走るその先に、見える世界 作:ひさっち
ゴールした瞬間、シンボリルドルフは倒れてしまいたい衝動に駆られていた。
しかしまだ減速するまで、倒れるわけにはいかない。ウマ娘が出せる速度で転んだ場合、間違いなくそれは大怪我に繋がる。それはウマ娘が走る上で最も気を付けなければならないことのひとつである。
故に、自身が出していた最高速度のまま転ぶことの意味を理解しているシンボリルドルフは、朦朧とする意識の中でもそれだけは決してしなかった。
しかし麻真とのレースを走り終えた瞬間、今まで無理を強いてきた身体の反動がシンボリルドルフに襲い掛かっていた。
全身が熱く、汗が吹き出る。足が鉛のように重い。呼吸が激しくなる。そして意識が遠のいていくような、心地良い感覚が襲いかかった。
最後の意地で緩やかな減速をし、小走り程度にまで速度を下げたところで、シンボリルドルフの身体は全身の力を全て抜いていた。
このまま倒れてしまいたい。芝生に向かってシンボリルドルフの身体が倒れていく。全てを振り絞った後に横になる芝生は、一体どれほど心地良いだろうかと思いながら。
「倒れるな、ルドルフ。お前が倒れたら、他の奴に示しがつかないだろ?」
しかし倒れそうになったシンボリルドルフを、そっと麻真が支えていた。
朦朧とした意識の中でシンボリルドルフが麻真にもたれ掛かる。
麻真はもたれ掛かるシンボリルドルフに肩を貸すと、彼女の疲れ果てた姿を見るなり呆れたような顔をしていた。
「こんなになるまで全力で走る奴がいるか、バカたれ」
思わず、支えているシンボリルドルフに麻真がそう言っていた。
麻真も使える限界まで足を使ったことで、足への負担がかなり大きい。シンボリルドルフをなんとか支えているが、彼の足には僅かな痙攣をしている感覚があった。
「あさまさん……どっちが、かったんだ?」
「さぁな、結果はまだ聞いてない」
たどたどしく、シンボリルドルフが麻真に訊く。
しかし麻真は首をわざとらしく竦めながら答えていた。
「二人とも! 大丈夫か⁉︎」
そんな二人の元に、ハナが慌てて駆け寄った。
ハナが駆け寄るなり、二人の心配をする。彼女の慌てようも、レースを見ていれば当然と言えた。
初めて見たシンボリルドルフの限界を越えた走り、そして麻真は足に負荷を掛けられないはずなのに彼女と張り合う走りをした。その為、ハナは二人の身体を心配していた。
「東条さん、どっちが勝ったんだ?」
心配するハナに、麻真は彼女の質問に答えるより先に勝負の結果を訊く。
しかしハナは麻真の質問に答えるより先に、シンボリルドルフの身体を優先していた。
「それは後で良いだろう⁉︎ まずはルドルフを休ませるのが先だッ⁉︎」
「いえ、わたしはもんだいありません。それよりも、けっかをおしえてください」
ハナがシンボリルドルフを介抱しようとするが、シンボリルドルフがそれを拒んだ。
疲れ果てた顔をしていてもシンボリルドルフは、ハナに弱々しくも強い意志を感じる目を向けていた。
ハナはシンボリルドルフのその目を見て、思わず戸惑った。
「結果は後で教える! だから先に休め、ルドルフ!」
「いえ、いますぐおしえてください。おねがいします」
そしてシンボリルドルフが再度強く懇願することで、ハナは彼女が意志を曲げないことを察していた。
「遠くから見ていた私には……お前達が同時にゴールしたようにしか見えなかった。だからアイツを呼ぶ」
そして呆れたような溜息をハナが吐くと、彼女は大きな声で一人のウマ娘を呼んでいた。
「アマゾンッ! 結果は⁉︎」
ヒシアマゾンがハナに呼ばれる。放心気味だった彼女は、ハナに声を掛けられると慌てた様子で反応していた。
「……姉さん、それが」
「良いから見た結果を言え! アマゾン!」
言い淀むヒシアマゾンに、ハナが催促する。
ハナに催促されたヒシアマゾンは、言いづらそうにしながら答えていた。
「……同着だった。私の目には……どう見ても二人が同時にゴールしたようにしか見えなかった」
ヒシアマゾンが言い淀んでいたのは、これが理由だった。
二人がヒシアマゾンの立っていたゴールラインを越えた瞬間、彼女は全精神を擦り減らして凝視していた。
