37
1203/10/18(日) 夕方
旧校舎には珍しくセリがまだ来ちゃいなくて、オレとゼリカとジョルジュの三人で楽器を準備し始める。しっかしこの時間になってもあいつがいないってのが不自然というか。……フることになっちまった次の日にだって練習には来てたわけだし、オレと一緒にいるのが嫌だってことは、ない、はず。昨日も楽しそうに演奏してるのは見たしな。
そう。あの日を経ても、オレたちは"オレたち"であることを明示的に選んだ。
特別な行動は、対応の変化は、周囲への喧伝になる。翌朝のゼリカのやろうの意味深な笑いと、トワと一緒にいたあいつをみて口を割らされたことは理解したがそれでも、その日の夕方もその次の日もいつものように笑いかけてきた。何も変わらない日常。
あの日、セリにはオレの軽口に乗って自分の感情を誤魔化す選択肢があった。そいつは理解しちゃいたろうが、それを無視して自分の感情をオレに伝えるっていう選択をした。
それでも、その覚悟を投げ捨ててもわかりやすい逃げ道を提示してきて、俺は、残酷だろうにそれに付き合うことにしたんだ。それがセリのためにはならねえとわかっちゃいるのに。傍にいることを許してくれるならと。五人でいられるならと。
「セリから連絡来てるやついねえよな」
「私が聞いているのは帝都に行くと言っていたくらいか」
返ってきた言葉に思考する。帝都に行って時間を忘れてる……正直そいつは考えづらい。あいつはトワとおんなじくらいオレたちのタイムキーパーだ。時間感覚は優れてる方だろう。じゃあ、どうして今ここにいないのか。普段ならあり得ないことにざわざわと腹の下が落ち着かないような気分になる。
そうしたなかに慌てたトワが飛び込んできて、帝都で事故があったと伝えられた。
「具体的な状況・状態がわからないため連れていけない」というサラとセリの担任であるフェルマを全員で説得して、訪れた帝都中央総合病院。ここに例の事故による重軽傷者の大半が運び込まれているらしい。
受付で教官二人が許可をもらい、向かいながら病室は五階の個人病室だと聞かされてオレたちに緊張が走った。隔離されるほどの怪我なのかと。トワの手をゼリカが握り落ち着かせる。階段を上がったところで、とある病室から何人か憲兵隊の人間が出てくる。まさかと思ったがその出てきた病室がセリが寝かされている部屋らしい。すれ違う憲兵隊の表情からは何も読み取れずそのまま扉の前に。
気分は落ち着くことを知らないかのようで、喉がひりつくように渇いている。
担当教官であるフェルマが手の甲でノックをすると、開いてますよー、と妙に、なんというか、場に似合わねえ呑気な声がしたような。気がした。スライド式の扉を開け、2アージュほどの通路を通ったところで白いベッド上で起き上がっているそいつが。
「あれ、教官たちとみんな勢揃いで」
頭に包帯を巻いて、顔にガーゼが貼られて、病院の検査着から見える腕にも白い包帯が見え隠れして、広範囲の怪我をしているのは間違いねえが、それでも。
────生きてる。
生きて、動いて、話して、そこに存在して。る。たったそれだけのことだって言うのに、と頭で自分を落ち着かせようとしても、全然それだけじゃねえと心臓が早鐘を打ち始めるのがわかった。生きてる。
「ローランドさん。意識はハッキリとあるようですね」
「はい。ご心配をおかけしてしまい申し訳ありません」
担任と担当であるフェルマとサラが近付き二、三だけ言葉を交わしてそれだけで教官勢は帰ることにしたらしい。詳しいことは今から医者に聞きに行くのと、必要とあらば憲兵隊の方へ事情申請をするのと、あとは個室だからといってさすがに見舞いが六人は部屋面積に対して多すぎると。
外出延長届出しておくわね、とサラが言い残して二人が帰ったところで、トワがベッドの傍に膝をついた。布団の上に置かれていた手の片方におそるおそるといった風情で自分のそれを重ねて、祈るように額へ。
「セリちゃん、セリちゃんだよね。生きてるよね」
「うん、まぁ、一応まだ生きてるつもり」
はは、と苦笑するセリが握られていない手でトワの頭を撫でる。そうしてオレたち全員を見渡して、あのさ、と口を開いた。
「来てくれてありがとう。早速お願いで悪いんだけど、誰かキーボード持ってきてくれない?」
「……あ?」
キーボード?いや、キーボードがなんなのかを問うているわけじゃねえが、もしかしてこいつもしかすんのか?
