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1203/07/20(月)
初夏も始まり、学院の制服も夏服に切り替わり始めた。
と言ってもトールズの制服は機能的でオールシーズン着られるようになっていることもあり、一部の一般生徒に生徒会や貴族生徒などそれなりの人数が冬服のまま過ごしていたりする。私もあまり人前で肌を晒すのが得意ではないので中のシャツだけ半袖にしてブレザーを腕まくりし過ごしてみて、これがなかなか塩梅がいいと思っている。技術棟じゃ脱いで作業したりするだろうけれど。
ル・サージュの店員の方が言っていた通り『夏は涼しく、冬は暖かい』というのを実感する。冬も学院と寮の行き来程度ならコートもいらないかもしれない。今からその機能性を確かめるのがちょっと楽しみだ。
「はーい、みんな大好き課外活動の発表よ」
いつも通りの放課後、ミーティングルームでサラ教官がそう朗らかに言った。
明らかに四月から六月までの課外活動の内容が恣意的だっただろうに、それを公言しないのは、まぁ、正しいんじゃなかろうか。助かったとはいえ学生を猟兵が関わる案件に突っ込ませて解決させることになったのだから。一応最後の最後に手を出してくれてはいたので、見捨てるつもりはなかったのだろうと思うけれど。
「ハザウ……ギリギリ、ノルティア州ですか?」
「都州とノルティアの境目だね。一応ノルティアに属してはいるけれど」
地図を取り出して簡単に位置を確認すると、アンの指がすいっと山林間部を差す。ああ、そうかアンはこの辺の地理はよく知っているか。なんせログナー侯のお膝元だ。仮に領地運営に興味がなくともそういった知識は詰め込まれている筈だし、自分の地元に興味がない、と言い切れるほど情が死んでいるわけではないのだから。
「ザクセンやアルゴンほどではないけれど、この辺も良質な鉄鉱石が採掘できるね。課題には事欠かないだろう」
「そういうこと。後はいつも通りよろしく」
もう当たり前のように最低限の確認だけで教官は部屋を出て行くので、私たちも部屋備え付けの机に改めて地図を広げる。トワがトリスタを指差し、そのまま路線を辿っていく。
「トリスタから帝都を経由して黒竜関、そこからは徒歩かな?」
「いや、軍用トラックの下げ渡しを使った交通機関があるからそれを使おう。徒歩だと夜の森を歩くことになってオススメ出来ない」
「じゃあそうしようか。時間も調べておかないとね」
夜の森。先月のこともあって少し警戒対象区域になってしまっているのは否めないだろう。さすがにああいうレベルのものがまたあるとは思わないけれど、それでも警戒するに越したことはない。あんな博打作戦がそう何度もうまく行くとは思わないし。一応今回も腰に導力銃は入れていくけれど。
「日程として変わり映えはねえけど、お楽しみが直後にあるな」
「そうだねぇ」
今年の夏至祭は7月27日。諸々の事情あってか夏至祭前日まで含めて士官学院は臨時休暇になるらしい。おそらくトリスタが都州に含まれるからというのがあるのだろう。とはいえ月に一回の自由行動日が実質三回あるのは七月だけなのだけれど、取り敢えずそのうちの一日は確実にいま潰れた。あるとは思っていなかったからいいけどね。
「それにしても夏至祭前によりにもよって帝都通過かぁ……」
絶対に人が多い。混雑してる。乗り換えがスムーズにいかない可能性を考慮するべきだ。まあ混雑を避ける、つまり帝都を通過しないとなると必然的にクロイツェン州か……あるいはクロスベル方面になる。クロスベルはあまりに情勢的にありえないため却下だし、クロイツェンも先月行ったので連続はないだろう。
「まあ、そこまで悲観的にならなくていいと思うよ。前にみんなのARCUSを預かったけど、あれで通信範囲の拡大が実装出来たしね。もしはぐれたとしても目的地はわかってるから」
そう、ジョルジュがARCUSを財団と共同開発しているRF社から新しい部品が届いたとかなんとかでそれを私たちのARCUSに搭載してくれた。おかげで今まで中継地点を挟まないARCUS同士の通信は半径10セルジュ程度だったのが30セルジュまでに伸びた。もちろんこれは最新機器であるARCUSに対応出来るジョルジュがいてこその結果だ。
