05
「あっ」
件の洞窟へ向かおうというところで、町を出て少ししてから大切な懸念事項を思い出す。
先頭に立っていたのでみんなを振り返り、クロウとアンゼリカに視線をやると二人とも何を言われるのか理解したのか分かりやすく顔をしかめた。
「もしかしなくても、そこの二人の戦術リンク破綻してるよね」
ARCUSを取り出して戦術リンクを手動起動しても、同期された端末内であれば見える筈のリンクが二人の間には浮かび上がってこない。
「まぁ私も決裂してるのを抱えてるからとやかくは言えないけど、危ないし、取り敢えずクロウはジョルジュと組んで、アンゼリカはトワでいい?」
「あぁ、そうだね、無難な分け方だと思うよ」
「オレもそれでいい」
斥候なのでリンクが繋がっているメリットよりは一人で動ける方を取った提案をしたのだけれど、突っ込まれずに承諾され、それぞれARCUSを操作してリンクを接続し直す。それを見届けて私はまた周囲警戒しながら歩き始めた。それにしても魔獣、いないなぁ。
「ここが例の洞窟?」
「おう」
私はもちろん、一番背が高いクロウでさえも立ったまま入れるだろう洞窟が、封鎖もされず、そこそこ人里に近いところにあるというのは奇妙な話だ。
入口近くで全員を停止させ膝をつき、地面に視線を落とす。残っている跡に手を翳しながら簡単な計測をして、自分の顔が歪んでいくのがわかる。蔦の向こうは真っ暗闇で、空気が向こう側へ抜けている気配もない。そして中には小型……一般的な犬程度以上の生き物はいないこともうっすら気取れた。
「……」
洞窟の入口には複数種の獣の足跡と、巧妙に偽装されているけれど、人間の、足跡。それも複数人分。
仮に人間の足跡が古いものだとしても、ここまで出入りがあるというのに洞窟の入口が蔦で覆われているというのは奇妙を通り越して不自然極まりない。いやな感じがするな、とぼんやり思った。
すると、ぽん、と肩を叩かれて見上げてみるとクロウが人差し指を口に当てながら、湖側へ行こうともう片手でジェスチャーをする。なんとなく意図を理解して、先に歩き始めていた三人の後を黙ったまま追った。
「で、何が見えたんだ?」
その言葉から、私の沈黙からヤバいことを感じ取り洞窟から離れる選択をしたのだと驚いた。自分の調査がそこまで信用されているということもそうだし、それを一人ではなく全員が疑わないでいてくれるということも。
それに気がついて、それを言語化出来てしまって、ぎゅっと思わず両手を握り締めてしまう。だってそうでもしないと、何だか目頭が熱くなってしまいそうだったから。
「……洞窟の前に、動物の足跡と、人間の足跡が複数人分あった」
あの凹み具合や靴の跡からして一般人というよりは、何らかの装備を持った人間であること。古さからして洞窟内に潜伏している可能性は低いけれど、それなりに出入りがあるのにもかかわらず蔦が繁茂しているのはおかしいということ。洞窟の中には現状何の獣もいないこと。
自分が察知したことを一つ一つ説明していく。もしかしたらこれは単なる思い違いかもしれないけれど、私は、私を信じたいと思うのだ。みんなの命を最初に預かる者として。
「……」
単なる自然現象の中の案件だと思っていたものに人間が関わってくる可能性が上がり、四人とも少し気難しい表情をする。それはそうだ。学生が対処できる問題なのかも怪しいということになる。
「サラ教官に一旦報告しよう」
トワが何か決めたかのようにそう言った。確かに。現状はまだわからないけれど、帝都区域憲兵隊や領邦軍の介入が必要になる可能性だって十分に考えられる。
既に通信番号を覚えているのか、淀みなくトワは通信番号を打ち込んでコールする。自分たちも会話を聞くためにトワのARCUSへ通信を接続し、程なくしてサラ教官の声が聞こえた。
『なるほどねぇ』
ある程度省きはしたけれど、トワの的確な説明が一段落したところで教官が理解の言葉を落とす。