「セリちゃんもしかして学院祭出るつもり!?」
「えっ、当たり前だけど!?」
「……セリ、私たちは君が大事故に遭ったという程度の話しかまだ知らないわけだが、説明の体力や時間はあるだろうか」
「ああ、そうなんだ。じゃあ椅子足りないから立たせたままで申し訳ないけど話すよ」
曰く。
13時半頃、帝都東側にあるバステア通りで一台の導力車が使用中の横断用区域に突っ込んだ。セリは案内中のばーさんとばーさんの荷物を何とか追突線上から押し出して、自分はそのまま向かってくる車に撥ねられた。
と言っても咄嗟に跳躍して体を捻りながら撥ねられつつもボンネットの上に退避出来たところまでは良かったが、減速しない車に新しく車上へ撥ねあげられた歩行者とぶつかり、さすがにそのまま落下して再度混乱する車道へ投げ出され、別の車にもう一度撥ねられたと。
その時に頭に怪我を負いはしたが意識は失わなかったので、倒れている一般人をぐちゃぐちゃの車道から担ぎ上げ避難させたりして、その場の混乱の鎮静に走り回っていただとか。
その内緊急車両が続々と到着し有無を言わさない形で車両に押し込まれ、治療ののちに憲兵隊が事情聴取に来て、その後、今に至ると。
「だからさ、心配しなくても平気だよ。たぶん」
「心配する要素しかなかったよ今の話!!!」
トワの叫びに、オレも含めて全員頷いた。いや、撥ねられた後に更に後続に撥ねられるってなんだよそれでなんでそんなにピンピンしてんだよ。いやお前のことだからしっかり周囲把握して受け身とってたんだろうけどよ。
「骨折とかは?」
「ないない」
ゼリカが問いながらベッドを窓側へ回り込み、セリの背中に手を当てつつ胸に伸ばした手で力を込める。特に反応はない。続けて両腕、両脚、それぞれに軽く力をかけて反応を見るも、特に普段と変わった様子はねえ。もしかしてマジで擦過傷程度で済んでるのか?あり得ねえ。
「ふむ、嘘をついているわけではないと」
「疑われている。ひどい」
「そりゃ疑うよ」
苦笑いでそう返すジョルジュに、そこまで信用ないかなぁ、と首を傾げるセリが本当にいつも通りで、一人でこっそりため息を吐いちまった。生きてる。
「そう、で、キーボード。一応裏庭での演奏はお医者さまや憲兵隊の許可も取ってるし、学院祭前には最低でも一時退院許可の可能性も高いとは確認済み。だからさ」
「……本当にやるのかよ」
言い出したのはオレだが、さすがに怪我人担ぎ出してまでやりたいことじゃない。パートナーじゃないにしたって、仲間や相棒としてはお前を心配しちまえるし、ここに来るまでだって、いま話してるこの状態でだって、実のところ気が気じゃねえ。
「やりたいよ」
それでもセリは間髪入れずにそう言い切った。
「企画始めたのはクロウだけどさ、でももう、これは私の企画でもあるんだ。……もちろん、みんなが私のことを心配してくれているのは、わかる。わかってるつもり。でも、来年は二年生で、進路とかいろんなことが山積みになって、きっとこんな風にはもう出来ない。今、今年だけなんだ。みんなとライブできるの。そのチャンスを逃したくない」
お願い、と震えが混じる声でオレたちは見上げられて、黙るしかない。だけど膝にかけた白い布団の上で、だいぶハゲたネイルの色がまざまざと事故のことを示している。
……とはいえ確かに、来年の今頃、俺がどうなっているのかだいぶ不明だ。もしかしたらクーデターを起こしきって、表の世界から消えてる可能性すらある。そういう意味で不確定要素が強いのは俺で、それがわかっているのも自分だけっていう。
「ま、別にいいんじゃないか」
小さく息を吐きながら、ゼリカが口火を切った。
「セリが強情なのは今に始まった事ではないし、私もせっかくならこのままステージでやり切りたい思いはある。もちろん、体調面に関して医者への確認等は必要だと思うが」
「それはそうだね。僕たちが来年どうなっているのかはわからないけれど、忙しくしているのはまず間違いなさそうだ。そういう意味で、僕もセリの気持ちに賛成するよ」
「アンちゃん、ジョルジュ君……」
ベッド脇に膝をついていたトワが立ち上がり、ぐすり、と袖で涙を拭う。
