『そういえばあれからどうなったん?』
今日も今日とてパンツの見張り番をしている時に飛んできたコメントの主語が迷子だったので、その意味を理解するのに数秒ほど。矢継ぎ早に出て来たのはMyuという名が続く。
確かにあれ以来、Myuは家に来ていない。来てはいないが僕の生活は既に汚染されていた。
毎日のように届くおはようメール、お仕事行ってくるね、大学行ってくるね報告、朝昼夜の食事報告、そして極め付けは無防備な風呂上がりの自撮り。そして、最後にお休み前の電話。
「おかげで僕の生活が規則正しくなっちまったよ」
何度も何度も何度も一日にSNSで報告をしてくる上に、返信がなければコールされ、気がつけば生活習慣が汚染されているという傍迷惑な状況に僕は寝不足だ。あくまで生活習慣は引き摺られただけで、治ったわけではないのだ。今も夜は遅くまで起きているしそこに朝早く起きる習慣ができているだけで、遅寝早起きの状態である。
『つまり、変態兄貴はミュウミュウに朝起こしてもらって』
『毎日のように朝昼夜の食事を知り』
『分刻みにスケジュールを獲得』
『果てには、公式のエロ画像まで入手と』
『で、おやすみって言いあうんだろ?』
『なんて羨ましい』
『つーか、もう結婚しろよ』
『これは噂に聞く束縛系女子では?』
『束縛の意味が違うと思うが』
『じゃあ、逆ストーカー』
『逆ストーカーってなんだよww』
他人事だと思って変態紳士達はわいわいと談義しているが、冗談ではない。
『ミュウミュウの風呂上がりの写真欲しい!いくらですか?』
「売らねぇよ」
独占とかなんとか言われたが全部無視。
そんな都合のいい言葉で騙されるほど、僕は耄碌していない。
「でも実際何もないよ。好きとか言われたけど、それって教師としてだろ?」
他意はなかった。いいなおまえら。
『朴念仁を演じる変態兄貴』
『実は気づいていながら、生徒を気遣う心』
『そこに痺れる憧れる』
『それがどうしてこんな底辺まで落ちてしまったのか』
あまりにもコメントが辛辣過ぎて、泣けてきた。
そして、またある日のこと。またいつものように写真が送られてきた。今度は誰かと一緒に写っているようだ。白い髪の微笑を浮かべる女性に心当たりがある。こんな気品の良さそうなお嬢様、世界中を探しても二人といない。
『白崎翔子か……?』
『そう。正解。翔子ちゃんも先生と連絡取りたいんだって。連絡先教えていい?』
答えるより早く、白崎翔子の連絡先が電波によって発信された。特に困ることもないので連絡先を追加すると挨拶代わりのパンチが飛んできた。
『お久しぶりです先生。お元気でしたか?』
『白崎か。久しぶり。元気そうでなによりだ』
『ふふ、そうですね。そんなことよりも私達の前から突然いなくなって何をしていたかと思えば、義妹のパンツ配信なんて面白そうなことをしていますね?』
これには僕も硬直するしかない。僕の愚かな行いが全てバレているのだ。
『……なんか怒ってないですか白崎さん』
『昔は翔子って呼んでくれたのに今は呼んでくれないんですね。全然怒ってませんよぉ〜。ただちょっと義妹さんにバラしてやろうかなと思っているだけで』
–––少し根に持ってるじゃないか。
とはいえ、そんなことされたら家を追い出されるだけで済むかどうか。引きこもりのニートが家を追い出されると生きていけない可能性がある。幸いにもお金はあるけども。
『何が要求ですか?』
昔は模範的な善で教師や生徒からの評価が高い深窓の令嬢のような娘だったのに、どう教育すればこんなことになるのか僕は溜息を吐いた。まさか自分の教育が自らの首を絞めることになるとは想像もしていなかった。
早々に降参を認めて要求を聞くとスマホが振動した。直接電話を掛けてきたのだ。
「……はい、僕ですが」
