006
保健室に行ったが、もう遅かった。
放課後、土曜日なので半ドン。
正午と早い時刻。
いつまで経っても青柳が来る気配はなく、こちらから彼女のクラスに行ったが彼女はいなかった。
そしたら青柳のクラスの人から、彼女が三時間目、今日最後の授業で倒れたのだということを訊いた。
「ただ疲れただけって……嘘つきやがったな、あいつ」
無理してたんじゃん。
保健室の先生から彼女の住所は訊いた。
渡す宿題があった、とか嘘をついて教えてもらった。
その辺、この学校は甘い。
どうやら青柳は熱でも風邪でも貧血でもない、ただの過労だということで早退させられたらしい。
親は仕事。
だから徒歩で帰ったそうだ。
いやしかし、彼女の家は学校からさほど離れていない。
むしろ近すぎる。
歩いて三分ほどだ。
家から学校より、校門から教室までの方が距離が遠くないか? と思うくらい(これは、俺の学校が広いという意味でもある)。
青柳の家は、普通の家だった。
ここでいう普通の家とは、沖縄の伝統的かつ独特なあの家ではなく、都会で見られる家のことだ。ただまあ、台風対策で造りは多少違うかもしれないし、表札にシーサーが描かれているのは沖縄らしいが。
チャイムを鳴らそうとして、思い
危ない危ない。まずはあいつに電話だ。
携帯を取り出して、コールする。
優補は、すぐに出てくれた。息が弾んでいる。
「しょーじ!? 学校終わった!? 今どこなん!?」
「うるせえ……学校は終わったよ、それでな、」
「今私、沖縄しょーかいちゅー。阿良々木さん御一行に」
「ああ!?」
「おすすめスポットというか、いいトコのお土産屋さんとかね。あ、あとおいしーお店とか!」
「じゃあ、今みんなでぶらぶらしてんだな」
「うん、しょーじも早くおいでよー」
いいのかなー。
沖縄旅行っていっても、あれデートみたいなもんじゃないのか?
あ、いや忍がいたか。
それでも、何だか申し訳ない。
迷惑かけてないだろうか。
というかまず優補は扱いが難しいのだ。
触ると火傷するし、無視すると寂しくて死んでしまう、みたいな感じ。
人魚で火傷という例えも可笑しいが。
「ごめん、俺忙しい」
「はあ!!?」
大きな声だ。周りにご迷惑をおかけしていないだろうか。
「何がどうして忙しいの? 今日は何も用事がないことくらい私は知ってるよー」
「いや、青柳が今日倒れてさ。今そいつの家に行って――」
「待て! 待て待て待て! 何? しょーじいつの間に訝藍ちゃんとそんなに仲良くなっちゃってんの!?」
「仲良くねーよ」
「そいつ呼ばわりなんて、赦せない」
「またよく分からねーとこにキレるなあ!」
「それで家に招き招かれる関係ですか」
「いや、あいつ倒れたって言ったろ!」
「あいつ呼ばわりですか」
「じゃあ何て呼べばいいんだよ!」
「名前忘れたけど、まあ大した奴じゃない、同じ学年だったと思われる人」
「曖昧すぎる上に俺の学校の生徒ほとんどが一応当てはまる!」
余計お前怒るだろ。
誰か分からないじゃん、って。
「じゃーもうなんでもいいよ、下の名前以外ならなんでもいいさー」
「……」
いや、それが普通だと思うんだけどな。嫉妬深いキャラになりきるのも大概にしてほしい。
「でも彼女でもないのに家に行くってのは、ねえ」
「……隠してないから別にいいだろ」
「おおっぴらに浮気宣言する輩もいます」
「いるか!」
「それに、もしかしたら訝藍ちゃんは倒れた振りしてしょーじを誘ってるのかもよ?」
「なんつー巧妙な!」
「それに親は仕事だし、二人っきりだし」
「……疑り深すぎだろ」
「海より深し」
「計り知れないな」
「やっぱり心配だから、私も行こうかな、いや行く!」
「――優補」
相手を落ち着かせようとわざと間を置いて言った。
「お前は来なくてもいい。今観光案内してるんじゃなかったのか。それなのに、皆を置いて俺のところへ来るって言うのかよ。そんな自分勝手な奴は、嫌いだ」
「…………」
「俺はただ、青柳が心配だからあいつの家に行くだけだ。それ以外の理由なんてない」
「しょーじ……」
「イチャリバチョーデーって、あるだろ? 会った時から家族同然なんだよ。家族が倒れてる時に無視なんてできるかよ」
「そーやってそういう時ばっか格好いいコトバつかって」
「悪かったな、格好つけてて」
「いーよ、しょーじ。疑ってごめんなさい。しょーじが電話してきたのって、誤解を生まない為だったんだよね」
「……」
「訝藍ちゃんのこと、私の代わりに色々訊いてきてよね」
「分かってる」
「私はあなたを信用してます。私も家族の一人として、しょーじを待ってるから」
「ああ、ありがとう」
そう言ってくれると素直に嬉しいよ。
「じゃあな――」
「あ、ちょっと待って」
彼女の息遣い。
少し荒い。
「私はそんなお人好しなしょーじのことがあふっ!」
恥ずかしいことこの上ない台詞を、最後の最後に噛んで言ってのけた。
いや、言ってのけてないが。
「俺も――」
「もしもし粟国?」
電話の向こうからは男の声がした。
携帯を取り落としそうになる。
「だあっ!? あ、あららら、さんっ!?」
「噛むな! それにさん付けはよせって言ってるだろ!」
「いや、どうして急に電話に――」
あ、今まで優補の隣には阿良々木達がいたんだった!
