で釣っているようなものだ」
「そんなことはないですよ!」
「そうかい。契約が急を要するようであれば今話してもらいたいが、そちらの方は?」
「契約に関しては…まだ、解約まで三週間はあります」
「ならば来週に診察を入れておくから、その時に改めて聞こう」
マルオはデスクに向き直って電子カルテにキーボードを打ち込んだ。足の経過は良好。処方される外服薬も量が少なくなっているのが素人目にも分かる。
キーボードを叩く音が軽く弾む。対照的に咲良は拳を固く握った。
「あの、先生はなんでここまで俺に…」
「まぁ、憧れというやつだよ。一年前ほどにね、娘達に春高バレーを見に行こうと誘われたんだよ。娘夫婦が東京に引っ越したものだからそのついでにね」
「は、はぁ…」
「そこで、君のプレーを見たんだ。初めてだったんだよ、スポーツを見て心踊ったのは。学生の頃からずっと勉強をしてきたからね」
デスクと向き合ったままのマルオから、それ以上語られることはなかった。咲良は困惑する。
「そ、それだけですか?」
「あぁ、それだけさ。本当にそれだけなんだよ。それだけで君は人を動かした。誇ってもいいと私は思う。だからこれはほんの感謝気持ちだ」
そう語った後、彼は薬局へと持っていく何枚かの紙を彼に渡した。それを受け取って咲良も礼を言って病室を後にした。
本当に、人はわからない。自分のプレーが誰かを突き動かした。それは嬉しいことだ。だがそれにしたってその分の見返りが大きすぎる。咲良としても流石に引き気味にもなってしまう。
前から顔見知りの看護師がやってきて、挨拶をしながらすれ違った。
自分が感動を誰かに返すために、医療に従事するのだろうか。
自分が何かをしたという意識はあまりないし、何かに突き動かされたこともあまりない。忘れただけかもしれないが、そういう経験に疎い彼にとって、本当に分からなかった。だから、どうこの感謝を伝えればいいのかも、分からなかった。
「ただいまー」
祖父母が長崎へ帰ったのが3日前のことだった。それからは何かに心を費やして、外で夜を過ごす、いわば不純な生活を送っていた。
二乃に出会ったのは昨日で、昨日も結局家には帰らず、公園で寝た。その後に学校へ行ってから病院へ赴いた。
一人で帰りたくなかった。母親との、一年間とはいえど思い出の家に。
「そうだよな…」
一人ため息をこぼす。ただいまにおかえりと帰ってくるはずがない。この家にはもう自分しかいないのだから。おかえりと笑って迎えてくれる母親はもう遠いところはいってしまったのだから。
不都合なことに、一度遠くへ行ってしまうと、もう二度と元の場所にはもどれないらしい。
実を言うと、独りは怖かった。
長崎から母子ともにこっちへやってきて、バレーの仲間はいるが、友人はいない。仲間が一緒にコンビニへと寄り道する間、彼は一人で母親に元気な顔を見せるため帰宅していた。
だから、その母親がいなくなれば必然的に孤独だった。
「俺さぁ、やっぱり向こうに帰った方がいいのかなぁ…1人は怖いけん…」
「母さんは、搬送された後、一人で死んだのか…?最後、寂しくなかったか?怖くなかったか?」
「俺は今、怖いよ。誰もいないこの部屋が怖い」
何かをしていないと、心が満たされず、満たされない心を抱き抱えるように、台所の前に蹲った。きつく自分を締め付けておかないと、消えたみたいに感じてしまうから。
「…ッさみしい」
バレーボールは今は出来ない。ここ二年間はバレーと母親のためだけに生きてきた。見知らぬ土地でひたすらに、ひたむきに努力してきた。
怖いもので人は17年間の内たった2年だけでも、それだけで生きてきたように感じてしまうらしい。
一人で孤独を抱えて啜り泣く内に、意識は落ちていった。
それに気付いたのは夜更けだった。
制服のまま眠ってしまい、肌寒さに起きてしまったのだった。毛布はかかっていない。かけてくれた人はもういない。そのことに改めて気づいた。
孤独というものをこの家では嫌でも感じてしまうから、外へ出た。月の光と張り詰めた空気は自分の存在を嫌でも意識させられる。自分が自分でいられる。
どこへ行こうか。ふらふらと街灯の明かりを縫うように歩いた。暗闇は怖い。孤独は嫌だ。そんな思いからか知らずのうちにコンビニにたどり着いた。
「お」
「え?」
「不良少年め」
聞いたことのある声がした。その言葉はきっと自分を指しているのだろう。たしかに深夜に制服で外へと出るのは不良だ。認めるほかない。
「こんな時間にどうしたの」
優しく問いかける女性は中野二乃であった。
初春とはいえまだまだ寒いのがこの季節の悩みどころ。二乃はコートを着て袋を片手にコンビニを出るところだったようだ。
中からは女性用ファッション誌とよくある歴史の裏話的な雑誌。それとアイスだろうかが二つ。こんな時間にどうしたのとは咲良の台詞でもあった。
「あぁ…ちょっと買いもんです。夜中に小腹が空いちゃって」
「ふーん。まぁ服装ぐらいは考えたほうがいいわ。TPOの一文字も被らないわね。そんな薄手のセーター一枚じゃまだ寒いでしょ」
「は、はは。いやまぁこれ以外の服あんま持ってないし、腹減りすぎて急いで出てきたもんで…」
「まぁいいわ。流石にそれじゃ補導されるだろうし、中まではついてってあげる。一つくらいなら食べたいものも買ってあげようかしら」
