男が英雄でなければならない世界 〜男女比1:20の世界に来たけど簡単にはちやほやしてくれません〜   作:タナん

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34話 敗因

 ジークの目に遠くで戦うミナトの姿が目に入った。

 ちょっと前まで人を斬る事に怯えて動けなくなっていたミナト。

 最初に盗賊と戦った時から日は開いたが、ジークにはミナトがまだ人を斬る覚悟が出来ているとは思っていなかった。

 

 まだミナトは若いが、十何年も積み上げてきた人格がある。

 ミナトが酷く甘く優しい世界で生きてきて形成されたであろうミナトの人格をジークは好ましく思っている。

 

 だがミナトは男だ。今のままでは何も守ることは出来ない。

 ミナトが好きなセツどころか、村にいる女達を全てを。

 

 だからこそジークは強くミナトに願う。

 女を失うくらいならば優しい人格など捨ててしまえと。

 僕の女まで危険にさらすなと。

 

 そして同時に期待する。

 

 それが出来ないのなら優しい人格をねじ伏せる覚悟と理性を持って欲しいと。

 心を捨てるか、増やすか。二つに一つ。

 

 ジークはそんな事を考えて彼と共にこの戦いに赴いたのだった。

 

 そしてミナトは女を守るために女を斬った。

 ミナトがどちらを選んだのかはわからないが、彼は戦士になったのだとジークは理解した。

 

 

 

 

 

 ダグラスが村中に配置された篝火の一つに向かって大剣を薙ぐと、燃え盛る木片と熱された金属製の籠がジークへ向かって弾け飛んだ。

 ジークはその燃える木片については皮鎧が防いでくれると判断し無視する。体中に燃える木片がぶつかり、ジークの頬を切り裂いて一筋の血が流れ出るがつがえた矢を一切ぶらさず解き放った。

 

 ジークの矢筒には数種類の矢が入れられている。獲物や距離に応じて長さ、重さ、材質の違う矢を使い分けているのである。

 通常使うのは鏃のみ鉄で作られた木製の矢だ。どこでも材料が手に入り、鏃さえ回収できればそこらの木を削って補充ができるからだ。

 そして今回放った矢はというとジークの持つ矢の中でも【とっておき】、黒鋼製の人の背ほどもある長大な矢だ。

 

 一度放つと失くしてしまう可能性のある矢を戦士の武器と同じように鍛え上げ、それ単体でも鈍器として成立する重量に仕上がっている。

 長いのは弓を通常口元までしか引かない所を耳の後ろ名一杯まで引くため。また、重くすることで貫通力を上げるためだ。

 ただでさえ並みの鎧を貫く威力を秘めた弓の力を、更に限界ギリギリまで引き絞ったジークの黒い弓の力を矢に乗せると、通常の矢では耐えられず獲物に命中しても十分な効果を発揮できない。

 そこで用意したのがこの黒鋼製の矢だ。

 

 重く、頑強な矢はジークの弓の力を十分に受け止めきり、彼に強力な獣と弓で戦う権利を与える。

 

 その矢が今回射止めんとするのは人間。

 ジークが唯一脅威と判断した燃える木片に混ざった金属製の籠に命中しながらも、その程度の重さの金属では向きを変えることもない。

 

 ダグラスからすると吹き飛ばした燃える木片や、それを入れていた金属製の籠に隠れて見えづらい。その上黒い矢は夜の闇に溶けてしまい、ジークが放った矢を認識できたのはすぐ目の前に現れてからだった。

 

 必中のタイミング。

 

 獣を殺す貫通力。

 

 ここで選択肢を間違えればダグラスは死に至るだろう。

 

 死神に試されたダグラスは――――

 

 大口を開け、矢を歯で受け止めた。

 ダグラスの顎に血管が盛り上がり、歯を削られながら奥へ奥へと進む矢を止めようとする。

 だが矢を止めるには咬合力が足りない。このままではダグラスの喉奥を矢が貫く事になる。

 

 ダグラスは唸り声をあげながら食いしばった矢を支点とし、顔をそむけた。

 噛まれてなお真っすぐ突き進もうとする矢は、ダグラスの喉奥ではなく頬の肉へと内側から命中する。

 

 矢の羽が突き破った頬の穴の周りの肉を引っかけながらも貫通した矢は生命維持に脅威を及ぼすことはなかった。

 左の頬の肉が破れて歯がむき出しになったダグラスに対して、ジークはさらに畳みかける。

 

