38
あの後、叔母さん叔父さんもばたばたと帝都に現れてしまい、私や医師の方から何があったのか説明をしたところ、本当に本当に、生きていて良かったと抱きしめられてしまった。
まぁ私もそう思うけれど、私は、私だけは、導力車で死んではいけないと思っているのだ。だから日々、実は帝都に足を運ぶたびにイメージトレーニングをしていた。だって私まで帝都の導力車事故で死ぬようなことになったら二人は自分を責めたりしてしまうだろうと。学院になんてやらなければよかったとか、そう。私はおそらく愛されているから。
だけどそんな風に後悔してほしくない。私は、私にとっては、トールズ士官学院で得たあらゆるものが宝物だ。それを私の大切な人が否定してしまうようなことにはならないで、というわがまま。その為にならいろんな努力だってする。今回だって大した怪我もせず生還し切った。運に味方された結果だとは強く思うけれど。
そうして、仕事は数日ほどなら大丈夫だからと、そのまま学院祭まで帝都に滞在することにしたのだとか。これは予想外だったけれど、二人の写真を自分が撮らせてもらえるならそれはいいなって思った。入学前に買ってもらった導力カメラ、結構上達したんだよって。
1203/10/23(土) 学院祭一日目
話を聞くところによると前日にいろいろありはしたらしいけれど、取り敢えず私は退院許可をもらい無事に当日を迎えることができた。カメラもキーボードを病院へ持ってくるついでにジョルジュに回収してもらっていたし(時間に取りに来ないので心配されてしまったのだとか。今度顔を出しに行こう)、クラスメイトにも心配されてしまったけれど今日は基本的にクラスに詰まりっぱなしだ。
位置としては一年の貴族教室二つを使わせてもらうことになった。VI組は二階の奥の奥なので教室を使わないのならと借り切ったのだ。前日に飾り付けも機材の取り付けなども終えてくれていたので、本当に今日私は撮影することに注力するだけになっていた。
それと写真を撮る人間も仮装していた方がテンション上げやすいだろう、と言うことで私も普段着ない衣装を着させてもらっている。口元だけの簡易ガスマスクに燕尾服という、少しはっちゃけつつ色は抑え目に。
対応者が若干怪しいと逆に衣装が選びやすいだろう的なそれなのだけれど、ガスマスクは指示出しをする際に毎回外すことになるので失敗選択だったかもしれないと思い始めた。でも服と小物の組み合わせはいいと思う。わりとクラスメイトにもウケたし。ドレスは動きづらいので勧められてもNGを出すしかなかった。
晴天なこともあって気温の上がる中、暑いな、とガスマスクを首元にかけて涼んでいると次の方が案内されて入ってくる。こんにちはー、と挨拶をしたところでおどろいた。
「叔母さん叔父さん! 来てくれたんだ!」
見れば叔母さんは北の方の出身の人が持ってきたブラウスコルセット付きエプロンを着て、叔父さんの方は誰が着るんだこんなんと笑われていた騎士甲冑を身に纏っていた。
着られる人、いたなぁ……。身内に。
「そりゃ来るさ。元々、その為にスケジュール調整はしていたからな」
「ふふ、いろんな服があって迷っちゃった」
そう楽しそうに二人が笑ってくれて、私も表情を崩す。背景の布色を決めて、あとはポーズかな。ちょいちょい細かい指示を出して、結局叔父さんが叔母さんを横抱きにして、村の女性を守る自衛団のような風情の写真が撮れた。うん、楽しそう。
「ではこちらは現像して後日送らせてもらいますね」
身内とはいえ一応来場者なため、さっきはうっかり素で話してしまったけれど気を引き締めて対応する。うん。綺麗に撮れたと思う。まぁ身内だから気合い入れたというよりは、甲冑を着る人が現れるとは思っていなかったので自分の技術に勝負を挑んだ的なところもある。
「そういえば、クロウ君とは恋人同士なの?」
「────っ!?」
あわやカメラを取り落としそうになるようなことを言われて、しかしカメラを三脚からパージはしていなかったためことなきを得た。あぶない。こわい。びっくりした。