「セリちゃん、これだけは約束して。頭痛がするとか、体が軋むとか、何だかいつもより調子がおかしいなってなったら、必ず、絶対に、病院へ行くって」
「約束する約束する」
「もう、言葉が軽いよ」
トワの笑い声には安堵と許可が含まれているのは明らかで。そんでもって、全員の視線がオレに集まる。ったく。多数決にしちまえばいいってのに、話し合いで大事なことを決めるっつーのはあれだな、この面子のクセみたいなもんだ。
「お前らそいつに甘すぎんだろ」
首の後ろを掻きながらため息をわざとらしく吐いて、苦し紛れにそう呟いた。だけど、ああ、そうだな。オレもお前らと舞台に立てたらいいと、思う。そう思っちまった。
隠れ蓑のためにここにいるオレの手で確定事項にするっていうのは因果な話だとも。
「ま、やりたいってんなら反対はしねえよ。でもギリギリまで合わせられねえ分、前日のリハーサルでびしばししごくからな。覚悟しておけよ」
「上等だよ」
笑いながら拳を突き出してくるもんだから、オレも、ジョルジュも、ゼリカも、トワも、全員でその拳に自分のをぶつけた。生きてる。
確かにここに生きてるんだ。だから心配に思うことなんて、なんにも。
1203/10/21(水) 昼過ぎ
病院の門の前でため息を吐く。
さすがに制服で街中を歩くのはサボってる手前面倒臭えことになりそうだから適当な私服で来たわけだが、来て何かするわけでもどうにかなるわけでもねえんだよなと。生きてるのは、確認した。オレの幻覚でも妄想でもなく、あの後教官陣が確認した医者の言葉を信じるなら、本当に奇跡的なほどに軽傷で済んでいるんだとか。死者も多数出た事故で、一番最初にぶつかったあいつが一番事態を把握していたらしい。
いややっぱり適当に帝都をブラついて帰るか、と踵を返したところで、音が聴こえてきた。つい最近ずっと聴きまくってるやつだ。そんなんここで奏でるやつなんて一人っきりなわけで。本当にあいつ練習してんだな、と顔だけ覗いて帰るつもりで、うっかり中庭の方に足を向けた。
駐車場を抜けて、裏手の方に行くと休憩所のようにベンチと机が何組か置いてあって、その中の一つにカーディガンを着たセリが立ってこっちに背を向ける形で、机の短辺に鍵盤を置いて叩いている。姿は見れたしこのまま帰るか、と後ずさったところで逆にその行動があいつの感知に引っかかったのか唐突に振り向かれ、て、見つかった。そのまま数秒。怪訝そうな顔で首を傾げながら視線を外そうとはしねえから、思わず両手を上げて前に進み出た。
机の上にはブックスタンドに立てかけられた複製楽譜。書き込みその他でボロボロになってるのが、こいつの意気込みみたいなもんを如実に表している。
「……サボり」
「まあ、そういうこったな」
「怪我人の前で堂々とサボり宣言とはいいご身分ですね」
こっちは授業に出たいのにさ、と少し拗ねたような声音で皮肉が飛んできて、まあこういうヤツだよなと一人内心頷く。ビビるほどにいつも通りだ。
「それで、サボりってことはわざわざ一人で?」
「おう。……来ちゃまずかったかよ」
「……それ本気で言ってる? サボりに関してじゃなく、一人で来たことについて」
問われて、セリが何を言いたいのかいまいち判然としない。今度はこっちが首を傾げる番だ。オレのその行動に相手は自分を落ち着かせるように嘆息し、眉を顰める。
「何を考えてるのか知らないけど、事故当日にみんなで来てくれたのに後日わざわざ一人でも会いに来るなんてさ……私は、その、勘違いしそうになる」
視線を切って、キーボードに目線を落として、セリはそう言った。友人や仲間としてなら、相棒としてなら、あれだけでよかっただろうって。言外にそう訴えてくる。この距離感は許されるものじゃないと。
「……」
「君は何がそういったことに繋がるのかわかってるから、あの日以降も本当に何もなかったかのように、でも頭を撫でたりとかはせず、そう振る舞ってくれているんだと思っていたんだけれど」
言われて、それは、そうだと。ある程度意識していたことではある。
