[完結]わすれじの 1203年   作:高鹿

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04/27 歩み寄り

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1203/04/27(月) 夕方

 

授業も終わり、いろいろ覚悟も決めて、旧校舎に足を向ける。

技術棟の前を通り、入るだけでうっすら周りが暗くなったような気がする道を抜け、手入れされていない樹木と落ち葉が軽く続く場所を通ると、アンゼリカはもうそこにいた。普段はすこしルーズだというのに、こんな時には遅刻をしない。

 

「来てくれてありがとう」

 

あからさまにほっとしたような気配を隠さないものだから、ああこういうところが人気の秘訣なのかな、いやどうだろう所謂王子様ムーブではないし見せないか、と考えてしまったり。現実逃避をしたいともいう。

私が彼女の前に立つと、真っ直ぐな視線が突き刺さる。

 

「端的に言おう。戦術リンクが決裂した時のことについて話がしたい」

 

うん。アンゼリカが私を呼ぶ理由なんてそれだけだろう。

 

「……たぶん、君にキツい物言いをすることになると思うよ」

「構わない。何を言おうと、権力を振りかざし罰することはないと女神に誓おう」

 

それで引き下がるような相手ではないとさすがに理解しているというのに、こんな、言葉を。わかってる。これは単なる引き延ばしで、何か意味のある時間稼ぎでもない、本当に生産性のない行為だって。

口の中に、唾液が溜まる。頭の中がぐるぐるして、平衡感覚が失われそうな気さえする。

私はすこし俯き、体の前で遊ばせていた両手を、握って。

 

「私は、正直に言うと、君がよくする行為について、好意的に見れていないんだ」

「……」

 

こういう話をする時、きっと真っ直ぐ相手を見た方がいいのかもしれない。誠意とやらを伝えるためには。それでも、私は……怖かったし、どうしても目が見られなくて彼女の黒い革靴の爪先だけを眺めていた。そこさえわかっていれば相手がどう動くのかわかるから。

 

「相手が肉体的に女性の際、その容姿をジャッジし、自分の好みであらば己のテリトリーに入れて、あまつさえ愛でるというわけのわからない視点から相手の体に触ろうとする」

 

声は震えているのに、飛び出し始めた言葉は止まらない。

 

「……わた、しは、自分のこの顔が概ね好意的に見られる容姿だっていうのは流石にここまで生きていれば把握しているけれどそれでもそんなジャッジをされたくないし自分の体に触れられたくない。あなたのルッキズムに私を巻き込まないで欲しい。……それに、」

 

自分で続けておいて、言葉に詰まる。舌が乾いて、だのに冷や汗は背筋を通り、指先は冷たくなる一方で。唇を一旦引きむすんで、奥歯を噛み締める。

 

自分の心の、やわらかい場所に、ふれなければならない。

それは本当に怖いことだ。恐ろしいことだ。ズタズタにされたら、当分抱えなければいけないのは自分なのだから。もしかしたら、下手したら、一生。

 

「……これは、八つ当たり、なん、だけれど、…………貴族というのが、わたしはこわい」

 

幼い頃の記憶が高速で蘇る。

母が、父が、わたしに覆い被さって、暗闇をつくったことがある。その記憶以降、彼らがわたしの世界に生きて出てくることはなかった。ぽん、と、チェスの駒を取り除くように、消えてしまったのだ。それで、この話はおしまいになってしまう。

だからこれは、後から聞いた話だ。今お世話になっている父方の叔父叔母から。繁忙期も終わった冬の明け、春先に、久しぶりに休むことができた母と父と帝都へ三人で遊びに行った時、貴族が運転させる導力車が突っ込んできたらしい。それからわたしを守ろうとして二人は亡くなったのだと。そうして、その事件は、揉み消されたとも。叔父叔母もきっと頑張ってその証言を集めてくれたのだろう。それでも、この帝国で身分というのは絶対だ。いくらすこしお金があったとしても、敵に回せるものは限られている。

わたしの世界から、わたしのたいせつな人たちはいなくなったのに、世界は相変わらず回っていて、意味が分からなくて、どうしようもなくて。

 

