「――――っ!!」
言葉にならない艶めかしい嬌声が仄暗い寝室に木霊する。紅潮した顔に乱れた息とつややかな黒い長髪はその麗しい美貌も相まって、男性の理性を簡単に破壊する絵面となっている。……もっとも幸いというべきか、この場にそんな哀れな男は居なかったが。
アルベドは今日も今日とて愛しのアインズの寝室へ赴き
「はぁ……はぁ……くぅ!」
本日の
以前コキュートスが〝勝利の美酒と敗北の酒の味の違い〟を語っていた……とデミウルゴスに聞いた時は、いまいちピンと来なかったが、今ならばなんとなく理解できる気がする。
ナザリック外からの初にして恐らくは最後となる現地人領域守護者〝黄金の姫〟が来てから、以前から懸念されていた頭脳労働におけるナザリックの人材不足はかなり軽減された。これは【守護者統括】【魔導国宰相】アルベドとしては喜ぶべきことなのであろうが……。
「本当に不愉快な女……。大人しくペットと戯れていればいいのよ。」
あの女は、既にナザリック内の言語――アインズ様が美しいと一番好む言語――を完璧にマスターし、直属の上司たるアルベドの内政仕事のみならず、外交面ではデミウルゴス、財政面ではパンドラズ・アクターの手伝いをするなど、数多の功績を残している。
その優秀性は、こと【魔導国内の下等種に適応させる案件】だけに限れば、愛しの主へ二つの案――自分の発案とあの女の発案――を著者機密で採択を仰いだ場合、勝敗は4:6……アルベドが4となるほどだ。これであの女が愛しのアインズ様に恋慕の情など抱いていようものならば、自分は彼女を殺さずにいられただろうか?
当然ナザリック内での管理上における知識は、アルベドに勝る者など愛しの主を除いて居ないだろう。だが、下等種を間近で観察してきた期間で言えば、悔しいがあの女に軍配が上がる。それも元リ・エスティーゼ王国の貴族社会などという愚者による醜悪な滑稽劇の中にいたならば尚更だ。
下等種が何を望み、どのようにすれば動き、如何に愚者を愚者のまま操るか熟知している。……それにアルベドがあの女に抱いている嫌悪は恐らく【嫉妬】だ。
あの女はナザリックを利用して見事に自分の夢を叶えた。アルベドは大罪と知りながら、想像してしまうことがある。それは栄えあるナザリックの繁栄とも愛しのアインズ様のお考えとも違う凋落的な不敬の極み。
この世界がどんどんと狭くなり、偉大なる主以外の全てが死に絶え、たった一部屋に主と自分が二人っきりとなった時……。その時初めて愛しの主は自分だけをみてくれるのではないかという破滅願望を孕んだ
早々に不敬な想像を頭から打ち払い、あの忌まわしい部下とペットに褒美をやらねばならない。今日はアインズ様が自分の案ではなく、あの女の案を採択した屈辱的な日だ。悔しいが敗北から学ぶことがあると、アインズ様の金言を反芻し、己を律していくほかない。
「意図的に魔導国内でコントロールできる犯罪に身を
アインズがイカサマ賭博を聞いて〝運営が遠隔操作するガチャ〟を想起した事情など知る由もないアルベドは偉大なるアインズ様の御考えに届かない自分を呪いながらも、忌まわしく優秀な部下の元へ指輪を使い転移した。
●
アルベドが去ったベッドと机と鏡しかない粗末な部屋。【たった一部屋の領域守護者】ラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフの守護領域にして、居住区画でもある一室で、ラナーは垂れていた頭を上げて、歌い踊り出したい衝動を抑えきれずにいた。クライムが戻ってきたら押し倒して××××してしまいそうだ。
アルベド様が直々に来訪し、褒美として3日の休みを頂くことが出来た。他の守護者やメイドに至るまで、この地は【休むことは悪である】という風潮があるが、頂点に君臨するアインズ・ウール・ゴウン様は部下に休暇を与えることに寛大で、むしろ推奨している節がある。
最初はアルベド様の怒りを買うので自分たちも休暇の褒美を辞退していたが、アインズ様は押し付けるように休暇をとらせたがる。ラナーとしても机で計算するより、
「失礼いたします。ラナー様!ただいま戻りました!」
ノックの音と共に扉の外からクライムの声が聞こえてくる。ラナーは返事をする前に急いで鏡の前で【クライムの知る笑み】を作成し、熱に浮かされた脳みそを沈静化させる。
