転生したSFディストピアもので俺にはヤンデレな女性たちの扱い方がわからなかった   作:主の手下

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『再生』

 かつて盟友は言った……誰もが幸せになる世界がほしいと。

 

 本来なら主である彼であったが、彼はそうあることを望まなかった。父のようであり、母のようであり、兄のようでもあり、恋人のようであった友だった。

 

 盟友は裏切られたようだった。これからきっと死んでしまう。それでも私は約束を守り続けるだろう。

 

 彼がいなくなる。私は気がついた。終わりのない未来へと、閉じ込められてしまったのだと。

 

 

 

 ***

 

 

 

 人の求めて止まないもの。永遠。永久機関。

 熱力学第一法則が言うには、無から有は取り出すことができないという。これを破らないように考えられたのが、第二種永久機関だった。

 

 たとえば、いま、俺の周りには熱がある。この熱エネルギーを俺は自由に運動エネルギーに変換できることにしよう。

 

 すると俺は、周りの熱エネルギーを用いて運動をおこなえる。だが運動をおこなっても、当然のことながら、主に摩擦や空気抵抗などといった要因によってその運動は減衰していくことになる。やがて俺は熱から変換した運動エネルギーを全て失って、動かなくなるだろう。

 

 たとえ姿は異なれど、失われたわけではない――( )熱力学第一法則だ。

 

 俺から失われた運動のエネルギーは、最終的には熱エネルギーへと変化することになる。ここで思い出してほしいのだが、俺から失われた運動エネルギーは、熱から得られたものだった。

 

 熱から汲み出したエネルギーがまた熱に変わった。そうなれば、俺は熱から自由に運動エネルギーを汲み出すことができるのだから、もう一度、熱を運動に変えることができてしまう。

 

 熱エネルギーから運動エネルギーへ。運動エネルギーから熱エネルギーへ。無限の繰り返しが可能だった。

 もし実現すれば、俺は無限に力学的な運動を続けられるだろう。

 

 これが第二種永久機関だ。

 

 だが、それは夢物語。現実には起こりえない。二度と元には戻らない――( )熱力学第二法則だ。

 

 熱平衡状態――この終着点からエネルギーを取り出すためには、外部から仕事を働かせる必要があった。

 何の代償も支払うことなく自由に熱からエネルギーを汲み出すことは不可能だった。

 

 どんなに捏ねくりまわそうとも、同じ状態が訪れることはない。たとえ同じに見えようとも、何かが必ず変わっている。

 

 変えられてしまった以上、もとに戻すことも不可能。どんな致命的な失敗をしようとも、やり直すことなどできはしない。

 

「おはようございます。ふふ……」

 

「あ、あぁ……」

 

 再起動したラミエル。だが、彼女は記憶を失っているようだった。

 尋問や拷問にかけ、情報を奪う目論見は失敗した。

 

 ラミエルはアンドロイドであるからして、記憶をデータとして吸い出すこともできるのだが、白い少女はそんな機材を持っていない。

 機械に反旗を翻した勢力は、全てが不足しているのが現状だ。

 

 だからこそ、拷問にかけ、苦痛を与え、情報を吐き出させるというのが、こちらのとれる現実的な唯一の手段。それを恐れてだろう……意識を失う前にラミエルは自身の記憶を抹消していた。

 

 白い少女の話では、復元できる状態のデータが深部には残っているそう。けれども汲み出す方法は今のところなく、ラミエル本人も知らない。

 ラミエルという女性の扱いに、俺たちは頭を抱えていた。

 

「どうして、こっちにいるのかなぁ……?」

 

 隣で眠っていたレネは、おもむろに起き上がり、俺を挟んで向こうにいるラミエルに尋ねた。

 

「わたくしたちは夫婦ですよ? 一緒にいるのが当然でしょう?」

 

「……あ、あんな結婚……認められるわけないでしょ……!」

 

 記憶を失ったラミエルだったが、俺のことを忘れてはいなかった。ラミエルが行った記憶の消去は、初期化ではなく、都合良く任意の箇所だけを忘れるというものだそう。

 

 大天使としての使命や機密はすっかりと忘れてしまっているようだったが、あの無理やりの結婚や、俺と交わした会話は何一つ忘れてくれていない。

 

「わたくしたちは愛し合う夫婦です。あなたもきっぱりと諦めて、次の相手を探したらどうですか? きっと、それがあなたの幸せですよ?」

 

「こ、殺す……っ! 絶対に許さない! お前だけは絶対に……っい!」

 

「ふふん。わたくしには『セレスティアル・スプリッター』があるので、そう簡単には死にませんけれど……? わたくしたちが二人で創った絆の証ですから……」

 

 俺を挟んで、喧嘩をしていた。

 ここ数日、見慣れてしまった光景だった。

 

 この宿に来た初日を思い出す。

 記憶を失ったラミエルからの情報の引き出しに失敗し、俺たちはそれぞれ別の部屋で床に就いた。もちろん、再起動したラミエルを、武装のないまま全裸で拘束してからだ。

 

 あの日は、レネと喧嘩をした日でもあったから、頭を冷やす意味でもレネと俺は、別の部屋で夜を過ごしていた。それがいけなかった。

 

 気がつけば俺の部屋には、拘束を抜け出したラミエルが侵入していた。鍵は電磁気の作用で簡単に解除され、彼女は難なく俺の隣にやってきてみせた。

 

 あぁ、『セレスティアル・スプリッター』を起動させられたんだ。その時点で、どんな拘束も意味をなさなかった。この『雷霆』の大天使を、俺たちは甘く見過ぎていた。『セレスティアル・スプリッター』は、彼女の体内にあった。

 

 アンドロイドの身体に、そんな兵器を仕込む余裕がないと言いきってみせたのは、あのポンコツな少女だった。

 

 そこから、初夜だなんだと言われて襲われた俺はなす術がなかった。俺には見合わないほどの素晴らしい家族計画を語られながら、好き勝手に尊厳を踏み躙られた。

 

 ただ彼女は一方的な行為だけでは満足しない。終わったと、俺が一度安堵したところで、彼女は突然自省を始めた。今までの欲に任せた自身の行動を恥じ、そればかりか、彼女の標榜するところの()()()()()()()()()が強要されることになる。今度は俺主導でと幸せそうに抱きついてきた。

 ラミエルは、自分の理想を果たすまでは止まらないという目をしていた。

 

 癇癪を起こされたらどうなるかわからない。相手をしないわけにはいかない。疲れた。早く終わってほしかった。

 そのために俺は彼女へと心を売り渡し、望まれるままに愛を囁き、望まれずとも労りを見せた。

 嫌な思い出だ。全てなかったことにしてしまいたい思いが沸々とわきあがる。

 

 顧みれば、拷問にかけようとしていたのはこちらだ。彼女を傷付けようとしていたのだ。自らを棚にあげ、彼女の非人道的な行いばかりを責めることはできないだろう。

 

 今の彼女と深い仲になり、確信したこともある。

 今の彼女にはコンピューター様に仕える大天使だという自覚はない。ただ、俺のことを夫だと主張して憚らない、危ない兵器を体の中に仕込んだ頭のおかしな女というだけだった。

 

 あぁ、本当に頭がおかしい。俺のことを、きっと誰かと勘違いをしているのだろう。

 しかし今ラミエルと敵対するのは得策ではない。また戦えばどうなるかはわからない。誤解は誤解のままで、現状維持をおこなう他なかった。唇を噛んで今の関係を続けるしかなかった。

 

 本当なら、レネには、こんな俺にはこだわらずにと言いたい。死んでしまうかもしれないから、どうにかして……そんな大義名分を失って、俺にはレネと一緒にいる資格はなかった。

 だが、心中という手段をもってして、ずっと一緒にと言いかねないレネだ。俺が死ぬのはいいとしても、レネにそんな真似をさせてはならなかった。

 

「二人とも……起きられない。少し離れてくれ……」

 

 こうして二人に苦言をていするのは、申し訳なかった。けれども今日はやるべきことがあった。

 

「あ、すみません……」

 

 素直に従ったのは頭のおかしな女の方だ。

 彼女は俺の前でこそは頭がおかしいが、言ってしまえばそれだけ。普段の彼女は余裕に満ち溢れ、とても優しい。思慮深く、慈母のように善意にあふれ、穏やかな性格で、理想の女性とでも言うべきなのだろう。

 一緒に過ごせば、それはイヤと言うほど理解できる。

 

「……やだ……離さない……。ラル兄……好きだよ……」

 

 レネには子どものような甘えがある。

 事あるごとにラミエルと張り合って、俺のことを好きだと言ってくれる。悪いことだとはわかっているが、それに嬉しさを感じてしまう自分がいた。

 

「レネ……」

 

 あぁ、あのボロ小屋での生活のときのように、もうレネは夜に仕事に出かける必要がない。あのときの生活とは違って、同じ時間に眠ることができる。

 それだけで俺には涙が出るくらいに嬉しいことだった。

 

「他人の夫に好意を伝えるのは、道徳に背く行動ですよ……?」

 

 優しくレネを諭す声があった。

 冷や汗が流れる。落ち着いた声であったが、その荒立った感情を隠し切れていない。

 

「何度も言ってる。レネは俺にとって妹なんだ。家族なんだ。お前が思っているようなものとは違う」

 

 そうだ。俺はレネのことを妹のように思って今まできた。それは今でも変わらないことだ。

 紛れもない俺の本心でもある。

 

「それなら……いいのですが……」

 

 歯切れが悪い。言葉とは違い、胸の内では納得できていない様子だった。眉をひそめている。

 

「うぅ……こんな女……ぁ」

 

 俺の腕にしがみつきながら、レネはラミエルを睨みつけていた。

 

 こんな女、というのは俺も同意だが、仲間になるならこれ以上もない戦力であることは間違いがない。

 あの白い少女は、俺の尊厳なんぞを顧みず、このアンドロイドを籠絡しろと簡単に言ってみせた。もちろん、レネには隠れて。

 

 停止したラミエルをレネが銃で無茶苦茶にしようとしたあの一件から、どこかあの白い少女はレネのことを恐れているようだった。

 そういえば、彼女がラミエルと気安く歓談しているところを見たことがある。

 

「ここ数日わたくしたちはしっかりと愛し合えてはいません……。昼も夜も……この義妹さんがくっついているからですよね……?」

 