しかしヒシアマゾンがどう見ても、二人は横並びで同時にゴールラインを超えているようにしか見えなかった。
ハナの差でどちらかが先にゴールしていた可能性もあり得るが、それをウマ娘の目視で確認するのは至難の技である。それこそ精密なカメラでの写真判定が必要なレベルの同着だったとヒシアマゾンは思っていた。
「同着……?」
ヒシアマゾンの答えにハナが困惑するが、同時に納得もしていた。確かに彼女から見ても、二人は同時にゴールしていたようにしか見えなかったからだ。
「同着か。まぁ、横並びだったなら分からないよな」
ヒシアマゾンから着順を聞いた麻真もその答えに納得していた。
そしてそれ以上の結果を求めても、分からないことを訊いても無意味であることを麻真も理解していた。
それをシンボリルドルフも理解していたのだろう。二人の勝負の結果が同着と聞くと、彼女は小さく笑っていた。
「そうか……わたしはかてなかったか」
落ち込んでいても、シンボリルドルフは何処か結果に納得しているような顔だった。
全てを出し尽くしても、麻真に勝つことができなかった。シンボリルドルフ自身も、彼に絶対に勝てる自信があったという訳ではない。
しかしそれでも麻真に勝つことができなかった悔しさがありつつも、自分には尊敬している麻真をまだ超えることができないという“納得”のようなものがシンボリルドルフにはあった。
「落ち込む必要あるか? 同着だって言ってるだろ?」
「だが、わたしがかてなかったことにかわりない」
「今回が、ってだけだ。次は分からない……お前だってそれは分かるだろ?」
そんなシンボリルドルフに、麻真が肩を落として彼女に呆れる。
シンボリルドルフが落ち込む必要がどこにあるのかと、今回が同着であったというだけの話だ。
レースはなにが起こるか分からない。絶対が無いのがレースである。故に、もし同じようにシンボリルドルフと麻真が走っても結果は変わるに決まっている。
「……そうだな」
麻真にそう諭されて、シンボリルドルフが少し顔を俯かせる。
そしてそのまましばらくシンボリルドルフが俯いていると、彼女はポツリと麻真へ呟いていた。
「あさまさん。わたしは……はやかったか?」
それはシンボリルドルフの本心からの質問だった。
皇帝と呼ばれるまでに辿り着いた自分自身の出せる全てを出し尽くして、シンボリルドルフは麻真に挑んだ。
麻真の背中を見て、シンボリルドルフは彼を追い掛け続けてきた。
麻真から様々なことを学んだ。自分の走りを見つけ、そして鍛え上げてもらった。
麻真がとある日に突如休職し、姿を消したことに心の底から落ち込んだこともあった。だがこうして二年の時を経て再会し、彼と走る機会を得た。
しかしまた麻真がいなくなってしまうかもしれない。今度はもう二度と彼と一緒に走れないかもしれないという不安があったから、シンボリルドルフは全力の限りを尽くして彼に挑んだ。
だからこそ、シンボリルドルフは麻真に訊いていた。
自分は、貴方に認められるほど速く走れることができたのかと。
シンボリルドルフのその問いに、麻真は素直な感想を伝えることにした。
「速かった。とんでもなく」
麻真も自身の出せる身体の性能の全てを出して、シンボリルドルフに応えていた。彼自身も驚愕する程の速さを見せつけた彼女に報いる走りをした。
シンボリルドルフ。彼女は麻真が今まで見てきたウマ娘の中で“一番速い”と、確信を持って言えた。
「……つよいとおもってくれたか?」
「あぁ、強かったよ。流石は皇帝だと思ったくらいだ」
シンボリルドルフの問いに、再度麻真は素直に答えた。
今まで見たウマ娘で一番速かったということは、それは一番強いと同等の意味であると。
「あなたがほこれるウマ娘に、わたしはなれただろうか?」
そして俯いていたシンボリルドルフが、僅かに顔を上げていた。
麻真に支えられながら、シンボリルドルフが彼を見上げる。その目には先程の威圧感などなく、不安そうに彼を見上げる顔は年相応の少女のものだった。
「なに言ってんだか……」
シンボリルドルフの顔を見て、麻真が苦笑していた。
しかしシンボリルドルフが変わらず麻真を見つめていることに、彼は少し顔を強張らせる。
そして麻真は居心地が悪そうに雑に頭を掻くと、見つめるシンボリルドルフから目を逸らしながらぶっきらぼうに答えた。
