魚と亀の攻防 前編
三十路という年齢は、それまで送ってきた己の無様な人生を悔いる時期であり、それと同時に今後の人生設計を考え、悔い改める時節であり、言わば生涯の転換期だ。行動に移せるか否か、そこが問題である。
亀井重武はそう思いたち、これまでの自分ではまずやらなかったことをやってみることにした。手始めに、今までは微塵も興味を持たなかった占いなどを試してみようと試みたのであった。
見るからに怪しい、路地裏にいる自称占い師である老婆。その漫画みたいにオーバーなリアクションに耐え忍び、結果を待った。そして、出た結果がこれだ。
「今日、運命の出会いがあるだろう。モノに出来るかどうかはお主次第。ラッキーカラーはイエロー、ラッキーアイテムはチワワ犬じゃあ!」
そう言い渡された重武はぼんやりと歩道を歩き、一番星公園に寄り、そこのベンチに腰を下ろした。
十分間ほど、魂が抜けたかのような顔のまま桜の咲き誇っている景色を眺めていた。そして、突如、大声で怒鳴った。
「それだけ? マジで? ……う、う、占いなんて二度と信じるかぁ!」
そもそもチワワ犬なんて気軽に用意できるはずがないではないか。犬を飼うなんて、お前さん、一世一代の大決心よ。自分一人満足に養生出来ないのに、いきなり犬の世話なんて出来るわけがない。
「あ、でも、嫁さんは欲しい。本気で。大丈夫、きっと養える、多分絶対。うん」
重武は大きくうんうんと頷いた。通行人から不審者と思われ、何やら三人の主婦がひそひそ話をしているが、重武はとくに気にしなかった。
突然、重武がげらげらと笑い出した。主婦たちはぎょっとなって足早に立ち去り、それまで砂場でトンネルを作って遊んでいた男の子が泣き声を上げると、シャベルと泥の入ったバケツを放り出して走っていってしまった。
「あああ、どこで生き方を間違ったんだろうなぁ。誰か教えてくれないかなぁ」
ふと、公園に入ってくる二人の女の子の姿が目についた。年の功は十歳前後であろうか。二人はぴったりと寄り添っており、とても仲睦まじい。
「あー。羨ましいなあ。……ん?」
二人のうち、小さい方の女の子。それは少女というよりも、幼女と言った方が近いかもしれない。その幼女の身に着けている黄色い服に眼が行った。そこには、胸元に大きく刺繍されたチワールの姿が……。
「幸運のチワール娘! いた! 本当にいた!」
重武は歓喜し、あの占い師のご老体に深く感謝していた。
「小夜ちゃあん! 寂しかったよぉ」
鈴浜辺羅は月坂小夜との出会い頭に、彼女に思いっきり抱き着いた。ぎゅうっと抱きしめられた小夜はじたばたしてしまう。
「辺羅ちゃん……ちょっと……苦しいって……」
「あ、ごめんごめん、小夜ちゃん、ごめんね」
辺羅は慌てて小夜を解放した。それでも、辺羅の行き場を失ったこみ上げてくる嬉しさは小夜へ向けられているままであり、小夜は少々あきれ顔で辺羅をたしなめる。
それでも、小夜もまた、辺羅と会えたことが嬉しかった。
「あたし、もう小夜ちゃんと同じ学校に通えないんだね……。ああ、辛いなぁ、小夜ちゃんのいない学校生活なんて、ちっとも楽しくないもの」
「辺羅ちゃん。大丈夫、今は一緒に居られるから、ね?」
辺羅があまりにも悲壮感を露わにしているため、ついつい小夜は年上の彼女をあやすような口調になってしまう。
「今って時間が、今日で一番幸せだよ、小夜ちゃん」
今日は土曜日で、明け星中学校の入学式。晴れて辺羅の中学生生活が始まったのである。といっても、午後は休みであったので、辺羅は早速、小夜と待ち合わせをしていた校門の傍のバス停前へ飛んできたのであった。
「小夜ちゃんが卒業式にくれたガルガルのアップリケ、とっても可愛くて嬉しかったよ。ほら、今もちゃんとつけているよ」
そう言いながら、辺羅は布製のボストンバッグを小夜に見せる。そこには小夜の手作りである、猫のような相貌と赤い斑点のある紫がかった色彩の翼が特徴的な、ガルガルという名前のドラゴンのような怪獣を模した、アップリケが綺麗に縫い付けられていた。
ガルガルは鈴浜辺羅にとって一番のお気に入りの怪獣であった。
