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1203/11/13(金) 放課後
ARCUS試験運用の活動も正式に終わり、総括戦闘とまとめをしたためたレポートもある程度形にしたので一息ついて、週末。今月の自由行動日のことを考えて教官室の前に足を運んではみたけれどこんなことを頼んでいいものなのかと悩んでしまう。けれど現状の人脈で頼めるというか、頼んでも良さそうな人というのが該当者一人だけなのは確かな話で。
扉の脇で立ち止まったまま、怒られたら怒られたまでだ、と意気込んで顔を上げた瞬間、肩を叩かれ振り向いてみたらお目当ての人がそこにいて心底驚いた。どれだけ思考に耽っていたのだろうかとそう自分を問いただしたくなったのも無理からぬ話なほどに。
1203/11/22(日) 自由行動日
のんびりと学生らしく導力バイクの組み立ての手伝いをしたり(それなりに汚れるのと動きづらいのでツナギで校内を歩くことが多くなった)、ティゼルさんと料理会をして主食があれば一品で何とか形になる鶏肉のトマト煮込みを一緒に作ったり、そんな風に過ごして10日ほど経った自由行動日の15時。
「まさか君から外出に誘われるとはねえ」
「私もまさか快諾が返ってくるとは思いませんでした」
サラ教官とトリスタ駅にて私服で待ち合わせをして二番ホームへ向かう。
「いやー、だって行きたいのバーなんでしょ? 知らないお酒があるかもしれないし」
「教官って本当にお酒好きですよねぇ」
ブランドン商店で顔を合わせる時は大概紙袋にお酒ないしは調理しなくても食べられるツマミが詰まっていることが殆どだ。あとはキルシェのカウンターで飲んでいたりとか。課外活動時もお酒を頼んでいる姿を見かけたことがある気がする。それでも監督業を放棄していないのだろうという不思議とした信用はあるのだが。
「飲めるような年齢になったら教えてあげるわ。あたしがそうしてもらったようにね」
流れるようにウインクをされて、そういえば教官の過去というものは聞いたことがないなと思った。凄腕だというのはもちろん嫌というほど身に染み込まされているのは確かなのに、経歴とかは一切知らない。たまに質屋でミヒュトさんと親しそうに話している声は聞こえてくるのでそういう系統の人なのかなと勝手に思っているけれど。
「そうですね、その時はよろしくお願いします」
とはいえ、相手が喋らないことにあまり首を突っ込むもんじゃないだろう。私だって話せる過去ばかりではないし。これは相手に気遣っているとかではなく、聞かれたくないから聞かないという処世術のようなものだ。
「つくづく真っ直ぐよねえ」
「そうですか? 結構捻くれているところもあると思いますけど」
「自分でそう言っちゃうのが真っ直ぐなのよ」
フフ、とまるで雛鳥を愛でる人みたいな目で見られてしまい少し落ち着かない気分になる。いやいや、とりあえず今日誘ったのは自分なのでしっかりしていないと。
「で、どの辺にあるんだったかしら」
「帝都の西側、リルテ街区ですね。かなりしっかりした音楽喫茶の店主殿から教えてもらった場所なので、わりと楽しみにしているのですがどういう場所なのかは私にも不明で」
そう、今日は以前教えて頂いた音楽バーへ足を運ぶことにしたのだ。教官を連れて。
暫く待っていると列車がホームへ入ってきて乗り込む。トリスタから帝都へは30分ほどの時間なので本当に出やすい位置だなぁと思う。帝都郊外と名乗れるトリスタとリーヴスは治安も良く程よく人気なのだとか。
「一応紹介してくださった店主さんはソフトドリンクの入店も認めてくれるよう紹介状を書いてくださったんでしょ?」
「そう、なんですけど、やっぱりお酒飲める人と一緒に行った方がお店的にいいのかなぁと考えた結果がこれです」
「まぁあたし以外は誘っても駄目って言いそうよね」
