バトスピ☆明けの星町は大騒ぎ   作:来星馬玲

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☆3 こころのアイドル
こころのアイドル 前編


 親愛なるあの頃のわたしの喜び、怒り、悲しみ、楽しみ。

 

 思い出すことはできるけれど、感じることはできない。今のわたしはあの頃のわたしとは違うから。

 

 

 

「さようなら!」

 

『さようなら』

 

 日直の生徒の別れの言葉を、クラスの全員が声を合わせて復唱する。教師の「さようなら、また明日」という挨拶を合図に、生徒たちが次々と席を離れ、帰りの身支度を始めた。

 

 その生徒の中にいる月坂小夜もまた、周りの流れに乗っているかのように自分のスクールロッカーへ向かい、ランドセルを取り出した。

 

「小夜さん、ちょっといいかな?」

 

 小夜がまとめた教科書や筆記用具をランドセルに詰めていると、背後から声をかけられた。小夜が振り向くと、このクラスの学級担任である、細工門慈が小夜の方へ手招きをしていた。

 

「門慈先生、なんですか?」

 

 担任教師の傍まで来た小夜が彼へ尋ねると、相手は声を潜めながら答えた。

 

「ちょっと、ここでは話しにくいから……職員室の隣りの待合室まで来てくれないかな。……実は、那柘さんのことで」

 

 最後の一言は小夜の耳元で告げられた。

 

「なっちゃんの……」

 

 小夜がなっちゃんと呼ぶ、その生徒の名前は風良那柘。小夜の同級生であり、二人は大の仲良しであった。

 

 那柘の名前が耳に入った時、小夜はすぐに言い知れぬ不安を覚えた。那柘はおたふく風邪て三日前から欠席していたはずであるが……。

 

「はい、わかりました」

 

 小夜としても断る理由などなかった。

 

 

 

 門慈の話によると、那柘が風邪をひいているという話は実は仮病であったという。何らかの理由により、那柘は不登校であるらしい。

 

「那柘さんのお母さんから聞いたんだけどね。本当は担任のぼくがちゃんとしていないと駄目なんだけど……」

 

 そう言う門慈の表情は己の無力感と疲弊からくる辛さがありありと浮かんでおり、いかにも初老の男らしいしわがそれを目立たせていることもあり、小夜としても見ていて痛ましいものがあった。

 

「小夜さんは、那柘さんととても仲が良いよね。……それでもし出来たらで良いんだけど、お願いしたいんだ」

 

 門慈は、小夜に那柘の家に行って様子を見てきてほしいと頼み込んだ。門慈は直接言わなかったが、門慈のできれば那柘の相談にのってやって欲しいという願いは、小夜にははっきりと伝わっていた。

 

 那柘は極端なくらい引っ込み思案であり、特別仲の良い小夜と、先月に明けの星小学校を卒業した鈴浜辺羅以外には心を開くことがなかった。それは小夜以外の同級生は無論、親や担任の教師も例外ではない。

 

 もう一人、那柘に親身になってくれて、那柘も心を開いていた人物がいたのであるが、その人物とはもうしばらく会う機会がないままであった。

 

 小夜としても、おたふく風邪がうつる恐れさえなければすぐにでもお見舞いに行っていたところであるので、那榴に会いに行くことは願ってもない話だ。ましてや、那柘が何か辛い境遇に陥っているというのならば、自分のことを顧みずに助けようとするのが小夜という子であった。

 

「はい、わかりました。今から、すぐになっちゃんに会いに行ってみます」

 

 元気のよい小夜の返事を受けて、門慈は微笑んだ。

 

「ありがとう、小夜さん。……宜しくお願いします」

 

 そう言い頭を下げる門慈の、白髪混じりの髪が蛍光灯に反射している様子が、小夜の眼に焼きつけられた。

 

 

 

 小夜は誰もいない自宅に帰ると、身支度を簡潔に済ませ、すぐに家を飛び出した。だが、家から数歩歩いたところで思い直すと、一旦自室に戻り、子ども用のリュックサックを背負って出てきた。

 

 そのリュックサックには無数の小玩のスピリットを模した刺繍が施されていた。小夜を愛する、姉の狩野美都が手掛けた小夜の為の作品であり、小夜にとってはこれもまた世界で一つだけの宝物である。

 

 那柘の家へと急ぐ小夜であったが、途中途中で街路樹として植えられている、花の散った桜の木が目に付いた。茶色くくすんでしまったような樹々。葉桜への変化は少しずつ芽吹いている黄緑色の若葉が物語っていた。