『受け手がオレオレ詐欺とは斬新ですね先生』
開幕からの罵倒は彼女なりの挨拶だ。
本当に昔と変わらない、白崎翔子の声が聞こえた。
あぁ、でも少しだけ大人になっただろうか。
少なくとも、罵倒のキレは増しているみたいだ。
彼女も日々成長しているらしい。
「そういう無駄話はいいから用件を言え」
『無駄話とは随分な物言いですね。先生と会話するこの一時でさえ意味のあるものですよ。私にとってこの時間はなによりも大切な日常の記録なんです。わかりましたか?』
–––元生徒に説教されてしまった。
『でも、用件の方が大事なことなのでそちらの話に移りましょうか。先生、私と会ってください』
元生徒……所謂教え子ってやつからの要求に僕は少し胸が痛くなった。現状の僕を過去から現在まで省みるに人に誇れるとは言えない。人に会うことですら億劫で、何より元教え子に失望されるのは怖かった。手遅れっぽいが。
「……嫌だね。面倒臭い」
『先生は家にいるだけでいいんですよ。何が面倒なんですか』
確かにそれなら面倒な要素は一切ない。適当な言い訳を言い連ねても、結局は見透かされてしまう。果てには痺れを切らした翔子がとんでもない脅迫をかましてきた。
『本当に妹さんに配信見せちゃいますよ。いいんですか?』
再三にわたる脅迫に僕の心は揺らぐ。翔子は贔屓目なしに言って物凄い美人だ。そんな女性に会えることを本来なら喜ぶべきなのだろうが今は違う。僕のような人間とどうしてそこまで会いたがるのか。
「……わかった。降参だ」
「そうですか。無理強いは良くありませんからね。先生が了承してくれて嬉しいです」
電話に重なるように扉の裏から声が聞こえた。すぐに音を立てて扉が開かれ、そこにはMyuから送られてきた写真と同じ白髪碧眼の美しい女性が立っていた。
纏うブラウンのニットワンピースは彼女のグラマラスな身体のラインをより美しく見せるその姿は、かつてよりもより大人の女性らしさというのを纏っているように見える。
呆然としていたのか、見惚れていたのか、僕は数秒固まったまま彼女を見つめていた。
「……ふふっ、どうしたんですか先生?」
白崎翔子は悪戯っぽく微笑むとそう言って僕を弄る。僕が見惚れていたのを見透かしたような目だ。このままではいけない。彼女に振り回される未来が待っている。
「よく言うな。脅迫したくせに」
「脅迫とは人聞きの悪い。これもまた先生の調教の賜物なんですけどね」
「紛らわしい言い方するな。教育と言え!」
–––と、そこまで言って気づく。
「……あいつは?」
隣に最初からいたのなら義妹もいて、さっきまでの会話が筒抜けだったのではないかと思ったが、彼女はあっけらかんと言い放った。
「義妹さんならいませんよ。今頃、大学の講義に出ているでしょうから」
「じゃあ、おまえどうやって入ったんだよ」
「鍵を借りました」
「は?」
いくらなんでも他人に鍵を貸すのは不用心ではないのか、と思ったが翔子は笑顔でこう付け足す。
「お兄さんを更生させると言ったら快く貸してくれました。お母様にも相談して、いつでも来ていいとお墨付きも貰いましたし」
当人の知らない間に僕の売買契約が結ばれていたようで、誇らしげな翔子の手にはスペアであろう家の鍵が握られていた。それはきっと自分の家などのではなく、この家のものなのだろう。
「一応、言っておくがもう僕はおまえの担任じゃない。教師と生徒でもなければ無関係だ」
きっといつかは忘れるはずの存在でしかない。
そう言うと、揶揄うように彼女は言う。
「そうですね。もう私は先生の生徒ではありません。男と女です」
完璧に返されて一瞥した彼女の顔を見ると、唇が引き結ばれ艶かしく震えている。そう言うことに少なからずの羞恥心はあったのか頬は赤く染まっている。
–––僕はそんな真っ直ぐな元教え子から目を逸らした。