008
「去年私のお兄ちゃんは、教師になったばかりだった」
青柳が語りだした。
中学校の教師だったそうだ。それまでは、大学生の間は、家庭教師もしていたらしい。
どうしてそこまで、と俺が訊くまでもなく、彼女は答えていた。
「お母さんを、見ていられなかったから」
数年前。
青柳は都会町に住んでいた。
青柳の母親は、父親と同じ一流企業に勤めていた。
ところが企業買収により会社の方針が一変した。
何でもこの不景気を乗り越える為、とか。
定員削減の為に社員切りが行われ、青柳の母親もその対象になった。
リストラされなかった父親は、それでも、過労で亡くなった。
仕事がなくなって、母親は兄妹を連れて祖父母の家に越してきたのは、五年前のことだ。
祖父母は自営業を営んでいて、青柳の母もそこで働いていた。だがそれは一年も持たなかった――
「おじいも、おばあも、死んじゃった」
残ったのは、家族三人。
今住んでいる借家にも、いつまで住めるか分からない。
母親は、フリーターとなった。
仕事ができるだけましだと、場所を転々としながら朝早くから夜遅くまで、働いているそうだ。
今まで。そして今も。
ここで、同情をするのは間違いだと思う。
俺としては、怒りのほうが大きかった。
どうして、こんなことに。
「お兄ちゃんは、そんなお母さんが、見ていられなくって」
あくせく働く母親を、見るに耐えられず。
当時大学三年生だった彼は家庭教師を始め、それだけでなく教育職員免許を取った。
一生懸命勉強をして。
元々、人に物を教えるのが上手い人だったそうだ。
だから、それを活かして、安定した職に就いて稼ごうとした。
母親を、救おうとした。
妹を、救おうとした。
家族を、救おうとした。
だがそんな兄の強い意志は、一瞬で打ち砕かれた。
交通事故。
バイクの無免許運転。
暴走させたそれを乗り回していたのは、高校生だった。
それに、兄は轢かれて、死んだのだそうだ。
顔の原型は分からないほどぐしゃぐしゃで。
唯一身に付けていた財布の中に入っていた、写真がなければ分からなかったそうだ。
家族写真がなければ。
兄は家族のことをいつも思っていた。
家族のために、必死だった。
だが自分はどうなんだろう――青柳は、そう思うようになった。
そしてそれに追い討ちをかけるかのように。
「……そんな」
虐待。
身も心もぼろぼろになった母親が快楽を求めて娘の虐待を始めた、そうだ。
一時期は麻薬に手を伸ばしかけたらしいが、青柳が気付いてやめさせた。
正しい判断だったのだろうか、いやこの時点では正しい判断だったのだろう。
青柳も兄と同じで、母親の苦しむ姿を見たくはなかったのだから。
だがそれが引き金となったと言っても過言ではない。
心の拠り所を、薬から娘へ。
精神的快楽から暴力による快楽へと。
いつでも、暴力を振るうようになったわけではないと、青柳は言う。
たまに、仕事か何かできついことがあった時だけだ、と。
だがそれは何の釈明にもなっていない。
言い訳にしか聞こえない。
心配御無用、と言っているようにしか思えない。
お前は、それでも、虐待を受けているんだろう?
