「いつまで独りから逃げてるつもりだよ」
幼い頃の咲良がそう言った。小生意気で歳が上の人間、特に男を軽蔑するようなそんな目線。
大好きな母親は、父親という男のせいで悲しんでいる。苦心している。だが、そんな男がいなければ自分はいなかった。そんなことを理解し始める歳になってからそのような子供になってしまった。
「母さんは死んだ。お前の好きな母さんはもういないんだよ」
咲良の目の前に、幼い咲良が立っている。勿論、夢だということは本人にも分かる。
眠る時に見る夢というのは、自分の潜在意識や隠れた欲求を露にするという。明晰夢だとか予知夢だとか色々あるが、それらはまだ正確に解明されていない。もしかしたら人間に備わった特殊能力なのかもしれない。
ただ、今に限っては潜在意識との会話ではあることは確かだ。
「独りだよ。お前は。ろくに友達も作ってこなかった。皮肉だよな。好きなことをしてたら色んなものを失ってた」
違う、と反論したい。だが口元は頑なに動かない。それもそうだ、この言葉を発しているのは全て自分のなのだから。潜在意識の中にある自分自身が言っているのだから。
暗い世界から、少し風景がひらけた。坂の多い街、それが長崎だ。そんな街の高くから見下ろした景色は最高に見晴らしがいい。下には入江に船が入ってくるのが見えた。
「懐かしいよな。母さんに連れてきてもらったとこだよ。嫌なことがあったら連れてきてもらってた」
また場面が切り替わる。
次は昔の家のリビングに来ていた。母親がテーブルに突っ伏して、心地良さそうに寝ている。いつからだかわからないが、血色がいいことからまだ癌が発覚する前なのだろう。
「この時から、もしかしたら体を蝕まれてたのかもな」
また風景が入れ替わる。
今度は、咲良が帰りたくないと思った家だ。二年間母親と暮らした家。本当に、まだ大丈夫だと思っていた。まだ猶予はあった。というのも5年生存率も高かったし、このうちに咲良がプロになれると思っていた。実際にプロからは声がかかり、年俸と少しの借金で母親の手術を進められるはずだった。
「でも現実は違う。母さんは死んだ。悠長なことを思っているうちに命の灯火は日に日に弱くなっていった。それに気づかなかった。気づけなかった」
「俺は、お前が嫌いだよ。お前は俺が嫌いなのと同じだ」
幼姿の咲良は、今の咲良をまっすぐに指差して睨んだ。
あぁ、俺は俺のことが嫌いなんだと、自覚させられてしまう。本当は気付きたくなかったけれど。
そう思ってしまったら、今度こそ自分の存在がなんなのかわからなくなる。
瞬きをして、次の瞬間には火葬場の風景が周りに広がった。棺が焼却炉に入っていく。この世に残した骸すらも焼いてしまう。いよいよ記憶の中でしか留めておけない母親の最期の顔。
待ってくれ、まだ言いたいことがあった。まだ話したいことも、笑い合いたいことも、恩返ししたいことも、いっぱいあった。咲良は手を伸ばしてそこへ走る。
夢のくせに炎に触れれば熱かった。それ以上は近づけなかった。
背後にいる咲良の幼姿はいつのまにか姿を消していた。
瞬時のことに瞬きをした。そんなはずはないと。何度も何度も目を擦って、次に目を開けると、知らない天井があった。
記憶にもない、高い天井。
「……どこだ、ここ」
いつのまにか話せるようになっていて、それが起床だということに気が付くまで少しだけ時間がかかった。
頭が混乱しているようだ。昨日の記憶がまるで飛んでいて、自分がなぜこんな高級そうな家にいるのかがわからない。という様子で彼は視線を移動させた。
どうやらソファの上で寝ていたようで、自分の上には毛布がかけられている。毛布一枚でも寒くないのは暖房が効いているからだった。
その毛布を取っ払って、むくりと起き上がる。
ソファの背もたれの部分の向こうを覗いた。すればそこには見覚えのある女性の後ろ姿があり、どうやらキッチンの前に立っているようだった。
冷や汗をかいた体をもう一度ソファに預けて天井を眺める。
「昨日は疲れたみたいね。ソファで待ってもらってたらいつのまにか寝てたんだから」
二乃は咲良の顔を覗き込んでそう言った。どうやら彼女は彼が起きたことに気付いていたらしい。
それにしても、咲良の視点の定まらなさに二乃は笑った。それもそのはず。ある意味一軒家の豪邸よりもすごいかもしれない。マンションの一室の中に階段があって二階建てのようになっているのだから。