「な、なんでそんな発想に……?」
あの日の話は誰にもしていないし、誰にする気もない。それはたとえトワやアンにだってそうだ。あれは、不確定な、心の奥底にしまっておきたい思い出で。そんな何かを見透かされてしまうようなことを私は今までの会話でしていただろうか。いや、していない。
「ウェディングドレスとタキシードを着てる二人の写真があったからてっきり……違うの?」
「ち、がうねえ……あれは今回用に撮っただけだよ」
そういうことか、とこっそり早鐘のようになる心臓をそっと落ち着ける。なるほどね。確かに全員別のクラスという話は伝わっているだろうので、他クラスのクロウが私とああいう形で写っていたらそりゃ恋人だから呼ばれたのだろうと思うかもしれない。いや思うかな。どうだろう。まぁいいや。この辺を深掘りするとドツボにハマりそうなので捨て置こう。
「なんだ、違うのか。それならとクロウ君を探そうかという話をしていたんだが」
「違うから探さなくていいよ」
というか何を話すつもりなんだろうこの二人。ブランドンさんについてティゼルさんを溺愛しているな、と思っていたけれどもしかして叔父さんもそういうタイプの人なのかな。十年以上一緒に暮らしているけれどこんな素振りは初めて見た。よく知っている人の知らない一面というのは、とても不思議な気分にさせられる。
「まぁまぁ、とりあえず着替えて学院祭を回りましょう。他も楽しそうですし」
「ああ、そうだな。こうしてデートをするのも最近はなかったしな」
「そうですね」
うん、相変わらずお互いゾッコン同士。楽しそうにしている二人を見て、すこし、すこしだけ、クロウと自分もそうなれるだろうかと重ねてしまった。別にそういう関係ではないので完全にこれは不遜というか絵に描いたパンというか、そういうものなのだけれど。
手を振って二人を見送ったところでまた別の人が入ってくる。今日は忙しいけれど、忙しいというのは盛況ということで。喜ぶべきことだ。うん。頑張ろう。
「っかれた……」
午前は口コミとかもあって人が殺到し、午後は緩やかにはなりつつも人は途切れなくて、気が付けばお昼はとうに回ってもう14時半だ。お昼というよりおやつの時間。でも結構いろんな人が来てくれて、楽しそうな写真を撮るお手伝いをさせてもらって、それは本当に良かったなと心底思う。
ティゼルさんも貴族のお嬢様の服を着て、恥ずかしそうにはにかみながらブランドンさんと写真を撮っていたのは感慨深い。
人によっては数回来ていて、企画として大成功じゃん、とクラスメイトと笑ったりもした。
そんなこんなで遅めの昼食を摂ろうと人のいないVI組の窓際席で昼食休憩がてらだらけていたら、聞き馴染みのある足音がして思わず反応してしまった。明らかにこっちに指向性のある音だ。がらり。
「おーっす」
案の定後ろの扉からクロウが現れて、当たり前のように私の前の席に座る。そういうことをするなら人の許可を取って欲しい。言っても仕方ないんだろうけれど。クロウのそういうところはずっとそうだ。変わらない。
買ってきた紙に包まれたサンドイッチを開き、まくり、と口に運ぶ。ベーコンのカリカリさと脂とトマトの酸味やレタスのみずみずしさが美味しくて、これならもう一つ買ってきたオムレツサンドも美味しいかな、と期待が膨らんだ。
「そういや写真、見たぜ」
「あ、どうだった? やっぱロシュの写真すごいと思うんだよね。まずあのライティングが」
「きれいかった。お前が」
写真はいかに撮影者の技量が問われるのか今回それがいかに凄いかという話をしかけたところで、遮るようにそんなことを、言われて、しまって、顔の温度が上がるのがわかる。持っていたサンドイッチを潰しかけて、ちらりと視線をやると頬杖をついたクロウと目が合う。合ってしまう。微笑まれた。ぐしゃり。
「あっ」
「何やってんだよ」
