最終話 満開
3日後。Xデー。あの日事件は起こった。この日事件は起こる。桜舞う今日、催されるのは、「カードキャプターさくら」のイベント。新作アニメの放送を記念したイベント。会場の周りを囲む満開の桜の木々が、客を迎えている。五千席くらい……、いやもっとだろうか。会場の席を、客が埋め尽くさんとしている。その光景を見て、木之本桜本人は、祝福されているかのような気分で、何も言わず、ただ瞳を輝かせていた。
さて、いよいよ大音響で曲が流れ出したと共に、司会者が登壇した。簡単な自己紹介を済ませた後、木之本桜役を演じる、丹下桜を舞台上に招き入れる。
「みなさ〜ん、こんにちは〜‼︎ 木之本桜役の丹下桜です。今日はよろしくお願いします‼︎」
一斉に拍手の音が鳴り響く。中には大声で役の名前を呼びかける観客もいる。
「ではね、桜ちゃんの呪文のあの言葉でイベントスタートしますよ。では丹下さんお願いします!」
「星の力を秘め……‼︎」
現れた! ヤツだ! 予定時刻より早い!
後ろの方から、
「星の力を秘めし鍵よ 真の姿を我の前に示せ」
続け様に言ったのは……、
「契約のもと、桜が命じる」
其は……、
「レリーズ‼︎」
「木之本桜⁉︎」
「さくらちゃん⁉︎」
瞬間、あたり一面、モノクロ世界が広がった。一瞬イベントの演出かと思った。しかしこれは、いったい、何が起こっているというのだ。
「さ、さくら……、う、うごけ……」
そう訴えてかけてくるのは、右隣の客席に座る、椎名ましろだった。と、突然、
「大丈夫だよ! お姉ちゃん! 私に任せて‼︎」
一人の女の子が、後方から前方に颯爽と駆け抜けていく。
「汝が力と 我が心をもって 空に 希望を灯せ!」
走り幅跳びの要領で飛び上がり、九の字に体を折り曲げるように、杖を振りかぶり、
「ライト!」
モノクロの中心に命中した。途端、
「ぐぅぉわわわわわわん」
阿鼻叫喚が聞こえたと同時に、モノクロが引いていき、世界が色づき始めた。
その光景は、
「綺麗……」
そう涙混じりに呟いたのは、右隣にいた椎名ましろだった。
世界というキャンバスに、色が広がっていく。光が広がっていく。希望が広がっていく。
「はい」
私もまた涙を流していた。満開の桜が世界を祝福しているようだった。止まっていた人たちも動き出した。命を感じる。世界を感じる。ただただ涙が出た。そう、それはまるで……、
「ぐぅぉわわわわわわん」
先程の阿鼻叫喚が再び聞こえた。
ーーワレハ ニンゲンノ ココロソノモノ ダ。
瞬間、再び、モノクロ世界が、今度は周りから、空を包むように、中心に向かって覆った。ヤツは言った。我は人間の心そのものだと。今まで、モノクロ世界は、ヤツから発せられていたものだと思っていた。いや実際、そうだったのだろう。しかし今、世界中から、いわばモノクロが集まっている。この色は、この無色は、人間の心の色そのものだとでも言うのか。灰色の桜が、会場を覆っている。
ーーコノ セカイ ニハ、サツジン、ジサツ、センソウ ヤ フンソウ。イカリ、ニクシミ、ウラミ、ネタミ、カナシミ、クルシミ。アラユル ゼツボウ、アラユル キョウフ ガ ヒシメイテ イル。ワレハ ソノ グゲン ナリ。ワレハ イツ デ アロウ ト ソコ ニ イタ。ドコ ニ デモ イタ。ワレハ セカイ ソノモノ ナリ。
「そんなことない! 楽しいことだって、嬉しいことだって、いっぱいあるよ!」
そう叫んだのは、木之本桜。
「私たちは、そんなあなたに、負の感情なんかに、負けないんだから‼︎ ライト‼︎」
ーーソノ テイド デ ドウニカ デキル モノ デ ナイ ト ツイニ シレ
モノクロがライトの光を縫うように、再び、木之本桜のもとに! 瞬間、
「来るな!」
村瀬陽香の声だった。いや、それだけじゃない。浅井ケイ、春埼美空、キノ、エルメス、それに、椎名ましろ、神田空太、もう一人の桜まで、みんながそこにいた。目の前に立ちはだかるように、木之本桜を守るように。
「みんなで世界を救いましょう」
浅井ケイの号令に、頷くみんな。
ーーナラバ、ヒトリ ヒトリ カッコゲキハ スル マデ
瞬間、モノクロの黒い光が、村瀬陽香に、
「危ない! 陽香さん!」
そのまま、木之本桜が村瀬陽香に立ち塞がり……、
「あれ、動かなく……」
ーー死ね!
