003
そう言うなり、彼は近付いてきた。
休日だというのに制服姿だった。
少年らしい笑顔を浮かべて、俺のギターを指差した。
「これ、あんたの?」
「ああ、そうだ」
いい子そうな顔なのに、なんか生意気だなこいつ……。
それでも中身が外見を裏切っているわけではないな。
続いて
「これ、あんたの?」
「お前ふざけてんのか」
「仲よさそうに話してたじゃないすか」
「それとこれとは違う」
一方青柳はきょとんとしていた。
人から指差されても何も言わない。彼女の顔には、ただ、「だれ? この子」という疑問が書いてあるだけである。
「人をこれとか言ってんじゃねえよ、そもそもよ……」
「ああ、ノリで言ってしまいましたね。さーせんでした」
言葉だけだなこいつ……。
もっと心込めて言えや。
「それは置いといて、あんたオレの事知ってるんすか?」
「あ?」
知ってるかって……知ってるだろ。
こないだ会ったばかりだろうが。
まだあの日の方がマシに思えた。
「当たり前だろ……喜屋武幸音だろ。おら、フルネームまで把握されてんだから、気をつけろよ。いつ殺されるか分かんないぜ」
「デスノネタすか。でもオレ偽名かもしんないすよ?」
「お前の名前を確認する為にわざわざ死神の目を授けられるまでも無い。すぐに本名割り出してやる」
「うざいっすねー」
「お前がな」
うーん、話は面白いが生意気な口調の所為で台無しだ。
むかついてしかこない。
相手は、そこでふうと溜め息をついた。
「……オレをまだ憶えてやがる」
空耳、ではなさそうだが、確かにそう言っていた。
戦慄。
まただ。
あの時も感じた、敵意。
この今にも襲われそうな、緊迫感――
「あんた、名前は」
その言葉は、青柳に向けられていた。
年上に対してあんたはないんじゃないのか。
今時の子ってこんなもんなのか?
流石に青柳もむっとしたようで、刺々しい口調で、それでも答えた。
「私は青柳訝藍」
「変なの」
「……」
こいつ……。
青柳は、もー、粟国くんこいつ何? みたいなキツい目線をこちらに送ってくる。
俺だって知りたいわ。
「青柳……か。でも、
その時。
感じた。
これは本物だ。
確信した。
確かに、何かが風の如く通り過ぎてゆくのを。
ガチリ、と音がする。
牙を鳴らす音に似ていた。
すると、青柳は弾けたように立ち上がり、そして、
「ごめん、粟国くん。私、帰る」
そう言ったかと思うと、荷物を持って、走って行ってしまった。
喜屋武の方を見向きもしなかった。
わけも分からずにいると、喜屋武が可愛らしい笑い声を上げていた。
「あいつには効いたのか。ま、そうだよな――」
「おい、お前――」
「ねえ、粟国
勢いよくその場に座って、椅子に腰掛ける俺を見上げるその表情は、無邪気な子供のものだった。
あれ? 俺の名前知ってるのか。
今日は俺制服じゃないし……いつからだろう。
「それ、エレキじゃないっすか! ちょっと弾いてもいいすか?」
「ああ?」
口調は変わっていないものの、態度が少し変わった。
何だ、この無垢な子供……と思わせるような。
「いや、いきなり何なんだよ。そもそもお前ギターなんて――」
ガチリ。
耳元で音がして、俺は飛び上がりそうになった。
怖い。
身が凍るようだった。
何だ?
俺はどうしてこいつにエレキを貸してやらないんだ?
少しくらいいいだろう。
全く、何を悩む必要があったろう。
「あざーす」
ニコニコと満面の笑みで、そっとエレキを受け取る喜屋武。
ここだけ見れば、とても愛らしい男の子だ。
「ふーん、随分と使い込んでるんすね。でもちゃんと手入れしてる」
「え? 分かるのか?」
「分かりますよ。手垢も目立たないし、しょっちゅうメンテしてるみたいすね」
……すげー。
引っくり返したりしながら、吟味している。
「先輩、ピックはあります?」
「あるさ。いやまずその前に先輩って何だ」
「なんすかなんすかー、照れて隠してる? よーするに照れ隠し? 先輩っていうのは、音楽の先輩すよ」
何ともなさそうに言う喜屋武。いささかウザい。俺も当時こんなんだったのだろうか……。
彼はにこにこしながら、少し弾いて音を確認している。
慣れた手つきだ。
ギターの方も満足しているみたいで、いや、そうじゃなくて。
「弾いていいすか?」
「……慣れてるみたいだからな、駄目じゃないけど、ちょっとだけだぞ」
鋭い音がして。
もう既に彼は弾き始めていた。
いやこれプロじゃねえの!?
なんだこのイントロからのテクニック!
小さい指を素早く動かして――ってうるせえ!
「駄目だ、ここでそんなでかい音出すな!」
いつの間に調節しやがったこいつ。
アンプに飛びついて音を一気に落として叫んだ。
懲りることなくそのまま弾き続けようとするから、俺はヘッドホンを投げつける。
それは、勿論故意に当てるつもりで投げたのではなく、注意を引くためだ。
だが、それが喜屋武の肩に当たりそうになった途端。
ヘッドホンが、粉砕した。
……。
安物の方を投げてよかった。
って、粉砕かよ。
砕け散ったのかよ。
当たってもないのに砕けたのかよ。
これは……
流石にヘッドホンがばらばらになったのに気付かないわけがなく、喜屋武は弾くのをやめた。
この騒ぎで多くの人の目が俺達を――あれ?
誰も、見ていない?
