漫物語   作:楓麟

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其の肆

004

 

「もっと詳しく訊かせて」

 優補の言葉に、俺は頷いた。

 

 アパートの二階。二〇二号室。

 アパートとは言っても、鉄筋コンクリート造の集合住宅である――俺の住む地域では、こういうのもマンションでなくアパートと呼ぶのだ。

 基準は何だったか、確か米軍と何か関係があった気がするが――まあ、俺にとってマンションとは超高層ビルなイメージがある。

 とにかく。

 そこが、俺の家だ。

 2LDK、冷房完備、クローゼットが三つもあり、小さいがバルコニー付という学生にしては贅沢な所だ。

 大家さんも優しくて、特別に学生割引がされて家賃は……まあ、それでも学生で普通払える額ではない。これも優補がバイトを頑張ってくれているお陰だ。

 お気付きかもしれないが、というか改まって言うことでもないのだが、俺と彼女は交際している。同棲している。

 おのろけかと周りから叩かれること覚悟の上だ。

 だがこれは責任だ。

 俺が償うべきことで、彼女を生かしてやるために俺ができる唯一の方法だ。

 ……まあもちろん、彼女のことは好きだけど。

 白い扉を開け、玄関で靴を脱ぎ、直進……すると寝室になってしまうので左折。

 十二畳のリビング。荷物を下ろして腰を下ろす。

 

「訝藍ちゃんは、しょーじが怪異を知ってることは知らないで、話してきたってことだよね?」

「ああ、そうなるな」

 偶然。にしては出来過ぎなのだが。

 いや、これも『彼女』が言っていたよな。一度怪異に関わると、惹かれやすくなるとか。

 そんなことを言われたって、覚悟なんてできるわけがないし、どうしようもないのが事実だ。

 

「その牛の話をして」

 彼女の言葉に俺は再び頷き、口を開いた。

 以下、放課後の回想シーン。

 

 

 

「……ごめんね。突然、意味の分かんないこと言って」

「いや……」

 驚いた。

 青柳は、怪異に関わってしまっているのだ。

 それなら。

 これほどに変わってしまっても納得できる。

 

「なあ、その牛って……何なんだ?」

「し、知らない」

 あまりにも平然としていたからだろう、相手は珍しいものを見るかのような目つきになった。

 涙も止まっている。

 まあ、俺は怪異のことを知っているし、パニックやらヒステリーやらになられたところで、それも優補のおかげで慣れている。

 

「ただ、去年の冬休みに……出遭(であ)った、というか」

「それが何なのか、お前分かるのか」

「え? えっ……と、妖怪の一種かな、なんて思ったんだけど。何ていうか、『生き物でない』感じだったし――牛っていう見た目をしてたけど、真っ赤だったし」

 しゃくりあげながらそう答えた。

 牛。

 ウシ目ウシ科の哺乳類。

 そして赤い、雄牛の怪異、か。

 ねえ、と彼女は首を傾げる。

 

「どうしてそんなことを――粟国くん、何か知ってるの?」

「別に」

 急いで教室の外を見て、戸を閉める。誰かが来たら困るので、鍵もかけた。

 そして彼女の前に立つ。

 

「え、な、何? か、監禁?」

「この流れで、どうやったらそんな発想が出るか知りたいよ」

 脳味噌の構造はどうなってんだ。

 

「怪異」

 と俺は言った。

 

「そういう魑魅魍魎(ちみもうりょう)の類を、怪異っていう――らしい。俺も詳しくは知らないけど」

 一息ついて。

 やっぱり言うしかないか。

 

「俺も、その怪異に関わった人間の一人だからさ」

「カイイ……」

「お前が関わった牛とやらがどういう怪異かは分からない。でも、特徴とか言ってくれれば、何か分かるかもしれない。今までみたいに馬鹿な真似しなくて済む」

 もちろん嘘だ。

 怪異に対して詳細を述べられたところで、対処法なんて俺に浮かぶわけがない。

 希望は、佐弐優補だが、彼女もどうだか。

 

「そういえば……誓った、とか言ってたな」

「うん……私はその牛の怪異に、誓いを立てたの」

 目を擦り、俺を見上げる。

 

「お兄ちゃんを現世に留める間、その対価として生き物の魂を集めること」

「ああ、牛に食べられるとか言ってたけど、それは魂なんだな」

「う、ん。そうだよ」

 あまりにも的確な答えだったらしく、青柳はさらに驚いていた。

 

