……あの日から何年が経っただろう。
故郷が炎に包まれたあの日。霧の魔物に襲われ、死を覚悟したあの時。
僕は、ある人に救われた。
『大丈夫かい? 少年君』
その人は、どこからともなく颯爽と現れ、僕と妹を殺そうとした魔物を倒した。
傷を負っていた妹と、妹を庇っていた僕が生存することはその人が現れなければ絶対になかった。
そんなところを、僕らは救われた。
魔法使い。人類の希望を担う存在であり、異質な存在として他の人類から恐れられている者。
そんな人に、僕は魔法使いに強い憧れを抱いていた。
魔法使いに憧れる人は数少ない。だけど僕は、救われたその日から憧れ続け──
2014年。
十六歳になった僕は、ある悲劇と引き換えに、魔法使いに覚醒した。
心身ともに傷を負い、そのショックで魔法使いになった。
ついに念願の魔法使いに……! 覚醒したと聞いた時、後悔とは別に喜びの感情があった。
不謹慎なのはよくわかっている。だけど、だからこそ僕は魔法使いとして、僕を救ってくれたあの人のようになろうと決意した。
そして僕は、私立グリモワール魔法学園として入学した。
……だけど、すぐに予想外のことが起きた。
無尽蔵に近い魔力量。
自分の魔力を誰かに渡す力。
魔法使いにとってあり得ない事態が、僕の体に起きている。そう聞かされた時、嘘じゃないかって思った。
この学園に来る前は、特に目立つようなこともない、魔法使いに憧れるだけの一般人。そんな僕が、魔法使いの常識をひっくり返す力を持っているだなんて。
しかし、その力とは引き換えに、僕はあらゆる魔法に適性を持たないらしい。炎を出そうにも、指先からライター程度の火しか出せない。
異常な力は、後方支援特化型だったのは少しだけショックだったけど、今はこの力と向き合って、少しでも誰かの役に立つために、この力を使おうと決めた。
空野大地、十六歳。
理想の魔法使い像とは少し違っていたけれど、覚醒した魔法使いの一人として、グリモアの一生徒として。
皆を支えられる希望になれるよう、僕なりのやり方で戦おうと、そう決意した。
そして、入学してから数日が経った。
***
クエストが発令された。
内容は、神凪神社周辺に現れたという霧の魔物を討伐すること。
魔物名は人面樹。本体から何体かの分身を作り出すことができるという魔物。
戦うことのできない僕は、彼女と共に神凪神社に向かって、参道からかなり離れた山奥を走っていた。
「ふっ──!」
青白い閃光が、人面樹の分身を一刀両断する。
分身は跡形もなく霧散し、それを確認すると、巫女服のような戦闘服を纏った少女──神凪怜は実家である神凪神社を目指し走る。
僕はその後ろを、必死に追いかけていた。
「……この近辺にはいないな」
ふと、怜の足が止まる。そして僕の方を振り返ると、凛々しい表情のまま「休憩しよう」と懐から水の入ったペットボトルを取り出した。
「……ふぅ。すごいなぁ、怜は」
水分をとりながら来た道を振り返る。
今いる場所に来るまでに、五体ほど人面樹の分身体を倒してきた。
学園から最短距離で神凪神社へ行くには、参道からではなく、本殿に続く森の中を突っ切っていくのが一番早いのは確かだ。その分、道はかなり険しく、おまけに今は魔物もいる。体力だってかなり消耗するはずだ。
なのに怜は、息一つ切らすことなく走り続けていたのだ。家族が心配だからゆえか、それとも彼女自身の身体能力が高いのか。
どちらにしても、汗を全くかいていないのは、息切れしている僕よりもずっと体作りができているということだろう。
「すまないな。もう少し、お前のペースに合わせてやれればいいが……」
申し訳なさそうな目で僕を見る怜。こんな時にまで、僕の気を使う必要なんてないのに、彼女はどこまでも共にいる誰かのことを気にかけてくれる。
「大丈夫。ご家族が危険かもしれないなんて言われて、落ち着いていられる人なんてそういないからさ」
「……すまない。結局、お前に無理を強いる形になってしまって」
彼女は僕に謝罪を何度も繰り返す。
しかし、彼女の焦る理由もわかるから何も責めるようなことは言わない。言えるわけがない。
それに僕自身、彼女を責める気なんてさらさらない。神凪神社に助けるべき人がいる。その事実だけで十分だ。
「先を急ごう。休憩はもう大丈夫だから!」
「……っ、ああ!」
喉元まで出かかった謝罪の言葉を飲み込んで、怜は再び前を向く。
──と、そこで僕らは気がついた。
「……煙?」
僕らがこれから向かうはずである、神凪神社の本殿。そこから、煙が立ち上っていた。
しかも、それは白い煙ではなく。
──黒。
曇り空を覆い隠してしまうほど、黒くて、恐ろしい、不吉な黒煙。
