003
日が暮れ、辺りはすっかり暗くなっていた。俺の気分も、かなり沈んでいる。
急いで帰り道を走っていると(俺は自転車通学ではない)、ふいにどこからか歌声が聞こえてきた。
歌、というかハミングというか、とにかく口ずさんでいるメロディーだけが俺の耳に届く。思わずぴたりと足を止め、どこからするのか周囲を見回した。
「やめろ、恥ずかしいだろ」
そう言うと、歌は止み、代わりにくすくすと笑い声が聞こえてきて、電柱の影から彼女は姿を現した。
「えー? いい歌だと思うけどねん」
「……俺が創った歌だ、広めんな」
「でももう着うたフルでゲットできるよね?」
「嘘言うな」
たく、つーか俺はまだデビューしてないし。
そもそもバンドすら組めてなかった。
ジョークにしては黒すぎないか。
両手を後ろに回して、にこにこしながら彼女は近付いてくる。結わずにそのままの長い黒髪が、流れるようで。
そして、海の香りがした。
才色兼備。
背は女子にしては高く、俺と同じくらいだ。ちなみに俺は百七十.二センチ(この〇.二センチが大事)。
「で、何でこんな所にいんだよ」
「しょーじを待ってました」
「ああ……遅くなって、悪かったな」
そのしょーじと伸ばすのはやめてくれないだろうか。気が抜ける。
障子みてえ。正しくは、頌史。
「心配させて、悪かっ――!?」
目にも止まらぬ速さで彼女は俺の腕にしがみついてきた。がばっと。腕が折れるかと思うほどの力で。
周囲の視線が刺さる。
「まったく、五時までに帰るって約束したのに!」
「いやいや、どこぞの箱入り娘じゃねーとそんな門限はねーよ」
「しょーじは箱入り娘でしょ?」
「いつ俺が女子になったよ」
「だってしょーじはオレの彼女じゃん」
「急に一人称を変えるな! 混乱するだろうが!」
「え? しょーじが?」
……俺はもう慣れたが、俺以外にも混乱する人がいるだろうがという話だ。
「大体そうなったらお前のポジションは彼氏になるじゃん」
「最初からそのつもりでお付き合いを―――」
「嘘つけ!」
相手が言い終わる前に突っ込み切った。
「でも否定はしないんだね」
「あ?」
「いや、私が、しょーじは彼女じゃんって言ったことに対して、否定しなかったよね」
「違う!」
今頃否定。
いや、隙が無かっただけだ!
というか突っ込みどころがありすぎて困るんだよ。
「そんなんだから芸人として生きていけないんだよ」
「いや、ならねーし」
諭すように言われてもな。
「……大体、俺が目指してんのはミュージシャンであってコメディアンじゃねーし」
アーティストにボケも突っ込みも必要ない。
……必要なのかな。
「そうやって横文字がカッコいいって思い込んで多用しない」
「悪かったなカッコつけて!」
思わぬところに指摘が!
帰路を二人で歩く。優補が俺の腕にもたれかかっているので歩きづらい。
「あー、私スゴい発見したー」
間延びした声で、挙手する優補。もちろん空いたほうの手だ。
「ミュージシャンをショージジャンと言い換えれば、なんだか棒読みしてるみたいだよー」
「横文字が一瞬で気落ちした!?」
「ショージジャンを目指すのって、やっぱショージジャン?」
「読みにくい上意味が分からなくなった……」
「ショーガナイジャン」
「開き直りやがった」
「でもまあ、しょーじのいい所は、そうやって夢を隠したりしないで宣言できるとこだけどねー」
そうして彼女は俺の歌の一節を口ずさむ。
やっぱり、聴いてると恥ずかしいな……。
それにしても、優補はとても歌が上手い。
まあ、彼女は上手くなくてはいけないのだけれど。
上手くなくては彼女はいけなかったのだけれど。
ふんふーん、としばらく間奏まで歌ったあと、彼女は訊いてきた。
「で、今日は何で遅くなったん?」
「ああ、まあ色々と……日直だったしさ」
「ふーん」
「……。ごめん嘘」
「よかった、誤魔化し続けるのかと思った」
そうそう、こいつに嘘なんて通用しない。
どうせバレるのだし。
バレたら怒るとかそんなレベルじゃない。
津波が起こる。これはマジだ。
どんなに些細でも嘘はつくべきではない。
これは一年前学んだことだ。
人外である、彼女から。
「実はさ、」
「いーよ、言わなくても。どうせ
「違えよ」
「ああ、じゃあ瞳ちゃんとおしゃべりしてたんだ」
「んな訳ねーだろ」
浮気だとかそんなのじゃなくて、これは深刻な問題なのだ。
俺や優補に関わった人間が、果たして無事でいられるのか。
『怪異』に関わらないと断言はできない。
「嘘じゃないみたいだね」
「だから今から話すっての。
……ほら、去年俺と同じクラスだった、青柳って憶えてるか」
「あおやぎ――ああ、訝藍ちゃんね。うん、憶えてる」
クラスでリーダー的存在ってやつだったよね。と続けた。
彼女は俺のクラスメイトは全て把握している。何故か、なんて言うまでもないことだ。
「彼女は、
……私達、か。
「何なのかは知らないと思う。いることに、気付いてるというかな」
「それで」
「それで、去年の一月から、あいつは怪異に」
「……」
「赤い、雄牛なんだってさ」
優補は静かに俺から離れる。
しばらく彼女は無言だった。
俺は慌てて言う。
「お前の所為なんかじゃないって。これは純粋で純粋なケースだよ。
ほら、何だ、必要とされたときに存在するってやつだ」
「その怪異は、どんな怪異なの?」
佐弐は
よく知らないのは俺も同様だ。
全く、あの『完璧な彼女』の言う通りだ――怪異に遭ったとき、いつでも私みたいな人がそばにいることなんて、普通は無いことなんだよ――今回、青柳は自分の力で解決しなければならない立場にあるといえる。
だが、それで彼女がとった行動は。
非人道的だ。
それを知っている俺としては、黙って見ていることは難しかった。
「それでしょーじはどうしたいわけ?」
先程の質問に答えてもいないのに。
ちょっと突き放す感じに相手は訊いてくる。
俺は答えた。
彼女を助けたい、と。