『それで、キミたちはどうしたいの?』
どうしたい。問われて、そういえば考えていなかったなと思い至る。
『このままだと町長経由で憲兵隊に連絡して暴れ猪の方はそのまま討伐する、ってことになるわよ。あるいは、両方とも憲兵隊に任せるか、ね』
そう言われて、あの気配を思い出しそっとトワと視線が合う。あれに対峙するのもそうだし、もしかしたら人間のせいでああなっているかもしれない、と知った以上、ただ単純に討伐することが正義ではないだろう、とも考えてしまった。
自分たちで討伐せず、憲兵隊に任せるでもなく、全く別の道を。
「私は、このまま見過ごすのは気分が良くないな」
今まで黙っていたアンゼリカがそう呟いた。その横顔は、良い意味で貴族然としていて、学院の女子が熱を上げてしまうのもなんとなく場違いにわかってしまう。なるほど。
「トワも、出来ることならその暴れシシを森に返したいんだろう?」
「……」
午前中にあった討伐での出来事が脳裏をよぎる。そりゃまぁ、今まで街に住んでいた女の子が襲ってきたわけでもない生き物を討伐することに何ら思うところがないということも、ないか。ましてやまだ数時間前の話だ。
「ま、解決したいってんならオレも力を貸すぜ」
「もちろん僕もね」
二人がそう口々に意思表明をするので、自分も同意する。
トワは一瞬だけ俯いて、次に顔を上げたときは金糸雀のような色の瞳に、光が差し込んだような気がした。高潔な光。────嗚呼。きっと、誰も彼も、彼女のこの"色"に魅せられている。
「みんな……一緒に解決しよう」
『決まりね』
ことの成り行きを見守ってくれていた教官の言葉で、私たちはまた洞窟へと足を向けた。
「とは言っても、現状生き物の気配はないんだよね」
「それも妙だよね。こういう洞窟は何かの巣穴になったりしやすいだろうし」
洞窟を覗きながらもう一度伝えると、トワが疑問を提示してくる。まぁ小さなネズミとか虫はいるかもしれないけれど、そう、本当に妙なのだ。
ARCUSの便利機能として付いているライトを点灯させながら歩いていくと、10分もしないうちに最奥に行きついてしまった。やっぱり向こう側に抜けていない。空気の通り道がない。そして。
「これは……導力器、かな」
ジョルジュが膝をつきながら、足元にあるラジオぐらいの大きさの機械に触れた。まだ稼働しているようで、何だかカリカリと気が落ち着かない音を出している。洞窟自体は天然ものなのだろうけれど、明らかに異質なものだ。
「トワ、顔色が悪くないかい?」
「う、ううん、平気だよ、アンちゃん。それより、あの地面の筒みたいなのなんだろう」
アンゼリカとトワのそんな会話が聞こえてきて、照らされた方向にある竹筒のようなものを視認して、パチリパチリとピースがハマっていく。────。
「ジョルジュ、その導力器って持ち出せそう!?」
「あ、ああ、うん!」
「じゃあとりあえず持ち出して全員洞窟から離脱!なるべく呼吸しないよう!アンゼリカはトワを支えてクロウは自分と前方警戒!」
閉鎖空間でも取り回しのしやすいダガーだけは腰から抜いて洞窟を疾走する。それで理解してくれたのかクロウも銃を構えながら後方直ぐのところで並走し始めてくれた。歩いてもそんなになかった洞窟は、さすがに走ってしまえば直ぐに脱出出来るもので、警戒した入口にも何事もなく、そのまま視界が通る湖の方へ進路を取った。
「ごめん。失敗した」
唐突な撤退に応じてくれた四人の呼吸が落ち着いたところで、私はそう謝罪する。
「な、何があったの?」
いまだにすこし顔色が悪く、アンゼリカに付き添われ座ったトワの疑問は尤もだ。
「……ガスが充満してた、だな」
私が口を開く前にクロウが解答を差し込んでくる。紅い瞳がそうだろ、と聞いてくるので、黙ったまま頷いた。
「そう。たまに洞窟……鉱山とかでもあるんだけど、地中から出てきた天然ガスが溜まって、天然トラップみたいになっていることがあるんだ」