もしいなかったらRF社にARCUSを送付するなどしないといけないので、最短でやってもらったとしても戦闘訓練数回は慣れない戦術オーブメントを使うことになっただろう。
それに通信範囲が格段に伸びたことで私の偵察可能範囲も伸びたことになる。なので是非はやめに耳介装着型通信器を開発してもらいたいのだけれど、小型にするというのは思うよりずっと難しいのだろうと思う。ARCUSをハブにしてもらって耳につける通信機の方は送受信器だけ仕込んでもらえたらいいのだけど。とはいえ、これはきっと言うは易しの類だ。具体的な技術のこととなると全くわからない。
「それじゃ、いつも通りの手筈で行こうか」
トワが普段とおなじ、変わらない形でまとめてくれる。
それがどれだけ尊いことなのか。たまにあの夜のことを夢に見て、ぞっとして飛び起きてしまうことがあるから、改めてそのことを強く感じてしまう。一歩、一瞬、間違えていたら、噛み合わなかったら、トワは死んでいたかもしれない。
だから。あの判断をした私は、少なくとも一回は彼女のためだけに命を張ろうと決めたのだ。心の中で、誰にも知られない場所で。命を捨てるつもりはもちろん毛頭ないけれど。だってそんなことをしたら守りたかった相手が一生気に病む。それを背負わせるほど馬鹿じゃない。
……でも、クロウの側で寝た時の、あの感覚は悪くなかったな。なんて。
1203/07/25(土) 放課後
いつものように16時過ぎに終わる四限の授業をこなし次第、各自用意していた荷物を持って駅に集合する。改札を通る際にマチルダさんから、頑張ってください、といつも以上に熱の入った応援をもらったのでこれは鉄道やばいかなぁと全員で察してしまった。
「帝都までは立ちっぱになりそう」
「仕方ないよ。夏至祭だもん」
「30分だけで良かったと思うべきかね」
あいも変わらず二番線で列車が来るのを待っていると、窓から見える場所の殆どに人がいて、入れないほどではないのだけれど、スカスカというわけでもない。取り敢えずどうせ一駅でノルティア本線への乗り換えが発生するので乗降部分にたむろすることにした。乗ってくる人もいないし。
「いやー、想像以上にやばいね、帝都の夏至祭」
「すげえお上りさんみたいなこと言うなよ」
「実際お上りさんなので……」
旧都の夏至祭である夜祭はさすがに見たことがあるけれど、わざわざ帝都まで出ることは滅多にない。そも、近くもない帝都に一人で行こうという気分には積極的にならなかったというのもある。でもトリスタからは30分だ。それなら心のハードルを飛び越えて行けてしまう距離なので今はちょいちょい足を伸ばしていたりする。
「夏至祭といえば、セントアークと並んでオルディスも有名だよね」
トワが肩の荷物をすこしかけ直しながらそう言った。
オルディス──帝都からほぼ真西にあり、帝都に次ぐ規模の紺碧の海都とも呼ばれる巨大海港都市だ。白い街並みが美しいとは聞いたことがあるので一度行ってみたい。そもそも、海を見たことがないのでそう言う意味でも訪れたい場所だ。
「どういう感じなの?」
「あのね、オルディスは湾岸の都市なんだけどその湾内を埋め尽くす形で夜に篝火が流されて行くのを見守るんだって。籠めるものはその一年の航海の安全とか、逆に安全に過ごせたことへの女神さまや精霊への祈りとか、あるいはもう会えない相手への想いとか、流す人によっていろいろみたい」
遠い海都でも昼ではなく夜がメインなんだ、と親近感が心に灯る。紺碧と呼びたくなるような、人を生かしも殺しもするだろう海へ大事な感情を流すというのはどういう気分なんだろう。観光客でもその篝火を焚くことは出来るのかな、調べてみようかな、と帰った時の楽しみが一つ増えた気がした。
「きっと綺麗なんだろうね。いつか見に行きたいな」
そんなことを話していたらあっという間に30分は過ぎて、帝都ヘイムダルでの乗り換えになった。本当にごった返す人の波ではあったけれど制服というのは存外見えやすいもので、ジョルジュとクロウを目印にしながらトワと手を繋いで何とかホーム間を移動する連絡橋の上に辿り着く。見下ろした人混みは壮観の一言に尽きた。当日じゃなくてもこれなら、明日明後日は一体どうなってしまうのだろう。
「ルーレ方面は四番線だ、行こう」
