漫物語   作:楓麟

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其の伍

005

 

 俺は優補にできるだけ詳しく話して聞かせた。途中、青柳も話に参加して、無事に記憶は繋がった。

 俺が気を失っていた間は、こんな感じだ。

 

 青柳は自分が買い物袋を持って商店街を出ているのに気付いた。気付いた、ということはそれまでどこを歩いているのか自分でもちゃんと分かっていなかった、ということだが。そして、自分のお気に入りの鞄をどこかに置き忘れてきてしまったことも。

 そこで彼女は振り返る――俺と会ったことを思い出し、引き返した。その時俺は気を失っていたそうで、起こさない方が無難だろうと、彼女はそのまま立ち去ろうとした。だがその時背後から何かの気配を感じたそうだ。

 殺気に等しい。

 

「まだいたんすか」

「……!」

 振り返り、その顔を確認する――前に既に、彼女もまた気を失ったのだ。そして俺は皆紅に起こされたというわけなのだが。

 俺たちがこうも早く記憶を取り戻せたのは、優補のおかげもあるが、怪異に関わったことがあるからだ。

 しかし、分からない。

 喜屋武は何故、俺達にそんなことをするのだろう、恐怖を植え付け、はたまた殺気まで発しているのだろう。

 まるで狂犬のように。

 

 

 優補は、一年前の情報ではあるが、皆栗の性別学年問わず生徒を全て把握している。理由は簡単に言うと、浮気性の確認。俺はしないって言っているのに、警戒心バリバリで、俺がいつどこの誰と地球が何周回ったときに接しているのかを知りたがった。それゆえの行動だ。

 ……人間だったら恐ろしすぎるが。

 そんな彼女には勿論知り合いが大勢いて、中高一貫性にも同じように顔見知りがいるのだが、そのネットワークをフル活用しても喜屋武の家は全く把握できなかった。それどころか、一人一人にメールや電話をしてみても、彼のことを詳しく知っているものすら、誰もいなかったのである。

 情報が掴めないまま、というのは気持ちのよいものではないだろうが、それでも青柳には帰ってもらった。

 口論はしたが。

 

「なんで? 私だって協力するよ、粟国くん」

「やめろ。自分から突っ込んでんじゃねえよ。さっき俺が言ったばっかだろうが――」

「その『俺』も、自ら突っ込もうとしてるじゃない。どうして私は駄目なの? 粟国くんに助けてもらったんだもん、できることならなんだってしたいんだよ」

 音楽を聴くとか、そんなんじゃなくてさ。と青柳は言う。

 嬉しい言葉だったが。

 それと気持ちだけ、頂いておくよ。

 だから、俺は冷たく突き放す。

 先程の優補のように。

 

「俺は好きで首を突っ込むけど、お前はそうしていい人じゃない。お前は人間なんだし、怪異に関わって無事だとは限らない」

「……何言ってるの? 人間って……粟国くんだって無事とは限らないじゃない」

「いや……人間とは違うよ」

「……? ……?」

 困った風な顔をする彼女に、そこで優補が口を開いた。

 

「しょーじには儂がいるからさ。儂と彼で一心同体みたいなもん、だから半分怪異みたいなもんなのさー。もう夜になっちゃうし、よい子はおうちに帰らないと、お化けが出ちゃうよ。可愛い子は狙われやすいしね」

 青柳は納得いかないようだった。それでも、口下手な俺とは対照的に、口上手な優補が説得した。こいつは、気が抜けるような物言いではあるが人を丸め込むのが得意だ。

 色んな意味で。

 

 

「私だってさー、しょーじの悪趣味には途方に暮れてるんだけどね」

 青柳が渋々帰ってしまった後に、彼女は言ってきた。

 一人称が正常になった。

 

「悪趣味か……悪かったな、途方に暮れさせて」

「うん、もうとほほんって感じ」

「どんな感じだよ」

 のほほんとしてそうだな、それ。

 

「でもしょーじ、怪異に関わらせたくない人に自分が人外みたいなこと言わない」

 ぽか、と軽く叩かれる。

 