「小夜ちゃんって、手先器用だね。あたし、羨ましいくらいだよ」
「お姉ちゃんがすっごく手芸が得意なんだけど、わたしも教えて貰っているの。……でも、お姉ちゃんみたいには、なかなか上手にいかないんだけどね」
「そっか。美都さん、得意だからね」
辺羅は小夜の服に大きく刺繍されているチワールの姿を見つめながら言った。そのチワールの刺繍は、小夜の姉の美都が小夜の為に手作りしてくれたと、小夜が自慢げに話していたものだ。
辺羅は内心、これは負けていられないな、と対抗心を燃やしていた。辺羅にとっても美都は素敵な女性であり、尊敬もしていたが、一方では一番のライバルと認識しているのであった。
小夜と辺羅の二人はそのまま連れ立って、遊歩道を歩いていた。桜前線はまだ進行中といった具合であり、満開の桜並木が美しかった。
小夜は春の芽吹きを見つけては、その度に辺羅に教えていたが、辺羅は相槌をうつものの、それよりも小夜の方が気になっているらしく、目線は自然と小夜の方へとばかり向けられていた。
小夜としては、自分に対して執心している辺羅のことが悪い気はしていなかったが、もっとこの景色を観て欲しいのに、と思っていた。
(でも、わたしも辺羅ちゃんと会える時間が減っちゃったから、一緒に居られるってだけでも嬉しいな)
少々意思疎通がずれている面もあったが、二人の仲は本物であり、お互いにとってそれぞれが一番の親友であった。辺羅にとっては、それ以上と呼んでも差し支えなかったが。
まだ時間は十分にあり、二人の時間をもっと楽しみたかったのは小夜と辺羅共に同じであった。そういうわけで、二人はそのままの足で一番星公園に寄り道をした。
まず目についたのは、至る所に生えているタンポポの花。それに黄色い菜の花が咲く公園の花壇と、その上で宙を舞っている二匹のモンシロチョウの姿。まるで、小夜と辺羅のように仲良く飛んでいる、小夜にはそう思えた。
それから、よく手入れがされている池。池では園内で飼育されているコイの他に、自然に住み着いている元気の良いオタマジャクシがたくさん泳いでいた。
水面には数匹のアメンボの姿もあり、小夜たちが近づいたことに反応したのか、さっと逃げるようにして水上を走り、アメンボにぶつかったミドリウキクサがゆっくりと水面を滑るようにして流れた。
そして、何やら歓声を上げながらこちらに近づいてくる男の姿。
「え……」
小夜は戸惑いの声をもらした。
見るからにみすぼらしい、くすんでいる古びたジャージを着た男が足早に迫ってきた。男は戸惑う小夜の前に立つとはきはきとした声で言った。
「おお、あなたは紛れもない愛しのチワール娘! どうでしょう、ぼくと結婚を前提にお付き合いしませんかあ!」
小夜には男の言っている意味がよく呑み込めなかった。
「あの、あなたは……?」
小夜の問いに、男は異様なくらい元気よく答える。
「はい! よくぞ聞いてくれました! ぼくは亀井重武。多分知らないだろうけど、雑誌の連載も一つ受け持っているれっきとした小説家さ。そして、今日。この場で運命的な出会いを果たした、幸運な男でもあるんだ」
「はあ……」
小夜には男の言動がよく分らなかったが、取り合えず何かを書いている作家であるらしいことだけは理解できた。
「で、で、で。返事はどうなんだい? もちろんオーのケーだよね? ぼく、絶対に君を幸せにするよ。一日でもきみより長生きするよ」
「ちょっと! おっさん、あたしの可愛い後輩に向かって、突然何を言い出すんだ」
それまで、突然の闖入者に茫然となっていた辺羅が、これは小夜のかつてない危機だと理解すると、両者の間に割って入った。
「む、何だね、お嬢ちゃん」
重武は右手で己のジャージの裾を整えながら応えた。
「ぼくと愛しのチワール娘の恋路を邪魔しないでくれるかな」
「チワール娘、チワール娘って。この子には小夜って名前があるんだからね」
「ほお……小夜っていうのか。可愛くて素敵な名前じゃないか」
名前を褒められた小夜の顔がぱあっと明るくなった。重武はそれが自分に対する強い好意かと勝手に思い込み、ますます図に乗る。