「朝ごはん、一応作っておいたけどダメそうならいいわよ。それと、とりあえずお店の方は今日の午前までお休みだけど、午後はどうするの?」
「朝ごはんはありがたくいただきます……。それと午後は俺、予定なくて、どうしようかな……と」
「そ、暇ならお店の手伝いしてもらおうかしら。一泊分のお代だと思えば、お互い後が楽でしょ。君、あとからお礼とかしてきそうだし」
二乃はそう言う。それが彼女なりの優しさであった。裏を返して言えばしたくしたことなのだから特別なお礼はいらないということだ。すこし遠回りなような気もするが、咲良もその意図をなんとなく察した。
「そうですね。その方が俺も楽かもしれないです。皿洗いとか店内清掃ぐらいしかできないですけど……それでもいいなら」
「全然それでいいわ。むしろ助かるくらい。清潔は人を呼ぶから、そういうのは結構大事なのよ」
そうして、そんなことを言いながら二乃が朝食を運んできた。その間咲良はやはり不慣れな豪邸に落ち着かず、視線を右往左往させる。そんな時に一枚の写真が目に入った。
「これ、中野先生だ……」
写真の端に写る中野マルオ。そして二乃と三玖の他三人、顔が瓜二つな女性が立っている。卒業証書を持っているようだった。
そしてマルオの反対側の端、これも高校生だろう、青年が写っていた。その横に小さな女の子と金髪の男性が写っている。
「ん、あぁそれね。私が高校卒業した時の」
「あ……いや、それにしては顔が似てる人多いですね。というか顔だけなら二乃さんとの違いが分からない……」
咲良は見れば見るほど顔の似ている五人を怪訝そうに見た。もしドッペルゲンガーというものなら五人いる時点でこの中の誰かが死んでいる。
「あははっ。私達五つ子なのよ。ちょっと前までみんなここに住んでたのよ」
「五つ子なんですね……」
「五つ子……!!!?」
咲良の驚きは遅れてやってきた。ここまで顔が似るなら、世にも珍しい一卵性の五つ子だろうか。まったく事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったものだと唖然とする。
「よかった、驚いてくれて。逆に驚かなかったらこっちがびっくりしたわ」
「いや驚かない人いないでしょ……。だって五つ子ですよ? 三つ子ですら珍しいって言うのに」
「まぁそうっちゃそうね。それでね、この写真のこの娘」
二乃はそう言って大きなリボンがトレンドマークの姉妹を指さした。
中野四葉であった。
「妹の四葉。この前、っても一年前か。結婚したのよ」
「はぁ……おめでとうございます……? いや、めでたいことですけど……」
だからどうしたのだ、というのが本音であった。二乃の姉妹が結婚をした、そのこと自体は確かに祝われるべきことだろう。しかしながら全然知らない他人の結婚報告をされたとて心の底から喜ぶのは少々難儀というものであり、結婚した本人からしても知らない他人から祝われたとて、となるだろう。
「誰だと思う?」
「はい?」
「こん中の誰かさんと結婚したのよ」
「……ロマンチックですねそれ」
咲良は写真の中にいる黒髪の男子生徒を一瞥した。彼は冴えない男子といえばそうと見えるような容姿をしているが、そこに注目したわけではない。
ある種の納得といえば近しいのだろう。その優しそうな目に何とも言われぬ、あぁ、この人なんだろうなと確信に近い感覚を抱いたのだ。
「そうでしょ? 上杉風太郎っていうの、その子」
「聞いたこともないです」
「6年前の話だからそうなるわよね。でも全国模試一桁、なんて言う化け物よ。卒業すら怪しかった私達からすると、ある意味雲の上のような存在だったかしら」
「ひ、一桁……」
「まぁそんな彼が私達五つ子の家庭教師になったのよ」
咲良はいつの間にか目の前に置かれていた朝食を食べながらその話を聞いた。話し手の二乃は頬杖をついて微笑みながら語った。
「色んなことがあって、好きになって、それでフラれた。初恋、いや、初めての本気の恋にしては中々いい恋だったわ」
そう語る二乃が微笑み続ける姿は美しかった。目を細めてどこか遠くをながめている。
きっとそれを今でも忘れられないのであろうということを咲良は察した。
但し、その情動の素晴らしさというものを、生まれてこの方恋をしてこなかった咲良は理解できなかった。
「それがこの前の……」
「えぇ、惚けてたわ。一応妹からフー君を奪おうと色々頑張ったんだけどね。ダメだったわ」