いや潰れてもサンドイッチは食べられますからね、と言いながらもそもそ口に運ぶ。美味しい、ような気がするけれど、ぐるぐるとさっき言われた言葉が頭の中で渦巻いて、いまいち味がわからないことになってしまった。もったいない。しっかり咀嚼だけはしておく。
「お前、いますげえかわいい顔してんぞ」
容赦のない追撃!あんまりにもあんまりなので、ぎゅっと目を瞑りながらクロウの口元に手を当てて発言を抑えた。そんな挙動、今まで全然なかったのにそういうことを連発するのは良くないと思う。
「態度が以前と違いすぎて困る」
当てた手の手首を掴まれて、普段脈を測るところに唇を落とされてしまい、それはそれでピャッと手を自分の方に引き寄せるしかなかった。だめだなんかだめだ翻弄されている。困った。困っているのに、嫌じゃないところが、さらに困る。
「だってもう、お前の言葉で言うならあふれちまったし隠す気もねえよ。……お前の好きなヤツがオレだってわかってるなら尚更な」
言われて、おや、と思った。
「もしかしてクロウ、私の好きな人を誰かと勘違いした?」
「……本人に向かって好きなヤツがいるって言うとは思わねえだろ」
「でも事実だし」
「そこで嘘つけねえのがお前なんだよなあ」
「いや、でもさ、好きな人がいないって言ったらそれはそれで、ああ自分は範疇外なんだなって思うのでは?」
「否定はできねえな」
「詰んでる」
詰んでるな、と無邪気にクロウが笑うので、笑いことじゃない、と返しながらサンドイッチをアイスコーヒーと共に食べるのを再開する。
お互い言った通り、詰みの壁が崩れて、いろいろぐちゃぐちゃになって、そも今もまだきっとぐちゃぐちゃで、私とクロウの間柄は、どうにも中途半端なところにある。友人というには距離が近くて、相棒というにはお互いを恋愛的に想い合いすぎていて、恋人というにはその口頭契約を結んでいない。
それでもクロウは私に触れることをもう躊躇わない、その理由がないと言わんばかりに、今こうして私の傍で微笑んでいる。心臓がぎゅうっとなってしまう。私の心臓は仕事熱心がすぎる。
「それにしても、あっという間だったな。この半年」
三角のガーランドがたなびく窓の外に視線をやって、外のすこし遠い喧騒に耳を傾けながら、クロウがつぶやいた。私も同じように外に目線を向ける。明るい青い空。晴れて良かった。
「そうだね。四月からいろいろあったけど、楽しかった」
「オレはゼリカに殴られたりしたけどな」
「リンク繋げたり繋げなかったりしてたねぇ。周りとしても困ったというか」
「お前はお前でとんでもねえ作戦にオレを巻き込んでくるし」
「その節は大変お世話になりました。……ハザウでも弱音聞いてもらったしね」
「あったな」
二人でぽつりぽつり、半年のことを思い出す。戦闘訓練でクロウに叩き落とされて負けたのは今でもリベンジしたいと思っているとか、お前は他人のために身体を張るのをいい加減やめろと言われたりとか、今まで何となく言えていなかったことを、たくさん。
「そろそろ休憩あがらなきゃ」
すっかり氷が溶けて薄くなってしまったコーヒーを飲み干して、机の上を片付け始める。
「終わったら衣装届いてるかんな、それ着て最後のリハーサルすんぞ」
「うん。楽しみ。……でも全然合わせられなかったから、練習の方向性間違えてたらごめん」
不安から先んじてそんなことを言ってしまうと、ぐしゃりと頭を撫でられた。
「オレらなら出来るだろ、相棒」
そう笑う目の前の相手は確かに私の"相棒"で、逃げとかそういうのじゃなくて、ただひたすらに真っ直ぐ、確固たる音で私を呼んでくれた。あの日とは全然違う音。
ああそうか、恋愛関係でも、相棒っていうのは成立するのかもしれない。そうであってもいいのだ。それをあっさりと当たり前のように教えてくれた君に、私はまた恋をする。溶かしきれなかった想いと、溶かせていた想いが混ざり合って、火種となり、ほのかな熱を作る。
それが何だか無性に嬉しい。
「うん、任せてよ」
そう笑って休憩を終え、私の学院祭一日目は恙無く終わりを迎えた。
