自宅警備員の日常   作:黒樹

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とある女子大生令嬢の視点。


あなたと出会った場所

 

 

 

その人と会話らしい会話をしたのはこの時が初めてだった。

 

「おーい、白崎翔子。進路希望調査票出してないのおまえだけだぞ」

 

二年二組の担任教師、黒崎奉太郎。黒髪黒眼で髪はボサボサ。格好良いとは言えない普通の顔の普通の教師だ。何処にでもいるように見えて噂ではその限りではなく、クラスの誰もが認める優しい先生らしい。というのは風に聞いた噂のみで実際には会話したことがないから彼のことは全く知らなかったのだ。

しかし、私にはもう一つの判断基準があった。一年生の頃、遅刻魔不登校で有名だった蒼山美羽という女生徒が突然、遅刻しないようになったのだ。これには私も僅かながらに覚えている。今年から担任になった黒崎先生に蒼山さんはベッタベタで一緒にいることが多いところも。

 

「すみません。……まだ、決まってなくて」

 

進学するとして、何処の学校を受験するかも決まっていない。

そんな私に黒崎先生は言う。

 

「進学か?就職か?」

 

「……多分、進学だと思います」

 

「多分?」

 

黒崎先生は首を傾げる。

 

「おまえは将来、何がしたいんだ?」

 

「……」

 

私はその質問に沈黙するしかなかった。

私の人生は私が決めることじゃない。

これまで、ずっと両親が決めてきた。

進学する学校も、習い事も、生活のリズムも、許婚も。

自由な時間はなく、親の指示通りに生きてきて。

私は……。

 

「白崎グループの御令嬢は大変だなぁ」

 

私の心の内にある感情を代弁するかのように黒崎先生はそう言って、私の前の席に座った。

 

「父親か?母親か?まぁ、大方父親ってとこかな。忙しいのは」

 

まるで分かり切っているような台詞に私は顔を上げた。

 

「なんでって顔したな今。そりゃあわかるさ。おまえ、ずっと両親の思うがままに我儘一つ言わず育ってきたんじゃないか?」

 

「……」

 

–––図星だ。悔しいけど、言い返せそうにない。

 

黒崎先生は机に進路希望調査票を置いて、コンコンと机を叩く。何が楽しいのかあの人は生徒と話す時はずっと笑顔だ。嫌味の一つ言われても嫌な顔一つしたことない。

 

「あのなぁ白崎、進路希望調査票ってのは親の希望を聞くためにあるんじゃない。生徒の意思を確認するためにあるんだぜ」

 

「生徒の意思……?」

 

「そうそう。生徒の意思だ。将来の夢とか、行きたい学校とか、まぁ色々だな。そしてこれは子供が親に自分のやりたいことを伝えられない時の最後の手段でもある」

 

「最後、ですか……?」

 

「最後って言うと少し大仰だけどな。でも、言葉で伝えられないことも手紙やなんかでは伝えられるだろ。初めて進路希望調査票を親が目にするのは一学期の三者面談だ。その時、教師は生徒の味方になってやることが教師の役割だって僕は思ってる」

 

黒崎先生の言っていることは筋が通っているような気がした。説得力があって、耳触りが良くて、あぁどうしてあの子達が信頼を寄せるのか判ってしまうような気がした。この人はずっと生徒のことだけを考えているのだ。

見透かしたような黒崎先生の瞳が、私を映す。映った私は何処かちっぽけで幼児のようだった。

 

「かと言ってやりたいこともないんだろ。今は」

 

それだけ伝えると黒崎先生は立ち上がった。

 

「一学期の終わりまであと一月、ゆっくり考えろよ。待ってやるから」

 

教室を出て行く黒崎先生の背中を私はそっと見つめた。

 

 

 

–––と、言いつつも黒崎先生は毎日私のところに来た。放課後になると甘いものを片手に私のところへ。ホームルームが終わった直後なのに一体そんな時間が何処から……。

 

「何か興味のあるものは見つかったか?」

 

ドーナツをもぐもぐと食べながら問い掛ける。

私が先生を見つめていると、先生は紙袋を差し出して、

 

「食うか?」

 

と、聞いた。

 

私は差し出されるままにドーナツを手に取る。

一口噛んで、その甘さに驚いた。

 

「……意外に美味しいですね」

 

「お嬢様は有名チェーン店のドーナツすら食べたことないのかよ」

 