今度は後ろにいてくれたアンが先導して、ホームで暫く待った後に無事にルーレ行きの列車に乗ることができた。下りなので車内に人は少なく、いつものようにボックス席へ座ったところで、はぁ、と深いため息が。
「凄い人だったねえ。みんなありがとう」
「本当に。絶対にみんながいなかったら流されてた。あ、でもトワは帝都出身だから実は人混み慣れてたり?」
「うーん、そういう時期は人の多い時間帯に大きく動かないようにしてたから、慣れてはいないかなあ。直ぐに流されちゃうし」
「そっか、そうだよね」
帝都民だからこそ人混みを避けて動きやすい時間帯というのが見えるので、どうにか動きたい時はそういう隙間を狙っていたということだろう。さもありなん。すごくわかりやすい。フィジカルが強いならそれでもそれなりに自由に行動できるんだろうけれども生憎そうじゃないので。
「ここから黒竜関までは一時間半ぐらいだね」
「ジョルジュとゼリカはある程度知ってんのか?」
「そうだね。じゃあその辺の解説と行こうか」
ハザウ──帝都の真北にあり、帝都に造成されているヘイムダル港と繋がっている巨大河川アノール河の上流に位置しているね。故に貨物などの移動は陸路よりも航路の方が現代でも重視されていて、造船業が盛んな街だ。
帝国内の鉱山といえばルーレのザクセン鉱山と、ノーザンブリアへ続くナイバー門の手前にあるアラゴン鉱山が二大鉱山ではあるけれど、ハザウにある鉄鉱山も良質な鉄鉱石が産出されそれを加工して造船することが出来るため、そういった人材が集まっている。ただし、正直なところそれなりに荒くれが多いので、トワとセリは特に私たちから離れない方がいい。
これは私の趣味嗜好とは全く関係のない話だよ。
アンが本当に真剣な目でそう言うので、わかった、とトワと二人で頷いた。
「おっと、脅かし過ぎてしまったかな」
「いや、でもアンの言う通りだ。何かあってからじゃ遅いっていうのは肝に銘じておいてほしい。まあ、アンの連れに手を出そうって相手はそうそういないだろうけど」
「それも私が傍にいたらの話さ。見ていない相手には通用しない」
「そういうことだね」
ジョルジュもハザウについてそれなりに知っているらしい。ルーレにある工科大学でシュミット博士が発する無理難題に直面させられていた関係だろうか。まぁとにかく、ほぼ地元っ子とそれに類するだろう二人がここまで言うのだ。どんな時間帯でも一人で出歩かないというのは心に厳命しておくべき事柄なんだろう。
「ま、オレらが傍にいりゃいいんだろ。いつも通りだ」
ラントとルズウェルのことを思い出す限りどうやら自分は出先の夜に一人になるクセがあるようで、すこし不安になってしまったところクロウが当たり前のように言う。そのいつも通りがありがたいんだよなぁ、とさり気ないやさしさに嬉しくなった。本当にフォローが上手い。
「ありがとね」
「おう」
そうして車内でブレードに興じたりしながら、陽が沈むのが遅くなった風景を眺めつつ黒竜関までの時間を過ごした。そういえばクロウとアンが戦術リンクまともに組めるようになって初めての課外活動だから、ちょっと楽しみだ。うん。
そうして18時40分に黒龍関に到着し、ハザウ行きの乗り合いトラックの最終便が19時に出発のようで停留所で少し待ってから幌を被る軍用トラックへ乗り込んだ。乗客は私たちとほんの数名で、到着は20時頃らしい。授業が終わってから四時間。そう考えると、本当にいろんなところに行かせてもらっていると感じる距離と時間だ。それでも見ている景色は帝国の数十分の一なのだろうけれど。
人数が多く最後に乗り込んだこともあって出入り口近くの席を陣取り、幌に開けられている警戒用の穴から外を見ていると、流石に日が暮れて暗くなっている。街道灯に照らされる道だけが頼りで、見通すことも出来ない暗闇が広がっている。森に入ると一層それは深まるんだろう。
鉱山があって、鉄を鍛えるための薪となる森もあり、そして豊富な水源となり重量のある貨物のやり取りに適している河もある。いろんなピースが上手くピタリとハマったのがハザウという街を成立させた。そういうのが歴史の面白いところだなぁ、としみじみ思う。
「な────!」
運転士の方の悲鳴とともに、甲高い急ブレーキ音と衝撃。座面に手を当てて体勢を直ぐに立て直し運転席に繋がる窓へ視線を走らせると、大型に分類されるオッサー系だと見られる魔獣が少なくとも二匹バスの前に躍り出ているのが見えた。