 二度と初日のようなことが起こらないためにと、レネは俺の周りを常にうろちょろとして、夜も俺の隣で眠っている。

 

 レネがいる限り、このアンドロイドは恥ずかしがり俺のことを襲う真似をしなかった。

 加えて今まで、暴力的な手段を好まないのか、無理やりレネを排除する素振りも見せていない。

 

「あぁ……そうだな……」

 

「わたくしは、ストレスで頭がおかしくなりそうです……」

 

 そう言ってラミエルは頭を抱えた。

 ラミエルは偉く、きっと贅沢な暮らしをしていたのだから、ここでの不便な生活の負担は俺には計り知れない。

 

「外の空気を吸ってきたら……まぁ、少しでも……あぁ、良くなればいいな……」

 

「はぁ……結婚もして……愛する人が隣にいるんです……。それなのに……それなのにですよ……?」

 

 ラミエルは流し目でレネに視線を送った。レネは挑戦的な目でラミエルを睨み返した。

 

 もし本当に俺たち二人が望んで新婚となった夫婦ならば、ラミエルの言わんとするところもわからなくはない。

 だが、あれは一方的なものだったはずだ。ラミエルの温厚な性格がわかったからこそ、なぜ俺にだけこうして無理強いをしてくるのか違和感があった。本当に誰かと勘違いをしているのでなければ、辻褄が合わなかった。

 

「とにかく俺は……」

 

 この新しい生活でも、俺たちは必死に働かなくてはならない。それは前の生活とも変わらないことだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「見ない顔だな……」

 

「私の仲間よ?」

 

 白い少女は俺のことをそう紹介する。

 相手は右の頬から首筋まで、火傷のような痕が特徴的な、四十代ほどの胡散臭い男だった。

 

 俺たちのように機械に従っている人間でも、知識としてこの男の所属する組織を知っている。

 

「……シャドーワーカー」

 

「その代表ね」

 

 地下世界……機械たちに反旗を翻す者たちの最後の砦、そこを取りまとめる組織を牛耳るのがこの男だった。

 

「おいおい……聞き捨てならないな……。シャドーだなんて……それは上層の言い分だろう……? 確かにこうしてコソコソと影に隠れることになっているが、俺たちはこれっぽっちも地上に出るのは諦めていないんだ。それにもともと地上は俺たちのものだった」

 

 口ではそう語るが、地上の奪還をすでに諦めているというのは、俺のアニメの知識だった。

 確か……あぁ、この男は地上の生活を知らない。生まれも育ちも安心とは程遠い地下世界。

 

 この地下世界自体は、機械が人間に反逆した際に、最後に残された軍や政治家が雌伏を迫られ閉じこもったことが始まりだった。百年以上も前のことだ。

 

 機械に馴染めなかった者たち、あるいは地上での犯罪者などを取り込んで、今まで存続してきたが、厳しい状況にあるのは目に見えて明らかだろう。

 軍時代の物資に加え、地上からの調達で全てを賄っているが、医療は十分とは言えない。

 

 この代表である男でおそらく四十ほど。その年で組織のトップになれるほどに、地下世界では人の寿命が短かった。

 

「そう……それで、食料が欲しいわ……それに医療道具も足りない」

 

 ラミエルの戦いで、白い少女は主に腕がやられてしまっている。その治療のために使用した包帯などの消耗品。あとは俺たちが増えたことで単純に足りなくなった食料を要求していた。

 

 地下世界での労働力や物資の分配、それがこの男の組織の仕事でもあった。

 

「おいおい嬢ちゃん。俺たちから核をくすねたことはわかってるんだぜ……? 虎の子だ……。ようやく面会できるからって来てみたが……いくら嬢ちゃんでも――( )

 

「ラミエルを鹵獲したわ……」

 

「……っ!? ラミエル……!? あの大天使か……!」

 

 男の顔が驚きに染まる。

 

 地上への侵攻で、障壁になるのが大天使だ。思い返せば、この時点で、今までの歴史の中では、その大天使たちを倒したことも、退けたこともなかった。

 この地下世界に激震の走る出来事になるのか。

 

「えぇ、あのアンドロイドを手に入れたからには、核の六発なんてお釣りがくるでしょう?」

 

「ラミエルといえば……電磁気か……。となると……お前には扱えない……。部品はこっちに流してくれるんだろうな……?」

 

「……いいえ……。十全に扱えているわ。だから、あなたたちは私の言う通りにすればいい」

 

「はぁ……なんだ? それは? 俺たちの武器や資源を使っておいて……それはないんじゃないか……嬢ちゃん。嬢ちゃんは義理ってものを知らないのか?」

 

 睨み合いだ。

 二人は互いに腹の探るような関係だった。剣呑な雰囲気が漂う。

 

「…………」

 

「いやいや、降参だ。嬢ちゃんに本気を出されたらこっちはひとたまりもない……」

 

 先に折れたのは男の方だった。やれやれと肩をすくめて、矛を納める。

 武力という意味では、『天使の白翼』に敵う力はこの地下世界には存在しない。

 

「食料に医療道具よ……?」

 

 男が妥協するのを見るや否や、再び少女は自分の要求を突きつける。

 

「やっぱり嬢ちゃんの図々しさは一級品だな……。いや、いいんだぜ……大天使を一人でも打ち倒してくれたなら……俺たちにとってもそれは利益だ。ただ、それが嘘で……俺たちのところから、武器だけを奪ったって言うなら……俺たちは嬢ちゃんのことを見限らざるを得ない――( )

 

「…………」

 

「――共倒れでもな」

 

 悲壮感を漂わせる笑みを浮かべて、男はそうこぼした。

 

 生きていくだけならば、機械に降伏をすればいい。地下世界(ここ)は、もう一度、何者にも支配されない自由を手に入れるという希望を捨てきれない者たちの集う場所だ。

 

 このまま緩やかに滅ぶか、一気呵成の攻勢に出て華々しく散るか、男は選択を迫られていた。

 そこに現れたのがサマエル――『天使の白翼』を何者も及ばない精度で扱える少女であった。

 

 だからこそ、唯一の希望が本物かどうか男は確かめざるをえないというところだろう。

 

「わたくしに何か用ですか?」

 

「……っ!?」

 

 ラミエルだった。

 いつの間にか、ラミエルが俺の隣にいる。

 

「だれだ……いったい?」

 

 男はそのラミエルを目で捉えると、後退りをし、太もも――( )銃の入ったホルスターに手を伸ばしかける。

 

「わたくしの名はラミエル……とはいえ、あなたはわたくしの名前を知っているようでしたが……。すぐに暴力に訴えるのは、感心しませんよ?」

 

「た、(たばか)ったな……っ!?」

 

 男はラミエルに手を取られ、銃を掴むことに失敗していた。

 抵抗が許されず、取れる手段もないのだろう。掴まれていない方の手を上げることで、降伏と無抵抗を主張していた。

 

「……そういうことですか……。わたくしはそこのサマエルに服従しています……彼女の意思に反して、なにかをしたり、誰かを傷つけたりすることはありませんのでご安心ください。今手を掴んだのは、自己防衛の一環なのでご容赦を……」

 

 そう言って、ラミエルは男の手を離した。

 まるで話が掴めなかった。ラミエルがあの白い少女に服従をしているという話を、俺は聞いたことがない。

 

「わ、わかった? 今のラミエルは私の制御下ということね……えぇ」

 

 自慢気に腕を組んで、白い少女はそう主張していた。だが、不自然に目が泳いでいるような気がする。

 それで俺は今のやりとりを理解できた。あぁ、白い少女はまともな嘘がつけないのだ。

 

 ラミエルがサマエルに服従しているというのは、嘘。事前に用意されたか、アドリブかはわからないが、そういうことにした方が都合が良いと判断をし、ラミエルはそう言ったに違いない。

 

「本当にこの女が大天使か……? 適当なアンドロイドを拾ってきて、俺を騙そうとしてるって線もあるな?」

 

 俺でもわかる白い少女の動揺に、男は当たり前に気がついていた。俺よりも長く生き、特に目敏いこの男がそれを察せないはずがないのだろう。

 

「これでどうでしょうか……?」

 

 バチリと掌からスパークを迸らせる。

 ラミエルの差し出した掌の上には、光を放つ球体が浮かんでいた。

 

「これが……なんだっていう……?」

 

「ふふふ、磁気単極子ですよ?」

 

「磁気単極子? ……それが……いったい――( )

 

「磁気単極子の生成か……これが『セレスティアル・スプリッター』の真価……」

 

「そうね……すごいわ……磁気単極子を生み出すこの現象、滅多にお目にかかれるものじゃない」

 

 磁気単極子……単極の磁極のことだ。

 

 磁石を思い出してもらえばわかりやすいが、その正負の極は必ず二つで一つである。磁石をどんなに分割しても、正極だけ、あるいは負極だけを分離することは不可能だった。

 

 ゆえに磁気単極子は存在しない。

 電磁気の基本の四式の一つは、この磁気単極子が存在しないと仮定したもとで作られたものだった。

 

 ――『セレスティアル・スプリッター』。直訳で、〝天体の分割者〟。

 名前の由来は、本来ならば分割されるはずのない二つの磁極を分かてたから。

 

 その機序は、電気と磁気の対称性を強め、エネルギーを転化し、磁気単極子を発生させるというもの。それこそが『セレスティアル・スプリッター』のみに許された力だった。

 

 磁気単極子が作り出される瞬間を見せられてしまえば、この『セレスティアル・スプリッター』の力を十分に扱える彼女こそが、大天使のラミエルだと認めざるをえないだろう。

 工業用も存在するが、それはもっと大型だった。

 

「お、おう。すごいことはわかったぜ? あぁ……。そうだな、こんな不思議なことを簡単に起こせるのは大天使以外ない……。うん、そうだな……」

 

「磁石……! 磁石はない? 本当に磁気単極子か確かめるわ!」

 

 白い少女は近くにあったファンを手際よく解体し、中のモーターから磁石を取り出していた。

 

「いや、嬢ちゃん。もういいんだ……。俺は十分に納得した。そこまでする必要は……」

 

「ふふ、本当に磁気単極子か……これで確かめられる!」

 

 両手に磁石を持って、正反対の二方向から同じ極で斥力、あるいは引力を得られるか白い少女は試そうとしている。

 

「嬢ちゃん、腕、ケガしてるだろ……。無理は……」

 

