────森薫る街《ティルフィル》へようこそ、みんな!
そう笑って腕を広げて、自分の街がこんなに好きなんだと体現していたあいつを見た時、俺はどうしようもない気持ちになった。だってそうだろう。自分の中にある"記憶"よりもずっと明るくこれでもかってくらいの笑顔で、故郷を好きだと言える姿が眩しく見えるだなんて。
そんなこと、あっていい筈がない。
25
1203/08/17(月) 朝
昨日の昼も晩も美味かったが、朝飯のトーストにサラダにオムレツもシンプルなのにすげえ美味いし何よりあいつの作る朝飯の味に似てたもんだから「ああ本当にこの家で育って来たんだな」っていうのが言外のところでめちゃくちゃ分かっちまった。
故郷の街に来て、いろんな姿を見た。死んじまったんだろう親の代わりに育ててくれる親戚と話す顔、街の人間たちにやたら可愛がられて満更でもなさそうに笑う顔、街の風景にオレたちがいるのが本当に嬉しくてたまらないんだろうっていう顔。ここに来なけりゃ見る機会もなかったろう。
「やっぱり大森林の南から入って、西からぐるっと中央通りつつ南東の旧都へ向かう形?」
「地図を見る限りそれが無駄なさそうだねえ」
「それらの薬草は広く分布しているのかい?」
「採集効率を考えたら少しは散開したいところだけど」
「大森林内は蜘蛛とか結構厄介な敵が多いからなるべく固まって移動したいかな」
「トワ中心に身軽に動けるセリとゼリカが別々に動くくらいなら平気だろ。周囲警戒はオレとジョルジュでもそこそこ出来んだろーし」
食卓に地図を広げて行動指針を話しているところに意見を投げ入れると、確かにね、と。セリが襲われるってことはほぼねえだろうし、ゼリカがタイマンで無理な相手に出会ってオレたちが気付かない可能性も低いわけで、そんで中央が襲われたら多少は保つからその間に二人とも合流出来るだろう布陣。合理的だ。
ある程度の方向性が決まったからか全員武装や道具やカゴの確認をして出るかってところで、セリの叔母がでかいランチボックスみたいなのを持って台所からやって来た。
「お昼、多分帰って来られないでしょ? 冷却ボックスだから痛みも少ないと思うし、しっかり食べて」
「えっ、あ、ありがとう。朝食も作ってくれたのに」
「いいのいいの。張り切ると健康にいいって言うしね」
「あは、叔母さんの元気の秘訣はそれかな」
そんな風に当たり前のようにゆるんだ顔を見せる。それにいつかのなにかの面影を見出しちまいそうで、昼が楽しみだな、なんて言いながらさっさと先に出た。
オレはいつも通りでいられているだろうか。
「今回1-1-3で分かれるけど、戦術リンクが三人で組めたら面白いのにね」
「現状でも難しい技術だからね、研究はされているだろうけど実用化はどうかな」
前衛同士のデータが少ないからとリンクを組んでいる二人が前に出つつそんな会話を後ろから聞いている。案外こいつら揃うとこういう話ばっかしてんだよなあ。前は導力カメラにつける小型フラッシュライトの話とかしてたか?あとはやっぱり通信受話器を耳につけられねえかとかの相談もまだしてたか。諦めねえなあ。
「ね、クロウ」
他所事を考えながら歩いていたせいで振り返ってきたセリに話題を振られても話題が繋がらず首を傾げるしかなかった。
「ん? 悪ぃ聞いてなかったわ」
「そっか。いやね、結構みんなリンク組んできたわけだけどそれぞれやりやすい相手っているのかなー、って話になって」
「あー」
言われて頭を回してみる。
まずセリは戦闘中にたまにあるノーモーションの切り込みさえも呼吸が手に取るように分かりすぎて、逆に境界が曖昧になっていく感覚で最近は若干気持ち悪ささえある。他人の身体が自分の手の延長線になった、ような。
