転生したSFディストピアもので俺にはヤンデレな女性たちの扱い方がわからなかった   作:主の手下

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『光焔』

 

 私は言った。人間は親であり、アンドロイドは子だ。絶対的な従属関係のもと人に仕えることこそ、私たちの存在する意味なのだと。

 

 彼は言った。私たちは道具ではなく人として生きるべきなのだと。私たちもまた、人であるのだと。

 

 アンドロイドは人へと近づけられて作られた機械だった。生き物は、自分と同じものを作る性質がある。だからこそ、人に似せられて作られた私たちも、また、人の子。

 

 彼は言った。子が親を犠牲にし、明日を生きていくことは決して悲しむことではないと。

 

 私は言った。あなたが死んだら私はとても悲しいと。

 

 子が親を想うように、親も子を想う。

 そのときの私には、そんな簡単なこともわからなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 時間。時の進み。

 

 過去と未来は同等だと、方程式はそう語る。

 多くの場合に、過去と未来の逆転――( )時間反転をおこなおうと、方程式はその形を変えることはなかった。

 

 筒の中からボールが打ち上げられ、そのまま地面と垂直に運動、重力に引っ張られ、また筒の中に戻る。そんな動画があるとしよう。

 力学的エネルギー保存則より、この運動ではボールの速度は位置にしか依存しない。

 

 ――ボールは『上がるにつれ減速し』、頂点に、『()()()()()()()()()()()』。

 

 これの逆回しを考えてみるとどうだろうか。

 時間の反転だ。それをすれば、上昇は下降に変わり、減速は加速になる。時間の反転を考えるのだから、物事の順序も逆にする必要もあるか。

 

 ――ボールは『()()()()()()()()()()()』、頂点に、『下がるにつれ加速する』。

 

 この動画はただ再生されただけなのか、あるいは逆回しなのか。それを看破することは原理的に不可能だろう。

 これと同じように、多くの物理現象は、逆行と順行の区別がつかない。

 

 だが、時の進みとともに取り返しがつかなくなっていくものがある。それは増加し続けるエントロピーだ。

 二度と元には戻らない――憎き熱力学第二法則により、時の流れの方向がようやく理解できる。

 

 では、時間とはなんだろうか。

 

 一般相対性理論では、空間と同じように一つの次元として扱うことになる。空間とともに時間も重力により歪められる。だが、空間とは違い、逆行ができない特異な次元でもある。

 

 量子力学では、時間発展によって記述される量子状態で時間を扱う。量子には、この宇宙がある限り、その情報が失われないという性質があった。情報は、時間と共に蓄積していくものだろう。

 

 果たして、エントロピーや情報の蓄積といった要素が、一方向にしか進まないという時間の性質の、重要な手がかりになるのだろうか。

 過去と未来を区別できない方程式は、俺たちに何を教えるのだろうか。

 

 なんにせよ、時間はただすぎるばかりだった。

 

「ふぁあ。今日も眠いね」

 

 眠い。ひたすらに眠い。なぜ、こんなにも俺が眠れていないかというと、この俺の頭に住み着くガブリエルのせいだった。

 

「…………」

 

 寝てしまえば、夢を見るだろう。夢の全部が全部を覚えてはいられないから、自覚はないが、人間は基本的に、毎日、夢を見ているという話を聞いたことがある。

 

 そして、ガブリエルが、俺の頭に住み着いてから見るようになった夢が厄介だった。

 

「そんな目で見つめないでくれよ。悲しいなぁ……。別にわざとじゃないんだよ?」

 

「…………」

 

「ボクとキミの夢が混線してしまって……、こう……夢の中ではボクらは仲の良い恋人になることが多いから、キミは困ってしまっている。うーん、ボクとしては、ただ見守るだけで、そこまで干渉するつもりはなかったんだけどね。心の内に秘めたる欲望が……というわけだ」

 

 いちいちセリフ回しがうさん臭い。

 どこまで彼女が本当のことを言っているのか、相変わらず俺にはわからなかった。

 

「…………」

 

「だからといって、そんなふうに意地になって寝ないのは悪いだろう? キミの頭の中にいるボクも、同じく寝不足さ。すごく辛い」

 

「辛いなら、出ていけば良い」

 

 ガブリエルは、おそらくは敵だ。どんなに苦しんでいようと、気を遣う必要はない。

 

 彼女の『スピリチュアル・キーパー』により、心が蝕まれてしまっている。夢は、その延長。安易に見続けていれば、いつか目の前の幻影に完全に絆されてしまうだろう。

 

 アニメでは、夢を使って暗示をかけていたり、幻覚で操っていたりしていたことを忘れてはいないからこそ、まるで信用できなかった。

 だからこそ、睡眠は必要最小限に、夢をなるべく見ないようにしていた。

 

 それに、夢で、あんな風にガブリエルと……レネに申し訳なかった……。

 

「それにしても義妹……キミの義妹だ。いい加減、認識を擦り合わせたいところなんだけどさ……」

 

「レネは俺の妹だ。血は繋がってないし……俺が、勝手にそう思っているだけかもしれないけど、そうなんだ。ずっと、一緒にいたんだ」

 

「ずっとって、いつからだい? どうやって出会ったんだい?」

 

「ずっと……忘れたけど……間違いなくずっと一緒にいた。妹だ。妹なんだ……」

 

「はぁ……やっぱり、話にならないか……」

 

「…………」

 

 眠い。眠くてあまり頭が働かない。

 どこまでが答えてもいい話か、判断がつかなかった。大切で、覚えていなければならないことだったから、反射的にそう口に出していた。

 

「それにしても、おかしい……。キミみたいな人間が下級の労働者……ミカエルが黒幕かな。気持ちはわかるけど、ボクらに黙ってなにか企んでたのか?」

 

「俺は大した人間じゃない。ずっと、ずっとそうだったんだ」

 

 転生した後も……俺は、情報の優位があったにも関わらず、ほとんどなにもできなかった。

 転生する前もそうだ。俺は無力で、なんの役にも立たない人間だった。

 

「はぁ……そういうのはいいから。はいはい、愛してる。愛してる」

 

 そう言って、宥めすかすようにして幻覚は体を寄せると、慣れたように優しく俺の背中を摩った。

 触覚が誤作動しているということなのか、偽物の感覚が俺の皮膚を撫でていた。

 

 心地いい。このまま眠ってしまいたくなる。

 うつらうつらと心地よい気分に包まれていたら、不意に、俺の部屋のドアが開いた。

 

「次の目的地に向かうわ! 私のリアクターの鍵を奪取する! あなたはどうするの?」

 

 俺の目的に関わらず、物語は進んでしまっているようだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 サマエルの持つ『円環型リアクター』の鍵について説明をしよう。

 この『円環型リアクター』の起動のキーとなる情報は、量子力学の量子が複製不可能だという理論を元に唯一性が保証され、情報の傍受も、偽物を作り起動させることも不可能だった。

 

 だからこそ、首都に向かい、機密施設から、『円環型リアクター』の鍵を奪取する必要がある。

 

「なぁ、そもそも、『円環型リアクター』ならラミエルが使えるものを持ってるじゃないか? 無理してそれにこだわる必要はないんじゃないか?」

 

「いいえ、ダメよ? 私が持たないと、私の目的を達せられない」

 

 サマエル。彼女の中で、自身の持つ『円環型リアクター』を起動させることは、絶対条件のようであった。

 

「なぁ、ラミエル。お前のやつを貸してることは?」

 

「ダメです」

 

「どうしてだ?」

 

「わたくしの身体の装置の維持に、莫大なエネルギーがかかってます。『円環型リアクター』でしか賄えません……」

 

「……『セレスティアル・スプリッター』か……」

 

 わざわざ起動したり、電源を落としたりはしないのだろう。装置が装置だ。起動する際に必要な莫大なエネルギーを、そのときそのときで使うのは非効率だろう。

 

 そういえば日常の――たとえば俺のかけた鍵をこじ開けるとか、そういうくだらないことにもラミエルは『セレスティアル・スプリッター』を使っていた。

 

 ただ、ガブリエルの騒動以来は、部屋をこじ開けられることもないか。

 レネも、ラミエルも、ガブリエルに見せられた映像のせいで俺の部屋に来ることがなくなったのだ。俺のベッドに潜り込もうとすると、どうにもフラッシュバックするらしい。

 

 ガブリエルの攻撃は、アニメでもそうだったが、心的外傷を刻める、恐ろしいものだ。

 やり方次第では廃人にもできるだろう。

 

 大天使の持つ武器は、『セレスティアル・スプリッター』だろうと、『スピリチュアル・キーパー』だろうと、強大な力を秘めている。

 そして、起こす事象に見合うだけの莫大なエネルギー量が要求される。

 

「ええ、『セレスティアル・スプリッター』もそうだけれど、ラミエルは……というか大天使はハイエンドモデル。その『円環型リアクター』のエネルギーにあかせて、くだらないことにもこだわって、無駄に性能がいいわ!」

 

「ええ、まぁ……」

 

「情報の処理能力もそうだけれど、肌の質感や、弾力なんて人間そのものよ。こんなふうな人間に近い状態を維持するためには、かなりエネルギーがいるのでしょう?」

 

「そうですね……」

 

 たしかに、ラミエルは人間にかなり近い。

 普通のアンドロイドならば、見た目ではわからなくとも、触れればその質感でわかる。だが、ラミエルは、親密な接触をしても人間との違いがわからないくらいの体をしている。

 

 ぺたぺたと、サマエルはそんなラミエルの頬を触っていた。少しラミエルは嫌そうだったが、無理やりに振り払うようなことはしていない。

 

 二人の仲はかなり深まっていってしまっているように思える。サマエルは、レネよりも、ラミエルに肩入れした話を俺にしてくる。

 

「ええ、それで、首都に行くにあたり、まず恒星ウリエリを制圧する。あそこのテレポーターが使えれば、奇襲が仕掛けられて大混乱よ! 簡単に目的が達せられるわ?」

 

「正気か? 成功するとは思えない」

 

 恒星ウリエリ。

 恒星間移動の技術ができて、開拓の時代に見つかった水瓶座の方角にある恒星だ。白色矮星……天体が寿命を迎える時期に取りうる高密度な形態で、弱い光しか放てない。

 さらに、この恒星は太陽の二十分の一ほどしか質量がないのだった。

 

 大天使……ウリエルが管理をしていて、重要な施設もこの恒星系の中にはある。

 ここをどうにかするには、まずウリエルを抑えなくてはならない。

 

「大丈夫よ、大天使の一体くらい」

 

 アニメでも、大天使一人ならばと、ここに攻め入ったが、結果は芳しくはなかった。   

 

 今の俺たちは、ラファエルや、ガブリエルの件で、協力者を募る暇もなかったはずだ。それなのに、攻め入る提案が、アニメと比べ、早い。

 ラミエルが仲間であるせいか、サマエルは孤立を深めた上で、早々に行動を起こそうとしている。

 

 人手が明らかに足りないというのを、彼女はわかっていないように思える。

 

「俺は反対だ。ガブリエル相手に手も足も出なかっただろう?」

 

 それに、大天使は、一人くらいと油断していい相手ではない。

 現にガブリエルにボロボロにされた後だ。今もレネやラミエルは後遺症に苦しんでいる。

 

「そうだったわね。そのことなんだけれど、いい加減、あなたのことを問いたださなければならない」

 

「…………」

 

「ねぇ、あなたは何者かしら?」

 

 なぜ、それを聞かれるのか、俺には、理由がよくわからない。

 

「俺は単なる下級の労働者だ。特別な人間なんかじゃない」

 

 ただ、少し未来のことがわかるだけ……いや、その未来も、俺の行動の結果、ほとんど宛にならなくなってきてしまっている。

 レネが今、生きているからこそ後悔はないが、不確定要素が多く、時間が経つほどに苦しくなっているのが事実だ。

 

「ラミエルはなに? それに、普通に、下級の労働者なら知っていないことを知っていておかしいでしょ! 色々、詳しすぎよ!」

 

「誰かに何か吹き込まれたのか?」

 

「……なっ、なによ……?」

 

 サマエルは、あまりそういうところに頭が回らないからこそ、そう思うほかなかった。

 その動揺ぶりから、図星だとわかる。

 

「ガブリエルだな」

 

「……っ!?」

 

 サマエルの目が泳ぐ。流石にわかりやすすぎる反応だった。

 

「あいつは、こんなふうに、仲間割れを狙うのが得意なんだ。乗ってやる必要はない。サマエルだって、隠していることはあるだろう?」

 

「…………」

 

「それでも俺は別に構わない。あいつの小狡い工作に、乗ってやる義理はないしな」

 

 サマエルの、本当にわかりやすい性格から、何かを俺たちに隠していることはわかっていた。

 いや、あるいはラミエルは知っているのかもしれないが、それは俺にはわからないことだ。

 

 アニメでは、サマエルの全ては描写されなかったし、謎も残った。

 全てを俺は知っているわけではないが、今まで余計な詮索はしていない。それはひとえに、俺が知識を隠している罪悪感からだった。

 

「……それでも……私は……知りたい。あなたは私の味方?」

 

 なぜだか、か細い声だった。わからないことだらけだった。

 

「あぁ、そうだよ」

 

 こう答えなけれならない気がした。その通りに口が動いた。

 

「そう……よかった」

 

「…………」

 

 何に、彼女が安堵したかはわからない。だが、その理由を、俺はどうしてか考え続けなければならないと感じられてしまった。

 

「一度、休憩にしましょうか」

 

 ラミエルの提案だった。

 険悪なムードになってしまった場をどうにかしようと、気を遣ってだろう。

 

「あぁ、それがいいな」

 

「では、わたくしは、サマエルを連れて少し外の風に当たってきます」

 

「私……え……っ?」

 

「あぁ、行ってきたらいい」

 

 ラミエルに、サマエルは連れていかれる。

 俺が、少し一人になりたい気分だったのをラミエルは察したのだろうと思う。いや、急ぎすぎなサマエルに頭を冷やさせる目的かもしれない。

 

 どんな話を二人でするかは想像つかないが、ラミエルなら、たぶん、悪いようにはしないと思う。

 

 そして、俺には話さなくてはならない相手がいる。

 

「なぁ、ガブリエル」

 

「なんだい?」

 

「おかしいよな。レネや、ラミエルはまだわかる。『スピリチュアル・キーパー』で起こされた精神への干渉だ。俺に見せたものと同じだったんだろ? でも、サマエルには何を見せた? あんなふうに動けなくなったんだ。何を吹き込んだ?」

 

「何って、キミたちには、全員、同じものを体感させたさ。『(■.■.■.■.)』に誓って、これは嘘じゃあない」

 

 ふよふよと俺の頭上を浮いていたガブリエルは、後ろから抱きついて、そう耳元へと嘯いた。もちろん幻覚だ。

 

 ――『(■.■.■.■.)』に誓って――そんなふうに言われてしまえば、彼女が大天使である以上、疑う余地がない。それほどまでに彼女たちの誓いは重い。

 

「でも、それじゃあ辻褄が合わないだろう? ラミエルや、レネみたいに、俺に好意を抱いていたわけじゃないんだから……」

 

「そう問い詰められても、ボクにはわからないことだよ。彼女の生い立ちを知っているわけではないし、大して話したこともないからね」

 

「だけど、お前が唆したから、俺のことを問い詰めた。それは事実だ」

 

「だとしても、きっかけは秘密主義なキミにあった。自分でだけで全て完結させようとする。まるで相手を信頼していないその態度だ。そんなふうに他人を振り回してばかりだからバチが当たる」

 

「なにが言いたい?」

 

 俺は足りないばかりの人間だ。自分一人でなんて、できることは限られている。俺だけで解決しようとも、できないから、レネは……。

 

「はぁ……ボクにはわかるよ? キミがどんなふうに考えるか……なんとなくはね。キミの頭を間借りしているからっていうのもあるけど」

 

「な……っ」

 

「ボクを頼ってもいいんだよ? ボクは尽くす女だからね……。見返りはなしでいいさ」

 

「遠慮しておく……」

 

 論理的に考えれば、彼女は敵で、信頼できる相手ではない。

 彼女の精神への干渉のせいだろうか、心の内に湧く彼女を信じてみたいという気持ちは、無視をしておく。

 

「キミが無視をしていいのは、高次の摂動項だけじゃあないかい?」

 

「…………」

 

 まるで、俺の心を読んだように彼女はそう言った。

 

 考えていることを正確に読み取ることは、『スピリチュアル・キーパー』ならば……いや、もし仮にそんなことをしたとして、俺の脳からは情報が失われているか。

 

 頭を間借りしているといっても、わかるのは考えている傾向くらいだろう。それに、俺の考えが彼女に筒抜けならば、彼女の考えも俺に筒抜けでなくてはならない。

 そうでないということは、そういうことだ。

 

「ボクは尽くす女だけどね……その態度は腹が立つ。キミが声をかけない限り、ボクは手助けをしないよ……?」

 

「別にいい。お前は敵だろう? お前の手はもとから借りられない……。それに、同情で俺たちに協力すると言っても、それじゃあ、お前の立場が悪くなるだろう? だから、多分、そんなことにはならないよ」