「俺が一から面倒見たんだ……これ以上言わせんな」
これだけで分かるだろう。麻真はそれ以上にシンボリルドルフのその問いに答える気はなかった。
その言葉だけで、シンボリルドルフには十分だった。
麻真の口から“その言葉”を聞くことができた。その言葉をどれだけ欲しかったかと。
麻真に認められた。その事実に、シンボリルドルフの目の奥が熱くなっていく。
そして麻真の言葉の意味を察してシンボリルドルフはもう一度だけ、最後に彼に訊いていた。
「なら、また……わたしといっしょに、はしってくれるか?」
「俺の気が向いたらな。別に俺はこの学園にいるんだ。機会なんて幾らでもあるんだからな」
麻真が戯けたように、笑いながら答えた。
また麻真と走ることができる。それを理解して、シンボリルドルフは安堵した。
「それなら……よかった」
そう呟いて、シンボリルドルフが麻真に寄り掛かった。
いきなりシンボリルドルフが体重の全てを麻真に委ねたことに、麻真が驚く。
麻真が疑問に思いながら、シンボリルドルフの顔を覗くと――彼は心底呆れた顔を見せていた。
「寝てんじゃねぇよ。まったく……」
限界だったのだろう。シンボリルドルフが小さな寝息を立てていた。
麻真がシンボリルドルフの身体を軽く揺するが、彼女は一向に起きる気配はなかった。
「おい……北野」
そうして今まで口を挟まなかったハナが、ようやく麻真に声を掛ける。
力なく麻真に身を委ねているシンボリルドルフを見て、ハナが心配そうに彼女に視線を向けていた。
「悪い、担架持ってきてくれ。疲れ切って寝てるわ、コイツ」
「それは大丈夫だ。エアグルーヴ達に用意させている」
ハナが麻真にもたれかかって寝ているシンボリルドルフを間近で見る。
熟睡しているシンボリルドルフを見て、ハナは肩を落としていた。
「こんな風になったルドルフは初めて見た」
「……俺もだ」
一向に起きる気配のないシンボリルドルフに、麻真とハナが揃って驚いていた。
そしてハナは、今回のレースを見て確信していた。最強の名を勝ち取ったシンボリルドルフ、彼女は北野麻真によってまたひとつ前に進ませることができたと。
「北野、ルドルフは……まだ速くなるぞ」
「あぁ、末恐ろしいよ。コイツは」
「また挑まれる時、今度はどうなるか見ものだ」
「……勘弁してくれ。本気で走るのはしばらく遠慮するわ」
ハナと麻真が軽口を返し合う。
そんな話を二人がしていると、エアグルーヴ達が担架を持って二人の元に来ていた。
そして麻真がシンボリルドルフを担架に乗せて、エアグルーヴ達と軽く話した後に彼女達がシンボリルドルフが乗った担架を運ぶ。
エアグルーヴ達が医務室に向かうところで、麻真はエアグルーヴに声を掛けた。
「エアグルーヴ、ルドルフが起きたら言っておいてくれ」
「……なにをだ?」
エアグルーヴが立ち止まって、麻真に向く。
麻真は一拍置いてから、エアグルーヴに告げた。
「今度、一緒に飯でも食いに行くかって伝えてくれ」
麻真の言葉を聞いて、エアグルーヴは可笑しそうに笑っていた。
そして一頻り笑った後、エアグルーヴが頷くと担架で運ばれるシンボリルドルフを追って練習場から立ち去って行った。
「北野、私も行くからな」
「そうしてくれ」
「……足は大丈夫なんだろうな?」
立ち去る前に、ハナが麻真の足を見つめる。
しかし麻真は「気にするな」と淡白に答えるとそれ以上は答えるつもりはないと言いたげに、さっさと行けと手を雑に振っていた。
それをハナも察したのだろう。彼女はそれ以上は聞くことをせず、麻真に「気をつけろ」と告げて医務室へと向かって行った。
「麻真さん、大丈夫ですか?」
立ち去るハナと入れ違えるようにメジロマックイーンが麻真に声を掛ける。
心配そうにメジロマックイーンが麻真を見ていたが、麻真は心配する彼女に肩を竦めていた。
「別に大丈夫だ。スタミナは問題ないからな」
「とてもそのようには見えませんでしたが……」
平然と答える麻真だったが、メジロマックイーンにはとてもではないが平気とは思えなかった。
シンボリルドルフの気迫ある走りを見て、それと同様の走りをした麻真がとても平気とは思えなかった。