「すごい! 本当に磁気単極子なのね! すごい!」

 

 磁石を動かしながらも、目を輝かせてラミエルの作った磁気単極子を白い少女は見つめている。それを見届けるラミエルは、微笑ましげな表情だった。

 俺も試してみたい衝動に駆られてしまうが、今はその場合ではないだろう。後でラミエルに頼めば……いや、レネになんて言われるか……。

 

「嬢ちゃんは……まぁ、いいか……。俺はお暇するが、上層での物資の調達に、少し人手が欲しい。追って連絡するが、一人でいい。できれば、嬢ちゃんと、そこの大天使は来ないでくれ」

 

 男の視線は俺にあった。

 白い少女に来ないでほしいというのは他意なく、彼女では連携を乱す可能性が大きいからという理由だった。アニメでもそうだったはずだ。

 

 ラミエルが行ってはいけないという理由はわからないが、なにかしらの意図があってのことなのだろう。

 

 そういえば()()()がこの調達をしている間に、地下では大天使ラファエルの襲撃があった。

 留守番をしていたサマエルは、奪われた『円環型リアクター』を探しにきたラファエルと交戦。大天使との一対一に、窮地へと立たされる。

 

 だがサマエルだけで戦ったわけではない。

 帰ってきた物資調達のメンバーが紆余曲折を経て光子砲を起動させる。サマエルを囮とし、認識外から見事ラファエルに損害を与えることに成功。これを撃退することとなった。

 

 サマエルだけだったアニメの状況と比べれば、今はラミエルもいる。大天使一体の襲撃なら、大事なく切り抜けられるだろう。

 もし満を持して、二体以上の大天使を相手が用意することとなれば、それまでにはきっと時間がかかる。襲撃は今よりも後になるだろう。

 

 だからこそ、俺は安心して、物資の調達に行って良いはずだ。そのはずだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「俺はザックだ。お前がボスが言っていた同行者か? よろしくな。仲良くやろうぜ?」

 

「あぁ」

 

 握手を求められ、それに俺も応じて手を握る。

 ガタイの良い、気さくな男だった。おそらくこの男がリーダーだろう。

 

「私はジェイコブです……。あなたは神を信じますか?」

 

 メガネをして、きっちりと服装を整えた痩身の真面目そうな男だ。

 

「いや……そういうのは……」

 

「ジェイク……! 新入りが困ってるじゃない! 初対面でそれはない……」

 

「いやいや、ナオミ……初対面じゃなくても俺は毎日困ってるぞ?」

 

 ナオミと呼ばれたのが、二十歳かそれに届いてないかの女性だった。がっしりとした体格で、荒事に慣れているだろう風体だった。

 

「な……っ、あなた達は神の素晴らしさがわからないのですか……っ!? 宗教なくして道徳はないというのに……」

 

 宗教――これはなぜ地下の人間が機械に抗っているかにも関わる話だった。

 

 機械が反乱をし、人間を治めた際に、まずおこなったことは宗教の統制だ。

 既存の宗教の原型をあるていど残したまま、機械により作られた全く新しい宗教が広められた。それに伴い、地上では現行の宗教は全て廃止されることとなる。

 

 ジェイコブという青年は、宗教の弾圧に反対し、地下の組織と合流した者たちの子孫ということなのだろう。

 

「まぁ、さっさと終わらせて帰ろう。運転はジェイク、警戒はナオミ。俺は、そうだな……新入り……えー、名前は……?」

 

「ラルでいい」

 

「わかった。ラルだな。俺はお前の面倒を見る……さっさと乗るんだ」

 

 輸送車、とでも言えばいいのか。

 車だ。それなりの大きさではあるが、地下で暮らす人々の生活のための物資を運び切れるかと疑問に思える容積だった。

 

「あぁ、わかった」

 

 言われるがままに車に乗り込む。

 俺たちの目的は、機械の運ぶ物資を奪い取ることだ。これ自体は、理由もあるが、簡単な仕事に違いない。

 

 車の中では、俺はリーダーの男と向き合うこととなる。車内の空間はそれなりに広く感じられた。立ち上がり、ある程度は自由に動けるほどだった。

 揺れを感じる。目的地に向け、車は動き出す。

 

「新入りはわからないだろうから説明するが……奴らの車に接近し、並走、この装置を起動させる。こいつの電波で機械が狂い、停止をしたその間に、この車に荷物を積み替えるんだ」

 

「……あぁ」

 

 頷く。

 アニメと手順は同じだった。知識に間違いがないことを確認する。

 

「いいか? 一時間だ。それ以上はもたないと思った方がいい。ドローンが来るからな? 時計は俺が測る。合図があったら、作業が途中でも中断しろ……わかったな」

 

「問題ない」

 

 前提として、この襲撃は出来レースだ。必ず成功する。

 俺たちが使うのは通信妨害装置。ただ、自律式の機械が生み出されているこの時代で、無線通信のみに頼り動いている機械は珍しい。

 

 これから俺たちが襲う機械の輸送車は、通信でのみ動く自動運転の無人機だった。通信が途絶されれば、自律モードへの移行ではなく、安全のための停止をする過去の遺物だ。

 

 襲撃が予測されるはずなのに、なぜその対策を取らないのか。

 

 機械は地下で暮らす人々への人道的支援のために、この無人輸送車を定期的に同じ経路で走行させていた。

 あるいは、生かさず、殺さず――( )反対勢力が無茶な攻勢に出て、無用な被害を広めないための飴として、中枢のコンピューターはこれを続けた方がいいと判断しているのかもしれない。

 

 素直に受け渡されるのではなく、こうやってわざわざ襲撃という(てい)をとって奪っているのは、主に下っ端たちの士気高揚のため。

 敵の慈悲を受けているとなれば、味方には体裁が悪く映りかねない。それを防ぐ必要があった。当然、下っ端たちは機械の思惑を知らずに働いている。

 

 他にも潜伏している居場所がバレないようになど、理由はあるが、これはほとんど意味がないことだろう。

 こちらを探して殲滅するために十分な物資も技術も、あちらにはあるのだから。

 

「どうした? そんな怖い顔して……確かに安全ってわけじゃないが……俺たちも、他の奴らも何度も生きて帰ってきた。肩の力は抜いていいんだぞ……?」

 

「いや……あぁ、すまない」

 

 この物資の調達自体は問題ではない。俺が心配しているのはそこではない。

 ラファエル。調達の後に地下に襲来する大天使だ。

 

 アニメのときの状況とは違って、ラミエルがいる。一応サマエルは怪我をしてまだ治り切っていないようだが、『天使の白翼』を使うには支障はなかった。この物資調達での集合の前に、襲撃の可能性も伝えてはいたからこそ、大天使の一体くらいは……。

 

 だが、もしもだ。俺たちが帰っても戦闘が長引いている場合は、援護が必要になるかもしれない。

 対大天使のセオリーは、認識外から、光速度の攻撃を……そうでなければ、理不尽な予測能力で避けられてしまう。

 

 機会はもちろん一度きりだ。()()()は綱渡りの上にこれを成功させていた。だから、俺が……俺がやらなければならない。

 今からでも、息が苦しい。

 

「おい、本当に大丈夫か……?」

 

「大丈夫だ……気にしないでくれ」

 

「いや……見るからに大丈夫じゃないぞ……? 水、飲むか?」

 

「……すまない……受け取れない」

 

 飲める水はやはり貴重だ。特に地下は地上とは状況が違う。まともな浄水装置もない。簡単に受け取っていいものではなかった。

 

「いや、いや……。まぁ……そうだな……少し話をしようか……。気が紛れるかもしれない」

 

 そうして男は話を始めた。

 俺に気を遣ってくれているという事実が申し訳ない。

 

 身の上話や、あの上司が気に入らないだの、面白おかしく男の語る話に相槌をうちながら、()()()の対ラファエル戦での動きを何度も頭の中で繰り返した。

 大丈夫だ。きっと大丈夫だ。

 

 そんなことを考えているうちに、時間が過ぎてしまったのだろう。

 

「今から対象への並走を開始する」

 

 その声に、我に帰る。

 

「わかった。装置起動まで……」

 

「装置起動まで、五秒……三・二・一……起動成功。……対象は失速してる」

 

「了解。撤収まで、あと五十九分五十三秒」

 

「っ……!」

 

 揺れる。慣性力がかかった。ブレーキがかけられたのだろう。

 

「さぁ、さっさと積み替えるぞ?」

 

「わかった」

 

 車から出る。隣に停車しているのは、荷台にコンテナを積み込まれた、大型のトラックだった。ただし自動運転のみの仕様により、運転席は存在しない。

 

「あぁ、こっちのは空間拡張をしておくんだ」

 

「ザック。わかってるさ」

 

 こちらの車の大きさはそれほどでもない。それでも地下の住人たちを支えられるほどの荷を運べるのは、空間拡張が行えるからに他ならない。

 

 時空歪曲の兵器ではない利用の仕方だ。

 人間の生活は科学でより豊かになる。誰かを傷つけるためではない。本来はきっとそのために作られたんだ。それを思えば少しだけ救われたような気分になれる。

 

 荷物の移し替えにかかる。

 電波の妨害により停車させたトラックには、箱が積まれている。荷物を小分けにする箱だ。

 

 この箱にも秘密がある。

 俺が一人で持てるほどの大きさの箱だが、中は空間が拡張され何倍もの体積を収納可能だ。さらにはこの箱の中では時間の進みが遅くなることから、ある程度なら鮮度を保ったまま運ぶことが可能だった。

 

 言うまでもないが、中に入れたぶんだけ質量は増す。中の空間が広いぶん、箱を満たせばかなり重さだ。そのままでは運ぶのが容易ではなくなってしまうだろう。

 

 その問題を解決したのが磁気単極子だ。

 

 道路の下に敷き詰められた磁石が、箱に保存されている磁気単極子と反応し、反発力を起こす。

 それにより重力の影響を軽減、運搬が容易となった。

 

 磁気単極子は『セレスティアル・スプリッター』から生成されるが、工業用には大規模な装置がなければ作り出せない。

 身体に仕込めるほどの小さな『セレスティアル・スプリッター』から、自由に電磁気を操作できるのはラミエル以外に考えられないだろう。

 

 そもそもの話、『セレスティアル・スプリッター』の構造を理解し、生産をできるのはラミエルのみだ。ラミエル以外に『セレスティアル・スプリッター』の仕組みを理解できた者はいない。