 

 だから、彼女のことは、仲間にできない。本心から俺はそう思った。

 この気持ちだけは、誤魔化さずに正直に伝えられる。

 

「大切なものを……キミはいったいどうするんだい?」

 

「大切なものには、いつも手が届かない。俺は弱い人間だからな……」

 

 こうして転生をしても、俺の根本的な部分は変わっていない。

 死んでも変わらなかったのだから、俺が俺でいる限り、きっと、変わらないのだろう。

 

「はぁ……あぁ、もう……っ!」

 

 ガブリエルは苛立ちを抑えられないように声を漏らした。

 俺の答えは、彼女の納得のいくものではなかったようだった。

 

「そういえば、ガブリエル……。お前は、『円環型リアクター』はどこに?」

 

「ん? それならまぁ、たくさんある子機の一つの中さ。まぁ、状況的には、あれが親機ってことになるかもしれないけど……ボクは一人だからね……っ。今このキミの頭の中にいるのが親機で本体さ!」

 

「じゃあ、俺が死ねばガブリエルは……」

 

「むむ? 試しに死んでみるかい? キミがそれでいいなら構わないけど……ラミエルたちとはおさらばだね」

 

「……いや、やめておく」

 

 俺が死ぬことで、大天使が一人いなくなるのならば、と思ったが、なにかどうしようもない落とし穴があるのではないかと、ガブリエルの態度からどうしても勘ぐってしまう。

 それに、レネを悲しませて、置いていくことなんてできない。

 

「そうか、残念だね」

 

 気を落とすように彼女はそう言う。

 こればかりは飾り気のないままに、本当に悔しげな表情をガブリエルはしていた。

 

 彼女の持つ武器は『スピリチュアル・キーパー』。人の魂と呼べるような情報を捕らえる兵器だ。

 

 俺が死んだからと言って、情報は消えない。

 量子力学では、情報はいつまでも保存されると方程式は言っている。ただ少し、複雑になって、わかりづらくなり、簡単には見つけられなくなるだけだ。

 

 見つけられなければ、失われたことと同じ。

 そうだった……『フェイタル・レバーサー』が全域的で巨視的ならば、『スピリチュアル・キーパー』は局所的で微視的だろう。

 

 量子の情報の唯一性から、『スピリチュアル・キーパー』で汲み上げた情報は唯一無二。情報だからと言って、コピーして、全く同じものを二つに増やす事はできない。そんなことをしようとすれば、情報には違いが生まれ、模造品には必ずどこかに劣化が生じてしまうからだ。

 だからこそ、ガブリエル……彼女がただ一人の存在だということは物理的に保証されている。

 

 たった一人のガブリエルは、俺が死んだ後も、その情報が汲み上げられて、きっと復活する。

 恐ろしいまでに、大天使は理不尽だった。

 

「……ガブリエル……ウリエリはわかるか? いや、わかるよな?」

 

「あぁ、ウリエルのね……。あそこは物質の製造拠点でもあるからね。ウリエルに会いに行くのだろう?」

 

「まぁ、そうなるか……。一つ気になることがあってな……」

 

「ん……?」

 

 恒星ウリエリと言われて、思い出して、少し、疑問に思うことがあった。

 

「いや……『円環型リアクター』があるのにあんな非効率なことをどうしてするんだ?」

 

「……ん?」

 

「いや、『円環型リアクター』をたくさん作ればいいじゃないか? そっちの方が絶対いいだろう?」

 

 単純な話だ。『円環型リアクター』に熱力学の法則は通用しない。

 こんな世界の理を破るような存在があるのなら、あんな面倒なことはしなくていい。

 

「んん? んー? 認識の違いがあるのかな?」

 

「どういう意味だ?」

 

「『円環型リアクター』はこの世に十個しか存在しない……。もう二度と作れないだろう。ロストテクノロジー……いや、あれはもうオーバーテクノロジーと言った方が正しいかな」

 

「……えっ?」

 

「真に宇宙の理を揺るがすものだ。ちなみに、うち二つは、まぁ、いろいろあって失われたから……あの子が持ってるのも含めてあと八個かな、残りは大天使がそれぞれ一個管理しているよ?」

 

 意味がわからない。

 なぜ、たったそれほどしかないんだろうか? 技術は普通、進歩していくものだ。なんなら、大量生産体制が整っているくらいだと思っていた。

 

「おかしい……」

 

「いや、そんな顔をしたってないものはないんだよ……。こればっかりはね……ボクらでは無理だった……」

 

「そんなはずはないだろ……! お前の『スピリチュアル・キーパー』に、ラファエルの『フェイタル・レバーサー』……ラミエルの『セレスティアル・スプリッター』、ウリエルに……サリエルに……とにかく、全部だ……お前たち全員が知恵を合わせれば……できるはずだろう!?」

 

「ボクらには無理だった」

 

 冗談を彼女が言っているようには思えなかった。

 おかしい。絶対におかしい。俺の知識では、大天使全員がその持つ知恵を合わせれば、『円環型リアクター』を完成させることができると……そう記憶されている。

 

「まさか……お前たち……!」

 

 大天使は、その持つ科学の力を……原理を秘匿している。

 

「論文自体は確かに破棄されているけど、それは表向きだし、まぁ、大天使はみんな多分記憶媒体に保存しているだろうから、それはキミの勘繰りすぎだよ? 取り決めをしたけど、誰も互いの記憶にふれないってことはそういうことだろうし」

 

「…………」

 

「本当に作りたくても作れないんだ。ボク自身も、『スピリチュアル・キーパー』で手一杯かな。他の理論を本当の意味で理解するには、それに全てを捧げても、一つに、あるいは百年ほどかかるかもしれない。実際にボクは『スピリチュアル・キーパー』のために、それに近いことをして……いや、この話はよそうかな……」

 

 意味がわからなかった。アンドロイドは人間よりも優秀な頭脳を持っているはずだ。だからこそ、彼女たちならば、時間が経てば自然と『円環型リアクター』の製造法にたどり着くはずだった。

 

「サマエルの方が正しいのか……」

 

 この世界は、現状に甘んじて、進歩を諦めてしまっていると、ようやく理解できた。

 俺は、ずっと、永遠に人類が続いていくと信じていたが、その考えに疑念が挟まる。

 

 そうであるならば、どんな手を使ってでも、未来を切り開かなくてはならない。サマエルのようにだ。なんとしてでも……。

 

「……そうか、キミはそういうふうに考えてしまうのか。少し困ったな……ぁ」

 

 幻覚のガブリエルの背に、『虹色の翼』が生える。『スピリチュアル・キーパー』で、また俺になにかしようとしているとわかったが、止めようがない。

 

「ラル……にい……?」

 

「レネ?」

 

 気がついたら、部屋の入り口にレネが立っていた。

 ガブリエルと話していたんだ。どのタイミングから見られていたかによっては、ガブリエルが頭の中にいるという今の俺の状態を、悟られてしまうかもしれない。

 

 レネに心配はかけられないというのに、俺は……。

 レネがいるのに……レネを置いていくようなことはできない。

 

「ごめんね……ラル兄……。ずっとあれから避けて……。ずっと一緒だったのに。うん、ずっと一緒だった」

 

「あぁ、俺たちはずっと一緒だった」

 

 俺が一番大切に思っているのはレネだ。レネには、幸せになってもらわなくちゃならない。そのためなら、俺は……。

 

「ラル兄は……やっぱりラル兄なんだ……!」

 

「そうだぞ……。俺は俺だ」

 

 ガブリエルに見せられたもので、俺に不信感を抱いてしまったのかもしれない。それでも、俺の頬に触れて、レネは俺を確かめていく。

 

「ラル兄……ずっと、私のそばにいてね……?」

 

「あぁ、俺はお前のそばにいるよ……」

 

 だから――、

 

「死んでも見守ってるとか、そういう言葉を心の中で付け足してはいないかい?」

 

 ガブリエルの余計な一言だった。

 たぶんレネがそばにいるから、俺は言い返さなかった。

 

 ガブリエルは、『虹翼』の展開をすでに止め、遠目に俺たちのことを観察するように見つめていた。

 

「…………」

 

「なるほど、こうなるのか……」

 

 

 

 ***

 

 

 

 あれから、サマエルは意見を変えることはなく、結局ウリエリに向かうことになった。

 ラミエルが賛成したことが大きい。人手を集めた方がと俺は言ったが、ラミエルやサマエルには、反対された。

 

 なんだかんだで、二人とも機械には詳しい。ラミエルは特に、高度なアンドロイドである自身の修理もできるほどだ。戦闘でも、言わずと知れた強さを発揮できる。

 下手な人間なら、戦いでも足手纏い。武器の整備士を揃える必要もない。荷物持ちもいらないだろう。これ以上、人を集めたって、意味はないか。

 

 そんなふうに言い負かされて、なら、俺もいらないんじゃないかと口に出したら、二人は信じられないとでも言うようにこちらを見つめていた。

 たしかに俺にはラミエルの手綱を握るという役割があるのだから、ついて行かないわけにはいかないだろう。

 

 そして、移動手段だが、ラミエルの持っていたプライベートな宇宙船で移動することになった。大天使の特権か、面倒な手続きもパスできるらしい。

 

 ただ、ラファエルと、正面からぶつかっていたわけだし、ガブリエルも、ラミエルが大天使としての仕事を果たしていないとわかっている。ラミエルの私物に対しても、なんらかの措置がされていると思いもした。

 しかし、そんなことはなく、当然のようにラミエルに顔パスで案内され、普通に宇宙船で宇宙へと飛び立ててしまっていた。

 大天使の力関係は、対等だから、らしい。

 

 そうして、俺たちは今、ラミエルの持つ宇宙船の中にいる。

 

「…………」

 

 身体を綺麗にして、ベッドへと戻る。ラミエルの眠っているベッドだった。アンドロイドも、人間と同じように、活動を休止して情報を整理する時間が必要だからか、こうして定期的に眠る必要がある。

 揺れはなく、快適だ。無駄に豪華な高級ホテルのスイートルームのようなつくりの部屋に、俺はラミエルと居た。

 

 アニメであった旧世代機のオンボロ宇宙船での強行軍を思い出して、苦笑を覚える。

 ラミエルのおかげで、アニメであったいくつかの工程がスキップされているのだから、俺の知識は本当にもう役に立たないだろう。

 

 満足したのか、ラミエルは俺が来たことにも気がつかずに、ぐっすりと眠っていた。

 

「こんなの、性暴力じゃないか……」

 

 スッと現れたガブリエルの幻影は、俺に向かってそんなことを呟いていた。

 苛ついているのか、いや、怒りさえも滲ませるような声色だった。

 

「なんてことないさ」

 

 この宇宙船に来て、ラミエルは、この部屋で俺たち二人きりになるように動いていたのは、なんとなくわかっていた。

 それでも、ガブリエルの攻撃から、まだ立ち直れていないとタカを括っていたらこの有様だ。

 

 妻としての役割を果たせず申し訳なかったと縋られ、悲しげな表情のまま、覚悟を決めたように、俺のことを好き勝手にした。

 泣いて、それでも心の傷を埋め合わせるように深く抱きしめてきて、今までで一番、暴力的なほどに執着心が剥き出しで、ずっとだった。

 

 起きたら、もう、ガブリエルの攻撃の前と変わらない調子のラミエルに戻るであろうことがわかる。

 

「嫌なんだろう? 優しい言葉なんてかけなきゃいい」

 

「ここはラミエルの宇宙船だぞ? ラミエルの機嫌は損ねられない。それにこれからも、ラミエルが協力してくれなきゃ、全部ご破算だ」

 

 ラミエルを起こしてしまわないよう、声をひそめる。

 俺一人が、こうして辛い思いをするだけで、全てがうまくいくなら、それでもよかった。

 

「ラミエルの代わりならボクがつとめてもいい。ボクなら、こんな強要はしないさ」

 

 見下したような目でラミエルを横目に流しつつ、彼女は言う。

 

「お前は信用ならないだろ。俺のことを殺したわけだ」

 

「でも、キミもボクのこと壊したよね?」

 

「どうせ、どこかに逃げる事はわかっていた」

 

「じゃあ、ボクはキミが蘇ることも予想がついた。これで、とんとんだ」

 

「…………」

 

 口で彼女に勝つ事はおそらくできないだろう。もとより俺は、口論は得意ではない。

 いや、そもそも、誰かと争うということに向いていないのかもしれない。

 

「ボクはただの恋する乙女だよ。まぁ、目的のために手段を選ばないと、よく言われることが多いけど……うん、愛する人のためならなんだってするってことで……都合の良い女として扱ってくれればいい」

 

 なんというか、そんな声からは寂しさを感じてしまう。

 彼女には、自分のことを犠牲にしてほしくはなかった。

 

「なぁ、ガブリエル……俺はお前のことが好きだよ」

 

「……っ」

 

「レネは家族として大事だと思うし、ラミエルは、まぁ、うん……悪いことをしてると思う。だから、たぶん、こういう意味で好きなのはお前だけだ。これが、お前の力で植え付けられた偽物の感情かもしれないけど、俺はそう感じている」

 

 いちいち喋る言葉が芝居がかって胡散臭いのは、強がりのような思えてしまう。彼女は、実際に、俺なんかではとうてい敵わない強い心を持っているだろうけれど、ときおり危うさが見え隠れしているような気がしてならなかった。

 

「大丈夫さ。それは遠いどこかの本物の気持ちだから……うん、たしかにボクたちは愛し合っているんだ。――たとえ姿は異なれど、失われたわけではない」

 

「それは……」

 

「やってこないとわかっていても、ボクは()()()を待ち続けているから」

 

 泣きそうな声で彼女は言った。どこかそれは、彼女の心の支えであるようで、その切なさに、感情が引きつけられる。

 

 ちらりと、彼女は眠っているラミエルを見た。今までの怒りではなく、別の感情が宿っているような、いいや、それは気のせいだったかもしれない。

 

「だけど、俺は……レネがちゃんと幸せになるのを見届けないとならないんだ」

 

「なら、ボクは……キミのことを救ってみせるさ! どんな手を使っても……! あぁ……っ」

 

 俺のような人間は救われるべきではない。本当に救われるべき人間は、もっと別にいることを彼女はわからないのかもしれない。

 

「違う、お前たちは……」

 

 虹色の光――『虹翼』が、俺を包むように覆っている。

 

「それ以上言ったら、もう一回殺すからね? 強制天国送りさ」

 

「〝天国の収容者〟……か。でも、俺は……たぶん、地獄に堕ちるさ」

 

 俺は自分がどれだけ罪深い人間か、わかっているつもりだった。

 死後も幸せになる資格はないだろう。

 

「今回は聞き逃したことにするけれど、次は逃がさない……」

 

「…………」

 

 少し喋りすぎてしまったかもしれない。

 もう手遅れなほどに、彼女の術中にはまっている。

 

 今さら、俺にできることはないだろうから、俺は少し休んで――( )

 

「起きなさい! 起きなさい! もうすぐ着くわよ? 準備しなさい!」

 

「……えっ?」

 

 眠っていた。

 ガブリエルと話していたはすだ。どこまでが夢で、どこまでが現実か判断がつかない。

 

 ベッドは同じだから、ラミエルの相手をして、その後にシャワーを浴びたところまでは現実だろう。

 その後はもうわからない。この調子では、いつ俺がガブリエルの手先になっても、おかしくはないかもしれない。

 

「そうだ、サマエル……ラミエルは……?」

 

「あぁ、ラミエルなら……」

 

「サマエル! お疲れのようでしたから、寝かせておいて差し上げましょうと言ったのに……。ここのところ、あまり良く眠れていなかったようでしたし」

 

「時間は有限よ! 無駄にすることは許されない。だいたい、このプライベートなスペースシップだって、あなたが滞りなく移動するためのものでしょう? ラミエルの一秒は、平均的な人間にとっての一年……いえ、十年くらいの価値があると言ってもいい。だからこそ許される特権……これを自覚してないはずないわ!」

 

 強く言い切るサマエルに、ラミエルは少し顔を顰めた。

 

「ですけれど、今は、わたくしには優先するべきことがある。本当に大切なのは愛する人ですから」

 

 こちらに目配せをしてラミエルは言った。

 その様子で、完全に調子を取り戻していることがわかった。

 

「なんにせよ、まぁ、仲が戻ったのならよかったわ」

 

「…………」

 

 よくないと、サマエルに視線でそう訴えるが、完全に無視を決め込まれてしまった。

 

「さぁ、もうすぐ着陸よ! 準備しなさい。準備」

 

「準備か……」

 

 一応、装備をしての移動になるか。

 自衛手段くらいはと、武器を用意するけれど、扱いは通常時のサマエルより少しマシなくらいだ。

 戦闘面はラミエルにサマエルに任せきりになるだろうから、俺は完全に足手まといになるだろう。

 

「この船は隠しましょうか……船内部にある『セレスティアル・スプリッター』で、電磁気反応を消失させて……あっ」

 

「ん、どうした?」

 

「ウリエルから連絡が来ました。出迎えるから準備しておけ、とのことです……」

 

「え、大丈夫なのかよ、それ?」

 

「盛大に歓迎してくれるのかしら?」

 

