漫物語   作:楓麟

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生きてます。矛盾を防ぐため続きは物語シリーズが完結してからにしようと思っているのですが、なかなか終わりませんね!


其の玖

 後日談というよりは、裏話。

 その後、喜屋武は疲れて眠ってしまった――泣き疲れ、飲み物を飲んで、落ち着いたのか、気付いたらこっくりしていた。

 寝室は一部屋しかないし、ベッドは俺と優補の分しかないが、俺のベッドに運んで寝かせた。

 何故か優補が機嫌が悪そうな顔だったが。

 ……?

 あ、まさか浮気にカウントしてんじゃねえだろうな! しあぐねてるんじゃねえだろうな!

 違うぞ、大体そう考えるのはおかしいだろう……。

 リビングに二人きり。

 だが優補はつーんとしていて、話しかけづらい。

 

「ちょ、ちょっと阿良々木に電話を」

 口に出して、横目で優補を見ながら電話する。

 

「何股かければ気が済むわけ?」

「違えよ! そこまで気にしてたら俺は全ての友達と絶交を真剣に考えなくちゃならなくなる!」

 まじで。

 しかも喜屋武も阿良々木も男だし。

 

「もしもし、粟国?」

 そうして。

 一応、報告をしようと――俺は喜屋武の怪異をどうこうはできなかったということ、彼が自分の家がないと思い続けている限り、あの犬はいなくなったりしないからということなど――ただの報告をしようと思っていたのだが。

 そう、巴狗――奴は、喜屋武が「自分には家がない」と思っていた時から現われていたのだから――相当昔から、彼と共にいただろうから。

「自分には家がある」と思えたあの輝かしい過去……姉と過ごしたあの時間だけは、犬はいなかったのだろう。だが、家がある、そう思える機会が今の喜屋武には訪れると思えないし。

 とか、そういう色々を話そうと思っていたのだけれど。

 

「あのさ、粟国……ちょっとお前には早いというか、分かってもらわなくてもいい話をしようと思うんだけど……」

 と、煮え切らない態度で、電話越しに相手は言ってきたのだ。

 まだ俺が何も言っていないのに。

 

「僕はさっき、巴狗は家を失った犬、やどなし犬って言ったろう。あれ、訂正する」

「は……?」

「いや、間違いだったんだよ。あのあと、ひたぎが色々調べてたらしいんだけれど、巴狗は家を失った犬とは言えても、やどなし犬とは言えないんだよ」

「どういう意味だ?」

「いや、『史記』に載ってる喪家の犬、あれ辞書で引いてもらったら分かるんだけど、確かにやどなしの犬とは書いてある。でもそれは誤訳だと思うんだよ。僕も言ったように、巴狗は喪中の犬じゃなくて、家を喪失した犬だ。でもそれは家がないってわけじゃない。家を失っただけで、また取り戻せる――怪異が憑いていようと、いまいと」

「…………」

 なるほど、確かにその理屈は間違ってはいない。

 あいつだって、家はあります、でもないんです――失ったんですって、言ってたもんな。

 犬は、家を取り戻せる。

 となると、やっぱりつきものを落とすみたいに、しつこく構わなくてもいいんじゃないのか……。

 俺が思ったことを、これまでの出来事を含めて話すと、相手は曖昧に「そうだな」と言うのだった。

 

「何だよ、阿良々木らしくない。まだ何か言いたいことがあるのか? その、分かってもらわなくてもいい話ってやつか」

「いや、本当はこういうの、まだ僕自身納得してないところがあってさ」

「…………?」

 分かった分かった、話すよ、と阿良々木はようやくいつもの調子に戻って、言った。

 

「巴狗は、元ネタが喪家の狗で、出所は『史記』っていう狛犬だが、そもそもその史記ってのが、偽史なんだよな(、、、、、、、)

「偽史って……嘘の歴史ってことか」

「そう。孔子先生だっていたかどうか定かじゃないし、史記は最近では嘘入り混じる、どころか嘘だらけの史書って言われだしてる。

 ということはどうだろう、巴狗ってのも存在しちゃあいけない(、、、、、、、、、、)怪異なんじゃないか?」

 そう言われても、俺は混乱するばかりだった。

 だって、ほら、その。

 

「でも……確かにいるんだろ。ことは起こってるんだから。俺だって感じたし、獣の、人ならざる何かの、気配を。喜屋武自身も犬って散々(さんざん)言ってたし、優補だって――」

「だから」

 阿良々木は語調を強めた。

 

それも全部(、、、、、)僕たちの思い込みじゃあないのか(、、、、、、、、、、、、、、、)って話だよ」

 本当に意味が分からなくなったので、俺はとりあえず黙って彼の話を聞くことにした。

 

「怪異は、そこにあって欲しいと思う人がいることでこそ、存在する――嘘の怪異、偽者の怪異だって、信じる者がいれば現われるだろう。どちらにしろ、思い込みなんだから。(はた)から見れば、僕達は変人奇人なんだから。

 喜屋武は自分の持った力を、犬だと思った。だから犬の怪異なんだ。お前も、喜屋武が自分に憑いているのは犬だと言われるまで、そうとは断定できなかっただろう。思い込みが周りまで巻き込んだんだ。佐弐さんも、犬と判断したのは彼女がそういう類(、、、、、)に敏感だからだ。人の思い込みを感じる、だからこそ彼女は人魚たりえるんだし」

「……じゃあ」

 思わず口を挟んでしまう。別に優補を否定されたと思ったわけじゃあない。

 だって優補はどうしようもなく怪異で。

 喜屋武が『思い込んでいる』という犬を、犬と認識してしまったのは、仕方のないことだから。

 

「あいつの力は、何だって言うんだ。別の怪異が憑いてたって言うのかよ……そんなオチ、面白くもなんとも――」

「いや、そうじゃないよ粟国。考え方から変えなくちゃいけない。そうだな、今の喜屋武の力は、僕達じゃない、普通の人たちから見たら、どう見える?」

「それは……病気? とか、なんだ、超能力とか……」

 胡散臭いが。

 まあ怪異もそうか。

 でも怪異を知らない人は、そう思うかもしれない……いや、思うしかないだろう。

 

「そうだな、その通りだよ。普通の人からすれば、僕たちの方が間違っていて、嘘つきで、頭のおかしい、思い込みをしている奴なんだから。いや、思い込んでいるのはみんなそうか――みんな自分が正しいって思うもんな――まあとにかく。そう、超能力だ」

 人々は喜屋武の身やその周りで起こったことを、そう呼ぶって?