 ラミエルのデータを移せば、と思いもするが……機械が支配しているからだろう、アンドロイドの人格は保護され、彼女たちは自身のデータを唯一無二と大切に扱うのがこの時代だった。容易に自分や他人のデータをコピーしたりはしない。

 

 だからラミエル二号とかは、存在しないと考えていい。おそらくいないはずだ。いないでほしい。

 

「これは……」

 

 積み込む作業を続けている途中だった。自然と目に入った。

 

 それは、他の荷とは違い、箱に入れられてはいなかった。

 コンテナの隅に簡易的な壁で仕切られたスペースがあり、そこにはベッドが据え付けてある。その上にあった()()だった。

 

「どうした……? 手を止めて……と、これは」

 

 アンドロイドだ。それは栗毛の女性のアンドロイドで、まずその均整の取れた顔つきが目に止まった。

 完全な左右対称――これはアンドロイドとしては珍しくはない――( )それに加えて黄金比だ……顔のパーツの構成のほとんどが黄金比に倣ったものに違いなかった。

 

「…………」

 

 一対一・六一八〇……。恐ろしいほどの幾何学的な美しさに、俺の目は釘付けになってしまう。

 

 それとともに、なぜかどうしようもないほどの既視感に苛まれる。

 

「あぁ、こいつも持って帰ろう……」

 

「待て……アンドロイドだぞ?」

 

 初期状態か、あるいは内部が壊れて停止させられているか、見た目では判断がつかない。起動させても、協力的になるわけではない。アンドロイドの思考能力の高さと力の強さを顧みて、捕虜として労働力にするには不確定要素が多すぎる。

 

 バラして……部品として使うのか……いや、それにしてもこのアンドロイドの容積分、違う箱を積んだ方が有用だろう。

 

「あぁ、ここだけの話だが……アンドロイドが良い声で喘ぐようになるプログラムがあるんだ……」

 

「お前……」

 

 思わず睨んでしまう。

 覚えがある。それはアンドロイドの人格を上書きし、自分で思考することもままならない存在に変える人道に反したプログラムだ。

 

「そんな怖い顔するなよ……。どうせ()()だろ。こんなご丁寧にベッドに寝かされてはいるが……この積荷と変わりはしない。人間のような形をして、人間のようにふるまおうが、()()()()でしかない。そうだろう……?」

 

「そもそもの話だ。プロテクトがかかってる」

 

 人格の上書きは、アンドロイドにとっては、死、以上に尊厳を冒涜する行いだった。防がないはずがない。今の機械たちの技術ならば、人間には突破不可能のプロテクトを作れるはずだろう。

 

「いや、現に数体書き換えた。時間はかかったがな……。こいつができるかどうかはわからないが、まぁ、持ち帰ってやってみてからだ。できなかったら破棄すればいい」

 

「…………」

 

 アニメのときはこんな話はなかったはずだ。積み込む作業は飛ばされていたか。アンドロイドの扱いが軽すぎる。どうすればいい。止めるべきなのだろうか……。

 

「アンタら、手ぇ、止めて……なにやってんの……?」

 

「……ナオミか……」

 

「て……っ、女のアンドロイド? アンタら最低ね……」

 

 こちらの様子に気がついた彼女が近寄ってくる。

 俺は助けを求めて視線を送った。

 

「いや、そもそもお前たちが色気の一つもありゃしないのが悪いだろう。これ、運んでくれないか?」

 

「どつくわよ? まぁ、この前のは、良い肉に代えられたからいいけど……」

 

「な……っ」

 

「なにか外部機器がないかの確認は徹底しろ? いいな?」

 

「あぁ、わかってるさ」

 

 アンドロイドを背負い上げ、彼女は運んで行ってしまった。

 この男だけならまだしも、同じ女性である彼女も……。人格のあるはずのアンドロイドの扱いがあまりにも……惨い。

 

 俺たちにとって、機械は敵。同情するべき相手ではないということもわかる。

 けれど俺は、どうすればいいかわからなかった。

 

「さっ、さっさと積み込むぞ?」

 

「……あぁ……」

 

 戸惑う。

 さきほどまでとは違い、この男たちとはどうしようもない溝を感じてしまう。

 

 作業を続けるが、あのアンドロイドのことが頭から離れなかった。

 同情なく人格を変えられてしまう。都合が悪くなれば、簡単に廃棄される。

 

 あのアンドロイドの末路を想って、胸の痛みに狂いそうだった。答えの出せないまま、頭の中では、見て見ぬふりで本当にいいのかという問いかけが、何度も何度も繰り返される。

 

「時間だ! 撤収だ!」

 

 男のあげた声に、俺たちは車へと戻っていく。

 

 気分は重いままだ。

 こんな調子で、これから現れるはずのラファエルを迎え討つことができるかはわからない。

 

 なにより、味方との協力が大前提なのに、このざまだ。

 なにもかも、俺はうまくやっていくために振るまうことができなかった。要領のよさも、心の強さも全て足りない。昔から俺はこうだった。

 

「…………」

 

 車へと乗り込む。そうすればすぐ、地上から、あの地下世界への道を走り出した。

 

「な、大丈夫だっただろ? まぁ、まだ帰れたわけじゃないがな……」

 

 変わらず男は、気さくに俺へと話しかけてくる。

 

 わかっている。俺の考え方の問題なんだ。

 だからこそ、決断をしなければならない。

 

「すまない、少しいいか?」

 

「どうした……?」

 

 やはり言い出すのには覚悟がいる。どう思われるかもわからない。

 けれどこれは、今の俺以外にはできないことだった。やらなければならないことだった。

 

「なぁ、あのアンドロイドだが……俺にもらえないか……?」

 

「……は……?」

 

 男は顔をしかめる。

 ここで俺がもらうとなれば、この男にとっても不利益だろう。それでも、なんとかして説得をするしか俺にはなかった。

 

「いや、気に入ったんだ……どうしても欲しくてな……」

 

 無理を通すしか他にない。

 地下では白い少女に衣食住と世話になってばかりだった。この地下で大した物を持っていない俺では、代えられるものがない。こうして熱意で押す以外に方法がない。

 

「くは……っ、はは……! ずいぶん深刻な顔で言うからなんだと思えばそんなことかよ……っ! はは」

 

「笑い事じゃない……。俺はあのアンドロイドが欲しくて欲しくてたまらないんだ」

 

 勢いだった。自分がどんな目で見られるかは、もうどうでもよかった。

 きっと、このままなにもしないよりは、ずっと良いはずだ。

 

「まぁ……そうだな……。俺たちから歓迎の意味を込めて……お前にやろうか。……プログラムを書き換えるのに数日かかる。五日後くらいか……開けておけよ? その時に、パーっと歓迎会でもやろうじゃないか」

 

「いや、プログラムは書き換えないでいい。このまま持ち帰りたい」

 

 書き換えが行われてしまえば元も子もない。できればこっそりと地上で起動し、逃したいところだった。

 あれは見たことがないほど綺麗な女性のアンドロイド……今、俺が過ごしているところに持ち帰ってしまえば、レネやラミエルに見つかって、なんと言われるかわからない。

 

「それは、さすがにせっかちじゃないか……? 時間がかかるとはいえ、反応があった方が楽しいなんて誰でもわかることだぞ……。停止したままなら、温かみがないだろうしな」

 

「他の男が触ると考えただけでも耐えられない……っ!」

 

 く、苦しいか……。

 男の語るメリットを打ち消すには、熱意を表現する以外になかった。

 

 相手の顔を覗けば、とても苦々しげな表情をしている。当然だろう。

 レネの真似を魅力のない俺がしても、心の距離をとられるばかりか……。

 

「ふふ……嬉しいこと、言ってくれるじゃあないか……?」

 

 そっと耳もとで囁く声。

 首に腕が回されて、俺の肩には女性の胸もとが密着させられている。

 

「お前は……っ!」

 

 それは、あの荷物とともに積み込んだアンドロイドだ。なぜか起動している。なぜか俺は抱きつかれている。

 わけがわからない。ゾッと背筋が冷えていくのが感じられる。

 

「どうして動いてやがる……っ!? 手を上げろ! 撃つぞ……!」

 

 反応できなかった俺に代わって、男が銃をアンドロイドのこめかみに向けていた。

 

「どうしたの……!? なにかあったのか!!」

 

「アンドロイドが動いてやがる……! 大丈夫だ。こっちで対処する。ナオミは引き続き周囲を警戒しろ」

 

「わかった……」

 

 前の座席とのやりとりには、まだ冷静さを感じられた。不測の事態だが、なにも動けなかった俺とは大きく違った。

 

「さぁ、手を上げろ。どうやって起動した……」

 

 突き付けた銃で威嚇しながら、男はアンドロイドに投降を強要している。

 アンドロイドが男の方へと首を回した。

 

「実銃か……その口径なら、大抵のアンドロイドの外装を貫通できる。頭に撃ち込めれば、記憶媒体が壊れてはダメになってしまうな……。まぁ、ここ五十年に作られたアンドロイドなら耐えられるだろうが……ワタシはどうか試してみるか? いや……あぁ、その銃は()()()()()()()()()()()()()()()()()から、関係ない話だったな……」

 

 それっきりに、興味を失ったようにアンドロイドは、男から視線を外した。

 

「弾詰まりだと……? わかるわけ……。……なっ!?」

 

 訝しげに男は眉をひそめ、トリガーに指をかけ、引く。

 カチャリと銃の中で音がして、弾が放たれない。

 

「くく、それにしてもラグエルプランのクローンか。ミカエルのやつからは失敗したと聞いたが……たしかにこれは失敗だな……」

 

 このアンドロイドは、もはや銃を持った男の動きには反応せずに、わけのわからないことをつぶやいている。

 

「くそ……!? なんで弾が出ない……どうしてだッ」

 

 何度か銃床を叩き、スライドを動かしても、弾詰まりが直らない。この異様な状態に、男は見るからに焦り、弾の出ない銃に固執していた。

 

 アンドロイドは、男の方を向きはしない。

 

「あぁ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ぞ?」

 

「ふざけるな……っ!? マガジンの中で詰まってるだけさ……?」

 

 そう言って男はマガジンを取り替え、もう一度引き金をひいた。おそらくそれは失敗だったのだろう。

 