それが、ちょうど本殿の方から立ち上っていたのだ。
「────ッ!」
当然、そんなものを目にして神凪神社の巫女は落ち着いていられるはずもなく。
「怜、待って! 落ち着いて!」
僕の静止も聞かず、怜は走り出した。
さっきまでの冷静な彼女から一変、焦り、戸惑い、そして怯えるような表情で山道を駆け抜ける。
その速度は、魔物を倒しながら進んでいた時とは比べ物にならない速さだった。僕の足じゃ、とても追いつけないような。
「(皆、無事でいてくれ……!)」
僕の声は彼女には届かず、怜は刀を強く握りしめたまま木々をかわして進む。今の彼女は、家族が最優先。それ以外のことは何も考えられずにいた。
……それが、彼女の視野を狭くしてしまった。
「怜!」
怜がかわしたうちの一本の木が、まるで生きているかのようにぐるりとその身を捻る。
その木は、魔物が化けていた偽物。人面樹の分身体。不気味に笑いながら、まんまと自分の横を通り過ぎた少女に狙いを定め、鋭い凶器で怜の身体を貫かんとする。
「──、しまっ」
咄嗟に刀を抜こうとするが、魔物の一撃の方が早かった。
「怜──ッ!」
今僕が立つ位置からでは、彼女を守ることは間に合わない。
いや、諦めるな──!
全力で走っても、彼女の元に行くまでに魔物の攻撃が届いてしまう。
何か策を考えろ──!
近くに使えそうなものもなく……どう足掻いたところで、僕の手は怜には届かない。
ふと、脳裏によぎった過去。
魔物に襲われ、無惨な姿に成り果てた姿。瞼に焼き付いて離れない記憶が、思い出せと叫ぶように蘇る。
「────あああああああああ!!」
無我夢中で叫び、地面を強く蹴り進む。木の枝で腕を切ろうが、自分がどうなろうとお構いなし。
ただ、全力で走る。
魔物の枝が届くより先に、何としても彼女を──!
「燃えろ──」
どこからともなく聞こえた、誰かの声。
何かを命令するようなその言葉に、僕と怜は動揺する。
それは、人面樹も同じだった。知性のない魔物が、人の言葉を理解できるとは思えない。それなのに人面樹は、目の前の獲物ではなく、聞こえてきた声に反応した。
その一言に込められていたもの。それはおそらく、自分に向けられた強い“殺意”。獣ように、魔物は本能でそれを感じ取った。
「今だっ……! 怜!」
「え……っ!?」
魔物の動きが硬直したその一瞬。それが、怜を救い出す隙を与えた。
声の主も、聞こえてきた言葉も、何なのかはわからないが、僕は必死で怜に飛びつき、そして彼女を魔物の攻撃範囲から自分の身体ごと押し出す。
魔物の意識はすでに怜ではなく、聞こえてきた声に向けられていた。
チカッと、赤い光が木々の隙間から覗く。魔物はその光目掛けて、自分の凶器を突き出し、赤い光に襲いかかる。
そして、魔物の一撃は光を突き穿ち──
「…………………!!?」
魔物の木の根は、何故か消滅していた。
「え……」
何が起こったのか。魔物の攻撃は、逆に自らの一部が霧散する結果に終わっていた。
苦い臭いが鼻をつく。何かが焦げたような。そんなあの光の中心からしていた。
「……火力不足か。もう一回──」
今度は、ハッキリと声が聞こえた。
男性の声。木が影になっているせいで姿は見えないが、男性の手から赤い光が放たれていた。
「燃えろ……!」
振り払われた右腕から、炎の球が人面樹に向かって放たれた。
周囲の木々を掠め、焦がしながら魔物目掛けて火球は真っ直ぐに進む。
当然、魔物もやられまいと抵抗する。新たに木の根を伸ばし、火球を押し潰そうと叩きつけるように木の根を振り下ろす。
「────…………‼︎」
しかし、その抵抗も虚しく、木の根は炎に呑まれ消滅。直後、人面樹の身体も炎に呑み込まれ──
瞬間、爆発によって生み出された火柱が、人面樹を閉じ込め、跡形もなく燃やし尽くした。
……断末魔をあげることもなく、火柱が消える頃には、人面樹は黒焦げの状態になり、そのまま徐々に霧散していった。
「…………」
たった一瞬の間に何があったのかわからないまま、霧散していく魔物を呆然と眺めることしかできなかった。
「……地。大地……」
「……あ」
と、自分の下から聞こえてきた声で、ハッと我に帰る。視線を下に落とすと、そこには頬を赤らめる怜の姿。
「す、すまない。助けてくれたことはありがたいが……その、退いてくれないか」
……彼女のことを見て、ようやく今の状況を思い出す。
怜を庇うように飛びついた後、押し倒すような形になってしまっていた。それを思い出した途端に、今まで感じていなかった感覚が一気に押し寄せてくる。
彼女の体温や、ほのかに感じる甘い香り。そして、腹部に当たる柔らかな感触……!