「お兄ちゃんの魂が、牛に食べられるっていう意味――牛は、定期的に魂をねだるの。それで捧げなかったその時には、お兄ちゃんの魂が食べられて、輪廻から外されてしまう」

「よく分からないけど、何だ、あの世に帰れずに牛に消されるって感じか」

 相手は頷く。

 

「あの牛は、多分この世とあの世を渡る――その、怪異、なんだと思う。魂を運ぶ、そんな怪異」

「魂を、」

「だって――私がお兄ちゃんを呼び戻す為に、私は魂を半分捧げた(、、、、、、、、、)。それと交換に、牛はお兄ちゃんを連れてきてくれた」

 待て。

 魂を半分、だって?

 それじゃあ、今のお前は。

 

「どうして――そこまでするんだよ。お前、そんな状態で大丈夫なのか?」

 相手は答えなかった。

 顔を伏せ、目を合わせようとしない。

 なら、踏み込むまい。

 一線は引いておくべき。

 

「で、お前はどう思うんだよ」

「……え?」

「え? じゃねえよ。さっき泣いてまで訴えたじゃん。牛に喰われるとかって。お前、今の自分をどう思ってるんだ。

 問題は、お前が何をどうしたいかなんだから」

「やめたい」

 やめたい、そう連呼して。

 反芻(はんすう)して。

 

「もう死体を探し回るのは嫌だ、牛に会うのは嫌だ、お兄ちゃんに会えないのは嫌だ、お兄ちゃんが帰れないのは嫌だ」

「……」

「お兄ちゃんを帰すのにも、魂が必要なの。大きな対価が。でも、集められなかったら、お兄ちゃんは――」

「でもそういう風にしたのは、お前が牛に誓ったのが原因だろ」

「……何で、」

 見れば青柳は下を向いたまま震えていた。

 

「どうしてそんな風に言えるの? そもそも、おかしいよ――私は粟国くんのご両親が亡くなったことを知ったから勇気を持ってこうして会いに来ただけのに……その粟国くんが偶然私と同じように怪異に関わってるなんて」

「キツい言い方に聞こえたかもな」

 うーん、ほとんど受け売りだからな……それに俺みたいに失敗してほしくないし、正直俺自身が切羽詰ってるみたいだ。

 青柳が冬休みが明けてから、色んなことに首を突っ込んでいるのは、その大きな対価を探しているからだろう。

 焦っているからなのだろう。

 

「だから……そんなことが言えるほどの怪異と、粟国くんは関わったってことだよね」

 やはり、頭がいいだけある、理解が及ぶのが早い。

 

「じゃあ粟国くんは、どんな怪異に関わったの? 私のと似たようなもの?」

「いいや」

 俺はゆっくりと首を横に振った。

 

「俺が出遭った怪異は、俺の望みを叶えようとしたし、俺を恨んでもいたさ。それは、俺が用も無いのにあいつと関わって、あいつの人生を滅茶苦茶にしたからだ」

 自分に言い聞かせるようにそう言った。

 

「……どうなったの」

「ちょっと、変わっただけさ。それ以外は、何も変わっちゃいない」

「……意味分かんない」

「分かんないだろうな」

 分かってもらおうとも思わない。

 これはあまりにも馬鹿馬鹿しい話だから。

 そして、信じられない話だから。

 青柳はといえば、もう、と頬を膨らませていた。

 茶化されてると思ったのかもしれない。

 確かに、俺が言うべきことじゃないかもな。

 これはあの不吉なおっさんが言いそうな台詞だろう。

 あるいは、完全無欠なあの人が。

 あの人も、なかなか怖いからなあ……。

 

「まあ、これも何かの縁だろ。生憎俺は頑固でね。事情を知ったからには、できるだけのことをしようと思う」

「はは、粟国くんカッコいいね。頑固なのも私と少し、似てるかな」

 いや、お前のは厚かましいって言うんだ。

 

「私も粟国くん風に言うなら、生憎私も、事情を知られたからには、最後まで付き合ってもらおうと思う」

 そして彼女は、ありがとうと言ってきた。

 俺は、まだ早いぞ、と答えた。

 

「……そうだ」

 青柳が席を離れ、教室の扉へ向かう。

 そして振り返って笑った。

 