 

 小夜は、結局、今春は那柘と桜を見る機会もなかったことを思い返していた。それに、一緒に町を歩いて案内する約束をかわしたエドワキア。

 

 あれ以来、エドワキアは何かと忙しいらしく、小夜が誘いに行っても断られてしまった。ただ、エドワキア本人は小夜との散歩を楽しみにしていたらしく、酷く残念そうであり、彼女は「いつか、きっとね」と念を押してくれた。

 

 所々には遅咲きの桜がまだ咲いていたが、これをエドワキアと観る機会も今年は無いのだろうな、と小夜は思った。

 

 一方で、春の象徴とも呼べるナズナやアブラナといった小さな花々が足元で、そのほのかな色彩による自己主張をしており、小夜は勇気づけられた。

 

(うん、一緒に観て廻るものは幾らでもあるんだ。そして、そのどれもが綺麗で可愛くて……)

 

 

 

 程なくして、風良那柘の家の前に到着した小夜。この家は、小夜の家から歩いて十分とかからないほどの距離のところにあり、家の左側を少し進んだところには、この前重武と出会った一番星公園がある。

 

 小夜は一呼吸つくと、自信を持って玄関に取り付けられているワイヤレスチャイムのスイッチを押した。

 

 ぴーんと響く電子音。それから暫しの間があった。やがて、玄関のドアの向こうから「はーい」と女性の声が聞こえ、人の近づいてくる気配が感じられた。そして、ガチャリと音を立て、ゆっくりとドアが開かれる。

 

「あ、小夜ちゃん……」

 

 出てきたのは那柘の母親、風良薫であった。薫は意外そうな面持ちであった。

 

「こんにちは。あの……なっちゃんが気になって」 

 

 薫は少し戸惑った様子であったが、明確な意思で以てこの場にいる小夜の表情を見ているうちに、徐々に彼女なりに事情を把握した風であった。

 

 もし、那柘がウィルス性の風邪であるならば、感染する恐れのある友だちの来宅を受け入れるはずはない。それは小夜もわかっていることである。

 

「もしかして、小夜ちゃん、那柘がどうしているのか知っていて……?」

 

「はい」

 

 小夜は一瞬ためらったが、先生から聞いてきたとは言わなかった。

 

「……那柘も、小夜ちゃんに会いたがっていたよ。どうぞ、中に入って」

 

 薫は微かにほほ笑むと、小さな客人を丁寧に招き入れた。

 

 

 

 小夜は二階にある那柘の部屋の前に立っていた。まだ初春の寒さが染みついている廊下は冷たく、明かりのついていない室内は若干暗く、小さな小夜には、家の天井がとても高いところにあるように感じられた。

 

 木質の戸の向こうでは、確かに那柘のものと思しき人の気配がする。

 

「なっちゃん、小夜だよ」

 

 小夜の呼びかけに対して、返事はなかった。ただ、戸の向こうで那柘が息をのむ気配は感じられた。小夜は戸を軽く叩き、もう一度声をかけてみた。それでも、反応はない。

 

 小夜はしばらくの間、黙したまま戸の前に佇んでいた。これ以上呼び掛けて、もし那柘に嫌な思いをさせたら――そう考えた小夜は口を開くことも出来ずにいた。

 

 十分以上は過ぎたかもしれない。あるいは三十分ほどかもしれなかったが、小夜にはもっと長い時間のように感じられた。それでも那柘からの返事はなかった。

 

 ここにいても迷惑なのかな、と思い至った小夜は、やがて諦めた様子で言った。

 

「……わたし、そろそろ行くね。ごめんね、なっちゃん」

 

 小夜は那柘の部屋に背を向け、下へ降りる階段の方へと歩いていった。小夜が階段の一段目に足を下ろすのとほぼ同時に、小夜の背後からカチャリと音がした。

 

 小夜が振り向くと、きーっとこすれるような響きと共に那柘の部屋の戸が開かれ、中からおどおどとした様子の那柘が顔を出し、こちらを見ているところであった。

 

「あの……小夜ちゃん。来てくれて、ありがとう」

 

 数日ぶりの那柘との再会に、小夜の顔がぱあっと明るくなった。

 

 

 

 那柘の自室。南側にある窓からは午後の陽ざしが差し込んでおり、暗い部屋にくっきりとした光明を投げ込んでいる。

 