「う、うわっ、わわわ!」
その感触の正体に気づくと、慌てて怜の上から飛び退く。
「ご、ごめん! そんなつもりじゃ……!」
「わ、わかっている。助けようとしてくれたのだろう? だ、だが……その……」
いつも冷静で凛々しい彼女だが、こういうことになるとかなり弱々しくなる……と、彼女の友達である女の子から聞いていたが。
クールビューティーな女の子が赤面しているというだけで、なんとも言えない感情になる。そして何より、腹部に感じたあの感触。
……柔らかかった。制服姿でもかなりの大きさだと思っていたけど、もしかして着痩せする人なのかな……。
って、そんなこと考えてる場合じゃないだろ、僕のバカ!
「……そ、それより。今の炎は?」
話を逸らし、頭の中に悶々と広がるやましいものを追い出そうとする。そう、こんなことよりも解き明かすべきことがある。
魔物を焼き払った火球を放った男性のことだ。
グリモアには、南智花という火の魔法を主に扱う少女がいるが、声が男のものという時点で彼女ではないことは明らかだ。
もう一人、ずっと強い炎魔法の使い手がいるが、今回の一件は彼が出るほどでもないものだ。
「……ああ。先程の声は、私も聞いたことがないものだ」
「なら、一体誰が……?」
在学期間の長い怜でも知らないとなると、一体誰なのか……。その疑問は、すぐにわかることになった。
「……案外できるものだな。燃焼、からの爆発」
木の影にいた男性。そのシルエットが、徐々に露わになる。
黒い髪と、横髪だけが白い特徴的な髪色。
その男性は、少年……というより、青年と呼ぶべきであろう体格をしていた。
「……あ?」
青年の目が、こちらを睨みつける。
……その時、無意識に息を呑んでいた。
すらりとしたスタイルと、薄く白い肌。同じ男性のはずなのに、思わず美しいと思ってしまった。
美形男子、という言葉がこれほどまでにピッタリ当てはまるような人は初めてだ。それほど、彼という人が美しく見えた。
「誰だ、お前ら」
……思ったよりも声は低いけど。
「──もしかして、お前は新しく来るという転校生か?」
思わず見惚れていた僕に代わって、怜が聞くべき疑問をぶつけてくれた。
「え、それってまさか……!」
“転校生”と聞いて、思わず青年の顔を二度見する。
一週間ほど前にあった、霧の魔物によるとある町の襲撃。その際に、魔法使いとして覚醒した男性がいたという。
その彼に関して細かい話は聞いていない。わかっているのは、僕と同じく測定不能量の魔力を身に宿していることだけだ。
今まで意識が戻っていなかったというが、まさか彼がその……?