好いてるからこそ恋人にはなれねえって断って、五人でいたいっていうお互いの望みを叶えるために茶番みてえに相棒名乗って。それをよしとした。つまるところ甘えたんだ。
打算としては一分の隙もなく、ただ安穏とした隠れ蓑として関係性を崩さないように。トワ、ゼリカ、ジョルジュに、セリ。ただ五人でいられたらよかった。そうすることで、ただの、無価値な学生でいようと。
「何でクロウの方がそんな顔するのかなぁ。正直私の方が泣きたいんだけど」
いつの間にかセリの視線はこっちに戻ってきていて、指摘されても今自分がどんな表情をしているのかまるでわからねえ。だけど今のセリはきっとオレの鏡なんだろうとだけ思った。
「……ま、とにかく座ろうか。私たちは改めて話す必要がありそうだし」
着席を勧められながらキーボードと楽譜を自分側のベンチに片付けて、セリは座る。《C》としては、帰るべきなんだろう。それでも、おれは、"クロウ・アームブラスト"個人を棄てられず、だからこそここに来ちまったのかも知れねえ、なんて、心の中で呟いて、諦めたように座るしかなかった。
「で、一体どういうつもりだったのかな。私にはそれを訊く権利があると思う」
詰問する言葉が飛んできて、そうだな、と同意する。断った手前、甘えた手前、オレはせめてこいつの意を汲むように動くべきだった。本当に相棒として傍にいることを選択したのなら。
「……心配だった。お前が本当に生きてるのか、確かめたくて」
「は?」
容赦のない冷えた声。その言葉に思わず視線を下に、机の上で組んだ手に落としちまう。
「クロウ、悪いけれどそれは私への侮辱だ」
「……」
「君は、私の告白を断った。それはいい。構わない。君に私への恋愛感情はないと思っていたから。伝えたのは私のエゴだ。だけど!」
僅かな怒鳴り声が上がった瞬間ヒートアップしかけたのを自覚してか、無理やり言葉を切って、震える呼気が長めに吐かれる。怒りを抑え込もうとしている挙動だ。普段そこまでネガティブな感情を表出させることのないこいつに、そんなことをさせた。やっぱりオレはまた間違えたんだろう。
「……だけど、相棒だって、言ってくれるなら、私の強さを信じるぐらいはしてほしい」
震える声で、か細い声で、言葉が落ちた。
────嗚呼、そうか。その言葉でようやく自覚した。オレは、女としてのこいつも、仲間としてのこいつも、両方の意味で踏み躙ったのか。強くないと思っていたわけじゃもちろんないが、殊更に心配をするって言うのは能力の不足を疑っているのと同義だ。オレの矛盾した感情と立場の身勝手さで傷付けた。どうしようもねえ野郎だ。
「わる、かった」
「……うん。その謝罪は受け取っておく」
許すとは言わない。そういう、まっすぐなところが、欺瞞のない姿が俺とは全くの正反対で、眩しくて、強く、つよくつよく、この期に及んで、愛しいなって。
「────お前が好きだから」
思った瞬間、口からそう転がり出た。
駄目だ。これは、よくねえ。最大級のやらかしだ。
思わず口を押さえてセリに視線を走らせると、えも言えないような渋面に似た不可思議な表情でそこに居た。
「……今なら、聞かなかったことに、するけれど」
呆れたような声。いや、わかる。そうだよな。わかる。どう足掻いたってなんだこいつってタイミングだろ。俺だってそう思うわ。
────でも、駄目だ。現状大国特有みてえな大事故に巻き込まれたって聞いて、本当に肝が冷えた。また、大切な人間が自分の手が届かないところで帝国という化け物に殺されるかもしれないと思ったら、足がここに向いちまった。お前の存在をこの腕で確かめたいって思っちまった。それは、無かったことにできない。このままここでまた甘えたってどうしようもねえ感情には違いない。
「本心だ。……おまえを喪いたくない」
肘を机について、祈るように組んだ手へ額を預ける。
「って、死んでないよ。この通り、ピンピンしてる」
「違う」
たとえ、これから起きるであろう戦争のなかでも。お前にだけは生きていてほしいと願っちまった。そしてその生存を確実なものにしようって言うんなら、俺の傍に。それでもそれを告げることは断じてならねえわけだし、こいつが俺の手を取るとも思えないんだが。