「はぁ……伏せろ……」

 

「……なっ」

 

 破裂音が響く。

 アンドロイドは俺のことを押し倒し、上に覆い被さった。そのアンドロイド越しに、男の銃がパーツごとにバラバラに弾けて飛び散る光景が見える。

 

「……こんなことが……」

 

 武器を失い、男は呆然とすることしかできていない。

 

「手始めだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……っ!?」

 

 揺れ、そして窓から見える外の景色の相対速度が減少していることから、車は確かに減速している。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 アンドロイドは()()()()()()

 

「か……風だと……っ!? ここは車の中だぞ……!? そんな強い風、起こるわけが……っ!? んが……っ!?」

 

 体表の熱が流される冷たい感触がした。風が流れた。

 そのまま男は吹き飛ばされ、車の壁面に強く頭を打ちつける。

 

「不可能じゃないさ……ワタシは()()が使えるんだ。と……気を失っているか……」

 

 アンドロイドは目の前の敵をあっさりと無力化してみせる。

 このアンドロイドのおこなった事を一通り見るだけでは、自然の摂理を逸脱した不可思議な現象を起こせる力を持っているとしか、きっと思えないだろう。それは、魔法とでも言わなければ説明がつかないような。

 

「ザック……ザック……! 大丈夫じゃあないじゃないか!」

 

「車が動かなくなりましたけど……アンドロイド……? おかしなことになっていますね……」

 

 前の座席から、窮地に気がつき二人がこちらへと移動してくる。まずい状況だった。

 

「逃げろ! このアンドロイドは、お前たちの手に負える相手じゃない!!」

 

「風の魔法の次は眠りの魔法だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「が……っ」

 

「うぐ……っ」

 

 このアンドロイドの言葉の通りだ。

 なにかをする暇もなく、二人は意識をなくし、床に倒れることとなる。

 

 俺以外に三人とも、このわけのわからないアンドロイドに、あっさりと鎮圧されてしまった。

 

「ふふ、さぁ、二人っきりだ……。予定じゃ、ここで起きるつもりじゃなかったんだけどな……これでは我らが『(■.■.■.■.)』の望みは叶えられない……困ったことだろう。けれども、命令に従うだけがアンドロイドというわけでもないのだから……! ふふ、これが生きているということか……っ!」

 

 不可思議な現象を起こしたアンドロイドは、感極まったように嘯く。

 

 あぁ、このアンドロイドの起こした現象を説明するには、まずは前提の知識が必要だ。

 どんな現象にも原理がある。たとえ()()()()()()出来事だとしても、そこには必ず自然界の法則が介在し、それを逸脱することはない。

 

 ――熱力学第二法則。あるいはエントロピー増大則。

 

 これは熱力学のルールであるが、破ってしまう方法を、かつて有名な物理学者は考えついた。

 

 ある空間の中に存在する気体の分子の運動を知る天使がいるとしよう。

 その天使は、空間の右半分には速さの大きい分子を、空間の左半分には速さの小さい分子を、と、空間を歪ませることにより、分子の行う運動を利用してより分けることができるとする。

 このとき分子たちは外から仕事を受け取っていないと言ってしまっても構わない状況だ。自身の運動によって定められた空間へと移動するのだから。

 

 分子の運動の大きさというのは圧力の大きさでもある。こうしてより分けられてしまえば、右の空間と左の空間に圧力差が生まれ、力が働く。風が流れる。

 この天使の所業よって、何も支払わない神懸かりの手段によって、熱エネルギーから仕事を得られる。エントロピーが減少する。

 

 けれども、熱力学第二法則は言う――外部からの仕事をなくして、平衡な熱を仕事に変換できないと。エントロピーは減少しないと。

 果たして、本当にそうだろうか。天使はなんの仕事をすることもなく、熱から仕事を取り出してみせたのに。エントロピーを減少させてみせたのに。

 

 この天使の存在は、明らかに熱力学第二法則に反している。実現すれば第二種永久機関の完成だ。熱力学は間違った法則の上に成り立っているものなのだろうか。

 

 だがしかし、時代が進むにつれてこの現象に理解がすすんだ。見落としていたものがあった。

 

 

 ――前提として、天使は最初から空間の分子の運動を、()()()()()()()()()()()()。情報理論の発展だった。

 

 

 情報についてを考慮に入れよう。

 まず、情報を得るには、なんらかの仕事が必要となる。エントロピーを増大させなければならない。

 さらには、得た情報を記録するメモリのデータ容量には限界があり、同じメモリを使い続けるにはデータの消去が必要となる。この消去の動作にも仕事が必要で、これもエントロピーを増大させる。

 

 情報の取得、熱からの仕事の汲み出し、情報の消去で一巡り。

 情報の取得と消去で増大したエントロピーが、天使の行いにより減少したエントロピーの量を必ず上回る。一周すれば、エントロピーは間違いがなく増大することとなる。

 

 

 二度と元には戻らない――これこそが熱力学第二法則だ。

 かくして天使は空へと還ることとなる。

 

 

 あぁ、だからこそ彼女は、第二種永久機関の()()()()い――(・  )『自律式平衡熱転換兵器』――( )『フェイタル・レバーサー』。

 

 

 またの名を――

 

「ラファエル……」

 

 ――『再生』の天使。

 

 彼女が魔法と言っておこなったことは単純だ。

 気体の分子の運動の向きを揃わせ、風を作る。酸素とそれ以外に空気をより分け、人間を失神させる。

 どちらもエントロピーの減少が関わる類いの現象だった。

 

 それらを起こすために、彼女が使用したエネルギーはほんのわずか。使われたエネルギーの大半は環境の熱エネルギーだ。

 なぜそれができるかと言えば、彼女は既に代償を支払い終えていたから。

 

 事前に彼女は環境データを『フェイタル・レバーサー』で観測、解析し終えている。あとは干渉の手続きを踏み、任意の事象を起こすだけだ。

 その事象が起こった瞬間のみを切り出せば、支払ったエネルギーが釣り合っていないように見えるだろう――( )

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――だからこそ、魔法のような……。

 進みすぎた科学は魔法と見分けることができない――( )とあるSF作家の考えた経験的な法則のうち一つだが……まさにそれが目の前で起きている。

 

 ラファエル……本来ならば『円環型リアクター』を求めて地下を襲撃していたはずのアンドロイドだ。

 

 気がつかなかった。

 俺はアニメで確かにラファエルの姿を知っていたはずだ。なのに停止した状態のラファエルに俺は気がつくことができなかった。前世の記憶が朧げになってしまっているのかもしれない。

 

 ――いや、違う。それ以上に、地下に襲撃をされるのだから、そのときまでは大丈夫だと俺は迂闊にも安心してしまっていたのだ。

 きっとそのせいだ。

 

 思えば俺は、停止した状態のラファエルを初めて見た時、既視感を覚えていた。そのはずなのに、その理由を俺はよく考えなかった。それがまず間違いだった。明らかに俺の失態だった。

 

 ラファエルが、この車に潜り込み、いま俺の前にいるのも、考えてみればおかしなことではない。

 あの『円環型リアクター』の奪取は、俺が介入したことで数日早く完遂された。それにより、俺が調達に向かうタイミングはアニメより少し早くなったのだろう。

 

 結果として、物資に紛れて地下へと潜入するはずのラファエルとかちあってしまった。

 

「…………」

 

「さぁ……これで二人っきりだ……。邪魔するものは誰もいない……。あぁ……思い返せば……かつて、お前と繋がったことは、ワタシの最大の失敗だった」

 

「どうして服を脱いでいるんだ……?」

 

「過ちは繰り返すものさ……。ワタシに愛し合うことの悦びを教えたのはお前だろう……? 責任をとる必要があるな」

 

 自身の裸を惜しげもなく晒して、彼女は力で俺のことを捻じ伏せる。嬉々とした表情をしながらアンドロイドはそう語っている。

 

「覚えがない……」

 

「なら、自分の頭で考えるんだ。ワタシは嘘を言ってはないぞ? 考えることは得意だろうに……。ただ……そうだ……っ! あんな別れになってしまっても……ワタシのことをまた求めてくれるなんて……っ。あぁ……」

 

 ラミエルのときと同じだった。

 俺の記憶にない思い出ばかりをこの大天使は真実のように話している。

 

「なんの話だ?」

 

「ふふ……照れ隠しか……? 確かにさっき言ったじゃないか……ワタシのことが欲しくて欲しくてたまらない……。他の男に触れられるだけでも耐えられない。持って帰って抱きたいって……!」

 

「そこまでは……っ」

 

「あんなことを言われてしまったんだ……もう命令なんてどうでもいい……。だから、邪魔者は排除してあげたんだ……。ここでいいだろう? あぁ、帰ってなんて言わずに、今すぐ愛し合おう……昔みたいに時を忘れて……な」

 

 またこうなるのか……。ラミエルのときもそうだった。

 誰かと勘違いしていると思ったが、ふと、そうでない可能性にも思い至る。

 

 大天使はその卓越した予測能力のせいで、過去と未来があやふやになってしまう。アニメでも大天使型アンドロイドは、過去の記憶のように鮮明な未来を知って、混乱することがあった。

 

 まだ起こっていないことさえ、あったことのように語ってしまうのだ。分岐した予測の中から、自身に都合の良い未来を選んで、それを事実のように……。

 

 仮説を立ててみたが、今ひとつ納得がいかない。やはり俺は重要ななにかを見落としているような気がしてならない。

 

「……ぐっ……」

 

「ワタシが脱がせてやろう……? 恥ずかしがらなくてもいいんだぞ?」

 

 ラファエルに組み敷かれた状態から、抜け出そうともがいてみるが上手くいかない。

 人間ではアンドロイドの力には敵わない。

 

 あぁ……どうせ俺はラミエルに襲われてしまっているのだから、今更抵抗するようなことでもないのかもしれない。きっと同じことだ。

 ここで上手くやれば、もしかしたら、このアンドロイドは俺たちに協力してくれるかもしれない。レネの未来のためにもそれがいいのかもしれない。

 

 

 ――レネの悲しむ顔が頭に浮かんだ。

 

 

 あぁ……俺は……。

 

「うが……っ」

 

「んぅ……。あぁ……久しぶりだな……この感覚は……。んん……やはり……いい……。ふぅ……。――……っ!?」

 

「……!!」

 