 ジークはいつの間にか拾っていた剣を重心を確かめるように一度クルリと手の中で回して弓につがえた。

 この動作で瞬時に剣を弓で飛ばせばどのような軌跡を描くか感覚で把握したジークは、一瞬の溜めもの時間もなく弓を引いた瞬間ダグラスに向かって剣を撃ちはなった。

 

 まるで元々矢として作られたかのような完璧な軌跡でダグラスの腹へ向けて飛ぶ剣をダグラスは大剣を返す刀で振り払って弾き飛ばす。

 ダグラスは頬を突き破られながらもジークから視線を外さず次の攻撃に備えていた故の防御成功である。

 

 ダグラスは痛みなど感じていないかのように直ぐに前進を開始する。

 ジークの目には左頬の皮膚を失って歯が剥き出しになったダグラスの顔がまるで笑っているかのように映った。

 

 深い前傾姿勢でジークに向かって突進するダグラス。

 ジークはもう一本拾っていた剣を弓につがえて続けざまに撃った。再び矢の代わりに撃った剣は縦方向に高速回転しながらダグラスの頭部へと向かう。

 

 ダグラスは前に向かうための蹴り足を、足首から先だけの力で進行方向をずらした。

 分厚い頭蓋骨を両断する勢いの剣を普段なら大剣で弾き飛ばす所だが、ダグラスは大剣による防御ではなく回避を選んだ。

 あと数歩でジークを間合いに捕らえることができるタイミングで、頭部を大きな大剣で防御することでジークのことを一瞬でも見失うのを嫌ったためである。

 

 無理やり進行方向を変えたため減速は免れない。

 その間にジークに再び距離を取られるリスクがあった。

 果たしてダグラスが選んだ回避という選択は――――

 

「なんだ使えるじゃないか!」

「鍛錬をやめた覚えはないからね」 

 

 正しい。

 

 何時の間にか弓から剣に持ち替えたジークの斬撃を、ダグラスは大剣を正面に構えて盾とし、受け止めていた。

 ジークは剣を弓で放った瞬間、弓の握りと弦の間に体を通して弓を保管し、腰に差してあった剣を抜いて前進をはじめたのだ。

 お互いが同時に走り寄るのなら斬り結ぶまでは一瞬しかない。

 もし、ダグラスが大剣でジークの飛ばした剣を防いでいたのならば、反応が遅れ、斬られていただろう。

 

 ジークはダグラスがとの鍔迫り合いを放棄し、すぐに剣を引き戻して次の斬撃に移った。

 腰の横まで引き戻した剣を、低く薙ぎ払って足を狙う。

 ジークが剣を引き戻したことで、ダグラスも次の攻撃に移るために大剣を肩に担ぐように振り上げていたため足元はがら空きである。

 

 ただ、がら空きと言っても避ける余裕はある。

 ダグラスは狙われていた右足を上げ、剣が足の下を通過する瞬間踏みつけた。

 

 その踏みつけは同時に大剣を振り下ろすための動作でもあった。

 大剣で斬りつけるには近すぎるが、ダグラスは体を回すように半歩引き、腕を畳むように引きながら振ることでその問題を解決する。

 

 剣を踏み付けられているがジークは力に任せて剣をダグラスの足元から強引に引き抜くと、ダグラスのバランスが崩れ、紙一重でジークの傍を大剣が通過した。

 ジークは引き抜いた剣を左脇に構え、再びの横薙ぎを行う。今度の狙いは大剣を振りおろしているダグラスの右腕だ。

 

 ダグラスは二の腕を狙う剣を防ぐための大剣は、現在重力の鎖に囚われ引き戻すのは困難。無理やり軌道を変えたとしても剣速で優るジークの軽い剣が届く方が早いと判断した。

 ダグラスは右手を大剣の柄から離し、右ひじを外へ持ち上げ、頭を全力で左手側にのけぞらせる。

 神がかりなタイミングで行われたその動作は、ジークの剣を下から肘でかち上げる事となる。

 力の向きを反らされたジークの剣は、ダグラスの右腕の上を滑りながら、ダグラスの右耳の端を切りとばすが、それだけだ。

 

 中途半端な力では皮鎧に防がれてしまうため、両者の一合一合は全て全力である。

 

 両者の膂力は大きな差はない。すこしジークの方が弱い程度で正面から打ち合って一方的にやられるほどではないが、それは両者が同じ武器を持っていればの話だ。

 ジークの剣もまた黒鋼製の非常に頑丈な剣ではあるが、普通の女でも扱える剣だ。

 ダグラスの持つ身の丈ほどの鉄の塊を受け止めるにはあまりにも心もとない。

 

