47
1204/01/上旬某日
ティルフィルに帰ってきてからは、年末年始は毎度の如くトラブルも多いのでそれの対応人員として駆り出されたり忙しい日々を送っていた。12月の晦日は叔父さん主催の一年お疲れ来年もよろしく宴会のために家の一番大きな部屋から家具を移動させたりして、たくさんの人が入る立食形式のパーティをしたり。いつからかそういう時に戦力に数えてもらったりして嬉しかったことをなんとなく思い出した。
「っかれた……」
それでも酔っ払いの集団の相手というのはえてして疲れるもので。晦日に宴会をしたのに年始にも宴会をしていて、叔母さんが救出してくれたからふらふらと自室に戻ってベッドに倒れ込んでしまった。もう動きたくない。つかれた。懐かしいし楽しかったけど久々のあのノリは体力を使ってしまう。
みんな顔馴染みの職人さんたちで、私が帝都近郊の学校に行ったのが心配みたいですごくとてもかなりいろんなことを聞かれてしまった。というか完全に酒の肴にされた。だけど心配されるようなことはあんまりない……こともないけれど今は解決しているし、事故には遭ったけれど私は軽傷だったし。でも、やっぱり、帝都の事故っていうとみんな昔のことを思い出すみたいで、案外それについては訊かれなかったな。よかった。
あ、そうだ。家にいる間にやっておきたいことがあったんだ。明日も何かありそうだし、タイミングを逃さないようやっておこうかな。
のろりとベッドから立ち上がり、のたのたと足を進めて扉脇にあるコートラックへかけておいたポーチからARCUSを取り出す。使う予定もないから入れっぱなしだったけど、良くなかったかな、と思いつつ目的もなく出して入れ忘れたらそれはそれで結構大事だからまあいいかと自分を納得させた。
そのまま壁際にあるいつもの座卓の前に座って、あらかじめ叔父さんから借りておいた金属用の彫刻刀に手を伸ばし用意する。ARCUSを開くとカバーの裏には何度も取り替えたみんなの端末番号を記した紙。ジョルジュに整備してもらったり、色々する度に剥がしてから渡すのだけれど、さすがに面倒になったのでカバー内側に刻んでしまおうと思ったのだ。一応RF社にも問い合わせたけれどOKの返答はもらったし。
ARCUSのカバーを外し軽くしたところで、カリカリ、とペンのように持ったそれで紙の一番上にあるトワのをまず刻み始める。
結構かけることも多いのでもう指が覚えてしまっているけれど、ド忘れすることもたぶんある。連絡帳とか開いている暇がない時もあるだろうし。こういう意味ではなんというか、ワンボタンで登録した端末へ通信をかけられたりしたら便利なのにな、と考えたり。でも物理ボタンだと登録できる数が限られるので逆に不便かもしれない。
トワにはもういろんなことでお世話になっている。
課外活動のレポートの作成もそうだったし、グレンヴィルで二手に分かれた時に領邦軍を動かす手配をとってくれたり、あとはやっぱり印象深いのはルーレ活動時に鉄道憲兵隊を相手取って交渉してくれたこととか。そして、恋が破れた私のことを本当に、丁寧に、心配してくれた。涙をこぼす私の心に寄り添って、それでいいんだよと言ってくれた。私がクロウを好きだという感情を否定せずに、クロウが私を振ったことも否定せず、ただ隣にいてくれたというのがあの時の私にはどれほど嬉しかったことか。
だけど私はそんな優しいトワの命を危険な賭けに巻き込んだ。ルズウェル、六月二十八日のこと。クロウのおかげでもう夢は見ないけれど、それでもたまに考えて心にしっかと刻みつけている。何かあれば彼女のために命を張ろうって。それは、例の生存の誓いよりも私の深いところにある。
他人の命を勝手にベットしたのだ。それでもきっとトワは気にしないでというだろうからこれは私のエゴで、それがどうしても、譲れない。もちろんそもそもそんな事態にならないよう頭を働かせて、状況の悪化を避けるようにはするつもりだ。別に死にたいわけじゃないし……クロウに言わせたら私は他人のために身体を張りすぎらしいけれど。
トワの番号を刻み終えて、一旦彫刻刀を置く。最近は機械工具ばっかりだったから逆に手に力が入ってしまっているみたいで、もにもに、と持っていた手の親指の付け根を揉んだり指を伸ばしたり、少しストレッチをさせてやる。
次はアンだ。
アンは本当に、なんというか、仲良くなれると思わなかった。