クライムは最初、ラナーの返事を待ってから入室していたが、一度ラナーが暗号作成の仕事に熱中しすぎ、ノックの音を聞き逃してクライムがほぼ丸2日間扉の前で立っていた事件があってから――それはそれで可愛いのでどうするか迷ったが――5分間返事がなければ入室を許可している。
「あら、クライムお疲れ様。入って大丈夫よ。」
ラナーは自分のコンディションを3分で整え、ベッドに座り
「はい!失礼いたします。」
「今日も訓練だったのですね。疲れたでしょう、一緒に座りましょう?」
本日も愛しの子犬の瞳が輝いている事に安堵と満足と恍惚の感情を覚えながら、ラナーは座っているベッドの横にクライムも座るよう促す。その瞬間クライムは赤面し、ぎこちない足取りでラナーの横に座る。何度逢瀬を重ねようとクライムは従順さも純情さも陰ることが無い。やはり自分にはクライムしか居ないのだと確信させられる。
「ラナー様。先ほどアルベド様より直々に3日の休暇を賜る光栄を頂きました。ラナー様の御立場が悪くなることを考えますとその場でわたしが返答は出来ませんでしたが、辞退いたしましょうか?」
ラナーは笑顔の裏で舌打ちをする。ふたりの時間に水を差すような真似をしたのは確実に嫌がらせだろう。いくらアルベド様とはいえ、アインズ・ウール・ゴウン様の決定は覆せない。とはいえ、休暇を取ることを不満に思っていることは確かだ。
個人的には直属上司のアルベド様の心証は悪くしたくないが、絶対支配者たるアインズ様の御慈悲を固辞し続けるほうがマズい。改めて自分の置かれる立場にげんなりとするが態度に出さず天真爛漫で能天気な姫を演じる。
「まぁ!実はわたしも先ほどアルベド様から同じことを言われたの。きっとクライムが頑張っているおかげね。」
「いえ、ラナー様の御力があってのことです。そしてこの手紙を一緒に渡されました。ラナー様でしたら読めば分かるだろうとのことでしたが……。」
クライムが渡してきたのは意味を成さない文字列としか思えぬぐちゃぐちゃの文字。……ラナーが以前作成した魔法を用いない暗号文章で、
(あの女……完全に当て付けね。)
この地では脳内で愚痴をこぼす事すら危険と解っていても、あからさまな挑発が続きすぎ、思わず悪態をついてしまう。そこに書かれていたのは……
(簡単に休暇は貰えないか……。それにしても厄介払い?いいえ、嫌がらせ?発案者がアインズ様かアルベド様かで対応の変わる案件だけれども、情報が少ないわね。)
「ラナー様、申し訳ございません。一体何が記されているのでしょうか?」
笑顔を曇らせたラナーを心配するクライムの瞳をみて癒されながら、ラナーは決定した休暇前の少し厄介な一仕事を告げる。
「アルベド様はわたしたちが3日間休暇をする前に、一つ外でお仕事を頼みたいご様子なの。でも外だなんて、こんな姿になったわたしを皆怖がるでしょうね。」
花が萎れたように演技をすると、予想通りクライムが慌てだす。
「そのようなことはありません! たとえ種族が変わろうと、ラナー様のお優しさは不変であると、誰よりもわたしが知っています!」
背筋にゾクゾクとした倒錯的な快楽を覚えながら、ひとまず満足したラナーはクライムに目的の仕事を告げる。
「行き先はバハルス帝国。現在は魔導国の属国となったあの恐ろしい鮮血帝の治める国よ。」
●
魔導国属国、バハルス帝国皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは、宗主国より極秘にして他言無用の使者が訪れると手紙を受け取った際、最悪に最悪の想定を重ねた。……とはいえ以前の絶望的な胃痛は魔導国より下賜された
バハルス帝国の歴史を遡っても、これほどの修羅場を、この若さで潜り抜けた皇帝はジルクニフが初めてだろう。
たとえ愚帝として青史に列するとしても、何の痛痒も覚えない程度には図太く――よく言えば人間味が増した、悪く言えば愚かに――なっている。今更どんな化け物がやってこようと驚かない自信はあったのだが……
……現実は人間の想像する最悪など、嘲笑うよう超えてくるという救済の無い事象を実感する。
「これはこれはラナー……えーっと、元王女と呼んでよろしいでしょうか?」
「いいえ、今のわたくしはアインズ・ウール・ゴウン様の一従者でしかありません。気軽にラナーとお呼びください。」