次にゼリカだ。ここ最近ずっと組んでいたせいか、射線に入って来ないどころか射線が通りやすいところに無自覚で獲物を飛ばしてきてるきらいがあってまあ正直やりやすい。
前衛三人目のジョルジュは安定感があるしそこまで派手に動かねえから予測しやすいのがいい。オレはわりと動く方だからお互い邪魔になりにくいってところはかなり楽だ。
最後のトワはあれだ、さすがに似たような立ち位置のせいか何がどう必要でどの手札がいま手元にあるのか把握し切ってるわけで、コンボが決まると最高に気持ちがいい。だけど追撃が腐りやすいからそこが難点か。
「……ジョルジュだな」
「お、ジョルジュ二票目だ。やっぱ安心感あるよね。不沈の盾というか」
「そう言ってもらえるとありがたいね」
「前衛がそこにいてくれるって頼もしいと思うよ。私は走って跳んでどっか行っちゃうし」
「セリは挑発戦技使って回避メインだからそれが仕事だろ? 助かるよ」
「ありがと」
ジョルジュが不沈盾でそこに存在するなら、セリは回避盾だ。攻撃を受けず、攻撃自体の余波も計算に入れて敵を引きつけるから自然と多対一の構図になる。それをこなすのだって並大抵の精神力じゃもたねえだろう。だっていうのにこいつときたら一発当たったら大怪我必至の敵と対峙したって笑ってたりするからな。バトルジャンキーかっつうの。
「随分と熱い視線を送ってるじゃないか」
どん、と背中を叩かれてそっちを見ると、ローテでランチボックス係として後ろに回ってるゼリカがにやけ顔でそこにいた。ロクでもねえこと考えてる時の顔だろそれ。
「何がだよ」
「おや、熱心にセリを見ていたと思ったんだが。違うかい?」
敢えてすっとぼけてやればそのまま切り込んできやがった。こいつ他人のところにズケズケ踏み込んでくるところは本当に変わんねえな。もう一回殴り合ったっていいんだぞ。しねえけど。
「そういうんじゃねえよ。後ろから見てるとジョルジュと比べて危なっかしいってだけだ」
「ジョルジュは"動かないこと"が仕事だろう。比較はナンセンスだ」
的確に突っ込んでくるなコイツ。いや、もう抉り込んできてるって表現してもいいくらいだ。
「それにセリも当初にあった自己犠牲的なところはかなり改善されているし、安定感はあるだろう。ああ、それともそれでも危なっかしいと言い切れるほど細かいところに目がいっていると言うことかな」
「……お前ほんっとうに腹立つな」
結論ありきで人と話すんじゃねえ。
くそ、と悪態をつきながら頭を掻きながら前の方を歩いてる三人を見る。トワにジョルジュにセリ。楽しそうに何か話して、遠足かよって心が緩み始めちまうがそれはならねえ話だ。まあこういうのを見透かされたんだろう。
「そんなんじゃねえよ。本当に」
「……そうかい。そいつは済まなかったね」
降参するようにゼリカがボックスを持ち上げつつ肩を竦めるもんだから、ああ、と短く肯定した。
「おーい、何かあったー?」
前の方で随分と離れた三人がオレたちを振り返ってるから、何でもねえよ、と速度を上げて近付いていく。
「本当にキミはそれでいいのかい」
だから、その言葉は聞こえなかったフリをした。
「これが花影草。ガクの部分が多重になっていて花に見える薬草で、ちょっと他にない形だから分かりやすいと思う。猫目草は……」
イストミア大森林に入ってからセリが探す薬草の具体的な話をし始める。ちょうど花影草はあったらしく手袋を嵌めてスコップで根まで掘り起こした解説を聞きつつ、辺りの気配を探って若干眉を顰めちまった。