 小夜と那柘は取り留めもない最近の話題を話していた。その過程で、辺羅の入学式の帰りに二人で春を観て廻ったことを小夜が話すと、那柘の表情が曇った。

 

「わたし、学校行くの、怖いんだ……」

 

 唐突に、那柘はそう切り出した。

 

「去年度までは、辺羅先輩もいたから大丈夫だったけど……」

 

 そう言う那柘の面持ちは暗く、同い年の小夜から見ても、とてもか弱い姿として、目に映った。

 

 那柘は小夜、それに辺羅の庇護下にあったと言えた。保育園に通っていた当時から集団の中で孤立しがちな那柘であったが、その頃から小夜が親身になって傍にいてくれたおかげで、那柘の弱い心が折れることは辛うじてなかったのだ。

 

 さらに、当時の保育園で最初に那柘と小夜の担任保育士だった蒼樹時菜の存在もある。

 

 二年目になり、組が変わったあとは時菜と接する機会は減ってしまったが、同じ園内に時菜先生がいてくれるというのは那柘にとってとても心強いことであったし、その頃の境遇により、小夜がより熱心に那柘を助け、支えようと積極的になったのである。

 

 小学校に入学すると、それまでとは環境が一変し、園児だった幼女は一人の生徒として、より自立が求められるようになった。

 

 そんな状況下であっても那柘が逃げ出すことなく学校生活を送れたのは、小夜以上に辺羅の存在によるところが大きい。

 

 辺羅は小夜と一番仲の良い上級生であり、二人の仲は那柘と小夜が明けの星小学校に入学する前から続いていた。辺羅は小夜の親友の那柘ともすぐに打ち解け、頼れる先輩として後輩の那柘のことを護ってきた。

 

 しかし、先月になって辺羅は卒業した。同級生の小夜は変わらずに那柘の支えになってはいたが、年上の時菜も辺羅もいない学校生活の重圧は、那柘を押しつぶすには十分なものであったと言える。

 

 今の上級生の中には、見るからに弱々しくて内気な那柘に対して辛く当たる者も少なくない。気が強く、過剰なくらい後輩を保護していた辺羅の存在が長らくそういった生徒たちを抑え込んでいたが、辺羅がいなくなったことで、那柘への当たりは彼女にとって耐えきれない責め苦にまでエスカレートしていた。

 

 もっとも、おそらくそういった上級生たちも、特別な悪意で以て那柘を虐めているというわけではない。ただただ、那柘が弱すぎたというのが実情であったのかもしれない。

 

 それ故、救いを欲する那柘の想いに応える者が周囲には小夜しかおらず、重圧が小夜だけでは支えきれないほどになったことで、那柘の現在の状態が形成されてしまったというのが実情である。

 

「小夜ちゃん。ごめんね、わたしがいつまでたってもだらしない駄目な子だから、小夜ちゃんにまで迷惑をかけちゃって……」

 

 那柘のその言葉を聞いた小夜は、すぐにでも「そんなことはない」と言ってやりたかった。「大丈夫だよ」と言いたかった。

 

 だが、あまりにもか弱い心を持つ那柘に対して、迂闊なことを口挟むのはかえって危険であると、小夜もまたはっきりとではないが、感じていた。

 

 しばらくの沈黙が続いた。外からは小鳥のさえずりが聞こえ、まるで時間が冷たく凍りついて止まったかのようなこの一室の中とは対照的に、外界では時間が進んでいることを小夜は思った。

 

 ふと、那柘の机の上に置いてある一枚のカードが小夜の目に付いた。それはバトルスピリッツのスピリットカード、ガーネット・ルーティ。小夜が以前、那柘への誕生日プレゼントのふわふわ猫のぬいぐるみに添えたカードであった。

 

 小夜としては、あくまでぬいぐるみのおまけとして、那柘が興味を示していたカードを贈った。だが、小夜はそのカードに描かれている情景を見ているうちに、那柘にとっても、自分にとっても、大きな意味を持っている――そんな気がした。

 

 小夜は決心する。

 

「ね、なっちゃん。気分転換に、外に出てみよっか?」

 

「え……」

 

 那柘は小夜の言っていることがすぐには呑み込めなかった。それから、那柘は小夜がさきほどまで見つめていた先へ視線を走らせると、机の上に自分が置いていたガーネット・ルーティへ目を留めた。

 