嫌な予感というのは当たってしまうもので。よくよく考えてみると『出て行った獣の足跡』があまりにも少なかった。加えてトワは私たちの中では一番体躯が小さく、身長も低い。空気より重いガスの影響をモロに受けてしまったんだろう。金糸雀のような瞳だからといって、そんな役割を押し付けるつもりはなかった。
「なるほど、そういうことか」
さっき持って出てもらった導力器を検分していたジョルジュから、合点のいった声が上がる。
「これ、おそらくだけど獣を誘引する音を出す装置だ」
その言葉にすこし利き手が緊張したけれど、もう電源が切ってあるのか今はカリカリとした音は鳴っていない。
「それは、あの場所に動物を集めていた存在がいる、ってことだよね」
「そしてそれはおそらく人間だということか。面倒極まりない話になってきた」
もしあのガスが致死性でないのなら動物は洞窟の奥で弱り、蹲るだろう。そこを襲えば自分たちは傷付かず、獣を傷をつけずに生体を手に入れることができる。毛皮目的にしてはさすがに迂遠すぎるのでおそらく別の目的があると見るべきだ。それは今の状態だと何かわからないけれど。
「一旦町に戻らねえか?」
クロウはそう提案しながらも、崖の上へ視線をやっている。あぁ、そうか。
「音の発生で気が立っていた可能性、だね」
「おう、そういうこった。ジョルジュのそれも回収するにしても荷物だしな」
そんなこんなで目的地も決まり、休憩も切り上げて動き出す。
腰のポーチに入れていた懐中時計を取り出してみると、針は15時を差していた。
トワの体調も考慮して"羽飾りの果実亭"へ戻り、荷物を預けるとともに奥まった対面ソファー席が空いていたのでそこを陣取ることに。ジョルジュ/クロウ、アンゼリカ/トワ/自分という無難な形で。
「ごめんね、みんな……」
「いや、そもそもガスに即気がつけていたらこんなことにはならなかったわけだし」
水を数杯飲んで落ち着いたのかグラスを両手で握りながらトワがそう謝罪を口にしたけれど、自分のミスによるものだということはハッキリさせておく。旧校舎から数えて二回目だ。
「まぁとはいえ斥候任せるってのはチームの判断なんだしよ、そこまで一人思い詰めることもねーだろ。重症化もしてないっぽいしな。これで降りるってのはナシだぜ」
「そうだね、クロウの言う通りだよ、セリ」
クロウとジョルジュにそう言われて、確かにまだ落ち込んじゃいられない、と自分の胸を軽く叩いて息を吐き、気を落ち着かせた。
「うん、頑張るよ。ありがとう」
失敗は得てして先に来るものだ。それを恐れるのなら経験や書物や人から知識を得て、次に繋げるしかない。
「それにしても結局謎の声っていうのは集団幻覚……というよりは、一種の集団パニック扱いでいいのかな」
「僕はその線が高いと思ってるよ。あの洞窟に人を近付けさせないための噂を流した集団がいるんだろう。メモを改めて読み返すと、大体三ヶ月くらい前から始まっているみたいだし」
「それに尾鰭がついて人拐いのウワサまで出たってか」
「結局行方不明者はいないって話だし、そうなんだろうね」
もしかしたらあそこで意識不明に陥った獣の声が洞窟内から聴こえてきていた、という可能性もあるわけだし。まぁバンシーとかの霊的存在じゃなくて良かったなぁとは思っていたりする。特にアンゼリカみたいな武器をほぼ介さない前衛がいる場合、敵性霊体への接触は精神汚染で何が起きるかわからないので本当によかった。
「取り敢えずこの後はその例の倒木の二本目まで確認しに行って、どうするか、出たとこ勝負ということになるのかな」
「アンちゃんの言う通り、それしかないかなぁ」
"アレ"を知っている身としては再度あそこへ行くというだけで少し身が竦んでしまう思いだけれど、もしかしたらという思いがそれなりに強くもあるので複雑な心境だ。
「あぁ、それについてなんだが、オレから提案ひとつ」
クロウが珍しく手を上げて発言するので、全員の視線が集まる。