「あー、そうか……」

 話せる人もいないからさ。

 俺は自分の首飾りを、見つめながら呟いた。

 眩しいほど白い、ピックほどの大きさの欠片に紐が通してある、一見すればただの安っぽいアクセサリーだが。

 これが、今の俺の象徴と言えば、そうだった。

 そうか、優補は俺がこれ以上言わないように……ああ言ってくれたのか。

 ロクに活動もできなくて名残惜しさもあり、最後に一曲、弾いて今日はひとまず帰ることにした。

 優補がそれを勧めたこともあって。

 ただ、歌は歌わない。考えることで頭が一杯だ。

 落ち着く為に、曲を奏でる。

 だが思考は止まらない。

 その狗というのは、記憶喪失にさせる怪異か何かなのだろうか。

 喜屋武は、何がしたくて――

 

「……しょーじ」

 そっと、隣で座っていた優補が囁いた。

 弾きながら俺は顔を上げる。

 人ごみの中に、まるで逆らうかのように、いやそこに元からいて当たり前のように、喜屋武が立っていたのだ。

 じっと、動かず、俺を見つめている。

 睨んでいる。

 俺の目線に気付いて彼は歩を進めた。一歩、また一歩、じりじりと近付いて、再び、いや三たび、俺の前に現れた。

 やはり。

 手を止めて顔を上げる。

 

「よう、……喜屋武」

 今の彼に、一番言うべきではないであろう台詞をチョイスして言ってやった。

 案の定相手はお怒りだった。

 オレのことを、まだ憶えてやがる――そんな声が、聞こえてきそうだった。

 そう、彼は確認しに来たに違いないのだから。

 

「何で憶えてんだよ」

「俺もお前に聞きたいね。何で忘れさせたんだよ」

「……うぜぇ」

 その声と同時に、いやそれよりも早く、俺の耳元を何かが(かす)めた――ギリギリ、かわせた。ただ、軽く皮膚が破け、血が飛んだ。

 だが誰も、俺と喜屋武と優補以外の誰も、それを見ていない。

 

「なんで――」

 喜屋武の鋭い目を、俺は平然と見つめ返した。

 椅子に座り、見上げたまま。

 

「その前に、その犬を黙らせろ。いくら俺でも、不死身じゃないし敵わない」

「何なんだよ、お前――今までオレを忘れなかった奴はいないのに」

「俺は、人間だけど、半分違うから」

「ああ?」

 意味分かんねえよ、と相手は言う。それと共に感じる、殺気。

 狗の、殺気。

 

「ん」

 と俺は、ズボンを膝上まで引き上げた――優補の舌打ちと共に、脚が(あら)わになる。

 

「……マジかよ」

「それで、お前のは何なんだ? そのハチ公、どうしてお前の側にいる?」

こいつ(、、、)はオレの親友だよ」

 ズボンの裾を下ろした後も、喜屋武は俺の脚を見ていた。

 人間離れした、その脚を。

 俺が取り込んでしまった、怪異の一部。

 優補から奪った人魚の一部だ。

 

「親友」

「俺の側にいてくれる、俺の望みどおりのことをしてくれる、大切な」

 喜屋武はそう言って。

 唇を、強く噛んだ。

 

 

 

 優補が大勢の知り合いにメールを送信している間、俺は何もしていなかったわけではない。

 正直気が進まなかったが、何も分からないまま彼に会うというのも愚かしいことなので、とりあえずあいつに電話だ。

 阿良々木暦。

 青柳は俺が助けてくれた、とは言っているが、実際ことを解決したのは、彼らに等しい。

 アドレス帳から選び、掛ける。

 すぐに、声がした。

 

「もしもし」

「あ、もしもし、あらら――」

「私と暦くんの邪魔をするなんて、何様なわけ? 万死に値するわ」

 切られた。

 ……。

 切られた……。

 

「どしたの?」

 隣で優補が携帯画面を見つめながら問う。

 いや、なかなかショックだった……。

 

「戦場ヶ原さんが出て……用件も言ってないのに切られた……」

「あー、せん嬢がねえ」

 せん嬢。

 優補が勝手につけたあだ名で、既に定着してしまっている。

 本人の承諾も得ている(メル友だ)。

 何だか物騒な感じが消えて、イントネーション的にも可愛くない? とのこと。

 優補がひとを下の名前で呼ばないのも珍しい。

 いや、でも俺も彼女をさん付けでないと未だに呼べないのと、何か通ずるものがあるのだろう。

 よく分からないが。

 

「もっかい掛けてみれば? 今のはギャグだったかもだし」

「万死って発言はギャグでは出ねーだろ……」

「万死一生を出づって言うじゃん」

「命を投げ出して電話しろってか」

 でも今のじゃ歯切れが悪すぎる。

 勇気を振り絞ってもう一回!