 ガーネット・ルーティは那柘ほどではないにしろ、引っ込み思案な印象を与える女の子。だが、彼女の眼は前を見つめており、背景として描かれている風景は明るく、日の光を浴びた樹々の緑が輝いていた。それが那柘の親近感と、憧れの混ざった感情に繋がっているのかもしれない。

 

「今から? ……でも、もう遅くなっちゃうんじゃ……」

 

「もう春なんだよ。そろそろ夏が来る……。今は、昼間も長いから……いっぱい、観るものがあるの」

 

 那柘は小夜の言っていることをぼんやりと反芻していた。冷たい室内でじっとしているよりも、まだ暖かな外に出る方が有意義な時間を過ごせる。小夜はそう伝えたかったのだ。

 

「うん……小夜ちゃんの言うとおりにしてみる」

 

 那柘は、ガーネット・ルーティに描かれている、暖かさが伝わってくる情景を眺めながら言った。

 

 

 

 那柘の母、薫は娘とその親友が外出するのを快く見送ってくれた。時刻は四時を過ぎており、徐々に日は暗くなってきていたが、子供が遊ぶにはまだ十分な明るさと言えるかもしれない。

 

 外気は夏と呼ぶには少し涼しすぎるが、先ほどまで居た室内よりもよっぽど暖かく、春の香りが漂っていた。

 

 歩道沿いの草木が生い茂る斜面には、無数の山吹の花が咲いており、その黄色い花の一つ一つが春という発見に満ちている。

 

 小夜は、山吹の花が咲く頃に田んぼの田植えが始まるという話を知っていた。現に、近所の水田では多くの人が今年の米作りを本格的に始めている姿が目に付いた。

 

 那柘に向かって、春の発見の一つ一つを丁寧に伝える小夜。徐々にではあるが那柘自身も今春への興味を持ち始め、次第に自分から小夜に向かって、頻りにあれこれ尋ねるようになっていった。

 

(なっちゃん、さっきまでよりもずっと明るくなってる。外に連れて来て、良かったな)

 

 だが、今日はこれで良くても、家に戻ったらまた那柘が自分の殻に閉じこもるのは小夜もわかっていた。

 

 何か自分が今の那柘の力になれることはないか――小夜はずっとそのことばかり考えていた。

 

「あれ、小夜ちゃんに、なっちゃんかな?」

 

 明けの星病院のすぐ下にある、町の交差点。そこを通りかかったとき、横から声がかかってきた。小夜と那柘が同時に振り向くと、そこには長身の若い女性の姿。女性の長い髪が春の風に揺られて、ふわふわと踊っていた。

 

「あ……時菜先生?」

 

 小夜が口を開くよりも先に、那柘が声を出していた。

 

 蒼樹時菜。小夜と那柘が保育園に通っていた時の最初の先生であり、二人の良き理解者であった。

 

「二人とも、久しぶりだね。元気してたかな」

 

 時菜はにこにこと微笑みながら、かつての教え子たちの方へ近寄ってきた。成人しているが、どこか子供っぽい印象のある時菜。彼女の登場で、場の空気がより和やかなものになったと、小夜は実感していた。

 

「あの、時菜先生。わたし、なっちゃんと一緒にお散歩していたの」

 

 小夜はそう言うと、傍らの那柘を見やった。那柘は時菜との再会に喜びを隠しきれないといった風であり、時菜が持つ、那柘に対する小夜以上の影響力を物語っている。

 

「お散歩、ね。でも、先生には二人が何かとても悩んでいるように見えるけど」

 

(流石、時菜先生……鋭いなぁ)

 

 小夜は心の中で感嘆していた。

 

「……う、うん……実は……」

 

「あ、待って。喋らなくても良いから」

 

 那柘が言い難そうに語りだすと、時菜が遮る。

 

「……ねえ、二人とも。今、時間ある?」

 

 時菜がそう尋ねた。

 

「え、時間。あることはあるけど……ねえ、小夜ちゃん」

 

「うん。ただ、散歩していただけだからね」

 

 二人の答えを聞いて、時菜がふふっと笑った。

 

「そう。じゃあね、ちょっと先生と一緒に来ない? 実はある人と喫茶店で待ち合わせしているんだけど、その人が大分遅くなるらしくて、暇なの。良かったら、二人の最近の話とか、聞かせてくれないかな? お茶とお菓子、おごっちゃうから」

 

 突然の時菜の申し出に驚き戸惑う、小夜と那柘。しかし、ずっと時菜との時間を過ごしたかった二人にとって、それは願ってもない話であった。

 