1203/10/24(日) 学院祭二日目/ライブ当日
今日は午前中から昼にかけて自由時間をもらったので、トワのクラスがやっているという喫茶店に顔を覗かせた、ところで、びっくりする。
教室に並べられた机の間を猫の着ぐるみを着た生徒が所狭しに、人によってはちょっとぶつかったりしながらてこてこてこてこと歩いている。えっ。かわいい。席に案内されてそれっぽい気配を追いかけると、ビンゴだったようでトワの顔が覗く着ぐるみが私に振り向いた。
トワ、と手を挙げながら呼びかけると一瞬止まってから、ああ!、と驚いてぽってぽってと近づいてきてくれる。今日も今日とて私も仮装しているからだろうけれど。
「セリちゃん?」
「いやー、こんなにかわいい企画だったんだね」
少し前にミヒュトさんから、お前さんとよくいるあのちみっこに無理難題押し付けられたぜ、と愚痴を聞かされていたので何を頼んだのだろうと首を傾げていたのだが、まさかこんな着ぐるみだったとは。
「うう、何かひょいひょいと決まって、裏方に回りたかったんだけど……」
「いや、似合ってるよ。一緒に写真とか撮ってもいいやつ?」
「あ、うん。というかセリちゃんの格好も結構面白いことになってない?」
「そうかな。……そうかも」
昨日とは少しテイストを変えて、男性的な貴族衣装に目元に装飾が施された仮面を嵌めている。これはこれで歩いていると写真を求められるけれど、顔が出ていないのでだいぶ気楽だ。とはいえトワと写真を撮るなら仮面は外して、少しカメラを調整してからトワのクラスメイトに頼んで写真を撮ってもらった。
「そうだ、アンちゃんのやつ観に行く?」
「もちろん」
その直後に私たちが講堂ジャックをするので、まぁそれの準備もあるし潜り込んでおくつもりだ。いやー、それにしてもよくここまでバレずに来てるなと思う。いや本当に。I組とクロウは基本的に相性が悪いのであそこに協力者がいるとも思えないけれど。でも段取り的には完璧なんだよなぁ。不思議すぎる。
「そうだ、注文もう聞いてるかな?」
「あ、ごめんしてないや。このおすすめセットと」
メニューにある軽めなものを頼んでぱたぱたと店内を歩くトワを見送って、視界に入ってくるたくさんの猫ぐるみを眺めて、なるほどな、と一人で勝手に何かを納得していた。なるほどな。
ジョルジュのクラスはプールを借り切って何かしているというので足を向けてみると、どうやら水流式流鏑馬のようなものだとわかった。ミニアトラクションと言っていたけれど結構大掛かりな装置になっているんじゃなかろうか。ここのプールは大きいらしいので水流を作るだけでも一苦労な気がする。
仮面を外しながら受付の方へ寄っていくと、いつもの柔和な表情が私に向いた。
「やあ、セリ。やっていくかい?」
「いやー、私がやったらアトラク荒らしみたいになってしまうのでは」
受付近くで動作確認のためかつきっきりになっているっぽいジョルジュとそんな会話をしつつ、楽しそうなお客さんを二人でぼんやり眺める。親子連れも多いけれど、なかなかに学院生同士のペアも多い。というか一人でやってる人は殆どいないな。
「あれ姿勢制御というか転覆防止策どうなってるの?」
「三軸感知のセンサーを使って一定角度を超えたらスラスターが反応するようにしてるけど、そもそも安定感は出してるからまだ一回も作動していないんじゃないかな。僕が片側に乗っても大丈夫なように設計してるし」
「あー、なるほど。やっぱその辺の発想が違うよね」
技術者というのはひらめきというのは本当にそうなんだろう。技術があっても、それを組み合わせていけなければいけない。そういう意味で発明と設計と開発はすべて異なるスキルだ。ジョルジュに関してはそのいずれもがずば抜けているのだけれど。
「そうだ、うちの企画で使う装置の助言ありがとう。無事に何とか回せてる」
「それならよかった。そういえばクロウのクラスのには行ったかい?」
「ん? いや、行ってないけど、行く余裕あるかなぁ」