それだけは否定できないだろうが。
それに、青柳の「たまに」が俺の想像している「たまに」と同じとは言い切れない。
基準が違うのだから。
暴力を振るうとき、いつも青柳は言われるという。
――兄はいつも勉強をしていた
兄はいつも私達の為に働いていた
兄はいつも私を気遣ってくれた
兄はいつも、兄はいつも、兄はいつも――
そしてそれは悲痛な叫びへと変わり、泣き声へと変わり、そこでエスカレートするのだ、という。
だが青柳は耐えた。
母親の溜まったストレスが、少しでも解消されるのなら、と。
母親の道具となることを決意した。
それが今の自分にできることだと。
兄が教師になったように。
それが、家族を救う手段なのだと思って。
青柳は勉強に励んだ。
いつもより元気に明るい生徒でいようと心がけ、常に笑うようにした。
だがそれは空の笑顔で。
がらんどう。
母親のことは知られたくなかった。
今でも生々しく残っている、背中の傷を見られたくなかった。
非難がましい目で見られたくなかったし、哀れみの目で見られたくなかった。
突き放されるのが怖く、母親が捕まるのが恐ろしかった。
どんな関係になろうが――家族であることには変わりがないのだから。
相手が自分のことをどう思っていようと。
母親は母親なのだ。
だが青柳が表で快活にふるまおうとすればするほど。
裏ではストレスが溜まっていった。
笑い方を忘れた。
いつもどんな風に人と接していたのか分からなくなった。
異常な食欲が芽生えて。
それは青柳の心の叫びなのに。
SOSを、発していたのに。
彼女は、変わるしかなかったのだ。
変わらざるを得なかった。
そしてまた彼女は悔やんでもいた。
自分にできることは、これくらいなのだと――
その時。
「私は、赤い雄牛に出遭った」
兄が死んだ冬休みに。
母親が娘を心の拠り所としたように、娘は怪異を心の拠り所とした。
誰にも相談ができず。
一人で全てを抱えてきた彼女が、得体の知れぬ妖怪を頼ったのも無理はない話だ。
兄を連れ戻す為に、魂を半分捧げるのを厭わなかったのも。
誓いを立てたことも。
彼女にとっては、何ということもなかったのだろう。
もう既に、魂はなくなっていたも同然なのだから。
初め、青柳が兄を連れ戻したのは、母親を喜ばせたかったからだという。
だがどうやら母親には兄の姿は見えなかったらしい。
当初の目的がなくなって、それから青柳は毎日兄と話すようになった。
幽霊と話す代わりに、クラスの子とは誰とも会話しなくなった。
だが青柳は気にならなかった。
気になる事がどういうことか分からなかった。
側には兄がいる、それだけでよかった。
たとえそれが、生きていた当時の兄と違ったものでも。
話しかけてこない存在でも。
青柳は虐待に耐える事が少し楽になって、気持ちもちょっぴり楽になったという。
勉強の面でも。
努力が報われたのか、青柳は二年生になって上位クラスに上がったし、同時に母親の虐待も収まっていた。
普通の高校生だった、なんて――思い込みも甚だしい。
彼女の、文字通り血も滲むような努力を、俺は今の今まで知りもしなかったのだ。
勿論そうなるようにまた彼女は努力していたのだが。
青柳はもっと、もっと――成績を上げようと頑張った。
母親が一瞬見せた、あの笑顔をもう一度見たいと。
だが兄を現世に留め続ける為には、他の魂が必要だった。
青柳は必死だった。
少しでも誰かが死んだという噂を耳にすれば、飛んでいった。
道端で動物が死んでいれば、迷わず牛に捧げた。
兄が側にいてくれなければ。
いつか、自分が壊れてしまうような気がしていた。
だから、今まで怪異について詳しく調べなかったのは、きっとそんな余裕がなかったからだろう。
そして、このままでいいと思っていたからだろう。
兄を帰すにはまた大きな対価がいる。
自分の半分の魂と同じ、またはそれ以上の価値のものを。
そんなことをするくらいなら、定期的に動物の魂を捧げるほうがいい、そんなことを思っていたからだろう。
だから俺は、必要とされていなかったと言える。
ずけずけと入り込んで、厚かましいのはどっちなんだか。
必要とされたのは牛であり、また、俺の家族の魂だ。