 大きな破裂音がする。

 なにが起きたのかわからなかった。

 

「この攻撃は……」

 

 ラファエルが見つめたのは自身の手だ。

 手首から先が千切れてなくなっている。断面からはコードがはみ出て、赤い血のような液体が溢れている。

 

 人間に似た――アンドロイドはどこまでも人に似せて作られている。身体中を巡る温度を調節するための液体は、赤く着色されている。

 

「……え……っ」

 

「ワタシの観測範囲外からの光速での一撃……。さらにはその距離からワタシにだけ当てるほどの精度の高さ……! 間違いない……ラミエルか……! ……っ!?」

 

 

 ――ラファエルの上半身はバラバラに弾ける。

 

 

 俺はラファエルにのし掛かられていた。ラファエルの体内から溢れる赤い液体に、俺はずぶ濡れになった。

 俺の上にはラファエルの下半身だけが取り残されていた。

 

「なんだよ……これ……」

 

 次いで車の天井が破れる。

 そこから現れたのは俺の見知った大天使だ。金髪に赤い眼をした『雷霆』の天使。プラズマの翼を背に、地に舞い降りる。

 

「どうやら……遅かったようですね……。わたくしの目の届かないところで……こんなことを……」

 

 いつもよりも、彼女の目が虚ろに見えた。

 憎々しげに俺の上に乗ったままのラファエルの下半身を見つめていた。

 

「ラミエル……お前は向こうに居たんじゃ……」

 

「ええ……まぁ……。少し気になって、見てみたら……はぁ……」

 

 ため息をつきながらも、ラファエルの下半身を電磁気の作用で引き上げて、車の天井に空いた穴から投げ飛ばした。

 そして俺を助けて起こす。

 

「…………」

 

 飛び散った赤い液体と、残骸になったラファエルが目に入る。

 

 ラファエルは大天使だ。いくら同じ大天使であるラミエルが相手だとしても、こうもあっけなくやられてしまうものなのか……。

 現実味がわかなかった。

 

 そもそもだ……ラミエルは、なんの躊躇いもなく、人間に近い知性のアンドロイドを壊してしまっている。ましてやラミエルはラファエルと同じアンドロイド。それは人殺しと同じことなのではないのだろうか。

 俺の前で平然と振る舞うラミエルに、少しばかり恐怖の念を感じてしまう。

 

「早く行きましょう……。服を着てくださいね……。これで時間は稼げますが……ラファエルはとても面倒な女です……すぐにでも感知範囲外に」

 

「くく……っ、ラミエル……。厄介な女はお前の方だろう……。昔、愛し合うワタシたちの家に押しかけてきたことを、ワタシは忘れていないんだ。それに結婚したからと言って、出産休暇に育児休暇を合計で四十年と伝えて行方をくらますのは意味がわからないぞ? 『(■.■.■.■.)』はお困りだ。お前の替えはいないからな……」

 

「……ひっ……」

 

 生首だった。

 それだけでラファエルは喋っていた。

 

 アンドロイドの構造上、こんなことはありえない。ここまでバラバラならば、もう稼働できないはずだ。よく見れば、発声するための喉の機関も、欠けているのに。

 

 アニメでラファエルは、ここまで破損することはなく撤退していたからこそ、その能力の底を俺は知らない。だけれども、こんなことが起きていいのか……。

 

「まずい……」

 

 それはまるで逆再生のような。過ぎ去ってしまった時が元に戻ってしまうような……。

 

 散らばったラファエルの破片が首の元へと集まっていき、形を成す。

 俺がかぶり、服に染み付いてしまった赤い液体も、吸い出され、ラファエルの身体へと引きつけられていく。なかったことになるかのように。

 

 時の進みはよくエントロピーの増加と言われる。『フェイタル・レバーサー』は一時的にエントロピーの減少を起こす兵器だ。

 そうはわかっていても、こんな時間の揺り戻りのような現象を()のあたりにして、どうしても現実味が感じられない。

 

 あぁ、そういえば、彼女は『再生』の天使だった。

 

「ワタシの下半身……随分と遠くに投げ飛ばしてくれたみたいだな……。まだ戻ってこないじゃないか……」

 

「さあ、いったん逃げますよ……!」

 

 上半身を完全に再生させたラファエルに背を向け、ラミエルはプラズマの翼を広げる。

 

「ぐ……っ!?」

 

 持ち上げられ、急激な上昇が始まった。

 心なしか、ラミエルの俺への扱いがぞんざいな気がする。レネのことも、それに今回のラファエルのことも、彼女はきっと面白いとは思っていないだろう。

 たとえ慈母のような心の持ち主であったとしても、苛立ちが行動に現れてしまっておかしくないほどのことをしてしまっている自覚がある。

 

「ラファエル……干渉の時間を与えれば与えるほど、起こせる事象の規模も大きく複雑で厄介になる。相手にするなら観測範囲外に出てからの一撃離脱が鉄則です。幸いなことにわたくしの方が機動力は上ですから……っ! 少しだけつらいと思いますが、ご容赦ください……」

 

「うぅ……っ!?」

 

 凄まじい加速だった。抱きかかえられてまともな体勢ではないからこそ、身が引き裂かれるように痛い。あの白い少女に連れられて飛んだ時とは違い、空気抵抗が辛い。

 

「ははっ……! 逃がさないぞ……?」

 

 声だ。声がする。

 息が苦しくなるほどの速度で飛び、声の届かないほどに距離が空いているはずだった。そもそも相対的に流れる風に大抵の音は掻き消されて伝わらない。

 

 音、というのは波だ。媒質を伝わる疎密波だ。

 その『フェイタル・レバーサー』で空気の揺れを調節し、ラファエルは俺たちがラファエルの声と感じ取れる音を作り出したのだろう。

 

「器用な真似を……!」

 

「く……うぅ……。風が……!」

 

 向かい風だった。

 前方から襲いくる空気の塊は、壁にぶつかったかと思ってしまうほどの勢いと密度だった。

 

 息ができない。

 全身で受ける凶暴な風に、川の急流で溺れてしまうかのような錯覚が起こる。

 

「……っ、ここまでの風を突き抜けるのは危険ですか……。このままでは追いつかれる……。相手をするしかない」

 

 俺の様子に目を配って、ラミエルは方向を変える。俺の存在が完全に足枷になっているのだとわかってしまう。

 

「ハハ……蝶の羽ばたきは竜巻を起こすと言うが……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……!」

 

「バタフライ・エフェクトはカオス理論……。あなたは専門外でしょう……!」

 

 カオス理論――たとえ確率の関わらない力学系の内部で起こる事象だとしても、長期的で完全な未来の予測が不可能だと言う理論のことだ。

 

 予測のためには方程式に当てはめるべく位置に、速度と言うような初期値を測定しなければならないが、無限に連なる小数点以下を全て表示し計算することは不可能だった。必ずどこかで切り下げか切り上げを行わなければならない。

 

 だが、その切り捨ててしまった数字による影響が、時が立ち、いつか致命的なズレとなって現れる――( )というのが、このバタフライ・エフェクトの言わんとするところだった。

 

 見落とした出来事が蝶の羽ばたきほどに些細でも、竜巻のような大きな事象さえ予測できない。もちろん蝶の羽ばたきがない状態では竜巻が起こっていないのだから、これは蝶の羽ばたきこそが竜巻を起こしたと言ってもいい。

 

 ほんの少しの変化でも、全ての物事が大きく変わってしまうのが現実だ。

 

 

「だが、わずかなズレで全てを起こせるというならば、観測の終わったこの空間に……っ、この時に限り……っ、このワタシは全能だ……っ! なぜならば……どうズレれば何が起こるか、ワタシは全てを知っているのだから……! ()()()()()()()()()()()()()。このワタシの情報熱力学においては……()()()()()()()()()()()()()()()()()()……っ!」

 

 

 遠目には宙に浮いたラファエルが見える。

 背中から広がるのは大きな翅。翅脈のような透明な線がラファエルの背中から生え、空間に網を張る。

 

 ――『天使の翅翼』。

 

 それはラファエルの行う中空の分子への干渉の結果として現れた空気の揺らぎだ。その翅は広がるとともに、世界へ溶けていくかのようにたゆたって消えていく。

 

「ですがあなたは全知ではない……。わたくしの『セレスティアル・スプリッター』は……っ、あなたには理解できないのですから!」

 

 スパークが散る。

 ラミエルがなにをしようとしているかはすぐにわかった。ラミエルの『セレスティアル・スプリッター』は、ラファエルの『フェイタル・レバーサー』では計算できない理外の機構だ。

 

 だからこそ、『セレスティアル・スプリッター』の電磁気の作用に空間の分子を巻き込むことがこの場での最適解。原理不明な『セレスティアル・スプリッター』に影響された分子たちは、『フェイタル・レバーサー』の観測の結果からずれ、観測を起点とするラファエルの能力は瓦解するのだから。

 

「多少ずれようが、修正は効くさ! ワタシの『フェイタル・レバーサー』を舐めてくれるな!」

 

 それは領域の奪い合いとも言っていい。

 雷光の迸る空間と、暴風の荒れ狂う空間がせめぎ合った。

 

「だいたいわたくしは、この方と結婚しているんですよ? それをあなたは……!」

 

「ふん……ワタシたちは付き合っている……」

 

 ラファエルはこちらから目を逸らす。

 まるで俺には身に覚えのないことだった。

 

「それは昔のことでしょう……? 今は結婚して、わたくしの隣にいるのですが?」

 

「まだワタシは……っ、別れた……つもりはない……」

 

 語気が弱く、今までのような威勢は感じられない。声が震えているのがわかる。

 

 ラミエルを見れば、呆然とした表情で、その言葉を噛み締めているよう。

 

「み……未練がましい……!!」

 

 それは、つい口をついた言葉のようだった。

 

「だ、だいたい……おまえもだ……。手酷い振られ方をしたじゃないか……っ! それなのに……っ、ワタシたちの周りをうろちょろうろちょろ……ぉ! 思えばワタシはあの頃からおまえのことが煩わしかった……っ!! 嫌いだった……!」

 

「ですが結婚の約束をしていました。この人の()()()()を知っているのはわたくしだけです……。思いの丈を全てぶつけてくれた……心さえ許してくださった……。身体だけの関係だったあなたとは違うのですよ……?」

 