「てんこうせい……ってことは、あんたらがグリモアってとこの魔法使いか」
しばらく顔を顰めていた彼だったが、何か納得したらしく、表情がわずかに晴れる。
この話で納得したってことは、彼がその転校生で間違いないようだ。
「あ、いたいた。麗矢君!」
青年の背後から、黒い服を身に纏った女性が駆け寄ってきた。
レイヤと呼ばれた青年は、少し嫌そうな顔をするが、すぐに振り返りその女性の方に歩み寄る。
「マリア。こいつら、例の」
「え? ……ああ! ってことは、彼が大地君って子ね」
金髪の女性は、レイヤという青年と知り合いなのか。
いや、待て。そもそも──
「どうして、僕の名前を!?」
マリアと呼ばれていた女性とは初対面のはずなのに、何でこの人は僕の名前を知ってるんだ。
『魔力譲渡』はこの世界で唯一無二の力だという。もしこの力が世間一般に知れ渡れば、僕は酷い扱いを受けることになる……と、入学した時に説明された。
それ故、僕の力は各魔法学園や国際連盟の一部の人にしか知らされず、僕がしっかりと学園生活を送れるように生徒会の人たちがしてくれた。そう聞いていたのに……。
「ああ、先せ──いや、うちの司令がね、貴方のとこを教えてくれたのよ。司令って、国軍じゃ結構すごい立場の人だから。そういう情報が回ってくるのよ。魔力譲渡を持つ転校生。君のこととかね」
淑やかな笑顔で、女性はそう語る。
なるほど、と話を聞いて納得した。軍の上層部の人なら、何人か知っててもおかしくはない……のだろう。てことは、彼女もなかなかの地位の人なのだろうか。
と、女性はコホンと咳払いをすると、自分の胸元に手を当てる。
「マリア・サンディエル。一応、国軍の軍人で、階級は少佐よ。ちょっと特別な部隊の隊長をしてるけどね」
軽い自己紹介でウィンクをしてみせるが、今さらっと色々とすごいこと聞いたぞ。将校クラスである部隊の隊長って。とんでもない大物じゃないか。
「そして横にいる彼が、貴方たちが噂しているであろう転校生。黒金麗矢君。一応、君と同じ無尽蔵に近い魔力の持ち主よ」
そして流れるように紹介された、マリアさんの横で腕を組む青年。何やら苛立っているようで、すごい目でマリアさんのことを睨んでいた。
「あのな、ペラペラと俺のこと話すんじゃねぇ。軍人が誰かの個人情報話していいのかよ」
「あら、グリモアの子とは仲良くしておいた方がいいわよ? 特にそこの大地君は、これからかなりお世話になると思うから」
「……けっ、そうかよ」
外見の割に、口が悪い。これがギャップというやつなのだろうか。
黒金麗矢。彼が、二人目の無尽蔵の魔力の持ち主……。
「二人目……」
そう、二人目。
唯一無二。そう言われている僕の力。
無尽蔵の魔力と、魔力の譲渡。それだけで結構な騒ぎになったし大変だったけど、少し嬉しい自分もいた……のに。
あっという間に二人目の無尽蔵の持ち主が現れちゃって……。なんだか悲しいような、そんな気がする。
「短かったなぁ……唯一無二」
戦力が増えるのは喜ぶべきこと。なのに、やっぱり特別感が薄れるだけでこうもテンションって下がるものなのか……。
「黒金、と言ったな」
僕が落ち込むその横で、怜はマリアさんと会話している黒金くんに近づく。
「神凪怜だ。いきなり戦場に駆り出されて困惑しているだろうが、今は手を貸してくれないか」
真剣に頼む彼女の顔を、黒金くんはじっと見つめる。頭から爪先まで、全身をサッと確認するように見ると、
「手ェ貸すも何も、魔物討伐に来てんだろ。だったらこんなとこで駄弁ったり、わざわざ頼んだりする暇があんのか? なあ、神凪神社の巫女さんよ」
腕を組みながら、正論を投げてきた。
確かに話をしてる場合じゃない。新しい転校生に気を取られて、魔物が怜の家族を襲ったりしたら大変なことになる。
その通り……なんだけど。
「(言い方、どうにかならないのかな)」
妙に威圧的というか、何というか。発言も視線も、態度もさっきから上から目線だ。魔法使いの人にも色々な性格のこがいるけど、こんな尖った言い方しなくてもいいと思うけど。
「……ああ、その通りだな。すまない、ありがとう」
けど怜は彼の言葉を素直に受け取ると、刀を強く握り、実家のある方角を睨むように見ていた。
「大地、行こう。今は、我々がすべきことを果たす」
「う、うん! わかった!」
そして再び、怜の実家がある方を目指し、森の中を駆けていく。
黒金くんは僕らの後をついてくるわけでもなく、ただ走っていく僕らの背を見送る。
「(黒金麗矢くん、か)」
初対面の相手に随分と高圧的な態度だったけど、何故か僕は、彼に対して強く興味を惹かれていた。
だけど、今はそれを胸の中にしまっておくことにしよう。そうして、僕はまた怜の後ろを必死についていくのだった。