「そうなんです。だから正直サラ教官を誘うのも若干諦めまじりでしたし」
「そうね」
思い出し笑いをこぼされてしまったけれど、これに関しては仕方ない。
「ま、優秀な生徒にちょっとくらいご褒美をあげたってバチは当たらないわよ」
「ありがとうございます」
サラ教官が快諾してくれて本当によかった。いくら店内でアルコールの入っていないドリンクだけを頼んでいたとしても、外部からそれを観測することは出来ない。万が一トールズ士官学院の学生が一人でバーに入っていったという話が持ち込まれたら、学院としてはそれを看過することは難しいし、訊かれたら私も嘘はつけない。
疚しいことをするつもりは毛頭ないし、ある程度の人数には信じてもらえるに足りるぐらいの成績とそれなりの品行方正さで学院に籍を置いているつもりだ。それでも軽率な行動に対する何がしかの処分は下ることになる可能性は高く、もしそうなったらティルフィルへも連絡がいくことになる。もちろん二人も信じてくれはすると思う、けれど、心配をかけることには違いない。
だから、万全を期すなら行かないのが一番いいのはわかっている。でも指がロックに慣れている間にちょっとだけ、もう少しだけ踏み込んでみたいと思った。ロック自体も好きになれそうだし、あの音楽を連れてきたのはクロウだから、もしかしたら何かどこかに触れられるかもしれないって、そう。
私は、クロウの過去についてなんにも知らないから。
「……ここ、ですね」
「そうみたいね」
描いて貰った地図と名前を照合して、目の前にある紫色の扉に小さな窓が嵌まった店の入り口に立つ。教官曰く飲み屋が開くには少し早い時間らしいけれど、目の前にした扉にあるプレートは"OPEN"と掲げられてそこにあった。
「ま、入ってみればいいのよ。違ったら梯子すればいいじゃない」
「あっ」
そんなことを言いながら教官が慣れたように扉を開けて入っていくので、閉まる前に私も店の中へ飛び込んだ。
初めて入ったバーという場所は薄暗くて、香りのついた煙がうっすらと残っている気配があって、全く知らない雰囲気の空間ですこしどきどきする。教官の後ろを追って行くとさっとカウンター席に座り、勧められるままに私は壁際の方に腰を落ち着けた。
カウンターの中にいる年配の男性は私たちを見てわずかに眉を顰める。私が明らかに未成年だからだろう。未成年をバーに連れてくる成人は碌なものじゃないと判断されているのなら教官に申し訳ない。
「いらっしゃいませ。ですがここは酒を出す店ですよ」
「あの、わかってはいるのですが、アルト通りにある喫茶エトワールの店主の方からこちらを」
紹介状を差し出したところで既に話を通してくださっていたのか、ああ貴方が、と受け取りながら合点がいったように頷かれる。よかった。
「では隣の人はお目付役の方ですか」
「ええ、でもあたしはお酒を飲むので」
「なるほど。わかりました」
一応紹介状に目を通してくれるようで、ペーパーナイフによって取り出された手紙をここのマスターだろう方が読む。文面を追っていったところで、ふっと笑みが溢れたのが見えた。
「ではゆっくり聴けるよう、注文をひとつ頂いてからかけましょう。何に致しますか? 紅茶、珈琲、あるいはフレッシュジュースもご用意出来ますよ」
マスターの方は大人である教官ではなく、まず私にそう尋ねてきた。このお出かけの主導権は私にあるのだと言われたような気がして、初めて入って緊張する場所なのに一人の人間としてきちんと尊重されているような感覚にすこし肩から力が抜ける。
「えっと、じゃあ、珈琲にミルクをつけてください」
「かしこまりました。そちらの方は?」
「じゃああたしは、彼女のリクエスト曲を聴きながら飲むのに適したお酒を」
そんな頼み方もありなのか、と少し驚いて教官を見た後にカウンターの方へ視線を向けたけれどその人は特に困った顔などはせずに頷いた。いろんなお酒が飲めるならそういう注文もありなんだなぁ、と一人で知見を深める。