やべー。
途中からすっかり忘れてた……。
訊かれてる。
絶対全部訊かれてる。
今更真っ赤になる。
「気になったことがあってさ、ちょっと代わってもらった」
「いや……阿良々木、空気読めないのか……」
あ。タメ口になってた。
「そういやKYは暦の略語とか訊いたな」
「そうなんですか!?」
「ちなみにひたぎも空気読めない。KY仲間だな」
「戦場ヶ原さんに謝った方が……」
と俺が言い切らないうちに、鈍い音と阿良々木のうめき声が聞こえてきた。
もう彼女は怒りの鉄拳を放っていた。
案外、分かりやすい人だ。
そして面白い。
いやしかしあの人の拳はあんな音がするのか……。
「それはともかくとして、さっき佐弐さんから話は訊いた。同じ学校で、怪異に関わった子がいるんだろう?」
「……優補が話した?」
「忍に、だけどな。正確には。
その怪異、忍が知ってるよ」
「え?」
「色々あってさ、忍は一応怪異のこと詳しいんだよ」
「……教えてくれますか」
「教えない。助けるだけさ」
笑いながら彼は言う。
ふざけて言っているのかもしれない。
「助けるって……でも、阿良々木は何も関係ないじゃ――」
「関係ないけど、関わらないなんてこと、僕にはできないな。お前だってそうだろ、粟国。お前だって直接的にはその子とは何の関係もない」
「同じ学校です」
「そう。ただの、同じ学校の生徒だ。でもそれ以外は何も関係ない、だろ?」
「だからって……放っておけるわけ、ない」
「そうだろ。僕も、同じだ」
あ。そうか。
同じだ。
結局俺と彼の言っていることは同じなのか。
僕達、結構似てるのかもな――そう阿良々木は呟いて。
「だから粟国、僕はお前を助ける、お前が助けようとしているその子も、助けることになるが」
「い、いいんですか」
「言ったろ。関わらないなんてこと、僕にはできない」
「……お人好し」
「お前のことか?」
とぼけた声が返ってきて、俺は思わず吹き出してしまった。
阿良々木暦。
いい人なんだな。
チャイムを鳴らしても何も反応が無かったので、恐る恐る玄関を開けた。
「青柳? ……誰かいますか」
「……粟国、くん……?」
がら、と玄関のすぐ隣の部屋の戸が開いて、青柳が顔を出した。
真っ青だった。
「お、おい……お前、大丈夫か!?」
「え? うん。平気だよ」
「平気って、その顔で何言ってんだ。何か我慢してんじゃないだろうな」
「……冴えてるね、粟国くんは。冴えすぎだよ」
「違う。無理してるのが丸分かりなだけだ」
「ああ、私の演技が下手なのか」
演技してたのか。
何だか信用されてない気がしてならないな。
青柳は制服姿のままで、寝ていたらしい(開けっ放しの戸の向こうは寝室だと見て取れた)。
それでも無理して起き上がり、俺を家に入れてくれた。
とりあえず食卓のテーブルに移動して、向き合う形で俺達は腰掛けた。
「大丈夫なんだよな」
「うん、今はもう大丈夫」
彼女がこうも真っ青なのは、体調不良とかではもちろんない。怪異減少だから、身体は異常はないはずだ。
青柳はそこで何故か横を見て、そしてこちらに向き直って笑う。
「どうしたの、粟国くん。私に何か、用でもあったっけ?」
「いや……お前言ってただろ。あの怪異について、何か分かったって」
「……」
青柳は硬直したように動かなくなった。
笑顔を貼り付けたまま。
「調べたんだろう?」
「うん。調べたよ……」
頷く青柳。
だが、言葉が続かない。
「どんな怪異だ、言ってみろよ」
「……」
ちらりとよそ見して、ついに黙り込んでしまった。
俺はやっぱり、と唇の裏を噛んだ。
「……お茶出すね」
「誤魔化すな」
「喉渇くでしょ」
「別に」
そう言うと、青柳は困ったようにそっぽを向いた。
「怖いよ、粟国くん」
「悪かった、別にキツい言い方するつもりはなかったんだ」
「こういう時は遠慮なんてするべきじゃないのに……お茶、
「俺はいらない」
注意深く相手を観察しながら、俺は言う。