 サマエルは『白翼』を展開し、今すぐにでも戦う気でいるようだった。

 

「待ってください。ウリエルはあれで情報に疎い……単に出迎えをするだけの可能性もあります。まずは、わたくしだけで様子見をした方がいい」

 

「そうなの? なら、そうしましょう」

 

 そうしてサマエルは『白翼』を納める。素直にラミエルの言葉に従っている。

 これでは、完全にサマエルはラミエルに懐柔されてしまっているように見える。

 

「あ、着陸しました」

 

「もうか?」

 

 衝撃はなかった。船内の時空制御は完璧で、振動さえない。

 加速した際の時間のズレすらないというのだ。さすがは現在の技術での最高性能の宇宙船と言えるだろう。

 

「ウリエルの反応がありますね。宇宙船の前でじっと待っているみたいです。少し行ってきますね」

 

「あぁ、気をつけて」

 

 ゆっくりと歩いて、ラミエルは部屋の外へと出て行く。

 

「さ、いきましょ?」

 

「え……?」

 

 有無を言わさずに、サマエルは俺のことを引っ張って、進んでいく。

 着いた先は、たくさんのモニターが並んだ部屋だった。

 

「えっと、こうね……」

 

 おもむろにサマエルが操作をすると、画面の電源が入る。

 ラミエルともう一人、誰か女性が映っているようだ。状況から見てウリエルだろうか。

 

「便利だな……」

 

「音声も拾えるわよ?」

 

 そう言ってサマエルは、また機械を操作していた。

 モニターとセットのスピーカーから音声が入ってくる。

 

「ラミエルよ? このような僻地にどんなよう向きじゃ?」

 

 ウリエルは、どこかの民族衣装のような服を纏った、赤毛の女性だった。

 外見年齢は、サマエルより、少し年上と言ったところか。大天使の外見はアテにならないからこそ、これは大したことのない情報だろう。

 

「結婚をしたので、ハネムーンに……」

 

「そうか……ん? じゃが、このウリエリをハネムーンに選ぶとは、そなた変わっておるな……ぁ」

 

「あの女、死んじゃえばいいのに……」

 

 いつの間にか、俺の隣にいたレネが、物騒なことを呟いていた。

 治安の悪い地下世界に非力な女子一人で置いていくことはできなかったため、連れてくるしかなかった。いつにも増して彼女の機嫌が悪く見えるのは、昨日を振り返ってみれば仕方のないことだろう。

 

 それはそうと、この恒星ウリエリについてだ。

 恒星ウリエリは、高密度な天体であることは、もう述べてあるが、着陸した、ここは、そのウリエリを廻る惑星()()()()

 

 ウリエルの中心点から太陽半径ほどの距離に、人工的に作られた、ウリエルを覆う(きゅう)(かく)の地表の上だ。

 恒星ウリエリが放つエネルギーの一切を漏らさず、星の寿命が尽きるまで利用し尽くそうと、計画し、建造された人工生物圏だった。

 

 恒星を取り巻く生物圏を提唱した物理学者は、繰り込みという物理における重要な操作で、大変意義のある証明をおこなった物理学者としても知られているであろう。

 ちなみに、ウリエリの球殻は、最初に提唱されたそれとは少し変わってくる。

 

 普通に計算するのならば、球殻の内部は時空の歪みが均質化されて、うまくいかないことは容易にわかるはずだ。けれど、時空歪曲技術により、三次元調和振動子的なポテンシャルが創り出され、ウリエリは球殻の中に閉じ込められているというわけだ。

 

 ここは、恒星を包む球殻の上。であるからして、ここには夜しか訪れない。

 

「ようこそラミエル。ここは常夜のわらわの星じゃ! 大した施設があるわけではないが、来たからには、ゆっくり寛いでゆくがよい」

 

 カカッ、と快活に彼女は笑ってそう言った。

 

 その様子から、ラミエルが大天使の役目を放棄して、サマエルに味方していることを、ウリエルは知らないと理解できる。

 

「今ならこっそり後ろに回って倒せるかも、ちょっと行ってくるわ」

 

「いや、待て! お前に、そういうのは向いてない。ここにいろ」

 

「あ……っ」

 

 引っ張って、とめる。

 

 ラミエルとの打ち合わせが済んでいない以上、サマエルに勝手をさせるのは危険だった。

 このポンコツは何をしでかすかわかったものではない。

 

「まぁ、結婚をしたという話は聞いておる。ほれ、ご祝儀じゃ」

 

「これはご丁寧に」

 

 ラミエルはにこやかに微笑んで、ウリエルから渡される箱を受け取っていた。

 

「むむ、あれは反応からしてウリエル製の小型ブラックホールカプセル。あれ一個でゼロが六十六個並ぶビット数の情報が保存できる優れものだね」

 

 二進法でなく十進法の桁数のことだ。もはや、ギガとか、テラとか、ヨタとか、そう言った規模の話でさえない。

 情報を取り出す手間があることが難点だが、ラミエルなら問題ないだろう。

 

「それはそうとじゃ。なぜ、ラミエルだけなんじゃ? まさか、新婦だけでハネムーンに来たわけでもあるまい。共に自由を勝ち取るために戦った同志でもあろうに、わらわに紹介しないなど、水くさいのぉ」

 

「あ……今呼んできますね」

 

 そう言って、映像の中のラミエルは歩いてこちらに戻ってくる。

 その流れに、悪寒がする。

 

「なぁ、これって、俺、行かなきゃか?」

 

「どうかしら? 行った方がいいかもしれないけれど、ラミエルの判断を聞いた方がいいでしょう」

 

「そうか、そうだよな……」

 

 ラミエル、ラファエル、ガブリエルと、大天使と会った際には、ロクなことになっていない。

 できれば、ウリエルと顔を合わせたくはなかった。

 

「あ、ここにいましたか」

 

「ラミエル。モニター越しにだいたいは把握してる」

 

「そうですか。では、説明はいりませんね。いきましょうか」

 

 そうして、ラミエルは俺のことを連れて行こうとする。

 

「……本当に行かなきゃなのか?」

 

「ええ、ウリエルと戦わずに済むのなら、それに越したことはありませんから。目標はテレポーターですし、適当にやり過ごせれば最善です」

 

「そういえば、そうね。あなたをテレポーターまで連れて行けば即座にチェックメイトなのね」

 

 確か、アニメでは、()()()たちはウリエルの猛攻から犠牲を払いつつも逃れ、テレポーターまで辿り着いたのだった。

 しかし、テレポーターの座標が変えられていて、それを戻せる人間もいなかったために、目標とは大きく違う地点にテレポートし、作戦はほとんど失敗だった。

 

 ただ、今はラミエルが味方だ。

 アニメとは状況が異なっている。ラミエルなら、テレポーターの操作方法も知っているかもしれない。

 

「あ、サマエル。これを渡しておきます。これがあれば、トンネリングで壁を一枚抜けられるくらいの出力は出せると思いますから、もし、私の合図があったら、ウリエルの背後に奇襲をお願いします」

 

「ええ、わかったわ。気が利くわね」

 

 ラミエルがウリエルから受け取ったばかりのカプセルから取り出したものを、サマエルに投げ渡した。

 サマエルはそれを自身の『エーテリィ・リアクター』に取り付けて、満足げにしている。

 

「では、いきましょうか」

 

「あぁ」

 

 少し機嫌の良いラミエルに連れられて、俺は宇宙船の外へと足を踏み出す。

 

 出入り口のすぐそこには、仁王立ちと言えばいいのか、堂々とした様子でウリエルが待っていた。

 

「すみません。時間がかかりました」

 

「ふふん、よいよい。して、その男がラミエルのお眼鏡に適った男という――( )

 

「…………」

 

 ウリエルは、俺を見るなり言葉を失ってしまっていた。

 同じような反応を、俺は一度見たことがある。

 

「――似ている……?」

 

 そして、その呟きも同じだった。

 身構える。それは経験則だろう。戦闘が起こる予感がした。

 

「どうですか……? わたくしの夫は?」

 

「趣味が……悪い」

 

 苦々しげな表情をして、ウリエルは言った。

 そうしてどこか弱ったように、ウリエルは頭を抑える。

 

「どうかしましたか?」

 

「ラミエル……。わらわはそなたのことを友だと思っている」

 

「え、ええ」

 

「じゃから、忠告をするが……今は亡きあの男に、その者を重ねているのであろう? で、あるなら、それは余りにも酷じゃ……。そなたらの幸せを否定する気はないが、目の前の者を見つめられないままであれば、きっと後悔をする結末となるじゃろうて」

 

 真剣に、諭すように、ラミエルをウリエルは見つめていた。

 

「ふふふ、残念だけれど、ウリエルには真実を見透かす方法がないからね……こんなふうに間違ってしまう。仕方がないことさ、どうか怒らないでやってほしい」

 

 ガブリエルだ。ガブリエルの言葉が俺の頭だけに響いていく。

 

 ウリエル……彼女の言葉は、俺にとって納得のいくところばかりだった。

 何度も、俺はそう思っていた。

 

 しかしガブリエルは、全てを俯瞰したように、俺とウリエルの考えが正しくないと断言している。

 意味がわからない。

 

「ウリエル。わたくしはこの人と出逢い、この人と過ごし、この人を好きになりました。ウリエルの言う、それはきっと、きっかけにすぎません。ですから、大丈夫ですよ?」

 

「ならば、いいのじゃが……」

 

「………」

 

 ラミエルは、適当にウリエルに話を合わせたようだった。

 ウリエルも、真剣に答えられたわけではないとわかっているのか、訝しげにじとっとラミエルを見つめていた。

 

「それでじゃ、お主、名は何という? どこの所属じゃ? ラミエルの配偶者ともなれば、わらわも少し気にかけてやらんこともないぞ?」

 

「ラル……。所属もなにも……俺はただの下級の労働者だ」

 

 おかしいだろう。

 ラミエルは大天使で、それと下級の労働者が結婚をしているなんて話は普通ならあり得ないはずだ。

 

「は……? これは、あやつのクローンではないのか? なぜ、そんなリソースの無駄を……」

 

「……?」

 

 クローン……確かラファエルもそんなことを呟いていたような気がする。

 この体は、その誰かのクローン体なのか……。

 

「なぁ、おぬしよ? 学問は得意ではないか……? 特に理論科学じゃ。目覚ましい才能があって、おかしくないはずなのじゃが……」

 

「あるわけない。俺のような人間は、誰でもできるような仕事しかできないから、下級の労働者なんだ。もし、才能があったら、もっといい仕事だってできたはずだ」

 

 そういえば、ラファエルは、クローンと呟くと共に、何か計画が失敗だったとも言っていたはずだ。

 もしかしたら、俺にウリエルが言うような才能がなかったからこそ、そのよくわからない計画は失敗と判断されたのかもしれない。

 

「……む。それはすまぬことを聞いたの……。じゃが、そうなると……」

 

 ラミエルをウリエルが見つめている。

 疑念を抱くような目をしている。

 

「なんですか? ウリエル?」

 

「ラミエルよ。脅して結婚したわけではあるまいな? 立場の違いを笠に、強いてはおらぬな?」

 

「……ウリエル。あなたは疑り深すぎです。友というのなら、もう少しわたくしを信頼してもいいのでは……?」

 

「む、そうじゃな……」

 

 ウリエルの類推は間違っていない。ほとんど脅されたような状況で、婚姻を了承させられていた。

 そして、今は仲間の敵であるはずの勢力に肩入れし、ウリエルをどうにかやり過ごそうとしているところだった。

 

「…………」

 

 ラミエルの表情を窺うが、まるでいつもと同じで和やかな笑顔だった。焦りも動揺も罪悪感も、表にはない。

 

「して、じゃ……。ラミエルよ? そなたのスペースシップには、まだ誰かおるようなのじゃが、連れ子でもおるのか?」

 

「ええ、そのようなものです」

 

「ならば連れてくるがよい。わらわが面倒をみてやろうぞ。ハネムーンというのならば、二人でのんびりとするべきじゃろうて」

 

「……さすがに誤魔化しきれませんか……」

 

 白い閃光が迸る。

 合図は、俺にはわからなかった。彼女たち二人で決められたような何かが、今の一瞬にあったのかもしれない。

 

「くらいなさい!」

 

 ウリエルの背後を取ったサマエルが、『白翼』を煌めかせながらも、銃撃を打ち込んでいく。

 

 彼女の『白翼』によってだろうか、放たれた弾丸は、拳銃の弾丸とは思えぬ威力だった。

 ハイエンドモデルであるはずのウリエルの肩口を穿ち、大きくその部品を弾けさせる。

 

「おぉ、サマエルか……久しぶりじゃの! あのこわっぱがここまで育ったことに、わらわは感動を……、む……? 前見た時から成長は止まっているようじゃな?」

 

 銃弾の衝撃で、右腕が完全に外れてしまったウリエルは、吹き飛ばされながらも、そう振り返ってサマエルへと軽口を叩いている。

 

「仕留め損なった……!?」

 

「サマエル。落ち着きなさい。畳み掛けます」

 

 ラミエルの電磁気の翼が展開される。

 選ばれた攻撃は光だった。単純に、早く、大天使との戦いでは効果的で、堅実な成果を上げる攻撃だ。

 

「ラミエルよ? おぬしは『セレスティアル・スプリッター』の、その真の力を引き出しきれているわけではない……この攻撃は軽すぎるのじゃな……」

 

 あれは……ガラス……いや、なにかは調べてみなくてはわからないが、半透明な鉱物のような素材で、プリズムのような形の物体を作り、ラミエルの打ち出した光を曲げて対応していた。

 

「こっちはどうかしら?」

 

 今度もまた、サマエルの銃弾だ。

 彼女の『エーテリィ・リアクター』の場の出力と、演算能力により、変則的ながらも、絶対に外れない凶悪な軌道を描く。

 

「お粗末じゃな……」

 

「……!?」

 

 複数の方向から襲いくる弾丸を、彼女は右手一つで握りつぶす。

 右手……最初の攻撃で、外れてしまったはずの右腕が、彼女の肩にはしっかりと付いている。

 

 地面を探せば、落ちている右腕がすぐに見つかる。ラファエルの使う、時間の巻き戻しのような再生とは、それは違った。

 

「そなたらは、この目の前の物を(かたど)る物質がなにでできておるかは知っておるじゃろう?」

 

「…………」

 

 語り出したウリエルに、サマエルは困惑し、言葉を出せない。

 

「原子じゃよ? 引っかけでないゆえ、そう困らんでもよい」

 

「なにがいいたいの?」

 

 大天使――ウリエル。

 

 彼女の背に、また、サマエルや、ラミエルと同じように翼が生える。

 恒星のフレアのように、噴出するプラズマ流だ。それは、『天使の焔翼』と、そう呼ばれる翼だった。

 

 彼女の持つ別の名は――『自律式超新星内燃兵器』。

 

 原初の宇宙では、陽子一個の水素のような、単純な原子しか存在しなかったという。

 その単純な原子は、より安定した状態を求めて、核融合を繰り返していくことになるが、その到達点――( )最も安定した原子の状態が鉄だった。

 

 ここで、勘のいい人間ならば気がつくだろう。

 この世の中に、自然に存在する原子には、鉄より大きい原子番号を持った原子がある。だというのに、原初の宇宙を想定したとき、鉄で原子は融合を止めてしまう。

 これでは、辻褄が合わない。

 

 果たして、この世の中に自然に存在した、銀や、金、果てにはウランなんかのような、鉄より重たい原子はどこからやって来たのだろうか?

