──風飛市郊外、神凪神社周辺。
「……うぇ」
魔物襲来の報告を受けてから五分。
しかしその五分間の間に、俺はとんでもない地獄を見た。
前方から襲いくる重力。曲がるたびに揺れる車と身体。外から見れば、ものすごいドラテクを披露しているのだろうが、乗っている人間としては悪夢だった。
……まさか、車に乗ってリアルに吐くことになろうとは思ってなかった。
「ご、ごめんなさいね……緊急事態だったから……」
「わ、わかって……おぶっ」
喋っているだけで、また吐きそうになる。そんな俺の背中を、マリアはそっとさすっていた。
「隊長。他の部隊への報告を完了、これより制圧に向かう」
「ええ、わかった。影浦、行くわよ」
「御意」
影浦と呼ばれた男は、いつの間にか武装しており、アサルトライフルと持って神凪神社という場所の参道を走っていく。
「麗矢君。ここは危険だから、なるべく遠くに避難して。大丈夫、後で迎えにいくわ」
「え? あ、ちょっ、おい!」
吐き気を堪えながら、影浦の跡を追って走るマリアを呼び止める。しかしマリアは止まることなく、参道を走って行ってしまった。
扱いが雑すぎないか? とは思ったが、まあ彼女なりの判断なのだろう。俺なら冷静に避難、危険の及ばぬ場所まで逃げられると。
信頼しすぎだとは思うが、まあ逃げられないわけじゃない。
……酔っていなければの話だが。
「……やれやれ」
魔法使いに覚醒したばかりで魔物と遭遇。おまけに、一人取り残されて逃げろと来た。
魔法を覚えたのなら戦うこともできるだろうが……残念ながら、俺はまだ戦い方どころか魔法の使い方も、自分の使える魔法すら把握できていない。
無闇矢鱈に突っ込むより、マリアの言う通り遠くに避難するべきなのだろう。
気持ち悪いのを我慢しながら、来た方向とは真逆の方へと振り向き──
「お?」
謎の物体を目にして、足を止めた。
その謎の物体は、ウヨウヨと動いており、何かの生き物であることは間違いない。さらに言えば、その物体はアスファルトを下からぶち破っているわけで。
「…………」
まるで木の根のようなそれは、明らかに自然のものではなくて。
──あ、魔物だこれ。
そう気がついた頃にはもう遅く。
「へぶっ!」
木の根のような魔物の強烈なスイングをモロに受け、俺の体は車に激突した。
「……おえぇ」
その影響で、残っていた胃の中身がほぼ全て吐き出されそうになってしまう。だがそれを堪える……まではいい。
昨日の今日で、なぜこんなに魔物に遭遇するのか。どうやら最近の俺の運勢はとことん悪いらしい。
「……まずいな」
と、そんなことを分析している場合じゃない。
木の根のような魔物は、明らかにこちらのことを認識している。別に動けるわけでもないが……もし、これが本当に木の根のようなものなら。
「──っ!」
読み通り、俺の足元のアスファルトがひび割れ、盛り上がる。
本能に従い、咄嗟に横に飛び退く。と、ほぼ同時に、俺の先程までいた場所からやつと同じ木の根のようなものが地面を突き破ってきた。
あの場に留まっていれば、俺の体は間違いなく貫かれていた。……そう思うとゾッとする。
だが、恐怖で動けなくなっている場合でもない。
今の攻撃で、俺の予想がほぼ当たっていると確信した。
おそらくこの魔物の本体は木のような魔物であり、そして根を張って獲物を攻撃する。しかも、本物の木の根のように、あの触手のような根はいくつも存在している。
「……さて、と」
逃げようとしても、逃げ道を塞がれればそれで終わり。正面から戦おうとしても、魔法の使い方もわからずにやられる。そんなオチもある。
考えろ。この状況を打開する方法を。
街へ逃げようとしても、やはり逃げ道を塞がれる可能性が大きい。
だからといってマリアと合流しようにも、こんな触手のような木の根が追ってくるんじゃ、彼女の手間を増やして、逆に状況は悪化してしまうかもしれない。
……そう考えているうちに、根の数は三本、四本と増えていく。
迷ってる暇はない。とにかくここを抜け出すことを考えろ。前の時の俺とは違う。
今の俺には、力がある──!