「……」

 

もちろん、アンゼリカにそんなことは関係がない。わかっている。理解している。それでも。

『貴族だからその振る舞いが許されているわけではない』とは、完全には誰にも言えないだろう。貴族というのはいるだけで"力"なのだ。たとえそれを相手に対して言語化などしていなくとも。事実、私は、問われるまで彼女の振る舞いを『力あるものの振る舞い』としていた。

本来であれば貴族というだけならここまで恐怖も抵抗感も抱かないけれど、アンゼリカは条件を満たしてしまった。双方にとって運が悪かった、ということなんだろう。

 

「そう、か」

 

思い出話などは特に語ってはいないけれど、私の様子と言葉で、何となく何があったのか察したようだった。そう、察することができるぐらい、"よくある"話なのだ。それでもたとえどれだけ起きていたとしても私にとっては巻き戻せない一回だった。ただ、それだけ。

 

沈黙が落ちる。

結局私も何を言われたいのか、言いたいのか、わからない。ずっとあの頃から心はぐちゃぐちゃなままなんだ、と改めて突きつけられたような気がした。

 

「まず一つ」

 

しばらく考えていたのだろうアンゼリカの声が真っ直ぐ飛んでくる。私はいまだに顔をあげることが出来ないで、ぎゅ、と自分の手の指先同士を絡めて掴んだ。

 

「話をしてくれて、ありがとう」

 

ありがとう。

理解語彙ではあるけれど、浸透するのに、すこし時間がかかった。

 

「自分の行動を完全に変えるのは難しいが、君に対してそれを行わない、というのは私の裁量内で確実に出来る約束だ。今まで不快な思いを、そして我慢させてしまったことを、申し訳なく思うよ。すまない」

 

その誓いに、すこし、肩の力が抜けたような気がする。ああ、私は、ことここに至っても、彼女が私に勝手に触れてくるのではないか、と警戒していたのだ。

 

「だが、関わらないというのは、無理だろう」

 

俯いたまま聞いていた言葉がそう続き、思わずすこし目を見開いて相手を見る。空色の瞳と視線がかち合う。関わらない話に、どうしてなるのだろう。

けれど私の驚いた顔をとんでもないことを言い出した的な否定だと見たのか、珍しく一瞬視線を横に滑らせて、口を開く。

 

「ARCUS試験運用において、私はいま戦術リンクの決裂を2つ抱えている。そして君への影響を考えると抜けるべきは私の方だ。けれどそれは」

「────アンゼリカ、それは、違うよ」

 

声は、震えずに出た。

 

「ARCUSの戦術リンクは確かに画期的だけれど、それが繋げられる相手が限られるのも確かで、リンクの破綻さえも有用なデータになる。私はそもそも君にこの課題から降りてもらいたいなんて思っていないんだ。……その、いま驚いたのはそういう方向性の話になると予想していなくて面食らったというか」

 

ごめん、とフランクな謝罪が自然に口をついて。

 

「とにかく。これからも……いや、改めてこれから、よろしく、アン。でいいかな」

 

相手の利き手に合わせた手を出して、握手を求める。その手を見下ろして、一瞬、本当に一瞬だけ泣きそうな顔をした彼女は、だけど直ぐにその表情の形を潜めさせて、私の手を取ってくれた。

 

「ああ、よろしく、セリ」

 

────そうして、また、彼女との"繋がり"を把握する。

それはきっと戦術リンクを起動させた見た目としては何にも変わらないのだろうけれど、破綻する前よりもずっと上手くやれるような、そんな妙な確信があった。

 

「なぁ、セリ」

「うん?」

 

握手を交わしてもう戻ろうとしたところで、またもや引き止められる。見えた笑顔はわりととんでもないことを言い出しそうな気がして、憚ることなくすこし渋面を作ってしまった。

 

「せっかくだしちょっと確かめて行かないか、リンクを」

「え、まぁ、うん、いいけど。街道にでも出る? さすがに危なくない?」

 

とはいえ昼間だしまぁ教官の誰かに声をかけてから出る分には問題ないだろうか。

 