「……そんなに、恋って良いんですか?」
「そりゃまぁ、本気で愛する人がいるってのはいいことよ。良くも悪くもその人で心が満たされて人生が楽しくなるもの」
187cmの大きな体躯。故に食べるのが早い彼はもう朝食を終えてしまって、そのままに手を合わせた。ごちそうさまでしたという一言を添えて。
腹は満たされたが、腑に落ちないことがある。
恋をすることで心が満たされるとはどういうことだろう。つまりはバレーボールで心が満たされれば、それはバレーボールに恋をしているということだろうか。
そんな表現はあるだろうが、それは比喩であることを咲良は分かっている。
親族はともかく、血の繋がらない他人を愛することで満たされる心は、違うのであろうか。
「恋をすれば分かるわよ。親が好きとか、バレーが好きとか、そういうんじゃない。好きだけど不安になったり、怖がったり、それでも満たされるの」
「はぁ……」
「ま、そんな時が来るはずよ。その時はいつでもお姉さんが相談に乗ってあげるわ」
二乃はその決して小さくない胸を前に突き出してそう言った。自信満々といった様子で、あたかも百戦錬磨の恋愛アドバイザーのような雰囲気である。
「……二乃彼氏いたことないくせに……」
そんな二乃に辛辣なダメ出しをするのは五つ子三女、今は同じ店を経営している中野三玖であった。
今起きた、というような様子で部屋から出てきた。寝巻き姿に寝ぼけ目を擦れば誰の目にもそれは明らかである。
「うるさいわね! 顔洗ってきなさい!」
「昨日待ってたのに帰ってこなかった仕返し。まぁ……事情ありげだからこれで許してあげる」
咲良の方をチラと見てそう言った。何があったか、まで聞かなかったのは彼女なりの配慮であろう。
「それは、ごめん。でもアイスちゃんと冷やしてあるし部屋の机の上にも雑誌置いといたわよ」
「え? ……後で確認する。ありがとう」
どうやら寝ぼけながら出てきたために気づいてなかったようだ。しかしながらその会話中で意識も覚醒したらしく、目も心なしかはっきりと開いている。
「お、お邪魔してます」
姉妹の会話を横に当たり前のようにその場に溶け込んでいるが、咲良はきちんと来客者。二人の会話に適当な間を見つけて挨拶をしておく。流石に寝食を提供してもらってそれもしないなんてことは不義理だと思ったのだ。
「……はい。どういたしまして……? でいいのかな。私のことはそんなに気にしなくていい。お父さんからも聞いてるから……」
「そ、そうですか。まだ決まったわけじゃないですけど、もしその時はよろしくお願いします」
「うん。残ったの私達だけだったし、二乃が大丈夫そうなら良い人だろうから、歓迎するよ」
「……咲良君も色々あるから。まぁ出来るなら三玖にも教えてあげて。無理強いはしないけど、一緒に住むんだとしたらお互いのこと知っておいた方がいいはずよ」
「そ、それはまぁ、追々、決まり次第、ということで……」
歯切れが悪いながらも咲良はそう返事した。母親の死、幼少期の、霞程度に覚えている父親の話、今の状況。どれも普通他人には深々と話せない事柄であろう。
咲良は初対面で優しくしてくれた二乃を信頼している。偽善であったとしても、あそこまで初対面の人間に優しく出来る人は多くはない。
一方三玖はどうであろう。咲良からすればまだどんな人かも分からない。会話すらほとんどしていない。
それもあってあまり気は進まない。
「私は大丈夫。言いたくないことの一つや二つ、人にはあるべきだから。……それでも君がちゃんと話してくれたら嬉しいんだと思う」
「まぁ、追々……」
「さ、あんたは顔洗ってきなさい。そのあと咲良君ね」
そう言って少し湿気た空気に二乃が割って入った。それに促された三玖は洗面台の方へと向かい、咲良は食べ終えた皿や食器をシンクに持っていった。
「俺のこと、咲良でいいですよ」
三玖がリビングからいなくなって、咲良はそう言った。
元々二乃は一定以上距離が近くなった人に対しては君やさんをつけないタイプの人間だ。彼女としてもそちらの方が楽だった。
「そ、じゃあお言葉に甘えて次からそう呼ぶわ。あたしもちょっと馴れ馴れしくしずきないように気をつけてたのよ」
「そう……っすか。まぁなんでもいいです」
「了解」
そう言って二乃は皿洗いを始めた。それによっていよいよ手持ち無沙汰になった咲良は大きな窓から見える外を眺めた。