「私、図書室に行ってみる」

「図書室? 今?」

 うん、と相手は頷いた。

 

「粟国くんの話を聞いて、怪異のこととかちゃんと調べるべきだな……って思ったの。それで、今から図書室」

「開いてるのかな……」

「開いてるよ。あと三十分くらいしたらアウトだったけどね」

 うーん、優等生だなあ。

 図書室に足を運んだことなんてないんだが。

 でも牛の怪異、ってマイナーなイメージがあるな……いや、俺の知識がなさ過ぎるだけか。

 それでも、俺の怪異よりはマイナーだろう。

 

「じゃあね、粟国くん、また明日報告するよ」

「ああ」

 再び静かになった教室で、俺は再び黒板を消し始めた。

 

 

 

「……相変わらず几帳面だねえ、しょーじは」

「いや、そんな感想は必要ない」

 一通り話し終わって、優補はうんうんと頷いている。

 

「しょーじは正しいよ。あの後訝藍ちゃんについて行って一緒に調べなかったのがね」

「そうか?」

「こういうのは、できるだけ、自分の力で解決するべきだよ」

 答えを導き出すのは、結局自分自身なんだし。と彼女は言う。

 

「私達は、助けるとはいっても手を貸すだけみたいなもんだから」

 確かに、俺たちは人を助けることなんてできない。

 本当の意味で助かるには、自分自身でなんとかする以外にないのだ。

 

「なあ優補、俺的によく分かんない事があるんだが」

「何故生きてるかなんて、そうそう分かるものじゃないんだよ」

「いや、今俺はそんな深刻なことに疑問を抱いてねえよ!」

「あー……ここで口説いてくれるとか、そーいうのはないわけだ」

「う」

 そこまで頭は回らないのだった。

 

「俺が今生きているのは、」

「もう遅いばーか」

 冷たく突き放して、それで何? と訊いてくる。

 

「別に彼女は何とも思ってない風だったから問いたださなかったんだけど。青柳は魂を捧げる為に悪戦苦闘してる――だからって何で死体を集めるなんてしてんだ? 死体は魂なんて無い、蛻《もぬけ》の殻じゃねえか」

「んー。しょーじは蛻の殻どころか間抜けの殻だね」

 間抜けですらないのか、俺は。

 まあ、気付いただけ凄いよ、と。

 自分の髪をくるくる巻きながら、優補は、おそらく持論であるだろうが、答えた。

 

「残りかす、かな」

「かす?」

「魂が抜けた体でも、抜けたばかりなら少しだけ生気っていうか、魂の欠片みたいなのが引っかかってるんだよ。知らない?」

「いや、知らないけど……」

「とにかく、そんな場合もあるってこと。あるいは、成仏できてなかったり、死にたてほやほやなら、魂が完全に残ってるかもね」

 嫌な言い方だ……。

 気分が悪くなる。

 本人に訊かなくてよかった。

 

「魂というよりは、魄《たましい》って感じかな。肉体に属し、体朽ちるまでそれを支える気のことだけど」

「よく分からないけど……じゃあ俺の両親が成仏してねえとでも思ったのかな」

「焦ってたんでしょ、だから嗅ぎ回ったりしてるんだよ。それとも」

 表情は穏やかだったが、優補は言うのだった。

 

「しょーじを捧げようとしたか」

「……んな訳ねえだろ」

「そーお? 案外そうだったりするかもよん。だから誰もいない時を選んだとか考えられるし、もししょーじが怪異を知らなかったらぱくり、だったかも」

「疑えばいくらでも疑えるけど……俺はそうは思わねえな」

「ま、それはそれでいいけど」

 興味なさそうにそう言って、優補はそれからだんまりだった。

 俺は姿勢を崩して優補、というよりは独り言のように言った。

 

「いやしかし俺としては、どうして一年以上も経って怪異について調べなかったんだっていうのも疑問に思うけどな」

「愚問だよ」

「え?」

「何でもないさー」

「……」

 優補は立ち上がり、伸びをしながら同室の台所へ向かった。夕食を作るらしい。

 

