場所はアインズ・ウール・ゴウン魔導国、首都エ・ランテル。魔導国魔導王の居城には現在二人の要人が招かれていた。その待合室では、緊張した面持ちの宰相と、お茶菓子を夢中になって頬張る幼女というなんとも奇妙奇天烈な光景が繰り広げられる。
「陛下。あなたはその姿で竜王国の現状を憂い、悲嘆にくれる幼子として涙目で相手の同情を誘う。それが、この会談における唯一にして最大の生存戦略だったはずです。何を菓子に夢中になっておられるのですか! 竜王国の女王、ドラウディロン・オーリウクルスともあろうお方が……!」
宰相の必死の叱責に、ドラウディロンはわずかに眉をひそめる。しかし、その手にある洋菓子を放そうとはしなかった。
「そうは言うが食べてみろ。……これは何で出来ている? 砂糖をただ多くぶち込んだような、見得だけの王族・貴族の菓子にはない。甘みの調和と小麦の芳ばしい香りが、今の私の飢えた神経に染み渡る。」
「こういったお茶や菓子に一切手を付けないのも無礼ですが、だからといって貪るように食らうのも……いえ、もういいです。間もなくお出ましです。気を引き締めてください」
宰相の警告と同時だった、重厚な黒檀の扉が、音もなく内側へと開く。
そこに現れたのは、揺らめく真紅の炎を眼窩に宿す死の支配者、魔導王アインズ・ウール・ゴウン。その後ろには、慈悲に溢れた美貌を湛えた魔導国宰相アルベドが従っている。
一瞬で名優のスイッチを入れたドラウディロンは、食べかけの菓子を隠し、潤んだ大きな瞳で涙を溜め、「ひ、ひぇっ……!」と怯えるか弱い少女を完璧に演じて見せる。
「……恐れることはない、ドラウディロン女王。わたしは魔導王アインズ・ウール・ゴウン。貴国が置かれた窮状……ビーストマンの脅威について、我が耳にも届いている。そのほか興味深いこともな。」
(この骨の化け物、噂に違わぬ威圧感……! だが、我が国の特産品や隠し通すべき『
「おっと失礼した。ここは控室。貴女のため晩餐会の準備をしても良かったのだが、事態は急を要するとのこと。よければ会議室に移動して、話をまとめないか?」
「は、はい……。よろこんで!」
(おそらくこの演技も見透かされているのだろうな。普通の形態に戻った方が話しやすかったか?いや、今更手遅れだ。)
案内された会議室は、重厚な黒檀の長テーブルが中央に据えられた、息が詰まるほど静謐な空間だった。
上座には魔導王アインズが腰掛け、その背後には不気味なほど完璧な笑みを貼り付けたアルベドが控えている。下座には、縮こまるようにして座るドラウディロンと、滝のような冷や汗を流す竜王国の宰相が並んでいた。
アインズは骨だけの指先で軽くテーブルを叩き、静かに口を開く。
「さて、本題に入ろう。ビーストマンどもの侵攻に国土を蹂躙され、滅亡の危機にある貴国の状況はよく分かった。我が国としては、全面的に貴国を支援し、害なす獣どもを速やかに排除する用意がある。」
その言葉を聞いたドラウディロンは、内心でわずかに安堵の息を漏らしつつも、決して警戒を緩めなかった。
(食いついた……! 流石は魔導王、話の決断が早い。だが、ここからだ。これほどの軍事介入をタダで行うはずがない。領土の割譲か、あるいは我が国の主権の完全な剥奪か……っ!)
ドラウディロンは震える小さな両手を膝の上で固く握りしめ、か細い声で問い質す。
「ま、魔導王陛下……。そこまで手厚く我が国を救ってくださる代償に、我が国はいったい何を差し出せばいいのですか? 国土の半分か、あるいは――」
「――ほう? 代償か。」
アインズは低く呟くと、思考の海へと沈み込んだ。
(……代償ねぇ。国を追いつめられた少女が必死に国家の維持を懇願しているってのに、ここで過酷な条件を突きつけたりすれば、それこそ悪逆非道な侵略者と変わらないよ。それに、さっき廊下ですれ違ったとき、彼女はお菓子に目を輝かせていた。政治の重圧に押し潰されそうな、ただの子供じゃないか。これ以上、無駄に恐怖を与える必要はない。)
アインズはかつて生きていた世界で味わった理不尽な重圧を脳裏で払拭し、支配者として最も寛大な――しかし、デミウルゴスから吹き込まれていた〝魔導国の威光と統治の方針〟を忠実に口にした。
「気にするな、ドラウディロン女王。貴女が心配するような過酷な要求はせん。我が国は人道的な支援を惜しまない方針だ。……そう、ビーストマンどもの処遇についてもな。」
「え……? ビーストマンの、処遇……ですか?」
「うむ。我が国は彼らを単に全滅させるつもりはない。恐怖と絶対的な力の差を教え込み、我が魔導国の僕として服属・再利用する予定だ。」
「なっ……!?」
ドラウディロンは思わず素の声を漏らし、隣の宰相は絶句した。人間を〝ただの食料〟として食い荒らすあの野蛮な残虐種族を、滅ぼすのではなく〝配下に収める〟?