 人ならざる力。

 喜屋武も、自分を化物(、、)だって言って――

 いや、そんなことがあるか?

 今更そんなことが考えられるか? 怪異という存在を知ってしまったというのに?

 確かに、超能力、なんてのは人ならざる力だけれど、俺が感じた気配というのは、喜屋武自身のそれだったと言うのか。

 元々怪異はいなくて、あいつはただの、超能力者だとか――

 

「超能力という胡散臭い呼称が嫌なら、病気でもいい。実際、彼には制御できない所があったと言うし」

 病気。

 病。

 それこそ、ピック病のように、喚き散らし、怒りに任せて?

 そして、自分がそうだと思いたくなくて、()なるものがいると思い込んでいると?

 喜屋武を取り巻く異常な環境が――常人にはない力を、与えた。

 

「大体、死にたいと願って、死ねなかったというのがおかしい――忠犬は、全て聞き入れてくれるはずだ。たとえそれが主人の死でも。共に生き、共に死んでくれるはずなんだ。どうしても死ねなかった、なんて。そんなの、あいつが生きたかったから(、、、、、、、、、、、、)なんだよ。普通の世界で、生きたかっただけなんだ」

 死ぬことができなかったのは生きたかったから。

 家を崩してもベースが燃えずに残っていたのも大切なものだったから。

 ずっと側にいてくれた、大事な、かけがえのない存在。 

 姉の思い出だったから。

 俺がずっと黙っているので、阿良々木は、やっぱり早かったよな、ごめん、と謝ってきた。

 だが俺にとっては、早いとか遅いとか。

 そういう問題じゃなかった。

 そんなの、認められるか。

 そんなの、認めてしまったら――俺は、優補を否定することになる。

 お前の傍にだって、忍野忍がいるだろうに――!

 

「いいんだ。僕だって認めきれてないことだし……ただそういう考えも知ってもらいたくて。

 話を戻すけど、偽史も正史も紙一重だ。ひたぎ曰くだけど。過去のことは信じてしまって何が悪い? 嘘でも本当でも、信じてしまうのが僕たち人間(、、、、、)だろう」

 でも、忘れないでくれ――と。

 忘れられるはずもないのに、そうしてくれる犬もいないのに、そもそも犬の存在もないのに、彼は。

 

「怪異に関わってるからって、意味不明なもんを全てそれと決め付けるな、早とちりすんなってことだ」

 そんなことを言って、会話を終えるのだった。

 

 

 

 それから、すっきりしない気持ちで、俺は眠ることもできず、ただリビングに座っていた。

 優補にはどう話したものか。

 隠し事が嫌いとはいってもまあ、あいつは何も言わなくても分かってるんだろうけど。

 今回は本当に、何もできなかった。何もできなかったし、何も分からなかった。何も解決していないし、何の進展もなかった。

 

「でも、幸音くんの心の支えにはなったはずだよ」

 いつの間にか隣にきて座っていた優補が言う。

 

「何も頼れなくて、曖昧な妄想(、、)に浸っていたあの子の隣に、しょーじは今、寄り添っているんだよ」

 お前まで言うのかよ、優補。

 それはおまえ自身を否定する言葉だぞ――!

 

「うん」

 彼女は頷く。

 

「私も、しょーじの妄想じゃない」

 その台詞は。

 言葉こそ違ったが、あの頃冬に、人魚と出遭った時に、聞いた台詞と意味は同じだった。

 

「幸音くんのことは大丈夫だよ。悪い子にはおしおきを――私のモットーだけど、それも悪い子じゃないなら必要なし。

 しょーじが傍にいるだけでも、あの子は強くなれる。揺らがない心を、保つことができる」

「俺は、」

 口に出したいことではなかったけれど、

 

「お前がここにいるって、生きているって、信じたいんだ」

 今、どうしても言わなければ。

 彼女がいなくなってしまう気がした。

 首に掛けた、欠片を握り締めて。

 ガキみたいに、俺は言うのだった。

 

「ここにいてくれ」

「うん」

 彼女は――優補は。

 頷いて俺を抱きしめてくれたのだった。

 海の香り。

 潮の香り。

 

 喜屋武幸音との出会いは必然ではなかったけれど、こうして、俺こそが前を向かなければならない真実に気付くことは、必然だったろう。

 気持ち悪いほど彼に何の疑問も抱かなかったのは。

 彼の力云々だけでなく、俺自身が、彼から目を背けていたからだろう。

 今回の一件は。

 喜屋武に、と言うよりも、俺にとって変わるべき何かを突きつけられた気がする、そんな出来事だった。

 

「しょーじが望むなら、いてあげる――私を信じ続けてくれる限り、私はここにいるよ」

 存在自体がないものだという。

 怪異。

 存在自体があってはならない、嘘で、偽者だらけの怪異(それ)

 けれど、その想いだけは嘘でなければいいと、そう願った。


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