私の一番触れられたら嫌なところに真っ先に触れてきて、悪気もなくルッキズムをかざして、そのことに心底嫌気がさしていた時期が短くもあったのは確かな事実だ。それでも彼女はARCUS試験運用チームの一員として原因をなんとかしようと私に対話を試みてくれた。貴族がだ。もうそれだけで私にとっては、うん、天変地異みたいなものだった。もちろんそれまでにフィデリオと交流したりして、貴族の中にも話のわかる人がいるのだという偏見の払拭はある程度進んでいたのはある。それでも私は彼女に人の意思を確認しようともしない人間だとレッテルを貼ってしまっていたから、本当に自分を恥じた。
そうして、友人ではなくとも背中を預けられる仲間の第一歩を踏み出せたと思う。
でもやっぱりあれかな、アンでいの一番に思い出せるのはお泊まり会の時の表情。口々に褒めたら慌てたようにして、頭を撫でたら顔を赤くしていたこととか。あれは可愛かったなぁ。アンは女性の中では結構身長が高めだし、本人の気質もあってあんまりああいうことをされてこなかったんだろう。嫌がるならもちろんしないけれど嫌がっている気配はなかった、と思う。うん。アンはそういう時きちんと言ってくれる……そういう間柄を今なら築けていると信じたい。
は、と息を吐いてまた少し休憩を入れる。あと二人分。
ジョルジュは技術的なところはもちろん、なんだろう、個人というよりチームをそっと支えてくれている気配がある。
ARCUS試験運用チームの指揮官相当なのはもちろんトワだろうけれど、帝国におけるルーレが屋台骨という言葉を借りるならジョルジュは私たちにとってのそれだ。骨組み。基礎的な部分。彼がいてくれなければこのチームは空中分解をしていただろうということが何度もある。もちろん、最初から参加が決まっていたという話からジョルジュがいなければ成り立たない特殊活動だというのは理解しているけれど違う。そういう話ではなく。
クロウとアンの諍いをトワと一緒に止めてくれていたり、あるいは反対派と賛成派が2-2で分かれた際に反対賛成を求められたら対話をするべきだと諭したり、学院祭の講堂ジャックではドラムとキーボードという違いはあれどお互い音楽の下支えをしたり。
リンクを組んだ時も安定感が段違いだと思う。私は基本的に回避特化の盾だけれど、ジョルジュは鋼鉄の盾だ。攻撃を受けることが前提になっている。だから組んだ時は回避に専念するのではなく、敵の急所を刺すことだけに思考を回していればいいというのはかなり楽というか、助かる。後衛陣としてもジョルジュの存在はありがたい限りだろう。精神を乱さず駆動し切れる──それは引いて前衛の私たちに恩恵が降り注ぐ。例の試験戦闘でも、教官二人を前にしてもトワのそれが精神起因で途切れることはなかった。
だから、共に戦場に立つパートナーとしてジョルジュは心強い。
ジョルジュのを刻み終わったところで、ふあ、とあくびが出てきたので、この状態で刃物を扱うのは危ないとまた一旦止める。階下に降りて珈琲でも淹れたいけれど、降りていってまだ起きている人に絡まれたりしたら面倒だなとちょっと考えて、気配を探って、まぁ大丈夫かと立ち上がった。
冬用の室内履きを足に引っ掛けて、二階にある自室から降りて行きそっと台所に入るとコンロに鍋がある。美味しそうな気配がしたので蓋を取ってみるとベーコンの入った野菜スープだ。……夜中にスープ。若干葛藤したところで、ぐう、とお腹がちいさく鳴るのを自覚する。つまり仕方のないことなのだと己に言い聞かせてコンロのツマミを回し鍋をあたため始めた。このコンロは家庭用導力器としてすぐに各家庭に普及したものらしいけれど、普及前はもっと原始的で面倒だったらしく技術の発展はすごいなぁとしみじみする。
鍋の底が焦げ付かないよう時折かき混ぜながら、いい感じに温かくなったスープをカップに注いで台所に置いてある簡易椅子に座って一口。おいしい。じんわりと身体があたためられる感覚に、これも冬ならではの贅沢だなぁと思う。
匙で具材を掬いながら堪能していると台所に近づいてくる気配が一つ。
「まだ起きてたの?」
そう言いながら入ってきたのは叔母さんで、ちょっとやりたい作業があって、と笑えば、そういうところは本当に兄さんに似てるわよね、と苦笑されてしまった。私は幼くて覚えていないけれどどうやらそうらしい。血の繋がりというのは不思議なもので。
「ね、クロウ君とどうなの?」
叔母さんもスープを自分の分注いで、私と同じように簡易椅子を取り出してきて近くに座る。
どう、どうとは……?