あれこれ考える前に移動用に解除していた武装を手に取って座席から飛び出る。軍用制式トラックとはいえ幌で覆っているだけでもあるため、攻撃されたらまずいと真っ先にナイフを抜き挑発戦技を使って前に出たところで後ろから二人飛び出してきたのがわかった。状況的に考えてクロウとアンだ。二匹見えていたオッサーは三匹だったようで渋面になってしまった。
「二匹釣って時間稼ぐ、一匹即撃破よろしく」
それだけ言い残してオッサーを追い越し、視線がこちらに来ているのを確認する際にその向こうも視界に入って思わず笑ってしまった。クロウとアンがリンクを繋いでオッサーに対峙しているのを、一番の特等席から見られる。とは言ってもよそ見厳禁な戦場ではあるのだけれど。
街道灯も導力車の明かりもあるので回避はそれほど困難じゃない。だけどオッサー系の一撃は当たったら致命傷になり得るのですこし背筋がひやっとする。それでもステップを過たずに回避し続けられるのは。
「ディフェクター!」
「ARCUS駆動────ヒートウェイブ!」
そう、間違いなく背中を預けられる仲間がいるからだってことに他ならない。
すこし遅れたのはおそらく中の方々に説明してくれていたのだろう。そういう瞬時の役割分担を私たちはもう無理なくこなせてしまう。
アンの重い一撃が入ったのか向こうの魔獣がえぐい音と共に倒れ、クロウの銃口がこっちに向いているのが見えたので多少無理をしてでも戦技の範囲外へ急ぎ退避する。刹那、二匹のオッサーを取り巻くように氷柱が地面から現れ範囲内の全てを凍りつかせ、そこへ間髪入れずにアンが蹴りによる真空斬を放ち魔獣は粉々に砕け散った。細かな氷の間から見えるは満足そうな二人。
「ま、こんなもんか」
「フフ、クロウ相手でもリンクが上手く繋がるとさすがに気持ちがいい」
「オレ相手でもってなんだよおい」
そんな軽口を言い合っているのが聞こえてきて、ブレないなぁ、なんて笑いがこぼれた。
それから運転士の方と乗客の方に大層お礼を言われて、そのまままたハザウへの道程が再開された。少し予定より遅れるだろうけど、ここに私たちが居合わせたのも女神の導きというやつなんだろう。とりあえず、なにより、怪我人が出なくてよかった。
「先に街道への魔獣出現含めた到着報告を元締めにしてしまおう」
そう言ってアンが先陣切って歩くので、四人で少し顔を見合わせてから急いでその背中を追いかける。好き勝手やらせてもらっているさ、と言っている彼女ではあるけれど、やはりノルティア州ということでいろいろ思うところがあるのかもしれない。
背筋をまっすぐ伸ばし、白い制服に袖通す。その覚悟を、私は知らない。知り得ない。彼女はたぶん、権力があると同時に、そこにある義務を見据えているのだろうと最近は思うようになってきた。アンはもちろん、アンではない貴族生徒と話すことでも、彼女や貴族というものの在り方の輪郭を少しずつ理解、出来ていたらいいと、思う。愛でられたくはないけども。
一番後ろを歩くジョルジュの横にしっかりついて街をきょろりと見回す。確かにアンが言っていた通り、腕っぷしに自信がありそうな男性ばかりだ。少し遠くに運河のようなものが見え、その向こうにも建物が立ち並んでいる。まさしくアノール河が中心に。
夜の向こうから、何かの嘶きのような音が聴こえてくる。
「おお、アンゼリカ! 大きくなったなあ!」
「はは、トト爺も壮健そうで何より」
アンの案内で入ったハザウの元締め殿の家で、二人は抱き合って近況報告を兼ねた挨拶を暫く交わす。どうやら会話を聞いている限りここハザウで暫くお世話になっていたことがあるらしい。アンのことだから各地でやっていそうだなそういうこと。そして判明した時に周りの肝が冷えるんだ。それでもこうして関係性が崩れずにいられるのは彼女の人徳とも言える。
「士官学院から人が来るって聞いちゃいたがまさかな」
「フフ、驚いたろう。まあ活動地がハザウだと言うのは私もこの間知ったのだけれどね」
楽しそうに嬉しそうにそう告げるアンの横顔は今まであんまり見たことがないもので、うん個人的にはそういう方が好きだな、なんて心の中だからと好き勝手を言ってしまう。
「で、そいつらか。小さい娘っこたちもおるじゃねえか」
