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1203/07/14(火)
「だりぃ……」
風邪をひいた。徹頭徹尾容赦なく、体温上がってるわ目ェ霞んでるわ心臓ずっと速いわで夏風邪以外のなにものでもない。正直辛い。一応ARCUSでジョルジュに連絡は入れといたから学院の方には適当に伝わってるだろう。
全員出払ってる寮はすげー静かで、やることもなんにもねえのがすげえ暇なのに、何にもできねえっていう堂々巡りの悪循環な思考が止まらない。夏真っ盛りで暑いってのに毛布を退けると寒いんだから世話がねえ。
暫くは《C》としての活動は保留にしてあいつらに任せて、俺の方は学院の方で埋没するのに注力するつもりだったっつうのに。再度動くにしても来年、早くて年明け、遅くとも四月にはまた動き始める予定だ。帝都の地下水路は思っていた以上の広がりを見せてくれてた。あれならどこにだって行ける。どこにだって顔を出せる。
《帝国解放戦線》────まあ名前は何でもいいと言っちゃいたが、パトロン共に決定を委ねたらあんまりにも直球すぎてこいつらのセンス大丈夫かと頭が痛くなったが、譲歩できるところは譲歩しておけばいい。名前がなんであろうと俺たちがやることはたったひとつだ。鉄血宰相を殺す。取り敢えずただそれだけの為に俺たちは生きている。後のことは特に考えちゃいない。
……ま、俺に関して言えば収拾つくところまで付き合うのが筋ってもんだろうが。ヴィータも何か考えてることがあるみたいだしな。『魔女によって導かれた起動者』の役割くらいはこなしてやるってのが後腐れなくていい。
────俺の本分は、《C》だ。
それを忘れなければ、この安穏な日々を是としたって、もしかしたら。
「……」
いつの間にか寝落ちてたらしく、窓から入ってくる陽の光に気がついた。
唾液を飲み込むのも喉が痛え。頭もこめかみがズキズキと持続する痛みが襲ってきて思考をまとめようとしても上手くまとまらない。やべえな、これ、悪化してんじゃねえか。
とは言ってもここが第一ならともかく第二だ。具体的な時間はわかんねえけど、今の時間帯に頼れる相手なんて誰もいやしない。こういうのはとっととまた寝て痛みを忘れるに限る。
と、ノックが聞こえた。幻聴か?
「クロウー? 起きてる?」
「あ? セリか……?」
クソ真面目な奴が何で昼間だろうこんな時間にここにいるんだ。おまえ授業どうしたんだよ。奨学生だろ。さっさと行って来いよ。ああくそ何か考えると頭痛え。
「風邪って聞いたから昼ご飯にパン粥作ったんだけど食べるかなーって」
「あーーー、食う。食いたい。扉は開いてっから」
掠れる声でそれだけ言うと、わかった持ってくるね、と廊下を走っていく音。どうにも身体は正直なもんで、飯が食えると分かったら途端に空腹を主張してきやがった。取り敢えず上半身だけでも起こすかとずるりと何とか起き上がって、ぐっちゃぐちゃのTシャツが汗だくで少し笑う。気持ち悪ぃ。
「あ、起きてるね」
片腕で盆を抱えてもう一方で水差しを持って器用に扉を開けたそいつは確かにセリで、いやマジでなんでこいつここにいるんだ。頭痛が響く頭ん中に冷静にそのツッコミが差し込まれる。
「私もお昼まだだからここで食べていくよ」
とんと使ってない学習机に盆を一旦置いて、水差しからコップへ中身を注ぐ。そうして器一つを避けて、盆をオレの膝へ。ベーコンと玉ねぎが絡まったミルクパン粥に、オレンジ色のゼリー。
セリはと言えばさっき避けた器を片手に、机備え付けの椅子をガタガタと持ってきて座り粥に口をつけ始め、ようとしたところでこっちの視線に気が付いたのか顔が上がる。
「あ、そのゼリーは朝のうちにフレッドさんに頼んで作っておいてもらったんだ。パン粥とか主食が駄目そうならそれだけでもと思って」
「……わりぃ」
「あは、いいよ。寮生活なんて持ちつ持たれつだし。っと、早く食べなきゃ」
慌てて食べ出すセリを見ながら俺も水を飲み干してからスプーンを手に取った。セリの方をちらりと横目で見たら、ついでに時計が目に入る。まだ昼だ。窓から入る光もそれを告げている。そっと水が注がれた。
