走るその先に、見える世界 作:ひさっち
基礎トレーニング。それはウマ娘なら誰もが通る道である。
速く走る為にウマ娘は自身を鍛える。しかし人の気持ちとは揺らぐものだ。長い時間を掛けていくにつれて、誰もが基礎を疎かにしてしまうものである。
そしていつの日か基礎を飛ばして、速く走ろうとする者は無理に応用へ行こうとする。
必ず強いウマ娘になる為の正解などはないだろう。しかし必ずと言って良いほど、強いウマ娘は似たような道を辿っている。
レースで誰よりも速くゴールする為には、なにが必要か?
無尽蔵な体力、強靭な筋力、身体の動かし方、もしくは競争相手との読み合いの巧さか?
答えは簡単である。それは“全て”だろう。
レースで誰よりも速く走る為には、誰よりも強ければ良い。
競争相手よりスタミナがあり、誰よりも加速できる筋肉を持ち、誰が見ても綺麗だと言えるフォームで走り、そして駆け引きが上手い人が勝つ。それがレースの本質である。
ウマ娘が願っている行き着く理想は、誰もが同じである。しかしその過程である“道”は、誰もが違う道を進む。
その過程――つまりは努力が結果を生む。誰よりも鍛錬を重ねた者だけが、ただ一人だけの勝利を掴み取る。
努力を怠るウマ娘に、勝利などはない。
それは強者であるウマ娘ならば、心の底から確信していることであった。
「もうワンセット、行くぞ」
「――はいっ!」
麻真の声と共に、メジロマックイーンが大きな声で返事をする。
麻真が落とさないように支えているバーベルをメジロマックイーンが首後ろと両手で支え、ゆっくりと膝を落とす。
そして膝を落としてから、今度はゆっくりと立ち上がる。これをひたすらに繰り返す。所謂、スクワットだった。
通常のスクワットならば、メジロマックイーンも苦もなく回数をこなせる。しかしバーベルという重りを持っている以上は足への負荷が更に掛かっている所為で、回数を重ねるに連れて彼女の顔は険しくなっていた。
「ぬっ……! ぐっ……!」
そして十回をワンセットとして、メジロマックイーンは六回の時点で膝が上がらなくなっていた。
本来ならここでメジロマックイーンはバーベルを落として身体を休めるだろう。
しかし麻真はそれをさせずに、メジロマックイーンが持つバーベルを支えたまま彼女に告げた。
「持ち上がるぞ。ほら、頑張ってみろ」
「こんのっ……‼︎」
メジロマックイーンが必死に力を込めるが、膝が持ち上がらない。
そこで麻真は支えていたバーベルをメジロマックイーンが分からない程度に僅かに持ち上げると、彼女は無事に膝を上げられていた。
「はぁ……! はぁ……!」
「はい。あと四回」
「……はいっ!」
麻真に促されて、メジロマックイーンが膝をゆっくりと落とす。
また落とした膝が上がらなくてメジロマックイーンの身体が震えるが、麻真は先程と同様にバーベルを僅かに持ち上げて、彼女にスクワットをさせていた。
そして目標の十回を終えると、バーベルを下ろしたメジロマックイーンはその場に倒れていた。
「二セット目終わり。インターバル入れてから次は三セット目だからな」
無慈悲に麻真がメジロマックイーンに告げる。
倒れていたメジロマックイーンは全身に汗を掻きながら、麻真を恨めしく見つめていた。
「本当に鬼ですわ……!」
メジロマックイーンは心の底からこのトレーニングが辛いと思っていた。
麻真の指示でトレセン学園にあるトレーニング用ジム室で基礎トレーニングを始めて数日が経っても、メジロマックイーンはこのトレーニングは一向に慣れる気がしなかった。
麻真が指示するトレーニングは、翌日になると確実に筋肉痛になる。限界まで身体を酷使させられる所為で、メジロマックイーンはほぼ毎日筋肉痛に悩まされていた。
「鬼でもなんでも良い。お前がやめるならやらないぞ?」
「ぐっ……! やりますわよっ!」
「それで良い。インターバルはちゃんと休んどけ」
悔しそうにメジロマックイーンが睨むが、麻真はけらけらと笑っていた。
メジロマックイーンが苦しいのは、麻真も十分に理解していた。
それもそのはず、麻真はメジロマックイーンの筋肉を限界まで酷使しているのだ。
今メジロマックイーンがしている“バーベルスクワット”は、麻真が決めた回数を彼女がやり終えると限界を迎えるように設定していた。
十回のスクワットをメジロマックイーンが設定回数を限界を振り絞らないとできないようにバーベルを持たせて行わせる。
他のトレーニングも同様に、麻真は常にメジロマックイーンが限界まで筋肉を酷使するように設定していた。
「まるで拷問ですわ……筋肉痛が治ったと思ったらトレーニング。また筋肉痛で、またトレーニング。これの繰り返しですわ」
インターバルを終えて、三セット目のバーベルスクワットを始めるメジロマックイーンが不貞腐れていた。