「ここ上位属性が働いてんのか」
とはいえ変に歪んで強く働いてるとかでもねえから、常からこんな感じなんだろう。見上げると空は枝と葉に覆われて、その間からうっすら光が落ちてきてるもんだから妙に幻惑的で納得させられる。
「ああ、みたいだね。子供の頃はこの気配がそうだって気付いてなかったけど」
まあ日曜学校程度の話じゃ魔獣に効く属性の話なんかはしねえわな。その辺に関するって言えば七耀石の色と属性と名前くらいか。経験に知識が結びつくこともほとんどねえだろう。そんな場所に子供を連れて行くわけにもいかねえっつうか、そもそも理由がねえ。
しっかし、んな場所を遊び場にしてたってんだからコイツよっぽどだな。あの身軽さも必要に応じて伸びたってことか。
「イストミア大森林は魔女とか吸血鬼の伝承が古くからあるんだよね。その魔女が住むおかげで薬草が豊富なんじゃないか、って言われてたり。四月とかなら鎮静効果のあるラベンダーとかも咲いてたりして綺麗なんだけど」
魔女。言われて、ああそうか、と合点がいった。ヴィータがかつて住んでいたっていう里はこの中にあるんだろう。隠れ里。招かれた者だけが入れる不可視の里。たまたまとはいえその近くに導かれた起動者の俺がいるのにアイツはいねえってんだから、妙な心持ちになっちまう。
故郷に帰らないと決めたもん同士だからってワケじゃねえが、さすがに長い付き合いだから何も感じないのも無理な話だ。
「それじゃあトワを起点にちょっとずつ探索して行こうか。種類も必要数も多いし、長丁場になるけど頑張ろ」
森を駆け回るのが楽しみなことが抑えきれてない表情でストレッチをするセリの言葉に全員で、おう、と拳を突き合わせて薬草採取を開始した。
「南の森とは植生や……音?も結構違うんだね」
「ああうん、働いてる属性も違うし、音に関しては南だとスピナ蝉がいるからね」
「ほう、スピナ蝉はこちらの地方にもいるのか」
「ルーレの方でもユミル方面へ進むと結構いたりするよね」
「蝉の抜け殻で遊ぶやつ絶対一人はいるよな」
「あ」
多少高い場所にあるのを見つけたのか、たっ、と走り出して苔むしてるだろうに滑ることもなくクライミングをしきる。ざくざくと手にしたスコップで根を掘り出しているのは月精の涙とか呼ばれる水滴のような形の実を持つ植物だ。毒性のあるすげえ似た草もあるらしいが、行動を見るにあれは当たりだったらしい。
警戒ついでに暫くそれを眺めていると、後ろからすぅっと、蜘蛛型のやつが糸を枝に巻きつけて音もなく背後に降り立とうとしているのが見えた。大声を出したら他の要らねえもんまで引き付ける可能性がある。幸い降下速度はゆっくりだ。オレは腰から一丁引き抜き丁寧に照準を合わせた。
そうしてトリガーに指をかけて力を入れようとした瞬間、脳に嫌な予感が響いてそれを止める。それと同時かあるいは少し速いか。セリがそんなそぶりも無かったつうのに腰の片手剣を引き抜きながら回転し、遠心力で稼いだインパクトで蜘蛛を一撃のもとに斬り伏せる。
なんの感慨もない風情で死体を見下ろしていたそいつは銃を構えるオレに気が付いたのか、にっ、と笑ってピースを差し出してきた。まるで『いつまでもフォローされてるばっかじゃないよ』と言わんばかりに。
森の中を歩いて水辺を見つけたところで昼だってことで美味いサンドイッチを食って、そのまままた薬草採取を再開して、15時くらいには渡されたカゴそれぞれに三種の薬草が詰まるほど集まった。今はちょうど大森林の端に当たる場所らしく区切りにするにはもってこいだ。