ああ、こいつ、昼休み使って帰ってきたのか。
しんと静かな寮の中で、二人してパン粥を食ってるシチュエーションがそれを如実に知らせてくる。何だかなかなかに贅沢な気がした。しかもキルシェは商店街の方にあるわけで、一度学生寮を通り過ぎて行かなきゃいけねえわけだ。ほんの少し、ああ家族っつーのはこういうもんだったかな、と、もうずっと昔に捨てた何かが思い起こされそうになって、懸命に蓋をした。見ないフリを、した。
ぱん、と手を軽く打つ音がしてハッと意識が戻る。
「ごちそうさまでした。……口に合わなかった? 正直に言ってくれていいけど。もしかして柔らかい食べ物は米食の方が良かったとかあったかな、リゾットとか。あとは具合悪い時パスタって地域もあったっけ」
「あ、いや、違う違う。ちっと考えごとしちまってただけだ」
あぐ、と口に含めば牛乳で柔らかくなったパンがするりとやわらかく喉を通っていく。具材の玉ねぎとベーコンの味付けも悪くねえ。つうかこれ普通に美味いな。粥っていっても水分は飛んでるし、卵とかも合うんじゃねえか。簡単に安く出来そうなところもいい。
「食べきれなかったりしたらそのまんまでいいけど、お盆あっちに置くぐらいはいける? 駄目そうなら床に置いといて」
指差されたのはまぁ備え付けの学習机だ。距離にしたら3アージュ弱ってところか。まあ大丈夫だろ。飯食って水飲んでそれなりに頭痛も火照りも落ち着いてきてる。
「おう、できる、と思う。だからとっとと戻っとけよ」
ひらひらと手を振ると、わかった、とそいつはにっと笑う。
そんでそのまま行くのかと思ったら、ばたばたと枕元のキャビネットの上に中身を補充した水差しを置くだの、ベアトリクス教官から受け取ってきた解熱剤を置いとくだの、替えの毛布を持ってくるだのなんだのいろんなことをして、それから学院へ戻っていった。
「……」
お節介。その一言で片付くだろうに、それでも一連のことにどうにも落ち着かない感情を抱いた俺は、昼飯を食い終わって言われた通り机に盆を置いて、少し悩んでから渡された解熱剤も飲んで、そのまま泥へ沈むがごとくまた眠りに落ちた。
「あ、クロウ君どうだった?」
「ご飯自分で食べられるぐらいには回復してたかな」
「やれやれ、セリも案外甲斐甲斐しい。寝ていれば治るだろうに」
「うーん、熱で寝込んでる時って想像以上に心細いから、そういうのが大切だと思ってるんだよね。特に私も含めてみんな保護者の元を離れているわけだし」
「ああ、確かにそれは大事かもしれないね、特にクロウには」
「そうそう。煩くしてもアレだから足速い私が代表して行ったけど、ゼリーは割り勘だし自分が大事にされてることを思い知ればいいよ」
「あはは、なんにせよはやく治るといいねぇ」
1203/07/18(土) 短縮授業終了後
さすがに極端に学院側から目をつけられんのも良くねえと思ってある程度は勉強しておくかとそのまま明るいうちに寮へ帰って教本開いたはいいが、全っ然頭に入んねえ。この間の続きを今日授業でやったら若干ついていけねえって思っちまったからどうにかしてえんだけどな。
明日は自由行動日だから帝都の方に出て、夏至祭前の帝都を少し見て回りてえところだが。まぁ《C》は控えるってったって学生姿でそれくらいなら平気だろ。
……背に腹は変えられねえか。ため息をついてARCUSを手に取った。
「おーい、来たぜ」
「うん、そのまま入って来ていいよ」
ドアストッパーで開けっ放しにされた部屋を覗き込むと、このクソ暑いのに長ズボンを着用してストールを肩からかけたセリが部屋の座卓でいつものように座っている。オレも当たり前のようにつっかけを脱いで部屋に上がって隣に腰を下ろした。持って来たのは政経と導力学と数学だ。
「V組の進度わからないんだけど、先週それぞれどこまでやったって?」
「あー、たぶんこの辺だな」
「……寝てたってことかな」
「おう」
