009
忍の言うことに間違いがないのだとしたら。
否、五百歳の吸血鬼に間違いなどないと考えるべきだが。
青柳は、勘違いをしている、あるいは何か嘘をついていることになる。
そういえば――阿良々木も、あの時牛が魂を運ぶ怪異、などとは一言も言っていなかった。
牛の怪異の文献なんて少ないだろうから、何か取り違えてしまったのだと思うのが妥当だろう。
それから俺は、阿良々木達と話し合いをした。
結果、青柳の危険性を本人に伝えるべきだ、そしてできるだけ早く対処しなければならない、ということが決定した。
阿良々木達を知らない青柳には、彼らが直接話すよりも俺が伝えるほうがよいのだとか。
信頼関係、とか言っていた。
嬉しいことに、阿良々木には対処法があるという。
教えてはもらえなかったけれど。
彼が言うには、最後の手段なんだとか。
よく分からなかったが、俺としてはこうも頼りっぱなしなのは申し訳がない。
何というか、青柳と阿良々木のパイプ役みたいな感じが拭えないのだ。
「もしもし、青柳です」
一分程コールして、ようやく出てくれた。
もう夜遅いからな……。
入手したての携帯番号。
隣で優補という名の監視官付きで、通話。
勿論、阿良々木達には帰るべきホテルがある為、今頃そこで夕食だろう。
忍は阿良々木の影に潜む事ができるそうで、普段人前には姿を現さないそうだ。
ホテルも二人分で予約してるんだろうな……。
「え? 粟国くん? ……どうしたの」
「いや、なあ、青柳。実は、お前の怪異で分かった事があって」
「……。言ったでしょ、私は別にこのままで構わないの。お兄ちゃんが側にいてくれるのなら、私は、」
「それが、違うんだよ。えーとだな――」
どうする。
ここで忍の言っていたことを正直に話すか。
いや、混乱させるだけだろう。
とりあえずは、身の危険を。
「その怪異が、どうしてお前に付きまとって――憑きまとっているかって言うとだな、お前の魂を食べるのが目当てだかららしい」
「――えっ」
「今はそうでないにせよ、いずれ牛はお前を食べる」
「食べられる前に、私が食べればいいじゃない」
「馬鹿かお前……」
怪異に関わった本人がよく言えるもんだ。
「でも、お兄ちゃんと別れるのは、嫌かもね」
「お前……」
自分が死ぬかもしれないって時に。
「分かった。俺、後でお前ん
「え?」
しかし青柳の言葉は、俺には聞き取る事ができなかった――優補が、駆けつけてきたのだ。
「はあっ!? ちょっと何それ――」
「粟国くん? 今の、誰?」
「あ、いや、これは――」
「もしもし!」
あ。携帯盗られた。
「わたくし、佐弐優補ですけれどもっ」
何と言っているかは分からないが、青柳の戸惑った声が漏れる。
「私のしょーじに手は――」
「ほら、優補も会いたがってるし――!」
携帯を奪いとり、話す、というより怒鳴った。
「ああ、みんなで夜御飯とか、いいねー」
「う……!」
また飯かよ。
優補はといえば、
「むーっ」
なんて、むくれていた。
「粟国くん、私、そういえば言ったもんね――粟国くんに事情を知られたからには、最後まで付き合ってもらう。そう言ったからには、付き合ってもらわないと、ってね」
「そんな――助けると言われたから助けてもらう、みたいな言い方よせよ……お前は、牛に食べられて、殺されて、いいのかよ?」
「分かんない」
青柳は、そう言うのだった。
「まだ、分かんないよ……」
そしてしばらくの沈黙の次に聞こえてきたのは、彼女の悲鳴だった。
ゴトッ、という大きな音がした。
呼びかけても反応がない。
携帯を取り落としたのだと推測する。
「おい、青柳――!?」
「あ、ああ、ぁ、粟国くん――」
どうしようどうしようどうしよう――!