 ジークの持つ剣はダグラスの大剣より軽くて短い分、非常に取り回しがしやすいため、ジークは自分の距離に持ち込むことが出来たこの連撃でダグラスを仕留めたかった。

 

 ジークは彼から見て右手側にかち上げられた剣をそのままバックブローの要領で右腕を使って薙ぎ払いに移る。

 ジークは弓を引く腕である右腕を引く力が最も強い。そのためその動作が最も彼にとって自然だったのだ。

 

 だがダグラスはこの戦いの中でジークの好む動きを知っていた。

 

 ダグラスは左手にのぞけりながらも左手は大剣から手を離していない。

 また、ジークの剣をかち上げるために肘を上げていた右手を再び大剣の柄に戻す。肘は立てたままである。

 

 そしてダグラスの頬から見える歯がミシリと音を立てると、雪に埋まった大剣がさらに沈んだ。

 左手を離し、右腕で超重量の大剣を支点にし、体を柄の上で回転させながら飛び上がる。

 所謂ソバットと呼ばれるような動作でジークの背中に蹴りを放ったのだ。

 

 まさか崩れた体勢からこのタイミングで攻撃が来るとは思っていなかったジークはまともに蹴りを受けてしまう。

 ジークはダグラスに背を向けた状態で前方に弾き飛ばされ雪の上を転がっていく。

 

 すかさずダグラスは追走する。

 ダメージを受けながらもジークは立ち上がるが、いまだダグラスに背を向けた状態である。

 ジークは転がりながらも優れた三半規管で自分がダグラスに背を向けた状態で立ち上がってしまったことを理解しているが、振り向くだけの時間がもうない事を足音で察知した。

 

――ミシリ

 

 またダグラスのむき出しになった歯から軋む音がジークの耳に届いた。

 

 気付けばジークは弾けるように吹き飛ばされ民家の壁を突き抜け、反対側まで吹き飛んで雪面を転がっていった。

 

 鎧による防御力の発達より、並外れた筋力での攻撃力の方が発達したこの世界の人間という生物。

 その戦いはたった一撃ですべてが決することも多い。

 そしてこの世界の男の中でもダグラスは上位に位置する力を持っている。

 ジークが受けたのはそんな一撃だった。

 

「……まだ」

 

 それでも、ダグラスの大剣をまともに受けながらもジークは血を口から吐き捨てながら立ち上がった。

 

 ジークはダグラスの大剣の一撃を背中に背負った矢筒によって受けていたのだ。

 かろうじて大剣の刃がジークの皮膚を切り裂くことは防ぐことができた。

 だが矢筒とその中に入った矢は黒鋼の矢を含め全てへし折られ、重い大剣の衝撃を殺しきれずジークの体は甚大なダメージを受けていた。

 

 立ち上がったことから背骨は無事なようだが、間違いなく肋骨は折れており、その上折れた肋骨が肺に突き刺さったのかジークの呼吸に異音が混ざっている。

 体中の内外全てから痛みが生じ、自分のどの部分がダメージを受けたのかジークは把握すらできない。

 

 呼吸を失えば生物は戦闘行為が不可能、ジークにとってほぼ積みの状況だった。

 

「手が届く……」

 

 口の中ジークはでそう小さくつぶやくと体に掛けていた弓を持ち上げ、再び手に取った。

 その動作でさえジークは意識が飛びそうな激痛に苛まれる。

 

「もう矢がないようだが……」

「…………」

 

 立ち上がったことに驚いた様子のダグラスは再び大剣を持ち上げ、重心を前に移す。

 ジークが弓につがえるための何かを拾うそぶりを見せれば、即踏み込みジークを一刀両断するつもりである。

 

 ダグラスの圧倒的有利な状況、それでもダグラスは油断せず最強の一撃を用意する。

 

 対するジークは集中する。

 ぜぇぜぇと酷く乱れた呼吸をするたびに生じる痛みを無視し、酸素を深く取り込んでいく。 

 ジークの認識世界に必要なのはダグラスのみだ。

 

 他人は見えない。

 

 もう見る必要はない。

 

 痛みは忘れた。

 

 だが手の中にある弓の感覚は持ち手に巻かれた皮の筋すらわかるほど鋭敏である。

 

 たとえ今が夜でなかったとしてもジークの目にはこの世界が黒く映っていただろう。

 

 それほどの集中力を見せるジークにダグラスもまた集中力を高めていく。

 

 もはや攻撃手段といえば弓を鈍器として振り回すのみ。

 