「お前はオレが自分に対して恋愛感情がないって言ったけどそもそもそれが違うんだ。ただ"俺"は絶対にお前を傷付けるって、そう、思ってる。それでも」
それでもその日まで、もしかしたらその日を超えても、隣にいてくれるんじゃないかって。隣にいるように何か出来ちまうんじゃないかって。考えて、否定する、その繰り返し。だけど結局のところオレに出来ることなんか傷を浅く済ませるように頭回すくらいしかねえ、って、そう。
言葉を切って言い淀んだところで、ぽすん、と頭に体温を感じる。思わず顔を上げると、身を乗り出してきていたセリと視線が合う。伸びてきた手がさすりさすりと頭を撫でるように。
さっきまでマジで怒っていたろうに、それでもオレを案じてか困ったようにしつつも笑いかけられて、退くあたたかさに寂しさを覚えて、嗚呼やっぱり俺はこいつが好きなんだと痛感させられた。だからこそ告白を断ったっていうのに。ザマァねえ。
────深く息を吸って、吐いて、呼吸を整える。相棒だって呼称してそれでも傷付けるなら、いっそ修復不可能なレベルに傷をつける覚悟をした方がいい。それが俺の選択する道だ。
「……今更だとは思うが、俺の、恋人になっちゃくれねえか」
偽の学院生活だというのに。腰掛けのつもりで、偽装に偽装を重ねた身分で入学しているというのに、楽しく馬鹿をやれる仲間に、そして唯一の相手に出逢っちまった。赦されるわけがない。いつかは破綻する。だけどそれまでの間。そして、破綻した後に、その心が俺から離れたとしても消えない傷がお前につけばいいって。そう。どうしようもない身勝手な願いを籠めた。
「それは無理だね」
一刀両断。
「君が何に対して思い詰めているのか本当にわからないけれど、別に君と恋人関係になっても私の生存率が変わるとは思えないし、仮に上がるとしたらそれは君の生存率の低下に結びつきそうだし、お互いに同レベルの安心を提供できるとは思えない。だからこの場でそういう恋人契約を結ぶのを私は、是とは出来ないかな」
驚くほど丁重に断られた。
まあ確かに生存率が上がるわけねえと思うわな、理由も言えねえし、と引き下がろうとしたところで、座ったセリから両手を差し出される。意図が分からずそれを眺めていると、手が開閉するので、もしかして繋げってことか?とオレも同じように腕を伸ばしてそれに重ねた。ぎゅ、と手が閉じてオレは小さな手に捕まえられる。
緊張から体温が下がっていたのか、冷えた指先にセリのあたたかさが、じわり。
「私は、生きているよ。ここに、こうして」
「……あぁ」
同意して、オレも、少し動かしてその手を握り返した。
「だから、その言葉は私が退院して、学院祭が終わって、それでも変わらなかったらまた言ってくれる? 今ここで私がイエスを言うのは簡単だけど、今の君はどう見ても冷静ではないから私はいつかこの日を後悔してしまう。それに私は君の一時の感傷に付き合えるほど……好きな人の、そういう言葉に、浮かれないほど、心臓、強くないから」
今度はセリが俯くように、萎んでいくように、つむじを俺に見せて言葉を落としていく。
あぁ、なるほど。心配して、ただの瞬間的な激情で言っているんじゃないかと、また逃げ道を作ってくれようとしてんのか。髪の毛から覗く耳は大層赤くて、きっと喜んでくれているだろうに、オレのことを慮って。
それが多少癇に障るところもあるが、まあ、そうだな。冷静じゃないってのはそうなんだろうし、付き合ってる間、もしかして憐憫だの庇護欲だのなんだのと感情を疑われ続けるのも癪だ。
「わかった」
繋いだ両手はそのままにベンチから腰を上げて、机から回り込みセリの前へ。どうしたのか、と目線で問いかけてくるそいつに少しだけ屈んで耳元に口を寄せた。たった一人にだけ届けばいいから、誰にも、世界にも聞かれないように。
「お前が退院したら、また改めて告げに行く。それまでに心臓もう少し強くしておけよ」
そう言うと、ばか、と言わんばかりにセリは、俺の胸に軽く頭突きした。
生きていてほしいってだけのことが、こんなにも難しい。
そんなのはわかっちゃいたのに。愚かな話だ。