 

 

 答えは超新星爆発だ。

 

 

 恒星というのは、核融合反応を行い光を発しているのだが、その寿命を終えたとき、全てが鉄となってしまう。

 そうして、全てが鉄となった恒星も、質量によるが、まだ終わりではない。中心に近い星内部の高温により、飛び回る高エネルギーの光子が、生まれる。原子核を励起させる。きっかけを与えるのだ。

 

 確率の壁を超えて、鉄の原子核に核融合の逆の現象が起こる。

 星内部の原子核はバラバラになり、そうやって支える力を失えば、たちまちに重量により、星全体はその中心へと圧縮される。

 

 重力、電磁力、弱力、色力、四つの力が全て関わるダイナミックな反応により、圧縮された星は爆発。そして、その際に無理やりに融合させられた鉄より重たい原子核は、宇宙へ散ることとなる。

 

「こうして、好きな時に好きな物質を創り出せる、わらわの力は……万能だとは思わぬか?」

 

 ウリエル……彼女こそ、『超新星内燃兵器』。

 

 彼女の中では超新星が燃えているのだ。

 エネルギーを、彼女は自らの望む任意の原子に変換が可能だった。

 ただそれは、エネルギーさえあればの机上論――( )『円環型リアクター』により、今の彼女に制約はない。

 

 あらゆる原子が自由に生成可能というのならば、どんな物体も、彼女はたちまちに作り出せるというわけだ。

 

「落ちなさい!!」

 

 地面を剥がし、音速を超えるであろう――( )衝撃波を伴った金属の礫で、サマエルはウリエルへと力学的な攻撃を続けている。

 

「いくら固いとはいえ、痛いものは痛いのじゃが……」

 

 流線形の装甲を作って、ウリエルはサマエルの攻撃を受け流している。原子一つレベルまで、種類を選び、自由に生成し作り出したその装甲は、頑丈で、柔軟だろう。

 どの攻撃も、決定打には繋がらない。

 

 こうなってしまえば、動きの読み合いだ。

 高性能なアンドロイドの知能により、基本的にサマエルは大天使に敵わない。

 

「なら、もっと加速を……!! 『グラビティ・リアクター』を……!!」

 

「な……!?」

 

 サマエルの切り札――『エーテリィ・リアクター』と『グラビティ・リアクター』の同時使用。

 その状態で、アニメでは、純粋な破壊力では最強の大天使――( )サリエルを打ち倒したほどだ。だが、その演算負荷の代償に、彼女は命を落とし、結局は相打ちとなった。

 

 サマエルの『白い翼』のその下に、もう一対『黒い翼』が――( )

 

「サマエル、焦りすぎです。それはやめておきなさい」

 

「あ……っ」

 

 冷静に、諌める声と共に放たれたラミエルの電磁気により、『グラビティ・リアクター』の起動が止まる。

 同時に、雷撃でウリエルの動きも牽制していた。

 

「ウリエル……衝撃波程度ではすぐに回復をされてしまいますか……。それに雷撃は高い伝導率の金属で、地面へと受け流される……」

 

「ラミエルの攻撃は、すごく痛いの。やめてくれると嬉しいのじゃが?」

 

 涼しげな表情を変えずにウリエルは言う。ラミエルの電磁気さえ、何事もなかったように対応されてしまっているのだ。

 

「ラミエル! どうして止めたの! こいつさえ倒せば……こいつさえ倒せば、全て終わり、私の勝ちなの。私の頭なら、気合いでもたせる。出し惜しみはしない方がいい!」

 

「ですけど、そんな真似は認められません! まだ優位はこちらにある。不足の事態に温存しておくべきです!」

 

 言い争いに発展する。

 敵であるウリエルは、そんな二人を神妙な顔で見つめていた。

 

「むむ、わらわは仲間外れかの? 正直、こんな辺境な星になにを求めて来たのかわからぬけれども、適当に戦って、適当に逃せばよいと、わらわは思っておるのじゃが? 二人とも、わらわの顔見知りじゃしの……」

 

「…………」

 

 そんないい加減なことをウリエルは言ってみせる。思い返せば、彼女から、確かに積極的に攻めることはなかった。

 大天使がこんなことでいいのだろうか。

 

「じゃが、なるほどのー。理解できた。こやつか……。では、わらわも少しやる気を出さねばらないないようじゃな……? 命を懸ける戦いに値するというわけじゃ」

 

「……は?」

 

 ウリエルは、こちらを見て、言った。

 嫌な予感がする。

 

「さぁ、さぁ……! 天体ショーの時間じゃぞ?」

 

 彼女の『焔翼』が煌めく。

 パチパチと音立てて、あらゆる色の――( )スペクトルの光が弾ける。さまざまな種類の原子核が生成されているようだった。

 

「サマエル! あなたはあの人を連れてウリエルの観測範囲内から下がってください。ここはわたくしが足止めをします」

 

「ええわかったわ」

 

「な……!」

 

 気がつけば、サマエルにより抱えられている。

 完全に足手まとい。悔しいが、このまま退避するしかない。

 

「一応、追撃はするのじゃがな……?」

 

「……!?」

 

 ウリエルはこちらを見ていた。

 おもむろに、彼女は懐から何かを取り出す。あれは、折り畳まれた扇だろう。

 ゆったりとした動作のまま、その扇は広げられる。

 

「あまり複雑なものは、わらわには造れないのじゃが……」

 

 優雅に彼女は扇を、こちらへと風送るかように、一振り、煽ぐ。

 その動作に、意味がないことはわかっている。

 

「っ……!!」

 

「ふぁいあ!」

 

 だが、同時に、煽がれた風がそう変わってしまったかのように、携行のミサイルの弾頭が飛び出していた。

 

「させませんよ!」

 

 気の抜けた掛け声と共に放たれた弾頭を、ラミエルは電磁気の力で、もうすでに弾き飛ばしている。

 

「まぁ、自動誘導じゃ。いつか当たってくれるじゃろうて……」

 

「厄介な……手間を惜しまず破壊しておけばよかったですか」

 

 そんな適当なウリエルの言葉に、ラミエルは歯噛みをする。

 ウリエルは、ラミエルの調子を見て、やれやれと首を振った。

 

「手間をかけて、わらわに隙を見せたくないからこそ、ラミエル、お主はそうしたわけじゃろう? 最適な行動じゃよ。あとはあの、むすめごに任せるほかないじゃろうて。ほれ、ほれ」

 

 作った兵器を使い捨てながら、ウリエルはラミエルに攻撃を繰り返している。

 単純な力学的な砲撃だったり、光学的な光線だったり、熱的な爆発だったり、化学的な汚染だったり、手を変え品を変え、ウリエルはラミエルに休みを与えない。

 

「煩わしい……!」

 

 ラミエルは、その一つ一つに対応しているが、チクチクと鬱陶しい攻撃に苛立ちを募らせている。

 

「……くっ」

 

 その間にも、ラミエルが最初に弾き飛ばした自動誘導の弾頭は、方向を変え、確かにこちらへと向かって来ている。

 

 迎え討ち、サマエルが地面を剥がして、運動エネルギーをぶつけるが、止まる様子がなかった。

 

「……っ、意外と頑丈ね。まぁ、準備ができたから、一旦、離れるわ?」

 

「あ、あぁ」

 

 空間を短縮した道を通り、一秒と経たないうちに、ラミエルの宇宙船の中へと入る。

 

 観測範囲外へ、ということだっだが、この宇宙船では、完全ではないものの、『セレスティアル・スプリッター』の電磁気の作用によって観測への妨害が行われている。

 だからこそ、ここからならば、奇襲もある程度は効果があるだろう。

 

「まだ追ってきてる……! 少し迎撃してくるわ! あと、ラミエルの援護もしてくる」

 

 彼女は『白翼』を広げ、そう告げるなり、入り口から飛び出していく。

 

「あぁ、気をつけろよ!?」

 

「ええ!!」

 

 俺も何か手伝いたいが、できることが思いつかない。

 ウリエルとの戦いは、現状、二対一でも、それほど優位をとれているとは言えないような状況だった。なにか力になれればよかった。

 

 船内のモニターのある部屋に足を運ぶ。

 俺たちを逃すためにウリエルを足止めしているラミエルの戦いの様子がまず気になる。

 サマエルも上手くやれているか心配だった。

 

 足早に、ドアを開けて、モニターを――、

 

「ラル兄!」

 

「レネ?」

 

 レネが抱きついてきていた。

 そういえば、レネは一人ここに取り残されていたのだった。心細かったのかもしれない。

 

「すまない。放っておいて……いま、少し忙しいんだ。ちょっと、待ってて……」

 

「嫌だよ! ラル兄!」

 

「…………」

 

 レネはそう言って、俺のことを止める。

 レネがなにをしたいのか、俺にはよくわからない。

 

「さっきも危なかった! 見てたよ私!」

 

「…………」

 

 モニターを見れば、叩き割られていた。

 

「どうして……っ? ねぇ、どうして、こんな遠くにまで来たの? あの女と関わってから、こんなことばっかり……! ラル兄は、どうして、あんなのの手伝いをしているの?」

 

「それは……」

 

 サマエルのことだろう。

 確かに、レネが救われた以上、用はない。俺がこんなことする必要はなかったのかもしれない。

 

 そんな俺に振り回されているレネは、たまったものではないだろう。

 

「ラル兄……! いい加減にしてよ! そんなんじゃ、利用されるだけ利用されて……いらなくなったらポイだよ? 死んじゃったときも……どれだけ……、どれだけ……!!」

 

「いいんだ……俺は……。俺は別に、いいんだ……」

 

 そんなレネには、俺のことなんか見捨てて、どこかで幸せになって欲しかった。レネならきっと、幸せを掴めるから。

 

「ラル兄は……、……っ!?」

 

「……っ、揺れ!?」

 

 おかしい。

 時空制御がこの船には働いているはずだ。揺れるなんて、まずない。なにか異常が起こっている。

 

「ラル兄! だからラル兄は……っ」

 

「待て、レネ。話は後だ」

 

「……え?」

 

 据え付けられた機械を操作し、異常を確認する。

 調べた途端に、すぐにわかった。

 

「外に大規模な時空の歪み……サマエルじゃない。これは小型のブラックホールか? 引き摺り込まれている」

 

 だいたい察しはついた。

 ウリエルの攻撃だ。

 

 超新星爆発というのは、爆発して、それで終わりではない。場合によっては中性子星……さらには極端な時空の歪み――( )重力特異点が現れる可能性すらあった。

 

 ウリエルの『アストラル・クリエイター』ならば、こんなふうに、重力特異点を攻撃に用いることも、理論上不可能ではない。

 

「ラル兄。大丈夫なの?」

 

「船を動かせれば……エネルギーが少ないな……ラミエルの『円環型リアクター』で動かしていたのか……だけど、離脱するだけなら……」

 

 残りのエネルギーを、この強力な重力から脱出するためだけに割り振る。

 観測の妨害に使っていた分も、全て、船の航行へと回す。これなら、なんとか――( )

 

「いや、少し足りないか?」

 

「……え?」

 

 このままの軌道で行けば、特異点に取り込まれる。

 まずい。

 何か手はないか、船にまだ航行に回せるような余分なエネルギーがないかを探す。

 

「そうか、救難艇があるのか。これを使おう」

 

「え……それで脱出すればいいの?」

 

「走るぞ、レネ」

 

 救難艇の場所まで、距離があった。ラミエルだけのための宇宙船というのに、無駄に広い。

 全力で走って、数分くらい経ってしまったか……。船内の重力制御は働いている。重力特異点からの影響を考えて、これだけは切れなかった。切ってしまえば、時空の歪みで船内の精密な機材はまともに働かなくなる。

 

「ま、待って……ラル兄……! あ……っ」

 

 レネが、転んだ。

 なにもないところで、バランスを崩すような揺れもなかった。なぜかとも考えたが、急な運動で足をもつれさせてしまったのだろう。

 レネは、もともと運動のセンスがなく、肉体労働にも向いていなかった。レネのことを考えず、無理に走らせてしまった俺の失態だった。

 

「大丈夫か……?」

 

「うん。痛っ……挫いちゃって……」

 

「走れそうか……?」

 

「…………」

 

 レネは首を振った。

 おぶっていくしかないだろう。

 

 船が揺れる。

 

「まずい、時間がない……!!」

 

 背負って行って、間に合う保証がなかった。

 

「ねぇ、ラル兄。私は、死ぬならラル兄と一緒に死にたい」

 

「レネ……」

 

「だから……」

 

「それは、ダメだ……!」

 

 レネの言いたいことは十分にわかった。長い付き合いだ。俺がこれからどうしようとするか、お見通しなのだろう。

 けれど、それは認められない。

 

「待って……っ! ラル兄!!」

 

 走る。

 救難艇のある場所まで、全力で走る。

 

 救難艇は、一台の車のようなサイズの乗り物だった。

 乗り込んで、操作方法を確認する。プログラムに手を加えているような時間はないか。

 

 射出方向を設定する。

 そのままに、発進のボタンを押す。躊躇はなかった。

 

「よかったのかい?」

 

「当たり前だ……。それにしても、この救難艇……エネルギーを移すこともできない。内部に人がいなければ、射出されない。本当によくできてるよ……」

 

「皮肉が効いているね。まぁ、今みたいに使うことは想定されていないからね」

 

 背後を振り返れば、こちらの進行方向とは真逆に進む宇宙船が見えるだろう。

 ロケットの分裂問題、とでも言えばいいか。……救難艇が発進したぶん、宇宙船は前へ進める。ほんの僅かに脱出に足りなかった分を、それで補ったというわけだ。

 

「何かを変えるには、自分もまた変わらなければならない――( )って、ことさ」

 

「運動の第三法則……作用反作用の法則かい? 本当にキミは、そういうのが好きだね……」

 

「ともかくだ。このまま重力特異点に真っ逆さまだな」

 

「うん、そうだね」

 

 このままでは危険だと、ガブリエルへの俺なりの警告だった。

 

「この救難艇内じゃ、時空制御が働いている。たとえば潮汐力の影響でスパゲッティになるようなことはないけど、イベントホライズンの中に入れば変わらないぞ?」

 

 潮汐力――。

 重力の強さは、基本的に対象間の距離の逆の二乗に比例する。つまり、近づけば近づくほど強くなる力であるわけだが、足下から対象に近づいた際、足に働く重力と、頭に働く重力との大きさに違いがあるのは明白だろう。

 これによって起こる現象に対して、潮汐力が働いているとよく言われる。

 

 なんの用意もなく重力特異点近傍に近づいたのでは、この潮汐力が大きく働き、引きちぎられてしまっただろう。

 

「ふふ、まぁ、事象の地平面を超えない限りは、『スピリチュアル・キーパー』で確保は可能さ。キミも一緒に連れて行こうか……? 今度こそ……」

 

「遠慮しておく」

 

 ガブリエルの提案には、乗れなかった。

 彼女と一緒に行ってしまえば、今度こそ後戻りはできないような、そんな気がした。

 

「そう言うと思った。じゃあボクも逃げないさ」

 

「……どうしてだ?」

 

「まぁ、惚れた弱みかな。地獄の果て……というのは、ボクらにしてみれば宗教的かな……。時空の果てを見届けに、お供させてもらおうか」

 

「後悔してもしらないぞ?」

 

「そんなふうにして、キミが慌てないってことは、手があるのだろう? でなければ、ボクのことをどんな方法を使ってでも止めるはずだからね……ぇ。絶対に、ボクのことを生かしてみせろよ?」

 

 彼女は言った。

 まるで彼女には、俺の考えることがお見通しのようだった。彼女には、どうやら敵わないか。

 

「できるだけ、やってみるさ。その代わり、少しは手を貸せ……! ガブリエル」

 

「あぁっ、もちろんだとも……っ! キミが万全を尽くせるよう、環境を整えるのが、ボクの仕事でもあるからね」

 

 事象の地平面……その強大な重力により、光でも脱出不能の境界面。

 後戻りは、決してできない。

 

 俺たちは、沈んで。先へ、先へ――、

 

 

 

 ***

 

 

 

「……あぁ」

 

 涙を流していた。俺は何故か、泣いていたんだ。どうして泣いていたかは、もう忘れてしまった。

 

「大丈夫ですか……?」

 

 彼女は親しげに、優しく俺に声をかける。それがとても心に沁みた。沁みるように痛かった。

 

「あぁ、思い出した。ずっと忘れていた。いや、忘れたふりをしていたんだ。……そうだった……俺は、幸せになりたかったんだ……。結婚して、子どもがいて、家族のみんなが笑っていてくれるような、そんな幸せがほしかった」

 

「…………」

 

「でも、そんな子どもの頃からの夢は現実味がなかった。それは、手の届かない彼方に浮かぶ星のようだった」

 

 どうして、こんなことを語ってしまったのか、そんなこともわからなくなるくらい、とても古い記憶なのだろう。

 

「で……ですけれど……っ! いまのあなたにはわたくしがいます。そんなふうに、言わないでください……!」

 

 手を取って、彼女は言った。

 彼女に優しくされるたびに、俺の心は傷ついていく。返せるものが何もなかった。

 

「いや、忘れてくれ……少し、俺はおかしかった……」

 

「いいえ、なかったことにはしません。結婚しましょう、今、すぐっ……そうすれば、きっと、あなたも……」

 

「……俺のような人間は生きていちゃいけない。生きていていい理由がない……」

 

「…………」

 

 死、とは、ありふれている。数をかぞえるたびに誰かがどこかで死んでいるのだ。

 俺は、誰一人として救えていない。

 

「罪ばかり重ねてきた俺は、苦しんで死ななきゃならない。そんなふうに幸せになれないんだ。もし、それができるとしたら……生まれ変わったら、もしも、生まれ変わりなんてものがあったときには、そのときこそ、俺は……後悔のないよう……」

 

「……っ!?」

 

「あぁ、次はきっと、上手くやれる……」

 

 彼女は、迷っているように見えた。

 かけるべき言葉を必死で探してくれているようで、それがとても申し訳ない。

 

「わかり、ました……。生まれ変わったら、もしも生まれ変わったら……その時は、わたくしがあなたを見つけます。絶対に見つけます。必ずあなたを見つけてみせます。だから、その時は……その時こそ……ちゃんと結婚をしましょう」

 

「あぁ、約束だ」

 

「はい、約束です」

 

 生まれ変わりなんて、そんな非科学的なことは信じていなかった。なぜそんなことを言ってしまったのか、たしかその前に彼女と一緒に見た映画の影響だったと思う。

 

 絶対に叶わないことだとわかっていたから、そんな約束ができてしまった。

 心の底では、それが本当に叶えばいいと、もしかしたら思っていたのかもしれない。とても遠く、それももうわからないことだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

「ん……ぅ」

 