黒崎先生は私の私生活に驚いているようだった。

 

 

 

またある時は有名チェーン店のコーヒー。

またある時は有名チェーン店のハンバーガー。

またある時は屋台のお好み焼き。

またある時は屋台のたこ焼き。

またある時は餡のたっぷり入ったたい焼き。

またある時は……。

 

 

 

もう残すところ三日、一学期が終わる。

何度目かの黒崎先生との二人きりの時間は終わろうとしていた。

それでもまだ私は答えを見つけられないまま……。

気がつけば、何処かこの時間を大切にしている私がいて。

ふと、気になった。

 

「そういえば黒崎先生はどうして教師になったんですか?」

 

ここまで熱心な教師は生まれてこの方初めて会った。それなりに理由があるのだろうと思っての質問に黒崎先生は適当な感じでこう答える。

 

「別に大した理由なんてねぇよ」

 

「本当ですか……?」

 

「聞いたところで参考になんてならないぞ。くだらない理由だし」

 

まるで信じてはいない返しに黒崎先生は数拍黙り込み、ガシガシと頭を乱暴に掻いた。

 

「実は言うと先生、将来の夢とかやりたいこととか全くなくてな。どうしてもこの職に就きたいとかそういった熱い理由なんてのは一つもなかったわけなんだけど」

 

「え、じゃあなんで教師に?」

 

益々訳が分からなくなった。

真面目な教師なのに、なりたい理由がなかったなんて。

 

「で、まぁ、教師になった大雑把な理由なんだけど。やってみたいことはいくつかあったんだ。教師、自衛官、警察官、アニメーター、歌手とか色々な」

 

「なんというか纏まりないですね」

 

「でもまぁ、歌手とか色々は才能云々の話だし諦めて。それ以外の候補から適当に見繕ってくじ作って引いたら教師引いたからやってみようかなって」

 

「本当にくだらない理由ですね」

 

でも、ならばなぜこの教師は一生懸命に生徒と関わるのか。より一層わからなくなる。疑問を覚えれば覚えるほど謎が深まるばかりで解決しない先生だ。

 

「そんな適当な理由で教師をやってるなら、もっと適当でも怒られないと思いますよ。他の人がそうなんだし」

 

「でも、ほら、やるからにはあれだ。ちゃんとやんなきゃいけないだろ」

 

「それにしたって黒崎先生の行動は不可解ですよ」

 

「そうかもな。これは勝手な僕のわがままさ。いつまでもやりたいことが決められず、適当な人生歩んできたからやりたいことがあるやつは好きに生きて欲しいっていう。勝手な押し付けだ」

 

最後の一言が妙に胸に染み渡る。

 

「黒崎先生は勝手ですね。生徒に何をさせたいんですか」

 

「見せて欲しいのさ。幸せになった生徒達の幸せな顔を」

 

「まるで自分は幸せになれないみたいな言い草ですね」

 

「いいか。幸福ってのは自分で掴み取るもんだ。逆に言えば僕みたいな人間が享受できるほど甘いもんじゃねぇんだよ」

 

そこまで言って紙パックの紅茶を飲み干し、黒崎先生はゴミ箱に投げ入れた。おまえは真似するなよ、と釘を刺す前にどうして行動を改める努力の方をしないのか。甚だ疑問でならない。でも、そこが何処か可笑しくて笑ってしまう。

 

「なら、先生を幸せにするのは私ですね」

 

「なんでだよ」

 

「こういうことです」

 

いつものように机の上に出した進路希望調査票。

第一希望『先生のお嫁さん』と書いた。

第二希望『教師』と書いて、黒崎先生に突きつける。

黒崎先生は思いの外、びっくりしていなかった。

 

「書き直せ」

 

「先生は生徒の味方じゃなかったんですか」

 

「いやもう第二希望だけでいいだろ。大人を揶揄うなよ。本気にするぞ」

 

どうやら黒崎先生は冗談だと思ったらしい。

それなりに勇気を出して、告白紛いの真似をしたのに。

その割に顔が赤くて、動揺してるのが丸わかりだ。

 

「冗談じゃないですよ。でも、進路希望調査票に『先生のお嫁さん』と書くのはやめておきます。その代わりに今度、婚姻届を書いて出しますから」

 

トドメの一撃に先生はたじろいだ。

 

 

 

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