自宅警備員の日常   作:黒樹

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崩壊の序章

 

 

その侵入者を一言で表すのなら春の桜。淡い桜色の髪は綺麗に梳かされサイドテールに結えられている。体躯は細身で引き締まっているように見えながらも、女性らしい柔らかさが胸やお尻にあった。

全体的に見て、美少女–––そんな女性が僕を見て儚げに笑顔を浮かべた。天使の微笑とはまさにこのことで並大抵の自宅警備員なら速攻で恋に落ちただろう。僕は分を弁えているのでそんなことはないが。

 

『妹突!?』

『いや、これはさっきの来客』

『つまりミュウミュウ!?』

『放送事故確定回かな?』

 

逃げるようにパソコンのディスプレイに視線を泳がせれば、変態紳士どもは歓喜し好き放題にコメントを投げていた。しかも、今までで一番の投げ銭付きである。

 

「–––ようやく会えたね。先生」

 

侵入者が発した言葉によって僕は強制的に意識を引き戻された。

 

「……先生?」

 

「あれ、あたしが誰だかわかりませんか?」

 

言われて記憶を探ってみるが桜色の髪の女子生徒に心当たりはない。こんな印象的な娘なら覚えているはずだが、皆目見当もつかなかったのが本音だ。

 

「あー、人違いじゃないか。教師をやっていたけど一年そこらだし」

 

それに火を焚いて、煙のように去った教師を覚えているはずがない。

覚えていたとしても、きっとろくでもない記憶だろう。

 

「間違い無いですよ。先生は先生です。黒崎奉太郎。あたしが世界で初めて好きになった人です」

 

–––その名は、間違いなく僕のものだった。

 

「先生。あたし、高校の時、先生のこと大好きだったんですよ。もちろん、今でも大好きですけど」

 

ゆっくりと歩み寄った侵入者は顔を近づけると耳元でそう囁いた。部屋だけではなく、心まで侵入されそうになってまるで早鐘を打つように心臓は鼓動を早めた。

 

『ぬ、主?』

『この反応は……』

『–––パターン愛』

『使徒です!』

『逃げて変態兄貴!?』

『ダメです応答ありません!』

『エヴァーニート兄貴、精神攻撃を受けています』

『まさかトラウマを引き起こそうというの?今すぐ回収して!』

『もう既にやってます』

『第一ロック解除–––失敗です』

『何者かに妨害されてます!』

 

『ふふ、逃げる場所なんてないくせに』

 

『逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ』

『ハローワークから逃げちゃダメだ』

『ぐあああぁぁぁぁ!!!!?!?!?』

『これは……まさか……暴走ッ!?』

『いや、違うだろ』

『ちょっと待って。さっきから楽しいところに水を差すやつ誰?』

『ハローワークネタで既に半数が死滅したぞ』

『ちょおっと邪魔な人達には黙っておいて貰いました』

『なにやつ?』

『ふふっ、先生の愛人、とでも言っておきましょうか』

『たまーにいるんだよなー。変態兄貴の熱狂的ファン』

『愛人って言ったやつは初めてだけど』

 

 

 

「–––げっ、やば、翔子ちゃん気づいちゃった?」

 

「–––っ!?」

 

気がつけば繋いだままの配信画面が大暴走を引き起こしていた。しかし、そっちにかまっている暇はない……というか助けを変態紳士達に求めたかったが役に立ちそうにはなかった。

 

「翔子……白崎翔子のことか?」

 

不意にスマホの画面を見て誰かの名を呼ぶ侵入者に振り返り、そう聞くと彼女は不機嫌な表情になる。

 

「へぇー、翔子ちゃんのことはわかるのにあたしのことはわからないんだ」

 

こんな特徴的な髪色なら思い出せないはずはないのだが、該当する人物は一人もいないというのが記憶からの検索結果だ。顔を照合しようにも何故か顔だけは思い出せない。白い靄が掛かったように顔だけが隠され、ぼんやりとわかるのは髪色だったりどんな感じだったかとか抽象的な印象ばかり。

 

「名前を言えばわかるんだけどな」

 

「残念ながら今は言えないかな。先生には自力で解いてもらいます。これ、宿題ね」

 

そうやってはぐらかす笑顔が誰かに重なって見えた。

今のは……誰だ?

忘れかけていた記憶が蘇るような感覚。

でも、最後まで思い出せないもどかしさに頭がどうにかなりそうになる。

 

「大丈夫だよ先生。あたしは先生の味方だから」

 

すっと腕を伸ばされて抱き締められる感覚。気がつけば顔いっぱいに柔らかいものが触れていて、何処か安らぐような錯覚さえ覚えて身体から力が抜けた。

 

「あ、そうだ先生、連絡先の交換しよ」

 

強引なまでの気軽さで連絡先が交換される。抵抗する間も無く登録が終わってしまった。登録名を見てみたが、本名ではなく『Myu』という名で登録されている。これでは正体を暴くことができない。

 

「ふふっ、これでいつでも先生と連絡が取れるね」

 

何やら喜んでいる様子だが、何が何だか判らなかった。

今度は違うスマホを見ている。まさかの二台待ちだ。

 

「–––わかってるよぉ。はいはい、今日はこの辺で失礼しますよ」

 

誰かに何かを送って立ち上がる。

 