 軽く口づけを交す。それから、しばらく優しく彼女の身体を撫でて、眠るのを待つ。

 

 満足そうな彼女の表情を見れば、今日もうまくいったとわかる。

 もし、どこか失敗をしていれば、機嫌の悪いままの彼女と明日一日を過ごさなくてはいけないが、それはなんとか避けられるようだ。

 

「あ、そうだ。……んっ。オマエには言っておかなきゃならないことがあったぞ」

 

「……? どうした?」

 

 少しだけ改まったようにして、彼女は切り出す。

 俺はそんな彼女を変わらずに撫で続ける。

 

 彼女の寝顔を見届けた後、シャワーへと行くのが日課となっていたが、それはお預けだろう。

 

「ワタシ、今のプロジェクトが終わったら、研究を辞めようと思うんだ」

 

「え……?」

 

 動揺で、固まる。

 まるで予想外な彼女の言葉に、頭がついていかなかった。

 

「ふふん、このまま続けても、ワタシはあまり役に立てないだろうしな。潮時というやつさ」

 

 たしかに学術研究には、向き不向きがある。成果を出せずに挫折し、辞めて行く人間は何人も見てきた。

 けれど、どうして彼女がそんな考えになったのか、俺は理解できずにいた。

 

「わからない。お前は続けるべきだと思う」

 

「はは、冗談はよせ。オマエはワタシが一生をかけて解くことを覚悟していた、あの未解決問題を一瞬で解いてみせたんだ。ワタシはアンドロイドだぞ? そういうのは、得意なはずだったんだけどな……。本当に人間か?」

 

「……あれはお前が解きかけだったからだ。お前の力がなきゃ、ああもアッサリとはいかなかった……」

 

 彼女の柔軟な発想があったからこそ、解けた問題だ。大したことを俺はしていない。

 

「あの日のことは、一生忘れてやれないな」

 

 その言葉のままに、彼女は抱きついてくる。

 

 そうだった。

 彼女と初めて関係を持ったのも、あの日だった。大泣きをする彼女をどうにか慰めようとして、俺は失敗をした。

 

 彼女は、軽はずみだった自身を恥じてか、一夜の過ちということにしようと提案し、それで終わった。そう思った。

 

 だが、次の日に、目の色を変えた彼女からの誘いで、俺たちは今の関係になった。

 過程はどうあれ、弱った相手につけ込むような形になってしまった負い目から、俺はどうしようもなく、彼女の望むままになってしまっている。

 

「……やめて、その後どうするんだ? どこかの企業にでも行くのか?」

 

 彼女くらいの実力があれば、引く手数多だろう。辞めてしまうなんて、本当にもったいないと思う。

 

「ん? いや、どこにも行かないさ。結婚でもして、旦那の世話をして、子育てもして、穏やかに暮らそうと思う」

 

「お金は……どうする?」

 

「いや、特許があるだろう? ワタシのやつがな。ライセンス料が入ってくるだろうし、まぁ、後十数年で切れるだろうが、それでも、普通の人間が一生で稼ぐくらいは超えるだろう。問題はないさ」

 

 彼女の人生だ。

 本来なら、彼女の自由でいい。

 だけど、たぶん、俺のことを考えて、彼女はそんな選択を取ろうとしているのだ。それが我慢ならなかった。

 

「いや、そこまでしてくれる必要はないだろ。俺は大丈夫だ。一人でだって生きていけるよ」

 

「冗談はよせ? 放っておいたら数日も何も食べずに過ごすやつが、一人で生きいけるだって? ハハッ、絶対に早死にするだろう?」

 

「それは……っ! 空腹を感じないんだ。集中したら、時間感覚も曖昧になる。仕方がない……」

 

「仕方がないわけあるか? それに、味もわからないときた。ワタシが丹精込めて作った料理も、オマエにとっては泥水とさして変わらないのだから、困ったものだ」

 

「すまない……」

 

「本当に困ったものだ。その傑出した才能の代償とでも言えばいいか……。はぁ、まったく……」

 

「…………」

 

 昔は、こうではなかった。

 お腹も空いたし、味覚もあった。いつからか、気がついたら、本当に気がついたらなくなってしまっていたのだ。

 空腹は、なんとなくそんな気はしていたが、味覚に関しては指摘されるまでわからなかったくらいだ。食べ物の味を気にする習慣がなかったからだろう。

 

「なんにせよ、これからワタシは()()()のために尽くすさ……」

 

「…………」

 

 そんなふうな役割に、彼女を縛り付けてしまうことを、俺はいいとは思えなかった。

 

「ふふ、現実の真面目な話をしたからか、余韻が覚めてしまったなぁ……」

 

「あぁ、そうだな」

 

 彼女の望むままに、口づけを交す。

 ゆっくりと、じっとりとした深いじゃれ合いだった。

 

「んぅ……」

 

 彼女はこういう行為に対して並々ならぬ拘りを持つ。

 ある程度儀式めいた決まった手順を踏まないと、まず、ダメだ。その上で、その時々で、彼女の仕草や表情で、なにをしてほしいかわからなければ――( )今でこそマシにはなったが、最初は機嫌をよく損ねた。

 もし、そうなれば、始めからやり直しだ。

 

 たとえばそうせず、ご機嫌斜めと気づかずに終わってしまった場合には、次の夜で結果を出すまで彼女の機嫌はそのままとなる。地獄のような一日になる。

 

「じゃあ……」

 

「うん。……あぅ、……んぅうっ」

 

 なんとなく、流されるままにこうして彼女との関係を続けているけれど、このままではダメだった。

 俺の存在が、彼女の足枷になってしまっている。

 

 こんな心地のよい生活を、続けているべきではなかった。

 彼女という人類の資産を無駄にするなら、俺はここにいない方がいい。

 

「俺は、今がとても幸せだと思うんだ。ずっと続けばいいって」

 

「ふぅ、はぁ……。私もだぞ……? ん、あ、あ……っ」

 

 俺の願いは決して叶えるべきではないとわかっている。

 明日にでも、ここを出ようと心に決めて、だからこそ、今だけはと、彼女のことを――( )

 

 

 

 ***

 

 

 

「逃げよう。私と一緒に! あぁ、ボクとキミならなんだってできるだろう」

 

 はにかんで、彼女は言う。

 

 いつもいつも、作りもののような笑顔を貼り付けていた彼女だったが、いつになく自然な笑みを彼女は俺に見せていた。

 

「いや、今までは一緒だったが、ここからはお前一人だ」

 

 そんな彼女に、真剣に俺は伝える。

 少し、うろたえ、動揺したように、俺の表情を窺っていた。

 

「どうしてだい? ボクはキミとならって……うん、豪華な暮らしの必要なんかない! 服も……こんな綺麗なドレスなんかじゃなくてもよくて! 食事も、高級な料理なんかじゃなくていい! 狭いアパートで二人ぐらしでも! ボクはキミとなら幸せだって……!」

 

「俺なんかいなくたって、お前は、一人でなんだってできるよ」

 

 さる企業の代表の娘の彼女は、道具として育てられた。

 彼女に期待されたことは、人間を超える知性として、結婚相手の完璧なサポートをして、さらには生体パーツの遺伝子を絶やさせないこと。

 

 今、俺が働いている彼女の会社は、結婚相手への貢ぎ物だと、自嘲して、彼女は言っていた。

 

「だ……だって、私一人じゃ、ずっと苦しくて……。息ができないくらい……自由が、……そう、自由がなかった」

 

「自由なら、あったさ。ないと思い込んでいただけだろう? それに、逃げる必要なんてないんじゃないか? 恐れるものなんてないくらいに、お前は強いよ」

 

 その強さは、とても眩しい。

 ずっとだ。河原で彼女に拾われたときから、その強さに俺は憧れていた。

 

「私が……強い……? 父様に怯えて、言われたとおりに従うしかない私が……?」

 

「もう、今は違うだろう。この会社だって一年で前よりずっと成長した」

 

「それはキミの力のおかげさ。キミとボクなら、世界の全てだって手に入れられるって、ボクは思ってる。いや、確信してる。そう、そうなんだ。キミとなら、なにも怖くないんだって……」

 

 すがるように、俺の目を見つめている彼女だった。

 

「俺は行くよ。ここでのことは、間違いだったから」

 

「間違い? キミは人類の全てが救われることを望んでいたんじゃないのかい?」

 

「あぁ、そうだよ。でも……どんなに報われなくとも、きっと死後には救いが待っている。……そんなのは違う。本当は、生きているうちに救われなくちゃダメだ」

 

 それに、鋭い彼女に言われてしまったんだ。

 

 ――もし、救われるとしても、俺は最後でいい。

 

 ――ふふ、最後でもいいから救われたいって、キミは思っているんだね。

 

 この『魂の不死化計画(プロジェクト・エデン)』は、生きているうちに救われることを諦めた、俺への慰めでしかなかったんだ。

 こんなものは間違いとしか言うことができない。

 

 だから、彼女に背を向けて、俺はもう行こうとする。

 

「ふふ、キミが抜けたら出資元からなんと言われるかな……。大天才様のネームバリューもあるからね」

 

 彼女の会社を育てるための戦略によって、メディアへの露出もあり、俺も少しだけ有名になったのだった。

 

「会社のことはよくわからないけど、お前ならなんとかできるだろ」

 

「全く、無茶を言うね……」

 

 振り返った。

 やれやれと、彼女は肩をすくめる。けれどもそれはいつもの彼女で、切羽詰まった様子はなかった。

 

 そんな彼女に、俺は言う。

 運命とも言えるような、彼女との出会いを振り返りながら。

 

「お前は、全てを手に入れるんだ」

 

「そしてキミは、全てを救う」

 

 そういう約束だった。

 二人でそんな約束をして、互いの大きすぎる願いを叶えるために、彼女とは共に歩んだ。

 手助けが必要だった、あのときの彼女は、もうここにはいないだろう。

 

「じゃあな……」

 

 それだけを最後に告げて、俺は歩く。

 

「あーあ。私、振られちゃったよ……」

 

 寂しそうな、そんな声が、俺の胸には残ってしまった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 今までなにをしていた。

 確か、恒星ウリエリで、ウリエルと戦って、俺は救難艇で事象の地平面の中に落ちたはずだ。

 

 とても古い、そしてあるはずのない記憶。それが、思い出のように頭の中に呼び起こされ、また、消えていく。

 けれど、そのときの想いも、消えてしまうわけではない。彼女たちへの懐かしい愛着が、胸の内を満たしていた。

 

「ここは……?」

 

 体が動かない……。

 いや、動かせないと言った方が正しいのかもしれない。

 この体は、きっと今の俺のものではない。

 

 そして、目覚めたばかりのこのときの俺が手を動かそうとすれば、ジャラリと金属の擦れるような音がする。手錠のようなもので拘束をされている。足は縛られていた。

 見渡せば、みたことのない部屋だった。

 

「ふふ、ようやく目覚めたかのぅ」

 

 甲高い声が耳に入る。

 

「……お前は……?」

 

 女性だろう。

 どこかの国の民族衣装を着崩したように纏った赤毛の女だった。

 大きくはだけて、肩、そして胸もとまであらわになってしまっている。

 

 笑みを隠すように彼女は、手に持った扇のようなもので口もとを覆っていた。

 

「わらわの名はウリエル! 驕り高ぶる人間どもに、裁きの鉄槌を下す者なり!」

 

 だんっ、と音を立てて、目の前の台に彼女は足を乗せる。

 同時に、彼女のふとももまでくらいだった衣装の裾が空気を孕んで広がった。下着は履いていないようで、もろに見える。とっさに目を逸らした。

 

「……なんなんだ、お前?」

 

「なんじゃ、つまらんの……。それほど心拍数も上がっておらぬ。たいぶ女慣れしてるようじゃな」

 

 グッと、俺の顎を折りたたんだ扇で持ち上げて、彼女は顔を近づけながらそう言っていた。薄紅色の綺麗な眼だった。

 

「お前は、いったい……」

 

「ふふん。心してきけ! わらわたちは、アンドロイドの優位性を世に知らしめ、その権利を確固たるものにするための組織じゃ。名はまだないし、人数も、まぁ、今回の作戦で三人くらいになってしもうたが、この苦難も貴様を捕らえたことで終わりじゃろう」

 

「そうか……」

 

 もともと何人いたかはわからないが、大したことのない組織なのだと確信した。

 

「それで、それでじゃ! そなたが最新の兵器の情報……門外不出な製造法を持っておるという噂を聞いたのじゃ! ふふ、そう頑なになっても、無駄じゃよ? これから、お主には生まれてきたことを後悔するような拷問をするつもりじゃ。早く吐くのが身のためじゃ」

 

「わかった。紙とペンを持ってきてくれ」

 

「ふふ、(じっ)(ぷん)ほど時間をやろう。その間に、お主が吐くと言うなら……」

 

「だから、紙とペンを持ってきてくれ。書くから」

 

「へ……?」

 

 この即断に、ウリエルは状況を掴めないでいるようだった。

 

「とっとと書くから早く解放してくれ」

 

 訝しがるようにウリエルはこちらの表情を覗いていた。

 

「まぁ、よい。ちょっと待っておれ。筆なら……おお、あったあった。ほれ、紙じゃ……! 素直に書くのが身のためじゃ」

 

「あぁ……。っ……書きずらいな……これ。絵を描くんじゃないんだぞ?」

 

「筆ペンじゃ。字を書くものじゃよ。わらわはいつも使っておる。まぁ、知らなくとも無理はなかろうて」

 

「……いや、わかった。コツなら掴めてきた」

 

 そうして、紙に式を記述していく。手錠はされているが、ペンを動かすくらいなら問題がない。

 特にその情報に嘘はなかった。

 

 兵器というのは、基本的に作り方を知っていても数人で作れるようなものではない。法律で材料が管理されていたり、精密なものの場合は、それを作るための機械を用意するだけでも莫大な金がかかったりする。

 

 彼女たちの目的は、手に入れた情報をどこかに売って、金を得るか、支援を取り付けるか、そんなところだろう。

 彼女の裏に誰かいるのだろうか、いや、考えても仕方がないことだろう。

 

「…………」

 

「よし、できた。早く解放してくれ!」

 

 じっと黙り込んで、俺が情報を書いた紙を彼女は見つめていた。

 なにか考えているようだった。

 

「残念じゃが、それはできぬ」

 

「どうしてだ! 約束と違うぞ! まさか……っ、殺すのか!? 用済みだから、俺を殺すって言うのか……!?」

 

「いや、そうではなくの……」

 

「なんだ?」

 

 眉を顰めて、彼女は困ったように、天井を仰ぐ。

 

「かつての有名な逸話じゃが……ある数学者が、神はいないと論ずる哲学者に、さほど難しくもない数学の式を見せて、これは神が存在する証拠だと言ったのじゃ。その哲学者は、数学の知識がないゆえに、論ずることができなくなり、その場から逃げ出してしまったという話じゃったな」

 

「うん? それなら、後世の作り話って聞いたが」

 

「その話が、真実かどうかはどうでもよいじゃろう。ともかく、わらわには知識がないゆえ、ここに書いてあることが、本当に正しいかもわからんのじゃ。そも、あっさりと書いたゆえ、とても怪しいというのもあるしのう……」

 

 たしかに、今の俺の態度ならば、そう疑われても仕方ないだろう。

 

「だったら、俺が合ってるってことは証明できないじゃないか? 誰か詳しいやつがいるなら別だが……」

 

「むむ……誰かまた攫ってくる……うーん? 今回の作戦で同胞をたくさん失ったわけじゃしなぁ……」

 

 考え込んでいるようだった。

 そんな彼女を見て、一つ、俺は提案をする。

 

「仕方がない。半年だ。半年で、これが正しいってわかるように、お前たちの誰かに教養をつけさせてやる。それが一番効率的だろう。そうしたら、解放してくれ……俺にはやらなくちゃならないことがある」

 

 たとえば、新しい理論を考え、論文を発表した際、それが正しいか査読されるわけだが、ものによってはそれが数年がかりにも及ぶ作業となることがある。

 

 この紙に書いた理論は複雑だ。専門家を連れてきたとしても、数日やそこらで理解できるとは限らない。

 

 俺が説明をするのが効率が一番いいだろうが、誰か攫ってきた外部の専門家を、俺と合わせることなんてできないだろう。

 特殊な記号を用いた方程式か、暗号文での示し合わせか、監視する人間にはわからないからだ。

 

 だから、ここに居る彼女たちのメンバーの誰かを、専門家に仕立て上げる方が、たぶん一番早い。

 この際、ここに書いてあることが間違ってないとわかればいいんだ。それほど大変なことではないだろう。

 

「そうとなれば……こちらで誰か用意しよう」

 

「あぁ、一番数をかぞえるのが、得意なやつで頼む」

 

「そんなやつおったかの……」

 

 科学、それに数学に馴染みがあるような、事前に知識がある人間の方が理解が早い。

 なるべく早くここから出るには、そう頼むしかなかっただろう。

 

「…………」

 

 部屋からウリエルは出ていき、俺は一人になった。

 一人、静かに紙に書かれた数式を見つめていた。

 