これからも青柳は魂を集めるのだろう。
そして、母親のストレス発散の道具となるのだろう。
いつまでも、兄とい続けるのだろう。
「……そんなのは、駄目だ」
話が一通り終わり、菓子袋が空になったとき、俺はそう言っていた。
青柳は笑いながら俺を見た。
「お前はそれでいいかもしれないけど、兄さんはどうすんだよ。さっきお前言ってたじゃねえか。兄さんが帰れないのは嫌だ――」
と言いかけて。
同時に俺は思い出した。
――お兄ちゃんに会えないのは嫌だ、お兄ちゃんが帰れないのは嫌だ――
「……どっちなんだよ」
「え?」
「言ってることが矛盾してるよ、お前。もう死体を探し回るのは嫌、牛に会うのは嫌と言っても、兄さんを留めるにも帰すにもそうしなくちゃいけない。やめたいって言ってるけど、お前実際は帰したくないんじゃないのか?」
青柳は答えなかった。
肯定もしなければ、否定もしない。
「余計なお世話かもだけど、言っとくぞ。お前がやってることは、逃げだ」
「…………」
「それじゃあ母親の為にもならないし、自分の為にも良くない」
「じゃあ、私はどうすればよかったのよ」
「……」
「お母さんに、やめてって言うの? 先生や友達に相談すればよかったの?」
「それは――」
「
そこで彼女は言葉を切り、目をそむけた。
俺が、お前の立場だったら。
「しょーじ、おかえりー」
帰ってきたときには、もう三時になるところだった。
随分と時間が経っていたようだ。
優補が、玄関の鍵を開けて微笑みながら迎えてくれた。
俺は何だかほっとして、靴を脱いで上がる。
玄関の小さな棚の上の、口を開けたシーサーが目に入って目尻がさらに下がる。
優補は、飲み物何がいい? と尋ねながらどたどたと台所へ向かった。
冷たい紅茶がいい、と言いかけて、先客に気付く。
阿良々木御一行。
人数分どこで揃えたやら、座布団に皆鎮座してしまってまあ、我が家のようにくつろいでいた。
「お、粟国帰ったのか」
「いや……何してんすか」
「言ったじゃん、色々話がしたいって。明日僕達帰るしさ」
「佐弐さんのお陰で、予定も早く終わったし。安くて可愛いシーサーも買えたし。暦くんそっくり」
「僕は安くて可愛い男なのか」
「そんなことは言ってないでしょう。文脈だけで判断しないで頂戴」
また始まった……。
一応、俺の家なんですけど。
「これで、あとは夜を待つだけ――ね」
意味ありげに言う戦場ヶ原さん。
一方で呆れ顔の忍だった。
頬を膨らませているのがやけに可愛いのだが。
五百歳なのに……あれ?
「そういえば、忍……さんは、」
言いにくい……。
だが、彼女にぎろりと睨まれて身がすくんだ。
座ろうとしても、体がしばらく動かなかった。
腕に抱いているシーサーのぬいぐるみとのギャップが凄まじい。
「元々からそのような姿なんですか?」
「……ふん」
益々むくれちゃって。
「儂を誰だと心得る。怪異殺しとまで呼ばれた、怪異の王じゃぞ。その姿が元からこのようなぺったんこなロリ少女なわけがなかろうが」
「……」
自虐ネタ……ではなさそうだ。
でも自分のことをぺったんことかロリとか言うなよ……。
忍はそれから何も言わなかった。代わりに、阿良々木が続ける。
「忍は今、縛られてるんだ」
「縛る?」
「そう。名前で縛り、僕の影に縛ってある。力も制限されて、吸血行為はできない。唯一、僕の血だけが彼女の食料なんだ」
「どうして……そんなことに」
「償いだよ」
阿良々木は言った。
そして、あとは何も言わなかった。
そう言われているにも関わらず、彼女は胸を張った。
「まあ、儂の真の姿はぱないがの。一度見たら決して忘れられんぞ」
決して、決してそんなつもりではないだろうが、その胸部を主張しているような気がしてならない……。
真っ白のすけすけのドレスを着ているし。
貴族の子みたいな豪華さ。
いやでもやはりぬいぐるみが……。
威厳たっぷりの態度と飽和していい感じだ。
「粟国、僕も佐弐さんのことを色々訊いたけど、」
話したのか、優補。
優補はといえば、台所で忙しそうだった。
聞こえてはいるのだろうが。
「どう見ても足は魚じゃないよな、とかそんな話をしたんだが」