「
すると、青柳は弾けるように椅子から立ち上がり、じっと俺を見据えた。
「……見えるの」
「見えねえよ」
「じゃあ、何で」
「いやそれとなく」
「……嘘」
「お前の目線で分かるんだよ」
「……」
ずっと思っていたのだが、こいつは会話をする時によく目を逸らす。
それは、兄の方を見ているのだ。
何をしているのか、そんなことまでは分からないが。
青柳はゆっくり座りなおす。
「怖いよ、粟国くん」
「……」
「何でも、分かっちゃうんだから」
「見えないとは言ったけど、感じるんだ。俺だって、関わった人間だから」
「……怖くないの?」
「は? 俺自身が?」
「まさかまさか。その、幽霊とか、怪異とか」
「怖いよ」
素直に答えた。怖くあるべきなのが、そいつらなのだから。
「でも、私はそういうの見えるとか言うし、隣にはお兄ちゃんがいるんだよ。気味が悪いと思わないの?」
「はっ」
思わず笑う。
青柳が眉をぴくりと動かしたから、慌てて謝る。
「何者か分かっているなら、怖がる必要はないさ」
「でも……」
「言ったろ。そういうものを、俺はいると思う時もあるし、いないと思う時もある。今はいると思ってるさ」
嘘だった。
俺は何も信じてはいなかった。兄がいるというのも、青柳の態度から推測しただけで、実際にいるとは微塵も思っちゃいない。
相手に話を合わせること。
それは俺の本心を隠すことでもある。
俺は、青柳と話を合わせるために、本心を隠して嘘をついた。俺のよくないところだった。
お前なら立派な詐欺師になれるだろう――なんて、誰に言われた台詞だったか。
それで、訊きたい事があるんだが、と俺は椅子を少し手前に引いた。
「お前は兄さんの魂をこちらに留めた、だろ?」
「……うん」
「そのこと、兄さんはどう思ってるんだよ。
青柳はちらりと隣を見る。彼女の左側にいるのだろう、俺から見て右を、彼女は向いていた。
じっと右を向いて、兄を見て。
やはり、少し不気味だった。
俺には見えないものが、彼女には見えている。
本当にいるかいないかはともかくとして。
「いつも同じことだよ」
彼女はしばらくして、言った。
「自分が生きているか死んでいるか分からない、どのような存在であるのか分からない、なぜここにいるのか分からない、どこへ行けばいいのか分からない」
「……兄さんはそう思ってるんだぞ。お前はそれでいいとは思うのか」
「思うわけないよ……だから、帰したいと思ってる。でも、その為には――」
「――誰かの魂が要る」
俺も、兄がいるらしい所を見つめた。
無論、何も見えないし、何も聞こえない。
それでも、感じる。
何かの気配。
青柳訝藍ではない、人の気配を。
これは、昨日教室でも、微かだが感じていた。
「他に、方法は知らないのか。魂を捧げずとも、兄さんを帰せる方法」
「知らない」
「俺は今は何とも言えないな。お前が、その怪異について詳しく言ってくれないと」
「……」
青柳は一瞬、迷ったように見えた。
言うべきかどうかを。
彼女は兄を横目に見ながら(これはあくまで俺の想像なのだが)、小さな声で言った。
「マジムンって、いるじゃん」
「マジムン……小さい頃絵本で読んだことがある。道具に取り憑く妖怪だよな」
「そうそう。マジムンは、悪霊とも言われるらしいけど。ここら辺では、結構知られてるよね。
マジムンて、色々化けることができるみたいだよ。主に、女の人、家鴨、それに牛」
「牛、か」
俺は先程まで阿良々木と電話でしていた会話を、思い出していた。
「――じゃあ、その怪異について教えてください。関わった彼女自身も、それについて昨日色々調べたって言ってましたけど、それでも意見が一致するかの確認で役に立つ」
「そうか、分かった」
阿良々木は、正式な怪異の名前を、口にした。
「その子が関わった、赤い雄牛の怪異。それは、現世と来世を渡る怪異だ。つまり、その中間に位置する存在。言うなれば、陸と海の狭間に立つ怪異。