「一人はバックアップに回すべきだろ」
バックアップ。主にこの状況で言うのなら、後衛の更に後ろ。前進後退を把握し、危険があれば離脱命令を即座に下せ、また壊滅した場合は教官へ知らせる役目になる。
「トワとセリが昼間に行って、危険を感じて帰ってきたってのには意味がある話だ。そこにもう一度顔を出そうってんならそういう準備はしておいて然るべきじゃねえかって」
その場におらず、冷静に戦場を俯瞰出来る立場。確かに私たちは学生であり正規軍人の方のように精神熟達をしていない面子であるわけで、そういう役割を担う人材は必要かもしれない。
「それなら」
「私がそれを担おう」
ジョルジュの声を遮って、アンゼリカが名乗りをあげた。
「四人中二人と戦術リンクが切れているのだから、私が後ろに回るのが適任だろうさ」
てっきりトワを物理的に守るために一緒に行くものだと思っていたけれど、そういう判断もするのかと驚いてしまった。いや、今日は驚きすぎだ。これじゃ自分が勝手に相手を決めつけていたといっているような……いや、実際そうなんだろう。
「いいのかい?」
「あぁ。それに話に聞く限り暴れシシと万が一戦闘になったら、ジョルジュの方が戦闘面において役に立つだろう。君はいざって時に盾にもなれるのだからね」
つまり生半な防御力では紙同然ということを言いたいのだと理解する。一理ある。
「だからこれは消極的な選択じゃなく、最善を考えた結果さ」
そう真っ直ぐ言い切る彼女は、ああ貴族なのだと、おそろしいほどに痛感した。
「私はそれに異論ないよ」
「そうだね、アンに考えがあるなら僕が前線に立とう」
「ったく、カッコつけやがって」
その信頼に今度こそ自分も過不足なく応えよう。
「私も少し話をしたいかな」
軽く手をあげて全員の注目を集め、それを確認して軽く咳払いをした。
「私は、今後全員が生還する道を絶対に諦めないって、今ここで空の女神に誓う」
自分を犠牲にすることは、策に上らせない。そんなのは残された側が困るだけだ。人員的にも、感情的にも。それでももしかしたら考えてしまうことはあるだろうけれど、採用はしない。女神に誓うことで自分の規範の外に置いておくことにした。
そんな私の突拍子もない言葉を、みんな真剣な眼差しで受け取ってくれる。きっとバレていたんだろう。何度か考えてしまっていたものを。トワやクロウには、特に。
「あぁ、よろしく頼むよ」
アンゼリカが真っ先に拳を差し出してくれて、私もそれに続き、全員の拳がそこへ集まった。
バックアップ通信を開始したままスピーカー機能もONにしたARCUSを、太腿につけているポーチへ蓋が閉じないよう細工してから放り込んで私たちは二本目の倒木の前に来た。アンゼリカ自体は後方1セルジュほどのところで馬をつれて待機している手筈だ。教官には通信が繋がらなかったので宿に伝言を頼んだけれど、伝わっているかどうかは知らないし、正直アテにするものでもないだろう。
「……」
倒木の向こうから溢れ出ている気配は例の倒木を倒したであろう獣と同じではあったけれど、あの時のような立っているだけで身が竦むような敵意は、なくなっている。
すう、と呼吸を整えてから制服の上着を脱ぎ、腰のベルトを外し、がちゃりと片手剣とダガー、ついでに腰の後ろにつけているカメラポーチ、ARCUSは抜き出してクロウに投げ渡してから端末ポーチもそっと下ろした。
その状態で一歩前に出ると、トワも導力銃とARCUSを地面に置いて私の横に立ってくれる。
果たして。今までどうやって隠れていたのか、と疑問を持ちたくなるほどの街道幅殆どを占有する巨体がのそりと森の向こうから現れた。まるで、森が隠していたかのように。
シロガネのような毛をもつ猪。大きなまなこが私たちを見据えた。
唾液を飲み込むタイミングがトワと重なったような気がする。それでも、私は、私たちはこの森の主どのの前に立つと決めたのだ。そうしなければならないと。そう。