 

「何。殺すわよ」

 いきなり殺すって言われた。 

 もうこれは本気だろ!

 というか何で毎回戦場ヶ原さんが出るんだよ!

 でもヘコんでいる暇はない。俺は切られる前にと早口で言った。

 

「粟国ですっ、戦場ヶ原さん! お久しぶりです!」

「……え? ああ、粟国くん。なあんだ。あら、御免なさい。わざとじゃないの、本当よ」

「…………」

 嘘だー。

 

「いえ、先程立て続けにセールスマンから何故か電話が掛かってね」

「携帯に……」

「笑うセールスマンよ」

喪黒福造(もぐろふくぞう)!?」

 彼に万死とか死んでも言えねえよ!

 

「ホーッホッホッホ」

「怖すぎる!」

 アニメ版とかもう半端なかったんだけど。

 語りとかね!

 

「……そもそも、どうして戦場ヶ原さんが出るんですか」

「ああ、今暦くんはおトイレなのよ。ああちなみに、私と彼は同棲中」

 何の恥ずかしげもなくさらりと言った。

 

「そんなことはないわ。邪魔をするなと言ったのも本当のこと言うのが恥ずかしかっただけだからなの」

「そうなんですか……」

「恥も恥らう十九歳の私が言うことではないと思ってね」

「花も恥らうだ!」

 恥ずかしい間違いを……思わず突っ込んじゃったよ。

 タメになっちゃうのも仕方ない。

 

「で。粟国くんは何の用?」

「あー、実は、相談があって……」

「ああ、」

 それだけで、戦場ヶ原さんは察したようだった。

 うんうんと頷いているのが、目に見えるようだ。

 

「ちょっと待っていて頂戴。お取り込み中だろうと関係ないわ、すぐに暦くんを連れて来るから」

「やめてやめてやめて下さい!」

「冗談よ」

 冗談にならない……。

 と、何やら電話の向こうで騒々しい音がして、気が付けば阿良々木に代わっていた。

 

「もしもし? ひたぎが迷惑かけた」

「いえ……」

 ちょっとぐったりしただけです。

 というか初めて会ったときもそう言ってたな……口癖になっているのだろうか。

 

「お前とはあの沖縄五日間旅行以来だな、元気してたか?」

「俺も優補も相変わらずで」

「で、もう大体分かるけど……どうした?」

「それが、なんと言うか」

 非常に言いにくい。特徴もまだよくつかめていないものなのに、阿良々木はその僅かな資料から、それを言伝で戦場ヶ原さんと忍に伝えた。しばらくして、怪異の名前が出た。

 

巴狗(ともえいぬ)だな、多分」

「ともえいぬ」

 俺はそれを復唱し、優補はそれにぴくりと反応した。

 

「犬の怪異ってのは結構少ないんだ。猫が多いのと対照的にな。だって犬は、人間に忠実で、仲がよくて、裏切ることがないイメージだろ。人間を騙すとか、自分勝手で、裏切ることもある猫とは違ってな」

「まあ……」

「それでも、忍が言うには、犬の怪異はその忠実、誠実を権化にしたようなものが多いんだそうだ」

 犬ね……狛犬とか、かな?

 でもこっちではシーサーだよな。

 

「そう、それ。狛犬」

「え?」

「巴犬は、狛犬の一種だ――対象にどこまでも忠実で、守護し、敵には牙を剥く。粟国が言っていた、牙の音――それから判断した。記憶を消す、というのはたくさんいるんだが、本人が犬と言ってたなら、当てはまるのはそれくらいだ……まあ、中には犬神なんて凶暴で狂暴なのもいるみたいだけれど、それは置いておいて。忠犬、何でも望みどおりにしてくれるのは、巴狗しか当てはまらない」

「でも……俺には、効かなかった」

「それは、お前が人間でない部分も持ち合わせているからだよ。巴狗は、人間に憑き、人間にしか危害を及ぼさない。いや、違うな……怪異を知らないものにしか、危害を及ぼさない、かな。だから、怪異には限りなく無力だ。普通、一人の人間がたくさんの怪異と相対することはない。巴狗は戦闘する犬じゃない」