「……命令式、ね」
車の中で教わった魔法の知識。ほんの一部分の情報を整理して、今必要な情報だけを抜き取る。
命令式、相性、現象魔法……。
要は頭の中で魔法を使うための公式を組み立て、それに従って魔法を使えばいい。そうすれば、あれこれと魔法が使える。
そう簡単な話じゃないんだろう……が、こうしている間にも木の根の数は増えていく。一本だけだったのが、すでに十本ほど。
「ま、とりあえず──」
左手を掲げ、それと同時に、頭の中で組み立てた──わけでもないが、とりあえず炎が手からでるように想像してみる。
「燃えておけッ!」
炎が手から出るイメージ。
そのイメージを持ったまま、掲げた左手を根に向けて一気に振り下ろす──!
ごうっ。
肌が強い熱風を浴びた。
左手からはイメージ通り……とは程遠いが、微弱な炎が放たれた。
だが火力は申し分なく、一本だけだが、木の根を呑み込み、焼き払った。
木の根は炎に包まれ、苦しそうに悶えながら、静かに霧散していく。
とりあえず、成功……。安心するのも束の間、
「うおっ!?」
燃やされたやつの仇を討つためか、別の木の根が俺の身体目掛け、刃のように鋭い先端を突きつける。
間一髪、横に飛び退いて攻撃を受けることはなかった。俺に当たらなかった木の根は、アスファルトを貫き、見事に穴を開けてみせた。もしあと一歩遅かったら、と思うとゾッとする。
だが魔物の攻撃は、俺のことなんて知らずに木の根を俺に叩きつける。
「がっ……!」
なぎ払われた木の根は、見事に俺の腹に叩きつけられた。
「うぐっ、──ぁ」
何が起きているのか理解できなかった。
殴られた俺の身体は、その場に留まることはなく、空中を待っていた。
「ごはっ……!」
ガシャンッと背が鉄の塊と衝突した。
背骨が折れるような衝撃を受け、車にぶつかった身体はずるりと地面に落下する。
「うぐっ、おぇ……」
内臓を圧迫する一撃に、胃の中のものが逆流するが、車酔いして吐いたことが幸運だったか、対して吐き出されることはなかった。
「──ハッ、ハァ……く、ぁぁ……!」
呼吸ができない。視界が霞む。たった一撃で、両手が痺れて仕方がない。
霞む視界の中に、ゆらりと人ではない何かの影があった。それは、振り上げられた凶器で、
「────────!!」
全身を使って、横に飛び退く。
叩きつけられた根は、俺が衝突しても傷付かなかった車を、たった一発で凹ませてしまった。
しかし、残りの根はまだ数本も存在している。
「く、そがぁ……!」
地面の上を転がり、無防備な俺を叩き潰そうと、魔物は次々に根を叩きつけ、その猛攻をひたすらに避けることしかできなかった。
くそっ、もぐらたたきのもぐらになった気分だ……!
このまま逃げ続けていても、いずれ体力が切れる。どうにかして現状を打開する策を練らなければ…………。
打開……策を……。
「……は、ははは」
現状の打開? 前の俺とは違う?
馬鹿馬鹿しい。
俺の力は普通ではないと。
たった一回、魔法が使えたってだけで。
心のどこかで慢心していたんだろう。
その結果がこれだ。戦える力がある、なんでほざいておきながら、ただ逃げ回ってるだけじゃねぇか。
何が異常な魔力量だ。何が前代未聞の魔法使いだ。
結局俺は……何も変わらないままだ。少し知識を得ただけの付け焼き刃でどうにかできるなんて、世の中そんな甘いわけねぇだろうが……!
「……くそっ、笑えてくる」
だからって、ここで折れるわけにはいかない。ここで死ぬんなら、それはあの時から少しだけ寿命が伸びたってだけだろう。
生き延びたのにまた死ぬなんて。
こんなところで、意味もなく死ぬなんて。
『レイくん!』
脳裏に、あいつの顔が浮かぶ。
帰るって約束したのに、こんな場所でくたばるなんて……!