この基礎トレーニングを行なっている期間、メジロマックイーンは麻真に走ることを禁止されていた。
そしてこのトレーニングと筋肉痛の日々に、走ることを禁止されているメジロマックイーンがストレスを溜めるのは必然とも言えた。
不機嫌でもスクワットを始まるメジロマックイーンに、麻真は回数を数えながら苦しむ彼女に朗らかに話していた。
「筋肉痛ってのは悪いもんじゃない。筋肉が育ってる証拠だ」
「それは……! わかって……ますわっ!」
メジロマックイーンも麻真の話していることを理解はしていた。
筋肉痛とは筋繊維が傷ついて起こる症状である。そしてその傷ついた筋繊維を休めて回復すると、傷ついた筋繊維は傷つきにくくなるように修復し強化される。それが超回復と言われる筋肉の成長である。
「ならちゃんとやる。その分だけお前の身体は強くなる」
「くっ……! わかり、ました……わっ!」
不満を言いながらもメジロマックイーンが麻真の指示通りにトレーニングを行う。
「あと三箇所回って足のトレーニング終わったら、柔軟とマッサージするからな」
「ぬっ……! ぐぐっ……!」
「ほら、あと三回。まだ持ち上がるぞ。力入れろ」
「こぉん……のっ!」
麻真に煽られて、メジロマックイーンが気合でスクワットを続ける。
そんな二人の姿を見ていた他のウマ娘とトレーナー達は、その過剰なトレーニングを唖然とした顔で見ていたのに二人は気付いていなかった。
ウマ娘達は思った。あまりに辛過ぎると、自分なら投げ出したくなるような光景だった。それこそワンセットを死ぬ気でやらないといけないのに、それを複数回してるのだからメジロマックイーンの折れない精神力に驚愕する。
トレーナー達も、そこまで過剰なトレーニングを自分の担当ウマ娘にさせる気はなかった。麻真のトレーニングは理に適っているが、ウマ娘のメンタルが耐えられないと。
トレーニングをさせる方も、している方もどうかしている。トレーニング用のジムにいる全員が同じことを思っていた。
そんな空間の中、一人のウマ娘が二人の元に近づいていた。
「精が出てるな、メジロマックイーン」
そしてそのウマ娘――シンボリルドルフがバーベルスクワットを終えたメジロマックイーンに話し掛けていた。
シンボリルドルフがいきなり現れたことに倒れていたメジロマックイーンが慌てて起き上がろうとしたが、思うように立てずパタリと倒れていた。
「そのままで良い。見かけたから声を掛けただけだ」
「ですが、会長……!」
「気にするな。休める時に身体を休めておけ、麻真さんはこういう時は特に厳しいからな……ふふっ、お前を見ていると昔の私を思い出すな」
倒れているメジロマックイーンを見て、シンボリルドルフが懐かしそうに彼女を見つめる。
その言葉に、メジロマックイーンは倒れたまま反応していた。
「会長も……同じことをしたのですか?」
「あぁ、私も麻真さんに鍛えてもらったから勿論したぞ。あの時は私も筋肉痛が酷くてな……それに走るなと言われて禁止されてしまったから特にストレスが酷かった」
まさに自分と同じである。メジロマックイーンは同じ被害者がいると、目を輝かせてシンボリルドルフを見ていた。
しかし麻真はそう話すシンボリルドルフに、不服そうに目を細めて苦笑いしていた。
「随分言うじゃないか、ルドルフ。だからあの時のお前トレーニングする時は機嫌悪かったのかよ?」
「あれは誰がしてもそうなるに決まってるだろう? それに……麻真さんはそうなるのを分かってたんだろう?」
シンボリルドルフがそう言うと、麻真は目を僅かに大きくした。
麻真は即座に理解した。シンボリルドルフは過去を振り返った時に、自分が指示した練習の意図に気づいたのだと。
メジロマックイーンが小首を傾げ、シンボリルドルフの話に興味を示したような表情をしたのを麻真はすぐに察知した。
それにメジロマックイーンが反応するよりも早く、麻真が肩を竦めるとシンボリルドルフの言葉を鼻で笑っていた。
「勝手に言ってろ。別にお前も話に来ただけじゃないだろ?」
「あぁ、先週エアグルーヴから聞いたことを確認したくてな。麻真さん達がトレーニングジムにいるのは噂で聞いていたから、練習前に立ち寄ったんだ」
「エアグルーヴ? あぁ……あれか?」
シンボリルドルフが話しているのは、先週に行われた麻真とのレースが終わった後に彼がエアグルーヴに伝えていたことだった。
「麻真さんから食事を誘われたんだ。私に受けない理由はない。しかしなかなか時間が取れなくてな……今日の夜ならどうかなと思って声を掛けにきた」
そうシンボリルドルフがそう伝えると、麻真は頷いていた。
その誘いは、麻真からしても都合が良かった。彼も丁度彼女に用事があった。
「丁度良かった。俺もお前に話があったんだ」
「む? なんだ改まって?」
「コイツのことでちょっとな」