「学院祭で『オレなりに大事にします』って言ってくれてたから進展あったのかなぁって」
おっとそんなことを言ったとは聞いていないな!というか学院祭って一応正式には告白を受ける前なのだけれどその段階で人の外堀を埋めようとするのはやめてほしい。そもそもそういうの嫌がりそうな気がするんだけど案外、案外なんというか、私が思っている以上に愛されているのかもしれないと思ってしまって顔が赤くなるのがわかる。
いやしかし学院祭時だし、オレなりに仲間として大事にします、の意味では?と思っていつの間にか落ちてしまっていた顔を上げたら感慨深げな表情が見えてしまった。
「……そっか」
私は何も言っていないというのに、叔母さんは理解顔で私の頭を撫でてくる。一応反論しようとはしたけれど、正直その理解が間違っている気もしないので訂正もできない。なでり、なでり。可愛がるような、子供をあやすような、やさしい指先。幼い頃から私を慈しんでくれた指先。
「私たちはいわゆる血の繋がった子供が出来なかったけど、兄さんたちが懸命に守ったあなたをこうして育めたことは、本当に幸せなの」
「……」
カップを持つ両手に、僅かに力が入る。
叔母さん叔父さんに子供が出来ないことを、幼い頃は自分がいるせいなのではないかと考えたこともあった。だけどそんな二人じゃないと今ならわかっている。そして、実子であろうとなかろうと、二人は確かに私を愛してくれた。時にはきちんと怒ってくれた。家のことに巻き込んでくれた。私の世界から消えた家族というものを、もう一度一緒に構築してくれた。
「あのね、叔母さん。父さんや母さんが亡くなったのは、すごく、悲しいことだし、今でもまだもしかしたら整理がついていないことかもしれないってたまに思う」
だけど。
「二人に育ててもらって、私もしあわせだよ」
それだけは間違いのないことだから、ちゃんと伝えておきたいと、思った。そりゃ多少は恥ずかしいけれど、でもそれは感謝を伝えられないことに比べたらなんでもないことなのだ。
「士官学院に進学を決めたのは、まぁ、その、家を出る準備みたいなものではあるんだけど、それは二人が嫌だとかこの街が嫌だとかじゃなくて、自分の足で世界に立ってみたいって思ったからで、だから」
「……うん、わかってる」
そっと叔母さんはカップをコンロの脇に置いて、ゆるく立ち上がり、私の頭を抱きしめた。とくんとくんと鼓動が耳に響いてきて、頭を軽く預ける。
「あなたが世界を識りたいと思うのは止められないし、止める気もない。でもいつでも帰ってきていい場所でありたいから、それだけは覚えていてね」
「────ありがとう」
そう言ってくれる人がいるというだけで、私はきっともっと高く跳べるのだ。
それから二人で洗い物をして、洗面所に寄ってから部屋に戻って机の前に腰を下ろす。叔母さんのおかげで目もそれなりに冴えたし、今夜中にやり切っちゃおう。最後はクロウだ。
そっとARCUSを片手にカリカリと金属に刻みをつけていく。最初からそうではあるのだけれど、自分だけのARCUSという気分が高まっていく作業だ。11月の正式通告までは完全に貸与品だと思っていたから多少不便でも紙を挟んでいたのに。でもそれも私たちの活動が認められた結果だろうので嬉しいことには違いない。
そっと削りカスを刷毛で払ってから、刻み途中の番号を指先でなぞる。
……クロウ、は、本当にどうしてこんな関係になったのかわからない。それでもこうして考えるだけで心臓はやっぱり跳ねてしまうし、好きだなって気持ちがとどまることを知らないかのようで、少し困ってしまうぐらい。