「あのね、小夜は九歳だぞ。おっさん、何歳なの? 普通に犯罪だよ、犯罪」
「愛に歳の差は関係ないよ。いや、むしろ、三十年以上生きてきた、人生経験豊富なぼくだからこそ、相応しいと思うね。うん」
つい先刻までその人勢の路頭に迷っていた男の台詞である。
「辺羅ちゃん、チワールちゃんのことをよく知っている人に、悪い人はいないよ」
当の小夜本人から助け舟を出され、重武は嬉しさのあまり、犬の鳴き声のような声をあげた。
「流石は小夜ちゃん、ぼくがいかに善良か、その純粋な眼で見抜いていてくれる!」
(あ、駄目だ。小夜ちゃんってすぐ相手を信じ込んじゃうから簡単に騙されちゃうんだった。わたしが何とかしないと……)
辺羅は決心する。わたしが小夜を護らないと。
「駄目だよ、小夜ちゃん。こんな得体の知れない男と関わったら、人生滅茶苦茶になるから」
「え。でも、わたしも辺羅ちゃんも、重武さんとは、きっと良いお友だちになれると思うよ」
「え? と、友だち?」
困惑したのは、重武の方であった。重武の脳内の妄想では、既に小夜が自分のプロポーズにOKサインをだしているものと想定して、今後の進路が構築されていたのである。
「うん、お友だち。チワールちゃんを知っているってことはとは、重武さんもバトスピやるんだよね? きっと、辺羅ちゃんとも趣味があうかもしれないよ」
一気に魂が抜けたかのように、重武の両腕がだらんと下げられた。
「小夜ちゃん、そうやって友好関係を築いたうえで騙すのが、こういう男の手口なんだから。ほら、こんな奴ほっておいて、もう行こうよ」
「うーん、でも、せっかく知り合った重武さんのバトスピとか知りたかったな」
小夜の言葉を聞いた重武は好機を得たとばかりに、上着の大きなポケットからデッキケースを取り出した。
「おお、それは丁度良かった。ぼくはお守りとして守り亀のデッキを持ち歩いているのだよ。小夜ちゃんもデッキを持っているなら、お友だちになった記念に早速一戦、どうかな?」
重武は今日まで占いを信じてこなかった男であるが、自己流の守り亀のご利益は信じていた。
「え、やるやる。今は調整中だけど、わたしもデッキ持っているの」
(ああ。小夜ちゃんに火がついちゃった。……かくなるうえは)
背負っていたリュックサックを翻し、自分のデッキを取り出そうとする小夜を、辺羅が押しとどめた。
「え……辺羅ちゃん?」
辺羅がボストンバッグからデッキケース、それに携帯していたコアケースをさっと取り出し、重武に対して見せつけた。
「おっさんが本当にバトスピを知っているのかどうか、あたしが試してやるよ」
辺羅が宣言した。
「ええ? でも、ぼくは小夜ちゃんとの方が……」
「バトスピを口実に可愛い後輩に近づく不逞の輩を、あたしが成敗してやる」
「辺羅ちゃんと重武さんがバトスピ? 見たい見たい」
嬉しそうにしている小夜を見て、重武は途端にやる気を出す。
「お、そうかそうか。それじゃあ、ぼくの格好良いところ、見せちゃおうかなあ」
もしかしたら、これを機に小夜の自分を見る目が変わるかも……重武の脳内では己の理想の展開が再構築され始めていた。
「……調子に乗ったおっさんの鼻、へし折ってやるよ!」
かくして、鈴浜辺羅と亀井重武の戦いの火ぶたが切って落とされたのであった。
★来星の呟き
自分が書いているバトルスピリッツの背景世界の話は、世界が滅んでいく話ばかり……そればっかりだと気が滅入る面もあるわけです。
あっちが停滞した状態で、こっちの筆が乗っている際は、作者がリフレッシュステップに入っている最中とでも言えますか。
(自分がカクヨムで書いているオリジナル小説も、バイオレンスな内容とか多いからなぁ……)
こっちはシナリオの都合で5月には☆4まで行きたいってのもありますけどね。
必須タグにつけた、クロスオーバー要素も控えているし……。
因みに、この作品は、聖龍帝の大創界石がきっかけで始まる、人間の想いによって構築されていく世界創造が重要なテーマ。
そういう面でも、世界崩壊の話とは対照的かもしれません。