「ふざ、けんじゃ──ねェ──!」
俺の腹を穿とうとする根を、また地べたを転がって避ける。
側から見れば、とんでもなく不恰好だろうが、そんなの関係ない。
「クソ触手どもが……さっきっからバカスカ好き勝手しやがって!」
木の根は俺を仕留めるために、後ろに下がる俺のことを追ってくる。
地面を砕き、穿ち、俺を殺そうと周りのものを次々に破壊していく。
……俺が何を企んでいるのかも知らずに。
先程、魔物によって叩き潰された車。そこから、妙な臭いを放つ液体が流れ出ていた。
あの一撃によって、燃料タンクに穴が空いたのだろう。アスファルトの上に、ガソリンが広がっていく。
「いい加減に──」
車を横切り、根を引きつける。
まんまと俺の誘いに乗った木の根は、俺のことをよほど仕留めたいのだろうか、一つの束になって俺に襲いかかる。
だが、
「しやがれェェェ──‼︎」
根が俺に届くよりも先に、振り払われた左手から放たれる火球が車の下に広がる液体に触れる。
直後、激しい爆発音とともに爆炎が全ての木の根を呑み込んだ。
目も開けていられないような熱風が、炎を中心に吹き荒れる。木の根は炎に呑まれ、悲鳴を上げることもなく、次々に他の根も燃えていった。
『ギィィィィイイイィィィィ────‼︎」
甲高い悲鳴のような音が、耳を通じて脳に響く。気色悪い悲鳴が上がると同時に、木の根が苦しむように暴れ始めた。
その悲鳴が聞こえた方向に、自然と俺の視線は向けられる。
そこには、大木──のようなものに顔の付いた化け物の姿。あれが、本体!
「そこかァ──!」
本体を捉えると、俺は魔物に向かって左手から炎を放射する。だがこれだと、ただ炎で炙るだけ。トドメを刺すには火力が足りない。
火力を補うため、右手からは別の命令式を組み立てた魔法で強風を起こす。炎があえて地を這わせ、風を魔物を囲うように渦巻かせる。
風が火を掬い上げ、烈風は炎を纏う竜巻となり、魔物を襲った。
『ギ、ギギ──………』
醜い断末魔を上げながら、樹木型の魔物は形を失い、霧となった消えていく。
それと同時に、燃えカスとなっていた木の根も全て消滅していった。
「……………ッ、ハァァァァ……」
魔物が完全に霧散したのを見届けると、力が抜けたようにその場に座り込む。
背後に取り憑いていた死の恐怖が消え失せた途端、緊張の糸が切れてしまったのだろう。
休んでいる暇なんてない。そう頭ではわかっているのだが、身体が言うことを聞いてくれない。
呼吸を整え、ごちゃごちゃになった思考と強ばった身体をほぐす。
木の魔物と遭遇してから、おそらく五分程度。その間に一体どれだけ思考を巡らせ、無理やり身体を動かしたのだろうか。
大体、魔法が使えるようになってからまだ一週間程度。そして僅かな魔法の知識を得たのは三十分くらい前。
……改めて考えるとめちゃくちゃだ。
転校初日から──まだ学園に着いてすらいないってのに、初っ端から戦闘することになるとは思わなかった。
だが、初戦闘で魔物一体を討伐できた。魔法初心者の力で倒せるくらいの雑魚な魔物だったんだろうが、悪くはない。
「……さて」
脅威を退けて、完全にではないが、身の安全は確保した。
ここからどうするべきか。
魔法が使えるようになったからマリアの加勢に行くか、それともこのまま逃げるか、ここに留まるか。
……逃げるのが最善だ。やっと一体倒せた程度の初心者が加勢に行ったところで、足手まといになるのは確実だろう。
「……逃げるっつってもなぁ」
問題はこの街を理解していないことだ。変に動いて迷子にでもなれば、それもまた面倒になる。世話かけてる以上、変に迷惑をかけるわけにもいかないだろうし……。
かと言って、ここを動かないってのもまた危険な話だ。
道路に座ったまま、次に取るべき行動を模索、そして出た結果は──
「よし、歩くか」
適当に歩く。
……まあなんとも馬鹿らしい答えだが、仕方ない。足手まといになる、魔物の的になる。それらの危険性を考えれば、避難すると同時に風飛という街の把握……という名目でこの場を離れた方がいい。
考えがまとまり、立ち上がってとりあえず目の前に広がる街を歩こう。
俺は一歩前に右足を──
──ガシッ。
……何、今の音。
足元からした謎の音。まるで、何かを掴むような……そんな。しかも、なんか右足に触れてるし。足首にぐるって巻きついてるような……。
確認するために、俺の視線はゆっくりと足元へ移る。
そこには、何やら見覚えのある木の根のようなものが……俺の右足首にガッチリと巻きついていらっしゃる。
「…………は?」
この時、俺の口からはマジで困惑した声が出ていた。
そして状況を理解した途端、俺の表情はどんどん引き攣っていき、そして、
「はぁぁぁぁぁ────────!!?」
俺の身体は、思いっきり森の中へと引きずり込まれていったのだった。