そんな声が、聞こえる。
「何だ、何が――」
「お兄ちゃんが、
「いなくなった……?」
「牛が、また、求めてる……」
「どういうことだよ、ちゃんと説明してくれ、青柳!」
動揺されてもこちらは何も分からない。
苛々が
「牛がお兄ちゃんを、隠しちゃったんだよ……それはいつも、牛が魂をねだる時で……だから、私は」
「青柳!」
俺は必死で呼びかけた。
このままじゃ、駄目だ。
こいつはいつまでも――怪異に頼りっぱなしで。
いずれ、殺されてしまうのに。
怪異と仲良くすることはよくない。
俺が言えることでもないけれど。
「今から、そっちに行くから――親、仕事遅いんだよな?」
「う、うん……今日は、帰ってこないよ――ちょっと遠出してるから」
なら余計に都合がいい、と俺は安堵した。
もしかしたら、今日区切りが着くかもしれない――いや、着けるなら今日しかない。
いつ青柳の魂が全て食べられてしまうか分かったものではない――早くに、処置は必要だ。
そしてそれを本人にも分かってもらわなくてはならない。
簡単にことを優補に説明して、俺は青柳の家へ向かった――優補は、バイトの後ですぐに行くと言っていた。
サボってでも来るのかと心配したが。
そこら辺は弁えているのかもしれなかった。
夜はなるべく外をうろうろしたくない。
特に一人では嫌だった。
心なし、心細くなる。
だから、青柳の家が見えてきた時は、心底嬉しかったものだ。
この後――何が起こるのか分からないことが分かっていても。
青柳は、出迎えてはくれなかったが、落ち着いていた。
「……よう」
「粟国くん、本当に来た」
「当たり前だろ」
「全然。普通そんなことする人いないよ。わざわざ来てくれるなんて……私、今日酷いこと言ったのに」
「酷くはねえよ。お前の本音だろ」
「……優しいなあ、もう」
そこで彼女は思い出したのだろう、佐弐さんは? と尋ねてきた。
「あいつも来るみたいだぜ」
「女の子一人で夜道歩かせちゃ駄目だよ……」
「あー、あいつは大丈夫だよ……」
よくナンパとかされて危ない目に遭ってるがな。
皆あいつを侮ったら駄目だ。
色んな意味で、優補に関わった者は大変な目に遭う。
怪異最強、人魚最強。
「どうしてそんなに……もし、粟国くんのお陰で牛とさよならできたとしても、私、何もお返しできるものなんてないよ?」
「んなもんいらねえよ。そんなんで俺はお前に会ってるんじゃないんだぜ」
「……なんぱに聞こえる」
「全然違えよ」
「もー、粟国くんは無駄に格好いいんだから」
「……」
俺は部屋を見渡した。
食卓には、何もない。
食べ物は一切載っていなかった。
夕食を食べていないようだ。
「青柳、やっぱり今日牛を還そう。元いるべきところに。ずっとお前に憑きまとってるなんてこと、あっていい訳が無い」
「また……私はもういいんだって。それに、お兄ちゃんとは別れたくない、怖い。これが、逃げだってことは分かってるよ。でも、やっぱり……嫌だよ」
「我が侭な奴だな」
「っ……だから、粟国くんだって私の立場だったらそんな風には――」
「知らねえよ」
さっき答えれなかったことを、答える。
青柳は怯んだようだった。
「お前の立場で考えようとしたけど、俺はそんな器用な真似できねえ。だから人の立場になったらなんて、考えるのはやめた。お前はお前で、俺は俺なんだ」
「何よ、何よそれ――」
「ただ、俺が牛に関わったとしても、きっとお前みたいには思わない。それだけは言える」
「それは、当たり前じゃない」
「そうか? まあ、そうだろうな……」
なあ、青柳。
俺は再び呼びかける。
「このままでいいとは、思ってないって言ったよな? ずっと怪異に甘えてなんかいちゃ駄目だ。兄さんに頼ってちゃ駄目だ。俺は――嫌だぞ、お前が死ぬなんてのは……今から、ちゃんとお願いして、半分捧げた魂を返してもらおう。兄さんも、帰ってもらおう」
「できるわけないじゃん、そんなの」
「やってもないのに諦めんのかよ」
「……だって」
「俺も頼む。一緒に頼んでやる。牛に、遭う」
「…………」
「どうやったら遭える、どこにいるんだ」
「……本気?」
「本気だ」
「…………」
「思ったけど、暗示的だよな――今月って、二月じゃん」
「う、うん?」
急に話が変わって付いていけないのだろう、首を傾げる青柳だった。
「これ、さっき優補から訊いたんだけど。俺も忘れてたよ。二月には、古くからの風習で、島クサラシってのがあったよな」
「……あ」
多分、多くの方がご存じないと思うので、説明させていただこう。
俺にも自信はないが。
沖縄で、二月中に行われる行事、というかお
島クサラシ。
別名、
家畜を殺し、その肉を煮て、植物の葉などに浸して、家の入り口の柱に塗る。
一般的には家畜は豚を指すが、原点は名前からも分かる通り、牛だったという。
それらの行為は、厄除けになり、疫病神も避けるという。
さらに二月の吉日はお彼岸――である。
二月は、暗示に暗示が掛かった――月と言える。
話をしたところ、青柳も、この伝統を知っていた。