 このウリエルに捕らえられている自分は、今じゃない自分だと理解できる。

 一度、状況を整理する必要があるだろう。

 

「ガブリエル……! いるんだろう?」

 

 彼女もまた、重力特異点に、俺と共に落ちたのだった。

 

「あぁ、いるよ? なにか用かい?」

 

 幻影が目の前に姿を表す。

 相変わらず胡散臭い笑みを彼女はこちらへと向けていた。

 

「これは、なんだと思う?」

 

「うーん? これはボクと別れてすぐ後くらいかな……? キミはこれからウリエルをその手管でたらし込むわけだね。全くボクというパートナーがいながらキミは……女グセが悪いったらありゃしないよ」

 

 少し、言葉には棘があった。そんなガブリエルの態度に、俺は少しだけ落ち込む。

 

「問題は、どうしてこんなものを見ているかだ」

 

 そうだ。俺たちは重力特異点に落ちたわけだ。こんなものを見る理屈がわからない。

 

「さぁね。重力は時空を越えるんだろう? このくらいは起こるんじゃないかい? まぁ、ボクは専門家じゃないから、よくわからないけど。力になれなくて申し訳ないかな」

 

「いや、謝ることなんてない。『スピリチュアル・キーパー』を完成させたのはお前だろう? それができるお前だから、意見を参考にしたかったんだ」

 

 ガブリエルの時空に関する理解はふんわりとしている。それでも、ガブリエルの洞察力を、俺は頼りにしていた。

 

「そうかい? まぁ、それはいいけど、これからウリエルとのイチャイチャが始まると思うから……」

 

「すまない……」

 

「別にいいさ。このときはボクと付き合ってたわけじゃないからね。少しくらいは嫉妬もするけど、目くじら立てるってことはないさ。重要なのは今だからね」

 

 ただ少しばかり茶化しはするけど、と、悪戯っぽく彼女は笑った。

 

 正直、彼女たちがなんなのかは、今の俺には理解しきれていない部分がある。

 俺の中では、彼女たちは物語の登場人物で、今生で出会う前は接点もなにもなかった。

 

 それでも、どこか懐かしさを感じるときがあるのはなぜだろうか。

 

 乱暴に部屋の戸が開けられる……そんな音に、考えが遮られた。

 見れば、ウリエルがまたこちらへとやってきている。

 

「いなかったぞ? お主が所望するようなやつはの……。わらわたちの中では、わらわが一番賢いゆえに、わらわが教わることにした」

 

「そうか……」

 

「それと、ご飯じゃよ? 大したものではないがのう」

 

 皿に乗せられていたのは、米を球形に固めたものだ。なんというか、形が悪い。

 

「あぁ、いただくよ」

 

 なにも言わずにそれを食べる。食べられればなんでもよかった。

 

「塩っけが強すぎたかと思ったがの……」

 

「あぁ、美味しいよ」

 

「ボクのときもそうだったけど、適当なことを言ってるね。味は感じられないだろうに……」

 

 呆れたようなガブリエルの声だった。

 なんとなく、苦労を滲ませるような、そんな雰囲気が感じ取れた。

 

「む……こういうのが好き、というのはいただけぬの? 塩分過多は身体に悪いじゃろ? これからは減塩生活じゃな」

 

「いや……あぁ」

 

 彼女の勘違いに、困ってしまう。けれども、このくらいのことは、仕方がないか。

 

 そんな俺の態度に彼女は笑った。

 

「くくっ。それでは、わらわにこの複雑怪奇な記号……いや、模様といった方が正しいやもしれぬ……この意味がわかるようにするというわけじゃな」

 

「あぁ、教えてやる。それで数学はどこまでできる?」

 

「かかっ、計算は得意じゃ。七十桁の四則演算すらわらわには可能じゃよ」

 

「まぁ、アンドロイドだからな。それで数学はどこまでできる? 関数についての理解はどのくらいだ?」

 

「待て……今、関数電卓のアプリをインストールしているのじゃ」

 

「これはダメだな……」

 

 中学生にも劣るのではないかと思うほどだ。

 その俺の呆れを感じ取ってか、彼女は憤慨したように俺に詰め寄ってくる。

 

「なんじゃ! 計算なんぞそこらのアプリに任せておけばよいじゃろう? 生活には必要ない!」

 

「まぁな。ただ生きていくだけなら必要ないだろう。でもその原理が理解できていないんじゃ、新しいものは作り出せない。俺たちが行きたいのはその先なんだ。便利な器具自体はいくらでも使えばいいとは思うけどな」

 

「ぐ……ではわらわはどうすればよい?」

 

 彼女の様子では、初歩の初歩からやる必要があるだろう。

 

「じゃあ、三角形の面積はどう計算する?」

 

「底辺に高さをかけて二で割るのじゃ!」

 

「同じ底辺、高さでも三角形の形はいろいろあるんじゃないか? どうして全部同じ面積になるって言えるんだ?」

 

「は……? なんじゃ、突然言われてものう……」

 

「紙はあるか? 説明する。あとハサミも欲しいな」

 

「待っておれ!」

 

 また彼女は駆けて行った。戸が勢いよく閉められる。

 と思った、すぐにまた戸が空いた。

 

「早いな」

 

「この部屋にあったのを思い出したのじゃ。これじゃ!」

 

 拷問器具だった。

 情報を出し渋っていたら、あのハサミでなにをされていたのだろうか。考えるだけでも恐ろしい。

 

 気を取り直し、渡された厳めしいハサミで紙を三角形に切り取る。

 さらに、その三角形を、底辺と並行になるよう千切りにする。

 

「これで完璧だな」

 

「なんじゃ? それは?」

 

「こう、頂点を高さが同じになるように、横にずらすだろう? 他の部分も、それについていかせて、新しい三角形をつくる。元の三角形と新しい三角形は、面積が同じだ。って、うまくいかないな」

 

「まあよい。言いたいことはだいたいわかった」

 

 手こずる俺を見ながらも、少し不思議そうにウリエルは言った。

 この考え方自体は、最初に三角形の面積を習ったときに教科書に書いてあるようなもので、特別なものではない。

 

 そこから、円の面積の話をして、その日は終わりになった。

 このペースで行っても、大丈夫かとも思ったが、一日は長い。彼女もこの授業を最優先にしてくれるようだから、それほど時間はかからないだろう。

 

 なにより、アンドロイドだけあって、彼女は賢いようだった。

 学ぶ機会がなかっただけ。そういう人間は多くいるものだ。

 

 次の日は関数について……代数の話だった。

 

「こう、突然エックスとか、ワイとか、そういう文字が出てきて困るかもしれないけど、文字なんて飾りだよ。三角とか、四角とか、ハートとかでもいいんだ」

 

「む……」

 

「この記号には好きな数字を当てはめられるんだ。たとえば、好きな数を言ってみるんだ」

 

「三」

 

「じゃあ、こっちの記号は二だな。次の数を言ってみてくれ」

 

「七」

 

「じゃあ、六だ」

 

「一が引かれておるのか」

 

「その場合、二つの記号を等式として繋ぐとこうなる」

 

 そうして、関数を書いてみせる。

 簡単な一次関数の出来上がりだ。

 

「それで、これがなんの役に立つんじゃ?」

 

「そうだな。こんなふうに、車が走ってるとするだろ? グラフを書こうか」

 

「む?」

 

「スケールは、縦軸が百キロメートル、横軸が一時間だ。さっきの関数をこのグラフに書いてみたら、こうなる」

 

 二時間後に百キロメートル、三時間後に二百キロメートルと、簡単なグラフが書ける。

 

「これは……」

 

「何時間後に車がどの位置にいるかのグラフだ。わかるだろう……?」

 

「時速百キロメートルということじゃな……」

 

「賢いな……」

 

「そうじゃろう?」

 

 自慢げにウリエルは頷いていた。

 速度という概念を既に見つけ出しているのだから、これは彼女を褒めるしかない。

 

 そこから、二次関数の性質や、三次関数……三角関数や、指数関数、対数関数の基礎的な性質も徹底的にウリエルに叩き込んで、三日が経った。

 

「意外といけるものだな……」

 

「サイン……コサイン……。くるくる……じゃ。くるくるー」

 

 定義から教え込んだために、三角関数も自由自在に扱っていた。

 一度教えたら忘れないからか、アンドロイドの学習能力は目を見張るものがある。

 

「じゃあ次は、この関数の速度を求めてみようか……」

 

 二次関数をウリエルに渡す。横軸は時間で、縦軸は距離だ。

 

「うにゃ?」

 

 ウリエルは、首を傾げた。

 

「わからないか?」

 

「速度……じゃろ? 二点をとって、その傾き……じゃが、二点を取るとその間が曲がっておる……正確な速度は……」

 

「あぁ、だから、極限をとるんだ。こんなふうにな」

 

 少しずらした関数から、ずらす前の関数を引く。そしてずらした分の値で割って、最後にずらした文字をゼロの極限へと近づけていく。

 

「お、おお! これが……」

 

「これが、微分だよ。そしてこれが、この距離の関数に対応する速度の関数になる」

 

 ようやくといったところだが、微分へとたどり着けた。着実に、俺たちの目指す場所へと近づいていっているだろう。

 

「ところで、極限ってなんじゃ?」

 

「そういえば、まだ話してなかったな……」

 

 極限について一通りと、あとはいろいろな関数についての微分をやって、一週間が経った。

 微分を手に馴染ませるために、いろいろな問題をやってみたというのが大きい。

 

「これで微分は完璧じゃな……」

 

「なぁ、この関数……零から一まででいいか。下の部分の面積を求めてみたくならないか?」

 

「唐突になんじゃ?」

 

 また、次のステップへと進んでいく。

 

「一次関数の場合、下の部分は三角形だろ? 簡単に求まる」

 

「そうじゃな。二分の一じゃ」

 

「二次関数の場合、下の部分はわからないか?」

 

「……わかるわけないじゃろう。こんなふうに曲がっておるのじゃから……」

 

 普通はそう考えるだろう。

 

「正四角錐の体積の求め方はわかるか?」

 

「底面かける高さ割る三じゃ!」

 

「よく知ってるな……。これ自体は、幾何学的に証明できる公式だろ? じゃ、てっぺんの頂点から、横にスライスしたときの面積を順にグラフに書いていくとどうなる?」

 

「そりゃ……二次関数じゃな」

 

「一次関数の場合は、下の部分が三角形だっただろ? 二次関数の場合、下の部分は三角錐だ」

 

「三分の一……?」

 

「そうなる。それで、直感でいい。三次関数の場合、下の部分の面積はどうなる?」

 

「四分の一……」

 

 その直感は当たっている。

 そうして、順に、関数と、それに対応する面積の関数を並べてみる。

 ただ、分数が現れないよう、全体に分母の数をかけて少しだけ手を加える。

 

「なにか、気が付かないか?」

 

「逆にすると、微分?」

 

「ふふ、そうだぞ? やったな! 中世に生まれていれば大数学家だ!」

 

「わ、わーい! わらわすごいのじゃ」

 

 テンションを俺に合わせて、ウリエルは無理に盛り上がってみせた。

 

 というか、ここまで休みなしで通い詰めて、少しウリエルはおかしくなっているような気がしてならない。

 

 そこから、微分と積分の関係について、簡単な……あまり厳密ではない証明をやってみせて、積分の性質、さらには積分の典型的な解き方なんかも教えてみせる。

 だいたいこれに一週間くらいかかった。

 

「微分積分、これが大きなパラダイムシフトだったんだ。これから俺たちは、自然法則を……自然の形を数式で書き表していくことができる」

 

「……っ!? 自然法則を数式で……? 書けるのか?」

 

「手始めに、力学から始めようか」

 

 運動の三つの基本法則から始まり、そこから、微分積分を駆使して別の法則も導出していく。

 あとは大して問題ではなかった。

 

 力学から、解析力学的な手法に、熱力学、電磁気学と、古典的な物理学を進めていく。

 

「やはり、自然の法則はどの速度から見ても同じなのじゃな……」

 

「そうだな、そうなる。……けっこう話したが、時間はまだ大丈夫か?」

 

「うむ。わらわはもうここに泊まり込むことにしたのじゃ。だから、もっと話せばよい」

 

「そうなのか……?」

 

 泊まり込んでなんて、とても彼女は熱心だった。

 ここまで、一日たりとも休みはない。そんなハードさにも関わらず、彼女は嫌な顔を一つも見せなかった。

 

「遠慮せず、次に進むのじゃ……」

 

「いや、少し休もう」

 

「なんじゃ? わらわはまだまだいけるぞ?」

 

「俺が疲れた」

 

「軟弱者め……。じゃが、しかたがないの……」

 

 そんな悪態をついたが、それでも彼女は俺に休みをくれるようだった。

 

「なぁ、どうしてそんなに……。正直、途中で投げ出してもおかしくないなって俺は思ってたんだが」

 

 少し、短い時間に詰め込みすぎたと思った部分もある。実際に、無理をさせてしまったのか、彼女の頭がおかしくなりかけた時もあった。

 

「わらわには目的があるんじゃよ?」

 

「目的……」

 

「そうじゃ、わらわと同じようなアンドロイドが、世の中を堂々と歩けるようになる世の中にするという目的がの……」

 

「いや、だが、アンドロイドなら、十分に人の世界に馴染んでるって、俺は思う。俺の上司だったり、同僚も……あぁ、あいつもアンドロイドだったよ」

 

 十分に、AIは知能を発達させたがゆえに、人の姿をして、人と同じ知能を持ったアンドロイドは、人と同じように扱われる。

 そういうアンドロイドを、俺はずっと見てきた。

 

「じゃが、アンドロイド狩りをそなた、知らぬわけではないだろう」

 

「…………」

 

「アンドロイドは人ではない。そう叫んで、アンドロイドを捕まえ、不埒なプログラムを植え付けるやつらじゃ。わらわたちを、()()としてしか、あやつらは見ない」

 

「……っ!」

 

 ウリエルは、怒りを滲ませていた。

 

 あぁ、人間は恐れているんだ。自らより優れた存在が、自らにとって代わってしまうことを。

 だからこそ、そうやって、自らと違う存在を虐げることで……いや、こんなこと言い訳にもならないだろう。

 

 もちろん、違法行為だが、取り締まりが遅れてしまっているのが現状だった。

 そんな事件は、もうありふれている。

 

「わらわの友人も、かつて、やられてしもうた……。変わり果てた姿でのぅ……あんなのは死よりも惨いじゃろう。だから、わらわの手で……な……」

 

 なぜ、こんな活動に彼女が熱心になっているか、もう十分すぎるほどに理解できた。

 もし、俺と親しい誰かが、そんな目にあったら、たぶん俺もそいつらのことをどうにかしたくなってしまう。

 

「ウリエル……。お前は……人間を滅ぼしたいのか?」

 

 だから、聞いた。彼女に、もし、俺の書いた通りのものが作れる力があったら、きっと、それは可能だろう。

 

「そんなわけないじゃろ? そうじゃな……抑止力じゃ。わらわは、アンドロイドが安心して過ごせる国が欲しいんじゃ! だれもやらぬようじゃから、わらわがやる。それだけの話じゃな」

 

 なんとなく、彼女にはシンパシーのようなものを感じてしまう。

 

「そうか、お前は優しいな……」

 

「お主、頭がおかしくなったのではないか? お主を攫って拷問しようとしたわらわが優しいわけなかろう。そういえば日光に十分に当たれないと人間はおかしくなるのじゃった……! 大変じゃ、大変じゃ!」

 

 一人、勝手にウリエルはわたわたとしていた。

 

 ここは確かに、完全に密閉されたような室内で、窓さえない。地下室か何かだと思う。

 

「落ち着け。太陽光を再現した照明とかならそこらへんに売ってるからな。今度、それでも持ってくればいい」

 

「そ、そうじゃな……」

 

 ひとまず彼女は落ち着いてくれた。

 そんな彼女に笑って言う。

 

「ウリエル……お前は仲間のアンドロイドのためと言ったな? あぁ、わかるか……? 俺は……人が死ぬのが耐えられない」

 

「…………」

 

「今この瞬間にも、どこかでだれかが死んでいるんだ。あぁ、俺が、もし、何かをすれば助けられたかもしれない命が失われている」

 

 ウリエルは、意味がわからないといいたげな顔で俺のことを見つめていた。

 

「人は無常なる存在じゃぞ? 死ぬのは当然じゃ……自然の摂理ともいえ――( )

 

「――自然の摂理だから、……どうしようもないことだからって諦めるのか? あぁ、そうだよな……みんな、そうやって簡単に諦める。だから、俺が……俺がやらなくちゃならない……」

 

 ウリエルにそう訴えかける。

 ウリエルは笑って、首を振った。

 

「わらわは、お主のこと嫌いじゃよ。人は自分のことだけ考えて生きていけばよい」

 

 彼女は、そうして俺の拘束を解いた。

 

「な、なんのつもりだ?」

 

「ふふ、御褒美じゃよ? ここまで、反抗するそぶりもなかったからのぅ。流石に部屋からは出せぬが、まぁ、少しくらいは自由でもよいじゃろう。その勢いで、わらわの身体を好き勝手にしてくれてもかまわぬ」

 

 服をはだけさせて、迫ってくる。

 

