喫茶店の時計が示す時刻は、既に午後六時半を過ぎていた。こんなに帰りが遅くなってしまっては、那柘の母親も心配しているかもしれない。
「ごめん、小夜ちゃん、なっちゃん。すっかりおそくなっちゃって」
流石の時菜も申し訳なさそうである。小夜としては、まだ自分の家には母も帰ってきていないであろうから、そちらの心配はしていなかったが、那柘のこては気になってしまう。
「本当にごめんなさいね。もう暗いから、先生が家まで送ってあげるね」
「え……でも、時菜先生も誰かと待ち合わせをしているんじゃ……」
小夜の疑問に、時菜が悪戯っぽく微笑んで答える。
「人を待たせていたのは向こうが先だもの。今度はこっちが待たせてやりましょう……ね、はっくん」
時菜の視線の先、そちらへ向かって、小夜と那柘の目線も合わさる。時菜と小夜の対戦を観戦していた他の客たちも一斉にそちらを見やり、皆から見られたその人物はぎょっとなっておろおろしてしまった。
「ちょ、勘弁してくださいよ……はあ」
白いスーツを着た、長身の優男といった印象の青年。彼は皆の視線を避けるようにして、店の隅へと足早に歩いていった。
「それじゃ、いこっか。小夜ちゃん、なっちゃん」
夕闇の中、時菜と手を繋いで左右を歩いている小夜と那柘。傍目から見たら若い母親とその娘たちと映ったかもしれない。
時折、走行する自動車のライトが町内を照らし、三人の持ち物に付いている反射材が白く光った。
そして、那柘の家の傍にある横断歩道の信号待ちをしている時。
「時菜先生……わたし、自分の思い描く、自分で創っていく世界も大事だけど、誰かの世界も同じくらい大切にしていきたいって思うの。だから、またいつか先生の世界に連れて行ってもらいたいな。あと……また、マイサンシャインにも会いたい」
小夜はそう言うと、一緒に歩いている時菜の横顔を見つめながら、今日見た草原の世界のことを思い返していた。
「そう言ってもらえると、先生も嬉しいよ。それじゃ、いつか、また、ね」
時菜が小夜の方を向いて、にこっと笑って見せた。
「わたしも……」
ふいに、那柘が呟き、時菜と小夜の視線がそちらへ向けられた。見ると、那柘は懐からガーネット・ルーティのカードを取り出して、そこにいる詩姫の姿を見つめていた。
「この子に……この子のための舞台を創ってあげたい、な。この子だって、きっと輝けるって……今日の小夜ちゃんと時菜先生のバトスピを見ていて思ったの。それこそ、マイサンシャインみたいに……」
時菜が頷く。
「そうだね、大切なもののために新しい舞台を創ってあげる……それは、その子にとっても、なっちゃんにとっても、かけがえのないものになるから。先生も応援しているよ」
小夜も大きく頷く。
「わたしも、応援しているよ、なっちゃん」
「小夜ちゃん、時菜先生……ありがとう」
那柘の母、薫は遅く帰ってきた娘を少し諫めたが、深々と頭を下げる時菜を前にして、それ以上責めることはできなかった。
ただ、薫は自分の一人娘が元気がすっかり取り戻していることに気づいており、むしろ時菜と小夜への感謝の気持ちの方が勝っていた。
「今の那柘、何だかまっすぐ前を見つめているみたい……」
薫は正直な感想をもらした。そして、時菜と小夜へ向かって、娘の心を開かせてくれたことで改めて礼を言い、自分が最も愛している娘を家の中に迎え入れた。
すっかり笑顔を取り戻した風良母娘から見送られて、時菜と小夜は、小夜の家へ向かって歩き出した。
ここは喫茶店『ポニサス』。時刻は午後八時半を過ぎており、既に閉店前のこの店にいる客もまばらであった。
「はい、現在把握している明けの星町とその近辺の霊穴。これで全部よ」
所々赤い印と罫線が記された明けの星町の地図が数枚、テーブルの上に並べられた。
テーブルを挟み、向かい合って座っているのは、蒼樹時菜とあの「はっくん」と呼ばれた青年。青年は地図をざっと見渡し、その内の一枚を両手で持ち上げると、品定めをするように手にした地図を眺めた。
「全部で十二箇所、か。……本当にこれで全部なんでしょうかね」
「あら、疑うのかしら?」
青年は小さくかぶりを振った。
「いえ、そういうわけでは……。ただ、あまりにもとんとん拍子にことが進んでしまって、ぼくとしても少し拍子抜けしておりまして」
「あらあら、甘いわね。あなたたちの果たすべき役割は今後本格化していくというのに。……大変なのはこれからよ」