視界が狭まっていく。
ーー死にたい……
意識が薄らいでいく。
「さくらちゃん!」
「さくら!」
そのままその場で昏倒した。
ここはどこ?
暗い暗い闇の中。
ここがどこかも、自分が誰かも、わからない。
自分の形すらわからない。
わからないから、歩く。
右に歩いているのか、左に歩いているのか、よくわからなかった。
ただひたすら、歩く。歩く。歩く。
すると、目の前に、人の子の影があった。
その子は、足を抱えて、蹲って、泣いていた。
その子は言った。
「怖いよ」
だから言った。
「怖くないよ」
その子は言った。
「寂しいよ」
だから言った。
「寂しくないよ」
その子は言った。
「死にたくないよ」
だから言った。
「私もだよ」
その子は言った。
「死にたいよ」
だから言った。
「どっちやねん」
「怖いよ」
「あ、ごめん。そんなつもりじゃ」
「寂しいよ」
「うん、そうだね。死んじゃうのは、寂しいね。ごめんね、さっきのは撤回。怖いし、寂しいよね」
「ずっと一緒にいて」
「ごめんね、待ってる人がいるから」
「待ってる人?」
「うん、あれ?」
待ってる人って、誰だっけ?
「わかんないや。でも、いるの」
「じゃあ僕は、ずっとひとりぼっちでいなきゃいけないの?」
「お父さんとお母さんは?」
「わからない」
「あなたのお名前は?」
「わからない」
「そっか、なら、一緒においでよ」
「いいの?」
「もちろんだよ! ずっと一人で、寂しかったね」
「うん……」
「怖かったね」
「うん……」
「でも、もう大丈夫。絶対大丈夫」
「そっか、よかった」
途端、闇の世界が開かれていく。光に満ちていく。
「さくら!」
「さくらちゃん!」
横たわっている木之本桜の胸が光り出した。神々しい光だった。やがてその光は、木之本桜のもとを離れ、空中に上昇し、具体的な形へと変化していく。そう、それはカードの形をしていた。それも数十枚もの。
「おかえり!」
バッと起き上がったのは、木之本桜。
カードが木之本桜をグルグルと纏うようにリングを描いている。
「待ってて。そこにいるんだよね」
ーークルナ!
「怖がらないで。ううん、怖いのは怖いよね。だから、一緒にいてあげる」
ーーワレハ フ ノ カンジョウ、フ ノ エネルギー ナノダ ゾ!
「うん、私たちの心、なんだよね」
ーーシカリ、ナレバコソ!
「だからこそ、私はあなたを受け入れる」
ーーナニ?
「え、さくら、何言って……⁉︎」
皆一斉にさくらの方に向く。
「だって、私たちの心なんだもん。喜びや楽しみがあれば、悲しみや苦しみもある。明るい気持ちもあれば、負の感情だってどうしようもなくある。でもそれは、私たちのもの。なくしちゃいけない感情。なくしちゃいけなかったものなんだ。いっぱい待たせてごめんね。一人にしてごめんね。でも、もう大丈夫。絶対大丈夫だから」
木之本桜はモノクロをそっと抱きしめる。切なげに、しかし愛おしそうに。
「絶対大丈夫だよ」
すると、モノクロは、吸い込まれるように、抱きしめられた中心に向かって、消えていく。
世界が、さながら漂う海のように、桜の花吹雪が吹き荒れ、激しく、しかしおおらかに色づいていった。美しいところも、汚いところも、全て映し出されていく。その光景は、まるで全てを内包するような、そう、桜色の海だった。
今回で最終話ですが、まだエピローグが残っています。明日投稿します。それで本当に最後です。最後までよろしくお願いします。