ちらりと懐中時計を引き出して時刻の確認をするともうそろそろ自分のクラスへ行った方がいい時間だ。なるべくなら見たいけれど、人混みの中の移動だけで結構な時間を取られてしまったし、クラスの人には迷惑と心配をかけてしまったし、今日も午後に抜ける予定なのであんまりわがままを言える立場じゃない。
「たぶんセリが好きな感じだよ」
「期待値あげるねぇ」
「後から写真部の記録で後悔するなら言っておいた方がいいかなって」
「それなら何とか時間捻出してみるよ」
じゃあね、とひらひら手を振って取り敢えずスケジュール通り自分のクラスへ向かった。
道中外部から来た女性を引っ掛けているアンを遠目にしながら戻った教室は案外と落ち着いていて、初日の凄さが際立ったなぁ、と所定の位置に座る。更衣室と撮影所は別の教室なので、人手が余っている場合はみんな更衣室の方へ行く段取りになっている。ただカメラの人間は部屋にいろという形なので、今現在、部屋には私一人だ。すこし欠伸をしてしまう。
昨日のセッションはいい手応えだった。デザイン画から想像した衣装よりトワがだいぶ際どかったけれど、今更文句を言っても仕方がないので覚悟を決めて今日はステージに立つらしい。クロウも確信的というか。リテイク出来ない前日到着を狙ったんじゃないかという気さえする。いやそもそもがギリギリ納期ではあったろうけれど。
いろいろ準備してきたことが今日、終わる。達成感よりも寂しさが勝ってしまいそうで、自分のよわさに少し笑ってしまう。
「お客さん案内するよー」
「了解」
詮ないことを考えていたところに声が割って入ってきて、ドレスを着た女性二人が。いらっしゃいませ、お嬢様、と自分の仮装に合わせた迎え入れの言葉と共に撮影場所までエスコートをし、撮影に入った。
今は訪れる寂しさを考えず、ただこの喧騒に身を委ねていよう。きっとその方がいい。
午後の抜け出す時間になって、まだI組の出し物が始まるまでは15分ぐらいはありそうだとV組が使っている教室へ向かう。道中で既に楽しそうな声が聞こえてきて、見学です、と入口の生徒に断りを入れながら覗くとたくさんの人が各種様々な盤上遊戯で遊んでいる。確かボードゲームの遊び場だったっけ。ちらほら生徒が混ざっている卓もあるので、おそらくプレイヤーが足りない場合は補充要員として入るのだろう。
ジョルジュの言っていた意味がわかる。なるほど。こういう色んな人が楽しそうな顔をしている場所というのは確かに私が好むところだ。家でも叔父さんが主催して結構宴会をしていたりしたから、そこそこ賑やかなのが好きなのかもしれない。
そんなことを考えていると慣れた気配が顔を覗かせる。すると私を見つけるなり、お、という表情をして近づいて来た。
「よっす、来てたのか」
「アンの出し物の前にちょっとね……というかよくわかったね」
今は特に外す必要もなかったので仮面をつけたままだったのだけれど、と装着していたそれを外して内ポケットに差し込みながらクロウに視線をやれば、わかるっつーの、と小突かれた。そんなものかな。
「っと、そろそろ向かわないと。クロウはどうする?」
「あー、まあ見てやるのが義理ってもんかねえ」
「じゃあさくさく歩く歩く」
そう言って、クロウ借りていくね、とクラスの人に声をかけつつ背中を押して教室を出る。講堂は正面玄関を出て右手だ。たぶんもう席とかはなくなっているだろうので、適当に二階左右に広がっているギャラリーから見よう。そこも埋まっていたら……まぁどうにかなるんじゃないだろうか。
「そういやお前の保護者に会ったぞ」
「……何か言われました?」
思わず変な言葉遣いになってしまった。
「あー、その、セリをよろしく頼むとか言われた」
「そ、れは、あの、着用写真を見て誤解されたんだけど一応解いたと思ったんだけどな?」
解けていなかったらしい。人の話はきちんと聞いてほしい。クロウもきちんと否定したのか聞こうとしたところで、まあ別にいいだろ、なんて。……いや、よくない!よくはない!事実と違っていることではあるのだし!