「今日はシチューの予定だったんだけど、ビーフシチューにする?」

「なんかとんだブラックジョークだよな……」

「じゃあ黒鮫でも入れる?」

「それはブラックシャークだろ!」

 面白くないわ。

 黒鮫どころか興ざめだ。

 優補はといえば、さっすが横文字のプロだとか言いながら冷蔵庫から野菜を取り出していた。

 俺も手伝えるんだが、料理を邪魔されると怒るからな……(邪魔する気がなくても、だ)。

 

「にしても青柳のやつ、大丈夫かな」

 優補はまな板と包丁を取り出していた。

 

「そもそも学校の図書室に怪異の文献なんてあんましないと思うんだよな。俺が思うに、牛の怪異といえばあれしか思い浮かばねえ。ほら、半人半牛の」

「分かった、ミノタロスね」

「……なんか仮面ライダーに出てくる敵キャラっぽい名前だぞ」

 ミノタウロスだ。だが優補は頬を膨らませて俺の突っ込みに指摘した。指摘してきやがった。

 

「イマジンは敵なんかじゃないよー、主人公と最後まで戦ういいひとたちだよー」

 いや、電王とか興味ないから。ほんとごめんだけど。

 くらいまっくす~♪ と歌いだす優補。能天気め。

 

「ミノタウロスってギリシア神話の半人半牛だったよねー」

「ああ、だから牛の怪異って思ってさ」

「ラビリンス!」

 優補が叫ぶ。だが特に意味はなかったようで、そのまま彼女は続けた。

 

「うーん、でもミノタウロスって赤いかもだけど現世と来世を渡る怪異、じゃないよ」

「あ、そうだっけか」

「それにあれは魂どころか人間もろ食べちゃうしねー。あー怖い」

 お前もあんまり人のこと言えないからな。

 人というか、化け物というか。

 

「じゃあ俺には何も思い浮かばねえや。牛の怪異なんて」

 優補は鍋に火をつけ、野菜を切り始めていた。

 

「そうだ、なあ優補、お前も明日久しぶりに青柳に会って――」

 みるか、と言い切らないうちに、彼女は飛んできていた。

 正確には、青柳の「あお」も言い切らないうちに。

 包丁を構えたままで。

 

「お、おい――!」

「さっきから思ったんだけどー」

 ゆるゆるとした口調で包丁を頭上にかざす少女。

 ついていた野菜が落ちてくる。

 

「どうしてそうやって青柳って親しげに呼ぶの?」

「……っ」

 いや、お前は全員を下の名前で呼んでんじゃん!

 どちらかといえばお前の方が親しげに聞こえるよ!

 

「興ざめはいいけれど、恋ざめは赦さないんだからね」

「……んなつもりはねえよ」

「ふーん」

 台所へ戻っていく。口の端を歪めているところからして、マジで怒ったわけではなさそうだ。

 

「いい年の女子が包丁振り回すなよ、俺じゃなかったら通報してるぜ」

「通報される前に刺してます」

「物騒なこと言うなや!」

「さっきから私、『次にしょーじが青柳と言ったら刺す』ってずっと考えてたんだよね」

「マジでおっかねえ」

 計画まで練っていやがった。

 本気かよ。

 あと、落とした野菜を放置するな。玉ねぎとかもあったせいで微妙に目が痛いぞ。

 全く。

 拾い集めて捨てる。勿体ない。

 

「――で。どうだ? 明日にでも青柳、さんに会うか?」

「どうしてそうやってさん付けにするの? 堅苦しいよ」

「お前が言ったからだろうが!」

「しょーじらしくもない」

「俺も自分で言いながら思ったよ!」

「別に私は今後一切呼び捨てにするな、とは言ってないよ?」

「言ってはなくても態度で示しただろ!」

「いや、あれは単に、面白いかなーと思って」

「将来歴史に名を残す殺人鬼みてーな台詞を言うな」

「気分は乗らないけど、会っておこうかなー」

「……ああ? そうか」

 話がようやく戻ったのな。

 

「だって、関わった怪異のことはもちろんだけど、訝藍ちゃんのこと、何も分からないんだもん」

 ああ。

 そうだ。そうなのだ。

 彼女が牛に誓ってから人が変わったという点は納得できた。

 だが、どういった経緯で、というのは全くもって何も分かっていない。

 あの笑顔。

 もう見れないのだろうか。

 何があって、彼女はああなってしまったのだろうか。

 魂を半分、捧げた青柳は。

 どうして、そこまでして兄を呼び戻したかったのか。

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