もう一度深呼吸をする。
"森の主"に相対するには、恐怖ではいけない。憐憫でもいけない。ましてや威圧でもいけない。あっていいのは自然に対する敬意と正しい理解の上にある畏怖だ。
音はない。風も、鳥の声も、導力車の音も、湖面がさざめく音も、葉が擦れる音も、なにもかにも。だからか自分の鼓動の音がやけに大きく聞こえた。
見つめ合いは、幾ばく続いただろう。もしかしたら数秒かもしれないし、十数分以上かもしれない。それほどまでに圧縮された緊張は、巨猪の一歩で物理的に踏み破られた。歩くだけで振動が伝わってくるそれは、倒木の上へ乗り上げ、樹木を破壊する。後ろの二人が警戒するのがわかり、私もそうするべきかと利き手を緊張させ覚悟しかけた。
────けれど、トワは動かなかったのだ。
そして踏み出した巨猪は、倒木よりこちらへは来ないまま数歩後退し、また、前へ出る。まるで地面を倒木を踏み均しているかのような、動きを。
それを眺め続けてある程度終わったところで、巨猪は私たちなどまるで最初からいなかったかのように、何をするわけでもなく、森の奥へと帰っていった。
「……っ」
声にならない悲鳴とため息をもらしながらトワの体が傾くのが見え、下から入り込むように支えようとする。けれど、あたたかな体温とともに自分の体もそのまま落ちて。
「あれ……ご、ごめんね」
「いや、よく動かないでいられたね、トワにセリ」
「ああ、よくやったよくやった!」
つまり支えたと言っても自分も崩れ落ちているようなもので、ジョルジュのやさしい声を聴き、髪の毛をぐしゃぐしゃするクロウにされるがまま、遠くから聞こえてくるアンゼリカの心配する声に、顔を見合わせたトワと一緒にただ笑っていた。
森の主である巨猪に、私たちの意図が伝わったのか確かめる術はない。
それでも、人間すべてが森の生き物に害を為そうとしているわけではない、という程度は伝わったのではなかろうか。倒木を踏み越えて来た故に追い返した人間が、獣の悩みの種である装置を取り除き、武装を解除して進み出たことの意味を。そうだといいと、思う。
とはいえ獣がどうしてあんな面倒な形で集められていたのか、どこに連れて行かれたのか、どういった組織が行動しているのか、そういう人間的な側面は一切合切不明で、手がかりといえばジョルジュが回収してくれた導力器ぐらいなもの。
取り敢えず、巨猪が踏み潰した倒木の破片は全員である程度端に押しやって片付け、町に近い方の倒木は向かう際には残しておいていたのでジョルジュに壊してもらった。そうして町長殿にもあらかたの顛末を(主にトワが)話したところで、私たちの今回の課外活動は一旦の終わりを見せたと言ってもいいだろう。
「はぁい、お疲れさま」
五人で町長宅から出てきたところで、サラ教官がタイミングを見透かしたかのように立っている。いや、実際見透かしているんだろう。この人は。はっと気が付いてポーチから懐中時計を引き出すと、18時。そんなに明かりもないラントの夜は早く、陽もだいぶ傾いて暗い。
「初めての実習にしてはよく頑張ったじゃない」
「……まさか、かなり拗れてる案件だって知ってて渡しました?」
「いやいや、依頼内容は町に一任しているって言ったじゃない。そんなに信用ないかしら」
その言葉に、あるわけないだろう、という心の声が数人でハモったような気がした。
「まぁそんなことはいいわ。取り敢えずこれからトリスタに帰って、そのままレポート仕上げてくれるとおねーさん助かるんだけどなぁ」
「はぁ!?」
「今から急いで帰って徒歩だと最速20時ですよ!」
「さ、サラ教官、さすがにそれは」
クロウの驚愕の声から始まり、温厚なジョルジュやトワの珍しい抗議の声が教官へ。
明日の準備だってあるし、予習もしたいし、そもそも夕食だって食べたいのに。どこにそんな時間があるというのだろうか。
「もー、士官学院生なんだからこの程度で文句言わないの」
いや、さすがに、言ってもいいのでは?