「それじゃあまたね。先生」

 

嵐のように来た女性は、嵐のように去って行った。

 

 

 

「なんだったんだ……?」

 

仮定『Myu』と名乗る女性が去って五分ほど、ようやく変態紳士どもの方も落ち着いて来たらしい。誰かと論争をしていたが敗残兵のようにコメントが流れる速度が遅い。相当ボロクソ言われたようで、心に傷を負った負傷者達が後を絶たなかった。

 

『っていうかさぁ、これマジでミュウミュウだったらスキャンダルもんじゃね?』

 

その中でも比較的無傷だった変態紳士が放ったコメントに食いつく者達は、続けてこう放った。

 

『ミュウミュウじゃなくても女子大生のおみあしだけでも映してほしかった』

『それな。タイツでもいいから』

『ニーソでも可』

『自分は生脚派。変態兄貴は?』

 

突然、フェチを聞かれて反射的に答える。

 

「僕は生脚も好きだけど、断然ニーハイかな」

 

『さては変態兄貴、太腿フェチだな』

 

–––否定はしない。

 

「嫌いではないな」

 

『誰だってそう言う。俺もそう言う』

 

ここで俺は–––と何度目かわからないフェチ合戦が始まったが、僕は眺め見るだけで参加しなかった。さっきまでいた女性が気になって仕方なかったのだ。

 

『それで声ミュウミュウの女性と喋ってたみたいだけど、どんな容姿?美人?』

 

そのコメントに同調する質問が多数流れたことで、僕も確認したいことができた。

 

「美人だよ。凄く綺麗だった。髪は桜色で」

 

『ミュウミュウじゃん!』

『Myuだな。そんな髪色の日本人が二人もいるか』

『まぁ、染めてるんだろうけど』

『俺らはミュウミュウの色に染められちまってるがな』

 

–––すぐに解明されてしまったが。

 

「で、そのMyuってなに?」

 

『Myu』という人物ということは判明しても、それが何なのかはまるで判らないのだ。幸いにも詳しい変態紳士がいるようだから詳細を聞くと膨大な書き込みが投げつけられる。

 

『今年の四月にデビューした自称十九歳のアイドル』

『デビュー曲でミリオンセラーを達して、堂々の一位に輝いた伝説のアイドルですわ』

『知っての通り名前は「Myu」だけど、ミュウミュウって愛称で呼ばれてる』

『歌だけじゃなく、ダンスも別格に上手くてもはや異次元の存在』

『好きなものは「高校時代の恩師」で、とある番組初登場した時に小一時間ほど語ったとか……』

『……仮定、変態兄貴だとしたら謎が深まるばかり』

『さっきの反応といい事実だった可能性はあるけども』

『っていうか、変態兄貴が急にアイドルに興味示すの珍しいな』

『現実はクソだって言ってたくせに』

 

これは言っていいのかダメなのかわからないが、僕はスマホを遠い目で見つめながら、

 

「……いや、なんか無理やり連絡先交換させられたんだけど」

 

そう告白すると、またコメントが荒れた。

 

『なんだその羨ましい状況!?』

『アドレスは?開示はよ!』

『いくら払ったら売ってくれる!?』

『有り金全て持ってけ!』

 

いくらクズでも他人の連絡先を売っ払っちゃうのが良くないのはわかる。失礼な変態紳士達を無視してスマホで『Myu』と検索。すると出て来た写真を確認する。

 

「えー、マジかぁ……」

 

そこに写っていたのはさっきまで部屋にいた張本人。ライブ衣装という衣装の違いはあれど、間違いなく彼女だと確信できるくらいには似ている。ていうか同一人物。

 

『変態兄貴、反応薄……!』

『俺なら泣いて喜ぶのに』

『もしミュウミュウが家凸してくれるんなら、就職でもなんでもやったるわ』

『一生来ないってそんな夢のような状況』

 

–––さっき来たんだが。

 

『恩師とか大好きだとか聞こえたけどマジかミュウミュウ……』

『変態兄貴人柄だけはいいから……』

『オレこの配信終わったら教員資格取るんだ』

『なんで?』

『先生大好きのところだけ切り抜いて延々とリピートさせる』

 

妙な発言をするのはいつものことだが、先に釘を刺しておかねばなるまい。

 

「んー、今回のはアーカイブ残さないかな」

 

突然の決断にコメント欄が騒ついた。

 

『な、何故だ変態兄貴!?』

『こんな神回またとないぞ!?』

『配信者歴史に残る大快挙ですぞ!?』

『せめて切り抜かせて!』

 

死刑宣告された囚人のような反応を見せるが、僕にだって正当な理由はある。

 

「教え子が頑張ってるのに邪魔はしたくないかなって。それに……僕が消さなくても、翔子が何か絡んでるだろうし」

 

白崎翔子とは僕の教え子の一人。そして、件の財閥令嬢が彼女だ。Myuというアイドルに関わっているのならスキャンダルの対策くらいしてるだろう。調べた結果、Myuの所属する事務所というのが彼女の家の傘下というのも気になる。下手したらウイルスでパソコンをぶっ壊すくらいしてくるだろう。

 

「今日の配信は終了しまーす」

 

僕は込み上げる懐かしさに少しだけ胸を締め付けられながら、ベッドに身を投げた。

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