自覚したのは10月の、あの出来事がきっかけだ。それは間違いない。夕陽に照らされるクロウの髪がきれいだったことをよく覚えている。私がこれはプライベートな話だから自分で解決しないといけないと思っていたことを、まるで何でもないことのように他人を頼っていいんだと方策を見出してくれて頼もしかった。きっとクロウにとっては本当に何でもないことだったんだろうけれど。
5月にあった戦闘訓練にしたって、真正面から私と向き合ってくれた。私が女だからということもなく、いつもつるんでいる相手だからということもなく、徹頭徹尾容赦なく叩き落として銃口を突きつけてきた。そう真剣に対峙してくれたクロウには感謝しかない。
こう言ってはなんだけれど生活態度としては傍から見る分にはチャランポランなのに、感想戦に付き合ってくれるマメさとかもずるいと思う。感想戦に付き合えるというのは、つまりその場その場の行き当たりばったりではなくきちんと思考して戦っていたということに他ならない。瞬発的に発動する戦技とかもあるけれど、それでもそれは意識に乗せなくても出来るようにしていたことなのだ。一挙手一投足に意味を乗せていなければ、感想戦を交わすことは難しい。無意味な動きは死に繋がる。
その観察眼を信じて私はルズウェルであんなことをしでかした。あれをやり切れたのはどう考えてもクロウのおかげだ。私の意思を過不足なく汲み取って、不安なところはきちんと改変して作戦を起爆してくれた。そうして、流れではあったけれどハザウでは精神のフォローまで。たぶん、あの時から、その少し前から、クロウの横だと深く息が出来るような、そういう心持ちがあったと思う。戦術リンクの相性がいい、命を預け合う相手として。
そうしてルーレで、クロウは私のことを相棒と呼んでくれた。
いま、思えば。いろんな話を統合すれば、もしかしたらクロウは私との関係性にそう名前をつけることで自分の恋心を封印しようとしていたのかもしれない。だけどそれに私はちっとも気が付かず、ただただその言葉を享受した。どうしてクロウがそうしようとしたのか具体的なことは全くわからないけれど、そうしようとしたのは事実なんだろう。
だけど私はそんなクロウの思惑に反して恋を自覚してしまって、10月は本当にいろんなことがあった。驚くほどに。学院祭でベースを奏でるクロウは格好良くて、今思い出してもちょっと悶絶しそうになる。
かと思えば街の子どもたちと真面目に遊んだりしていて、フレッドさんとはギャンブルの話で盛り上がったりもして、でもその幼く見える横顔が今は可愛いと感じてしまう。感情というのは厄介だと、つくづく。
そういう一つ一つの積み重ねが、私の恋を育てたのだと思う。
だから、どこが好きなのかと問われても、ちょっと困ってしまう。あえて言葉にするならやさしいところとかわいいところ、になるのかもしれないけれど、なんかそれも違うような気がしてならない。
私がそう悩んでしまうので、クロウもそうなんじゃないかなと考えているけどどうだろう。でもいつか訊いたり話してみたいとは思う。どういうところを好きになったのかとか、いつ自分の感情に気が付いたのかって。一言じゃなくてもお互いじっくり話せる日があったらいい。
グランローズはもうとうに枯れてしまったけれど、あの色は、記憶の中では褪せないままだ。
刻み終わった箇所をまた刷毛ではたきバリ取りなどの最後の処理をして、カバーをARCUS本体に合流させて忘れないようポーチに。そうしてその日の作業は終わりを迎えた。
ベッドにもぐり込んで毛布にくるまる。学院の再開が待ち遠しい。