「わたし、先生とお話ししたい。ね、なっちゃんもそうだよね」

 

「うん」

 

 二人の快い返事に、時菜も安堵した様子であった。

 

「良かった。じゃあ、早速、一緒にいこっか」

 

 こうして、小夜と那柘は時菜と共に町の喫茶店に向かうことになるのであった。

 

 

 

 三人が訪れたのは喫茶店『ポニサス』。外装には青い翼の生えた馬を模した煌びやかな装飾が施されているが、店内は全体的に茶色い色彩を基調としており、どちらかと言うと質素な味わいのある喫茶店であった。

 

 初めて入る店で、小夜と那柘は緊張してしまった。周囲からの物珍しそうな視線がどうしても気になる。

 

「ささ、まずは手洗い、うがい、からね」

 

 時菜が率先して二人を洗面所に連れていく。二人は保育園にいた頃、自由時間に外で遊んだあとに、いつも時菜に同じ内容を言われていたことを思い出し、とても懐かしい気持ちになった。

 

 喫茶店のトイレのすぐ隣にある洗面所で三人は手を洗い、喉を潤した。うがいをする時のガラガラガラという音が周囲に響く。

 

 ふと、店内で聞き覚えのある曲が流れ出し、小夜と那柘がはっとなる。

 

「あ……これ、知ってる」

 

 那柘が真っ先に引き返す。那柘が率先して動くのは珍しいことであった。小夜も慌てて那柘の後を追い、時菜がゆっくりと後ろからついてきた。

 

 

 Don't you worry? 変えてみようか

 

 上向いて駆け出せば

 

 踊る sunshine

 

 (眩しいキミが) switch on

 

 

 小夜と那柘が顔を合わせ、声をそろえて言う。

 

「マイサンシャイン!」

 

 流れている歌はアイドルのマイサンシャインの代表曲の一つ、『dear-dear DREAM』。既に十年以上も前の、小夜と那柘が生まれる前の曲であったが、二人が大好きな曲。

 

「ふふっ。ここではね、店長さんの推しでマイサンシャインの歌曲が一番流れるの」

 

 時菜が二人に教える。

 

「先生も、マイサンシャインのファンなの。当時からの、ね」

 

 『dear-dear DREAM』が流れる中、那柘がはしゃぐ。他の客の迷惑になっていないかと小夜がちらりと周囲を見回したが、特に那柘を咎める様子もなかった。

 

「いいのよ、小夜ちゃん。ここではね」

 

 小夜の心中を察した時菜が、小夜の耳元でそっと囁いた。

 

 それから小夜と那柘は時菜に導かれて隣の席に着き、時菜が向かい側に腰を下ろした。

 

 時菜が「好きなもの、選んでいいよ」といい、店のメニューを二人に渡した。遠慮がちな様子で迷う二人であったが、時菜から「いいからいいから」と念を押され、二人はそれぞれの気に入ったものを選んだ。

 

 時菜が、傍に来ていた若いウェイターに注文を伝えると、ウェイターが恭しく頭を下げ、持ち場へと戻っていった。

 

 それから、小夜と那柘は最近の学校でのことを時菜に話して聞かせた。その内容は辺羅が卒業する前の話であり、小夜は那柘の不登校の件を話すことができず、那柘も自分からは語らなかった。

 

「そう、辺羅ちゃんとも仲良くしていたのね……」

 

 そういう時菜は、昔を懐かしむ遠い目をしていた。

 

 やがて、ウェイターが注文された品を運んできて、テーブルの上にすすっと置いた。

 

 小夜が注文したのはかぼちゃのプリン、那柘は大粒のサクランボの乗ったフルーツパフェであった。それに、二人お揃いのこげ茶色のミルクティー。向かい側の時菜の前に置かれたのはアイスティーが一つだけであった。

 

「先生はまだ待ち合わせがあるから。二人は遠慮なく食べてね」

 

 小夜と那柘は時菜の言うとおりにした。しばらく、食事を取りながら辺羅との学校生活の思い出を続けて語る那柘。だが、ふと先月の卒業式の話題を口にすると、途端に黙り込んでしまった。

 

 小夜が心配そうに那柘の顔を覗き込む。那柘は自分が話したくない内容を、自分で口を滑らせて喋ってしまったと後悔している様子であった。それでも、時菜に対して隠し通すべきではないという自覚もあり、那柘は自らその先を話した。

 

「そう、那柘ちゃん……」

 