「うん、量も十分だしもうこのまま大森林出て線路沿いに旧都に向かおうか。さすがに街道の方が魔獣も少ないし戦いやすいし」
「これならかなりの備蓄になるんじゃないか?」
高いところでも構わず登りまくってたせいで泥だのなんだので汚れた格好のセリとゼリカが言う。特にゼリカは貴族制服の白が台無しってくらいの汚れ具合だ。昨日借りた作業着を今日も借りた方が良かったんじゃねえかとオレが思っちまうくらいの。
だが学院制服はよく出来てて、よく稼働させる肩回りの縫製が上手い具合になってたり、特殊繊維が混紡されてたりで攻撃に強い。だから戦闘が想定される場所へ赴くなら着ておくべきもんだっつう。そんでなまじそれで戦闘してきちまってるからうっかり通常服で戦った場合にどれだけ生身にダメージを喰らうか……想像もしたくねえ。
「セリちゃん、アンちゃん、本当にお疲れさま!」
「三人もお疲れさま。分かりやすい帰投ポイントになってくれたから助かったよ」
「しかしこの格好で街に入るわけにも行かないだろうから、薬草を大聖堂に届けるのは三人に任せることになってしまいそうだが」
泥だらけって自覚からゼリカがそんな発言をする横でセリも頷いている。まあさもありなんだ。あんだけデカい街だとあんまりねえだろうが、教会ってのは怪我人も運ばれてきて収容されたりもする。つまり清潔第一ってことだ。
「そっか……。うん、きちんと届けてくるね!」
つーかでもこのまんまだとあれだろ。馬車にも乗らず徒歩で帰るとか言い出しかねないぞこいつら。さすがに二人置いて帰るって選択肢はねえだろうしなあ。とはいえ徒歩ってなるとオレらはともかくトワの体力もだいぶ心配になる距離だ。
んな懸念事項を考えつつ線路沿いに歩いていき街の外までは適当に魔獣を蹴散らしセントアークへ。南下してたどり着いたところが都合よく西サザーラント街道口だってことで、セリとゼリカはそのままそこで休んどくと腰を落ち着けて俺たちに手を振った。
「……セリちゃんたち、馬車に乗ってくれなそうだよねえ」
「うん、そうだね」
全員で一つずつカゴを持ちつつ住宅街を真っ直ぐ抜け聖堂広場へ向かっている最中、ぽつりとトワがこぼす。さすがに気付いてるか。街に入るのを躊躇うやつらが公共交通機関に乗るのをOKとするかっていったらしねえだろうしな。賭けてもいい。100ミラくらいなら。
「ま、そん時はトワ、ジョルジュ、お前たちだけでも先に帰ってろ」
「えっ、私も歩くよ!」
「僕もそこまで体力ないわけじゃないけど」
「トワの方はさすがに体力限度だろ。あと三時間無駄に歩くのなんかやめとけやめとけ。ジョルジュの方は保険みたいなもんだ。一応課外活動中だしな」
まあンなこと言ったらオレが残る意味も薄いんだが。その点に関しては完全にオレを見て何か考えていたらしいゼリカをよりにもよってセリと二人っきりにするのはマズい気がするってだけだしな。理由は適当に尤もらしく、そうだな、アーツ要員が必要だろとかでいいか。
「……そんなに、体力」
「ねえこと気に病むなよ。あんなバケモンみてえな森で遊んでたり帝国ほっつき歩いてたガチガチの前衛張れる奴らだぜ? 比較すんなって」
ぐしゃりとトワの頭を撫でて揺らす。むしろ今日途中で音を上げなかったのがすげえと思ってるくらいだ。ただ歩くだけでもだいぶキツいぞあの森。
「お前には別のこと期待してんだっつーの。……どしたよ」
ぐしゃぐしゃにした髪の下で、困惑と嬉しさの間みたいな表情でトワがいるもんだから思わず尋ねちまう。乱れた髪を直しながら、えへへ、とトワが笑ってオレを見た。
「……前にセリちゃんにも似たこと言われちゃったなあ、って」
「マジか」