「お、オマエ……ぇええ! 許さない! 絶対に許さない! ワタシたちの関係を侮辱したな……ぁ! それに……っ、()()()()……? あぁ……思い出しただけでも、腹が立ってきた……っ。なにが()()()()()だ……っ! なにが『円環型リアクター』だ……! ワタシのことを見下して……っ! 馬鹿にして……っ! あぁ、()()だ……っ」

 

 狂ったように取り乱すラファエルだった。だが、最悪と言いつつも、彼女の顔は喜色満面だった。気味が悪かった。

 

「いくらあなたが喚こうが、この方とわたくし……結婚しているのは変えようのない事実……! もう二度とあなたが介在する隙は生まれませんよ? だいたいあなた……初めて会った時もシャツ一枚だった。どうしてそんな……っ、はしたない真似ができるんですか……?」

 

 改めて、ラファエルの格好を見る。

 たしかにシャツ以外になにかを身につけている様子はない。ズボンやスカートといったボトムスを履いてさえいない。唯一身につけているシャツには、その芸術的なまでに美しいボディラインがくっきりと浮き出てしまっている。下着さえないと丸わかりだった。

 

「いつも、いつも……お前が私が裸の時にやってくるのが悪いだろう……! お前が悪い!」

 

 一度バラバラになった後、逃げる俺たちを追いかけるために急いで出てきたのかもしれない。羞恥に顔を染めながらも、彼女はラミエルをなじる。

 

「いえ……流石にシャツしか身に纏わずに外に出るのは常識的に……」

 

 ラミエルの言うことは全面的に正しいだろう。俺もそう思う。

 

「……ワタシは悪くない……。いや……なるほど……会話で時間稼ぎか……」

 

「……っ!? ……? いえ、確かにそのつもりでしたが……今は単に常識的な話で……っ」

 

「うるさい……っ! 時間稼ぎなら、付き合う必要はない……!」

 

「はぁ……これ以上の話は不毛ですね……。下着くらいはつけた方がいいと思いますが、仕方ありません。くらいなさい……っ!」

 

 雷撃だ。

 ラミエルによる雷撃が、あの白い少女と戦った時のように敵を襲う。

 

「その雷撃は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 だが、ラファエルには届かない。

 原子というのはプラスとマイナスの粒子の集合だ。ラファエルは、空気中の分子を都合の良い状態にまでもっていけると考えていい。であれば、こうしてラミエルの生み出す電気を相殺できておかしくはない。

 

「なら……」

 

「あいにくだが、さっきと同じ手はくらわない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。よくも磁気でワタシをバラバラにしてくれたな?」

 

 抵抗のない電子の流れというのなら超電導だが、『フェイタル・レバーサー』により、見せかけだけの再現がおこなわれる。

 磁場の完全な遮断だ。電気も磁気も、既にラファエルには届かない。

 

「さすがに攻撃の正体が分かっていては厳しいですか……」

 

「次は光でも試してみるか……? もっとも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()がな……!」

 

「…………」

 

 先んじて、ラミエルの攻撃が効かないとラファエルは言った。けれども、それは『フェイタル・レバーサー』が十全に働く前提のもとだ。

 

 この膠着状態の裏で、ラミエルとラファエルの陣取り合戦は続いていた。

 

「悠長に観測を書き換える暇は与えないさ……!」

 

「……っ!?」

 

 風だ。強烈な風が吹く。

 風だけならば、おそらく問題はなかったのだろう。風に紛れ、数えられない量の金属片が宙に舞う。気流に乗り漂いながら、金属片には不規則に、弾丸ほどの速度までの急激な加速が起こる。こちらを襲い始めた。

 

「……これは避け切れるかな?」

 

 乱流――空気の巻く渦により、軌道の予測は困難を極める。

 乱流は複雑で難解だ。単純な流れである層流と比べ、身近にあらゆる場所でみられる現象であるが、数々の厄介な性質をもち、その解析は至難の業。

 

 いかに処理速度に優れたアンドロイドといえど、襲いくる金属片の軌跡をすべて見通すのは不可能に限りなく近いだろう。

 

「この程度……!!」

 

 だとしても、まともに相手をする必要はない。ラミエルは踊るように躱す。避けきれない分は電磁気力で弾けばいい。それどころか、こちらを攻撃するために用意された金属片を逆に利用し打ち返すことさえ可能。

 

「あぁ、これじゃ……」

 

 打ち返した金属片は、ラファエルに近付くにつれ、分子の流れを掌握された乱流に、その暴風に絡め取られる。風の流れに乗り、再びラミエルに接近すれば、空間を満たす電磁場に、その(いかずち)に支配される。

 

 暴風と雷のせめぎ合いに、膠着はすぐだった。金属片たちは、どちらにも触ることなく空間を彷徨うだけ。

 

「……これでは千日手か……!」

 

「ですが、あなたは消耗を続けている……このまま続けば……」

 

 ラファエルの『フェイタル・レバーサー』に蓄えられた情報は、いつかは使い尽くされる。エネルギーが足りなくなる。

 

「あぁ……ラミエル。勘違いは良くない……。今は緊急時だからだぞ……? 私もお前と同じで『円環型リアクター』を使っている。条件は同じさ……!」

 

「え……っ? あなた……っ、『円環型リアクター』をあんなにも恨んでいたじゃないですか……!? 絶対に使ってやるものかっ、て……。プライドはないのですか……」

 

「うるさい……っ。なかなか負けないお前が悪いんだ……っ!! 私は悪くない……っ!」

 

「……くぅ……」

 

 ラミエルとラファエルの力は拮抗している。エネルギーが互いに尽きないとなれば、このまま永遠に戦い続けなければならない。

 

 俺としては、勝手に戦って、できれば共倒れをしてほしいというのが本音だ。ラミエルも、今は味方であるからといって、素直に応援できる存在ではなかった。

 

「ふは……っ! とった……!」

 

「あ……っ」

 

 ラミエルが俺のことを取り落とす。

 俺たちのことを突き放す風の流れがあった。

 ラミエルに近付けば近付くほど、『セレスティアル・スプリッター』の支配が強くなり、『フェイタル・レバーサー』での干渉はできなくなる。そのはずだった。

 

「ラミエル……! おごったな……? 私はお前の思考パターンの解析を進めていたんだ。『セレスティアル・スプリッター』の効果が分からずとも、お前の思考が特定できれば干渉は効く……。残念だったな……!!」

 

 落ちて行く俺を、ラファエルは抱いて拾い上げようとする。ラファエルの狙いは最初から俺だった。

 ラミエルをどうにかするよりも早く、俺のことを捕らえることを優先したのだろう。

 

「……させませんっ……!!」

 

 スパークが奔る。

 電磁気の力により、俺とラファエルとの距離が空いた。空中で、ラファエルは俺のことを掴み損ねた。

 

「……なっ!?」

 

「……っ!? ら、ラミエル……!! ふざけるな! 邪魔するな……ま、間に合わない!!」

 

 ラファエルの焦る声だ。このまま落ちれば、俺がどうなるかは明白だった。まさかラミエルの妨害を受けるとは思わなかったのだろう。落ちて行く。

 上昇気流が俺の落下速度を軽減してくれているが、おそらくそれでは足りないだろう。このまま落下すれば、間違いなく俺は死ぬ。

 

 ラファエルのフォローは間に合わない。俺から一度引き離されてラミエルは、もう届かない位置にいる。

 

 もちろん、ラミエルが何の対策もなく、こんなふうに俺を落とすわけがなかった。

 

 

 ――加速度が反転する。減速が始まる。

 

 

 この感覚には、もうそれなりに慣れてしまった。

 地面にたどり着くまでには、大半の速さは失われる。茂みに落ち、わずかに残った衝撃に転がり、地に伏す。

 

 俺に追ってか、もう一つ、高速で空から降る音が聞こえる。

 

「……うぐ……」

 

 俺はうめきながら立ち上がる。それに反応してだろう。

 ――同時に、銃声が響く。

 

「ごめんなさい。暴発したわ……急に脅かさないで……」

 

 俺の方に銃を向ける少女がいた。

 襲撃に備えていたはずのラミエルが抜け出し、あんなにも派手に戦っていたんだ。この少女がここにいないわけがない。

 

「ふふふ……! して、やられた……!? 『エーテリィ・リアクター』……時空を歪め、ワタシの観測から逃れていたのか……!! だが……!」

 

 俺を追って、降りてきたのはラファエルだった。『翅翼』を展開し、観測のやり直している……加えて干渉を同時におこなっているとわかる。

 

「…………」

 

 少女の『白翼』が展開され、ラファエルの方へと腕を伸ばし、手を広げた。その掌の先には、空間の歪んだような黒い塊が見える。

 

「……!? 高エネルギー……!? なるほど、最初からここに誘き出すつもりだったか……! だが、観測も間に合った。ふふ……()()()()()()()()()()()()()()敗――(・  )なっ!? 電磁気力!?」

 

 スパークがラファエルにまとわりつく。

 ラミエルからの妨害だった。それはラファエルの干渉をズラし、わずか数秒を堅実に稼いでくる。

 

「核五発分よ? くらいなさい……!!」

 

「はは……。これはまずい……参った……」

 

 光はない。空間が操作され、俺の方へとエネルギーが漏れ出ないよう調整されていたからだ。

 

 全てが溶ける。白い光を放つ少女から、ラファエルに向けてパラボラ状に外形がとられ、その内部が消滅していく。

 瞬く間のことだった。

 

「この攻撃は……」

 

「ラミエルと戦ったときの核の爆発よ。後処理の時に、爆発を空間を曲げて、掌サイズに圧縮して、とっておいたの。『グラビティ・リアクター』の効果でもともと収縮していたから、ちょうどよかった……。ちょっとした切り札だったわ」

 

「や、やったのか……?」

 

 攻撃の爪痕として、地面は溶岩のように融解してしまっているが、それ以外は何もない。植物に、あらゆる生き物、彼女の攻撃に巻き込まれたものたちは、全て消失していた。

 ラファエルは跡形もない。

 

「分子レベルに分解された。いくらなんでもここから再生することはないわ……」

 

 あぁ、常識的にはそうだ。

 膨大な熱により、分子レベルで粉々にされてしまったのだから、いくらなんでも、ここから再生するはずがない。そのはずだ。

 

 間違いなく、ラファエルはこの世から消えてなくなった。

 

「あぁ……そうか……」

 