麻真が倒れているメジロマックイーンを指差すと、シンボリルドルフは彼女を一瞥して首を傾げた。
「……何かあったのか?」
麻真の用件が読めないシンボリルドルフが怪訝な顔を見せる。
そんなシンボリルドルフに、麻真は僅かに肩を竦めていた。
「マックイーンに生徒が群がってる。中等部はまだ分かるが、高等部の生徒もかなり来てる」
「……なに? それは本当かメジロマックイーン?」
麻真の話を聞くなり、シンボリルドルフの目が据わっていた。
シンボリルドルフに問われたメジロマックイーンは、その威圧に驚きながらも素直に頷いた。
「はい……ここ一週間続いてますわ」
「はぁ……全く、手間の掛かる生徒が多くて困る」
メジロマックイーンの返答に、シンボリルドルフが頭を抱えていた。
「そう言うわけだ。まぁ続きは、夜に話そう。場所はどうする?」
困り果てるシンボリルドルフに、麻真がそれ以上の話をすることを控えるように遠回しに伝える。
シンボリルドルフもその意図を察して、頷いていた。
「誰かに聞かれるのも都合が悪いだろう。生徒会室の方で良いか?」
「……生徒会室で?」
「あぁ、問題ない。私も生徒会室で食事をしたことはあるからな」
「おいおい、生徒会長が職権濫用は良くないぞ?」
「ふふっ、こう見えて多忙だからな、私も。折角の麻真さんと食事に雰囲気もないが、それは許してほしいところだ」
「別にそんなのいらないって、気にするな」
穏やかに笑うシンボリルドルフに、麻真が苦笑しながら答える。
話をするその二人を横目に、ようやくメジロマックイーンが立ち上がっていた。
そんなメジロマックイーンをシンボリルドルフが見つめる。彼女は少し考える仕草をすると、メジロマックイーンに提案していた。
「メジロマックイーン、君も一緒にどうだ?」
「えっ……? 私もですか?」
シンボリルドルフの提案に、メジロマックイーンが心底驚く。
まさかシンボリルドルフが麻真との食事に自分を誘うなどとは思わなかった。
「その方が君も都合が良いだろう。生徒会室に無断で入る生徒もいない。丁度良い、私も麻真さんの担当である君のことを知りたいと思っていたんだ」
「おい、ルドルフ。それは……」
しかし提案するシンボリルドルフに、麻真が彼女の提案に眉を寄せる。
シンボリルドルフは麻真があまり良い反応をしていないことに怪訝な顔をしていたが、彼女は合点がいったように納得していた。
「麻真さん、メジロマックイーンには伝えてないのか?」
「……別に話しても仕方ないだろ?」
「全く、貴方のそういうところは本当に変わってないな」
麻真とシンボリルドルフが二人にしか分からない話をしていることに、メジロマックイーンが思わず顔を顰める。
メジロマックイーンの顔を見て、シンボリルドルフも思わず苦笑いしていた。
「すまない。メジロマックイーンは分からない話だったな。そういう話も色々と来てくれれば話せれば良いと思っている。良ければどうかな?」
そして再度シンボリルドルフがメジロマックイーンを食事に誘う。その誘いに、メジロマックイーンが断る理由はなかった。
「私で良ければ、ご一緒させて頂きますわ」
メジロマックイーンの承諾に、シンボリルドルフは満足そうに頷いていた。
「それは良かった……む? なら一緒にエアグルーヴも呼んでおくか? 彼女も居れば何かと話が早そうだ」
「アイツ、呼んだら来るのか?」
「エアグルーヴならきっと飛んでくるぞ、麻真さんがいるならな」
「犬かよ……その浅はかな考えもどうかと思うがな」
麻真が安直に考えるシンボリルドルフを窘める。
しかしシンボリルドルフは麻真が言った言葉を聞くなり、ハッと何かを思いついたように自信に満ち溢れた顔をしていた。
「浅ましい考え? それはお互い様だぞ、麻真さん? あさまさんも“あさま”しい……ふふっ、どうだ?」
「はっ……?」
シンボリルドルフが意味の分からないことを言い出したことに、メジロマックイーンが目を点にする。
メジロマックイーンが理解してない顔をしていても、何故かシンボリルドルフは誇らしそうに麻真を見つめていた。
「良し、メジロマックイーン。次のトレーニング行くぞ」
だが麻真はシンボリルドルフの話を聞くなり、そそくさと立ち去っていた。
「へっ……? あとちょっとっ⁉︎」
麻真が速足でその場を立ち去ったことに、メジロマックイーンが慌てて追い掛ける。
二人が立ち去るのを見届けながら、シンボリルドルフは寂しそうに肩を落としていた。
「……渾身の傑作だと思ったのだが」
「五点だ! 出直してこい!」
立ち去りながら麻真が大きな声でシンボリルドルフに告げる。
麻真の評価に、シンボリルドルフは心底不服そうに口を尖らせていた。
読了、お疲れ様です。
メジロマックイーンのトレーニング回でした。
それとシンボリルドルフが登場、そんなお話。
のんびりと進めていきます。