 満身創痍のジークだが、命の危険を前にして集中力が深まっていく。

 

「ふぅ……」

 

 視界がぼやけ、何重にも見えていたダグラスが一つになる。

 ジークは弓を左手に持ち右手はだらっと下げたまま、ただ立つだけのごく自然体である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「参る」

 

 ジークの目の前に踏み込みの余波で雪を吹き飛ばしてクレーターのようにしたダグラスが現れた。

 筋力も、つぎ込まれたマナも、この戦いが始まって最強の一撃である。

 

 彼らの戦いを見る者がいれば、頭上に構えた大剣の振りおろしはおろか、近づく動作さえ見えなかっただろう。

 

 そしてダグラスが剣を振り切った後、ジークの目は動いておらず虚ろに避ける意志がない様にまっすぐ前を見たままだ。 

 

 ダグラスの剣により、一度天から降り、水になるのを待つだけだったはずの雪が吹き飛ばされ、再び天より降ってくる。

 

 

 

「なんだそれは……」

 

 人を割った手応えのないダグラスは自分の手元を見る。そこには不可思議な光景。

 地面を割る大剣を持つ自分の腕が、黒い弓の弦と持ち手の間に通っている。

 

 その黒い弓はダグラスの傍に立つジークがギリギリと音を立てて引き絞られている。

 その引き絞られた弓につがえられておらず、代わりにつがえられているのはダグラスの腕。

 ジークは静かに右手に持つ弦を、ただ離す。

 

 

 それは剣を使っていれば無用の回りくどい攻撃手段である。

 にもかかわらずジークはこの攻撃手段を鍛錬し、用意していた。

 だからこそ自由に体が動かない中、自然と行うことができる。

 

 弓と言う遠距離武器で近接戦闘を行うため。

 矢を全て失った時のため。

 剣を失った時のため。

 

 そして今、ジークが使う大木をも穿つ剛弓、その弓力を人の身にぶつけた。

 

 獣の厚い毛皮を貫く力を秘めた弓の力が、細いワイヤーで出来た弦により一点集中する。

 ダグラスの身に着けている獣の皮で出来た防具は、見事に弦による腕の切断を防いだが、衝撃は通した。

 ダグラスの左腕は受けた弓の力を吸収しきれず破裂するように弾け飛ぶ。

 左腕はかろうじて骨でつながっているが筋肉が弾けて物理的に動かなくなった。 

 

 それでもダグラスは止まらない。

 

 残った右腕から大剣を手放すと拳を握りしめジークの腹へと叩き込む。

 右腕を破壊されながらも、ノータイムで繰り出される拳にジークは避けることが出来なかった。

 超重量の武器を扱う戦士の力は、武器がなくとも十分な殺傷力を持つ。

 

 鎧越しにダメージを受け、くの字に曲がって持ちやすくなったジークの首元を掴むと、片腕で一気に頭上へと持ち上げ地面へと振り下ろす。

 ジークよりも重い大剣を普段から使用しているダグラスにとって人一人剣のように振り回すのは十分可能である。

 このまま地面へジークを叩きつければ勝負は決する。

 

 その時、ダグラスののどが絞まり呼吸が詰まった。

 持ち上げられたジークは咄嗟に弓の持ち手をダグラスの首に引っ掛けており、ダグラスがジークを地面にたたきつけるのを首を引っ張って抵抗していたのだ。

 ダグラスは首を引っかけられ、強制的に上を向けられたため持ち上げたジークと目が合う。

 

 未だジークの目は暗く死体のような虚ろな目をしている。

 

 だからだろうか。

 

 ダグラスはジークの目がダグラスの剣を捉えていなかったように見えてしまったのは。

 

 気付けばダグラスが頭上に構えた大剣の軌道から、一歩。一歩のみフラリと動いてその軌道にいない事に気付けなかったのは。

 

 否、ダグラスの攻撃が正真正銘、微塵も油断もない全身全霊の一撃をだったからだ。

 手負いの相手に油断しないあまり、無意識にジークの動きより、自身の出せる最強の一撃を出すことに集中してしまった。

 

 故にジークは視界の端に映るどんな戦いも見逃さなかったのを忘れていた。

 ジークの目は何かを見る時、目で追う必要がないのだ。

 

 ダグラスは自分の敗因の結論に達し、最後の最後で思った。

 

 これぞ戦いよ

 

 ダグラスの首に掛けられた弓を引いたジークの手から弦が放れ、ダグラスの首を打ち払う。

 

 この勝負、ジークの勝ちである。


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