流石、と言うべきか。
「一種の悪疫払いだと思えばいいんじゃないか。悪疫っつっても、病気とかそういうのじゃないけど……牛で牛を祓うのも可笑しいがな」
「すごい上手いこと言ってるけど。佐弐さんにも話したんだね……」
「あ、悪い」
「いいよいいよ、もう大体お二人の関係は分かったから」
いや、多分色々間違ってると思う……。
よし、分かった、と彼女は頷いた。
「駄目もとで、お願いしてみる。お兄ちゃんも、帰ってもらうよ。そうしてキレイサッパリ、かは知らないけどさ」
やはり、オカルトな話が彼女を少し動かしたらしい。
そんなもんで変わるのかと俺は半信半疑だったのだが。
流石優補だ。
そういう系が好きな人っていうのは、大抵が、というかほとんどがそれを信じてたりするもんだよー、なんて。
民間伝承、都市伝説のそのものが言うと面白い。
というわけで、俺達は。
外の物置の前に来ていた。
真夜中。
丑三つ時。
丑満つ時。
普通、妖怪が出現する時刻は夕方や明け方だと言うが。
だが、それとこれは話が違う。
これは怪異だ。
最も活性化する時間帯であり。
怪異はどこにでもいる。
ここにもいるし、どこにでも、いるもの。
必要としていれば、どこにでも現れる。
物置にだって。
ここに、この中に、牛は現れるのだという。
初めて出遭ったのも、この中だったらしい。
青柳が、涙を堪え切れずに家を飛び出し、親がいる間閉じこもっていた事が良くあったという。
悩んで悩んだ末に――出遭った。
そうして、捧げものをすれば、牛は兄を連れてきてくれるのだとか。
だが今夜は勿論、違う。
捧げた魂を返してもらい、牛には還ってもらうのだ。
いい? と片手に懐中電灯を持った青柳が、目で合図をしてくる。
俺は頷いた。
優補がまだだけれど、別に大丈夫だろう。
がらら……とゆっくり戸を開ける。
鼻を突く、
藁のような臭いが、嫌でも牛を連想させる。
整理されている上、広い物置だった。人間三人、大の字になって寝転がれるくらい。
だがその広いスペースを、占領しているものがいた。
大きな体に、角を持ち。
明かりに照らされて、赤々としている、それでも実体の感じられない、牛の姿が、見えた。
視えた。
俺にも。
一歩、青柳は踏み出した。
慣れている。
牛の真正面に、立つ。
普通の雄牛の、高さ横幅共に牛のひとまわりもふたまわりもある。
不機嫌そうに前の蹄を鳴らしている。
青柳はちょっと懐中電灯を斜め下に傾けた。
「今日は、お願いに来ました。がん、岩頭牛、さん」
牛も、一歩進み出た。
だん、とその大きな足から音が出てもおかしくないのに、音は、無かった。
怪異だ。
間違いなく、怪異。
あともう一歩、前に出ればぶつかるのではないかというほど、青柳と牛の距離は狭まっていた。
だが、青柳は後退しない。
後ろに下がる事ができないのだ。
後戻りは、できない。
「お願いです」
はっきりと、青柳は言う。
「どうか、私の魂を返して下さい。お兄ちゃんを、あちらの世界に帰してあげて下さい。あなたも、どうか還って下さい」
頭を下げた。
ぎりぎりのところで、牛には触れていない。
もし生き物だったなら、その鼻面から、荒い鼻息が漏れていただろう。
「魂は、もう、あげられません」
すると、はらり、と青柳の髪が舞った。
牛は呼吸などしていないのに。
そうして、気付いた時には、青柳が飛ばされ俺にぶつかっていた。
反動で、思わず尻餅をついてしまう。
牛が、頭突きしたのだ。
闘牛の如く。
小柄な上、青柳は驚くほど軽かった。
魂が欠けているということを知っていると、より意識してしまう。
岩頭牛は、取引不成立だ、とばかりに頭を上げ、聞こえはしないが啼いていた。
「あおや、――!」
無事か確認する暇もなかった。
牛が大きな角をこちらに向けて、突進してきたからだ。
急いで青柳の背を掴み、立ち上がらせて横に力強く押した。
懐中電灯は彼女の手を離れ、明かりこそ消えなかったものの、地面に落ちる。
思った通り、青柳は横に吹っ飛び、そして牛の角が俺を捕らえた。
小さな頭に反比例して、大きすぎる角の片方に。
象牙の二倍ほどの太さの角。
放り投げられる。
激痛。
角が、体を貫通しているわけでもないのに。
ただ、一瞬触れただけで。
腹が、酷く痛い。
「ぐ、ああ……」
勢いよく床に叩きつけられて、その上腹の痛みは引かず、俺は呻くことしかできなかった。
がらがらとした音が、肺から漏れる。
身動きが、とれなくなってしまう。
何だ、この、感覚は。
牛は俺の方にやってきた。
その巨大な蹄が、高く、上げられて。
後足立ちした。
俺は、腹に力を込め、痛みを堪えながら回転した。
間一髪。
物置の外に転がり出る事ができた。
地に伏せながらも、すぐに確認する。
先程まで俺がいた所には、大きな窪みができていた。
牛は、外に出ようとしていた。
めきめき、と鉄の壁が凹む。
このまま出てきたらまずい。
俺は、地面に這いつくばったまま、叫んだ。
「お願いだ! どうか、どうか返してくれ――還して、帰ってくれ」