堂々と胸を張って言うことじゃない、と本当に軽く背中をぺしんと叩かれて、まぁそうかもな、なんて笑ったらため息をつかれた。それにしてもこいつ、自分の時間削って他人の勉強を見るのに嫌な顔ひとつしないで応じんだから、お人好しに輪をかけてお人好しだっつーか。対面じゃなく隣に座っても問題ねえみたいだし。まぁどうせ教えるときに近寄ってくるんだから一緒と言えば一緒なんだが。
「まぁでも進度そこまで変わらないみたいだね。うん、大丈夫。導力学に関してはプログラミングだったから、これは後回しにしておこう。手を動かした方がたぶんクロウは覚えやすいだろうし。というか得意まであるでしょ」
言いながら座り直して、自前の数学教本を開きつつノートに数式の解説を書き込んでいく。数学っつーか物理学は戦術計算に使うから、出来るようになっておいて損はねえよな、と思う。まあそういう実戦レベルのやつは手勝手でわかっちまうけど、理論を頭に叩き込んでおくのも大事だ。
「……あふ」
小休憩入れたところでセリが口を手で隠しながら珍しく欠伸する。若干ふにゃふにゃし始めてるぞ、大丈夫かこいつ。
「寝不足か?」
「んー、そうかも。ちょっと暑いせいか夢見悪くて」
確かに連日じわじわ暑い夜が続いてその言葉には説得力があるというか、正直オレも暑くて夜中に起きたりするしな。RF社の最新導力器には冷たい風を出すもんがあるとか聞いたが、そんなん高価中の高価なもんだ。学生寮に配備されるわけがねえ。第一ならともかく。
「そんじゃこの間の借りもあっから、寝るのにオレの胸貸してやるよ」
両腕を広げてそんな冗談を言うと、ピリッとセリの雰囲気が若干やばいものに変わったのがわかる。あ、これは流石に怒られるか?
「………………そうだね、それもいいかもしれない」
「へっ」
だけど眉間に皺をつくったそいつは、数秒考えた末にそんなことを言い出しやがった。いや、言い出したのはオレだけどよ!まさかクソ真面目で勉強教えるってだけで扉開けっぱなしにするこいつが乗ってくると思わねえだろ。出した結論間違ってんだろ。頭働いてねえだろ。ああ、寝不足だったか。ちくしょう。オレの頭が働いてねえ。
「君を抱き枕にしてやろう。言った責任は取りたまえよクロウくん」
すっくと立ったセリはベッドから枕を引っ掴んでオレの横にぱすんと若干叩きつけるように落とす。……おっと、これは随分お怒りだな?そんでセリは座卓を適当に動かして寝られるスペースを作り、そのままごろんとストールと一緒に寝転がった。
「はい、はやく、君も」
パンパン、と床を叩き隣にくることを強要されるので、無言のまま肘をついて寝っ転がってみると、そうそれでいい、と言わんばかりに頷いて、そのまま。静かな寝息。あっ、こいつ本当に寝やがった。いや、マジか?寝るか?というか寝付き良すぎだろ寝不足って嘘なんじゃねえか。……いや、でも眠れてなかったから寝付きがいいとかも、まあ、あるか。
それに抱き枕と言っちゃあいたが、別に腰に手を回してくるでもなく、ただただ胸の前でストールを手繰り寄せて寝ているだけだ。小さな爪がマットにすこしだけ光を反射する。
「……」
静かな状態で見下ろして、改めて思うことがある。まずこいつ、顔がいい。ゼリカがあんだけ熱心になっていただけはあるっつーか。あいつ自身も顔がいいってのにトワとこいつを合わせて両手に花だと言っていたのもそこそこわかる話だ。それをこいつ自身はよく思っちゃいなかったみたいだが。
この見目をフル活用するだけで困らずやっていけるだろうに、こいつはそれを良しとはしなかった。奨学生として扱われるレベルの勉強をやって、実技でも結果を出し続けて、チームでもそれなりにいい人間関係を構築して、ずっと走り続けてる。
そんでトワとは別ベクトルの真面目女子かと思ったら貴族のゼリカと真正面からぶつかるわ、戦闘訓練で本っ当に悔しそうな顔をするわ、やべえ博打の作戦を誘ってくる頭のおかしい部分もあるわってのが手に負えねえ。
ンなことを考えてたら、聞き覚えのある足音が部屋の外から聞こえてきた。いや、ちょっと待て。さすがにこの状況見られたらまずいだろ、と考えたところで、いやこいつの部屋角部屋だからその手前に用事があったりするか。
「セ……」