「そういえば、この半年どうだった?」
「……最初は他四人の人間関係が出来上がっているところに放り込まれて鬼かと思いました」
忌憚のない感想を言うと、あっはっは、と笑われてしまったけれど、いやでも本当に自分以外の人間関係がそれなりに構築されているところにチーム面子として加われと言うのは些かちょっとひどいところがあるんじゃないだろうかと今でも思う。
「あの四人が仲良くなってたのは偶然なんだけどね」
「その四人で回そうって話にはならなかったんですか?」
その方が人間関係的に軋轢も生み出されにくく円滑に回るのが見込めたのではなかろうか。ああでも戦術リンクの基礎データを集めると言う意味では軋轢が生まれて破綻した方が、収集側としては美味しくはある。私がいなくてもクロウとアンの仲違いは起きただろうけれど。
「あるにはあったんだけど、ほら、あの四人だけだとあれじゃない」
「バランスはまぁ悪いですけど」
「そゆこと」
それでもアンやクロウがある程度はカバー出来るんじゃなかろうかと思う。現に私が山を走った時についてきてくれた二人だし。とはいえメインの斥候として働けるのは誰かと言われたら、四人の中にはいないのかもしれないけれど。その中で私はきちんと仕事を果たせていたと、思う。うん。それは自分を信じてあげないと酷い話になってしまう。
「だけど、そうね。アンタたちは期待以上だったわ」
「それは、レポートの成果としてですか? それとも」
「いろんな意味でよ。来年もやっていけそうだわ」
ということは来年もサラ教官はトールズにいてくれるのだ。いろいろまだ訊きたいことや教えてもらいたいことはたくさんあるので、ほっとする。もしかしたら風のようにいなくなって、来年度はいないんじゃないかとちょっと考えたりもしていたので。
会話の切れ目を見越してくれたのか、ことん、と静かに芳しい珈琲が目の前に置かれる。温められたミルクポットも。初めて飲む珈琲だから少しだけ口をつけて、味を見てから牛乳をそそぐ。くるりくるりと添えられたスプーンでかき混ぜたら茶色くなった液体が。
こくりと飲んでみると、美味しい。
「……サラ教官が、見えないところで私たちを守ってくださっていたのは知っています。本当にありがとうございました」
「あら。勘違いかもしれないわよ?」
「それでも。少なくとも教官がいてくれたから、あんな事件があっても課外活動が中止にならなかったんだと思っていますし」
猟兵絡みのあの案件は、下手をすれば本当にチーム解散の危機だったと思う。もう随分と前の出来事のような気がするけれど。私の言葉に、ふふ、と満更でもないように笑みがこぼされる。
「子供ってすーぐに大人になっちゃうわねえ」
頬杖をついた教官が目を眇めながらそう言う。
成長は、うん、出来ていると思う。さすがにあれだけの修羅場をくぐらされたら肝も据わるしヘルプだって出せるようになるし対話もするようになる。私が野山を駆けて偵察をするかどうかで対立した時、ジョルジュが言った『多数決じゃなくて話し合いで決めるべきことだ』っていうのはずっと私たちの芯にある。ああいうことをさらっと言える人がチームにいたと言うのは僥倖以外の何物でもない。
「こちらを」
会話の中に、無理なくそっと入ってくる声。細長い円筒のグラスに、綺麗な液体が収まって教官の前に提供される。マスターの説明を聞きながら教官は口をつけて、顔を緩ませる。おいしかったみたいだ。こんな風に隣で飲む人がいると、いつか自分も飲めるようになったらこういう場で楽しく静かに飲んでみたいなと思わせてくれる。
「ではレコードの準備をしましょうか」
そっとマスターがこちらに背を向け、カウンターにあった蓄音機に手を伸ばして準備を始める。音楽鑑賞といえば記録結晶も出始めて来ているけれど、それでもまだまだ回数制限のあるレコードが主流なのには変わりない。針を痛め、溝を削る。いずれは物理的に聴くことが出来なくなる記録媒体。