「それはわかっていますよ。それでも、当初は霊穴を探すのも一筋縄ではいかないだろうって仲間同士でも話していた矢先に、こうも簡単にあなたの協力を得られるとは、思っていませんでした」
「ま、わたしとしてもあなたたちには頑張ってもらいたいから。でも、霊穴がそれですべてとは限らないから、ね。わたしが把握しきれている保障なんてないもの」
「いえいえ、ご協力感謝していますよ」
喫茶店の店長が自ら、テーブルに近寄ってくると、テーブルの上に二人分のティーカップを乗せた。店長は手にしたポットを傾けると、カップの中に心地よい香りの漂う、ハーブティーを注いだ。
「無料サービスです、お嬢」
白髪の生えた初老の男性である店長が、時菜に向かって囁く。時菜は小さな声で「ありがとうね」と応えた。青年の方も、店長に向かって礼を言い、頭を下げる。
店長は二人に背を向けると、店の奥へと引き返していった。
「それにしても……小夜、といいましたね。まさか、あの子がホロロ・ギウムの目の付けた適合者だなんて……意外でしたよ」
青年が不意に、自分が観戦していた時菜の対戦相手の名を口にした。
「チワールはホロロ・ギウムの従者。そのチワールに愛されている小夜なら、適任でしょう」
「こう言っては悪いかもしれませんが……ぼくたちのライバルがあんな小さな子だなんて、今でも信じられないくらいですよ」
「あら、わたしの教え子を軽んじていたら、足元をすくわれるわよ」
「いやはや、これは手厳しい」
青年はそう言いつつ、自分の前に出されたカップを右手で持つと、中のハーブティーを口に運んだ。
「幼い子供には、わたしたち大人では想像もできないほどの大きな夢と可能性があるから……」
時菜の話を聞きながらハーブティーを飲んでいた青年は、カップを口から離すとテーブルの上に置いた。
「夢も可能性も、ぼくらだって負けてはいないさ。ぼくたちは各々の夢を実現するために、自らの意志で、ロンバルディアに協力することに決めたのだから」
それから、青年は改まった口調で語り出す。
「しかし、時菜さん。あなたも災難だ。まさか、あなたの妹とあなたの教え子が、それぞれ異なる時の監視者に与することになろうとはね」
「あなたたちと同じ道を選んだのは萌架自身だから。彼女がそれで後悔さえしなければ、わたしが口を出すことじゃない……。それに、小夜はまだホロロ・ギウムのことを知らないのよ。まだ、あの子がどうするか……それはわたしにもわからない」
「まあ、ぼくらの仲間のエドワキアもすっかり小夜に惹かれてしまったし……今すぐあの子と競い合うようなことにはならないのは、それはそれで助かるけど」
「うふふ、あなたも小夜にご熱心になっちゃえば」
「ちょ、じょ、冗談はやめてくださいよ……」
青年は困り果てたといった様子で、目の前にいる、小悪魔のように笑う時菜のことを見ていた。
「……それはそうと、時菜さん、それ、いつまで付けているんですかね?」
不意に話題を変えてきた青年に、時菜はきょとんとなる。
「それ?」
「それですよ、それ。猫耳」
「あ……ああ」
それまで冷静であった時菜が急に赤面した。今日の夕方、小夜とバトルスピリッツで対戦していた時に猫の手も借りたい剣を使った際、「まずは、形から入ってみました」と言いながら自ら身に着けた、とてもファンシーな猫耳ヘアバンド。
思い返してみれば、これを頭に着けたまま外へ出歩き、那柘の母親、風良薫と会っていたのである。挙句の果てには、まさにこれを見せつけるが如く、深々と頭を下げていた自分の姿が脳裏に浮かぶ……。
「ふ……ふふ……いいもん。これ、可愛いから気に入っているんだもん。ずっと付けているもん」
「や……やっぱり恥ずかしいんだ」
「ぷんだすか!」
時菜はすねた態度をとって見せたが、幾分かの茶目っ気は失わなかった。
『おともしますニャー』
★来星の呟き
チワールが「時の監視者ホロロ・ギウム」の従者という設定は、黄のネクサス「時刻む花時計」からの連想だったりします。
このネクサスは「時の監視者ホロロ・ギウム」と同じ時計座をモチーフとしているカードなのですが、
イラストでは花の中に混ざってチワールの姿が描かれております。
リバイバル版ではREVIVALの文字に隠れて、チワールの頭しか写っていないので、是非是非旧版をご覧になって頂きたいもので。
次回は、必須タグの「クロスオーバー」をようやく回収します。
本当は黄金繋がりでゴールデンウィーク中に書き上げたかったのですが、諸事情で遅くなってしまいました。。