そんなことを思いながらどうやって教官を説得するか頭を巡らせていると、後ろの家からそっと玄関扉の開く音がした。結果を言うと福音だった。
「全く、町長のご厚意に甘えすぎよアンタたち」
とか言いながらちゃっかり自分も送ってもらっているのだから抜け目ない。
現在18時23分。この時間なら余裕でキルシェは開いているし、ご飯は人が作ったのを食べられる。この状態で自炊したくないのはもう第二学生寮勢の言外の一致だと勝手に思っているけれどどうだろう。第一はよくわからない。
「いやでもまさかトラックの荷台で運ばれるというのは中々ない体験だった」
「だけど確かに全員運ぶにはいい案だったね」
貴族であるアンゼリカも、意外にジョルジュも、帝都住みだったトワも、何気にクロウも、トラックの荷台に乗ったことがなかったらしい。四人とも降りた時にお尻を押さえていたのはちょっと可愛かった。サラ教官はさすがに涼しい顔をしているけれど。
そう、あの後出てこられた町長殿に話を聞かれてしまっていたようで(いやまぁ玄関出たすぐのところで若干の大声で話していたこちらが十割悪いのだけれど)、よければトリスタまでお送りしましょうか、と提案してくださったのだ。そうして当初よりずっと早い時間帯に帰ってこられた、というわけだ。うん、導力車は、……いいものだ。
「取り敢えず、キルシェ行く人ー」
トリスタ駅の近くにある夜もやっている喫茶店の名前を出して挙手を募ると、1、2、3、4、5……5?
「って、何で教官まで手を挙げてるんですか」
「えー、いいじゃない。別に一緒にご飯食べようとかは思っちゃいないわよ」
それならいいですけど、と別に教官と食べるのが嫌なわけではないけれど、なんか、なんか、嫌な予感があるというか。いやまぁいいのだけれど。
まぁもうお腹の限界なので気にせずぞろぞろとキルシェに移動すると、時間帯のおかげか他の一年生もいて私たちのやつれ具合に何かを察したのかとても労ってくれたのは嬉しかった。いや本当に。持つべきものは友人である。そうしてご飯をたくさんたくさん食べて、結局もう覚えている間にレポートを書いてしまおうと五人でわちゃわちゃしながら、戦術リンクのデータをまとめたり記録を出したり、トラヴィス湖とラント周辺の地図をレポート用紙に手描きしたり、そんな阿鼻叫喚の中、レポートは着々と出来上がっていった。
「いやー、生徒の悲鳴の横で飲むお酒は美味しいわね~」
「それが目的ですか鬼ー!!!!!」
たっぷりと時間を使い、店を出たのは22時だった。やばい。レポートはその場でサラ教官に提出して退店してきたわけだけれど、お酒を飲んでいる人に提出したものはきちんと受理されるのだろうか。まぁでもいざとなったらフレッドさんや他の生徒が証人になってくれる。
はず。
そんなことを考えつつゆるゆる五人で他愛無い会話をしながら歩いて、学生寮の分岐点まで。
「また明日」
そう各々声をかけたりかけなかったり手を振ったり振らなかったりしたところで。
「セリ」
引き止められた。トワではなく、自分が。寮の方向へ向けかけていた爪先を戻してアンゼリカを眼前に捉えると、特に何も言わないので聞き間違いでも言い間違いでもないらしい。
「近いうちに時間をくれないか」
その真っ直ぐな瞳から、何を話したいのかわかってしまった。
ということは、つまり、自分が話さなければいけないことも自動的に確定してしまうわけで。……この課外活動を経る前なら、自分はこうして呼び出されたとしても何かにつけ断っていたかもしれない。だけど。
「いいよ。明日の授業が終わったあと……16時ぐらいに旧校舎のところとかどう?」
「うん、それでいい。ありがとう」
私は私の意思で、個人として、アンゼリカに向き合いたいと、強く思ったのだ。
……思ったから、頑張れ、明日の自分。