私の無言の抗議を無視してクロウは歩いて行き、そんな感じで講堂に到着した。それなりに人が入ってはいたけれどまぁまだ入れる感じだったので薄暗い室内へ潜り込む。その時に、左手を掴まれた。するりと、指を絡ませて。えっ、あっ、と何かを言う暇もなくそのまま引っ張られ、一般客立ち入り禁止のギャラリーに繋がる階段の方へ連れて行かれる。
人の気配のないところで私の手を掴んだままクロウが座るので、私もそれに倣って座る。普段だったら冷える床が気になるのに、今日は、左にある体温が、絡んだ自分より大きな手が、気になってしまって、もう片腕で抱えた膝のせいもあってか心臓が跳ねているのがわかる。いやもうこれ絶対に顔赤くなってる。そしてそれは隣のヤツにバレている。
ちらりと横目で見たクロウは涼しい顔をしていて、こんなに慌てているの自分だけなのかな、なんて少し膝に額を預けながら幕が上がるまでの少しの間、そうしていた。ずるい。
I組の舞台は御伽噺をモチーフにした舞台のようで、男装したアンが役を務める王子が出てきて勇ましく言葉を発したり、殺陣をやったりする度に講堂に女性の声が響き渡る。すごい人気だなぁ、と普段見慣れてしまっている私は苦笑するしかない。
「そろそろ準備に入るとすっか」
クロウが立ち上がり、手が放される。
その瞬間、ほっとした感情と、さびしいという感情が入り混じってしまったのを理解して、いやいやいやと内心で首を振った。今からやるのは五人での話だ。今はそっちにスイッチを切り替えよう。
I組が使っていない方の舞台袖に入ると、アンを除いたみんながそこにいた。暫く段取りの最終確認をしていたら客席の方から拍手が起きたのを鑑みるに、舞台が終わったのだろう。本来のスケジュールならここで講堂の使用は終わる。そういうつもりでI組も客席もいるだろう。
アンが舞台に続く方向から姿を表し、I組での舞台衣装を脱ぎ始めながら笑っている。
「裏方班を誘導してこちらの撤退はもうすぐ終わる。ドラムはすぐに出せるように、でも気付かれないようセッティングしてあるし、直ぐにでもいけるだろう。いや、行くべきだ」
「導力カメラも設置完了、回し始めてるよ」
「い、いよいよだね……!」
「ま、ここまで来たらなるようになるって」
「そんじゃ、いっちょぶちかましてやろうぜ」
全員で笑って、拳を合わせて各々の得物を持ち、舞台へ飛び出した。
さあ、学院祭最後の花火をあげよう!