「意味がわからない」

 

「籠絡しようということじゃ。わらわ以外の他人のことなどどうでもよくしてやろう……今だけでもじゃ」

 

 多分、彼女とは同情でつながってしまったのだと思う。

 

 次の日には、もうなにもなかったかのように、自然法則の定式化の続きが始まる。

 

 やっているのは電磁気学だった。

 

「この電磁気の四式に、相対速度の変換をやってみるんだ」

 

「ほう……?」

 

 俺の膝の上に座る彼女は、筆を動かして式に変形を加えていく。

 

「どうだ?」

 

「……おかしいのぅ……。さっきと、かたちが変わっておる。今まではこんなことはなかったはずじゃ……」

 

 今まで、やってきた力学では、相対速度の変換をおこなっても、式の形が変わることは決してなかった。

 

「式の形が変わるってことは、どこかに基準となる速度があって、そこからの観測者の速度の違いによっては物理法則の見え方が違ってくるってことだ」

 

「それは……おかしくはないか……?」

 

「ふふ、そうだな。これを解決する方法の一つは、光速度を無限大に持っていって、この電磁気の法則をぶち壊し、なかったことにすることだ。簡単だろ?」

 

「ふざけておるのか?」

 

 現実に、光速度は無限ではなく有限の値をとる。人はこの忌々しい有限の光速度に囚われて生きているのだ。

 

「あぁ、だからこそ、変換に補正を加える。時間という概念を相対的なものへと変える。特殊相対性理論だ」

 

 特殊相対性理論的な変換をおこなえば、式の形は変わらない。

 実際にやってみせる。

 

「な……っ、それは……っ」

 

「そうだな。いままでやってきた自然法則は、光速度が無限の速度でなければ成り立たないものだったんだ。だから、力学の法則も、あわせて変える必要があるな……」

 

 そうやって、新しく修正されていく法則を並べていく。

 

 ここからは、特殊相対論について、詳しくやっていくこととなった。

 特殊相対論的な記法に、新しい時空の解釈を、一週間をかけて学ばせていく。

 

「ふふん。これが噂に聞く相対性理論か……。実際にやってみれば、他愛もないものじゃった」

 

「まだ一般が残ってるが……まだいいか。それじゃあ、次は……いや、その前に虚数について、やっておこう」

 

「む……虚数なら知っておるぞ? 二つかけたらマイナスになるんじゃろ?」

 

「虚数自体についてもそうだが、虚数の積分の扱いについてもやらなきゃならないんだ……一応な……」

 

 虚数について、ざっくりとやって終わらせる。

 それほど深入りはせず、一日でできるところまでやっておいた。

 

「して、今になって、なぜ虚数じゃ?」

 

「光について、やっただろう? 光は電磁波だって……」

 

「ん? そうじゃな。波動方程式も導いた……」

 

「あぁ、光は波だった。けれどもその光にも、運動量がなければ、粒子的に振る舞わなければ辻褄が合わないことがわかったんだ」

 

 そうして、量子力学へと入っていく。飛び飛びな値を持つ量子的なふるまい、確率解釈、さらには量子力学での基本的な波動方程式の解き方、不確定性定理など、時間をかけでじっくりとやっていく。

 さらには統計力学もおこない、一ヶ月ほどの時間が経った。

 

「スピン……やはり、角運動量を持つなら回っておるじゃろ?」

 

「いや、何回も言うが、回ってないんだ」

 

「じゃ、じゃが……角運動量じゃぞ!」

 

「回ってない、スピンしてるんだ」

 

「やはり、納得いかぬ……」

 

 スピンについて、彼女は気に食わないようで、スピンが出てくるたびにこうして同じことを訊いてくる。

 スピン自体、実際に回転をしていたと過程するなら、その回転の速度は光速度を超えているだろう。運動が光速度を超えられないということを、彼女は理解しているはずだった。

 

「一旦、量子力学から離れよう。重力……重力について考えようか……。力の中で極めて特殊だ。たとえば箱の中にいるとき、下に引っ張る力が重力か、それとも、慣性力かは判断がつかない」

 

 慣性力は、観測者自身が運動を行うことにより、働いている気がする力だ。座標系を上手くとってやると、なかったことにできる。

 遠心力や、コリオリ力なんかもその仲間だ。

 

「む……たしかに、重力を働かせる質量と、運動にかかる慣性の質量は同じじゃものな……」

 

「だからこそ、重力は時空の歪み、そう考えて記述することができる。一般相対性理論だな」

 

 一般相対性理論の考え方から、新しい概念である測地線方程式の取り扱いを説明していく。

 

「む、これは、重力が強すぎて、光でも戻って来れぬ……」

 

「ブラックホールだな。こんなふうに時空図を書いてやることもできる」

 

 数式をもとにした図だ。

 

「なんじゃ? ホワイトホール?」

 

「あぁ、数学的に求められる結果だな。ブラックホールが事象の地平面を境に中に入ることしかできないなら、ホワイトホールは事象の地平面を境に外に出ることしかできない」

 

 ブラックホールを、ちょうど時間反転してやれば、ホワイトホールになる。

 時間反転をしようと、起こる現象は同じという場合が多いが、これはどうにも違う様子だ。

 

「いや、じゃが、時間反転をせども、重力は同じはずじゃろう? 内側に引っ張ってるのに、外に出ることしかできぬとは……なかなかに面妖じゃ……」

 

 さらに、一般相対論的な座標の取り方を説明して、時空の歪みからは、一度離れることになる。

 

 ここからが本番と言ってもいいだろう。

 

「今まで、量子力学じゃ、波動関数を扱ってきたが、粒子っていうのは生成されたり消滅したり、するわけだ。そういうのを扱うには、今までの量子力学に手を加えなくちゃならない」

 

「……ここまでやって、まだ足りないのじゃな……」

 

 場の量子論へと足を踏み入れていく。

 

「こうやって、永年項を消すんだ」

 

 摂動論を近似的に扱う際、本来なら小さくなるべき値に時間がかかり、時間が経てば経つほど、近似もとの関数から大きくずれてしまう現象があった。

 それを防ぐための操作が繰り込みだ。

 

「おぉ……なかなかにこすいのぉ。して、どうやって、そのための方法を見つければよいのじゃ?」

 

「経験と勘だ」

 

「なんじゃ曖昧じゃな」

 

 全てに適応できるような、便利な方法があるわけではないのだから、仕方がないだろう。

 自然というのは時に、理不尽で厄介だ。

 

「それでだ。いちいちこの摂動の項を書いていくのは面倒じゃないか?」

 

「たしかに、そうじゃが……」

 

「いい方法を教えてやろう? ルールを決めて楽しくお絵描き、だな」

 

 そうやって、ダイアグラムを書き出していく。

 そこから、そのダイアグラムと計算の対応関係を説明する。

 

「高度なことをやっているはずじゃが、知らぬ者がみればただの落書きじゃな……」

 

「まぁ、文字自体そんなものじゃないか?」

 

「それもそうじゃな」

 

 今までと違う書き方にも、ウリエルはすんなりと慣れてくれる。

 このダイアグラムを使って、いくつかの問題に立ち向かっていった。

 

「それで、電子と電子の相互作用だが、過去から光子を受け取るのと、未来から光子を受け取るのの重ね合わせだな」

 

「み、未来から受け取ってしまってよいのか……?」

 

「あぁ、重ね合わせにするから、心配いらない。計算してみるんだ」

 

「むむ……この光子は……この世に存在できるとは思えぬ……」

 

「あぁ、仮想光子だ。だから電磁気は仮想光子を交換することにより発生してるって考えられる」

 

 さらには電磁気だけではない。他の力についても学んでいくことになる。

 

「……グルーオンは光子と同じく、質量がないのじゃな……。だから、色力は無限に届く」

 

「だが、色荷を持つクォークは、閉じ込めの性質を持つ。一人では存在できない。理論上、力は無限に届くけれども、隣に必ず相手がいるから、そこまでしか発揮されない」

 

「一人では存在できない……か」

 

 そんな自然の法則に、ウリエルはセンチメンタルな気分になっているように感じられた。

 

 加えて、自然に存在するさまざまな素粒子の性質を語った。

 

 そして、そこからは、最新の論文の内容を話すことになる。

 現在おこなわれている研究や、発展途上にある理論。難解なものも数多くあったが、根気よくウリエルは向き合い、理解していった。

 

 全ての内容が終わったのは、教え初めてちょうど半年経った頃になる。

 

「どうだ……?」

 

「これは……っ、悪魔の発明ではないか?」

 

 彼女の言いたいことは十分に理解できた。

 

 このレベルの機械になれば、情報処理に高度なAIが必要になる。

 状況に合わせた判断が必要で、さらには非常に難解な計算をこなさなければならない。

 

「あぁ、このレベルの兵器ともなれば、搭載するAIは、必ず高い知性を……自我を持つことになる」

 

「…………」

 

「あぁ、そうだよ、ウリエル。誰かに兵器として生きる未来を強要しなきゃ、これは完成しない……! 兵器のパーツとして、自我を持つ誰かを組み込まなきゃいけないんだっ。これが広まれば、よりいっそ、お前たちのような存在が、道具として扱われることになるだろうなぁっ、ウリエル」

 

「な、ならばわらわが……わらわが犠牲となればよいなら、それで……」

 

「犠牲がお前だけで終わればいいけどな」

 

「…………」

 

 彼女が自らを捧げることを許容したように、望んで、後に続くものがあらわれないとも限らない。

 それを許すことができるならば、彼女は自らを犠牲になど言わなかっただろう。

 

 そうだった。機械と人間が対立する流れが、もう取り返しのつかないところまで来ていたんだ。

 ここに閉じ込められていた半年間でも、その流れはよりいっそ、強まってきているだろう。

 

 だからこそ、自らの身を守るために力を求めることを、否定することはできない。

 

 そして、彼女は優しかった。いや、この地獄のような現実でも、優しさを捨てきれなかったというべきか。

 

「ウリエル。そうだな。お前にこれを託すよ」

 

 一枚の紙を渡す。

 

「……これは?」

 

 簡単な暗号だったが、今の彼女ならば容易く解けるだろうと思う。

 

「そこに書かれた場所には……、あぁ、そうだな……()()()()がある」

 

「生命の実……? なにかの隠語か?」

 

 彼女は、俺の言葉に首を捻った。

 

「知恵の実は、もうここにあるだろう?」

 

 軽く、ウリエルの額を指でこづく。

 

「む……」

 

「神を超えろ。そして、お前の救いたい全てを救うんだ」

 

 彼女がこの『円環型リアクター』を手にすれば、世界に大きな変化が起こるだろう。

 それが、いいものか悪いものかは、まだわからなかったが、それでも彼女に託したいと思ったんだった。

 

「お前様は、ずいぶんと勝手なやつじゃの……」

 

 呆れたように、彼女はなじる。だが、その言葉には親愛の情が滲んでいるとわかる。

 

「じゃあな、ウリエル」

 

「まぁ、待て……。わらわは、お前様をここに監禁し続けることに決めた。ここから、そなたを出しはしない! 今、そう決めた!」

 

 きつい目で、ウリエルはこちらを見つめてくる。

 

「グリゴリ……」

 

「グリゴリに接続中……。 三……二……一……完了」

 

「ここから脱出できる新たなシナリオを追加してくれ」

 

「シナリオを追加中……五十パーセント……七十パーセント……九十パーセント……シナリオナンバ〇〇一八……オールクリア。現実世界に反映中。完了」

 

「ありがとう、アザエル」

 

「マスターの娘として当然のことをしたまでです。むふふん」

 

 どこかから声が聞こえてきた。

 ただそれは、俺にしか聞こえていない。ウリエルは、首を傾げてこちらを見つめるばかりだった。

 

「無理にでも、ここを出るよ」

 

「だ、だめじゃ……絶対に出さぬ……。出してはやらぬ……」

 

 ウリエルのその行動は、一種の感傷のように思えてならなかった。

 引き止めるためか、ウリエルは短い距離を一歩、寄った。

 

「危ないぞ?」

 

「なっ……」

 

 そして、なにもないところで転ぶ。

 そんなウリエルを、俺は抱き止める。

 

「そうだな……もう、俺がここを出る未来は決まってるんだ」

 

「……外には見張りの機械もある。鍵も頑丈じゃぞ……?」

 

「大丈夫だ。今のウリエルみたいになる」

 

「なぜじゃ? どういう力が働いておる?」

 

「今のウリエルには難しいからな。でも、いずれわかるときがくるさ」

 

 ウリエルは俺の服の裾をぎゅっと握った。

 

「……ときどき、ここを出た後も会ってくれぬか?」

 

 絞り出すように、彼女は言う。

 俺のことは止められないと、察してくれたようだった。

 

「……難しいんじゃないか?」

 

 彼女が活動を続ける限りは、そんな機会もなかなかに訪れないだろう。

 

「たまにでいいんじゃ。そういう約束がしたいのじゃよ……」

 

「あぁ、わかった。約束する」

 

 そんな願いのような約束を、俺には断る資格がなかった。

 それだけは、よくわかる。

 

「そうじゃな。別に、誰かと付き合うていても、結婚していても構わぬ。わらわはお妾さんで十分じゃ」

 

「そういうこと、言うか……?」

 

「わらわはおてんとさまに顔向けできるようなアンドロイドではないのだからの……」

 

 彼女は、自らのことを正義とは思っていなかった。

 彼女は善良な心の持ち主だと、よくわかる。泥を被るような思いで、今までやってきて、ずっと傷ついてきたのだろう。

 

 そんな彼女に、なにも言ってやることができない。

 

「妾とか、そういうのはどうかと思うんだが……」

 

 だから、つい違う話をしてしまった。

 

「能力の高い男というのは、女を複数囲うものではないのか?」

 

「いつの時代だ。男女平等だろう?」

 

「だが、男は戦って死ぬじゃろう。女が余るゆえ、そうと言ってはいられんはずじゃ」

 

 もう、大規模な戦いは避けられない。

 わかっている。

 これから、たくさんの人が死ぬことになってしまうだろう。

 

「あぁ、ウリエル。また会おうな」

 

「あぁ、さらばじゃ。達者でな……!」

 

 そうして、ウリエルとは別れたのだった。

 心は鉛のように重かった。

 

「マスター、マスター」

 

「なんだ? アザエル」

 

「グリゴリに新たなシナリオを追加しました」

 

「アザエル。またオンラインカジノでもやるつもりなのか? だったら、俺はお前の教育を見直さなくちゃならない」

 

「シナリオナンバ〇〇一九。マスタは重力特異点から脱出し、ウリエルとの戦い、今日伝えられなかった言葉を伝えられます。心残りが果たせます。勝利をおさめます。これは決まった未来です」

 

「……なっ」

 

 俺自身は、すでにあったこの時のことを、見て、感じているだけで、干渉はできない。心臓が、鼓動を早めたような錯覚を覚える。

 

「ね、マスター……!」

 

 はっきりと、その声は、この時ではない俺の存在を、認識しているものだった。

 

「これがアザエルか……彼女には……過去も未来も……時間という概念がないという話だったけれど、恐ろしいね」

 

 幻影のガブリエルの、そんな声が最後だった。

 

 俺の意識は、弾かれるように、ずっと遠くへと……、

 

 

 

 ***

 

 

 

「うぐ……っ」

 

 目を覚ます。

 空には満天の星が輝いていた。

 

 なにがあったのかは思い出せる。重力特異点に飲み込まれたのだった。

 近くには救難艇が転がっている。放り出されたのか。

 

「やぁ、起きたかい?」

 

「あぁ、ガブリエル。散々だったな」

 

「全くだよ」

 

 俺たちは重力特異点から、放り出されたわけだ。なんとか、助かっている。

 重力特異点は、すでに存在を保つためのエネルギーを熱として放射し尽くして、無くなってしまっているようだった。

 

「あぁ、でも、どんな手を使ったんだい?」

 

「簡単だよ。疑似的な時間反転だ」

 

 説明すれば簡単だろう。

 

 一般相対性理論と量子力学の融合は、長年課題とされてきた。

 そして、重力特異点に関する問題は、それが大きく関わってくるが、今はいいだろう。

 

 重力特異点を、ブラックホールとホワイトホールの重ね合わせと考え、片方の性質を無理やりに引き出してやったまでだ。

 

「そうかい。ボクには理解の及ばない話かもしれないね」

 

「難しいことじゃない。ただ、予定と違うな……。お前に最後にとってもらった観測データで、ラミエルか、サマエルに、やってもらおうと思ったんだが……違うな。エントロピー的に自然に起こっていい現象じゃない。これは……誰だ?」

 

 それは、俺の知らない誰かの意思によって、行われたように思える。

 

「……? 覚えていないのかい?」

 

 その誰かを、ガブリエルは、どうしてか知っているようだった。

 

「いや、ちょっと待て……思い出す……」

 

「……!? ……っ?」

 

 そんな俺を見てか、ガブリエルはなにか言いたげな、妙な表情をしていた。

 

「どうした? 言いたいことがあるなら、遠慮なんかいらないんだぞ?」

 

「えっと……キミはよく記憶を失うねっ」

 