「いやいや、実は旧校舎の窓の鍵をこの間入った時にちょろっと外しておいてね。何かに使えるかもと思って」

 

"何かに使えるかも"……深くは考えないでおこう。

とりあえず手招きされるままに藪をかき分けて旧校舎のサイドへ回り込み、すこし高いところにある窓へ取り付いたアンはそれと多少格闘して開ける。ダイレクトに埃が落ちてきて、ごほ、と咳込んでしまった。

見上げた窓は開いていて、人一人が通る分には何ら問題ない状態を示される。

 

「……わるいやつだな~、君は」

「知っていてここを指定したんだとばかり」

「単に人が来ないところを選んだだけだよ」

「じゃあ入らないかい?」

「いや入るけどね」

 

友人とも言えない間柄の私たちかもしれないけれど、まぁ、他でもない自分自身が楽しそうだと思ったし、何より本当に今直ぐにリンクを試してみたくて、私も旧校舎の中へ入り込んだ。

 

 

 

 

「そういえば、課外活動中にクロウと何かあったのか聞いてもいいの?」

 

二人とも特に何も言わないし、別にそれで活動が困難になるほどの決裂を含んでいるわけではなかったので活動中の追及はしなかったけれどすこし気になってしまった。

話をしながらアンに飛びかかろうとしていたコインビートルを蹴りで吹っ飛ばし腹を見せたところで切り刻み、アンはアンで私の右後ろから来ていた飛び猫のキックを籠手で弾き返し掌底を喰らわせる。

 

「あぁ、あれはあいつの空虚な笑いがカンに触ってね」

「あー」

 

思わず声が出た。

 

「何だ、やっぱりセリにも覚えがあるのか」

「覚えがあるというか、何というか、こういう場面だからこう返しておく、みたいなテンプレート的笑顔の時はあるなぁって思ってたよ」

「そう、それだ」

 

靴についた魔獣の体液をすこし床で拭いながら、ダガーを持つ手の二の腕で汗を拭う。体液は別に拭わなくても魔獣と共に消えるのだけれど、まぁ何となくだ。

 

「それで円滑に行く人間関係だと思われているのが腹立つ」

「あは、アンらしいね」

 

さっき見た真っ直ぐな瞳を思い出す。気になったら真正面から行く性分なんだろう。それがたとえ貴族という立場で育まれたものだとしても、気質としては間違いなく彼女のものだ。

 

「ま、気長にやって行こうよ」

 

クロウはもしかしたら実はこの五人の中で一番面倒な相手だったりするかもしれないけれど、どうせこれから共に課外活動をしていく仲には違いない。その中で、何かに触れられる機会もあるだろう。それを見逃さず、手繰り寄せて、ぶつかって、そうして友人になれたらいいと、図々しくも考えてしまったのだ。

 

 

 

 

「もう! ふたりとも! 本当に本当に心配したんだからね!」

 

そうして例の落とされた穴を起動して二人だけで旧校舎を踏破していたのだけれど、うっかりうっかり、時間が経つのを忘れてしまっていたようで。仲違いしていた(ように見える)私たちが揃って二人ともいないということを危惧したトワが探しに来てくれたらしい。場所の特定はジョルジュが通信波の強度を探ることでしたとかなんとか。通信機能を使わずとも凄いなぁARCUS。こわい。そしてクロウも何でか知らないけれどいる。

 

そして私たちは旧校舎のロビーで並んで正座をさせられ、トワの言葉を粛々と聞いているというわけだ。普段怒らない人が怒ったらとてもこわいという言葉の意味を噛みしめるしかない。

 

「……でも、本当に良かったぁ」

 

ふにゃり。空気が弛緩し、膝をついたトワが私たちをやさしく抱きしめてきた。思っていたよりも心を砕かせてしまっていたのかもしれない。頬にやわらかな髪の毛を感じつつ、その小さな肩に手を置いて、心配かけてごめんありがとう、と。

 

こうして私のはじめての課外活動は、本当の意味で終わりを見せてくれた。

すごく疲れたけれど、でも、うん。この疲労感は悪くない。


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