「ああ、と言っても私の仲間たちだ。侮らないでくれ」
「初めまして。ARCUS試験運用チーム、トールズ士官学院生のトワ・ハーシェルと申します」
続けて私を含めた三人が挨拶をしていく。
「元気でいいこった。ただそうさな、トワさんとセリさんと言ったか。あんたらは、その」
「ああ、二人には必ず私か、残りの男のどちらかとは一緒にいるよう話している。しかしどうにかならないかね、トト爺」
「……ならねえなぁ。この街は大きくなり過ぎた。来る時に見えただろ。運河の向こうにも居住区や工房地が広がってる」
「そうか。いや、無理を言ってすまない。どうせ全員で行動するのだからあまり不都合もないだろう」
「詫びと言うわけじゃねえが、まあ歓迎含めて今日の飯は俺にツケといてくれや。飯がウマイ宿を見繕っといたからな、たくさん食ってくれ。宿自体は出て右にちょっと進んだところにある赤い看板の"紅耀石の欠片亭"だ」
「ああ、ありがとう。活動内容自体は朝、宿の人から貰えばいいのかな」
「そういうこった。今日は魔獣退治もしてくれたんだろ。ゆっくり休んでくれや」
そう手を振って見送ってくれるトト元締め殿の家を後にして、紹介してもらったお店へ。
「夜でも結構、活気があるんだねぇ」
「まぁ、男が多い分そういう店の需要もあるからね」
「ああなるほど」
歓楽街のようなものがちらほらあるのか。大きな歓楽街がある帝都にほど近いとはいえ、黒竜関発の最終便が19時だと出発はもっと前にしなくちゃいけない。乗り遅れした際のロスを考えると17時には帝都を出発しておきたいところだ。まだ陽も落ち切っていない時間に戻らないといけない、そういう意味ではパーっと遊ぶというのもしづらかろう。
「つまりオレらも行っていいってことか?」
「行くなら私服じゃないと門前払いじゃない? お金あるのか知らないけど」
「お前のツッコミは冷静な分ボディにクるわ」
つまりいつも通り金欠なのだ。お金がないのにそういう発言をするのは生業としている方々に失礼なのではなかろうか。だからその気もない発言をするなって言ったのに。まぁそれで止めるも止めないも本人の自由なんだけど。
「というか"ら"ってさりげなく巻き込まないでくれよ」
「そもそも未成年でしょクロウ君!」
「フッ、私もこの街の子猫ちゃんたちに会いにいくのは控えるつもりだよクロウ。そういうのはプライベートな来訪に取っておくべきだろう」
そんな風にクロウが集中砲火を浴びながら、私たちは今日の宿に到着する。
なんにせよ、お腹が空いた。
制服集団が珍しいせいか酒場に来ていた人たちにすこし絡まれながらも、元締め殿の言っていた通り美味しい料理を食べて明日への英気を養いベッドに入って暫く。
「────っ」
ここ最近かなりの頻度で起きる中途覚醒がまた起きた。トワが傷つけられる、否、死んでしまう夢。猟兵を、この手で完膚なきまでに殺す夢。どう考えても悪夢の類だ。ベッドの上で顔を両手で覆いながら、荒れかける呼吸を落ち着かせて静かに深いため息をつく。目線を動かせば、すやすやと眠るトワが確認できた。
たらればに意味はない。意味はないんだ。いまここで彼女は生きている。その事実だけがあればいい。そう、ぐ、と引き攣りそうになる喉をすこし叩いて顔をあげると、カーテンの隙間から入る月明かりが目に入った。そういえばここはこういう宿にしては珍しくベランダがあって、外へ出られるらしい。いつもみたいに宿の正面入口から出て夜風に当たるのは状況的に憚られたので、山間部だからと一応持って来ていた薄手のストールを肩からかけてスリッパに足を突っ込み、キィ、と掃き出し窓を開けてベランダへ足を進めた。
広がる風景の向こうにぽっかりと暗闇が横たわっている。運河だ。吹いた風が夏ではあるのにどこか涼しい。山間で、河も近くにあるからだろうか。空を見るとうっすら月に雲がかかっている。少しだけ欠けているので、明日が満月かなとぼんやり手すりに肘をつきながら眺めた。
そういえば七耀教会は精神の治療もやっていると聞いたことがある。私がいた街ではそういうことが出来る施術師の方はいらっしゃらなかったけれど、トリスタや帝都とかにはいるんだろうか。さすがにこうも頻繁に目が覚めては今はまだ誤魔化せているコンディションも徐々に崩れていくのが目に見えている。早急にどうにかするべきだ。
「一人で月見か?」