馬車から出てきた――引いているのは馬ではないが――のは、まるで劇の黒子を思わせる姿をした、片や桃色、片や黒のベールで全身を覆い隠した人型の2人であり、ジルクニフと3人となり初めてそのベールを脱いだ。ジルクニフが悲鳴もあげず叫ばずに対応出来たことは、鮮血帝の偉業として語り継いでも差し支えないだろう。
ラナーは横にいる従者の前で魔導国で働くに至った経緯を涙ながらに説明した。ジルクニフの観察眼を以ってしても演技には見えない言動だが、確信できることはこの化け物が話す内容に真実など何一つないという事だけだ。
「それは……お辛い思いをされましたね。」
目の前の化け物の横で、従者である同じく
リ・エスティーゼ王国の崩壊がもたらしたジルクニフの衝撃は大きい。自分の判断がひとつでも間違えていたら瓦礫の山となっているのはバハルス帝国の方だったのだ。……そして今後自分たちが絶対安全などという保障はどこにもないのだから。
(今この怪物とわたしを会わせる理由は何だ? この化け物は間違いなく母国の亡国に一役……いやそれ以上の加担をしている。そんな事をわたしだけに知らせるというのは、本来デメリットでしかない。如何にわたしが秘していようと推察が噂となり、周知される恐れは大きい。そもそもラナー王女は、死体が発見されていないだけでこの世からいなくなったものと思われている。)
「どうしたのですかジルクニフ様。顔色が優れませんが。」
〝お前のせいだ!〟と叫べたらどれだけ世界は素敵だろう。ジルクニフが簡単に思いつくのは〝帝国内にも裏切者が居て、何時でもリ・エスティーゼ王国のように滅ぼせる〟ことを伝える事だが、既にフール―ダという裏切者を抱えており、そんな真似をしなくても属国を滅ぼす理由などいくらでも捏造出来る。
(今度は何が目的だ、あの骸骨野郎!)
「ジルクニフ様は聡明であられます。我が母国も、早くにアインズ様へ忠誠を誓えたならばあのような結末にならず済んだのですが……。」
「ら、ラナー様。お涙を拭いて下さい!ラナー様は何も悪くないのです!」
となりの少年騎士からハンカチを受け取り涙を拭うその姿は、一見すれば心優しいお姫様そのものだ。少年騎士がジルクニフを睨む眼光が更に鋭さを増す。
(この指輪は胃痛こそ遮断してくれるが、幻痛までは遮断してくれないのだな。)
ジルクニフは思わずその姿に吐き気を覚え、胃を押さえる。同時にこの化け物の目的をようやく理解した。……いや、宗主国の使者が属国の皇帝と話をしたいと聞いた時点で一番に考えるべきことだ。
(魔導王がこの化け物に期待しているのは間違いなく頭脳だ。ならば、わたしの統治と忠誠度を確かめに来たか。この化け物相手ならばわたしだって身構えてしまう。いわばボロが出やすい。いやはや、わたしの嫌いな女ランキング不動の1位を使ってくるとは、流石。ははは。)
ジルクニフはそのまま椅子から崩れ落ち、乾いた微笑を浮かべながら、バハルス帝国の現状について国家機密レベルまで、ラナーに包み隠さず話をした。
●
「帝国でのお仕事大変ご苦労様。例の皇帝についてのあなたの私見は大変興味深いわ。では守護領域に帰還次第72時間の休暇を褒美として与えます。解っていると思いますが、ナザリックを出てエ・ランテルを散歩する際は事前に報告し、幻術の装備を忘れないように。」
「かしこまりました。アルベド様。」
慈悲を称える微笑みに対するは宝石のような笑顔だが、その間には思わず後ずさりしたくなるようなオーラが立ち込めていた。……実際アルベド付きのメイドが少し顔を強張らせている。
しかしそれも一瞬のことで、ラナーは自分の守護領域に向かってスキップするように歩み始める。鮮血帝を前に自分を護るクライムの瞳は実に愛らしかった。もっともっと愛でてやりたい、自分の非力を悔やむナザリック内のクライムも素敵だが、姫を護る騎士としてのクライムの眼もまた甲乙つけがたい。
そしてあの眼がこれから逢瀬による罪悪感と快楽と背徳感で歪む姿は想像するだけで絶頂しそうだ。もっとクライムを知り尽くしたい。この世には自分の脳でも知らない事が、まだまだ沢山ある。
世界一幸せなお姫様は、これから訪れる幸せを胸に、偽りの無い笑顔を浮かべていた。
・なんだかいろいろな小話集といいながら小悪魔化後のラナー、クライムの話が多くなっている気がします。……だって魅力的ですもの!エンリとンフィーレアの純情物語やシズとネイアの友情も好きですが、ラナー様とクライム君の倒錯的な関係も大好きです。