高層マンションであるからかなり遠くの方まで見える。今日の天気は晴れ。山の輪郭もしっかりとしていた。
「あ、えっと、その……」
咲良の背後から三玖の声がする。どうやら顔を洗い終えて交代することを伝えにきたようだ。
「名前でいいっすよ。洗顔っすよね。ありがとうございます」
「う、うん」
「ちなみにどこにあるかだけ……」
「廊下歩いてたら多分分かる……右手側にあるよ」
「わかりました」
そう言って彼は廊下の方へ歩いていった。
歩いて右手側にある。その通りで、見れば分かった。しかもかなり広い洗面所。鏡が三面もある洗面所は合宿所のホテル以来だった咲良はすこしだけ気分が上がる。
「すげぇ……」
ご親切に、三玖はタオルもきちんと棚から出して置いていた。棚を間違えて下着を見られないようにする、というのもあるだろう。
その意図は露知らず、咲良は前者の親切にだけ感謝していた。
顔を洗う前に、その伸びた前髪を頭の中心よりちょっと後ろに束ねてヘアゴムで括る。ハーフらしい、端正な顔立ちが鏡に映る。
冷たい水を手で作ったお椀に張り、その顔にかける。顔が冷たさで引き締められ、自然と意識もシャープになる。それを二、三回繰り返して、タオルで顔を拭いた。ふんわりと柔らかいタオルは家のものとは違ったいい匂いがして、落ち着かなかった。
「ふぅ……さっぱりした」
そう言って目を開けてヘアゴムを取る。伸びた前髪は垂れ下がり、隙間から紺碧の眼をチラつかせた。
「髪くくってるのいいわね」
「うわぁ!?」
「何よ。そんな驚かなくたっていいじゃない」
完璧に咲良の死角に立っていた。ドアに寄りかかってそう言う二乃だが、彼としては本当に心臓に悪い。まだ拍動を感じられるほどには驚いたようだった。
「驚きますよ……そんなところに誰もいないと思ってましたよ」
「そんなところって、入口よ」
「いやまぁそうですけど……」
「それよりこれ」
二乃はそのまま白と赤と緑色が配色されたバレーボールを咲良に手渡した。それを不思議そうに見つめる咲良。無理はない。いくらバレーボール選手だとしても、突然バレーボールを渡されてそのままバレーの練習を家屋内で始めるものがどこにいようか。いきなりそのバレーボールを手に取ってトス練習でもしようものならそれは練習の虫であると同時にただの常識知らずだ。
「これをどうしろと」
「やるわよ」
「はい?」
「やるわよ」
「……はい?」
咲良の理解が追いつかなかった。二度も同じことを繰り返すこの女性はさながらRPGのモブキャラである。しかもyesの選択肢以外を選ばせないタイプのそれだ。
どこでそれをしろというのだと目で訴えた。
「下にちょっと広場あるから。開店まで3時間もあるし暇潰しもしたいでしょ? 三玖も連れてくから来なさい」
二乃の声色からはすこしぶっきらぼうだが、確かな気遣いを感じる。
すこしでも楽しいことで前向きになれるようにしてあげたいという気持ちが強かったのだ。
「わ、わかりました」
二乃はその言葉を聞いて、運動を厭う三玖を引きずりながら玄関の外へと出た。咲良はそれを苦笑いで眺めてついていく。
芝生が綺麗に整備されて踏み心地の良い地面。休日の朝だからかいつもより近所の子供が多いように二乃には感じられた。
そんなちびっ子達の多い公園の隅で三人は集まった。視界が悪くならないようにと、咲良は髪をくくっている。
「私運動苦手なんだけど……」
「まぁしんどかったら休んでくれてていいわよ」
「しんどいとか以前にレシーブみたいなのできない……」
「そんなの目の前にお手本があるじゃない」
二乃が咲良の方を見ると、三玖もそれにつられて同じ方を見た。
慣れたかのように思われるが美人二人の視線だ。たじろがない男子高校生などいるはずもなかった。
「あ、や、普通に、できますよ……」
「ほら、大丈夫よ。曲がりなりにも四葉と同じ遺伝子なんだからちょっとは出来るはず。多分」
「その理論なら私は高校の体育の授業で2なんて取らない……」
「あ、あはは……。ほら、咲良! いくわよー!」
妹からのジト目から顔を背けて、彼女は咲良にボールを下投げで、山なりに送った。そんな緩やかなボールを咲良は息するように、ストン、とアンダーハンドパス、つまるところのレシーブで三玖へと送る。
「わわっ、こ、こう?」
緩やかながらも運動に乏しい三玖は右も左もわからず、見様見真似でボールを返す。