「ま、魔導王陛下……! 奴らは言葉こそ通じますが、本性は血に飢えた獣! 人間を喰らうことになんの躊躇もない化け物です! そのような種族を従わせるなど……
「
アインズは鼻で笑うような演技を交え、どこまでも平然と言い放った。
「恐怖と絶対的な力の差を教え込めば、どのような種族であろうと従順なとなる。……そう、かつてドワーフの国を脅かしていたクアゴア族という亜人種族のようにな。」
クアゴア族――その名を聞いて、宰相の眉間がぴくりと跳ねた。山脈の向こうに棲まう、鉱石を喰らう頑強な亜人種族の名だ。
「彼らは最初、我が魔導国への服従を拒んだ。故に、少しばかり数を減らす必要があったのだよ。えっと確か……アルベド。」
「はい、アインズ様。クアゴア族はアインズ様のご慈悲を理解するまでに8万人いた個体数を、1万人ほどまで間引く必要性がございました。」
戦いとは世界一無縁そうな、清楚という文字が服を着て歩いている様相の宰相アルベドからこの上なく血なまぐさい話が飛び出した。事務的に淡々と語るそのインパクトは絶大で、会議室の温度が一気に数度下がったかのような錯覚が走る。
「……は、8万を……1万、に……?」
ドラウディロンの頭の中が真っ白になった。8万。国家一つを余裕で押し潰せる大軍勢だ。それを、ただ〝従わなかったから〟という理由だけで、88%以上殺戮したと言っているのだ。
「1万も残せば、種としての繁殖と労働力の確保には十分でした。その後、彼らは実に忠実な魔導国の僕として励んでくださっております。……ビーストマンにも、同じ教育を施すだけの話であるかと。」
「ふむ、そういうことだ。自国民を食われた貴女の身からすれば、怨敵であるビーストマンが生き残るのは癪かもしれないが、そこは寛大な心で見逃してほしい。」
(狂ってる……!! この怪物、数万の命をまるで雑草をむしるみたいな軽さで話してる……! 8万を1万にするって、それは戦いじゃない、ただの作業だ……!!)
ドラウディロンの全身を、経験したことのないほど激しい悪寒が突き抜ける。ビーストマン軍勢数十万が、この男の気まぐれ一つで屠殺場に送られる豚のように殺戮され、生き残った僅かな個体が完璧な奴隷へと調教される未来が、鮮明に脳裏に浮かび上がった。
そして、その凄まじい暴力の矛先は――いつでも竜王国に向かい得るのだ。
「従うか、間引かれるか。ビーストマンにはその二択しか与えん。……さて、話を戻そうか。」
アインズはかつて生きていた世界で味わった理不尽な重圧を脳裏で払拭し、支配者として最も寛大な――しかし絶対的な言葉を選び取った。
「気にするな、ドラウディロン女王。貴女が心配するような過酷な要求はせん。我が国は人道的な支援を惜しまない方針なのだ。それに……。」
アインズの眼窩の真紅の炎が、ふと別の情熱――『
「……貴女の祖父君や、貴国に伝わるという『
その瞬間。ドラウディロンの背筋に、凍てつくような悪寒が走った。
(っ……!! ぎ、ギクッ……!!)
ドラウディロンと宰相の全身から一気に血の気が引く。
(やっぱり、気づかれていた……! 私が祖父から受け継いだ『
あまりの恐怖に、作り上げた〝健気な幼女〟の仮面が音を立てて砕けそうになる。しかし、ここで感情を露わにすればその瞬間に国も命も終わる。ドラウディロンは必死に理性を繋ぎ止め、震える声で絞り出した。
「わ、『
「なに、ただの好奇心さ。強力な異能の
アインズとしては、〝ゲームのユグドラシルにはなかった『新しい魔法のシステム』のデータが手に入れば、ナザリックの防衛力強化や自身の知識欲を満たせる! なんてWIN-WINな交渉なんだ!〟と内心でガッツポーズを決めていた。
しかし、その〝穏やかな口調の裏に隠された底知れぬ強者の余裕〟は、ドラウディロンと隣に座る宰相にとって、〝逆らえば一族も国も塵一つ残らず消し炭にするという無言のプレッシャー〟にしか聞こえていなかった。
(逆らえば、一族も、民も、国も、塵一つ残らず消し炭にされる……!かといって条件を飲み込めば、竜王国は生かさず殺さず、技術も国もすべて奪い尽くされる……!)
冷や汗の止まらないドラウディロンは、これ以上交渉で主導権を握られるのは悪手だと判断し、目の前にある【恐怖の取引】を飲むよりほかに道はないと悟った。
「わ、わかりました……。我が国が保有する……始原の魔法に関する記録や、私に扱える限りの情報は、すべて魔導王陛下にご提示いたしましょう……。」
それは竜王国が国家としての独立を事実上失い、魔導国の完全な支配下に組み込まれた瞬間であった。
アインズは、望み通りの友好的技術交流と友好関係が築けたことに満足の息を漏らす。
(うまく交渉をまとめることができた。これならデミウルゴスやアルベドからも、統治者としての手腕を評価されるはずだ)
こうして、お互いの思考回路が完全にすれ違ったまま、魔導国と竜王国の歴史的な密約は、なぜか最高潮の緊迫感の中で結ばれるのだった。
背後でアルベドが、「流石はアインズ様!あの小娘の精神を完全に屈服させ、自ら進んで国の根幹を差し出させるとは……!」と、一人で勝手に感動の涙を流していることには、この時のアインズもドラウディロンも、まだ気づいていなかった。
・竜王国編を書いてみたい!というおこがましい気持ちがあったのですが、情報が少なすぎて密約の場面だけになりました。ご感想・ご要望頂けるととても嬉しいです。