ああ、なるほどね。
気になる人は気になるだろう。
特に話すことでもないが。
「怪異と一緒に暮らしているからといって、その周りの人間が怪異に関わりやすくなるなんてことはないと思うんだよ」
これは優補も訊いていなかったことなのだろう、コップいっぱいの紅茶を俺に渡しに飛んできた。
「そうなんですかっ、暦くんっ」
もう下の名前呼びだった。
やれやれ、でも仕方ないか。
彼女の方が年上なのだし。
それにそこらへんはちょっと俺と感覚がズレているというか。
阿良々木は慣れた様子で頷く。
彼も何も思ってないのか……。
「怪異に関わりやすくなったのは自分自身で、周りには影響はあまり起こらないものだよ……忍は、怪異の王だから相当影響があった」
「ということは……」
変に気を回す必要はない、のか。
胡坐をかいていた阿良々木は、この話は終わりだとばかりに膝をぱんと叩いた。
「そんなことよりも、牛の怪異だよ、粟国――名前は、青柳訝藍とかいったよな」
「は、はい――」
優補を横目に見ながら俺は返事をした。
ふむ、と隣で唸る戦場ヶ原さん。
「訝藍、ね――伽藍とは漢字が違うわね――確か、訝には、迎えるとかいった意味があったわね。それに、青柳の『青』に、訝藍の『藍』。それに相対するように、出遭ったのは真っ赤な怪異」
「――?」
「半魚の人間よ、怪異や、またそれに行き遭った者の名前は、大事なのじゃよ――深く関わり、結びつくのには理由があるのじゃ。境遇、とかそれ以前に、の」
それはまた初耳だった。
訝藍という名前は確かに珍しいなあ、とは思っていたけれども。
戦場ヶ原さんいわく、訝には迎えるの他に、訝《いぶか》る、驚くといった意味があった。
怪訝という言葉があるように。
そして、訝藍自体の意味。
本人がいないので正しいかは分かりかねるが、訝藍には、また戦場ヶ原さんいわく、伽藍。
寺だ。
静かな、場所。
平穏。
または、がらん。
空虚なさま。
これもまた、静か。
伽藍堂。
がらんどう。
そんな彼女を守護するかのような、神のような、存在。
壊れてしまいそうだった彼女を、護っているような存在。
赤い雄牛。
マジムン。
岩頭牛。
そして、兄の魂。
なるほどこうして考えてみると、色々とつじつまが合う気がする。
「あ―――――!」
突然優補が叫んで挙手をした。
うるせえよ……。
忍がびくっとしてたじゃん……。
忍の睨みつける。
効果は今ひとつのようだった。
「御姉さま、私は凄い発見をしてしまいましたー!」
「相変わらずうるさいのう、うぬは……。いやしかし、昔に比べれば随分と大人しくなったか、の。かつて儂はうぬから、姉御と呼ばれておったからな――」
……。
そういえば、この二人、いや正確には二体、一体どこで知り合ったんだろう……。
優補が御姉さまって呼んでるのは、実際に血が繋がってるわけじゃないけど、関わりが深いのは分かる。
「して、なんじゃ。言ってみよ」
「はいっ」
何だか興奮しているようだ。
「御姉さまは、マジムンがこの辺りでどんな妖怪と捉えられているかご存知ですかっ」
「いや、そこまでは儂は知らんの」
阿良々木も、戦場ヶ原さんも、首を横に振る。
「昔、沖縄では
「赤……」
「その龕に、霊が宿ったものの総称をマジムンと言って、さらにそれが牛の姿をとる場合は牛マジムンと呼ぶんです」
「なんだかややこしいな」
と阿良々木。
確かに。
「それがうぬの凄い発見、かの? 真っ赤な牛の後付け、ということかの?」
「そうですが、まだ続きがあります。まだここからです、御姉さま」
優補は、ここでわざと間を置いた。
「つまり、岩頭牛もマジムンも同じ、そして龕も牛も同じということです。ここで、思い出して欲しいのが、岩頭牛という名前です。『がんとううし』、『がんとーうし』、『がんとおうし』、龕と雄牛」
「……凝った洒落じゃの」
こじゃれとる、かかっ、と忍は笑った。
優補だから気付いたことだな、これ……。
よく語尾を伸ばしてるから。
「しかし面白い。佐弐優補よ、今日は特別に儂の頭を撫でることを許してやろう」
「え、あ、いいんですかっ!?」
「うむ。うぬは仲間であり、儂らは姉妹のような者じゃ。近う寄れ」
……は?