「あれ、ヘッドホンあるんなら言って下さいよ。壊れる前に」
「安心しろ、まだあるよ、高価なのがな」
弾きたくなるのも経験者なら無理も無いが、時と場所を考えて欲しい。
それに怒られるのはきっとこいつじゃなくて俺な気がする。
……俺は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
気持ち悪いほど、落ち着きをを保とうとしていた。
「じゃあ弾いちゃっていいすか」
「もう存分にぞんざいに弾いちゃってると思うがな」
ヘッドホンをして、目を輝かせながらギターを構える彼を眺めながら俺は言った。
そして、彼は再び弾き始めた。
力強く、激しく、可憐に。
ぎゃんぎゃんと。
はっきりとは聞こえないものの、振動で曲を感じた。
すげえええ……。
圧倒される。
意に反して、見蕩れてしまう。
五分以上は経っただろう、一曲弾き終えた喜屋武はヘッドホンを引っこ抜き、汗を拭った。
「あースッキリしたす」
「それはそれはよかったな」
「でもオレは、先輩みたく弾きながら歌うのはムリっすね」
「練習すれば誰でも――って」
聴いてたのか?
相手は頷く。
「目立ってましたからね。ずっとオレは見てましたけど」
ブチ、と電源もきらずにコードを引っこ抜く喜屋武。
うぜー。
容赦なくうぜー。
調子が悪くなったらどうしてくれる。
座られるわ乱暴な扱いされるわ。
今日はとんだバッドデーだよな、アンプにとって。
「今更なんだけど、喜屋武」
「なんすか」
「お前すげー上手いよな」
「は、なんすかなんすかー気持ち悪い。そんなおべっかはやめてくださいよ」
「おべっかって……」
また古い言葉を使うな……つうか、おべっかって目上の人に対して、へつらうのに使うものであって。
「それに、オレとしてはギターよりもベース派なんす」
「はぁ……」
それは、面白いな。
何かこだわりがあるのかもしれない。
興味が沸かないでもない。
「サッカーよりも野球が好き、みたいな感じすね」
「ベースとベースボールをかけてるのか知らないが、その喩えは意味不明だぞ」
ははあ、なんだバレちゃうのかと笑う喜屋武。
いや、俺を馬鹿にしてんのか。
してるんだな。
それでも中学生の語彙というだけあって、無理矢理感や空振り感は否めない。
喜屋武はそのまま俺と同じように腰を下ろした。まだ話すつもりらしい。
「粟国先輩はいつからやってるんすか?」
「ギターはかれこれ六年だな」
「すげ」
言うまでも無いことだが、お前の方が相当へらへらしてへつらってるみたいだからな。
誰に対してもこうなのだろうか。
全く最近の若者は。
喜屋武はすん、と鼻から息を吐いた。
「あれ、先輩なにか食べましたか?」
「は? いや、別に……あ」
言いかけて、思い出す。さっき青柳と苺を食べた。馬鹿の極みともいえる会話をしながら。
「まあ、食べたよ」
「やっぱりね。オレ絶妙に鼻いいんすよ。このスルメは果物すね」
「すげえ言い間違いだな、スルメじゃなくてスメルだろうが。どうして海生軟体動物である
「細かいこと気にしたらバケるっすよ」
それはハゲるの間違いだと思うが、これこそ照れ隠しだと思うので黙っておいた。
「で、何食べたんすか」
「ん、苺だよ苺」
何だろう、妙に苺というのが恥ずかしいと感じてしまったので、二度繰り返してしまった。
大事なことでもないのに。
すると喜屋武は突然得意げな顔をした。当たっていたことが嬉しかったのだろうか。
「先輩、面白いこと言いましょうか」
「何だよ、随分と面白いこと言うじゃねーか」
「んまあ、先輩の顔ほどじゃありませんけどねー」
「……」
軽く返された。
別にこれといった反応を示して欲しかったというわけではなかったが。
「粟国先輩、イングリッシュって何語ですか」
「え? そりゃ英語だろ」
「じゃあジャパニーズは」
「日本語……何が言いたいんだよ、お前」
「それじゃあ」
間髪入れずに続ける辺り、ほんと強情だ。さっきからずっと思ってたけど。
「ストロベリーは」
したり顔……いや、どや顔でキメたつもりでいる彼を、軽くはたいた。
知らねえよ。
苺は苺だよ。お前何よりも上手くねえよ。
「て」
喜屋武は頭をさする。一瞬、俺を睨んだが、すぐにそっぽを向いた。
その時、背筋がぞくっとしたのだが……気のせいか。
「つーか苺って。可愛すぎるだろおい」
……素にならないで。
いままでのノリはなかなかうざかったけど、もうお前のキャラはあれで確定してるんだよ。
しかし、俺の心の声が聞こえないのか、彼はぶつぶつと呟き続けるのだった。
「さっきのも気付いた素振りを見せていたし。道理で、……いや、それでもやっぱり分からねえ」
ぼそりと吐き捨てるような声がしたかと思うと、相手の顔は怒りで歪んでいた。
「どうしてすか」
それは質問というより、尋問であり、
俺をぎろりと睨む。
「どうして憶えてやがんだよ、え? 粟国頌史さんよ――オレの犬が、いつあんたを殺すか、わかんねえぜ?」
犬?
今、犬って言ったか?
「脅しなんかじゃねえ、あんた、死ぬぜ」
ガチリ――今度はもっと近くで聞こえた。
その上、何かが耳に触れたような気がした。
震えずにはいられない。
喜屋武は俺に対してではなく、誰に対してでもなく、狂ったように、壊れたように、呟く。
呪いの呪文のようであった。
「みんな、オレのことなんて忘れてくりゃいいのに。忘れ続けてくれよ。関わってくんな。偽りを信じ続けていりゃ、それでいいんだ、オレのことなんて」
そして、ここで俺の意識は途絶える。