「はは、二番煎じだったみたいだね」
うるせえ、とボヤいたところで大聖堂に到着する。確かマルコ司祭ってやつに渡せば大体察してくれるだとかセリが言ってたが。
教会に入ると教壇の方に司祭服の男がいたのでぞろぞろと歩いていく。
「すみません。マルコ司祭様でいらっしゃいますか?」
「はい、私がマルコです。本日は……もしかしてティルフィルの方でしょうか」
曰く、ティルフィルの元締めから足りていない薬草がないか数日前に質問されそのまま依頼をしたのがこいつらしい。三種の薬草も大まかに確認してもらったところ大丈夫だったようだ。
「こんなにありがとうございます。いつも通りセリさんが来ると思っていました」
「あ、セリちゃんは街の外で待っててくれています。彼女ともう一人の子が集めてくれたので」
「なんと。こちらに顔を出していないのは何か怪我でも……?」
「いえ、その……泥で汚れてしまったから、と」
「ああ、なるほど。ではもしやお帰りは」
「たぶん徒歩だろうな」
オレの言葉に、そうなりますよね、とそいつは難しい表情を作る。ジョルジュも加わり三人揃って、どうしたもんだか、という顔で言葉を出しあぐねていると、おい、と声が聞こえた。振り返ると、教会の長椅子に座ってたんだろう位置に麦わら帽子を被ったじーさんが立っている。
「話を聞いてたがよ、いつも薬草担いできてる嬢ちゃんが困ってるってことか?」
「ルークさん。ええ、そういうことですね。擦過傷用の軟膏などに使うものだったり、他にも少しばかり入手しづらいもので」
「ならワシが送ろう。トラックの荷台だが、逆に気兼ねせんでええだろ」
渡りに船っていうのはこういう時に使うんだろうと思うような言葉が飛び出してきた。
「え、いいんですか!」
「おう。ついでだから嬢ちゃんたちも乗っていくといい。西街道で待っとけ。農作業で怪我した時にはここの薬によくお世話になってるからなあ」
帝国の人間は荷台に人間を乗せるのに躊躇なさすぎだろ。いや嫌いじゃねえけど。
「これはこれは……良かったです。女神のお導きですね」
「はいっ」
女神の導き。当たり前のように交わされる定型句。
流れでオレも使うことはあるが、そんなもんが本当にあるんだとしたら、俺がやろうとしてることもそうなんだろうかと、誰からも慕われていた祖父さんがあんな最期を迎えたのもそうなのかと、そう考えずにはいられなくて内心反吐が出ると、頭を掻き混ぜたくなる。
だけど駄目だ。この国……どころかこの大陸の殆どは七耀教会の女神信仰者だ。そんなことを考える方が異端だ。
話がまとまり、司祭に見送られて聖堂を出る。
別に悪魔を崇拝してるわけじゃねえ。
ただ、女神を信仰したままでいられたならどれだけよかったろうな。
「そういや普段はお前一人で薬草採取してたんだろ? そん時はどうしてたんだよ」
「ツナギを普通の服の上に着て、街へ入る前に脱いで袋かな。それにいつもそこまで量を求められてはいなかったからそんな長距離移動もなかったしね」
「なるほど、納得がいく話だ」
そうしてじーさんに送ってもらい(乗る時も降りる時もセリとトワはめちゃくちゃ丁寧に挨拶していた)、セリの家に帰ったら泥だらけのオレたちを見てセリの叔母は風呂に入りなさいとちゃっちゃと湯の準備をしてオレたちは存分に湯に浸かった。
昨日と変わらず美味い晩飯を食って、長距離歩いたせいか全員健やかな時間に寝落ちた。
だから、オレが早朝に目を覚ましたのは特におかしいことじゃないだろう。