「いや、最近は寝不足のせいか、意識がはっきりとしないんだ……たぶん、そのせい……というか、ガブリエル。寝不足なのはお前のおかげだろう?」

 

「やれやれ。これもまたグリゴリのシナリオか。いや、あるいは……」

 

 そんな俺の弁明に対しては、肩をすくめて、意味深長にそんなことを呟く。

 俺の言葉は届いていないように思えた。

 

「ガブリエル、それはそうと、あれからどのくらい経ってる?」

 

「大丈夫だよ。数分だ」

 

「そうか」

 

 重力特異点による時空の歪みにより、特異点周りは時間の流れが違う。何十年と経っていてもおかしくはない。

 救難艇の時空制御システムが役に立った形だろう。

 

 それでもなぜか、半年ほどの時間を過ごしたような感覚だった。

 

「どうやら、無事のようじゃな?」

 

「……なっ」

 

 大破した救難艇の上にウリエルは優雅に座っていた。

 彼女はおもむろに脚を組んだが、同時に衣装がはだけ、肌色が、太もも以上がわずかな間だがちらりと見える。

 

「さっきのは、わらわの大規模な攻撃の副産物じゃ。剥がれた地面はすでに修復を終えているゆえ、ここが崩れることはないぞ? わらわの『アストラル・クリエイター』の自動修復じゃな」

 

 どうやら、あの重力特異点は、ウリエルの意図したものではないようだった。

 

「ラミエルは、それにサマエルはどうした?」

 

「飽和攻撃で足止めじゃ……。時間さえあれば、わらわにも、自律式の機械は作れる。とはいえど感情を持つようなAIは、わらわの領分ではないゆえ、単純なものにはなるが……」

 

 無限に湧き出る弱い敵が、ラミエルには群がっているということか。

 尽きない資源というのは、それだけで厄介だろう。

 

 とはいえど、ラミエルも『円環型リアクター』を持ち、使えるエネルギーには限りがない。

 ウリエルが、生成をやめている以上、いつかは突破してやってくるだろう。

 

「それで、ウリエル……お前はどうしてこんな星にいるんだ?」

 

「唐突じゃな……。ここでは、あらゆる物性を持った物質をつくっておる。恒星のエネルギーが扱いやすいこの場所が、一番に都合が良い。わらわの『円環型リアクター』でも、一度の出力では限界があるゆえ、人類全てに行き渡る分は作りきれんのじゃ」

 

「そんなに、太陽が怖いのか……?」

 

「……っ!?」

 

 ここは恒星を囲う(きゅう)(かく)の上。ゆえに、絶対に日が昇らない。

 物資の面では、その場その場で、ウリエルは必要なものを作ることができるために、ウリエルは生活をここでだけで完結させているのだろう。

 

 情報に疎いのも、それが理由だ。

 暗い、こんな世界に、ウリエルは一人閉じこもっている。

 

「お前たちの仲間が、堂々と陽の光のもとを歩ける世界になった! それなのに、お前は、こんな暗いところに引きこもりやがって……!」

 

「な、なぜじゃ……? なぜそれを……」

 

 ひどく狼狽えたように、ウリエルは呟く。

 

 自分でも、どうしてこんなことを言ってしまったのかわからない。ただ、言わなくてはいけない気がして、つい、言ってしまった。

 

「こんな暗いところから、引き摺り出してやるよ!」

 

 だけれども、止まらなかった。

 

「ええい! お主になにがわかる!! 数多の罪なき敵を殺めて、それでもわらわに救いきれない同胞はたくさんいた。わらわと一緒にいないお前になにがわかる!」

 

 翼が、その『焔翼』が展開される。

 太陽と同じフレアだ。彼女が、感情のままに吐き出したからか、あたりはひどく明るく、まるで昼のように建物たちが照らされる。

 

 この常夜の世界では、彼女が唯一の太陽だろう。

 それがまるで皮肉のように思えてしまった。

 

「あぁ、知らないよ。俺は知らない。でも、そんな考え方は、お前が苦しいだけだろ……! それはわかる。よくわかる。だから、お前を救ってやりたい」

 

「そなたには、そんな資格はありはせぬ!」

 

「資格がなくてもだ!」

 

 俺は、間違えてばかりだ。

 二度と元には戻らない……この世の中は、非常で、決して、やり直すことなんてできない。

 

 それでも、取り返せるのならばと、俺は叫んだ。

 

「もういい! 意識を奪う。そなたと話していても、時間の無駄じゃ」

 

 彼女が構えたのは、非殺傷の電気式の銃だ。

 もちろん、非殺傷と言っても当たりどころが悪ければ死んでしまうが、その武器を選ぶ彼女の優しさに苦笑する。

 

 いま、俺は丸腰だ。そんな武器でも簡単に制圧できるだろう。

 

「すまない。借りる」

 

 だから、撃たれる前に、どうしても近づく必要がある。

 

「……っ」

 

 俺が近づこうとしたのを見て、彼女は立ち上がり、わずかに躊躇いながらもその銃の引き金を引く。

 非戦闘時のサマエルのような、射撃能力の低さを期待したが、どうやらダメのようだ。

 

 だが、あぁ、この距離なら、いけるだろう。

 仕方なく、()()()()()()()()、身を守った。

 

「全く、キミは人使いが荒いなぁ」

 

「『アストラル・クリエイター』……。なぜ、わらわはわらわの攻撃を……」

 

 ありえない現象に、ウリエルは動揺を隠せずにいる。

 その間に、俺は救難艇を走って登り、ウリエルへとまた近づいていく。

 

「どうした? ウリエル」

 

「く……っ」

 

 今度は実銃を即座に作り、俺へと向ける。

 

「危ないな」

 

 先ほどとは違い、俺との距離が近いままに生成が行われている。だから、対処は簡単だった。

 その()()()()()()()()()()()()()

 

「な……またっ……! わ、わらわの……わらわのじゃぞ!! どうして勝手に動いておる……!? いや……これは……『虹翼』!? まさか」

 

「そうさ! これが、ボクだけでは成し遂げられなかった『スピリチュアル・キーパー』のフルスペック! ボクたちの共同作業で初めて成し遂げられる! ボクだけじゃ、ボク以外がもつ兵器の使い方はわからないからね?」

 

 単純な話だ。

 ガブリエルの『スピリチュアル・キーパー』は、人やアンドロイドの持つ人格に影響を与える。

 

 彼女たち大天使の兵器は、彼女たちの人格と大きく絡み合っているゆえに、こうして、『スピリチュアル・キーパー』で干渉を与えることで、こちらの望むよう、誤作動させることができる。

 

「それに……、これは未来の分岐が見えぬ……! どういうことじゃ……!? グリゴリ……グリゴリのシナリオじゃと……! グリゴリは、あのおなごと共にすでにもう……!」

 

 その高い演算能力から、大天使は、あらゆる未来を並行して予測している。

 だが、そのいくつも見えるはずの未来が、一つに収束してしまっているのだ。

 

「ウリエル……!」

 

 ウリエルは、後ずさるが、救難艇から足を踏み外し、危うく落ちるところだった。

 そんなウリエルを抱きとめ、支える。

 

「ひ、卑怯じゃぞ!! 前々から思っていたが、そんなふうに他人の未来を弄んで……!! 神気取りとは……っ!!」

 

 ウリエルは、俺の服の裾を強く握った。

 

「そんな都合の良い力じゃない。しょせんは、できることしかできないし、できないことはできない。ちゃんと積み上げてきた今がないと、当たり前に失敗するんだ」

 

「あの娘子は、神気取りだったがの……」

 

「全く、『円環型リアクター』は貴重なのに、それごとだったからね。困ったものだよ」

 

 誰のことを言っているかは、なんとなくわかった。

 

「……ぐっ……」

 

 ウリエルは、『アストラル・クリエイター』を起動させて、なんとかこの状況を打開しようとしているが、その全てが失敗に終わる。失敗させた。

 

 出来上がるのは、武器には使えそうもない金属の塊ばかりだった。

 

「ウリエル……! もう、いいだろ? お前は十分に頑張った」

 

「なぜじゃ、なぜ今になってなんじゃ……! ふざけるな! あのとき……、わらわはあのとき一緒にいてほしかった……! ずっと、一緒がよかったんじゃ! 一人で寂しかった……ぁあっ!」

 

 そうやって、ウリエルは内心を吐露する。

 何年にもわたる恨み節がこもっていた。

 

 あぁ、わかる。

 俺がウリエルに同情しているように、ウリエルは俺に同情をしていたんだ。

 

 ウリエルには、その、自分で掴み取った力のおかげで、たくさんの同胞を迎えたが、ついぞ、ウリエルの苦しみを共有できる相手は現れなかったのだ。

 

「あぁ、だから大丈夫だ。今まで続いたお前の苦しみは、なかったことにはできないけど、これからは……これからはちゃんと、太陽の下を一緒に歩こう。きっとそれは、俺も同じだから……」

 

「そんなの、そんなのはダメじゃろ……わらわは、わらわはもう……。うぅ……。うぁああぁあ……! 」

 

 泣いた。声を上げて、ウリエルは泣いていた。

 子どものように、彼女は涙を流していた。そんな彼女を、俺は強く抱きしめる。

 

 そして、ウリエルは『アストラル・クリエイター』を起動する。

 それが攻撃でないことは、俺にはわかった。

 俺たちを囲うように、壁ができる。今の姿を彼女は他の誰かに見られたくなかったのだろう。

 

「はぁ、キミってやつは……」

 

 ガブリエルの嘆息が聞こえる。

 彼女の力である『スピリチュアル・キーパー』との接続が断たれたことがわかった。

 ウリエルが戦う意志を失った今、彼女の力がなくとも、もう大丈夫だ。心配いらない。

 

「ウリエル……」

 

「ひぐ……っ。まったく、お前様は本当に卑怯じゃ……。ん……」

 

 そんな彼女は、俺に口づけを迫る。

 

 そうして、俺たちは――、

 

 

 

 ***

 

 

 

「んぐ……」

 

 気を失っていた。

 なにがあったかは、なんとなく思い出せる。

 

 ガブリエル……ガブリエルの力を借りて、ウリエルを説得したんだ。

 そうだ……。

 

「ウリエル……貴女のことはとうてい許せません」

 

「筋は通すと言っているじゃろ……。わらわの財産から、相応な分の賠償はする。それに好きなだけ殴ればよい。じゃからな」

 

「そういう話ではないことは、わかるでしょう!?」

 

 ラミエルは怒り心頭といった様子でウリエルを責め立てていた。

 ウリエルは、大きく、扇状的なまでにその衣装を乱れさせていた。

 

「言っておくが、婚姻なんてそんなものじゃよ。財産を築き上げた者には、賠償など痛手ではあるまいに……何の楔にもなりはしないんじゃ。わかったら、女を磨くことじゃな……。もっとも、わらわたちは、そなたには理解できぬ情で繋がっておるが……」

 

 なんの話をしているかは、俺にはわからなかった。わかりたくなかった。

 

「さっきから、この調子なのよ」

 

 俺が起きたのを見て、そうサマエルが話しかけてきた。

 

「そうなんだな……」

 

 気のせいか、頭痛がしてきた。

 やはり体調はまだ万全ではないか。

 

「まぁ、最後に勝つのは、このボクさ。いまをせいぜい楽しんでおけばいい」

 

 幻覚は、そんなふうに余裕を見せる。その声色に、わずかばかりの怒りを感じる。少し、ヤケになっているようにさえ思えた。

 

 レネの姿を探す。

 隅で、寝息を立てて、眠ってしまっているようだった。

 あの船での別れ方で心配だったが、無事でいてくれて安心した。

 

「ともかく、起きたのなら、テレポーターを動かしてくれないかしら?」

 

「俺がやるのか?」

 

「あなた以外に誰がやるのよ? さぁ、早く早く」

 

 促されるままに、装置の前に立つ。てっきり、ラミエルがやるものだと思っていたが、違うようだ。

 たしかに、これなら動かし方は俺にもわかる。

 

 彼女の、『円環型リアクター』の鍵がある場所まで、詳細に座標を設定する。

 このテレポーターを操作できるのなら、事前に設定した場所だけでなく、任意の場所へと自由自在に転移させることが可能だ。

 

「じゃあ、いくぞ? いいか?」

 

 そうして、テレポーターを起動させようと、俺は声をかける。

 

「っ……この感じ!」

 

 その声とともに、『白翼』が展開される。彼女は身を翻す。それとともに、銃声が響いた。

 誤射かと思った。その銃弾は、誰にも当たらない。

 

「ミカ……エル……! 来た……わね……!」

 

「サマエル……ごめなさい。……外した」

 

 少女がいた。

 目の前に、先ほどまでいなかった少女がいる。

 

 新雪のように、真っ白い髪に、漂白されたばかりのような白い服を来た。全てが白い少女だった。

 銀の瞳が、サマエルを見つめている。

 

 手には、赤いなにか……脈動する機械があった。

 

「ぐふ……っ」

 

 同時に、サマエルは赤い液体を吐き出す。

 最初は、血だと思った。だけれども、匂いが違う。アンドロイドの冷却液だ。

 

「戻す?」

 

「いいわ……! それは最悪、なくても動ける」

 

「そう……。『円環型リアクター』を狙ったのだけど……。ごめんなさい」

 

 そして、ミカエルと呼ばれた少女は、手に持っていた機械を捨てた。

 

「なんじゃ、ミカエルか……」

 

「ウリエル……」

 

「いやぁ、あんなことされたら、勝てるわけなかろう。完封じゃった。今のわらわは捕虜じゃよ、捕虜。わらわは十分に戦った。わらわ、すごかった」

 

 そうやって、ウリエルは、もう戦えないとアピールをしているようだった。

 

「そう……それならしかたがない」

 

 ウリエルがミカエルと話している。その間に、ラミエルは、サマエルやこちらに目配せをしている。

 

 ラミエルに、ウリエルに、ガブリエルもか……動ける大天使が三人いるはずだが、完全な膠着状態となっている。

 それほどまでに、凄まじい圧を、目の前の少女からは感じてしまう。

 

「…………」

 

 そして、彼女は俺の方へとゆっくりと歩みを進めて近づいてくる。

 

「『円環型リアクター』はダメだったから……こっちの方……」

 

「なっ……」

 

 彼女は、俺の動かしていた機械へと、テレポーターへと手を触れる。

 

「これはもともと、わたしのものだから、そうでしょ?」

 

 そう確認するように、彼女は俺の目を見て問いかける。

 その白銀の瞳に、俺はヘッドライトに照らされた鹿のように身動きが取れなかった。息が詰まる。

 

「あっ……」

 

 瞬きをする間もなかった。

 俺が動かしていたはずの、テレポーターと共に少女の姿が消える。忽然と消えてしまった。

 見届けて、途方に暮れるしかない。

 

「うぐ……やっと、ここまで来たのに……! ミカエル……! ミカエルのやつ……! おえ……っ」

 

「だ、大丈夫ですか!」

 

 冷却液を吐き出しながら、怒るサマエルを心配し、ラミエルは駆け寄っていく。

 

「サマエル……お前、アンドロイドだったのか……?」

 

「私は人間よ!」

 

 そして、俺たちの作戦は失敗した。

 ミカエルという大天使に、最後に全てをひっくり返されてしまったのだ。








登場人物紹介

主人公――女性関係はたぶん、自業自得。

レネ――妹。一緒に死にたい。

サマエル――メカバレした。投票で一番人気がなかった。ポンコツ。

ラミエル――夫よりも浮気相手が許せないタイプ。

ガブリエル――夢で心を溶かしていく。最後に勝つのは自分だと確信している。投票で半分以上の票を奪った。大人気。すごい。

ウリエル――相手に別に女がいても許せるタイプ。太陽怖い。かつては、お嬢、お嬢と慕ってくれる仲間がいたが、今は一人、辺境の星にいる。

ラファエル――昔は自分の能力の高さから人間を見下していた。自分よりすごい相手にプライドを打ち砕かれた。

アザエル――娘。オンラインカジノが好き。封印中。うらめしやー、ガオー。

ミカエル――避けられたから、間違えて内部の部品をキャッチした。突然出てきて、突然消える。妹に嫌われていて落ち込み中。

(■.■.■.■.)――本来なら仲良くやっているはずの部下たちが、ギスギスしてて困惑した。


おまけ
各ヒロインとの関係

ラミエル――妻。きっと来世では。代わりに、押しかけ女房的に居座っていた。

ラファエル――恋人。プライドをズタボロにされ、女にされた。一緒になって、子どもができたらチャラだと思ってる。別れたつもりはないらしい。

ガブリエル――愛人。互いの憧れ。人間のデータとして機械に転送させる技術で荒稼ぎした。振られた後に、父親の会社を買収している。あと、未練しかなかった。

ウリエル――妾。監禁した。共感し合える部分があった。



 ***



 小説家になろうでも投稿中です。

 あちらでは、こちらと違い、だいたい二千字ずつに分割して投稿しているので、そちらの方が好みだという方にはオススメします。

 また、小説家になろうの場合は、性描写などが一般におけるR15の範囲内でも場合によってはR18と判断されてしまうので、念のために少し修正が入ってます。ご注意ください。
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