 落ち着き払った時菜には、特に驚いた様子も見られなかった。まるで時菜は最初からすべてを見通している――小夜は何故かそんな気がした。

 

 暫しの沈黙。俯く小夜と那柘。その沈黙を破ったのは、何やら意を決した様子の時菜であった。

 

「小夜ちゃん、そのリュックサックの中……チワールちゃんのデッキがあるよね?」

 

 驚き、顔を上げる小夜。優しさの中に、強い意志を秘めた時菜の顔がそこにあった。

 

「え……どうして、それを」

 

 小夜は、左隣に置いている自分のリュックサックを無意識に手で押さえながら言った。

 

「あなたたちのことなら、先生、よくわかるもの。……ねえ、小夜ちゃん、ここで一つ、わたしとバトスピをやってみない?」

 

「先生と……? でも、なっちゃんが……」

 

 小夜は右隣の那柘の方を見やると、「あっ」と言った。那柘は一枚のカードを取り出し、見つめていた。那柘が手にしているもの、それは那柘が小夜から貰ったガーネット・ルーティのカードであった。

 

「わたし……見てみたい。小夜ちゃんと時菜先生のバトスピを」

 

 那柘がはっきりとした声で言った。

 

 

 

「この喫茶店、店長も公認でバトスピOKなの。それで、わたしを含めたカードバトラーたちの密かな憩いの場にもなっているのよね」

 

 食事を終えた二人は、時菜に、店内の中央に並んでいる四角い大理石のテーブルの一つへ案内された。時菜が言うには、そこは専用のバトルスペースであるとのこと。まさか近場にこんな場所があるとは知らなかった小夜と那柘は驚きを隠せない。

 

「……実は先生、ここでは特別待遇なの。みんなには内緒だよ」

 

 時菜はそう言いながら、自分の口元で指をたてて見せた。小夜と那柘は頷き合い、誰にも言わないと約束した。

 

 小夜と時菜が向かい合い、横にある席に那柘が着く。那柘の席はすぐ近くからフィールドの全貌がよく見渡せる、観客専用の小さな特等席といった様相である。

 

 周囲に人だかりができていた。どうやらこれから始まるバトルを見物しようと店内の客が集まってきているらしい。

 

「どうする? 人払いなら店長に頼んでできるけど……」

 

 時菜が対戦相手の小夜と特等席の那柘に向かって尋ねる。

 

「わたしはいいけど……なっちゃんは」

 

「このままでいいよ。みんな、小夜ちゃんと先生のバトスピが見たいんだもんね」

 

 人見知りで引っ込み思案な那柘にとっては、精いっぱいの発言であった。

 

「ふふふ。なら、このまま始めてもよいね」

 

 二人に向かって妖しく笑う、時菜。それでいて、子どもっぽい茶目っ気なものも感じられる。

 

 こうして、マイサンシャインの歌声が響く中、那柘という小さな観客を交えた、小夜と時菜のバトスピが始まった。




★来星の呟き

どうせなら、普段自分が書かない小説を書いてみようと思ってみた結果……。
もっと心理描写と季節描写の上手な薄暮系創作者になりたいと願う作者でありました。。。


楽曲コードを入力することでインタラクティブ配信が許可された歌詞を引用できるという仕組み、利用させて頂きました。
バトスピ界一のアイドルと言ったら、それはもう、高垣彩陽氏が演じるマイサンシャインですよね。
中編、後編でもしっかりでてくる予定であります。そこでもっと掘り下げたい。

(そして、マイサンシャインは創界神ネクサスにもなっているわけで……)


風良 那柘(ふうら なつ)と風良 薫(ふうら かおる)という母娘について。
名前は「ガーネット・ルーティ」及び「[薫風の舞姫]ガーネット・ルーティ」を強く意識しております。
ガーネットの和名は柘榴石。 加えて「那柘」は「夏」とのダブルミーニング。
薫風は初夏に吹く若葉などの香りを含んだ風のことです。


作中では風良那柘はまだ自分のデッキを持っておりませんが、
既に作者は風良那柘のデッキの準備がある程度はできていたりします。いつ日の目を拝むかは今後の展開次第。。


因みに……冒頭の一文、一部「グラン・ドルバルカン」のフレーバーテキストから拝借しております。
今後の話と関連しないこともないです。。
拙作、『消えゆく白の群像』でも引用していたテキストで、初期の白のフレーバーテキストは詩的な味わいがして、好きなものが多いなあ、と。
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