そんなことを考えていたら隣のベランダからそんな声と共にクロウが出てくる。タイミングが良すぎじゃないかこの男。
「んな怪訝そうな顔すんなよ。隣から出ていく音が聞こえたら気になんだろ」
つまり私がベランダに出たのに気がつき、部屋に帰る気配がないので自分もこちらへ来たということだ。なんというか妙なところで面倒見がいい。そういう気遣いを他の人にもいかんなく発揮すればナンパした女の子が目の前でアンになびくということもないんじゃないか。いや気遣いを見せる隙もないか、なんて考えてしまうあたり少し二人に毒されているかもしれない。
すると、ちょいちょい、と手招きをされるので、小さくため息をついて隣の部屋のベランダ側に近づいて行く。同時にクロウもこっちに来て、お互い手を伸ばせば簡単に触れられる距離になった。こういうところは作りが甘い。
それでも対面はせず、お互い運河の方を見る。風が吹いて、月が完全に姿を現した。
「案外涼しいな」
「そうだね。盆地だったりしたら蒸し暑いとかあったかもだけど」
「暑くて起きるには気温が足りねえな」
言われて、空を眺めていた視線をクロウへ。頬杖を手すりについて首を傾げた相手の紅耀石よりすこし暗い瞳が、下ろした銀灰色の合間から私を見ている。ぞっとした。何もかにもが見透かされるようで。ぎゅ、とストールを押さえる手に力が入る。
「なん、の、話」
声が引き攣った。何もないなら、もっと簡単に言える筈なのに。
「いや、単なる世間話だ」
世間話にしてはちょっと鋭利過ぎないだろうか。そもそも、クロウがそんな風に立ち入ってくると思っていなかった。軽口を叩きながらそれなりの距離感を、保っていたから。……いや、ちがう。そういう人間がわざわざ踏み込むと決めるほど、私のコンディションがもうぐずぐずに崩れて始めていたとしたらどうだろう。人間、体調が悪い時ほどそれに気がつかない。
ちらり、と少し落ちていた顔を戻すと、視線を外してくれていたクロウがすこし目をすがめて笑ってくれる。
「……たらればの話で、意味はないんだけどさ」
「おう」
「先月の、課外活動、から」
それだけで声が震え始めた。もしかして自覚していた以上に自分はもうぐちゃぐちゃだったのかもしれない。それならクロウに看破されるどころか指摘されるのも頷ける。
「トワがしぬゆめをみる」
肘をついて、片手拳に額を預けて、何とかそれだけは言い切った。
「だろうな」
すると即肯定の返事が返ってきて、横目にクロウを見やる。相手はこっちを見ていなかった。
「お前は勝手にトワの命をベットしたんだ」
的確な指摘が返って来て、頷いた。戦術リンクは使えなかった。アイコンタクトは出来なかった。あらゆるサインは封じられていた。それでも、私が独断であんな博打にトワの命を巻き込んだのは間違いのない、厳然たる事実だ。たとえそれをトワが自覚していなくても。
「だけどよ、そう後悔出来るなら次はもっと上手くやれる、だろ?」
「……そうかな」
「一番お前の背中を見てるオレが保証してやるよ」
言葉が耳に届いて、自然と顔が上がり、ゆっくり、おもむろにクロウを見た。
「それともオレの言葉じゃ役不足か?」
「……それを言うなら、力不足だと思うよ」
「マジか。キマんねえな」
ははっ、と笑うクロウに釣られて私も笑ってしまう。
「ねぇ、手、貸して。片手でいいから」
運河側に向けていた体をクロウに向けて、少し体を乗り出す。相手も同じように。届いた手にするりと指を絡めて、ぎゅっと握った。大きな手。この手が操る双銃が見守ってくれている。それだけで今までよりも高く跳べそうな気がした。
「あのさ。これからもたくさんミスすると思うし突拍子もないこと考えるかもしれないけど、頼んでいいかな」
「……しゃーねえから頼まれてやるよ」
「うん、ありがと」
私の背中をクロウが見ていてくれる。守ってくれる。諌めてくれる。
────そしていつか、私が、とんでもないことをしでかそうとした時にきっと迷いなく背中から撃ってくれるだろう。そう心から信じられる相手がいるというのは、本当に幸福だ。私は周りの人に生かされている。
「そろそろ寝るか」
「そうだね。よく眠れそう」
すこし名残惜しかったけれど手を離して、私たちはそれぞれの部屋へ。
身体は結構冷えていたけれど、心は、どこまでもあたたかかった。