二乃はそんな言い訳にため息をついてからそう言った。バレバレの嘘をついて大人を騙そうとしてもそうはいかないようだ。大方一人でいるのが嫌で出てきたのだろうと察しはついた。
せっかくの顔見知りの青年を放っておくわけにもいかなかった。
「流石にそれは悪いですよ」
「いいから、こんな寒いから私もちょうどあったかいの食べたかったの。付き合いなさい」
「…お言葉に甘えます。ありがとうございます」
「それでいいのよ。素直な子は好きよ」
二乃はそう言って咲良の背を押した。中には店員が独り。兄弟が迎えに来たとでも思われたのか不審がる様子もなく作業を続けているようだ。
その間、咲良は何を欲しいともなく、手持ち無沙汰になるだけだった。そもそも、財布の中には1000円もない。家にほとんどを置いてきた。
ただ、嘘をついた手前手持ち無沙汰もおかしい話だった。したがって彼は適当な紙パックジュースを手に取った。
「決まった?」
「まぁ、はい。でもこれくらい自分で払いますよ」
「いいの。外で待ってて。すぐ行くわ」
言われるがままに外で待つこと数分、二乃は新しい袋を下げてこちらへと歩いてきた。近づいてから、一つ、暖かいものを咲良に手渡した。肉まんだ。
「寒かったでしょ?…これは待たせた代」
「はぁ…ありがとう、ございます…」
「さ、ちょっと歩くわよ」
「いや、どこに」
「まぁ着いてきたら分かるわよ」
そう言って二乃は咲良の先を歩き始めた。咲良もそのまま無視して帰るのはあまりにも薄情なので着いていくことにする。
その間、彼らに会話はなかった。咲良はなんとなく気まずくて星空を見上げて、目線でオリオン座をなぞった。
その内に、どうやら公園へやってきたようだった。
「立ち話もなんだし、ちょっと寒いけど座ろっか」
「…いいですけど」
肉まんはこのための布石だったのかと気付く。
とはいえここまで来た以上は座るほかない。そうして座った後に二乃も隣に座り込んできた。寒そうにコートを着直した。
「あ、もしかしてコートいる?」
「それは流石に。そもそもサイズが小さすぎです」
「悪かったわね。小さくて…」
「いや、悪気はないです」
「それがさらに腹立つわね」
「えぇ…」
テンポのいい会話が続いた。肉まんを食べて温まりながらしばらくは他愛もない話を続ける。
「まぁ、もうそろそろまた体も冷えてきたし、これで最後にするわね」
二乃は肩にかかった髪を後ろへとやった。綺麗に梳かされた髪がさらさらとたなびいている。咲良はそんな様子に目を奪われた。
「…1人は辛いでしょ?」
直後、そんな質問が投げかけられた。
「お父さんから話は聞いた。もしかしたら自分の受け持っている患者が選手だけど、母親を亡くしたからこっちに下宿するかもしれないって」
「名前は伏せてたけど、多分君でしょ」
中野先生と彼女は親子関係にあったのかと咲良はなんとなしに納得した。
ただそれよりも、彼女に見抜かれてしまっていたことが驚きだった。その余りにそうではないと、辛くないと拒否してしまう。
「嘘おっしゃい。顔に辛いって書いてあるわ。それとも何?『からい』の読み間違いかしら」
「……それで、辛かったらどうなんですか」
思わず返答がぶっきらぼうになってしまう。会って間もない他人に、そこまで言われるのに不快感を示す。
「夜出歩くのは感心しないわね。それも一人で。スーパーエースの名に傷がつくわ。それに、泣き腫らした目に気付かないわけないでしょ」
「そりゃ…まぁ」
「正直昨日からちょっと心配だった。この子もしかしたらフラッと消えてしまうんじゃないかと思って。それに今日バイトの面接にも来ないんだもの。ちょっと肩落としたわ」
冗談まじりに肩をすくめた。決して暗い雰囲気にしないようにと努めているのがわかる。
「まぁバイトのことはすいません。まだ色々状況が状況ですし、昨日の今日ですし」
「それはそうね。それにしてもこんな時期に一人でふらふらと。心配が増したわ。お姉さんとっても心配」
「はぁ…」
「出会って時間はそんなにないけど、出会いはあまりにも衝撃的だったわ。お情けをかけてしまうくらいみすぼらしい格好だったもの」
そうして二乃は咲良の両肩に手を置いた。
「母親が亡くなってからは一人の部屋で、寂しかったでしょ?だから家に帰れなかったのよね」
「とりあえず今日は私の家に来てくれていい。帰りたくないなら帰らなくてもいい。心の整理がつかないのに、無理矢理慣れさせようとしたら心が壊れちゃうもの」
「…誰にも頼りたくないのもわかる。ここまで来て頼れないのよね。でもだからこそ、頼らないと。自分じゃどうにも出来ない気持ちを受け入れるには、そばに誰かがいないとだめだから」
「だから、おいで」
咲良は、知らずのうちに涙を流した。
二乃はそんな咲良の手を引いて家路に着く。彼はそんな彼女に抵抗せず、着いていくことに決めた。
出会ってまだ一日の他人。そんな他人に救われたのだと思うと情けなかった。であるのに、心は暖かった。本当に、孤独は嫌だったのだ。
二乃があまりにもお姉さんすぎますね。でもフータローが結婚した後はこんな感じに誰にも優しくなってるんじゃないかなとも思います。
それにしたって咲良くんどれだけ養われ属性なんだ…。自分で書いてて羨ましい。