加えて、レース後のシンボリルドルフの状態を見てしまえば、明らかに麻真が平然としているわけがない。
平気そうに立っている麻真がおかしいとメジロマックイーンは思わざるを得なかった。
「足に負担掛けただけだ。別に走る分には問題ない」
メジロマックイーンは、怪訝な顔で麻真を見ていた。
確かに麻真のスタミナは異常なくらいあるのは知っているが、それを加味しても到底平気とは思えなかった。
ふと思い、メジロマックイーンが麻真に近づく。そして彼女が麻真の足を触ろうとすると、麻真が一歩後ろへ下がっていた。
「……どうされました?」
「むしろ急に触ってこようとしたから驚いただけだ」
「そうですか……?」
メジロマックイーンが再度麻真の足を触ろうとするが、麻真はそっと一歩また後ろへ下がっていた。
「……麻真さん?」
またメジロマックイーンが麻真に近づくが、彼はメジロマックイーンが近づく距離に合わせて離れていく。
「足、触られたくないんですか?」
「そんなことはない。触りたかったから触れば良い」
メジロマックイーンの質問に、平然と麻真が答える。
そんな麻真に、メジロマックイーンが冷たい視線を向けていた。
「なら動かないでくださいな」
だが麻真は近づくメジロマックイーンから距離を取っていた。
にじり寄るメジロマックイーンと距離を保つ麻真。
しかしメジロマックイーンが勢い良く近づくと麻真がそれを合わせて離れていた。
意地になってメジロマックイーンが走って追いかけると、麻真もそのまま彼女から逃げるように走っていた。
「なんで逃げるんですか!」
「お前が追い掛けてくるからだ!」
そして麻真が逃げるのをメジロマックイーンが追い掛けていき、不思議とレースのような構図が生まれていた。
「足の疲労が酷いのになんで走るんですか! 止まりなさい!」
「別に酷くない! 別に酷くてもお前と走るくらいなら問題ないっての!」
「なッ――バカにしましたわねっ!」
端的に言えば、お前に追いつかれることはない。そう解釈したメジロマックイーンが目を吊り上げた。
メジロマックイーンが走る速度を上げる。しかし麻真も同じように速度を上げていた。
「文句があるなら追いついてから言ってみろ」
「疲れた貴方に追いつくのは簡単ですわ!」
「言うじゃないか、ならさっきまで俺とルドルフの走りを見ていただろ? 一周だけ付き合ってやるから参考に走ってみろ」
「なんて腹の立つ顔ですの! 絶対に追いついてみせますわ!」
売り言葉に買い言葉だった。
麻真の自信ありげな顔に、メジロマックイーンが怒りながら全力で走る。
無意識の中で、麻真とシンボリルドルフの走りの一部を参考してメジロマックイーンが走る。
そんなメジロマックイーンを見て、麻真はまだ拙い走り方に苦笑しながら追い掛けてくる彼女が追いつけない程度の速度で走ることにした。
だが、そんなレースを始めた二人を見て、練習場は騒然としていた。
中等部の生徒は唖然とし、高等部の生徒は驚愕という反応だった。
麻真を知る高等部の生徒は彼の実力を再確認し、痛感して震えている人がほとんどだった。あのシンボリルドルフと対等に走ることができる人なのだと。
そしてシンボリルドルフと全力で走ったはずなのに、メジロマックイーンとまた平然と走り出した麻真の化物じみたスタミナに、彼の底が見えない能力に驚くしかなかった。
しかし麻真を知らない中等部の生徒は、北野麻真という人間に対しての評価が割れていた。
ウマ娘ではない北野麻真がウマ娘と同等で走れることに対する“不信感”と“違和感”を持った生徒と、彼の走りを見て“感動”に近い感情を持った生徒の二つに分かれていた。
そんな生徒達がいる中で、麻真とメジロマックイーンの二人は特に気にも止めずに練習場のコースを走っていた。
読了、お疲れ様です。
これでシンボリルドルフと麻真のレースは終わりました。
シンボリルドルフがここまで思うのにも、色々と過去にある訳があるのです。
次からEP3になります。
今回のEP2で麻真に関することを色々と出させて頂きました。
そして最後にシンボリルドルフと対等に走れた麻真の存在に対して、生徒達の反応が今後の話に出てきます。
それは後々の展開をお待ち頂ければと思います。