 いいか、とそこで阿良々木は声を潜めた。

 

「大事なのは、この犬が憑く人間は、決まっていることだ」

「……それは?」

「家がない人間だよ」

 

 

 

 喜屋武は、巴狗という怪異が、いつの間にか当たり前のように自分に憑いていることに気付いたと言う。

 いつだったかは憶えていない。中学生になる前には、もう犬と共にいたらしい。

 これまでにその存在が他人にばれたことはなかった。

 ということはつまり、大して周りには影響が及ばないと言うことである。

 その気にならなければ、だが。

 

「喜屋武。お前どうしてあんなことしたんだよ」

「ああせざるを得なかったんすよ」

 俺は地面に腰掛け、喜屋武は椅子に座っていた。

 ってあれ?

 何でこいつが御偉いさんみたいになってんだ。

 ちなみに優補は壁に寄りかかるようにして立っている。

  

「オレのことは、記憶から消されるべきなんす」

「……」

 俺が言葉に詰まっていると、相手は溜め息交じりに立ち上がった。

 

「で、先輩は何がしたいんすか。わざわざ足見せつけて、『あなたには何か憑いてるんですか? 僕もだよ』って、オトモダチの輪を作ろうとでもしてんすか?」

「お前言うことのひとつひとつがうざいな……」

「癖なんす」

「どんな癖だ」

「知ってますか? うざいっていうのは、有才って書くんすよ。才が有る、つまり物知りってことなんすよ」

「うぜえー!」

 言ってみただけだ。

 ていうかそれ、お前だって、俺のことうざいって連呼してたじゃん。

 やったぜ、俺も才が有るうざい奴だ。

 

「で、どうなんすか」

「ああ? いや、お前が怪異について知ってはいるようだったけど、害をなす怪異だったらいけないなと思って――」

「優しくも救いの手を差し伸べた人ってわけっすね。かっくいー」

「……その様子だと、全く持って必要なさそうだな」

「当たり前すよ。大体あんたは何様なんすか。なんかできるとでも思ってるんすか」

 たかが、魚に。

 嫌味たっぷりにそう言ったのが勿論優補に聞こえたようで、彼女は眉を少し上げた。魚と言う言葉に傷ついたのかもしれない。

 喜屋武はそのまま歩き出した。

 

「おい、どこ行くんだよ」

「どこも」

 そっけなく答える。

 答えるだけよかった。

 

「オレには居場所がない。先輩達とは違って」

「……」

「あ、勘違いしないで下さいよ。別にオレ、野良みてーに路地裏ゴミ漁って生活してるわけでは、ないんすから」

 振り返りもせず、彼は言う。

 それは……本当のことだろうな。でも、阿良々木は家がない人間って……。

 

「もうオレは諦めたす。先輩はオレのことを忘れない上に犬も効かないみてーだし。本当のことも言ったし」

「……お前、どこに住んでんだ」

 だが彼はそれには答えず、ゆっくり歩を進めるだけだった。

 敵意は失っているものの、これ以上関わるなとでも言いたげだった。

 

「―――」

 その時、突然、優補が歌いだした。ゆっくりとした曲を、俺と彼女で創った歌を、アカペラで。

 喜屋武は足を止めたが、まだ背を向けたままだった。

 

 優補が歌うと、老若男女問わず多くの人が惹かれて集まってくるのだが、今日は誰一人寄っては来なかった。

 喜屋武を除いて。

 彼は振り返り、首を傾げて優補を見ていた。

 

「姉ちゃん……あんた、何なんすか」

「んー、ただのうたのおねえさんだよ」

 ……。

 子供達が歌に聴き入って一緒に歌うどころじゃなくなりそうだな。

 この歌は、彼に何を思わせたのだろう。

 何を思い起こさせたのだろう。

 今までとは酷く対照的に、気が抜けてしまっている風の喜屋武だった。

 

「幸音くん、今から、どっか行くとこでもあるの?」

「……ない」

 先程と同じ質問に、先程とは違う答えを、喜屋武は返した。

 ない、と。

 行くところは、行く場所はない、と。

 

「じゃ、私がつくったげりゅ」

 りゅってさ……わざと噛んだよなー。

 まあ、こいつの口癖がこれなのにはちゃんとした理由があるにはあるのだが。

 

「うちにおいで」

 優補は微笑んだ。

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