大切な人たちと、こうして空間を作り上げられるのはなんて幸福なんだろうと思った。たったの一ヶ月前に言い出すなと散々みんな言ったけれど、結局乗ったのは私たちの選択で、それを提案してくれたクロウには感謝している。
目の前でクロウが客席を煽っている。手拍子を強請る。それに合わせて誰かが手を叩き始め、それが講堂中に広がっていく。当たり前のように場を掌握していく。ああ、やっぱり、格好いいんだよなあ。
その中でトワが扇情的な衣装でステップを踏みながら観客を魅了し、視線を釘付けにする。それは一般入場者よりも普段の姿を見慣れている在校生の方が動揺が凄いだろう。高嶺の花というのはトワのような相手に使うのが相応しいのかもしれない。それはそれで、相手を人間扱いしていない気もするけれど。
アンはさっきと打って変わった露出の多い衣装で楽器を掻き鳴らし、隙あらばウインクを客席に送っているみたいであちらこちらから舞台の時と似た悲鳴のような嬌声のような、いまいち判別の付きづらい声が聞こえてきている気がする。よくやる。
ジョルジュは私の反対方向にいて音楽を支えている。私の視線に気が付いたのか、にっ、と笑われてしまい、私も微笑み返しておいた。普段はお互い前衛だから、こうして後ろでみんなを見る機会というのは案外ない。だから目に焼き付けておこう。
じわり。あ、だめだ。少し泣きそうになってきた。曲の終わりは近いから、それまで私の涙腺には緊張を保って欲しい。
なんとか最後の最後まで弾き切り、余韻が消え、講堂に静寂が落ちる。は、とこぼれた息は一体誰のものだったのか。私のかもしれないし、他の人のかもしれない。それだけ、この空間はひとつになっていたんじゃないかなって、私は思うのだけれど。
顔を上げ顎から汗が落ちた瞬間────拍手の洪水が起きた。肩で息をしている全員の緊張がほどけるのがわかる。クロウがトワからマイクを預かってMCをし始める。アンケートよろしくって言っても無効票なんだよなあ。
ああ、それにしても気持ちよかった。
「お前、こんなところにいたのかよ」
あの後、ハインリッヒ教頭が走ってきたので全員で各々のクラスへ逃げることになった。しかし結局、講堂の無断使用かと思ったらちゃっかりトワは使用申請をしていたので、私たちへのお咎めは不問ということに。すごい。さすが。申請して今日まで隠し切っていた手腕も凄い。但し出し物としての申請はしていなかったので、その点を吸収するためにアンケートはやはり無効票らしい。
そうして一般入場者の退場が終わり、後夜祭の準備が整いキャンプファイヤーが始まったところで、私は上から見たら綺麗かろうな、と思って誰もいない校舎の階段を抜けて屋上の手すりに身体を預けて眺めていた。そこにクロウが。
「ここから見ると綺麗だよ」
指差すと、そうだな、なんて言いながらおんなじような体勢で隣に。
「……格好良かった、今日」
今を逃すと言えないだろうと思ったので、そう口にする。けれど何も返ってこないので、何か言ってほしい、と隣を見たら、……なんというか、暗い中での見間違いじゃなければ、珍しく顔を赤くしているような。
「クロウ?」
「あー、こっちみんな。不意打ちでそれはナシだろ」
「……いや、ナシでは全然ない」
判定急転変更。最高に可愛い。顔を覗こうとして、だめだだめだ、と顔面上部を掴まれてしまう。私の顔をそんな簡単に覆わないでほしい。もごもごと外そうと奮闘したところで、更にぎゅっと掴まれてしまう。なんで。
「……例の話に関しては、もすこし、あとでやるから待っててくれるか」
例の。それだけで何を指しているのかわかる。
緩んだ手を外して、暗い中でもうっすら見える、赤い、紅耀石よりも少し黒みがかった瞳と視線が交差した。
「うん。わかった。期待して待ってていい?」
「おう」
そんな風に笑い合ってからまた下に視線を落としたらこっちを見ている三人がグラウンドに見えたので手を振って、下に降りて合流しようか、とクロウに提案し二人で降りていく。
こうして私たちの、1203年度の学院祭は無事に終わりを迎えた。