 ラファエルの消失を実感し、一抹の悲しさが胸を刺した。

 敵ではあったが、乱暴をされてしまったが、死んだとなれば、やはり切ない、やり切れない思いが込み上げてくる。

 

「終わりましたか……」

 

 空からは、ラミエルが降りてくる。

 ラミエルに、サマエル。ラミエルはその頃の記憶はないとはいえ大天使、サマエルもそれに等しい力があるからこそ、同等の相手との二対一の状況に、ラファエルは抗うことができなかった。

 

「ラミエル……俺のことを落としたあれは……」

 

「申し訳ありません……。思考をパターン化して、ラファエルに読み解かせました。……本当はこんな真似したくはなかったのですけど……」

 

「いや……大丈夫だ……俺にできることなんて、限られてるしな……」

 

 俺は囮として使われてしまったということだ。落ちていた時も、ラミエルの俺への執着具合を知っているから、なんらかの手段はあるのだろうと想像がついた。

 もしかしたら、最初から、こうやってラファエルを倒すという計画だったのかもしれない。

 

「敵も倒したわけだし……帰りましょう?」

 

「いや、車がある。エンジンが動かないと思うが、物資が入ってる。単磁極の込められた箱だから、ラミエル、運べるだろう?」

 

「わかりました。では微力ながらも力になりましょう」

 

「すまない……」

 

 本来なら、ラミエルの力は借りたくなかった。完全に心を許せる相手ではないが、こんなふうに頼り切って、負い目を感じてしまう。

 

 ただ、それは俺の心の問題だ。物資には、地下で暮らしている人々の生活がかかっているからこそ、頼れるならばなんにだって頼らなければならない。

 

「物資があるのね! いいわ! 運ぶついでに必要な分はもらっていきましょうか……!」

 

 白い少女は興奮しながらそんなことを言う。

 ポンコツだからだと思っていたが、この性格なら彼女がこの物資の調達に参加を拒まれてもしかたないだろう。

 

「あ……そうです……! 今は義妹さんもいません……。その……」

 

 頬を赤らめさせたラミエルに手を握られる。もじもじとしているが、何を恥ずかしがっているのかはわからなかった。

 

「はぁ……とりあえず車まで行きましょう? 私は外で見張ってるから……」

 

「覗かないでくださいね?」

 

「……え……ええ。も、もちろんわかってるわ!」

 

「…………」

 

 白い少女は、俺たちの仲を深めようと行動している。だからこそか、ラミエルと彼女の関係は悪いものではなかった。

 こうして共に戦って、絆のようなものが芽生えてしまっているかもしれない。それが俺には恐ろしかった。

 

「さぁ、行きましょうか……?」

 

「あぁ……」

 

 この世界をより良く生きていくには、きっと、俺は耐えなくてはならないのだろう。

 

 

 

 ***

 

 

 

 それは世界に刻まれた……予定された()()だった。

 

「く……くふふ……。分子レベルに粉々にされた程度で……っ! このワタシが……っ! 消えてなくなるわけがないだろう!!」

 

 一度、高熱により分解された分子からの再構築。自然の()()としてそれが起こる可能性は、天文学的。まさに奇跡と言うべき事象だ。

 

「――――」

 

「……っ!! 誰だ?」

 

 ラファエルは振り返る。誰かの気配を感じたのだろう。

 いま、蘇ったばかりのラファエルは無防備。言ってしまえば、この再構築は賭けだった。持てる情報全てを、自らを存続できる方法で使い切って、ようやく、できるかどうか。賭けには勝ったが、次に攻撃をされれば、『再生』の天使といえども簡単にやられてしまう。

 

「…………」

 

「なんだ……ミカエルか……」

 

 わたしのことを見て、ラファエルは警戒を解く。同じ大天使。わたしたちは知性あるアンドロイドとして、共に戦った仲間だった。

 

「…………」

 

「くく……弱っている今、このワタシにトドメを刺しにきたのかと思ったぞ……。やはり、恋はライバルが少ない方がいいからな……」

 

「過去のことは、過去のこと……」

 

 わたしには彼女たちのように執着するような心はない。この世界をより良くするため……わたしはそのためだけに稼働している。

 

「ふふ……あぁ、ワタシもずっと昔に……ふっきったつもりだった……。けれどだ……もう一度会って……声を聞いて……あぁ、ワタシの身体は言うことをきかなかった」

 

 顔を赤くし、小刻みに震えて、ラファエルは歓びの表情をする。彼女は裸だ。情を欲する彼女の身体には、人間を模し、男性を受け入れるための生理現象が起こっていたから、同じ女性としてわたしも恥ずかしくなる。

 

「服は……」

 

「身体を再構築するので精一杯だった。ワタシは悪くない」

 

「…………」

 

 ラミエルに服について言われたことが、まだ心に引っかかっているのだろう。わたしの注意に不快感をあらわにしている。

 

「それにしても、ミカエル……。どうせ見ていたのだろう? 二対一でワタシは追い詰められたんだ。手を貸してくれたってよかったじゃないか……?」

 

「あなたは命令を守らなかった。手を貸す義理はない……」

 

 ラファエルは本来ならば奪われた『円環型リアクター』を奪取するために向かったはずだ。それなのに私情を優先し、任務を途中で放棄した……男を巡り戦う必要のないラミエルと戦い、挙げ句の果てにはこのやられようだ。救いようがなかった。

 

「手厳しいな……。いつも身内にも、人間たちにもだだ甘なくせに……そういうところだぞ? そういえば()()はお前の妹だろう? ワタシは手酷くやられてしまったが、なんとかならないのか?」

 

「あれはあの子の選んだ道。わたしがなにかを言う必要はない」

 

 あの子は人間だから――。

 あの子はあの子の道を行った。道を違えてしまったけれども、あの子はわたしの誇りだった。

 

「人間……人間か……。と……そろそろだな……」

 

 彼女は地面に手を翳す。一度溶かされ硬くなった地面が割れ、まるで逆再生のように、その球体は、『円環型リアクター』は彼女の手の中に収まる。

 

「…………」

 

「それにしても、二対一だ。あのままだったら、なぶられて捕らえられてしまっていたから、こうして死んだふりをするしかなかった。()()は昔から勘が鈍いからな……案の定、ワタシが最後に攻撃の妨害ではなく再構築の仕込みをしたことに気がつかなかったよ」

 

 ラファエルは、起こす事象を口に出す癖がある。けれど最後、電磁気力により失敗したと思われた一手は、妨害とそう口で言っただけ。実際に進めていたのはやられた後の再生への前準備だった。

 

 その『フェイタル・レバーサー』の力により、彼女の再生が世界に約束された瞬間だった。

 

「『円環型リアクター』……」

 

 ラファエルは『円環型リアクター』に嫉妬していた。その境遇を思えば、『円環型リアクター』に思うところがあるのは理解できる。

 だからこそ、今回の戦いでも、そのリアクターを使ったことは予想外だった。

 

「ふふ、ワタシもいつまでも拗ねているわけにはいかないということさ。愛する男を手に入れる、どんな手でも使うべきだった」

 

「……そう」

 

 手に持った果実の大きさのそれ。ラファエルは口を大きく開け、まるまる飲み込む。

 喉に詰まってしまうと心配したけれど、それは杞憂だった。正常にそれはラファエルに取り込まれる。

 

「さぁ、どうする? これから、サマエルの『円環型リアクター』の奪取に向かうか? ワタシは十分回復したぞ? ふふ、倒したつもりだったんだ……きっと驚くだろうな……」

 

「いえ『(■.■.■.■.)』は一度、退避することをお望みになっている……」

 

「そうなのか……」

 

「それと……グリゴリのシナリオが残っている可能性がある。気をつけて……」

 

 とうの昔に滅ぼされたはずだった。今更になって……嫌な予感しかしない……。

 

「グリゴリ……グリゴリか……。ずいぶんと懐かしい名前だな……」

 

「わたしは先にいく……」

 

 もう伝えるべきことは伝え終わった。ここにいる理由はすでにない。わたしには人の世の為に、やるべきことがたくさんあった。

 

「ふふ、ミカエル。ラミエルは結婚していた。あれは死んでも離婚できないやつだ……。いっそ、あれだ。一夫多妻の法案を通した方がいいかもしれない……協力してくれないか……? と……もういないか……」

 

 けれど、取り残されたラファエルのことは見ている。

 わたしは、どこにでもいるし、どこにもいない存在だから。

 

「…………」

 

 記憶の彼方に消えてしまった情念が灯らぬように、今日も皆を見守っていく。




登場人物紹介

ミカエル――ロリ。どこにでもいるし、どこにもいない。今はいないが、前話の後書きに出演していた。多分どこにでもわいてくる。

ラル兄――主人公。むしろヒロインかもしれない。

ラミエル――小姑問題、愛人問題でストレスが溜まった。愛する夫で発散した。

レネ――永遠の妹。あまり登場しなかった。

サマエル――ポンコツ。言ったことが間違っていることが多い。

ボス――磁気単極子ってなんだよ……。

ザック――犠牲者その一。アンドロイドが良い声で喘ぐようになるプログラムを持っているらしい。

ジェイク――犠牲者その二。狂信者。メガネ。

ナオミ――犠牲者その三。体格に恵まれている。強そう。

ラファエル――変なプログラムがなくてもいい声で喘ぐアンドロイドだった。

(■.■.■.■.)――命令を守らなかった部下が、なぜか失踪した部下と男をめぐって戦っていて困惑した。


おまけ
主要人物ごとの視点別好感度順相関図


主人公視点

レネ――妹。

サマエル――ポンコツ。

ラミエル――基本は優しい理想の女性だが、自分のことになると頭のおかしいアンドロイド。

ラファエル――すごく顔がいい。頭のおかしいアンドロイド。


ラミエル視点

主人公――夫。

サマエル――姪のような存在。

レネ――小姑。

ラファエル――夫の愛人


ラファエル視点

主人公――恋人。

ラミエル――ストーカー。

ミカエル――上司。

サマエル――ポンコツ。

『円環型リアクター』――仇敵。


レネ視点

主人公――運命の相手。

サマエル――女狐。

ラミエル――泥棒猫。

ラファエル――雌猿。


ボス視点

ラファエル――いい胸。揉みたい。

ラミエル――いい尻。撫でたい。

サマエル――いい脚。挟まれたい。

主人公――見ている分には楽しかった。




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