意味が全く分からなかったのだが。
頭を撫でるって……。
しかし優補が歓喜の声を上げて忍に襲い掛からんばかりに飛びついたのには驚いた。
目キラキラさせてる。
俺にも見せたことないうっとりした顔してる。
そして、もう慈しむように忍の頭を撫でている。
えええ……。
阿良々木を見ても、何てことはない、と言った顔でそれを見ていたし、戦場ヶ原さんも同じだった。
「でも、初めて見るわね……」
「あ、あの戦場ヶ原さん。これ、一体どういうことですか?」
「服従の儀式よ」
「ぎしき……?」
「暦くんから訊いてはいたわ。吸血鬼同士が、その主従関係の証として頭を撫でるというのがあるそうよ――最も、その上があるらしいけれど。勿論、佐弐さんは吸血鬼ではないけれど、さっき本人が言っていたように、姉妹のようなものなら、この儀式は成立するのでしょう――」
「は、はあ……」
よく分からなかったが、優補にとってこれは大変名誉なことらしかったし、忍は自慢げに胸を張っていた。
怪異にも色々あるようだ。
王様に触れても良いと言われて舞い上がる部下のようなものだろう。
いや、王様がタッチングをしても良いと言うような機会が、一体いつあるのかと言うのは置いといてだ。
「……あ」
優補が小さな声でそう言ったのが聞こえた。
気付けば、彼女は、俺の目の前にいて、そして、
「はぐっ!!」
ハグされた。
おいおいおいおいおいおいおい。
ちょっ、いや、初対面同然の三人の前で何を――
「しょーじ、むくれないで欲しいにゅ!」
「にゅ、にゅって――!」
いや俺むくれてないぜ?
残念ながら仏頂面なだけだ。
首が、絞まる。
喋るなと言いたいのか!?
「暦くん、語尾がにゅの子がいたわよ。私も昔やろうとしたことがあったわね」
「いや、ひたぎには似合わないよ」
「全く、うぬらのろけも大概にせい。近頃ようやっと我があるじ様ののろけが収まったばかりと言うに、今度はうぬらかよ」
「いえ、あ、あのっ――」
「ひたぎも昔に比べれば、随分と大人しくなったよな」
「あら。それは久しぶりに激しい私が見たいということ?」
「違えよ!」
「恋盛りの若僧はこれじゃから困る」
「私はしょーじだけだよー、怒らないで、ね?」
「ゆ、優補――」
駄目だ。
腕ががっちり固定されてる。
そもそも優補も若僧などでは決してないと思うのだが。
「取り込み中のところ申し訳ないが、粟国」
返事ができないので片手をひらひらと振った。
「その青柳には、ちゃんと怪異のことを話したんだよな?」
腕の力が緩む。
即座に引き剥がす。
ロック解除。
「はあ、そうです、……すみません」
「別に。気にしてないよ」
気にしないのもどうかと思う。
優補は満足したようで、再び俺の隣に座った。
腕を肩に回さないで……。
「彼女はどうだって? 解決法を一人で見つけてたりしたか? じゃなければ、手段はあるけど――」
「いえ」
喉をさすりながら俺は言う。
対抗するように戦場ヶ原さんも彼氏に腕を回さないで……。
忍が呆れ顔だ。
「彼女は、このままでいいって思ってるみたいで――詳しくは話せませんが、彼女にはいわゆる、深い事情があって。それで牛が兄の魂を連れ戻してきたけど、そのままでいいと――」
「待て」
忍が制した。
「牛が、魂を連れてきたじゃと?」
「え? はい、そう言ってました」
「ふむ、うぬ、それは何かの間違いではないかの」
「……え?」
ぬいぐるみに力を込め、忍は歯を剥き出して笑った。
八重歯があらわになる。
「半魚の人間よ。岩頭牛は、現世と来世の間に位置する怪異じゃ。死んだ者の魂をむさぼり喰う、それ以外の何でもない。岩頭牛には、魂を連れてくるなどといった真似はできぬ。マジムンも然り、じゃろう。
岩頭牛が生きた人間に関わる理由はただ一つ。対象者の死を誘い、魂を根こそぎ喰う、それだけじゃよ」