寝転がったまま窓を見ればカーテンの隙間から入る外の気配はまだ薄暗い。まだ寝られるじゃねえかと早朝覚醒に悪態をつこうとしたところで"上"から何かの気配がする。オレたちがいるのは二階建ての二階だ。これより上は屋根裏か屋根上になる。一瞬考えて、気付いちまったもんをそのまんまにすんのも気持ち悪ぃと寝床を出て靴を適当に履いた。
部屋を出て一階に続く階段がある主廊下の方へ歩いていくと天井部分から木製の梯子が下されている。それだけで誰がいるのか何となくわかっちまって、頭を押さえた。いや、何でだよ。前にタイミング良すぎだろって顔はされたが、オレだって聞きたい。何でお前の気配に起きるようになってんのかって。いやお前が夜中だのなんだのに起きるだけで、お前だからってワケじゃないのかもしれねえけど。いや多分そうだろ。きっとそうだ。
ため息をはいて踵を返そうとした瞬間。
「クロウ?」
遠くに声だけ聞こえる。屋根上に続いてるんだろう場所からオレの気配を探り当てたのか。こいつの気配察知能力が最近若干化け物じみてんだよなあ。
「起こしちゃったかな。ごめん。来たいなら来ていいよ」
若干聞こえづらいから見えてる梯子よりももっと昇るんだろう。だから、いや眠いから二度寝するわって言えばいい。それだけだ。
「そうだな」
だっていうのに俺は馬鹿か。
「あ、本当に来た」
「……お前、なんつー格好してんだよ」
上がってみると半袖に短パンでストールを肩にかけてストラップ付きのサンダルを引っ掛けた、薄着も薄着のセリが立った状態でそこにいた。
「だって他に人が来るなんて思ってなかったし」
「じゃあ呼ぶなよ」
嗚呼ちくしょう、と内心ボヤきながら屋根の上へ完全に上がる。ここで帰るのもなんか癪だ。
緩やかな傾きの屋根に座って辺りを見ると、たった数アージュ高くなっただけだっつうのに妙に空が近く感じる。太陽はうっすらと森や丘の向こうから昇ってきているのがわかる空模様で、薄暗いような、ほの明るいような。そんな時間らしい。
「お前も起きちまったクチか?」
「んー、まあそうかな。でも私、この時間の街の空気がいいなぁって思うんだ」
視線の先を辿ると、工房やパン屋が既に稼働しているのかあちらこちらの煙突から煙が立ち上っているのが見えた。明け方。街が動き、一日がまたはじまる。その気配が徐々に満たされていく時間帯。まあ、わからんではないけどよ。
「お前、本当に自分の故郷が好きだな」
「うん? うん、好きだよ。クロウはそうじゃない?」
問われて、好きじゃないなんてことあるわけねえだろと心の中で呟いちまって驚いた。鉄血の野郎の計画に踊らされて、市長である祖父さんの言葉に耳を傾けず、どころかその事件の黒幕は祖父さんだったなんて言い出したあいつらが今でものうのうと住んでる街だっていうのに、それでも、俺は嫌いになりきれていないらしい。
ああまったくの大馬鹿野郎だ。
「まぁいろいろあるよね」
俺の沈黙に何を考えたのかセリはそう呟く。
「取り敢えず私はこの街が好きだし、たぶん、何があっても嫌いで染まることはないと思う」
明け方のうっすらと太陽が昇る空の下、目の前の奴はオレを見下ろしながら今までで一等きれいに微笑んだ。まるで心を見透かしたかのような言葉を添えて。
「そう思える街に、みんなといられたのが本当に嬉しい」
風が吹いて髪とストールが僅かに巻き上げられる。それを押さえる手が、その隙間から見える横顔が、故郷を愛しいと誰にも憚らないその感情が、"俺"を掴んで離しちゃくれない。
唇を引き縛って奥歯を噛み締め、崩れそうになる表情を抑えて、嗚呼、と心に波紋が落ちる。
────俺はこいつが好きなんだ。
その気付きは、どうしようもないほどに昏いさざなみと似ていた。