皿を作るように手を組み、腕を伸ばし、脇を締め、ボールの正面に向かい、そのまま膝を伸ばしてボールを返すのがレシーブの基本だ。ダイビングしながらのレシーブや、ボールの正面に立たないままで返す場合もあるが、初心者に見せるべき例ではない。
ともかく、前述の基礎を完璧にこなした咲良を見て、不恰好なレシーブになるはずはなかった。
なるはずはなかったのだ。本来なら。
「あー……何がダメなんすかねぇ……」
明後日の方向へ飛んでいくボールを眺めながら咲良はそう言った。ほんの数瞬後にはボールは跳ねて転がっていく。小さな子供がそれを拾って、無邪気な笑みで咲良に届けた。彼はそんな子供達相手に屈んでからありがとうと言って微笑んだ。
そうして三玖に向き直る。
「ふふっ……」
二乃が密かに笑い、赤面して横に顔を逸らした三玖がプルプルと震えている。
「だから、ダメって言った」
「ごめん……大人になって運動神経も良くなってるかとおもったのよ……ふふ……」
少し拗ねたように言う三玖に対して、二乃はそれでも笑わないようにするので必死だ。彼女も三玖とは違う意味で震えている。
「まぁ、三玖さん、フォームは運動神経が悪いって言う割には綺麗でしたよ。多分腕を振ってるんだと思います」
「ほ、ほんと?」
「はい。腕を振らないようにしてみてください。それで膝を伸ばして体全体で送り出す感じです」
「わかった……!」
咲良はボールを一度自分の真上へ投げてから今度はオーバーハンドパス、ひいてはトスで緩やかなボールを三玖へ送った。
先程の咲良同様のフォームで構える。今度は顔に自信が出ている。腕を振らない、膝を伸ばすだけだ。考えることは単純で、思考にはそれだけしかない。
だからこそ、今度は綺麗に返るはずだった。
咲良の手元へ、山なりになって返るはずだったのだ。
「……ふふっ」
実際にボールは咲良へと返った。返ったのであるが、返る場所が悪い。
「……あ」
咲良の顔面が少し赤くなり、ボールは彼の体の目の前を小さくバウンドしている。
三玖がレシーブをした瞬間、咲良の顔面に勢いよくボールが飛んでいった証拠だ。それを見た三玖も思わず固まって小さな声をあげることしかできない。二乃に至っては顔を隠して笑っている。
一瞬だけ時が止まるとは、まさにこのことである。
「ご、ごめんね……! 大丈夫? 痛くない?」
三玖がすぐ側に駆け寄って心配をする。その傍ら、未だに二乃は笑いを堪えるのに必死であった。
「に、二乃!」
三玖は次女の名前を不安そうに呼んだ。咲良はその間顔を片手で覆った。そうして芝生に座り込んだ。
「えっ! だ、大丈夫?」
「……ふふっ、あはは」
咲良が座り込んだかと思えば肩を小さく揺らした。その揺れは次第に大きくなり、ついには顔を隠していた手を後方に置いて、顔を上げて笑った。
「あはははっ!! いやっ、三玖さん、すっげぇ綺麗にっ! ははっ!」
三玖はぽかんとしてその姿を眺めた。しかしながら二乃はその笑いに釣られてとうとう吹き出してしまった。いよいよ状況を掴めないのは三玖だけになる。
そんな三玖の肩に二乃は手を置いて、もう片方の手でお腹を押さえた。
「あんた、天才よ。それで食べていけるんじゃない? ふふっ。ふふふっ」
「え……えぇ……??」
ここまでツボに入る二乃もひさしぶりに見たもので、状況を掴めない上に混乱してしまう。終いにはもう自分も何が何だか分からなくなって二人の笑いに釣られて笑ってしまう。
ボールはぽつりと転がっている。その傍らに小さな子供達が寄ってきて、またも咲良のところは届けてくれたようだ。
「お兄ちゃん達、なんで笑ってるの?」
ふと、子供はそう聞いた。
「楽しいから。楽しいから、笑ってるんだよ」
咲良はそう答えた。そう答えると、子供達も満足したかのように元の遊び場へと戻っていった。
24歳が二人に17歳が一人、公園の隅で、芝生の上に座り込んで笑っている。不思議な光景で、愉快な景色。
ただ今はひたすらに楽しかった。少なくとも咲良は、心からそう感じていた。
投稿が少し遅れてしまって申し訳ない。
諸事情、というのも曖昧すぎるので告白しますと、実は私人生初の浪人を経験している最中でして。
勉強の合間に少しずつ書いているので二週間に一回、多ければ週に二回ほどと、かなり不安定なペースでお送りすることになると思いますし、秋ぐらいに差し掛かるとそのペースすら怪しくなると思います。
それでも呼んでくださると言う方は今後ともよろしくお願いいたします。