お店はまだ開いたばかりで店内にはマスターと教官と私しかいない。そういう状態で聞いていいものなのかというレコードに対する申し訳なさと、人の少ないところで邪魔されずに聴きたい音楽に耽る贅沢という欲ですこし頭がぐちゃぐちゃになる。いや、でも、聴きたい。
蓄音機の速度などもセッティングできたのか、丁寧に取り出されたレコード。蓄音機に嵌められ、針が、落ちる。
決して広くはない店内に音が響く。心地よい音量で、聴いたことのない音楽が流れる。耳に入ってくる。帝国の北にある土地から入ってきたまだまだ知られていない音楽ジャンル。どうしてそんなものをクロウが知っているのか私にはわからないけれど、でも、こうしていろんなところを歩くきっかけをくれて、世界を広げてくれたのは紛れもなく────。
「今日はありがとうございました」
何度も針を変えて音楽を聴かせてくれたバーの方には僭越ながらチップを包ませてもらい、11月とはいえはっきりと日も傾き始めた帝都を歩いていく。
鉄血宰相殿の強行策で先日から交通法が先行施行された帝都は見違えるようだ。街角にはHMPの方が立ち、横断用区域もきちんと整備され、通りを渡るのに困った顔をする人は全く見かけない。十年以上かけて帝国はようやく事態に環境が追いついてきているということだと思う。
それが嬉しくてうっかりトラムの駅を通り過ぎてしまったのだけれど、教官は何も言わずに一緒に歩いてくれている。
「あたしも楽しめたから、こちらこそ、ってところね。あれってクロウが持ち込んできた曲から趣味が広がった感じ? 学院祭でやったバンドの映像は見させてもらったけど」
「ご明察です」
「ふうん、君たちがねえ」
その言葉に少し引っかかりを感じる。
「教官、私とクロウは別に付き合っていませんよ」
「……えっ」
まるで意外なものを見るかのようにこちらに視線が向く。事実だ。
私とクロウの距離が近いものになっていると言うのは、まぁ、ある程度親しい人たちなら直ぐに把握出来ることだろうけれどそれでも、本当に付き合っていない。その為の口頭契約を交わしていない。いや世の中にはふんわりと恋人になるという事例もあるらしいけれど、少なくとも私たちの間にそれは当てはまらないのだ。
「そうなの? てっきり」
「教官でもそういうの見誤ることあるんですね」
「絶対そうだと思ったのに」
距離感でいえば、間違っていないのだろうけれど。あとはお互いの自認の話だけだから。
お調子者で、ギャンブルが好きで、女癖が悪いように見えて案外悪くなくて、でもナンパはいつもアンに横取りされて失敗して。かといって別に気遣いが出来ないわけじゃなくて、私が辛い時やぐちゃぐちゃになっている時には的確に手を差し伸べてくれる。
それと私の考えていることは大体お見通しされてしまっている気がして少し悔しい。私が特にわかりやすいというだけなのかもしれないけれど。
そんなクロウのことを明確に、好きだと、思う。だけどそれは単に表面を浚っているだけなんじゃないかと考えたりもする。知っているようで、何も知らない。触れることを許されるのかもわからなくて、こんな風に外から知っていこうと。臆病者なのだ。いやロックに惹かれているのはまた別の意味で本当の話ではあるのでこの辺は深掘りすると少し複雑になってしまう。
「ま、そうだとしてもいいチームに仕上がったわよ。見違えるほどね」
「半年間、ずっと見守ってくれた教官にそう評してもらえるなら嬉しいです」
「そういうところが真っ直ぐって言うのよ」
「本音ですよ」
「わかってるわ」
夕陽の中で笑う教官と一緒にご機嫌なまま歩いて、ヴァンクール大通りに出たのでもうこのまま駅まで歩きましょうかと言って徒歩で向かう。
案外と遠かったけど、話が尽きることはなく私たちはずっと笑っていた。