という願いも虚しく、トワが部屋を覗いて来た。息が止まる。部屋の中を見て何かを察したのか、口元に両手を当てたトワが、うんうん、といった仕草をした後に、ごめんね、と言わんばかりに両手を合わせてそのままぱたぱたと走っていく。
……いや、これ、どう考えても勘違いされてると思うんだが。どうせ誤解を解く機会なんか幾らでもあるだろうけどよ。
オレの葛藤も今の焦燥も、全部知らないですやすやと安穏と寝ている寝姿に若干苛つきがないと言ったら嘘になるが、まあ、ぶつけるのは起きた後でいいかとオレも適当に寝ることにした。
「んー、よく寝たよく寝た。抱き枕……というか添い寝か。ありがとう」
眠ってからきっかり一時間。こいつの体内時計どうなってんだ。
タイルカーペットが敷いてあるとはいえマットレスもない硬い床の上で寝たからか、身体をほぐすように自分の腕を掴んで脇の筋肉を伸ばして笑いかけてくるそいつに、オレも起き上がって口を開く。
「オレが言うのも何だが、お前こういうのはよした方がいいぞ」
さすがに断ってくんだろって言ったことを真に受けるんじゃねえ。わかっててやったろ。恋人でもねえ男の胸借りて寝るとか嫁入り前の女がやるこっちゃないっつーの。顔の半分を手で覆いながらため息をついちまう。なんでオレがこんなこと心配してやんなきゃいけねえんだ。
「なら、私も言おうか。ああ言うのはよくないよ、クロウ」
「?」
だけど、んな風に返されるとは思わず顔をあげると、さっきとはまた異なった、だけど真面目な顔でセリはオレを見て来ている。────あ、こいつは。この瞳は見たことがある。一番強く覚えてるのは、中間試験初日に「そんなにオレが必要か?」って茶化した時のあれだ。
「君、お調子者でおちゃらけの人間で通ってるけれど『他人が断ることが前提の発言』を日に何回やってる?」
「……」
「別にそれを止めろと言える立場でも何でもないけど、人を諭すならまず言葉を売るのを控えるべきだと思うね」
ずり落ちたストールを肩にかけ直しながら、セリはそう呟く。
今までのことを鑑みて、貞操観念が緩いわけじゃねえんだろう。たぶん。扉は開けっ放し。夏だって言うのに長ズボンで、上にはストールを必ずかけて、オレを部屋に招く。だから、これは。
「お前はそれを買っただけ、ってか」
「うん。まぁ無理やりは否めないけど。よく眠れたし買ってよかったよ」
「そりゃどーも」
本当にただの忠告だ。
いつかそういう発言やってっと揚げ足を取られて身を滅ぼすぞ、っていう。こういう話なら色事関係で身に覚えのないコトを吹聴されたりするぞっていうわりと洒落にならねえやつだな。
「悪かった。軽口叩きすぎたきらいはある」
両手をあげて目を閉じて降参すると、ふふ、と笑い声。ちらりと目を開くと、小さくクスクス笑うセリが目に入って少し頭をぐしゃぐしゃにしてやった。
「こっちこそ無理やりごめん。途中でトワ来てたみたいだから後で誤解解いておかないと」
「……おま、起きて」
「うん? 部屋に人が近付いて来て声かけかけてたら流石にうっすら目は覚ますよ」
っつーことは、もしかしてだ。眠るまでこいつの顔を眺めてたオレの視線もバレてたんじゃねえかと思っちまうわけで。いや、バレて何か不都合があるわけじゃねえんだけど。
「さ、続きやろうか」
そんなオレの心中はお構いなしなのか、いつもの顔でセリは座卓を戻した。
「セリちゃん、クロウ君と付き合ってたの?」
「あ、それ誤解誤解」
「あんなに近くで眠ってたのに?」
「恋人同士なら扉閉めるでしょ」
「クロウ、どんな手を使ったんだ」
「さすがにちょっと引くよクロウ」
「何でオレがやらかしたことになってんだよ」
「まぁ発端はクロウが寝不足の私に、寝るのに胸貸すぜ、と軽口叩いたことなんだけどね」
「セリちゃんそれで本当に眠ったの!?」
「うん。腹が立って」
「あー、それは……クロウがやっぱり悪いんじゃないか?」
「セリの性格を考えたら売り言葉は買われる可能性が十分あるね」
「ん、んんん、いや結構セリちゃんもどうかなって気はするけど……」
「まぁどっちも悪いってことで!」
「当事者のお前がそれ言うか」